『うさぎドロップ』

発達と成長。

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・はじめに


 2011年夏宇仁田ゆみ著の漫画『うさぎドロップ』のテレビアニメ化作品。全十一話。監督は亀井幹太。アニメーション制作はProduction I.G。ひょんなことから三十歳の独身男性と六歳の女の子が一緒に生活するハートフルコメディー。ノイタミナ作品。原作の掲載誌は女性誌なので、男性向けにアレンジされているとは言え、良くも悪くも女性的な感覚が各所に見られる。

・父親


 本作の作品テーマと大まかなストーリーは、『パパのいうことを聞きなさい!』とほぼ同一である。祖父の隠し子である六歳のヒロインが、祖父が死去したことで孤児になる。親戚同士が彼女を押し付けあう中、主人公がキレて自分で引き取ることを宣言する。その後は、延々と二人の幸せな生活が描かれ、「やはり、家族は良い物だ」という結論で締めくくる。違う点はと言えば、主人公が大学生ではなく三十歳の社会人であることだ。そのため、よりリアリティのある作風になっている……はずなのだが、どうにもしっくりこない。最初から最後まで巨大な違和感が爆発している。それは作品全体の評価を下げるほどに、だ。

 そんな本作の誰の目にも明らかな欠点は、あまりにも「主人公のキャラクターが薄い」ことである。主人公はアパレルメーカーに勤務する三十歳の独身男性。どうやら係長クラスらしく、社内でもそれなりの位置にいる。仕事が忙しくて、しばらく実家に帰っていない。残念ながら、アニメ本編から入手できる情報は、冗談抜きにこれだけである。住んでいる地域も分からない。給料はどれぐらいで、どの程度の余裕があるのかも分からない。なぜ、庭付きの木造平屋に住んでいるのか。なぜ、この年齢まで独身だったのか。普段、家で一人何をやっているのか。結婚や家族にどのような印象を持っているのか。学生時代はどんな人間だったのか。将来の夢や目標は何か。趣味は? 特技は? 好きな物は? 嫌いな物は? こういった基本情報が視聴者に何も伝えられないまま、唐突にストーリーが始まってしまう(※主人公とヒロインの年齢が明らかになるのも第四話)。それゆえ、「なぜ、自分勝手な親戚達に激怒して、ヒロインを自分の手で育てようと思ったのか?」という物語の根幹を成す彼の感情が全く理解できないのである。あの『パパのいうことを聞きなさい!』ですら、主人公が行動を起こした理由だけはちゃんと理屈付けしていたのに。もし、「人間ならそうするのが当たり前」と思っているなら、もう創作の現場に関わるのは辞めた方がいい。はっきり言って、人間を語る資格がない。

 その後、ヒロインと二人暮らしを始めるのだが、ご多分に漏れず、見事なまでに優秀な父親っぷりを発揮する。もちろん、初めての育児なので知識は拙い。だが、子供に対する気遣いや子供の心理を読み解く力は、本物の父親以上である。男性が父性を獲得するのに時間がかかるのは常識中の常識、「彼は優しい人だから」という理由だけでは、彼の異常な育児力は説明できない。これでは形こそ違えど、バトルアニメにおける最初から最強のチート主人公と丸っ切り同じである。

・娘


 一方、ヒロイン側にも大きな問題を抱えている。こちらは、もっと明確に「子供らしくない」だ。彼女は、第一話こそ不慣れな環境に怯えて心を閉ざしていたが、第二話になって主人公と暮らし始めると、すぐに打ち解けて心を開く。その時点で、すでに普通の親子と大して変わりない。一応、主人公が祖父に似ていたからという理由はあるのだが、その程度で子供が懐くなら誰も苦労はしない。また、躾も行き届いており、誰に対しても礼儀正しく、六歳という年齢からすると非常に大人びている。他の子供達はちゃんと年齢相応の性格をしているので、おそらく意図的に仕組まれた物なのだろう。つまり、複雑な家庭環境が彼女の精神年齢を歪に上昇させたということなのだろうが、その設定はストーリー上、あまり効果的ではない。なぜなら、本作の売りであるリアルな育児描写が崩れてしまうからだ。分かり易い例を出すと、ヒロインはよく夜中におねしょをするのだが、それに対して彼女は女の子らしくとても恥ずかしがる。だが、この年代の子供が感じるのは、羞恥心ではなく「罪悪感」ではないだろうか。躾に反することをしてしまった。自分は悪い子だ。良い子にしないと、この家から追い出される。具体的に言語化はできないだろうが、そういった感情を胸に抱くから、子供は親におねしょを隠そうとするのではないか。本作のヒロインの捉え方は完全に小学校高学年のそれであり、結果的に作品の統一感をちぐはぐにさせている。(ちなみに、ヒロイン役の松浦愛弓は当時十歳の子役である。十歳が六歳を演じるのはあまりにも無謀な行為。この「子役なら大して変わらないだろう」という安易な発想こそが、本作の完成度を下げる一番の要因ではないか)

