『甲鉄城のカバネリ』

ベタ。

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甲鉄城のカバネリとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2016年春。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話。監督は荒木哲郎。アニメーション制作はWIT STUDIO。ゾンビと人間の中間生命体である主人公が、ゾンビから人間を守るために戦うスチームパンクSF。

・王道


 『黒塚 KUROZUKA』『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』『進撃の巨人』とキャリアを重ねた荒木哲郎監督の最新作は、「退廃的な架空の日本」を舞台に、カバネと呼ばれる「ウイルス性のゾンビ」が街を襲って「人々を喰らう」バイオレンスアクションだった。そのままかい! 得意分野なのは分かるけど、もうちょっと捻ろうよ。さらに、ストーリー構成を手掛けているのは、作る作品がなぜか皆同じになることでお馴染みの大河内一楼。ある意味、夢のタッグが送る2016年春最大の話題作、それがこの『甲鉄城のカバネリ』である。

 そんな本作の特徴は「ベタ」である。それもベッタベタである。監督自ら「最新鋭の尖ったものを追求するのではなく、王道を行く普遍的な作品を作る」と宣言しているのだが、それにしても鉄板過ぎる。壁に囲まれた街。その壁を破って侵入し、人々を喰らい尽くす大量のゾンビ。直情的な性格の主人公。好戦的なヒロイン。人と人外の中間生命体。謂われなき差別。装甲列車。動く要塞に乗って旅するロードムービー。それらを束ねるお姫様。その姫を盲目的に慕う騎士。等々、どこを取ってもどこかで見たシーンのオンパレードだ。一歩間違えれば、パクリ扱いされても文句は言えないレベルである。もちろん、何度も言っているが、ベタなことは決して悪いことではなく、それだけ基本を大切にしているということである。作劇の基本は、先人が何百年もかけて作り上げた人の心を動かす最良の手段。最近、ネットスラングで「こういうのでいいんだよ」という言い回しがよく使われるが、本作はまさに人々が見たい物を形にした作品であり、その点においては十分に評価できる。

 ただ、残念なことに、本作は作画があまりよろしくない。人物の顔のアップはやたらと綺麗(美樹本晴彦デザインを再現するためにメイクアップアニメーターという専門職を置いている)で、一部の戦闘シーンは荒木監督らしい三次元的なダイナミックさを見せるのだが、それ以外の画はレイアウトも平坦で動きも少ない。大量のカバネが人々を襲うシーンなどは、全て一枚絵で処理されてしまう。設定が広大過ぎて、限られた予算で映像化するのは困難だったかもしれないが、どうしても手抜きに見えてしまうのは大きなマイナスポイントであろう。

・キャラクター


 主人公は、妹をカバネに殺されたことでカバネに対する復讐心を募らせているベタな少年。「あいつら、駆逐してやる! この世から一匹残らず!」……とは言わないが、まぁ、似たような台詞を度々口にする。そんな彼は、カバネを倒すことのできる新兵器を独学で開発していた。だが、それが完成した日に彼はカバネに襲われてしまう。「ウイルスに侵されても、脳をやられなかったらカバネになることはない」という自説を信じ、彼は自ら首を絞めることでウイルスの浸食を食い止める。何で首を絞めるとウイルスが止まるんだ? 大動脈を通るから? それ、ウイルスが止まる前に脳が死ぬだろう。いまいちよく分からないが、こうして彼はカバネの体と人間の脳を持つ中間生命体「カバネリ」になる。何そのネーミングセンス。カバネリはカバネ並みの身体能力を持っていたが、人間の血を飲まなければ活動できず、特に空腹になるとカバネのように凶暴な人格が顕在化してしまう。そのため、主人公は自分が人間なのか否かを思い悩む……という『デビルマン』やら『寄生獣』やらその他B級ホラーやらをごちゃ混ぜにした非常に分かり易い設定である。ベタではあるが、やはり「敵と戦うために敵の力を体に取り込んで戦う悲劇のヒーロー」の物語は盛り上がる。守るべき人間達から迫害を受けながら、それでも彼らを守るために戦う悲壮感とヒロイズム。ただ、残念なことに、彼の発明した対カバネ用の必殺兵器が非常にダサいため、ヒーローとしてのかっこ良さはあまりない。ある程度のダサさは、主人公の人間らしい弱さを描くための意図的な演出なのだろうが、それでもかっこ悪い。普通に銃か日本刀で良かったのでは?

