『けものフレンズ』

売れ筋。

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けものフレンズ (アニメ) - Wikipedia
けものフレンズとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2017年冬けものフレンズプロジェクト制作・ネクソン開発のスマホゲーム『けものフレンズ』のテレビアニメ化作品。全十二話。総監督は吉崎観音。監督はたつき。アニメーション制作はヤオヨロズ。擬人化された動物達が暮らす謎のサファリパークに迷い込んだ一人の少女が、自分のルーツを知るために冒険するSFアドベンチャー。本項では放送終了後に発生した監督降板騒動に関しては一切言及しない。

・概要


 言わずと知れた大人気アニメである。人気があるということは売り上げが凄いということである。どの分野にも共通して言えることだが、この手の人気作は、売れた理由が分かり易い物と、なぜ売れたのかさっぱり分からない物に大きく二分される。本作は後者だ。一見すると、どこにでもある擬人化美少女が多数登場する日常系の萌えアニメであり、目立った特徴は何もない。だが、じっくり観察していくと、幾つもの隠れた「売れ筋」が見えてくるだろう。具体的なキーワードを挙げると、「優しい世界」「異世界転生」「SF」の三つである。

 さて、キーワードを一つずつ見ていく前に、不要かもしれないが、本作の概要を簡単に記しておこう。物語の舞台は「ジャパリパーク」と呼ばれる謎のサファリパーク。そこに一人の少女が迷い込む。彼女には記憶がなく、自分が何の動物なのかも分からない。そんな少女の前に一人の擬人化された雌のサーバルキャットが現れる。彼女は自分達擬人化動物のことを「フレンズ」と呼称し、少女を外見的特徴から「かばんちゃん」と命名する。そして、かばんちゃんが何のフレンズであるかを確かめるために、パークの情報が残されているという図書館を目指して共に旅立つ、といったストーリーである。ここからも分かる通り、本作のベースになっているのは、『おかあさんといっしょ』や『ひらけ!ポンキッキ』などで見られる幼児向け学習アニメである。実際、用語をひらがな表記で統一したり、登場人物が擬音語を多用したり、動物の紹介動画を挿入したりとかなり意図した演出が行われている。もちろん、視聴者ターゲットは中高生以上の「大人」であるため、あくまで「幼児向け風」でしかない。基本的にはパロディーがメインであり、登場人物が全て美少女という下劣な欲望によって作られた作品だ。ところが、何かを勘違いした人々が本作を平日の早朝に再放送するという暴挙に出て、当然、子供達は全く興味を示さずに大コケした。その事実が示すことは、深夜アニメは深夜アニメの文法に沿って作られているに過ぎず、万人を惹き付ける力はないということと、アニメファンの精神年齢は下手したら子供よりも低いということである。冷静に考えると、子供が興味を示さない幼児向けアニメに熱中する大人の集団という構図は非常に不気味であり、何かが間違っていると言わざるを得ない。

・優しい世界


 はっきり言って、本作のアニメーション作品としての完成度は低い。キャラクターの3Dモデルはお世辞にも出来が良いと言えず、人形劇に毛が生えたレベル。3Dであるがゆえに、背景やコンテ、レイアウトは全体的に低品質。声優の演技は一本調子で耳障り。シナリオも幼児向け。と、商業作品として客からお金を取るには、少々戸惑いを覚えるほどのダメっぷりである。ただ、よくある低予算クソアニメと違うのは、決して「手抜きではない」ということだ。スタッフは与えられた材料と予算を駆使して、できる限りの力で一生懸命作っている。その熱意が十分に伝わってくるからこそ、作品の欠点も許容できる。むしろ、手作り感満載の作品であるからこそ、視聴者は作品やスタッフに親近感を覚え、応援したくなる。こう聞くと思い出すのは、それはもう『侵略!イカ娘』である。あちらも全体的に締まりのない間の抜けた作品だったが、その何とも言えない絶妙なダメさ加減が独特の柔らかい作風を生み、多くの視聴者に愛された。本作もそんなイカ娘の系譜を継ぐ者の一つである。

