『ガンパレード・マーチ ~新たなる行軍歌~』

生きる。

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ガンパレード・マーチ ~新たなる行軍歌~ - Wikipedia
ガンパレード・マーチ ~新たなる行軍歌~とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2003年。ソニー・コンピュータエンタテインメント制作のPSゲーム『高機動幻想ガンパレード・マーチ』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は桜美かつし。アニメーション制作はJ.C.STAFF。幻獣と呼ばれる謎の生命体によって壊滅的な被害を受けた架空の日本を舞台に、少年少女が命を懸けて戦うSFアクション。原作は、練り込まれた設定と自由度の高いシステムが評価され、TVゲームとして初めて星雲賞を受賞した。本作はそれをテレビアニメ化した作品であるが、より人間ドラマを重視した作りになっている。

・設定


 第二次世界大戦末期、突如として謎の生命体「幻獣」が地上に出現し、人類は壊滅的な損害を被った。世界各国は共同戦線を張って幻獣に対抗したが、圧倒的な物量の前に敗北し、徐々に前線を後退させていった。時は流れ、二十世紀終盤、人類の居住可能地域は日本を含む極一部地域だけになっていた。深刻な戦力不足に見舞われた日本は、学生徴兵法を発令して、人型戦車HWTと決戦兵器PBEの運用に素養がある子供達を強制的に徴兵した。その内の一人、高校生の速水厚志は激戦地である熊本の5121部隊に配属され、同じ境遇の仲間と共に日々、幻獣との戦いを続けるのだった。
 架空の歴史に基づいた架空の現代日本を舞台にした戦記物は、別段珍しいジャンルではないが、ここまでシリアスな境遇に置かれた作品は数少ないのではないだろうか。全世界の大半を謎の生命体に奪われ、人類は滅亡寸前。学生を徴兵しないといけないほど追い込まれ、水際での激戦を繰り返している。技術革新により何とか幻獣と互角に戦えるところまでは漕ぎ着けたが、それでも次から次へと押し寄せる敵に防衛が精一杯。このままでは確実に敗北が待っている。と、恐ろしいまでの絶望感に包まれている。それはつまり、物語の緊迫感が増して訴求力が高まるということであり、間違いなく作品全体の質の向上に一役買っている。
 ただし、その分、科学面での設定的な弱さが随所に見られるのは否めない。本作の日本は、我々の住んでいる現代社会とほとんど一緒だ。経済も流通も十分に機能し、娯楽施設が充実し、子供達は毎日呑気に学校へ通う。しかし、これほどまで絶望的な状況で本当に文明が適切に発達するのだろうか。ヨーロッパはとっくの昔に崩壊しているのだから、ある意味、江戸時代の鎖国と同じような状況である。膨大な軍事費が予算を圧迫し、資源もない。これでは成長しろと言う方が無理である。もう少し退廃的な軍事独裁国家になっていてもおかしくない。もっとも、戦争が科学を発達させるという側面もあるため、一概に間違っているとは言えないのかもしれない。劇中でも、人型戦車や決戦兵器などの軍事技術がオーバーテクノロジー化しているのに対して、生活家電が七十年代程度で止まっているのが面白い。そういった小さなこだわりが見られるアニメは純粋に楽しい。

