『聖剣の刀鍛冶』

ちぐはぐ。

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聖剣の刀鍛冶とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2009年。三浦勇雄著のライトノベル『聖剣の刀鍛冶』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は日高政光。アニメーション制作はマングローブ。新人女騎士が武器鍛冶職人と共に街を守る恋愛ファンタジー。刀鍛冶と書いてブラックスミスと読む。『サムライチャンプルー』で知られる制作会社のマングローブは2015年に経営破綻した。

・ハイファンタジー


 本作は現代の地球と一切の関わりを持たない異世界を舞台にしたいわゆる「ハイファンタジー」である。スケールこそ違うが、ジャンル的には『指輪物語』や『ゲド戦記』などと同列に当たる。コミカルな場面はあっても、何でもありのギャグアニメという訳ではなく、基本的にはシリアスなシーンが多い。ということは、それこそ『指輪物語』のように細部まで綿密に世界観を作り込まなければならないということである。すなわち、人間が暮らしていくのに必要不可欠な衣食住や社会構造、文化、政治、はたまた宗教まで全て一から創造しないといけない。そこを怠ると異世界感が失われ、興醒めしてしまう。では、本作はどうなっているかと言うと、残念ながら、これと言って見どころのないありがちな中世ヨーロッパ風ファンタジー世界である。つまり、誰かが作った世界をそのまま流用しているだけで、足りない物は全て現実世界から輸入している。パスタやリンゴ飴が普通に登場し、郊外の風景は日本の山林にしか見えない。そもそも、本作は物語の舞台が非常に狭く、一つの街を中心に全てが回っており、魔王ですら近所の裏山に住んでいる。言い換えると、王道ファンタジー世界の地方都市で起こったローカルニュースを描いた作品と言えるかもしれない。
 この手のなんちゃってハイファンタジーによくあるミスが、言語に係ることである。現実と無関係の異世界なのだから、彼らが話している言葉は当然日本語ではない。もちろん、英語でもなければフランス語でもない。彼らは独自の体系を持った独自の言語を話しており、それを日本語に翻訳しているだけだ。ところが、低レベルの作品になると、なぜか当たり前のように地球上の言語が顔を出すのである。やれ、英語の人名だとか呪文名だとかモンスター名だとか。登場人物が日本語のダジャレを口にするなんてことも。本作でもなぜかアルファベットが普通に使われており、物語的に重要な意味を持っていたりする。確かに独自の言語を考えるのは大変だ。だが、そこを面倒臭がっていては異世界ファンタジーをやる意味はないし、むしろそういうことを喜んでする人がファンタジーを書くべきではないだろうか。
 また、本作には古代に失われた技術の武器として「刀」、つまり、日本刀が出てくる。日本刀が最強の武器であるという説は、ファンタジーマニアの中での定番の「ネタ」であって、実際にビジュアルにしてみると実に痛々しい。さらに、その刀が他の鋳型で作られた西洋剣を叩き斬れるほどの切れ味を持っているのでより痛々しい。そもそも、刀は長い時間かけて丹念に作るから強いという設定なのに、劇中では魔法であっと言う間に作り上げているという矛盾。まぁ、その分、二・三撃で壊れてしまうという欠点はあるのだが。