 また、『侵略!イカ娘』同様、本作には悪人が一人も出てこない。フレンズ達は皆、純粋で無邪気、他人を傷付けたり馬鹿にしたりするような言動は一切行わない。明らかに余所者である主人公を優しく迎え入れたかと思うと、当たり前のように彼女の悩みを手助けする。「けものはいても、のけものはいない」とOP曲の歌詞で訴えているように、多様性を認めてお互いを尊重し合うというリベラリストの理想郷のような空間である。そういった弱者を無条件で受け入れる「優しい世界」が、日常生活で迫害を受けて孤立している人々の心を癒し、確固たる居場所を与えてあげた、言い換えると、厳しい現実に鬱屈した人々の自己承認欲求を満たしてあげたからこそ、本作はこれだけの作品になれたと言うことができるであろう。

 こういったリラクゼーション施設のような温い娯楽作品はいつの世にも存在するので、それ自体は決して悪いことではないが、アニメ業界に限るとゼロ年代の後半辺りから急激に増加し、今や大半の作品がそうなっている。かなりの異常事態である。その理由として、現実が過酷過ぎてアニメファンが自己承認欲求を果たせなくなっているのか、もしくはアニメファンの自己承認欲求が肥大化し過ぎて現実の許容量をオーバーしてしまったのかは、意見の分かれるところだ。災害や政治などの社会不安に原因を求めるなら前者、ITやSNSの発達に原因を求めるなら後者になるが、おそらく両者が重なり合った結果といったところが真相なのだろう。

・異世界転生


 続いて、「異世界転生」である。異世界転生とは、何の取り柄もない平凡な主人公が異世界で生まれ変わって大活躍する作品の総称であり、近年、人気急上昇中のジャンルである。この分野において最も重要なポイントは、異世界人の文化・文明レベルが現代人と比べて著しく低いことだ。そうすることによって、現実世界では普通、もしくは普通以下の人間でしかない主人公が異世界では無類の天才扱いになり、持って生まれたチート級の能力を用いて無双することができるようになる。主人公は現地の人間に凄い凄いと称賛されて英雄になり、彼に自分を投影した視聴者は自己顕示欲を充足させる。もちろん、それは子供相手に大人がケンカで勝つような恥ずべき行為であり、ポルノを見て自分自身を慰めるのと何ら変わりない。しかし、現実世界で自己顕示欲を満たせない人は、妄想の世界に身を委ねるしかなく、そういった人々がルサンチマンを溜めている間は、いつまでも異世界転生物は作られ続けるのだろう。

 そして、本作もそんな異世界転生物の一つである。主人公のかばんちゃんは、擬人化された動物しかいないこの世界における唯一の人間である。思慮深い彼女は困難に直面した際、問題解決のための様々なアイデアを提供する。とは言え、それらは人間の世界では小学生でもできるような他愛もない行為(紙飛行機を飛ばしたり、地面に絵を描いたりする等)に過ぎない。しかし、動物並みの知能しか持たないフレンズ達は、そんな主人公のアイデアに衝撃を受けて「すごーい」と絶賛し、人間の知恵を褒め称える。その結果、人間凄い=俺凄いとなり、視聴者は自分自身のプライドを満足させるわけである。しかも、本作のフレンズ達は、なぜか全員が可愛らしい女性。これでは、もう体のいいコスプレキャバクラと何も変わりがない。

 さらに注目すべきは、上述した「優しい世界」との矛盾である。フレンズ達は主人公を対等の関係として迎え入れ、視聴者の自己承認欲求を満たしている。だが、返す刀で視聴者はフレンズ達を見下し、優越感を得ることで自己顕示欲を充足させている。両者は完全に相反しており、言うなれば、リベラルな思想とコンサバな思想が一つの作品の中に同居している状態である。この「差別されたくないけど、差別したい」という精神的矛盾は、アニメファンに、いや、現代人に幅広く見られる現象であり、ある種の現代病と呼んでも構わない段階にまで達している。それゆえ、本作は現代社会が抱える病理を鋭く風刺した社会派アニメと言うことができるだろう。