 一方のヒロインもカバネリである。主人公よりもカバネリ歴が長く、高い戦闘力を誇るが、その分、好戦的な性格を有している。そのため、彼女の前では、主人公は厭戦的な慎重派ポジションにならざるを得ない。カバネを一匹残らず駆逐するのではなかったのか。この辺りの思考のブレは、本作の大きな欠点である。主人公とヒロインの意見を対立させたいなら、主人公をカバネを恨んでいるけど人は殺したくない優柔不断キャラにしないといけないし、主人公を『進撃の巨人』のようにしたいなら、逆にヒロインを平和を愛する心優しいキャラにしないといけない。どちらにしても、初期設定の不味さが見て取れる。せっかくカバネウイルス設定を用いているのだから、ウイルス感染度の差でキャラクターを差別化することができたのではないだろうか。

・オマージュ


 こんな感じで、本作は良くも悪くも普遍的な王道アクションを貫いているのだが、それは第六話までの話である。第七話で本作は突然きな臭くなる。登場するのはヒロインの「兄様」で、カバネ退治専門の独立部隊「狩方衆」のリーダー。彼らは、主人公達があれほど苦労して倒したカバネをいとも簡単に討伐してしまう。アニメを見慣れている人なら、この時点ですぐに気付くだろう。兄様が本作のラスボスになることを。何の作品の影響だか、アニメはやたらとぽっと出の人間をラスボスにしたがるが、決して良いことではない。なぜなら、作品の目的自体が変わってしまうからだ。本作で言うと、主人公の目的は「カバネを駆逐すること」である。だが、カバネの力は強大で一筋縄では倒せない。そこで、どうすればカバネを倒せるようになるかを必死に研究していた時に現れるのが狩方衆であり、彼らの存在は今までの研究を完全に無駄にしてしまう。すなわち、これまで描いてきたことを全て白紙に戻してしまうということである。当然、作品の底の深さが半分に減り、品質も低下する。そのため、ラスボスは余程のことがなければ、途中で変更してはならないのである。ちなみに、兄様の目的は日本を統治する幕府を倒すことである。その理由は、かつて幕府に捨て駒にされたから。もう何もかもが薄い。

 また、それと並行して、ヒロインの秘密も明らかになる。彼女は、かつて母親をカバネに殺されて孤児になったところを兄様に救われ、行動を共にするようになる。その後、兄様からカバネのウイルスを投与されて、人工的なカバネリになる。さらに、本当の名前を奪われて、代わりに「無名」と呼ばれるようになる。それでも、彼女は兄様を敬愛しており、彼の言うことなら何でも聞いてしまう……と、これまたどこかで聞いたような設定である。だが、「人工的なカバネリ」などという存在は、「カバネリとは何か?」を十分に描いた後に、そのアンチテーゼとして持ち出す物だ。第七話などという早い段階で出しても、かえってテーマを濁らせるだけ。何の作品の影響だか、絵に描いたような勇み足である。

 先述の通り、良い意味でのパクリやオマージュは、もっと積極的にやるべきだと考える。だが、中には例外もあり、組み合わせに向かない作品という物も存在する。それゆえ、僭越ながら、視聴者を代表して制作者へのアドバイスという形でこの格言を送りたい。「『機動戦士Zガンダム』は混ぜるな危険」である。

・最終回


 脚本家の大河内一楼がストーリー構成を務めたオリジナルアニメ作品群、『OVERMANキングゲイナー』『コードギアス 反逆のルルーシュ』『シゴフミ』などに共通する点は、「風呂敷を広げ過ぎて、上手く畳めない」である。『OVERMANキングゲイナー』が分かり易い例だが、メインストーリーとはあまり関係ないボス退治に尺を使い果たした結果、目的地に辿り着く前に話が終わってしまう……という文章を『プリンセス・プリンシパル』の項目で書いたのだが、今回も全く同じである。同じどころか、終盤の展開は『OVERMANキングゲイナー』の完全なるコピーであり、脇道に逸れて目的を見失う点も、尺が足りなくて中途半端な場所で終了する点も一緒である。

