『STEINS;GATE』

サイエンス・フィクション。

公式サイト
STEINS;GATE (アニメ) - Wikipedia
STEINS;GATEとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2011年春5pb.Nitroplus制作のテレビゲーム『STEINS;GATE』のテレビアニメ化作品。全二十四話。監督は佐藤卓哉浜崎博嗣。アニメーション制作はWHITE FOX。未来ガジェット研究所の面々が、悲劇的な未来を変えるためにタイムマシンで過去を改変するSFアドベンチャー。「シュタインズ・ゲート」とは、主人公が独自に考えた造語であって、その言葉自体に意味はない。なお、劇中に登場する「2000年に現れたジョン・タイター」は、実在の人物である。

・SF


 SF(サイエンス・フィクション)は奇妙なジャンルである。なぜなら、より科学的であることが良作の条件とされているのに、完全に現実の物理法則に忠実だと、心躍り上がるような「少し不思議」な物語が発生しないからである。そのため、どこかで意図的に科学のレールから外れる必要がある。しかし、あまりにもあからさまに外れてしまうと視聴者が興醒めしてしまうため、分からないようにこっそりとやらなければならない。その工程はとてもじゃないが科学的とは言い難い。

 実のところ、本作はこのレールの外し方があまり上手くない。劇中に登場するタイムマシンもタイムリープマシンも、ある程度は科学的知識に基づいているとは言え、素人の図画工作レベルである。主人公は自称マッドサイエンティストだが、何の専門家なのか分からない。ヒロインは脳科学者で、オタク仲間はプログラマーでありながら、なぜか電子工学にも通じている。また、謎の研究組織が科学技術を独占し、世界を陰で支配している。この科学者なら何でもでき、悪の秘密結社が世界征服を企んでいるという設定は、子供向け特撮物でよく見られるお約束である。つまり、本作のベースになっているのは、SFではなく空想科学である。

 では、なぜ、本作が名作SFだと言われているのかと言うと、結局のところ、ストーリー構成がずば抜けて優れているからである。それも、「起承転結」という古典中の古典の作劇テクニックが極めて効果的に働いているからだ。具体的に言うと、起(第一話~第六話)では、謎という謎をこれでもかと提示して、視聴者の耳目を集める。その過程において、個性的な登場人物が出揃い、タイムマシンが完成する。承(第七話~第十二話)では、そのタイムマシンの能力を皆で検証しつつ、事件の核心に迫っていく。その結果、主人公達はある大きな事件に巻き込まれる。転(第十三話~第二十話)では、その事件を解決するために主人公がタイムリープを何度も行い、失敗を繰り返しながらも、徐々に謎を解き明かしていく。結(第二十一話~第二十四話)では、その事件は解決したものの、さらなる大きな事件が発生し、物語は最初の伏線を回収しながら一つに収束する。この概要からも分かる通り、本作は2クールのメリットを最大限に生かし、トライ&エラーを繰り返しながら、謎を一つずつ丁寧に処理していって、段々と真実に近付いていくという形式を取っている。その過程が実に「科学的」なのだ。つまり、本作は設定の科学考証の弱さをストーリーで補っているのである。当然、ストーリー構成は文系に属するわけで、文系が理系を支えるという非常に珍しい形を取っているのが、本作の面白い点である。

・世界線


 フィクションにおけるタイムパラドックスの取り扱い方については、『僕だけがいない街』の項目で簡単にまとめた。詳しくはそちらを読んでもらうとして、本作が採用しているのは、過去を改変してタイムパラドックスが発生した際、その時間を境にしてパラレルワールドが生成されるという考え方である。本作はそれを「世界線」と称している。この方式はストーリーに矛盾を起こし難いので、作り手からすると非常に便利で都合がいい。ただし、この方式でしか発生しない問題点も幾つか存在するので、取り扱いに十分な注意が必要になるのは、他と同様である。