・ストーリー


 独立交易都市ハウスマン。主人公はかつてその街の建設に貢献したキャンベル家の若き女当主にして、自衛騎士団の新人団員。ある日、市内を見回り中に発狂した老騎士と出くわして戦闘になる。だが、初実戦で剣を折られたことで心も折れる。そんな彼女を救ったのは一人の鍛冶屋。彼が使用した謎の「刀」の力に興味を惹かれた主人公は、迷うことなく彼の家を訪ね、いきなり「折れない剣を作って欲しい」と頼む。おいおい。アホか、こいつは。一応、劇中でもつっこまれているが、この思想は心技体のバランスを重視する武術において明らかに間違っているのだから、誰かがもっと強く否定しないといけない。つまり、「騎士は剣を百本折って初めて一人前になる」などと鍛冶屋が諌めるのがセオリーだ。それをしないということは、この発言によって本作のメインテーマが「折れない剣を手に入れて街を守る」になったというわけである。よく意味が分からないが、主人公がそう言っているのだから従うしかない。
 その直後、行商人を襲った悪魔との戦いになり、無謀にも突っ込んでいく主人公を守るため、その場で鍛冶屋が魔法を使って「魔刀」を作り出し、自ら剣を振って悪魔を倒す。おいおい。武器を作るのは鍛冶屋、魔法を使うのは魔法使い、武器で敵と戦うのは戦士だ。各分野のスペシャリストが互いの欠点を補いながら、協力して敵を倒すのが物語の面白さなのに、なぜ一人の人間に全てを詰め込もうとするのか。そもそも、普通の鍛冶屋だと思っていた人間が、いきなり魔法で武器を作り始めたのだから、主人公はもっと驚けよ。少なくとも、視聴者は度肝を抜かれたぞ。なお、鍛冶屋が武器を作っている間、当然のように敵は攻撃を控えている。詳しくは書かないが、基本的に本作の演出は酷い。
 第三話から、行商人が運んでいたという「魔剣」の話にシフトする。前出の問題は全然解決していないのだが、本作は基本的に展開がスピーディーである。魔剣は人間の姿になることができ、その力を悪しき者が狙っているため、奪われないように主人公が護衛することになる。この手のアニメの特徴だが、主人公の周りに社会が存在しない。主人公の属している団体が組織としての体を成していないため、人員配置が適切に成されず、独断専行が横行する。その結果、杜撰過ぎる防衛計画により市民に多数の死傷者が出る。にも係らず、よく分からないまま主人公は魔剣と一緒に生活することになる。つまり、「折れない剣」を手に入れたわけであり、ストーリーとしてはこれで終了だ。お疲れ様でした。
 と思ったら、第六話、四人組の新たな敵が魔剣を奪いに来る。驚くことに、彼女達はそれぞれ別種の魔剣を手にしていた。魔剣一本であれだけの犠牲者が出たのに、ほんの数話でインフレ甚だしい。なお、敵が魔剣を手にして一人ずつ順番に登場する襲撃シーンは完全にコントである。若手芸人はこの回を見て、天丼ギャグとは何たるかを学んで欲しい。その後、いろいろあって彼女達とも仲良くなり、「今回の一件をそそのかした男がいる」という頭の悪い台詞で自ら黒幕の名前を主人公に告白する。その黒幕とは帝国の戦士団団長だった。ただ、彼の動機も目的もいまいちよく分からない。どうやら人間を憎んでいるらしいが、尺の関係上、アニメ版では詳しい背景が何も描かれないまま、彼は多数の悪魔を召喚して街を襲わせるという単純過ぎる実力行使に出る。魔王とか聖剣とかは完全にスルー。街を守るために立ち上がる主人公と鍛冶屋。だが、主人公の魔剣は戦闘の連続で力を使い果たしてしまい、剣の姿に戻ることができない……って、人間姿が本体なのかよ。じゃあ、四人組に襲われた時、自力で逃げられただろうが。つか、それだと魔剣じゃなくて魔人間だろ。
 話を戻して、主人公の危機を救うために鍛冶屋が魔法で魔刀を作り出す。その間、律儀に待っていた黒幕は「如何に刀が優れていようと、使うのが貴様のような素人では何の意味もない」と冷静につっこむ。それに対して主人公は反論する。「技は必要ない。大切なのは決して折れない心だ!」と。おいおい。いや、確かに主人公は最初の実戦で剣を折られて、同時に心も折られた。では、鍛冶屋に折れない剣を作ってもらったから、心も折れなくなったとでも言うつもりか? 違うだろう。そんな即物的な話ではなく、剣術の修行をして実力を身に付け、鍛冶屋の刀を持つに相応しい強い心を手に入れたから勝てるという話ではないのか? 心技体のバランスはどうでもいいのかよ。脚本家、仕事しろよ!……という心の叫びもむなしく、主人公は折れない剣の力によって黒幕を倒す。本作はとても楽しいギャグアニメです。

