『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』

実は名作。

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最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。 - Wikipedia
最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2014年。松沢まり著の漫画『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は畑博之。アニメーション制作はproject No.9。幽霊に憑り付かれた義理の妹が巻き起こすエロチックな騒動を描いたファンタジーラブコメ。明らかにド深夜向けの内容なのに、テレビ局がよく中身を確認しないまま22時台に放送してしまい、BPOに怒られるという事件が発生した。

・ポルノ


 親同士の結婚によって義理の兄妹となった高校二年生の主人公と同一年生のヒロイン。そんな彼らが一つ屋根の下で暮らし始めたその翌日、突然、妹に異常事態が発生する。何と生前に主人公を慕っていた幽霊が妹に憑依し、TSTという名の貞操帯を無理やり装着させたのだった。幽霊曰く、彼女が成仏するためには、主人公と良い関係になってその貞操帯に付いている心の充足度を示すメーターを上限まで満たさなければならない、と。それまで決してTSTは外れず、もし成仏に失敗すると妹は死んでしまう。呆然とする妹を余所に、幽霊は彼女の身体を性的に刺激して気分を高め、無理やりゲージを溜めようとする。はたして、幽霊は無事に成仏できるのだろうか。
 とんでもない設定である。そして、とんでもない内容である。本作の目的は、妹を性的に興奮させて幽霊が成仏するためのパワーを溜めること、それだけだ。そのために性行為・自慰行為・脱衣・失禁・野外露出と高校一年生の真面目な少女に対してありとあらゆる恥ずかしめを与え、その様子を全国に放送している。本作のキーアイテムであるTSTも、貞操帯という名前とは裏腹に地上波ではモザイクをかけないと放送できないレベルのセクシーな下着であり、ビジュアル的にも大層お下品だ。深夜アニメにおいて、よく性行為を連想させる疑似ポルノ的な描写が問題になるが、本作の場合は何の捻りもないガチのポルノである。ただのエロアニメである。なぜ、一般向けアニメの批評ブログでこのような卑猥な単語を連呼しないといけないのか。そもそも、冷静に考えると、最終目標は幽霊が主人公と恋愛関係になることなのだから、女性同士でまぐわう必要性は何もないわけである。自慰行為で充足する恋愛など聞いたことがない。
 これらの何が悪いのか。萌えアニメの名を借りてポルノを放送するのが悪いのは当然だが、それよりもこれらの行為が笑いに直結していないことの方が何十倍も悪い。仮にもラブコメを名乗っている作品で、下ネタがギャグにすらなっていないのは致命的である。その一番の原因は、ストーリー序盤(第一話~第三話)のほとんどが妹側の視点で固定されているからだ。妹が幽霊に酷い目に遭わされる光景をただ垂れ流しているだけで、何のエンタメ性もない。タイトル通り、兄側の視点で「最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが」と思わせないと妹の奇行が何の意味も持たないだろう。そういう物はクソアニメと誹られても文句を言えないだろうし、擁護する気もない。