 では、ここで兄様が立てた華麗なる討幕作戦を紹介しよう。まず、捕縛された振りをして、幕府の首都で上様と面会する。上様は兄様に恨みがあるので、思い出の短剣で自分を殺そうとするだろう。そこで、その短剣にウイルスを仕込んでおく。すると、上様は感染してカバネに変化する。それを見た人々は疑心暗鬼に捉われて、互いを殺し合うはず。さらに、大量のカバネを町に解き放つ。さらに、ヒロインを巨大な怪物に変化させて町を襲わせる。これで討幕は間違いなし。……兄様! 作戦が杜撰過ぎる上に、それではただの無差別テロです! つか、最後の巨大な怪物だけで事が足りるのでは? 一方、主人公は命懸けで体の中のウイルスを活性化させて超人になり、ヒロインを救うために首都に乗り込む。この一連の流れは、見た目も中身も永井豪作品っぽくて面白い。だが、尺が足りないので、主人公の無双シーンはほんの数分で終わってしまう。続いて、巨大な怪物と戦うのだが、そのシーンは尺が足りないので全面的にカット、戦う前にヒロインは正気に戻る。そして、兄様と一騎打ちをするのだが、主人公は途中で肉体が限界を迎えてしまう。卑怯な兄様はこっそりと背後から彼を刺そうとするが、ヒロインの裏切りにあってあえなく命を落とす。ヒロインは主人公を背負って街を脱出しようとする。すると、走る汽車の上でみんなが帰りを待っていた。なるほど、最後に辿り着くのは、やはり『機動戦士ガンダム』か。

 さて、汽車に乗って脱出したはいいが、主人公の「カバネを駆逐して、ヒロインを人間に戻す」という目標は何一つ達成していないどころか、むしろ後退している。だが、残念ながら、時間切れでストーリーは終了する。ちなみに、主人公は兄様がいつの間にかウイルスを抑制する薬を投与していたので生き返る。そんなシーンがどこにあったのか、一回見ただけでは分からないが、とにもかくにも尺が足りないのでどうでもいい。もう一度見返して伏線を確かめようとも思わない。

・総論


 歴史的な傑作を作ろうとして盛大にずっこけた作品。だけど、嫌いじゃないよ。原理原則を無視して暴走したアニメより何倍もいい。

星:☆☆☆(3個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:05 |  ☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『うさぎドロップ』

発達と成長。

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・はじめに


 2011年夏宇仁田ゆみ著の漫画『うさぎドロップ』のテレビアニメ化作品。全十一話。監督は亀井幹太。アニメーション制作はProduction I.G。ひょんなことから三十歳の独身男性と六歳の女の子が一緒に生活するハートフルコメディー。ノイタミナ作品。原作の掲載誌は女性誌なので、男性向けにアレンジされているとは言え、良くも悪くも女性的な感覚が各所に見られる。

・父親


 本作の作品テーマと大まかなストーリーは、『パパのいうことを聞きなさい!』とほぼ同一である。祖父の隠し子である六歳のヒロインが、祖父が死去したことで孤児になる。親戚同士が彼女を押し付けあう中、主人公がキレて自分で引き取ることを宣言する。その後は、延々と二人の幸せな生活が描かれ、「やはり、家族は良い物だ」という結論で締めくくる。違う点はと言えば、主人公が大学生ではなく三十歳の社会人であることだ。そのため、よりリアリティのある作風になっている……はずなのだが、どうにもしっくりこない。最初から最後まで巨大な違和感が爆発している。それは作品全体の評価を下げるほどに、だ。

 そんな本作の誰の目にも明らかな欠点は、あまりにも「主人公のキャラクターが薄い」ことである。主人公はアパレルメーカーに勤務する三十歳の独身男性。どうやら係長クラスらしく、社内でもそれなりの位置にいる。仕事が忙しくて、しばらく実家に帰っていない。残念ながら、アニメ本編から入手できる情報は、冗談抜きにこれだけである。住んでいる地域も分からない。給料はどれぐらいで、どの程度の余裕があるのかも分からない。なぜ、庭付きの木造平屋に住んでいるのか。なぜ、この年齢まで独身だったのか。普段、家で一人何をやっているのか。結婚や家族にどのような印象を持っているのか。学生時代はどんな人間だったのか。将来の夢や目標は何か。趣味は? 特技は? 好きな物は? 嫌いな物は? こういった基本情報が視聴者に何も伝えられないまま、唐突にストーリーが始まってしまう(※主人公とヒロインの年齢が明らかになるのも第四話)。それゆえ、「なぜ、自分勝手な親戚達に激怒して、ヒロインを自分の手で育てようと思ったのか?」という物語の根幹を成す彼の感情が全く理解できないのである。あの『パパのいうことを聞きなさい!』ですら、主人公が行動を起こした理由だけはちゃんと理屈付けしていたのに。もし、「人間ならそうするのが当たり前」と思っているなら、もう創作の現場に関わるのは辞めた方がいい。はっきり言って、人間を語る資格がない。

