『ローリング☆ガールズ』

自主制作映画。

公式サイト
ローリング☆ガールズ - Wikipedia
ローリング☆ガールズとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話。監督は出合小都美。アニメーション制作はWIT STUDIO。女子高生達が人助けのためにバイクで全国を旅するロードムービー風青春ドラマ。先に断わっておくが、『ばくおん!!』ではない。

・ギャグ


 本作は荒唐無稽さを売りにしたドタバタ系のギャグアニメである。毎度のことながら、ギャグは面白いと思う人とそうではない人の振り幅が大きいため、それ自体には言及しない。ただし、ギャグを生み出す物語構造に関しては明確に良し悪しを付けられるため、そちらをメインに論述する。
 突然だが、長野県と静岡県の境にある兵越峠では、毎年、お互いの領土を賭けて両住民による綱引き大会が行われる。その綱引きで勝った方が、国境を相手側に1メートル動かせる権利を得る。本作のベースになっているのは、こういった「くだらないことに大真面目に取り組むローカルの面白さ」である。そのため、十年前に日本国内で大規模な内戦があって、各県・各地域が国家として独立し、モサと呼ばれる超人達が国を代表して戦っているというハチャメチャな世界観を採用している。それは良い。ただ、残念ながら、本作はこの奇想天外な設定を十分に活かしているとは言い難い。国同士の戦いだったはずが、いつの間にか国内の内輪揉めに終始し、終盤には宇宙人や巨大ロボットまで登場して、ローカルとは程遠い場所に着地する。何より、ギャグにしようという意識が強過ぎて、肝心の「大真面目」という点がおざなりになり、結果的にただの「悪ふざけ」になってしまっている点が多々存在する。これは、制作者自身がこの作品の特色が何であるかを正確に把握できていないのが原因だ。ちゃんと設定に沿って作っていれば、ギャグに頼らなくとも十分に面白いコメディーになっただろう。
 また、荒唐無稽であることと支離滅裂であることは違う。ましてや、荒唐無稽を手抜きの言い訳に使うのはご法度である。だが、本作は、特に後半にかけて思い付いた物をただ詰め込むだけの適当な作劇になっていく。離れた距離を一瞬で移動する。知らないはずの場所をなぜか知っている。偶然と言うには無理のある確率で人と人が出会う。ボケ役かツッコミ役か分からない主人公。唐突な仲違い。死の危険に直面しても避難しない観客。謎の機械で勝手に他人の記憶を覗く。まるで予言者のように未来に起こることを知っている登場人物。特に、第九話以降は視点が複数に分散して、単純に訳が分からなくなる。確かに、ドタバタコメディーは視聴者の予想を裏切れば裏切るほど面白みを増すが、何の考えもなしにただ並べればいいという物ではない。むしろ、コメディーにこそ高度な計算が必要なのだということを本作は教えてくれる。

・ストーリー


 「日本全国で人助けを行っている所沢のご当地ヒーローと、彼女を敵視する東村山のライバルとの直接対決」という恐ろしくどうでもいいエピソードで本作は幕を上げる。しかも、十分程度で終わりそうなその与太話を第二話のラストまで延々と引き延ばす。それゆえ、実質的にストーリーが始まるのは第三話、ご当地ヒーローがケガをしてしまったことで、彼女に憧れる主人公が代わりに人助けの旅に出てからだ。ただ、この辺りの事情が非常にあやふやで分かり難い。主人公は何の力もない普通の女子高生なので、ヒーローの代行任務は明らかに分不相応であるにも係わらず、周りの大人達は当たり前のように彼女を後押しする。一緒に旅をすることになる友人達も、これと言って深い背景もないまま、気付けば仲間になっている。ありとあらゆる行動に必然性がなく、全てをその場の流れや勢いで処理しているに過ぎない。ここからも分かるように、本作の最大の欠点は「物語の目的がない」ことである。主人公は現状に何の不満も悩みもない普通の女子高生で、何かをやりたい・何かになりたいという目標もなければ、自分で夢を探そうともしない。そのため、口とは裏腹に、ただ淡々と仕事のように人助けをこなすだけだ。視聴者にとって、最終的な到達地点が分からない物語を見続けることほど苦痛な行為はない。画的には何やら盛り上がっているようなので尚更だ。
 さて、肝心のストーリーの内容だが、基本的にはお涙頂戴系の人情物であり、それ自体はよくできている。ただし、主人公の役割が非常に希薄なのは頂けない。きっかけ程度ならまだいい方で、ただの使いっ走りで終わる回も多々ある。東京編などは、問題の発生から解決まで全てゲストキャラクターが一人で担ってしまうため、主人公の存在する意味がまるでない。本作は旅番組ではなく、青春ドラマだったはずだ。また、キーアイテムである「月明かりの石」の取り扱いが極めて杜撰で、物語全体を支えるだけの力がない。貴重なようで貴重ではなく、パワーを持ってそうで持っていない。最終的には心の光のような観念的な物になってしまう。それならそれで「皆が躍起になって集めていたが、実はただの石ころだった」とするべきではないか。明らかな設定の練り込み不足である。
 なお、物議を醸したラストシーンだが、元の星へ帰る時に時間を遡るという伏線を事前に入れているので、一応は理に適っている。だからと言って、納得できるわけではない。単なる設定不足と描写不足であって、それ以上でもそれ以下でもない。