・家族


 ところがっ! 路線変更があったのか、偉い人に怒られたのか、それとも、こちらが本来やりたいことだったのか、続く第四話を境にして本作は急激に雰囲気を切り替える。エロチックな描写自体は変わらないのだが、その頻度が格段に減り、替わって家族兄妹の物語へと移行する。まず、幽霊が「良い妹の手本を見せる」と言って妹の身体を乗っ取り、主人公と一緒の時間を過ごす。その時の幽霊は、家事もできて周囲にも気を遣え、無邪気に兄を慕うという理想的な妹を演じている。言ってみれば、アニメのヒロインらしいティピカルな妹像であり、アニメのヒロインらしからぬ性格の妹と対になっている。妹はそんな幽霊との時間を楽しそうに過ごす主人公を見て思い悩む。過去の事件の影響で家族という物に臆病になっている自分、せっかくできた家族に対しても冷たく当たってしまう可愛くない自分、本当に私はこのままでいいのだろうか、と。また、この回から今までほとんどなかった兄視点での描写も増える。性格がころころ変わる妹に対して「家族のいない寂しさが生んだ二重人格なのではないか」と心配する。そして、自分が妹にできることを模索する。
 このように本作の最大の特徴は、作品のジャンルや奇抜な内容からは想像もできないぐらい、主人公も妹も極めて「常識人」であることだ。妹は真面目を絵に描いたような人間で、萌えアニメのヒロインでありながら視聴者に媚を売るような言動を全くしない。自分の命が懸っていると理解していても、兄に積極的にアプローチすることもない。一方、兄は高校二年生とは思えないほど人間ができており、突然できた義理の妹のことをいつも気遣っている。ただし、お節介ではない。妹のプライベートには決して立ち入らず、「時間が解決してくれる」と少し離れたところから見守っている。ラブコメの登場人物として考えると、二人共、これでは失格なはずだ。もっと目の前の事態に慌てふためき、大袈裟なぐらいに動き回ってくれないとコメディーにならない。しかし、本作を家族の物語、赤の他人だった人々が義理の兄妹になるホームドラマとして見ると、彼らの感じ方は実にリアルである。お互いがどんな人間か分からずに腹の底を探り合い、少しずつ良い面と悪い面を見つけていく。特に、人間関係において相手の悪い面を知り、それを許容するのはとても大切なことだ。その過程を幽霊という明らかな異物を差し込むことで表現しているのは実に上手い。

・妹


 本作は非常に複雑なアニメである。キャラクターの行動自体は単純明快なのだが、その動機やら行動原理やらを深く考えると、なかなか一筋縄では行かずに混乱する。そうなっている最大の要因は、メインヒロインの肩書きが「義理妹」だからだろう。例えば、本作のタイトルの『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』を成立させようと思ったら、最近ではない妹の様子、つまり、今に至るまでの長い期間の妹の生活態度を主人公が十分に知っていなければ話にならない。そうなると、ヒロインの肩書きは「実妹」がベストである。だが、本作では兄と妹が一緒に暮らし始めた翌日に異変が発生するので、タイトル詐欺になってしまっている(※原作では同居と異変発生の間に多少のタイムラグがある)。一方、本作のストーリーは、幽霊が成仏できるようにヒロインが代理で主人公と恋仲になるという物である。ここに兄妹という要素を加えると、近親相姦的な感情がノイズになってしまい、純粋にストーリーを楽しめない。そうなると、肩書きは赤の他人、もしくは「幼馴染み」がベストである。また、上述のように家族の物語として構成するなら、当然「義理妹」が良い。といった感じで、欲張っていろいろな要素を取り込もうとして無駄に設定が複雑化し、話の中心軸が分かり難くなってしまっているのが、本作のもう一つの欠点である。
 この複雑な設定によって最も割を食っているのが、他でもない幽霊である。アニメ版では最後まで詳細が判明しないが、どうやら彼女は主人公を兄のように慕っていた近所の幼馴染みだったらしい。つまり、赤の他人である。そんな彼女が生前果たせなかった想いを叶えるために取った手段が、主人公の良き妹になることだった。意味が分からない。恋愛感情を高めて成仏するためのパワーを得たいなら、最初から真っ当な恋人関係を目指せばいいのだ。なぜ、わざわざ難易度の高い近親恋愛という手段を使って遠回りしようとするのか。それは兄妹で恋愛するのが当たり前というオタク業界の常識が存在するからだ。本作の設定は、その常識をベースにして初めて成立する物であり、もし、業界に馴染んでいない人が本作を見たら、幽霊の支離滅裂な行動を全く理解できないだろう。実際、常識人である主人公と妹は、最後の最後まで幽霊の行動に同調しようとしない。言い換えると、俗に言う「妹萌え」が如何に狭い世界の常識であるかを示している。妹物を標榜した作品でそれをやるのは、自らの存在を否定しているようで面白い。