 最終的に、ヒロインは「凄く変わった」という評価を獲得し、主人公も「人の親だからって特別なことは何もない」という気付きを得る。つまり、本作は二人の成長物語である。そうなると、やはり二人の初期位置に疑問を覚える。成長を効果的に描くには、スタートラインを平均以下に設定しなければならない。主人公ならば、子供嫌いで、自分の趣味が第一で、家族という物に不信感を持っていて、毎日をダラダラと過ごしている。ヒロインならば、人間を信用できず、自分の殻に閉じこもり、酷いトラウマを持っていて、異常行動が目立つ。そういった欠点を疑似家族における衝突や修復を通して解消していくのが、成長物語ではないだろうか。どうも、この作品は、子供の「発達」と物語的な「成長」をごちゃ混ぜにしている感がある。それならば、最初から余計な設定を入れないで、子供の発達だけを丹念に描いていった方が、何倍も良いハートウォーミングアニメになれただろう。

・母親


 ヒロインの母親は子供を産んだ後、行方不明になっていた。母親は一体誰なのか? 彼女は今どこにいるのか? その謎を突き止めることが本作のストーリーのもう一つの柱……かと思ったら、第四話であっさりと見つかる。その時、なぜ娘を捨てたのかが彼女の口から語られるのだが、非常に難解である。正直なところ、このようなブログで扱える範疇を超えている。先に結論を書くと、彼女は人格が欠落した特殊な人間のような描かれ方をしており、そのため、それを人間の本質を描いた斬新な演出だと取るか、ただの作り手の怠慢だと取るかによって、彼女に対する印象が大きく違ってくるのである。

 彼女の職業は漫画家で、一時期、生活のために祖父のお手伝いさんをしていた。ヒロインはその時にできた子供である。だが、彼女は漫画家の仕事が軌道に乗り始めると、突然、幼い我が子を残して祖父の前から去ってしまう。その理由は「漫画家にとって今が一番大事な時期だから」。後に、主人公が彼女と会っても、彼女は漫画の心配ばかりをしていて我が子を全く顧みない。それどころか、自分が育児をしなくてもいい理由を延々と語り続ける。その姿は実に醜く、人によっては激しい怒りを覚えるかもしれない。ただ、実際のところ、たとえお腹を痛めて産んだ子供であっても、どうしても我が子に愛情を持てない人間は少なからず存在する。本作がそういう人を描きたいのは分かるし、大枠は間違っていない。では、本作の何が問題かと言うと、彼女は生まれ付きそういう感情が欠落しているのか、それとも、まだ未発達なだけなのかの線引きが、非常に曖昧なところである。ストーリー的には後者をやりたいのだろう。主人公とヒロインの疑似親子関係を見て、少しずつ母親としての感情に目覚めていく。だが、我々が実際に目撃する光景は完全に前者なのである。その矛盾が本作の評価を分ける大きなポイントになっている。個人的な意見を書くと、やはり不自然である。彼女は子供に愛情を持てないというより、子供の存在を忘却している風に見える。娘の仮の保護者を前にして漫画の話ばかりをする彼女は、明らかに異常である。これでは、心の成長の話ではなく、心の治療の話になってしまう。そうなると、全くジャンルの違う作品になってしまうだろう。

 もっとも、一番大事なことは、ストーリー上で彼女がどのような役割を果たすかである。具体的に言うと、彼女は主人公のライバルであり、彼の思想の反面教師でなければならない。だが、人格障害的な描き方をしているせいで、彼の対にはなり得ていない。主人公の思想をもう一度整理し直し、それと正反対のことを母親に言わせるという緻密な作業を放棄しているからだ。そういう意味では、間違いなく作り手の「逃げ」である。