・THE BLUE HEARTS


 本作は、八十年代後半から九十年代前半にかけて活躍したバンド「THE BLUE HEARTS」の楽曲をモチーフにして作られたアニメである。それは主題歌やBGMだけでなく、サブタイトルや劇中の台詞にも用いられ、作品全体を通してのコンセプトになっている。すなわち、THE BLUE HEARTSの精神を尊重し、よりTHE BLUE HEARTSらしくあることが本作を評価する一番のポイントになるということである。
 THE BLUE HEARTSの特徴は何かと言うと、一般的に暴力・快楽・破滅といったネガティブなイメージを持たれがちな「パンクバンド」でありながら、堂々と『人にやさしく』と歌い上げた点である。他のパンクバンド同様に反権力・反体制のスタンスを保ちつつ、理不尽で情け容赦のない社会を憂い、弱者の目線で己の自由のために頑張る人にエールを送る。その言葉には飾り気がなく、ありのままの感情をストレートに表現しているため、心のずっと奥の方に響く。だからこそ、彼らは当時の若者、特に男子中高生の絶大な支持を集めた。彼らの歌が、まさに校則や恋愛、受験戦争やスクールカーストなどに苦しむ中高生達の「放課後の憂鬱」を代弁していたからだ。
 では、本作はどうだろうか。まず、深夜アニメのセオリー通り、主人公は女子高生に変更されている。彼女は仲の良い両親がいる幸せな家庭で何不自由なく育ち、それゆえ世の中に対して何の不平不満も抱いていない。これと言って悩みもコンプレックスもなければ、将来に対する不安や人間関係の軋轢もない。それ以前に学校の描写が全くない。そんな恵まれた自称「普通の女の子」が、仲良しの先輩に憧れて人助けの旅に出る。確かに、それは『人にやさしく』の歌詞通りではあるのだが、そういったトップダウンのボランティア活動が、はたしてTHE BLUE HEARTSの精神と合致するだろうか。そもそも、本作の登場人物は全員が体制側の人間であり、住民の意向を無視して勝手に国の形を決めている。主人公達の旅費の出どころはおそらく税金だ。また、挿入歌の使い方にしても、抑圧からの解放を描いた名曲『TRAIN-TRAIN』をバイクレースのBGMに使用したりしている。まさか、歌詞の「走って行け」を額面通りに受け取ったのではあるまいか。
 このように、本作はTHE BLUE HEARTSはおろか、中高生の青春すら表現できていない。自分が普通であることを確認して安心しているだけだ。時代がそのように変化したのか、それとも作り手が薄っぺらい学生生活しか経験していないのかは分からないが、かなり致命的である。鬱屈した感情が何かのきっかけで爆発する青春の輝きを描いて、初めてTHE BLUE HEARTSを題材にしたドラマだと言えるのではないだろうか。

