『ばくおん!!』

ネガキャン。

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ばくおん!!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2016年。おりもとみまな著の漫画『ばくおん!!』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は西村純二。アニメーション制作はTMS/8PAN。バイクに青春を懸ける女子高生を描いた日常系アニメ。ご覧の通り、本作は『けいおん!』のパロディーであり、設定もキャラクターも非常に似通っている。そのせいか、放送前からネットの各所で宣伝され、不自然なほどに持ち上げられていた(個人の感想です)。

・マニアその1


 最早、説明不要の「女子高生に何かをやらせてみた」シリーズの一作である。今回のターゲットはバイク(普通自動二輪車)。スクーター(原付)ならまだしも、バイクとなると一般の女子高生とは果てしなく縁遠いが、そのギャップがよりジャンルを際立たせるのだろう。たぶん。まぁ、戦車や軍艦などに比べれば、まだ可愛い物である。
 通常、この手の作品はマニアックであればあるほど良いとされる。なぜなら、その趣味を一般層に伝播する広告塔としての役割も担うからだ。ジャンル全体の代表である以上、生半可な知識では話にならない。いわゆるニワカではすぐその道の専門家に看破されるため、たとえ一般層には理解できなくとも、ありとあらゆる専門知識を並べ立てる必要がある。だが、本作に限っては、そのマニアックさがかえって足を引っ張っている。具体的に言うと、全てにおいて「否定から入る」のである。本作はバイクアニメでありながら、事あるごとにバイクをディスる(ディスリスペクト。侮辱するの意)。危ない、重い、倒れたら引き起こすのが大変、雨が降るとずぶ濡れ、冬は寒く夏は暑い、運転が難しい、燃費が悪い、疲れる、おしりが痛くなる、排気ガスは環境に悪い、騒音がうるさい、背が低いと足が付かない、すぐ壊れる、効率が悪い、馬鹿の乗り物、等々。また、特定の製造会社や車種も容赦なくディスる。やれ、この車種は壊れやすいとか、やれ、この車種は時代遅れだとか。特に槍玉に挙げられているのがスズキ社で、業務妨害と取られてもおかしくないぐらいの誹謗中傷が突き付けられる。
 それだけではない。「バイクを題材にした日常系アニメ」で絶対に描いてはいけない物も、本作は描いてしまっている。それは「事故」だ。ただでさえ不安定で危険な乗り物なのだから、こういった宣伝アニメではできる限りの安全性をアピールしなければならないのに、当たり前のようにバイク事故を描き、劇中で何人もの負傷者を輩出している。部活の先輩に至っては、過去の事故で「死亡」しており、目の前にいるのは幽霊である。これ以上のネガキャン(ネガティブキャンペーン)は存在しない。こんなことでは、安心・平和の象徴である女子高生を舞台装置にした必要がまるでなく、普通の男性バイクマニアを主人公にしたアニメで何の問題もないだろう。もっとも、高校生らしい授業風景が全く描かれないため、彼女達が本当に女子高生なのかは疑わしい。ただセーラー服のコスプレをした人なのかもしれない。

・マニアその2


 話を元に戻して、上記のようなバイクマニアによるバイクディスは、俗に言う「あるあるネタ」である。その道の愛好家が、同好の士と共通認識を確認し合うことで安心感と一体感を共有するのが目的だ。つまり、批判ではなく「愛のあるいじり」という奴で、わざとブラックな悪態をつくことで愛情を確かめ合っているのである。当然、後から批判を否定することが大前提だ。ただし、そのノリはマニアの間でだけ通じることである。バイクに興味がない層からすると、それがただの軽口なのか本当の批判なのか判別が付かないため、バイク乗りは自分の好きな物の悪口を言ってばかりいるおかしな人達だというイメージが付いてしまう。要するに、余所者を極力排除するコミュニティーの狭隘さを自ら喧伝しているのである。それは宣伝アニメとして致命的だ。
 そもそも、本作は肝心要の「後からの否定」がない。つまり、他の乗り物とは違うバイク独自の面白さを全く言葉で語ろうとしないのである。もちろん、「風を切って自由に走る楽しさ」といった基本的なことは描かれるが、それ以外のプラスアルファが何もない。例えば、主人公をバイク部に勧誘する時の誘い文句は「女子高生が乗れるのはバイクまでだから」。自分で高校を舞台にしておいてそれはない。新入生向けの部紹介で主人公が語ったバイク部の楽しさは「仲間がいる」。そんな物は他の部活にもいる。初日の出ツーリングの時に部員が語ったバイクの楽しさは「苦労した方が喜びが大きい」。そんなに苦労したければ自分の足でランニングしろ。このように、いつまで待ってもバイク趣味の本当の楽しさが伝わって来ないのである。そのため、量的に批判の数の方が勝り、やっぱりバイクは危険で面倒な遊びなのかという認識になってしまう。それでは本末転倒この上ない。ここは、ある程度のリアリティを犠牲にしてでも、「バイクは世界一面白いスポーツである」と断言すべきだ。それこそが一般人に興味を持たせる唯一の手段である。
 ちなみに、これだけバイクの悪口を並べておきながら、全く触れられていない大きな欠点が一つ存在する。それがバイクにかかる「費用」である。免許教習費やバイクその物の購入費もさるものながら、ガソリン代やメンテナンスなどの維持費も馬鹿にならない。とてもじゃないが女子高生のお小遣いで賄える金額ではないが、完全にスルーされている。劇中の描写を見る限り、どうやら全て親が工面しているらしい。どれだけブルジョアの集まりなのだ。リアリティの欠片もない。こういった臭い物には蓋をする精神が、ある意味最もマニアックである。