・サバイバル


 さて、そんな科学考証の弱さを吹き飛ばすのが、本作の圧倒的なミリタリー描写である。主人公が所属している軍隊、及びその軍事行動が細部まで綿密に描かれ、非常にリアルで説得力がある。主人公達がどんなに戦闘で活躍しようと、結局は軍隊の駒の一つに過ぎず、大勢に影響を与えない。彼らの上には巨大な組織が君臨し、命令は上から下へと一方的に伝達されるのみで、決して逆らうことはできない。個々の役割分担が明確で、システマティックに効率良く行動することができるが、その代わり個人の感情が介在する余地がどこにもない。戦術一つを取ってみても、作戦が的確で決して功を焦らず、戦況不利と見てからの撤退も早い。そういった軍事的な背景がしっかりしているからこそ、人型戦車などといった現実的にあり得ない物が画面に登場しても、何となく「それっぽい」感じを作り出せる。空想と現実の融合はアニメーションの最も得意とするところだ。
 では、ミリタリーを綿密に描くことで何が起きるのか。それは「戦争」のリアリティの向上である。本作は、キャラクター重視の深夜アニメにしては珍しく正面から戦争と向き合った作品である。すなわち、死が日常のすぐ隣にあるという異常性を包み隠さず描いているということだ。主人公達の部隊は、物語開始時点ですでに一人の戦死者を出している。彼の死は主人公達の深い心の傷になっており、彼の一周忌には精霊流しをして明日をも見えぬ自分達の無事を確認し合う。また、敵がいつ襲ってくるか分からないため、気軽に外出することさえできない。休みは交代制。楽しい学校行事をしている最中に出動がかかることもある。そして、第五話という非常に早い段階で、主要キャラクターの内の一人が戦死する。これはかなり衝撃的な展開だ。昨今、ミリタリーを名乗った萌えアニメは続々と増えているが、ちゃんと適切な状況で適切に登場人物を殺せる作品はほとんどない。ここを躊躇して無駄に生き残らせてしまうと、絶対に戦争の悲惨さは描けない。例えば、『ストライクウィッチーズ』や『艦隊これくしょん -艦これ-』で、どんなに悲惨な状況を描こうとも、全く絶望感のないお気楽戦争物にしかならないのは、そういった点が欠けているからだ(艦これは劇中で戦死者が出ても、すぐに忘れ去られる)。本作は物語の前半でそれをやることで、後半の展開に深みを加えることに成功している。

・日常


 学園とミリタリーの融合、この難題に挑戦して自爆するアニメが後を絶たない。何回も書いているが、学園が平和や日常の象徴であるのに対して、ミリタリーが戦争や非日常の象徴であるからだ。全く性質が異なる物を一つにするのは、人並み外れたセンスの持ち主でなければできるはずがない。そうでない者が行うと、日常パートと戦闘パートが解離し、どちらに対しても中途半端で地に足が付かない物が出来上がってしまう。最近はその状況を逆手に取り、普通の学園日常物と見せかけておいて、途中で突然路線変更してハードな戦争物に移行するといういわゆるジャンル詐欺的な作品も目に付くが、所詮は反則技だ。そう何度も使える物ではない。
 一方、本作は学園とミリタリーを高いレベルで融合させた数少ない成功作である。だからと言って、特に変わったことをやっているわけではない。日常パートはどこにでもある普通の学園物で、同年代の男女混成グループが陽気に馬鹿騒ぎするだけ。むしろ、他のアニメよりも雰囲気が明るいぐらいだ。では、何が違うのかと言うと、前述した濃密なミリタリー描写の存在である。主人公達の周囲を取り囲む硬質な軍隊と悲惨な戦争を事前にしっかりと描いているため、彼らがどんなに悪ふざけをしようとも、常に黒い影が背後に付きまとう。時にはその影が日常に侵食して邪魔をする。例えば、くだらない雑談をしている時にふと戦死した仲間の口癖を口にしてしまい、場が凍り付く。幼稚園児のために人形劇をやろうとすると、開幕直前に出動がかかる。また、キャラクターにしても、本作の登場人物は他作品と比べて特別に個性的というわけはない。しかし、命を懸けて一緒に戦った「戦友」であるため、キャラクターに対する思い入れが強くなり、結果的に日常パートも盛り上がる。それは逆もしかりで、大切にしたい楽しい仲間だからこそ相乗効果で戦争シーンも盛り上がる。このように、日常はあくまで非日常の裏返しであり、両者が密接に係り合っているからこそ、より人間関係がフォーカスされるのである。
 ただ、一点気になるのは、戦争行為が常態化するとむしろそちらが日常になり、日々の生活の方が非日常になるのではないかということだ。これは、俗に言う日常系アニメが冷静で残酷な現実から逃げるために狭い空間に閉じ籠もっている様を日常と称している違和感と共通する。本来は通常の学生生活の方が日常のはずだ。この辺りの矛盾にどう落とし前を付けるかが、制作者の腕の見せ所になる。