・青春


 結局のところ、本作は絶望的なまでの作品としての「底の浅さ」をノリと勢いと良質のバトル作画で誤魔化した作品である。ストーリーは無茶苦茶で、まるで整合性が取れていない。キャラクター造形は陳腐で、何の活躍もせずに自己満足する。訴えたいテーマもなければ、それらしく見せる技術もない。皮肉なことに、その欠点はTHE BLUE HEARTSをモチーフにしたせいで、かえって目立ってしまっている。そんな物を持ち出さなければ、よくあるドタバタ系ギャグアニメの一つで終わったかもしれない。では、なぜ本作はTHE BLUE HEARTSを題材にしようと思ったのか。青春と言えばとりあえずブルハといった浅慮な考えがあったのだろうか。まぁ、きっと、バブル世代の製作が上から押し付けたといった辺りが真実なのだろう。
 この手の勢いだけの浅薄な作品から連想されるのは、やはり、学園祭などで映画研究部が上映する「自主制作映画」である。アニメファンなら『涼宮ハルヒの憂鬱』の第二期を思い返してもらうと、より具体的に想像し易いだろう。志は高いがまともな機材がなく、それを補う技術も経験もない。だが、情熱だけは人一倍で、若さに任せて突っ走る。実際、本作の監督は、これが初のオリジナル作品となる新進気鋭の若手女性演出家である。それなら、最高の素材を粗雑に扱った理由も何となく理解できる。こう書くと誤解されそうだが、もちろん、女性だからダメというわけではない。日常系アニメなどは女性的な感覚を前面に出した方が良い物が生まれる。だが、本作はあくまで男性向け青春ドラマであり、男性的な感覚が必須である。何の悩みもない可愛らしい女子高生が、同年代の友達と一緒にのんびりと全国を旅して周り、適当に人助けをして良かったねと互いを褒め合う。こんな流行りのスイーツのような表面的な物語では、男性視聴者の心に刺さらない。半年もすれば忘れ去られるのがオチだ。
 ただ厄介なのは、この手の作品は必ずと言って「批判した方が悪者になってしまう」ことである。どうしても「若者の夢を邪魔する老害」という構図になって、それこそTHE BLUE HEARTSの精神に反してしまう。物語の整合性がどうした。キャラの弱さがどうした。若いパワーで楽しく作っているからいいではないか。こういった意見に対する反論は難しい。ならば、批判ではなくエールを持って、本作の論評を締めさせて頂こう。がんばれ!

・総論


 日本やべーな。

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『ばくおん!!』

ネガキャン。

公式サイト
ばくおん!! - Wikipedia
ばくおん!!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2016年。おりもとみまな著の漫画『ばくおん!!』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は西村純二。アニメーション制作はTMS/8PAN。バイクに青春を懸ける女子高生を描いた日常系アニメ。ご覧の通り、本作は『けいおん!』のパロディーであり、設定もキャラクターも非常に似通っている。そのせいか、放送前からネットの各所で宣伝され、不自然なほどに持ち上げられていた(個人の感想です)。

・マニアその1


 最早、説明不要の「女子高生に何かをやらせてみた」シリーズの一作である。今回のターゲットはバイク(普通自動二輪車)。スクーター(原付)ならまだしも、バイクとなると一般の女子高生とは果てしなく縁遠いが、そのギャップがよりジャンルを際立たせるのだろう。たぶん。まぁ、戦車や軍艦などに比べれば、まだ可愛い物である。
 通常、この手の作品はマニアックであればあるほど良いとされる。なぜなら、その趣味を一般層に伝播する広告塔としての役割も担うからだ。ジャンル全体の代表である以上、生半可な知識では話にならない。いわゆるニワカではすぐその道の専門家に看破されるため、たとえ一般層には理解できなくとも、ありとあらゆる専門知識を並べ立てる必要がある。だが、本作に限っては、そのマニアックさがかえって足を引っ張っている。具体的に言うと、全てにおいて「否定から入る」のである。本作はバイクアニメでありながら、事あるごとにバイクをディスる(ディスリスペクト。侮辱するの意)。危ない、重い、倒れたら引き起こすのが大変、雨が降るとずぶ濡れ、冬は寒く夏は暑い、運転が難しい、燃費が悪い、疲れる、おしりが痛くなる、排気ガスは環境に悪い、騒音がうるさい、背が低いと足が付かない、すぐ壊れる、効率が悪い、馬鹿の乗り物、等々。また、特定の製造会社や車種も容赦なくディスる。やれ、この車種は壊れやすいとか、やれ、この車種は時代遅れだとか。特に槍玉に挙げられているのがスズキ社で、業務妨害と取られてもおかしくないぐらいの誹謗中傷が突き付けられる。
 それだけではない。「バイクを題材にした日常系アニメ」で絶対に描いてはいけない物も、本作は描いてしまっている。それは「事故」だ。ただでさえ不安定で危険な乗り物なのだから、こういった宣伝アニメではできる限りの安全性をアピールしなければならないのに、当たり前のようにバイク事故を描き、劇中で何人もの負傷者を輩出している。部活の先輩に至っては、過去の事故で「死亡」しており、目の前にいるのは幽霊である。これ以上のネガキャン(ネガティブキャンペーン)は存在しない。こんなことでは、安心・平和の象徴である女子高生を舞台装置にした必要がまるでなく、普通の男性バイクマニアを主人公にしたアニメで何の問題もないだろう。もっとも、高校生らしい授業風景が全く描かれないため、彼女達が本当に女子高生なのかは疑わしい。ただセーラー服のコスプレをした人なのかもしれない。