 その後、ヒロインと二人暮らしを始めるのだが、ご多分に漏れず、見事なまでに優秀な父親っぷりを発揮する。もちろん、初めての育児なので知識は拙い。だが、子供に対する気遣いや子供の心理を読み解く力は、本物の父親以上である。男性が父性を獲得するのに時間がかかるのは常識中の常識、「彼は優しい人だから」という理由だけでは、彼の異常な育児力は説明できない。これでは形こそ違えど、バトルアニメにおける最初から最強のチート主人公と丸っ切り同じである。

・娘


 一方、ヒロイン側にも大きな問題を抱えている。こちらは、もっと明確に「子供らしくない」だ。彼女は、第一話こそ不慣れな環境に怯えて心を閉ざしていたが、第二話になって主人公と暮らし始めると、すぐに打ち解けて心を開く。その時点で、すでに普通の親子と大して変わりない。一応、主人公が祖父に似ていたからという理由はあるのだが、その程度で子供が懐くなら誰も苦労はしない。また、躾も行き届いており、誰に対しても礼儀正しく、六歳という年齢からすると非常に大人びている。他の子供達はちゃんと年齢相応の性格をしているので、おそらく意図的に仕組まれた物なのだろう。つまり、複雑な家庭環境が彼女の精神年齢を歪に上昇させたということなのだろうが、その設定はストーリー上、あまり効果的ではない。なぜなら、本作の売りであるリアルな育児描写が崩れてしまうからだ。分かり易い例を出すと、ヒロインはよく夜中におねしょをするのだが、それに対して彼女は女の子らしくとても恥ずかしがる。だが、この年代の子供が感じるのは、羞恥心ではなく「罪悪感」ではないだろうか。躾に反することをしてしまった。自分は悪い子だ。良い子にしないと、この家から追い出される。具体的に言語化はできないだろうが、そういった感情を胸に抱くから、子供は親におねしょを隠そうとするのではないか。本作のヒロインの捉え方は完全に小学校高学年のそれであり、結果的に作品の統一感をちぐはぐにさせている。(ちなみに、ヒロイン役の松浦愛弓は当時十歳の子役である。十歳が六歳を演じるのはあまりにも無謀な行為。この「子役なら大して変わらないだろう」という安易な発想こそが、本作の完成度を下げる一番の要因ではないか)

 最終的に、ヒロインは「凄く変わった」という評価を獲得し、主人公も「人の親だからって特別なことは何もない」という気付きを得る。つまり、本作は二人の成長物語である。そうなると、やはり二人の初期位置に疑問を覚える。成長を効果的に描くには、スタートラインを平均以下に設定しなければならない。主人公ならば、子供嫌いで、自分の趣味が第一で、家族という物に不信感を持っていて、毎日をダラダラと過ごしている。ヒロインならば、人間を信用できず、自分の殻に閉じこもり、酷いトラウマを持っていて、異常行動が目立つ。そういった欠点を疑似家族における衝突や修復を通して解消していくのが、成長物語ではないだろうか。どうも、この作品は、子供の「発達」と物語的な「成長」をごちゃ混ぜにしている感がある。それならば、最初から余計な設定を入れないで、子供の発達だけを丹念に描いていった方が、何倍も良いハートウォーミングアニメになれただろう。

・母親


 ヒロインの母親は子供を産んだ後、行方不明になっていた。母親は一体誰なのか? 彼女は今どこにいるのか? その謎を突き止めることが本作のストーリーのもう一つの柱……かと思ったら、第四話であっさりと見つかる。その時、なぜ娘を捨てたのかが彼女の口から語られるのだが、非常に難解である。正直なところ、このようなブログで扱える範疇を超えている。先に結論を書くと、彼女は人格が欠落した特殊な人間のような描かれ方をしており、そのため、それを人間の本質を描いた斬新な演出だと取るか、ただの作り手の怠慢だと取るかによって、彼女に対する印象が大きく違ってくるのである。