・疑似家族


 以上の事柄より、この時点での本作に対する結論を書くなら「普通の父子家庭の物語で十分であり、わざわざ疑似家族物にする必要がない」になる。ただし、そのためには前提条件として普通の家族と疑似家族の違いを明確にしなければならない。それは「一緒に暮らす理由」だ。血の繋がった家族には、否応なく扶養義務が生まれる。また、乳児の頃から知っているため、それだけで情が移る。一方、疑似家族にはそんな物はない。それゆえ、なぜ赤の他人と一緒に暮らすのかの理由付けが必ず必要になる。例えば、他の疑似家族物だと、「みんなと暮らしていると毎日が刺激的」「今までの退屈な人生に光が差した」「生きている実感がする」「幸せとは何かを生まれて初めて知った」といった理由で疑似家族を肯定し、逆説的に家族の良さを見直そうとする。本作もその流れに持っていこうとしているのだが、如何せん根拠が弱い。その結果、家族の良さがいまいち伝わってこないという残念なことになってしまう。

 第五話。主人公は母親の勧めもあって、ヒロインを養子にしようとする。だが、ヒロインは祖父だけが自分の父親であると主張し、彼に向かってこう言う。「大吉(主人公の名)は大吉でいい」。それを聞いて、主人公は感動で涙ぐむ。さて、主人公は何に感動して涙を流したのだろうか? 好意的に解釈すると、血縁関係の義務感などではなく、一人の人間としてヒロインに認められたことで、主人公の努力が報われたからということになる。しかし、それは都合が良過ぎる解釈だ。現実的に、主人公はヒロインに父親になることを拒絶され、これにより、もしかしたら彼は父親になるチャンスを永久に失ったかもしれないのだ。この辺りは、やはり原作者が女性という点が大きく関わっているのだろう。つまり、本作は精神的な母性がベースになっており、物質的な父性が蔑ろになっているということである。

 なお、このアニメ版は、ヒロインが小学校に入学したところで終わってしまうが、原作はその後も長々と続き、実は二人に血の繋がりがなかったことが発覚して、四十歳の主人公と高校を卒業したヒロインが結婚を決めたところで終了する。この『源氏物語』チックな結末を聞くと、「なるほどなぁ」とひどく納得できる。結局、本作の違和感はそういうことなのだ。本作はハートフルな疑似家族物でもなければ、感動的な成長物語でもなく、要は倒錯的な「ラブストーリー」なのである。そもそものジャンルを勘違いしていては、批評も上手くいくはずがない。

・総論


 『パパのいうことを聞きなさい!』よりはましな程度。深夜アニメでまともな家族物は期待しない方がいいな。

星:☆☆☆(3個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:03 |  ☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『けものフレンズ』

売れ筋。

公式サイト
けものフレンズ (アニメ) - Wikipedia
けものフレンズとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2017年冬けものフレンズプロジェクト制作・ネクソン開発のスマホゲーム『けものフレンズ』のテレビアニメ化作品。全十二話。総監督は吉崎観音。監督はたつき。アニメーション制作はヤオヨロズ。擬人化された動物達が暮らす謎のサファリパークに迷い込んだ一人の少女が、自分のルーツを知るために冒険するSFアドベンチャー。本項では放送終了後に発生した監督降板騒動に関しては一切言及しない。

・概要


 言わずと知れた大人気アニメである。人気があるということは売り上げが凄いということである。どの分野にも共通して言えることだが、この手の人気作は、売れた理由が分かり易い物と、なぜ売れたのかさっぱり分からない物に大きく二分される。本作は後者だ。一見すると、どこにでもある擬人化美少女が多数登場する日常系の萌えアニメであり、目立った特徴は何もない。だが、じっくり観察していくと、幾つもの隠れた「売れ筋」が見えてくるだろう。具体的なキーワードを挙げると、「優しい世界」「異世界転生」「SF」の三つである。