・バイク乗り


 さて、世間一般の方々は、バイク乗りに対してどういったイメージを持っているだろうか。暴走族や走り屋などの一部のマナーの悪いライダーのせいで、あまりよろしくない感情を抱いている人も少なからずいるのではないか。そもそも、タイトルが『ばくおん!!』の時点で、騒音被害に悩んでいる人にケンカを売っている。そのため、本作のすべきことは、バイク乗りにまつわる悪しきイメージを払拭することである。バイク乗りは心からバイクを愛する誠実な人々であり、世間には決して迷惑をかけないと。だが、本作はそれができていないどころか、さらに悪化させるような行動ばかりを連発する。他の乗り物、特にロードバイク(自転車)を目の敵にしてディスる。北海道の大自然を法定速度オーバーで走る。学内とは言えノーヘル三人乗りをする。空き缶をポイ捨てして事故を起こす。教習車を壊す。チキンレースで勝負。上手く乗れないとハンマーでバイクを破損する。フェリーにバイクで飛び乗る。高速道路上でガス欠して停車する。勝手に改造する。バイク雑誌はエロ本。等々。
 その中でも洒落にならない悪行が二つある。一つは第六話。何と、文化祭でバイクの賭けレースを行うである。出場するのはバイク部の部員達、コースは校内一周、賭けるのは現金、それも数百万円単位。モラル云々以前にガチの犯罪行為である。もちろん、これはフィクションのギャグアニメなのだから、何をやっても構わないという意見もあるだろう。だが、一番問題なのは、観客の女子高生達はあくまで賭けの対象としてバイクを応援しているに過ぎないということだ。にも係わらず、主人公達はバイクが市民権を得たと大喜びする。頭、大丈夫か? 何をどうすればそういう発想が出てくるのか、さっぱり分からない。
 そして、極め付きは第三話。バイクショップを営んでいる部員の家に新車を買いに行ったのだが、そこは普通のバイクショップではなかった。何と、メーター戻しやニコイチ、水没車の偽装販売などを平気で行う違法販売店だったのだ。もう、犯罪がどうのこうのという以前に、完全にバイクに対する冒涜である。普通のアニメなら間違いなく倒すべきラスボスだ。ところが、友達を信頼しているという理由で、彼女達は表立ってショップを否定しようとしない。それどころか「安いバイクを欲しがっている人もいる」と開き直る。ふざけるな。どこの世界に中古を推奨するマニアがいる。よく、これでバイクを愛しているなどと偉そうなことを言える物だ。これがバイク乗りの本性とは思いたくないが、そう思われても仕方ないことをやっていると自覚して欲しい。