・恋愛


 本作のメインストーリーは、優柔不断な主人公と意地っ張りなヒロインの恋愛劇である。お互い、心の中では惹かれ合っているが、プライドが邪魔をして口には出せずに気持ちがすれ違うという、今となっては天然記念物のような古臭いストーリーである。別にそれ自体は悪いことではないが、本作の場合は本当にそれしかない。戦争物なのに敵との戦闘がストーリーに絡むことはなく、最終回で初詣の最中に告白して終わりという何とも呆気ない結末を迎える。普通に考えると、作品ジャンルを完全に無視しているのだから、致命的なマイナス要素になるはずだ。しかし、意図的にそうしていると考えると、なるほど、様々な物が見えてくる。
 なぜ、恋愛をメインに据えているかと言うと、それが最も人間らしい行為であるからに他ならない。劇中では、正体不明の凶悪な敵との戦いがもう五十年も続いている。地球上のほとんどの地域が壊滅し、将来、自分達もそうなるのはほぼ確実。それでも一縷の希望を信じて戦い続ける。そんな状態が人間らしくあるはずがない。だからこそ、その不自然さを強調するために、あえて最も人間らしい行為を中心に描いているのだ。それも使い古されたどこにでもあるような普通の恋愛ドラマ。男と女が出会い、恋をし、家庭を作り、子を育てるという普通の人生。ここで上の話に戻るなら、殺伐とした戦争が日常なのではなく、こちらこそが本当の日常だと訴えているのである。と同時に、謎の侵略者には絶対に屈しないという強い意志、こんな馬鹿げた戦争を早く終わらせて元の平穏な日々に戻りたいという反戦の心、それらはどんなに優れた施政者の演説よりも普通の恋愛劇を描いた方が何百倍も心に響くということも伝えている。
 ラストシーン。2001年、二十一世紀初めての新年を迎えた熊本の神社には、多くの参拝客が詰めかけている。皆が笑顔。テレビのリポーターの言葉が耳に残る。「絶えず幻獣の脅威に晒されているにも関わらず、いえ、だからこそと言うべきでしょうか、熊本は今、喜びに湧き上がっています」我が国最大の激戦地の一つ、それでも人々は楽しく日常を過ごしている。

・総論


 ロボットアニメとして見ても一流なのに、それを捨ててまで普通の恋愛ドラマにこだわった生き様には拍手を送りたい。また、本文には入れられなかったが、行進曲風のメインテーマ曲の使い方が抜群であることも追記しておく。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:36 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『N・H・Kにようこそ!』

深夜アニメの最高傑作。

公式サイト
NHKにようこそ! - Wikipedia
N・H・Kにようこそ!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2006年。滝本竜彦著の小説『NHKにようこそ!』のテレビアニメ化作品。全二十四話。監督は山本裕介。アニメーション制作はGONZO。この頃から社会問題化した「ひきこもり」を題材にした脱力系青春ドラマ。アニメ版のストーリー構成は、小説版の序盤&終盤と漫画版の中盤を繋ぎ合わせており、両者の良いところを掛け合わせたような形になっている。なお、処々の事情により、アニメ版のタイトルはNHKの間に区切り点が入れられる。

・アンチ萌え


 本作の主人公は二十代前半の青年。北海道より単身上京して大学に在学中、近所の人々に自分の悪口を言われていると感じて以来、大学を中退して自宅アパートにひきこもったまま四年もの月日を過ごしていた。そんなある日、彼の元へ一人の少女が現われる。不登校の女子高生にしか見えない彼女は、自らを「天使」と称し、主人公をひきこもりから救い出すためにやってきたと述べた。最初は胡散臭く思っていた主人公だったが、それでこの悲惨な人生が少しでも変わるならと考え直し、一縷の望みを託して彼女のプログラムに参加することを決意する。
 はっきりと劇中で宣言されている訳ではないが、本作のコンセプトは明らかに「萌えのアンチテーゼ」である。主人公は人生に絶望して大学を中退したひきこもりの青年。そこへお嬢様風の女子高生が現われ、主人公をひきこもりから救い出そうとする。これはいわゆる「落ち物」、謎の美少女が突然、異世界から冴えない主人公の元へ現われ、彼女の持つ特異な力により主人公が何らかの心の成長を遂げるという萌えの王道パターンを意図的に踏襲している。事実、放送前情報ではそうなっており、その心持ちで視聴を始めた人も多いだろう。しかし、ストーリーのかなり早い段階で、それが制作者の仕組んだ罠だと明らかになる。実際のヒロインは高校中退のノイローゼ患者であり、幼い頃から養父の虐待を受けていたため、今は実家を離れ親戚の家に居候中である。彼女は基本的に優秀であるがゆえに、社会の無慈悲さを十分に理解しており、創作物に出てくるような安易な奇跡は絶対に起こらないことを知っている。そのため、何に対しても悲観的な物の見方をしてしまい、他人と対等に付き合うことができない。ヒロインがひきこもりの救済を始めたのは、本当は優等生なのに不当に虐げられている自分よりもさらにダメな人間を見つけ、彼を教育することで自分の優秀さを確認するため。決して、主人公のことを思っての行動ではない。
 結局、彼女は迷える子羊を救済する清らかな天使でも、他のアニメに出てくるような男性視聴者に媚びた理想的な萌えキャラでもなく、表も裏もあるプライドの高い一人の血の通った人間なのである(もし、彼女の受けていた虐待が性的虐待だとしたら、彼女はオタク層が最も嫌悪する「非処女」である)。萌えアニメの世界はあくまで理想郷であって現実ではない。本作は、まず萌えビジネス業界に蔓延している甘い考えを全否定することを出発点にしている。その上で本作が描こうとしている物は何か、それを次の項目から見て行きたい。