 さて、キーワードを一つずつ見ていく前に、不要かもしれないが、本作の概要を簡単に記しておこう。物語の舞台は「ジャパリパーク」と呼ばれる謎のサファリパーク。そこに一人の少女が迷い込む。彼女には記憶がなく、自分が何の動物なのかも分からない。そんな少女の前に一人の擬人化された雌のサーバルキャットが現れる。彼女は自分達擬人化動物のことを「フレンズ」と呼称し、少女を外見的特徴から「かばんちゃん」と命名する。そして、かばんちゃんが何のフレンズであるかを確かめるために、パークの情報が残されているという図書館を目指して共に旅立つ、といったストーリーである。ここからも分かる通り、本作のベースになっているのは、『おかあさんといっしょ』や『ひらけ!ポンキッキ』などで見られる幼児向け学習アニメである。実際、用語をひらがな表記で統一したり、登場人物が擬音語を多用したり、動物の紹介動画を挿入したりとかなり意図した演出が行われている。もちろん、視聴者ターゲットは中高生以上の「大人」であるため、あくまで「幼児向け風」でしかない。基本的にはパロディーがメインであり、登場人物が全て美少女という下劣な欲望によって作られた作品だ。ところが、何かを勘違いした人々が本作を平日の早朝に再放送するという暴挙に出て、当然、子供達は全く興味を示さずに大コケした。その事実が示すことは、深夜アニメは深夜アニメの文法に沿って作られているに過ぎず、万人を惹き付ける力はないということと、アニメファンの精神年齢は下手したら子供よりも低いということである。冷静に考えると、子供が興味を示さない幼児向けアニメに熱中する大人の集団という構図は非常に不気味であり、何かが間違っていると言わざるを得ない。

・優しい世界


 はっきり言って、本作のアニメーション作品としての完成度は低い。キャラクターの3Dモデルはお世辞にも出来が良いと言えず、人形劇に毛が生えたレベル。3Dであるがゆえに、背景やコンテ、レイアウトは全体的に低品質。声優の演技は一本調子で耳障り。シナリオも幼児向け。と、商業作品として客からお金を取るには、少々戸惑いを覚えるほどのダメっぷりである。ただ、よくある低予算クソアニメと違うのは、決して「手抜きではない」ということだ。スタッフは与えられた材料と予算を駆使して、できる限りの力で一生懸命作っている。その熱意が十分に伝わってくるからこそ、作品の欠点も許容できる。むしろ、手作り感満載の作品であるからこそ、視聴者は作品やスタッフに親近感を覚え、応援したくなる。こう聞くと思い出すのは、それはもう『侵略!イカ娘』である。あちらも全体的に締まりのない間の抜けた作品だったが、その何とも言えない絶妙なダメさ加減が独特の柔らかい作風を生み、多くの視聴者に愛された。本作もそんなイカ娘の系譜を継ぐ者の一つである。

 また、『侵略!イカ娘』同様、本作には悪人が一人も出てこない。フレンズ達は皆、純粋で無邪気、他人を傷付けたり馬鹿にしたりするような言動は一切行わない。明らかに余所者である主人公を優しく迎え入れたかと思うと、当たり前のように彼女の悩みを手助けする。「けものはいても、のけものはいない」とOP曲の歌詞で訴えているように、多様性を認めてお互いを尊重し合うというリベラリストの理想郷のような空間である。そういった弱者を無条件で受け入れる「優しい世界」が、日常生活で迫害を受けて孤立している人々の心を癒し、確固たる居場所を与えてあげた、言い換えると、厳しい現実に鬱屈した人々の自己承認欲求を満たしてあげたからこそ、本作はこれだけの作品になれたと言うことができるであろう。

 こういったリラクゼーション施設のような温い娯楽作品はいつの世にも存在するので、それ自体は決して悪いことではないが、アニメ業界に限るとゼロ年代の後半辺りから急激に増加し、今や大半の作品がそうなっている。かなりの異常事態である。その理由として、現実が過酷過ぎてアニメファンが自己承認欲求を果たせなくなっているのか、もしくはアニメファンの自己承認欲求が肥大化し過ぎて現実の許容量をオーバーしてしまったのかは、意見の分かれるところだ。災害や政治などの社会不安に原因を求めるなら前者、ITやSNSの発達に原因を求めるなら後者になるが、おそらく両者が重なり合った結果といったところが真相なのだろう。

・異世界転生


 続いて、「異世界転生」である。異世界転生とは、何の取り柄もない平凡な主人公が異世界で生まれ変わって大活躍する作品の総称であり、近年、人気急上昇中のジャンルである。この分野において最も重要なポイントは、異世界人の文化・文明レベルが現代人と比べて著しく低いことだ。そうすることによって、現実世界では普通、もしくは普通以下の人間でしかない主人公が異世界では無類の天才扱いになり、持って生まれたチート級の能力を用いて無双することができるようになる。主人公は現地の人間に凄い凄いと称賛されて英雄になり、彼に自分を投影した視聴者は自己顕示欲を充足させる。もちろん、それは子供相手に大人がケンカで勝つような恥ずべき行為であり、ポルノを見て自分自身を慰めるのと何ら変わりない。しかし、現実世界で自己顕示欲を満たせない人は、妄想の世界に身を委ねるしかなく、そういった人々がルサンチマンを溜めている間は、いつまでも異世界転生物は作られ続けるのだろう。