・最終話


 最終話は突然ファンタジックな展開になる。主人公が目覚めると、そこは「バイクのない世界」だった。その異空間で、本作は今まで散々やってきたことをもう一度繰り返す。すなわち、ロードバイクを目の敵にしつつ、返す刀でバイクをディスりまくる。自転車はスポーツ。楽に移動したければ自動車でいい。エンジンの重さは四輪の方が合理的。シートベルトがなくて危険。オートバイはネーミングが変。専用レーンもない。バイクは馬鹿の乗り物。そんな普段と大して変わりない異世界の友人達の意見を聞いて、主人公はつぶやく。「そっか。みんな、賢くなっちゃったんだ。でも、オートバイのない世界はちょっとだけ寂しい」と。翌日、目を覚ますと主人公は元の世界に戻っていた。そして、皆とツーリングしようとしたところでいきなり物語が終了する。……は? え? いや、だから、結論を言えよ! なぜ、この作品は自分の好きな物を自分の口で語ろうとしないのか。「バイクはお馬鹿な乗り物で、その馬鹿馬鹿しさが楽しい」というのが作者の考えなら、それを最終話で主人公達に言わせないでどうするのか。わざわざ否定から入る必要など何一つない。バイクに興味のない人間が視聴者の大半だということを、いつになったら理解するのだろうか。
 結局、本作が言いたいことをまとめるとこうなる。「バイクの楽しさ? そんなもん、見たら分かるだろ。分からないなら、お前が悪い。嫌なら乗るな」と。これはバイク乗りの、いや、あらゆるジャンルのマニアの偽らざる本音だろう。万人に対して門戸を開き、新規層を獲得してプレイ人口を増やしたいなどというのはただのポーズであって、本当は気心の知れたマニアの間だけで延々と回していたい。新規が入ってきても、自分達の定めたルールを守ってくれる保証はない。どうせ邪魔になるなら、最初から入れない方がいい。そういった考えだろう。その気持ちは分かる。ニワカが増えて一番困るのはベテランだ。だが、それを地上波アニメ、しかも、平凡な女子高生が穏やかな日々を送る日常系アニメでやる必要性が皆目分からない。それなら、最初からマニアのマニアによるマニアのためのアニメを作ればいいだろう。実際、バイク人口が激減している今、なぜ減っているのかが非常によく分かる作品である。

・総論


 バイクの楽しさは確かに伝わったかもしれない。だが、それと同じぐらいバイク乗りの性格の悪さも伝わったので、とてもじゃないがバイクを始めようとは思わない。ただのネガキャンアニメである。

星:★★★★★(-5個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:23 |  ★★★★★ |   |   |  page top ↑

『聖剣の刀鍛冶』

ちぐはぐ。

公式サイト(消滅)
聖剣の刀鍛冶 - Wikipedia
聖剣の刀鍛冶とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2009年。三浦勇雄著のライトノベル『聖剣の刀鍛冶』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は日高政光。アニメーション制作はマングローブ。新人女騎士が武器鍛冶職人と共に街を守る恋愛ファンタジー。刀鍛冶と書いてブラックスミスと読む。『サムライチャンプルー』で知られる制作会社のマングローブは2015年に経営破綻した。

・ハイファンタジー


 本作は、現代の地球と一切の関わりを持たない異世界を舞台にしたいわゆる「ハイファンタジー」である。スケールこそ違うが、ジャンル的には『指輪物語』や『ゲド戦記』などと同列に当たる。コミカルな場面はあっても、何でもありのギャグアニメという訳ではなく、基本的にはシリアスなシーンが多い。ということは、それこそ『指輪物語』のように細部まで綿密に世界観を作り込まなければならない、すなわち、人間が暮らしていくのに必要不可欠な衣食住や社会構造、文化、政治、はたまた宗教まで全て一から創造しないといけないということである。そこを怠ると異世界感が失われて興醒めしてしまう。では、本作はどうなっているかと言うと、残念ながら、これと言って見どころのないありがちな中世ヨーロッパ風ファンタジー世界である。つまり、誰かが作った世界をそのまま流用しているだけで、足りない物は全て現実世界から輸入している。パスタやリンゴ飴が普通に登場し、郊外の風景は日本の山林にしか見えない。そもそも、本作は物語の舞台が非常に狭く、一つの街を中心に全てが回っており、魔王ですら近所の裏山に住んでいる。言い換えると、王道ファンタジー世界の地方都市で起こったローカルニュースを描いた作品と言えるかもしれない。
 この手のなんちゃってハイファンタジーによくあるミスが、言語に係ることである。現実と無関係の異世界なのだから、彼らが話している言葉は当然日本語ではない。もちろん、英語でもなければフランス語でもない。彼らは独自の体系を持った独自の言語を話しており、それを日本語に翻訳しているだけだ。ところが、低レベルの作品になると、なぜか当たり前のように地球上の言語が顔を出すのである。やれ、英語の人名だとか呪文名だとかモンスター名だとか。登場人物が日本語のダジャレを口にするなんてことも。本作でもなぜかアルファベットが普通に使われており、物語的に重要な意味を持っていたりする。確かに独自の言語を考えるのは大変だが、そこを面倒臭がっていては異世界ファンタジーをやる意味はない。むしろ、そういう面倒臭いことを喜んでする人がファンタジーを書くべきではないだろうか。
 また、本作には古代に失われた技術の武器として「刀」、つまり、日本刀が出てくる。日本刀が最強の武器であるという説は、ファンタジーマニアの中での定番の「ネタ」であって、実際にビジュアルにしてみると実に痛々しい。さらに、その刀が他の鋳型で作られた西洋剣を叩き斬れるほどの切れ味を持っているので、より痛々しい。そもそも、刀は「長い時間かけて丹念に作るから強い」という設定なのに、劇中では魔法の力であっと言う間に作り上げているという矛盾。まぁ、その分、二・三撃で壊れてしまうという欠点はあるのだが。