・TST


 何度も繰り返して申し訳ないが、本作のヒロインである義理妹は、深夜アニメ界隈ではあまりお見かけしないほどの常識人である。アニメ版のストーリーでは、あれほど執拗に幽霊からのプレッシャーを受けながらも、最後まで兄と恋愛関係になることはない。その代わり、兄のことを気が置けない家族の一員として認識し、自分の感情を素直に表に出せるようになる。また、迷惑としか思っていなかった幽霊に対しても態度を軟化させ、かけがえのない友人として特別な感情を抱く。これは、家族の愛に飢えて自分の殻に閉じ籠もっていた彼女が、人として一つの成長を遂げたことを示している。幽霊もTSTもそのきっかけに過ぎない。人間が本来持っている幸せになりたいと願う心、それがあるべき場所に帰ってきただけなのだ。
 以上、本作は「実は名作」である。ラストのオチこそ微妙だが、そこに至るまでの過程はしっかりと作り込まれており、家族の物語として申し分のないほど完成されている。だからこそ、冒頭で書いた下品極まりない描写の数々が残念でならないのである。そういった要素を排除して、もしくは完全なるギャグとして描き、陽気なラブコメに徹する。加えて、幽霊を主人公が幼い頃に生き別れた実の妹にし、恋愛要素を薄めてファンタジックな人情喜劇にする。そうしておけば、本作はBPOに怒られた問題作としてではなく、誰もが認める名作として世間に評価されただろう。
 その証拠もある。それは幽霊が妹に装着したTSTが「貞操帯」であることだ。貞操帯とは読んで字の如く女性の貞操を守るための器具である。この貞操帯を付けてゲージを溜めると成仏という馬鹿なシステムを考案したのが神様か仏様かは知らないが、どちらにしろ幽霊の憑り付く相手が不適切な過ちを犯さないようにしたわけである。つまり、幽霊は勘違いからの勝手な思い込みで妹に性的な悪戯をしたわけで、その行為はシステム的に明確に「間違っている」のだ。この設定がどこまで意図的なのかは分からない。もしかしたら、家族の物語を強調させるためにわざと序盤をポルノ風にしたのかもしれない。ただ、その一件はアニメ化するに当たって幾らでも上手く編集できたはずだ。だが、実際は原作よりも一層ポルノ化したわけで、作り手が本作のテーマを全く理解していないということになる。そういう物はクソアニメと誹られても文句を言えないだろうし、擁護する気もない。

・総論


 もったいない。

星:★(-1個)
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by animentary  at 10:37 |   |   |   |  page top ↑

『純潔のマリア』

反キリスト教会。

公式サイト
純潔のマリア - Wikipedia
純潔のマリアとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。石川雅之著の漫画『純潔のマリア』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は谷口悟朗。アニメーション制作はProduction I.G。中世ヨーロッパを舞台に、平和主義者の魔女が百年戦争をやめさせるためにキリスト教会と戦う歴史ファンタジー。この物語はフィクションであり、実在の団体・個人とは一切関係がございません。

・中世ヨーロッパ


 本作の舞台は、イングランドとの百年戦争真っ只中のフランス。いわゆる中世ヨーロッパ風ファンタジーではなく、現実の中世ヨーロッパをそのまま描いている珍しい作品である。アニメでは他に類を見ないし、映画でもあまりお目にかからない。例えば、百年戦争時のジャンヌ・ダルクを描いた映画は複数あるが、どうにも誇張されていると言うか、日本における時代劇のように娯楽性を重視して現実との解離を生んでいる物である。だが、本作は非ヨーロッパの人間が作っているが故に、無闇に過去を美化したりせず視線が地に足付いており、非常にリアリティの溢れる物になっている。ダラダラと繰り返される戦争。駆り出される民衆。金儲けしか興味のない傭兵。もちろん、厳密な歴史学的にはいろいろと間違っているのだろうが、この世界の空気感やそこで生活している人間の心理は実に生き生きと伝わってくる。深夜アニメという納期の限られた低予算メディアでここまで作り上げたのは、素直に称賛されるべきである。
 何より本作の秀でているのが、「宗教」を包み隠さず描いていることである。当然、中世のフランスなのだから、国教はキリスト教(ローマカトリック)である。当時のヨーロッパにおいてキリスト教は文字通り生活の一部であった。それは教会が町を支配しているという単純な話ではなく、倫理観や価値観までもが全てキリスト教のそれと同一ということである。すなわち、キリスト教の教えに準じている者が善になり、反している者が悪となる。それゆえ、悪を放逐するために暴力を行使することもまた善であった。教会は積極的に戦争に関与し、それを助長する。人々は神のために戦い、神のために死んでいく。また、支配者階級であるがゆえに教会内部は腐敗し、禁欲とは名ばかりの本能に忠実な爛れた日常を送っていた。本作はそういったあまり表に出したくない歴史の負の側面をも克明に描いている。これはキリスト教的倫理観がベースになった欧米のクリエイターにはなかなかできないことである。アニメとは言え、それを可能にしたのは独特の空気を持つ日本だからであり、偏狭な愛国者でなくとも誇って良い。
 ただし、メリットはそのままデメリットに取って代わる可能性を孕んでいる。フランスやイングランドといった地名、キリスト教といった団体名、大天使ミカエルといった個人名までも実名にするということはどういうことか。事は慎重に為される必要がある。