 最も気を付けなければならない点は、たとえ過去を改変してパラレルワールドが生まれたとしても、元の世界線の人々の時間は未来永劫続いていくということである。例えば、ある世界線で起こった出来事が悲劇的な結末を迎えたため、それを変えるために過去に干渉したとする。その結果、世界線を跨いでも記憶を保持できる特殊能力者の主人公だけは、上手く別の世界線へ移動することができるかもしれないが、他の人々はその悲劇的な世界線に取り残されたまま人生が続いていくのである。いや、正確には主人公も例外ではない。理想的なエンディングに辿り着けるのは、主人公の「記憶」だけだ。つまり、世界線を変えるという行為は、これ以上ないぐらい自己中心的で、極めて自己満足的な行為だということである。本作は劇中で何度も過去を変え、結果的に幾つもの世界線が派生しているが、はたしてそれは倫理的にどうなのだろうか。生命を生み出すとまで言うと大袈裟だが、それに類する行為を行っているのは事実なので、当然、創造主としての義務と責任が生じるだろう。

 逆の場合も同じことが言える。過去を変えるために主人公がタイムリープ(記憶を過去の自分に飛ばすこと)をしようとし、それに対してヒロイン達が涙で別れを告げるというシーンが度々登場する。感動的なシーンである。ただ、冷静に考えると、その世界線の主人公はそのまま同じ場所に残るはずだ。そうなると、タイムリープ後に非常に気まずい空気が流れるだろう。完全にコントである。もっとも、世界線が変わるというのはあくまで劇中のキャラクターの考えであって、実際にそうだという確証はない。事実、「歴史を改変すると元の世界線がどうなるか分からない」といった発言もあるし、主人公以外の人々も世界線を跨いで同じ記憶を共有しているかのような描写もある。もしかすると、ただ時間がループしているだけなのかもしれない。結局、時間とはそれほど曖昧な物であり、現代科学では説明し切れないというのが本作の結論になる。

・欠点


 上述した通り、本作は非常に完成度の高い優れた作品である。作劇の基本に忠実なため、設定にもストーリーにも大きな穴はない。美術・音楽・演出はいずれも高品質。キャラクター造形も深く、ギャグにも切れがある。それゆえ、アニメ史の残る傑作という評価は決して大袈裟ではない。

 ただ、あえて欠点を挙げるとするなら、第十三話、つまり、起承転結で言うところの「転」以降の展開がやや強引なことである。幼馴染みが敵の組織に殺されてしまい、彼女を助けるために主人公がタイムリープを何度も繰り返して過去を改変するというストーリーなのだが、その道筋に幾許かの違和感を覚える。幼馴染みを助けるためには世界線を大きく変える必要があり、そのために今まで改変してきた歴史を一つずつ元に戻すという展開が、非常にゲーム的で論理性に欠ける。歴史を戻す度に死亡日が一日延びるのも根拠がない。幼馴染みはなかなか生き残らないのに、メイドの父親は簡単に生き返るという矛盾。研究所の大家が実は敵の幹部だったという奇跡的な偶然。また、悪の秘密組織の陰謀を阻止するためには、最初に主人公が送ったメールを秘密組織のデータベースから消去しなければならないという展開は正直厳しい。そのためには、三十年前に製造された古いパソコンが必要だというギミックはもっと厳しい。これまでずっと過去を改変していたのに、急に現代の話になる。なぜ、現代を改変すると過去まで変わるのか? 主人公達と秘密組織を何とかして結び付けたいのは分かるが、もう少しスマートな方法があったのではないだろうか。

 第二十三話以降のラストエピソードは、さらに強引さを増す。未来からやってきた本物のタイムマシンを駆使して、過去に殺されたヒロインを救うというストーリーなのだが、非常に蛇足感が強い。これまで『バタフライ・エフェクト』的な細やかな因果の繋がりが売りだったのに、突然『バック・トゥ・ザ・フューチャー』的な世界線などどこ吹く風の直球勝負のタイムトラベル物になる。二回も過去に行っているのに、なぜ前に過去へ行った自分と出会わないのか。ヒロインが生き残っているのに、なぜ秘密組織が世界を支配する未来に繋がらないのか。世界線が変わっているのに、なぜ過去の主人公は同じ三週間の歴史を繰り返すのか。等々、単純にタイムトラベル物として見ても疑問点が多く、質が悪い。安易にお涙頂戴に走らず、ちゃんとハッピーエンドで終わらせているのは好印象だが、やはり、ここももう少しシナリオのブラッシュアップが必要だっただろう。

・テーマ


 本作のメインテーマは、もちろん「科学技術への警鐘」である。便利な科学技術に傾倒し過ぎると必ず手痛いしっぺ返しを食らうという、近未来SFでよく扱われるテーマだ。だが、本作にはそれとは別にもう一つの裏テーマがあり、より作品の質を高めることに貢献している。それが「主人公の心の成長」である。