・ストーリーその1


 独立交易都市ハウスマン。主人公はかつてその街の建設に貢献したキャンベル家の若き女当主にして、自衛騎士団の新人団員。ある日、市内を見回り中に発狂した老騎士と出くわして戦闘になる。だが、初実戦で剣を折られたことで心も折れる。そんな彼女を救ったのは一人の鍛冶屋。彼が使用した謎の「刀」の力に興味を惹かれた主人公は、迷うことなく彼の家を訪ね、いきなり「折れない剣を作って欲しい」と頼む。おいおい。アホか、こいつは。一応、劇中でもつっこまれているが、この思想は心技体のバランスを重視する武術において明らかに間違っているのだから、誰かがもっと強く否定しないといけない。つまり、「騎士は剣を百本折って初めて一人前になる」などと鍛冶屋が諌めるのがセオリーだ。それをしないということは、この発言によって本作のメインテーマが「折れない剣を手に入れて街を守る」になったというわけである。よく意味が分からないが、主人公がそう言っているのだから従うしかない。
 その直後、行商人を襲った悪魔との戦いになり、無謀にも突っ込んでいく主人公を守るため、その場で鍛冶屋が魔法を使って「魔刀」を作り出し、自ら剣を振って悪魔を倒す。おいおい。武器を作るのは鍛冶屋、魔法を使うのは魔法使い、武器で敵と戦うのは戦士だ。各分野のスペシャリストが互いの欠点を補いながら、協力して敵を倒すのが物語の面白さなのに、なぜ一人の人間に全てを詰め込もうとするのか。そもそも、普通の鍛冶屋だと思っていた人間が、いきなり魔法で武器を作り始めたのだから、主人公はもっと驚けよ。少なくとも、視聴者は度肝を抜かれたぞ。なお、鍛冶屋が武器を作っている間、当然のように敵は攻撃を控えている。詳しくは書かないが、基本的に本作の演出は酷い。
 第三話から、行商人が運んでいたという「魔剣」の話にシフトする。前出の問題は全然解決していないのだが、本作は基本的に展開がスピーディーである。魔剣は人間の姿になることができ、その力を悪しき者が狙っているため、奪われないように主人公が護衛することになる。この手のアニメの特徴だが、主人公の周りに「社会」が存在しない。主人公の属している団体が組織としての体を成していないため、人員配置が適切に成されず、独断専行が横行する。その結果、杜撰過ぎる防衛計画により市民に多数の死傷者が出る。にも係らず、よく分からないまま主人公は魔剣と一緒に生活することになる。つまり、「折れない剣」を手に入れたわけであり、ストーリーはめでたくこれで終了だ。お疲れ様でした。