 そして、本作もそんな異世界転生物の一つである。主人公のかばんちゃんは、擬人化された動物しかいないこの世界における唯一の人間である。思慮深い彼女は困難に直面した際、問題解決のための様々なアイデアを提供する。とは言え、それらは人間の世界では小学生でもできるような他愛もない行為(紙飛行機を飛ばしたり、地面に絵を描いたりする等)に過ぎない。しかし、動物並みの知能しか持たないフレンズ達は、そんな主人公のアイデアに衝撃を受けて「すごーい」と絶賛し、人間の知恵を褒め称える。その結果、人間凄い=俺凄いとなり、視聴者は自分自身のプライドを満足させるわけである。しかも、本作のフレンズ達は、なぜか全員が可愛らしい女性。これでは、もう体のいいコスプレキャバクラと何も変わりがない。

 さらに注目すべきは、上述した「優しい世界」との矛盾である。フレンズ達は主人公を対等の関係として迎え入れ、視聴者の自己承認欲求を満たしている。だが、返す刀で視聴者はフレンズ達を見下し、優越感を得ることで自己顕示欲を充足させている。両者は完全に相反しており、言うなれば、リベラルな思想とコンサバな思想が一つの作品の中に同居している状態である。この「差別されたくないけど、差別したい」という精神的矛盾は、アニメファンに、いや、現代人に幅広く見られる現象であり、ある種の現代病と呼んでも構わない段階にまで達している。それゆえ、本作は現代社会が抱える病理を鋭く風刺した社会派アニメと言うことができるだろう。

・SF


 最後のキーワードは「SF」である。人気アニメの中でも、特に傑作と呼ばれる作品は、多かれ少なかれ必ずSF的な要素を含んでいる。例えば、『涼宮ハルヒの憂鬱』『魔法少女まどか☆マギカ』『進撃の巨人』などが、まさにその代表格だ。いずれも見た目は平凡なファンタジーでありながら、その背後にロジカルなSFが控えていることでストーリーに多くの謎が生まれ、それが視聴者の知的好奇心を刺激して視聴意欲を掻き立てる。そして、その謎をアニメファン同士で話し合うことにより、さらにコミュニティが活性化する。結果、皆の記憶に強く刻まれるという算段だ。

 本作も同様である。一見するとただの幼児向け学習アニメだが、よく見ると序盤から物語の節々にSFめいた謎が数多く散りばめられていることに気付くだろう。サンドスター、火山の噴火、図書館、セルリアン、ラッキービースト、じゃぱりまん、フレンズ化などなど。それらは全てこの「優しい世界」において異質なノイズである。なぜ、このような物が世界に存在するのか、その違和感・不安感が視聴者を惹き付け、さらなる謎に向かわせる。フレンズ達はどうして生まれたのか。人間はどこに行ったのか。パークの外はどうなっているのか。そういった含みを持たせることで、本作はただの日常系アニメにはあり得ない奥深さを作品に与えることに成功している。

 もっとも、いざ蓋を開けてみると、それらのSF的要素はどれもこれも中途半端で単純なギミックであった。ジャパリパークは、人為的に擬人化させた動物を展示したテーマパークという『ジュラシック・パーク』や『猿の惑星』もびっくりのトンデモ遊園地。人間達は異変が発生したのでパークを放棄して島外に避難しただけ。サンドスターが動物やその痕跡に触れるとフレンズ化するという設定に至っては、最早SFでも何でもないただの三流ファンタジーである。そして、最大の謎である「今、世界はどうなっているのか?」は最後の最後まで解き明かされない。「あえて謎を残して視聴者の想像に委ねた」と言えば聞こえはいいが、結局は制作者側が適切な解答を用意できなかっただけの話だ。そういう意味では、本作の評価は極めて低い。ただ、本作を好むような人は、誰もハードコアなSFなど望んでいないだろうから、それっぽい謎を提示した時点で十分に役目は果たしたということなのだろう。現代人が求めている物は、結果でも過程でもなく、耳触りの良い言葉で気持ち良くさせてくれる「やってる感」だけなのだから。

・総論


 売れ筋を集めたら、そりゃ売れるよねという話。ただ、第二・第三の『けものフレンズ』がすぐに生まれるかと言うと難しい。やはり、監督・スタッフの卓越したセンスがあってこその本作なのは、認めざるを得ないところだ。

星:☆☆☆(3個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:56 |  ☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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