・創作


 ストーリーはこんな感じで、はっきり言って無茶苦茶なのだが、大本の設定や個々のエピソードだけを取ってみるとそれほど悪くはない。訴えていること自体に間違いはないし、それなりに感動もする。要は繋ぎの問題である。例えば、昔の恋人の墓前で登場人物が過去を告白するというシーンがドラマ等でよく出てくる。哀しいシーンである。だが、本作の場合だと、何の脈絡もなく鍛冶屋がお墓参りを始め、特に理由もなくそこへ主人公を連れて行き、誰に頼まれてもいないのにいきなり過去を告白し始めるのである。定番のシーンをやりたいのは分かるが、前後のストーリーの流れが不自然なため、ただただ強引に話を捻じ込んだだけになってしまっている。結果、全体的にちぐはぐで一貫性のない継ぎ接ぎだらけの紛い物が出来上がっている。
 また、本作の特徴として、主人公が誰かを言葉で説得するシーンが非常に多いことが挙げられる。第十一話などは、主人公の演説が延々と十五分近く続く。説得すると言えば聞こえはいいが、その実態は上から目線の一方的な「説教」だ。本ブログでも何度か取り上げているが、この手の主人公の説教は極めて不快である。なぜなら、そうしている当の本人が劇中において何も成し遂げていないからだ。普通は逆だ。主人公は右も左も分からない新人騎士。0からスタートし、様々な人生経験を積んで成長しようしているところなのだから、本来は周囲の大人達から「説教される側」の人間である。なのに、未熟な人間が偉そうに他人の生き方にケチを付けているのだから、それはもう不快としか言い様がない。なぜ、ライトノベル原作アニメを中心に、この手の一方的な説教がまかり通っているのかを考えると、要は作者本人が他人に指図されるのを極度に忌憚しているからだろう。日常系アニメに敵が出て来ないのと同様で、「周囲から干渉されたくないが自分の優位性は認めさせたい」という現代のオタクの歪んだ性質が、他人に対する説教という形になって表れている。つまり、どこぞの素人アニメ批評ブログと同レベルということであり、実に幼稚なメカニズムである。
 結局のところ、本作を創作物と呼んでいいのかどうかすら疑問に覚える。本来、物語としてやるべきことをやらず、世界観やストーリーは他の作品の切り貼り。まるでMADムービーである。すなわち、既存の作品を自分好みにアレンジしただけの同人・二次創作的ということであり、オリジナリティがまるで感じられない。創作の基本は模倣だが、そこで終わっていてはただの素人のお遊びだ。そんな物に金を払う価値はない。

・総論


 どこが悪いと言うより、作画・演出を含めて全体的に満遍なく質が低い。ライトノベル原作アニメが中高生向けだとするなら、まさに子供騙しな代物だ。何より、人力で刀を作らない人間を刀鍛冶と呼んではいけないと思う。

星:★★★★★(-5個)
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『うぽって!!』

誰得シリアス。

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・はじめに


 2012年。天王寺キツネ著の漫画『うぽって!!』『うぽって!!なの』のテレビアニメ化作品。全十話+OVA一話。監督は加戸誉夫。アニメーション制作はXEBEC。擬人化した銃が楽しい学園生活を過ごすミリタリー日常系アニメ。角川書店製作の全十話構成アニメシリーズの走りでもある。

・擬人化


 何これ。さっぱり意味が分からん。本作のヒロイン達は、各国の軍用銃(バトルライフル・アサルトライフル・サブマシンガン等)を擬人化した物である。それはいい。だが、何がおかしいって、彼女達は訓練時や戦闘時に自分と同じ名の銃を手にして、「射撃」を行うのである。擬人化じゃねーじゃん。擬人化した猫が自宅で猫をペットに飼っていたらおかしいやん。擬人化と言うからには、ヒロイン達自身が銃になって、自らの肉体から弾丸を発射しなければならないだろう。実際、劇中でも弾丸がお腹に詰まって苦しいだの、大きな手で肌を撫でられると嬉しいだの言っているのである。これだと完全に「自分を銃だと思い込んでいる頭のおかしい人」だ。舞台の学園はそういう人を集めた隔離病棟なのか? ビジュアル的に分かり易くしているのは分かるが、それならせめて外見に何かしらの銃らしさを残して欲しかったところだ。
 さらに謎なのが、彼女達の元になっている銃が、軍などで正式採用されている「大量生産品」であることだ。そして、彼女達の通っている学園は、そういった擬人化銃を世界中から集めた場所(他にも似たような学校が複数あるらしい)。ということは、同じ姿形をした人間が学内に大量にいることにならないだろうか。普通、擬人化するなら国や艦船のような世に二つとない一品物にするだろう。もちろん、『アキカン!』のように大量生産品を擬人化したアニメもあるにはあるのだが……。ちなみに、その学園は銃の種類によって学年が異なるという設定になっている。つまり、彼女達には「成長」という概念がないということだが、なぜか回想シーンでは子供だったりする。元々、映像化に向かない不条理系ギャグ漫画を強引にアニメ化したことによる設定の不具合なので、いろいろ仕方ない面もあるのだろうが。
 まぁ、それは別にして、銃の擬人化として見ると、それぞれの特徴や欠点を上手く人間の個性に置き換えているのではないだろうか。重い銃は太目に描かれていたり、壊れ易い銃はひ弱に描かれていたりするのは、理想的な擬人化の例だろう。ただ、ある特定の銃を悪く言い過ぎな気もする。本人の努力でどうにもならない体質的欠点を挙げ連ねるのは、萌えでも何でもなくただの誹謗中傷だ。その製造国の人々が見て、国際問題にならないことを祈るばかりである。