 彼女の職業は漫画家で、一時期、生活のために祖父のお手伝いさんをしていた。ヒロインはその時にできた子供である。だが、彼女は漫画家の仕事が軌道に乗り始めると、突然、幼い我が子を残して祖父の前から去ってしまう。その理由は「漫画家にとって今が一番大事な時期だから」。後に、主人公が彼女と会っても、彼女は漫画の心配ばかりをしていて我が子を全く顧みない。それどころか、自分が育児をしなくてもいい理由を延々と語り続ける。その姿は実に醜く、人によっては激しい怒りを覚えるかもしれない。ただ、実際のところ、たとえお腹を痛めて産んだ子供であっても、どうしても我が子に愛情を持てない人間は少なからず存在する。本作がそういう人を描きたいのは分かるし、大枠は間違っていない。では、本作の何が問題かと言うと、彼女は生まれ付きそういう感情が欠落しているのか、それとも、まだ未発達なだけなのかの線引きが、非常に曖昧なところである。ストーリー的には後者をやりたいのだろう。主人公とヒロインの疑似親子関係を見て、少しずつ母親としての感情に目覚めていく。だが、我々が実際に目撃する光景は完全に前者なのである。その矛盾が本作の評価を分ける大きなポイントになっている。個人的な意見を書くと、やはり不自然である。彼女は子供に愛情を持てないというより、子供の存在を忘却している風に見える。娘の仮の保護者を前にして漫画の話ばかりをする彼女は、明らかに異常である。これでは、心の成長の話ではなく、心の治療の話になってしまう。そうなると、全くジャンルの違う作品になってしまうだろう。

 もっとも、一番大事なことは、ストーリー上で彼女がどのような役割を果たすかである。具体的に言うと、彼女は主人公のライバルであり、彼の思想の反面教師でなければならない。だが、人格障害的な描き方をしているせいで、彼の対にはなり得ていない。主人公の思想をもう一度整理し直し、それと正反対のことを母親に言わせるという緻密な作業を放棄しているからだ。そういう意味では、間違いなく作り手の「逃げ」である。

・疑似家族


 以上の事柄より、この時点での本作に対する結論を書くなら「普通の父子家庭の物語で十分であり、わざわざ疑似家族物にする必要がない」になる。ただし、そのためには前提条件として普通の家族と疑似家族の違いを明確にしなければならない。それは「一緒に暮らす理由」だ。血の繋がった家族には、否応なく扶養義務が生まれる。また、乳児の頃から知っているため、それだけで情が移る。一方、疑似家族にはそんな物はない。それゆえ、なぜ赤の他人と一緒に暮らすのかの理由付けが必ず必要になる。例えば、他の疑似家族物だと、「みんなと暮らしていると毎日が刺激的」「今までの退屈な人生に光が差した」「生きている実感がする」「幸せとは何かを生まれて初めて知った」といった理由で疑似家族を肯定し、逆説的に家族の良さを見直そうとする。本作もその流れに持っていこうとしているのだが、如何せん根拠が弱い。その結果、家族の良さがいまいち伝わってこないという残念なことになってしまう。

 第五話。主人公は母親の勧めもあって、ヒロインを養子にしようとする。だが、ヒロインは祖父だけが自分の父親であると主張し、彼に向かってこう言う。「大吉(主人公の名)は大吉でいい」。それを聞いて、主人公は感動で涙ぐむ。さて、主人公は何に感動して涙を流したのだろうか? 好意的に解釈すると、血縁関係の義務感などではなく、一人の人間としてヒロインに認められたことで、主人公の努力が報われたからということになる。しかし、それは都合が良過ぎる解釈だ。現実的に、主人公はヒロインに父親になることを拒絶され、これにより、もしかしたら彼は父親になるチャンスを永久に失ったかもしれないのだ。この辺りは、やはり原作者が女性という点が大きく関わっているのだろう。つまり、本作は精神的な母性がベースになっており、物質的な父性が蔑ろになっているということである。

 なお、このアニメ版は、ヒロインが小学校に入学したところで終わってしまうが、原作はその後も長々と続き、実は二人に血の繋がりがなかったことが発覚して、四十歳の主人公と高校を卒業したヒロインが結婚を決めたところで終了する。この『源氏物語』チックな結末を聞くと、「なるほどなぁ」とひどく納得できる。結局、本作の違和感はそういうことなのだ。本作はハートフルな疑似家族物でもなければ、感動的な成長物語でもなく、要は倒錯的な「ラブストーリー」なのである。そもそものジャンルを勘違いしていては、批評も上手くいくはずがない。

・総論


 『パパのいうことを聞きなさい!』よりはましな程度。深夜アニメでまともな家族物は期待しない方がいいな。

星:☆☆☆(3個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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