・マニアその2


 話を元に戻して、上記のようなバイクマニアによるバイクディスは、俗に言う「あるあるネタ」である。その道の愛好家が、同好の士と共通認識を確認し合うことで安心感と一体感を共有するのが目的だ。つまり、批判ではなく「愛のあるいじり」という奴で、わざとブラックな悪態をつくことで愛情を確かめ合っているのである。当然、後から批判を否定することが大前提だ。ただし、そのノリはマニアの間でだけ通じることである。バイクに興味がない層からすると、それがただの軽口なのか本当の批判なのか判別が付かないため、バイク乗りは自分の好きな物の悪口を言ってばかりいるおかしな人達だというイメージが付いてしまう。要するに、余所者を極力排除するコミュニティーの狭隘さを自ら喧伝しているのである。それは宣伝アニメとして致命的だ。
 そもそも、本作は肝心要の「後からの否定」がない。つまり、他の乗り物とは違うバイク独自の面白さを全く言葉で語ろうとしないのである。もちろん、「風を切って自由に走る楽しさ」といった基本的なことは描かれるが、それ以外のプラスアルファが何もない。例えば、主人公をバイク部に勧誘する時の誘い文句は「女子高生が乗れるのはバイクまでだから」。自分で高校を舞台にしておいてそれはない。新入生向けの部紹介で主人公が語ったバイク部の楽しさは「仲間がいる」。そんな物は他の部活にもいる。初日の出ツーリングの時に部員が語ったバイクの楽しさは「苦労した方が喜びが大きい」。そんなに苦労したければ自分の足でランニングしろ。このように、いつまで待ってもバイク趣味の本当の楽しさが伝わって来ないのである。そのため、量的に批判の数の方が勝り、やっぱりバイクは危険で面倒な遊びなのかという認識になってしまう。それでは本末転倒この上ない。ここは、ある程度のリアリティを犠牲にしてでも、「バイクは世界一面白いスポーツである」と断言すべきだ。それこそが一般人に興味を持たせる唯一の手段である。
 ちなみに、これだけバイクの悪口を並べておきながら、全く触れられていない大きな欠点が一つ存在する。それがバイクにかかる「費用」である。免許教習費やバイクその物の購入費もさるものながら、ガソリン代やメンテナンスなどの維持費も馬鹿にならない。とてもじゃないが女子高生のお小遣いで賄える金額ではないが、完全にスルーされている。劇中の描写を見る限り、どうやら全て親が工面しているらしい。どれだけブルジョアの集まりなのだ。リアリティの欠片もない。こういった臭い物には蓋をする精神が、ある意味最もマニアックである。