・ストーリーその2


 と思ったら、第六話、四人組の新たな敵が魔剣を奪いに来る。驚くことに、彼女達はそれぞれ別種の魔剣を手にしていた。魔剣一本であれだけの犠牲者が出たのに、ほんの数話でインフレ甚だしい。なお、敵が魔剣を手にして一人ずつ順番に登場する襲撃シーンは、完全にコントである。若手芸人はこの回を見て、天丼ギャグとは何たるかを学んで欲しい。
 その後、いろいろあって彼女達とも仲良くなり、「今回の一件をそそのかした男がいる」という頭の悪い台詞で自ら黒幕の名前を主人公に告白する。その黒幕とは帝国の戦士団団長だった。ただ、彼の動機も目的もいまいちよく分からない。どうやら人間を憎んでいるらしいが、尺の関係上、アニメ版では詳しい背景が何も描かれないまま、彼は多数の悪魔を召喚して街を襲わせるという単純過ぎる実力行使に出る。魔王とか聖剣とかは完全にスルー。街を守るために立ち上がる主人公と鍛冶屋。だが、主人公の魔剣は戦闘の連続で力を使い果たしてしまい、剣の姿に戻ることができない……って、人間姿が本体なのかよ。じゃあ、四人組に襲われた時、自力で逃げられただろうが。つか、それだと魔剣じゃなくて魔人間だろ。
 話を戻して、主人公の危機を救うために鍛冶屋が魔法で魔刀を作り出す。その間、律儀に待っていた黒幕は「如何に刀が優れていようと、使うのが貴様のような素人では何の意味もない」と冷静につっこむ。それに対して主人公は反論する。「技は必要ない。大切なのは決して折れない心だ!」と。おいおい。いや、確かに主人公は最初の実戦で剣を折られて、同時に心も折られた。では、鍛冶屋に折れない剣を作ってもらったから、心も折れなくなったとでも言うつもりか? 違うだろう。そんな即物的な話ではなく、剣術の修行をして実力を身に付け、鍛冶屋の刀を持つに相応しい強い心を手に入れたから勝てるという話ではないのか? 心技体のバランスはどうでもいいのかよ。脚本家、仕事しろよ!……という心の叫びもむなしく、主人公は折れない剣の力によって黒幕を倒す。本作はとても楽しいギャグアニメです。

・創作


 ストーリーはこんな感じで、はっきり言って無茶苦茶なのだが、大本の設定や個々のエピソードだけを取ってみるとそれほど悪くはない。訴えていること自体に間違いはないし、それなりに感動もする。要は繋ぎの問題である。例えば、昔の恋人の墓前で登場人物が過去を告白するというシーンがドラマ等でよく出てくる。哀しいシーンである。だが、本作の場合だと、何の脈絡もなく鍛冶屋がお墓参りを始め、特に理由もなくそこへ主人公を連れて行き、誰に頼まれてもいないのにいきなり過去を告白し始めるのである。定番のシーンをやりたいのは分かるが、前後のストーリーの流れが不自然なため、ただただ強引に話を捻じ込んだだけになってしまっている。結果、全体的にちぐはぐで一貫性のない継ぎ接ぎだらけの紛い物が出来上がっている。
 また、本作の特徴として、主人公が誰かを言葉で説得するシーンが非常に多いことが挙げられる。第十一話などは、主人公の演説が延々と十五分近く続く。説得すると言えば聞こえはいいが、その実態は上から目線の一方的な「説教」だ。本ブログでも何度か取り上げているが、この手の主人公の説教は極めて不快である。なぜなら、そうしている当の本人が劇中において何も成し遂げていないからだ。普通は逆だ。主人公は右も左も分からない新人騎士。0からスタートし、様々な人生経験を積んで成長しようしているところなのだから、本来は周囲の大人達から「説教される側」の人間である。なのに、未熟な人間が偉そうに他人の生き方にケチを付けているのだから、それはもう不快としか言い様がない。なぜ、ライトノベル原作アニメを中心に、この手の一方的な説教がまかり通っているのかを考えると、要は作者本人が他人に指図されるのを極度に嫌がっているからだろう。日常系アニメに敵が出て来ないのと同様で、「周囲から干渉されたくないが自分の優位性は認めさせたい」という現代のオタクの歪んだ性質が、他人に対する説教という形になって表れている。つまり、どこぞの素人アニメ批評ブログと同レベルということであり、実に幼稚なメカニズムである。
 結局のところ、本作を創作物と呼んでいいのかどうかすら疑問に覚える。本来、物語としてやるべきことをやらず、世界観やストーリーは他の作品の切り貼り。まるでMADムービーである。すなわち、既存の作品を自分好みにアレンジしただけの同人・二次創作的ということであり、オリジナリティがまるで感じられない。創作の基本は模倣だが、そこで終わっていてはただの素人のお遊びだ。そんな物に金を払う価値はない。

・総論


 どこが悪いと言うより、作画・演出を含めて全体的に満遍なく質が低い。ライトノベル原作アニメが中高生向けだとするなら、まさに子供騙しな代物だ。何より、人力で刀を作らない人間を刀鍛冶と呼んではいけないと思う。

星:★★★★★(-5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:58 |  ★★★★★ |   |   |  page top ↑
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