・SF


 最後のキーワードは「SF」である。人気アニメの中でも、特に傑作と呼ばれる作品は、多かれ少なかれ必ずSF的な要素を含んでいる。例えば、『涼宮ハルヒの憂鬱』『魔法少女まどか☆マギカ』『進撃の巨人』などが、まさにその代表格だ。いずれも見た目は平凡なファンタジーでありながら、その背後にロジカルなSFが控えていることでストーリーに多くの謎が生まれ、それが視聴者の知的好奇心を刺激して視聴意欲を掻き立てる。そして、その謎をアニメファン同士で話し合うことにより、さらにコミュニティが活性化する。結果、皆の記憶に強く刻まれるという算段だ。

 本作も同様である。一見するとただの幼児向け学習アニメだが、よく見ると序盤から物語の節々にSFめいた謎が数多く散りばめられていることに気付くだろう。サンドスター、火山の噴火、図書館、セルリアン、ラッキービースト、じゃぱりまん、フレンズ化などなど。それらは全てこの「優しい世界」において異質なノイズである。なぜ、このような物が世界に存在するのか、その違和感・不安感が視聴者を惹き付け、さらなる謎に向かわせる。フレンズ達はどうして生まれたのか。人間はどこに行ったのか。パークの外はどうなっているのか。そういった含みを持たせることで、本作はただの日常系アニメにはあり得ない奥深さを作品に与えることに成功している。

 もっとも、いざ蓋を開けてみると、それらのSF的要素はどれもこれも中途半端で単純なギミックであった。ジャパリパークは、人為的に擬人化させた動物を展示したテーマパークという『ジュラシック・パーク』や『猿の惑星』もびっくりのトンデモ遊園地。人間達は異変が発生したのでパークを放棄して島外に避難しただけ。サンドスターが動物やその痕跡に触れるとフレンズ化するという設定に至っては、最早SFでも何でもないただの三流ファンタジーである。そして、最大の謎である「今、世界はどうなっているのか?」は最後の最後まで解き明かされない。「あえて謎を残して視聴者の想像に委ねた」と言えば聞こえはいいが、結局は制作者側が適切な解答を用意できなかっただけの話だ。そういう意味では、本作の評価は極めて低い。ただ、本作を好むような人は、誰もハードコアなSFなど望んでいないだろうから、それっぽい謎を提示した時点で十分に役目は果たしたということなのだろう。現代人が求めている物は、結果でも過程でもなく、耳触りの良い言葉で気持ち良くさせてくれる「やってる感」だけなのだから。

・総論


 売れ筋を集めたら、そりゃ売れるよねという話。ただ、第二・第三の『けものフレンズ』がすぐに生まれるかと言うと難しい。やはり、監督・スタッフの卓越したセンスがあってこその本作なのは、認めざるを得ないところだ。

星:☆☆☆(3個)
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by animentary  at 09:56 |  ☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『極黒のブリュンヒルデ』

奇跡の条件。

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極黒のブリュンヒルデ - Wikipedia
極黒のブリュンヒルデとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2014年。岡本倫著の漫画『極黒のブリュンヒルデ』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は今泉賢一。アニメーション制作はアームス。人為的に作られた超能力者であるヒロインを守るため、高校生の主人公が活躍するダークSFファンタジー。タイトルの読み方は「ごくこくのブリュンヒルデ」。設定こそ違うが、同原作者の手がけた『エルフェンルート』と同じテーマ・同じ世界観を共有しており、姉妹作と呼んでもいい作品である。