 本作の主人公は十八歳の大学一年生。自称マッドサイエンティストの邪気眼持ちの現役中二病患者である。その核となる妄想は、「世界はシュタインズゲートの選択によって支配されている」。中学生ならともかく、大学生でこれはかなり痛々しい。なぜ、彼はこの歳まで中二病を引きずっているのか? 半分は幼馴染みのためだが、もう半分は自分自身の寂しさを埋めるためである。身近に理解者がいなかった彼は、「未来ガジェット研究所」なる団体を作って、自分の殻に閉じ籠もっていた。かなり意図的に痛々しい人物を演じることで、本当の自分に触れられるのを防いでいた訳である。そんな彼は実に人間らしく、我々の代弁者としての資格を十分に有している。

 ところが、ふとした偶然からタイムマシンを発明してしまうと、彼の妄想が現実の物になってしまう。世界は本当に秘密組織に支配されており、主人公は特殊能力を持っていて、未来から来たタイムトラベラーに「救世主になって欲しい」と頼まれる。それに対して、彼の取った行動は逃避だった。己の弱さを知り、救世主になんてなれないと逃げ出す彼の姿は、我々の心を打つ。さらに、敵の組織に幼馴染みが殺されてしまうと、彼は「シュタインズゲートの選択なんてない」と今までの自分を否定する。この時、彼は初めて残酷な現実と正対する。同時に、孤独だと思っていた自分の周囲には大勢の仲間がいて、いつも彼を助けてくれていることを知る。そして、彼は人として大きく成長する。

 ラストエピソードでは、彼の中二心がヒロインを助けるために必要であることが判明し、一度は封印した妄想を再び解き放つ。一見すると、昔とやっていることは同じだが、中身は全く違う。ネガティブな逃避ではなく、ポジティブな逃避。すなわち、彼は物語を通じて、一つ上の次元に上がったということである。ここで話を冒頭に戻すと、中二妄想は科学のレールから外れた物である。そういう意味では、本作は科学的な物と非科学的な物が激しくせめぎ合った結果、程良いバランスに収まった物語だと言える。それゆえ、本作は非常に優れたSF(サイエンス・フィクション)なのである。

・総論


 もちろん、細かな脚本のミスは多いのだが、とにかく見ていて純粋に面白い作品。いつも言っていることだが、名作と呼ばれるアニメほど作劇の基本に対して忠実で謙虚。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:48 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『ガンパレード・マーチ ~新たなる行軍歌~』

生きる。

公式サイト
ガンパレード・マーチ ~新たなる行軍歌~ - Wikipedia
ガンパレード・マーチ ~新たなる行軍歌~とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2003年。ソニー・コンピュータエンタテインメント制作のPSゲーム『高機動幻想ガンパレード・マーチ』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は桜美かつし。アニメーション制作はJ.C.STAFF。幻獣と呼ばれる謎の生命体によって壊滅的な被害を受けた架空の日本を舞台に、少年少女が命を懸けて戦うSFアクション。原作は、練り込まれた設定と自由度の高いシステムが評価され、TVゲームとして初めて星雲賞を受賞した。本作はそれをテレビアニメ化した作品であるが、より人間ドラマを重視した作りになっている。