・バイク乗り


 さて、世間一般の方々は、バイク乗りに対してどういったイメージを持っているだろうか。暴走族や走り屋などの一部のマナーの悪いライダーのせいで、あまりよろしくない感情を抱いている人も少なからずいるのではないか。そもそも、タイトルが『ばくおん!!』の時点で、騒音被害に悩んでいる人にケンカを売っている。そのため、本作のすべきことは、バイク乗りにまつわる悪しきイメージを払拭することである。バイク乗りは心からバイクを愛する誠実な人々であり、世間には決して迷惑をかけないと。だが、本作はそれができていないどころか、さらに悪化させるような行動ばかりを連発する。他の乗り物、特にロードバイク(自転車)を目の敵にしてディスる。北海道の大自然を法定速度オーバーで走る。学内とは言えノーヘル三人乗りをする。空き缶をポイ捨てして事故を起こす。教習車を壊す。チキンレースで勝負。上手く乗れないとハンマーでバイクを破損する。フェリーにバイクで飛び乗る。高速道路上でガス欠して停車する。勝手に改造する。バイク雑誌はエロ本。等々。
 その中でも洒落にならない悪行が二つある。一つは第六話。何と、文化祭でバイクの賭けレースを行うである。出場するのはバイク部の部員達、コースは校内一周、賭けるのは現金、それも数百万円単位。モラル云々以前にガチの犯罪行為である。もちろん、これはフィクションのギャグアニメなのだから、何をやっても構わないという意見もあるだろう。だが、一番問題なのは、観客の女子高生達はあくまで賭けの対象としてバイクを応援しているに過ぎないということだ。にも係わらず、主人公達はバイクが市民権を得たと大喜びする。頭、大丈夫か? 何をどうすればそういう発想が出てくるのか、さっぱり分からない。
 そして、極め付きは第三話。バイクショップを営んでいる部員の家に新車を買いに行ったのだが、そこは普通のバイクショップではなかった。何と、メーター戻しやニコイチ、水没車の偽装販売などを平気で行う違法販売店だったのだ。もう、犯罪がどうのこうのという以前に、完全にバイクに対する冒涜である。普通のアニメなら間違いなく倒すべきラスボスだ。ところが、友達を信頼しているという理由で、彼女達は表立ってショップを否定しようとしない。それどころか「安いバイクを欲しがっている人もいる」と開き直る。ふざけるな。どこの世界に中古を推奨するマニアがいる。よく、これでバイクを愛しているなどと偉そうなことを言える物だ。これがバイク乗りの本性とは思いたくないが、そう思われても仕方ないことをやっていると自覚して欲しい。

・最終話


 最終話は突然ファンタジックな展開になる。主人公が目覚めると、そこは「バイクのない世界」だった。その異空間で、本作は今まで散々やってきたことをもう一度繰り返す。すなわち、ロードバイクを目の敵にしつつ、返す刀でバイクをディスりまくる。自転車はスポーツ。楽に移動したければ自動車でいい。エンジンの重さは四輪の方が合理的。シートベルトがなくて危険。オートバイはネーミングが変。専用レーンもない。バイクは馬鹿の乗り物。そんな普段と大して変わりない異世界の友人達の意見を聞いて、主人公はつぶやく。「そっか。みんな、賢くなっちゃったんだ。でも、オートバイのない世界はちょっとだけ寂しい」と。翌日、目を覚ますと主人公は元の世界に戻っていた。そして、皆とツーリングしようとしたところでいきなり物語が終了する。……は? え? いや、だから、結論を言えよ! なぜ、この作品は自分の好きな物を自分の口で語ろうとしないのか。「バイクはお馬鹿な乗り物で、その馬鹿馬鹿しさが楽しい」というのが作者の考えなら、それを最終話で主人公達に言わせないでどうするのか。わざわざ否定から入る必要など何一つない。バイクに興味のない人間が視聴者の大半だということを、いつになったら理解するのだろうか。
 結局、本作が言いたいことをまとめるとこうなる。「バイクの楽しさ? そんなもん、見たら分かるだろ。分からないなら、お前が悪い。嫌なら乗るな」と。これはバイク乗りの、いや、あらゆるジャンルのマニアの偽らざる本音だろう。万人に対して門戸を開き、新規層を獲得してプレイ人口を増やしたいなどというのはただのポーズであって、本当は気心の知れたマニアの間だけで延々と回していたい。新規が入ってきても、自分達の定めたルールを守ってくれる保証はない。どうせ邪魔になるなら、最初から入れない方がいい。そういった考えだろう。その気持ちは分かる。ニワカが増えて一番困るのはベテランだ。だが、それを地上波アニメ、しかも、平凡な女子高生が穏やかな日々を送る日常系アニメでやる必要性が皆目分からない。それなら、最初からマニアのマニアによるマニアのためのアニメを作ればいいだろう。実際、バイク人口が激減している今、なぜ減っているのかが非常によく分かる作品である。

・総論


 バイクの楽しさは確かに伝わったかもしれない。だが、それと同じぐらいバイク乗りの性格の悪さも伝わったので、とてもじゃないがバイクを始めようとは思わない。ただのネガキャンアニメである。

星:★★★★★(-5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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