・陰謀


 本作におけるN・H・Kとは、日本放送協会の略ではなく「日本ひきこもり協会」の略である。この団体の目的は世の若者を自室にひきこもらせること。もちろん、これは主人公の妄想が作り上げた架空の団体なのだが、その正体を探ることによって人間の本質に触れることができるだろう。
 本作の主人公はダメ人間の代表のように扱われているが、実際のところ容姿自体はそれほど悪くなく、基本的には頭の回転も早い。学校の成績も良く、小さい頃はいわゆる「神童」だったタイプである。だが、神童も二十歳過ぎればただの人、社会に出れば自分が井の中の蛙だったことを思い知らされる。気付けば周囲の人間に追い付かれ、むしろ繊細過ぎる性格のせいであらゆる面で後れを取っている。しかし、その成育歴からプライドだけは高く、現実の情けない自分との間で矛盾を引き起こしている。そんな彼が自己承認欲求を満たし、心の安寧を得るためにはどうすればいいか。一つは「逃げる」ことである。社会から逃げ、世間から逃げ、周りに誰もいなくなったら、もう誰からも馬鹿にされることはない。常に勝利者、敗北を知らない、無敵の人。その行きつく先がひきこもりである。つまり、彼は社会性を失うのと引き換えに、かつて特別の存在だった頃の自己のプライドを取り戻したのである。
 もう一つは何かを「見下す」ことである。自分より下の人間を見つけて、それを見下すことで相対的に自分の地位を持ち上げる。ただし、現時点でも底辺を彷徨っているのに、自分より下の人間が都合良く見つかるはずがない。例えば、匿名掲示板等で獲物を探すにしても、何の勉強もしていない平凡な人間がその道の専門家に議論で勝てるはずがない。では、どうするか。それは「陰謀論」に走ることである。世の中は全て闇の黒い組織が牛耳っており、自分の意見に反対する者は全て対立組織の工作員だと決め付ければ、少なくとも議論に負けることはない。そして、その陰謀を知っている自分は他人よりも優れた存在であると思い込むによって、さらなる高みに立とうとするのである。その究極の形態が「日本ひきこもり協会」である。今、自分が惨めな境遇に甘んじているのは、資本主義社会が適当なスケープゴートを必要としたからであり、その真実に気付いている自分は特別な存在であると自己肯定することによって心の安寧を図っている。こういったエゴイスティックな防衛機制のメカニズムは主人公だけに限らず、多かれ少なかれ人間なら誰しもが持っている物だ。実際、社会が不安定になるとレイシズムが世に蔓延るのが常である。このように、本作品は深夜アニメにも係わらず、徹底して生身の人間とリアルな社会を描いているのが特徴である。