・設定


 第二次世界大戦末期、突如として謎の生命体「幻獣」が地上に出現し、人類は壊滅的な損害を被った。世界各国は共同戦線を張って幻獣に対抗したが、圧倒的な物量の前に敗北し、徐々に前線を後退させていった。時は流れ、二十世紀終盤、人類の居住可能地域は日本を含む極一部地域だけになっていた。深刻な戦力不足に見舞われた日本は、学生徴兵法を発令して、人型戦車HWTと決戦兵器PBEの運用に素養がある子供達を強制的に徴兵した。その内の一人、高校生の速水厚志は激戦地である熊本の5121部隊に配属され、同じ境遇の仲間と共に日々、幻獣との戦いを続けるのだった。
 架空の歴史に基づいた架空の現代日本を舞台にした戦記物は、別段珍しいジャンルではないが、ここまでシリアスな境遇に置かれた作品は数少ないのではないだろうか。全世界の大半を謎の生命体に奪われ、人類は滅亡寸前。学生を徴兵しないといけないほど追い込まれ、水際での激戦を繰り返している。技術革新により何とか幻獣と互角に戦えるところまでは漕ぎ着けたが、それでも次から次へと押し寄せる敵に防衛が精一杯。このままでは確実に敗北が待っている。と、恐ろしいまでの絶望感に包まれている。それはつまり、物語の緊迫感が増して訴求力が高まるということであり、間違いなく作品全体の質の向上に一役買っている。
 ただし、その分、科学面での設定的な弱さが随所に見られるのは否めない。本作の日本は、我々の住んでいる現代社会とほとんど一緒だ。経済も流通も十分に機能し、娯楽施設が充実し、子供達は毎日呑気に学校へ通う。しかし、これほどまで絶望的な状況で本当に文明が適切に発達するのだろうか。ヨーロッパはとっくの昔に崩壊しているのだから、ある意味、江戸時代の鎖国と同じような状況である。膨大な軍事費が予算を圧迫し、資源もない。これでは成長しろと言う方が無理である。もう少し退廃的な軍事独裁国家になっていてもおかしくない。もっとも、戦争が科学を発達させるという側面もあるため、一概に間違っているとは言えないのかもしれない。劇中でも、人型戦車や決戦兵器などの軍事技術がオーバーテクノロジー化しているのに対して、生活家電が七十年代程度で止まっているのが面白い。そういった小さなこだわりが見られるアニメは純粋に楽しい。

・サバイバル


 さて、そんな科学考証の弱さを吹き飛ばすのが、本作の圧倒的なミリタリー描写である。主人公が所属している軍隊、及びその軍事行動が細部まで綿密に描かれ、非常にリアルで説得力がある。主人公達がどんなに戦闘で活躍しようと、結局は軍隊の駒の一つに過ぎず、大勢に影響を与えない。彼らの上には巨大な組織が君臨し、命令は上から下へと一方的に伝達されるのみで、決して逆らうことはできない。個々の役割分担が明確で、システマティックに効率良く行動することができるが、その代わり個人の感情が介在する余地がどこにもない。戦術一つを取ってみても、作戦が的確で決して功を焦らず、戦況不利と見てからの撤退も早い。そういった軍事的な背景がしっかりしているからこそ、人型戦車などといった現実的にあり得ない物が画面に登場しても、何となく「それっぽい」感じを作り出せる。空想と現実の融合はアニメーションの最も得意とするところだ。
 では、ミリタリーを綿密に描くことで何が起きるのか。それは「戦争」のリアリティの向上である。本作は、キャラクター重視の深夜アニメにしては珍しく正面から戦争と向き合った作品である。すなわち、死が日常のすぐ隣にあるという異常性を包み隠さず描いているということだ。主人公達の部隊は、物語開始時点ですでに一人の戦死者を出している。彼の死は主人公達の深い心の傷になっており、彼の一周忌には精霊流しをして明日をも見えぬ自分達の無事を確認し合う。また、敵がいつ襲ってくるか分からないため、気軽に外出することさえできない。休みは交代制。楽しい学校行事をしている最中に出動がかかることもある。そして、第五話という非常に早い段階で、主要キャラクターの内の一人が戦死する。これはかなり衝撃的な展開だ。昨今、ミリタリーを名乗った萌えアニメは続々と増えているが、ちゃんと適切な状況で適切に登場人物を殺せる作品はほとんどない。ここを躊躇して無駄に生き残らせてしまうと、絶対に戦争の悲惨さは描けない。例えば、『ストライクウィッチーズ』や『艦隊これくしょん -艦これ-』で、どんなに悲惨な状況を描こうとも、全く絶望感のないお気楽戦争物にしかならないのは、そういった点が欠けているからだ(艦これは劇中で戦死者が出ても、すぐに忘れ去られる)。本作は物語の前半でそれをやることで、後半の展開に深みを加えることに成功している。