・魔女


 さて、そんな現実的な中世ヨーロッパ世界をベースにして、「村の外れに一人の魔女が住んでいました」というお伽噺要素をプラスしたのが本作の基本設定になる。ここで言う魔女とは、比喩や蔑称ではなく、超自然的な力を使うことのできる本物の魔法使いである。そのため、この時点でかなり設定に違和感がある。さらに、そのビジュアルは現代の萌えアニメ風の露出度の高い魔法少女コスチュームであり、完全に世界観から浮いている。ただし、詳しくは後述するが、中世の価値観から外れた存在として描くために、わざとこうしているとも取れる。そうでなければ、作者はただのアホである。
 話を元に戻して、キリスト教における魔女とは唯一神の教えに背く者、つまり、異端者のことを指す。魔術を使うとか悪魔と契約したとかは全て後付け設定であり、自分達の意に沿わぬ者を迫害するための理由付けに過ぎない。元来、魔女という単語に男女の区別はないが、かつて魔女狩りに遭った人のほとんどが女性であった。これは女性の方が神秘的な物に接近し易いという事情と、もう一つ、キリスト教自体が男性優位の宗教であるということも関係するのだろう。一方、本作における魔女とは、生まれながらに魔法を使える特別な人々のことを指す。全員女性で見た目は人間と一緒だが、どうやら基本的な種族自体が違うようだ。そのため、魔法を使うこと自体は異端視されておらず、あくまで教会に従うかどうかを重視している。後に主人公が異端審問を受けたのも、夢魔を使役したことが一番の理由だった。よって、キリスト教のおける魔女と本作における魔女は、名前こそ一緒だが全くの別物として考えないと後の話が理解できなくなる。
 主人公のマリアは、そんな本作における魔女の一人である。彼女と他の魔女との一番の違いは、彼女が根っからの平和主義者であり、魔法を用いて戦いに介入し強引に百年戦争を終わらせようとしている点だ。当然、それは戦争賛成派であるキリスト教会や、戦争で利益を得ようとする他の魔女の怒りを買うことになる。それだけならまだしも、天の唯一神の代弁者である大天使ミカエルまでもが、自ら地上に降臨して主人公を諌める。唯一神の考えは「あるがまま」、戦争も自然の成り行きの一つであって、超自然的な力を行使する主人公こそが悪であった。このように、本作はキリスト教思想を極端に先鋭化することで、思想その物を批判している。これこそ、まさに「異端」の成せる業である。中二病をこじらせていると言えばそれまでだが、とにかく本作は自ら魔女になることで、世界最大の宗教に一石を投じようとした意欲作である。