・ミリタリー


 ということで、本作は『ガールズ&パンツァー』と同じミリタリー日常系アニメである。話のベースは、他と日常系アニメと同じく特に物語もないまま女子高生の何気ない一日をダラダラと描いた物、要は『あずまんが大王 THE ANIMATION』だ。本作はそこに豊富なミリタリー知識とサバイバルゲーム風の銃撃戦を加えることで特徴を出している。
 男性は基本的にミリタリーが好きである。銃やナイフ、戦車に戦闘機に戦艦、そして、戦闘ロボットと戦争に関わる物なら何でも好きである。現代兵器にこだわらないなら、剣に槍に斧に弓に鞭に杖に棍に扇に爪にと、要は戦いの中で己の力を誇示できる武器にとかく心惹かれる物だ。ただし、武器が好きということとそのスペックや歴史に興味があるということの間には、大きな隔たりがあるのを理解しなければならない。本作においても、劇中で話の流れを中断してまで何度も銃の詳細な解説が挿入される。アサルトライフルの性能の違いがキャラクターの性格の違いなのだから、詳しい解説が必要なのは分かるが、さて、それを一体どれだけの人が望んでいるだろうか。興味がない人にとっては、それらの情報はどんなに有益であってもノイズにしかならない。しかも、本作はやたらと解説が長い。銃にまつわる面白い歴史があるのは分かるが、本作は擬人化銃のアニメなのだから、その長いストーリーを物語にしろという話である。
 もう一つ、欠点を挙げておこう。それは兵器が「人殺しの道具」だということだ。別に、これは平和主義がどうとか戦争アレルギーがどうという話ではない。実際、女の子が銃を抱えて立っているだけなら何も違和感を覚えないし、見た目のギャップを生み出す萌えアイテムとしてちゃんと機能している。しかし、いざ銃を構え、人に向かって引き金を引いた瞬間、言い様のない嫌悪感が押し寄せる。萌えアニメ、特に日常系萌えアニメは何も起こらない退屈ながらも楽しい生活描写が一番の売りだ。そこに登場する女の子は、普段、我々が過ごしているギスギスとした理不尽な社会とは対極に位置する平和でのんびりとした人間でなければならない。それが銃という極めて殺傷能力の高い武器を構え、他人の命を奪おうとした瞬間、我々の知らない「遠い国の人」になってしまうのである。『ガールズ&パンツァー』の場合は戦車道という一種の「遊び」にすることで、その辺りの違和感をギリギリ抑えるようにしていたが、本作はあまりにもガチ過ぎる。そのため、例の如くミリタリーと日常系アニメの噛み合わせの悪さだけが浮き彫りになるのである。