・日常


 学園とミリタリーの融合、この難題に挑戦して自爆するアニメが後を絶たない。何回も書いているが、学園が平和や日常の象徴であるのに対して、ミリタリーが戦争や非日常の象徴であるからだ。全く性質が異なる物を一つにするのは、人並み外れたセンスの持ち主でなければできるはずがない。そうでない者が行うと、日常パートと戦闘パートが解離し、どちらに対しても中途半端で地に足が付かない物が出来上がってしまう。最近はその状況を逆手に取り、普通の学園日常物と見せかけておいて、途中で突然路線変更してハードな戦争物に移行するといういわゆるジャンル詐欺的な作品も目に付くが、所詮は反則技だ。そう何度も使える物ではない。
 一方、本作は学園とミリタリーを高いレベルで融合させた数少ない成功作である。だからと言って、特に変わったことをやっているわけではない。日常パートはどこにでもある普通の学園物で、同年代の男女混成グループが陽気に馬鹿騒ぎするだけ。むしろ、他のアニメよりも雰囲気が明るいぐらいだ。では、何が違うのかと言うと、前述した濃密なミリタリー描写の存在である。主人公達の周囲を取り囲む硬質な軍隊と悲惨な戦争を事前にしっかりと描いているため、彼らがどんなに悪ふざけをしようとも、常に黒い影が背後に付きまとう。時にはその影が日常に侵食して邪魔をする。例えば、くだらない雑談をしている時にふと戦死した仲間の口癖を口にしてしまい、場が凍り付く。幼稚園児のために人形劇をやろうとすると、開幕直前に出動がかかる。また、キャラクターにしても、本作の登場人物は他作品と比べて特別に個性的というわけはない。しかし、命を懸けて一緒に戦った「戦友」であるため、キャラクターに対する思い入れが強くなり、結果的に日常パートも盛り上がる。それは逆もしかりで、大切にしたい楽しい仲間だからこそ相乗効果で戦争シーンも盛り上がる。このように、日常はあくまで非日常の裏返しであり、両者が密接に係り合っているからこそ、より人間関係がフォーカスされるのである。
 ただ、一点気になるのは、戦争行為が常態化するとむしろそちらが日常になり、日々の生活の方が非日常になるのではないかということだ。これは、俗に言う日常系アニメが冷静で残酷な現実から逃げるために狭い空間に閉じ籠もっている様を日常と称している違和感と共通する。本来は通常の学生生活の方が日常のはずだ。この辺りの矛盾にどう落とし前を付けるかが、制作者の腕の見せ所になる。

・恋愛


 本作のメインストーリーは、優柔不断な主人公と意地っ張りなヒロインの恋愛劇である。お互い、心の中では惹かれ合っているが、プライドが邪魔をして口には出せずに気持ちがすれ違うという、今となっては天然記念物のような古臭いストーリーである。別にそれ自体は悪いことではないが、本作の場合は本当にそれしかない。戦争物なのに敵との戦闘がストーリーに絡むことはなく、最終回で初詣の最中に告白して終わりという何とも呆気ない結末を迎える。普通に考えると、作品ジャンルを完全に無視しているのだから、致命的なマイナス要素になるはずだ。しかし、意図的にそうしていると考えると、なるほど、様々な物が見えてくる。
 なぜ、恋愛をメインに据えているかと言うと、それが最も人間らしい行為であるからに他ならない。劇中では、正体不明の凶悪な敵との戦いがもう五十年も続いている。地球上のほとんどの地域が壊滅し、将来、自分達もそうなるのはほぼ確実。それでも一縷の希望を信じて戦い続ける。そんな状態が人間らしくあるはずがない。だからこそ、その不自然さを強調するために、あえて最も人間らしい行為を中心に描いているのだ。それも使い古されたどこにでもあるような普通の恋愛ドラマ。男と女が出会い、恋をし、家庭を作り、子を育てるという普通の人生。ここで上の話に戻るなら、殺伐とした戦争が日常なのではなく、こちらこそが本当の日常だと訴えているのである。と同時に、謎の侵略者には絶対に屈しないという強い意志、こんな馬鹿げた戦争を早く終わらせて元の平穏な日々に戻りたいという反戦の心、それらはどんなに優れた施政者の演説よりも普通の恋愛劇を描いた方が何百倍も心に響くということも伝えている。
 ラストシーン。2001年、二十一世紀初めての新年を迎えた熊本の神社には、多くの参拝客が詰めかけている。皆が笑顔。テレビのリポーターの言葉が耳に残る。「絶えず幻獣の脅威に晒されているにも関わらず、いえ、だからこそと言うべきでしょうか、熊本は今、喜びに湧き上がっています」我が国最大の激戦地の一つ、それでも人々は楽しく日常を過ごしている。

・総論


 ロボットアニメとして見ても一流なのに、それを捨ててまで普通の恋愛ドラマにこだわった生き様には拍手を送りたい。また、本文には入れられなかったが、行進曲風のメインテーマ曲の使い方が抜群であることも追記しておく。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:36 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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