・純潔


 主人公のもう一つの特徴は、彼女が今まで男性との関係を一度も持ったことがない正真正銘の「処女」であることだ。キリスト教における魔女は淫欲で不貞であるとされているため、そのカウンターパートになっている。つまり、彼女は魔女であって魔女ではない。その後、戦争への介入を繰り返す主人公に対して、大天使ミカエルが罰として一つの契約を与える。それが「もし彼女が処女を失ったならば、魔法を奪ってただの人間にする」と。その約束を果たすため……ん? あれ? いや、ちょっと待て。おかしくないだろうか。この世界において処女を失うことは魔女になることであり、神が望まないことである。一方、魔法を失うことは魔女をやめることであり、神の望むことである。これらはお互いに相反することなのだから、天秤にかける物ではない。彼女は存在自体が矛盾しているのだから、その矛盾を解消する方向へ持って行くのが神の役割であろう。御託を並べていないで、さっさと魔法を奪ってしまえば良いのだ。はっきり言って、この契約はストーリー的に明らかに間違っている。実際、この設定は完全に宙に浮き、最後のシーンまでほとんど物語に絡まない。もっと単純に「処女を失ったら、本物の魔女になったと見なして処刑する」で良かったのではないだろうか。
 正直なところ、この設定自体が必要なのかどうかさえ甚だ疑問だ。と言うのも、この設定のせいで勢力が四つに拡大し、話が無駄にややこしくなっているだけに感じるからだ。すなわち、天界、キリスト教会、魔女組合、主人公の四つである。この内、主人公を除く三勢力がいずれも戦争賛成派である。キリスト教会は、禁欲を是としながら実情は怠惰であるという自己矛盾を抱えており、その矛盾に対抗するために主人公という矛盾の塊をぶつけているのは分かる。では、主人公という存在は何を代弁しているかと言うと、それが何もないのである。おそらく、作者は現代的な感覚を中世ヨーロッパに持ち込むことで中世思想を批判したいのだろうが、現代的な感覚とは「平和主義かつ自由恋愛主義」であって、主人公の思想とは微妙にずれている。「平和主義かつ禁欲」を体現している者は何か、それは要するに作者に代表される「現代のオタク」達だ。そもそも、女性を男性経験の有無で区別すること自体が、フェミニズム観点からして現代的ではない。つまり、この作品その物が中世的なのである。最早、何を書いているのか分からないほど複雑怪奇であり、それなら最初からこのような設定を盛り込む必要はなかっただろう。

・アンチキリスト


 そして、物語は中途半端な現代的感覚を持った主人公を中世のキリスト教会が迫害するという展開が延々と繰り返される。訴えたいのは、かつてのキリスト教思想が如何に間違っていたかということだ。ここで重要なのは、過去のキリスト教会と現在のキリスト教会は全くの別物であると示すことである。これができていないと、現実のキリスト教自体を批判することになってしまい、下手すると重大な国際問題を引き起こしかねない。かくして、本作はそれができているかと言うと……残念ながら、何一つできていないのが現状である。
 とにかく、主人公も大天使も出しゃばり過ぎだ。特に主人公は、いきなり戦場の真ん中に飛び出し、巨大モンスターを召喚して無理やり戦争をやめさせようとしているのだから、大天使ミカエルでなくても「ちょっとは控えてくれよ」と言いたくなる。これが「歴史の裏で天使や魔女が暗躍していた」なら話は分かる。だが、本作の主人公のように歴史の表舞台に堂々と顔を出したらどうなるか。それは現代的な魔女と歴史上の中世世界の境界が薄くなるということである。まさに「オーパーツ」だ。歴史は歴史、フィクションはフィクション、それらをくっきりと区分けすることで、両者は全くの別物であると示さなければならないのに、これでは自ら墓穴を掘っているような物である。
 では、どうすべきだったのか。一番簡単なのは比喩や象徴を用いることである。そう、こういったテーマの作品を描くために「異世界物」というジャンルが存在するのである。現代人の主人公が、タイムスリップなり異世界召喚なりで中世ヨーロッパ風の世界へ行き、そこでキリスト教風の宗教と戦えばいい。そうすれば、現実のキリスト教会を刺激することなく、キリスト教思想のみを批判することが可能だ。要は、少しは頭を使えということである。
 物語のラストでは、主人公はかねてより親交のあった男性と心を通じ合わせ、晴れて恋人同士になる。その後、二人は結婚、処女を失ったことで彼女は普通の人間になる。一方、百年戦争は彼女とは全く関係のないところで勝手に終結する。結局、この作品は何をやりたかったのか。魔女の働きによって唯一神が改心したとも取れなくもないが、それはキリスト教徒にとって最大の屈辱だろう。キリスト教にケンカを売るだけ売って、最後は有耶無耶。宗教に対して洒落が通じると思っている日本人の悪いところが全て出た作品である。

・総論


 明らかに、やり過ぎだ。歴史を批判するのではなく、現実の一宗教を批判する形になってしまっている。この制作者は、是非とも本作のイスラム教版を作って放送して欲しい。

星:★(-1個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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