・現実


 上記の特異性は、ひきこもりの青年を物語の主人公に置くことでより鮮明に強調されている。と言うのも、通常の作品だと外部の人間との交流によって少しずつ良き方向へと進んで行く物だが、主人公がひきこもりであるがゆえに、何もドラマが生まれないばかりか、何かを始めれば始めるほどどんどん深みにハマってしまうのである。自称天使に騙され、両親の期待を裏切り、集団自殺もできず、ネットゲームのRMTも失敗、悪徳商法に有り金を奪われ、頑張って作った同人ゲームはクソゲー、唯一心を開いた親友にも去られてしまう。そして、物語の終盤でヒロインとも縁を切った主人公がついにひきこもりから脱出するのだが、それすらも「生活費が尽きたから」という極めて後ろ向きな理由だ。現実は過酷である。普通の人間、しかも、他人を見下すことでしか自我を保てないひきこもりに、ドラマの主人公になる資格などある訳がない。親友が言うように「ドラマチックな死は僕らには相応しくありませんよ」なのだ。
 しかし、ここに来て初めて物語が劇的に動き出す。主人公が社会復帰したことで自分が不要になったと感じたヒロインが、遺書を残して生まれ故郷へ旅立ち、投身自殺を企てようとするのである。なけなしの金を叩いて彼女を追う主人公。やがて、自殺の名所の岬でヒロインと再会した時、そこで主人公は彼女に対してある「ちっぽけな奇跡」を起こしてみせる。はっきり言って、取るに足らない奇跡である。ドラマチックでもないし、スペクタクルでもない。物語的に言っても、伏線バレバレでインパクトが弱い。しかし、ヒロインは「神はいない」「奇跡は起こらない」と信じている悲観的な少女だ。そんな彼女にちっぽけながらも本物の奇跡を見せることで、初めて彼女は救われるのである。世界はそんなに酷い物ではない、捉え方一つで良くも悪くもなる物だ、と。そして、それは本作が視聴者に向けて発したメッセージでもある。
 ラスト、ヒロインは「日本人質交換会」なる組織を立ち上げて、再び主人公と契約を交わす。それは、今までのように互いが互いを馬鹿にして傷を舐め合う共依存の状態から脱却し、相手を人として尊重する対等の関係になろうという物だった。そこにあるのは、不器用ではあるが一生懸命、前を向いて生きようと頑張る一人の人間の姿。だからこそ、本作のヒロインは他のテンプレ萌えキャラの何十倍も愛しいのである。

・良点と欠点


 さて、ここまでストーリーについて解説したが、それとは別に本作のアニメーションとしての出来はどうだろう。ひきこもりの悲哀を面白おかしく描いた脚本・演出は、人情コメディーとして見ても優秀である。社会の底辺にいる人間から目を逸らさず、ありのままを描いていることで社会描写に説得力があり、自虐ギャグにも切れがある。人によってはイライラするかもしれないが、主人公の究極のダメ人間っぷりを眺めるのもまた楽しい。オタク文化、特にエロゲー(十八禁美少女ゲーム)を肯定も否定もせずにそのまま描いている点も、今となっては新しい。そして、それらを彩るのがパール兄弟による音楽だ。ボーカル曲とそのカラオケを多用したBGMは、青春の光と影のコントラストを描き出すのに成功している。CVも演技力に秀でた役者を揃えており、極めてレベルが高い。その中でヒロイン役の牧野由依だけは拙さを感じるが、かえってそれが彼女の特殊な人格を浮き出させ、良い効果を生んでいる。
 欠点はやはり作画だろうか。全体的に低品質であり、特に第四話・第八話・第十九話は、作画監督の個性が全面に出過ぎているせいで違和感が大きい。ただ、ひきこもりが題材であり、作品全体がカオスな空気に包まれているので作画の乱れはあまり気にならず、むしろそれが良いアクセントになっている。また、ストーリー的な欠点を上げるなら、「革命爆弾」の件が説明不足になっている点は見逃せない。革命爆弾とは、この世の諸悪の根源である「日本ひきこもり協会」を退治するために必要な自爆決戦兵器のことである。皇帝と奴隷の例から分かる通り、世界を支配する陰謀を打ち砕くことができるのは、何も失う物のない人間による自爆攻撃だけだ。本作の主人公も、そうやって自分の立場を肯定しようとしたが、相変わらず普通の人間にはそんな力も勇気もないという現実の壁により失敗する。この辺りの事情が少々分かり難いため、アニメ版では意図的にぼかしてあるのだが、そのせいで最終話の展開がかなり唐突に感じるのが残念だ。深く考えず、主人公と親友の作った同人ゲームのラストを革命爆弾でラスボスに立ち向かうシーンにしておけば良かっただけなのに、もったいない。

・総論


 間違いなく、深夜アニメの傑作の一つである。ひきこもりというアンモラルな設定と緩い作画のせいで人を選ぶが、ストーリーにこだわる人はぜひ見てもらいたいアニメである。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 11:05 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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