・道具


 主人公はベルギー製のアサルトライフFNC、通称フンコ。ある祭りの日、新しく学園に赴任することになった担任教師(人間)と出会い、彼の射撃スタンスの良さと手の大きさに心を奪われる。いつか彼に撃って欲しいと願う彼女。だが、担任教師は擬人化銃の存在に戸惑うばかりで、なかなか彼女達と打ち解けることができない。と、深く練り込めばなかなか面白そうな設定になっている。が、もちろん、深く練り込まないのが萌えアニメ。主人公は担任教師に片思いしているはずなのに、雪合戦で彼が負けると喜んだり、風邪で寝込んでいる彼に迷惑をかけたりと、非常に精神性が未発達な様子をうかがわれる。かと思えば、彼に優しい言葉をかけられると「自分は銃だから、ただの女の子扱いしないで」と高いプライドを見せる。道具である銃が人間のような恋を覚える話だと取れないこともないが、心理描写が希薄なのでよく分からない。一方、担任教師の銃の構え方が美しいという設定は、第一話で出たっきり記憶の彼方へと押しやられる。それどころか、銃を持つことすらない。過去のトラウマで銃を持てなくなった元傭兵とか元オリンピック選手とか、幾らでも設定を深めることはできるだろうに。
 真面目な話をするが、本作のテーマは『ローゼンメイデン』や『アキカン!』と同じく「道具の幸せ」である。そして、道具にとっての一番の幸福は、人間に愛情を持って使われることである。劇中でも、主人公達がいつの日か自分を使ってくれるであろう人に思いを馳せる描写がある。だが、本作には肝心要の道具の使用者が出て来ない。なぜなら、冒頭で書いた通り「銃自身が銃を撃つ」からだ。上では冗談めかして書いたが、これは実に由々しき事態である。道具の方は愛情を求めているのに、それを与える人が不在なため、自分で自分を慰めるしかない。これは人間の世界で言うなら、完全なネグレクトである。文字通りの放置プレイである。結局、下手に流行に乗っかって女性キャラクターのみの日常系アニメにしてしまったことで、テーマ的に非常に歪んだ作品になっているのだ。逆に言うと、日常系をやるなら恋だの愛だのといった要素は入れてはならないということで、この中途半端さはちょっと頂けない。

・シリアス


 繰り返すが、本作のベースはゆるい日常系アニメである。正直、ギャグもスベり気味であまり面白くはない。その分、やたらと性的なネタが多いのは自ら首を絞めているようで面白い。だが、時折挿入される実戦演習のシーンになると、今度は打って変わってシリアスになる。それも視聴者がドン引きするぐらいの異様なシリアスさである。
 演習は劇中で三回行われるが、いずれもとにかく敵が異常なまでに真剣なのである。それもサイコキラーかシリアスキラーかといったサディスティックな人格で、本気で主人公達の命を奪いに来ている。そんな敵に対抗するためには主人公側も本気で挑まなければならず、結果、血みどろの戦いが繰り広げられる。作品テーマから考えると、この真剣さは本来なら称賛されるべきなのだろう。だが、視聴者は日常系アニメのつもりで見ているのであって、ゆえに彼我の距離感が凄まじい。そもそも、生きるや死ぬやの話になったところで、主人公達は擬人化銃なのだから、ちょっとやそっとの傷では死なないのである。そのため、シリアスになればなるほど設定との解離が生じ、本気で戦っている敵が浮くというどうしようもない状態になってしまう。
 最終回近辺は原作をアレンジしたオリジナル展開で、謎の敵が主人公達を襲撃するというストーリーである。だが、尺の関係上、敵組織の構成や目的は深く語られない。好意的に解釈するなら、「ゆるい日常を過ごしている擬人化銃に、銃本来の役割=人殺しの道具であることを思い出させる」のが目的であろう。つまり、ミリタリー日常系アニメというジャンル自体に対するアンチテーゼである。おそらく、監督がこの作品をアニメ化するに当たって覚えた疑問を形にした物だ。なるほど、やりたいことは分かる。だが、残念ながら上手く物語に昇華できていない。制作者が訴えたいのは、道具は使う人によって良くも悪くもなるということだろうが、上記の通り、本作は最初から銃の使用者が不在で、主体がない。仕方ないので、戦闘中に担任教師が誤射されるも「良かった。私達が銃で良かった。人間の手から撃たれない限り、私達の弾で人間が死ぬことはないから」という謎のオチでお茶を濁すことになる。そんな設定は聞いたことがない。冒頭で主人公に撃たれて以来、担任教師はずっと入院していたではないか。こんな「超展開」で話を締めなければならないのなら、ずっとダラダラと中身のない日常話を続けていた方がましだ。まさに、「誰得シリアス」の典型的な例である。

・総論


 アニメーションと相性の悪い作品を強引にアニメ化したことによる弊害という言い訳はあるだろう。だが、それを除外しても、あまりにも作品としての統一感に欠ける中途半端なアニメである。なお、原作では人と銃の関係もある程度描かれており、先の誤射設定も物語の中盤で登場するため、違和感は少ない。結局、制作スタッフがアニメ化という物に対して如何に真摯に取り組んでいるかということだろうか。

星:★★★★★(-5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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