・キャラクター


 本作の欠点、それはお世辞にも上質とは言い難い作画と脚本、そして、演出にある。全般的に映像のクォリティが低いせいで、シリアスなシーンのはずなのに思わず吹き出してしまうようなコミカルシーンに変化するという残念な事態が頻発する。第一話を例に挙げると、プールの排水溝にクラスメイトが吸い込まれるシーンや、土砂崩れに主人公が飲み込まれそうになるシーンなど。いずれも生命の危険に晒される白熱したシーンのはずだが、緊迫感の欠片もなく喜劇かコントとしか思えない。ハプニングが突然なのは当たり前だが、その前兆や予兆の描き方が演出的に稚拙なせいで、唐突感が過分なのだ。他にも、知り合ったばかりのヒロインといきなり腕相撲を始めるという謎のシーンも存在する。また、主人公を筆頭に登場人物のモノローグが異常なほど多い。キャラクターの細やかな仕草や表情で感情を伝えるということをせず、設定や状況説明までも全てを台詞で語ってしまう。そのため、全体的に展開が早めである。
 こう書くと、どれほどまでのクソアニメかとワクワクする方もいらっしゃるかと思うが、大変申し訳ないが本作はそういった部類には当てはまらないと考える。もちろん、そう受け取る人もいるだろうし、その感覚を否定するつもりはないが、これらの欠点を覆すほどの良点も本作は有しているからだ。それは登場人物の心情が十分に理解できることである。特に主人公は非常に優秀な人間であり、極めて論理的で思慮深い。何らかの不測の事態に出くわすと、とにかく考えるだけ考えて、今できることの中から最善の手段を選ぼうとする。そのため、思想と行動に一貫性があり、人間的に信用できる。他の深夜アニメだと、そもそも考えていなかったり、考える振りだけして行動は支離滅裂といった人間が多い中、本作の主人公は異色である。他のキャラクターにしても、なぜそのような考えを持つに至ったかの過程が十分に描かれているため、主人公同様に共感できる。この辺りは現実の対人関係と同じだ。キャラクターを近くに住む隣人として信用できなければ、共感することもできないし自分自身を重ね合わせることもできない。そうすると、物語自体もつまらない物になってしまう。結局、アニメにとってキャラクターの人間性こそが命なのであろう。作画や演出などその添え物に過ぎないということだ。

・ストーリー


 本作の主人公は天文部に所属する高校生。ライトワンスという一度覚えた記憶を絶対に失わない特殊能力を持っている。そのおかげで学年トップの成績を維持しているが、それは同時に幼馴染の死に関与したという十年前のつらい記憶が一生消えないことも意味していた。そんなある日、彼は一人の転校生の少女に命を救われる。十年前の幼馴染みとそっくりな彼女は、自らを施設から逃げ出してきた「魔法使い」だと名乗った。魔法使いとは、謎の研究機関によって人為的に生み出された超能力者のこと。超人的な能力を持っているが、ある特殊な薬を服用し続けないと体中から血を吹き出して死んでしまう。しかし、彼女達の手持ちの薬は数日分しか残されていなかった……。
 本作の趣旨は、自らの意志とは関係なく魔法使いにさせられてしまった可哀想な少女達をどうすれば救済することができるかである。彼女達の命は残り数日。すでに覚悟を決め、自分自身の幕引きを始めている。それを知った我らが主人公は立ち上がる。まず、彼女達の生活を支援し、薬を手に入れるために製造工場へ侵入する。それで思うような効果が挙げられないと、今度は親戚の科学者に頼んで薬を分析してもらい、薬の複製に尽力する。その間、追っ手の魔法使いから彼女達を守るために奔走する。これらを持ち前の頭脳とバイタリティを武器に、時には命の危険を顧みず体を張って実行する。いわゆる深夜アニメが大好きな「自己犠牲」だが、これがただの正義感や同情心による物だったらリアリティに欠けるし、ストーリー的にも面白くない。しかし、彼にはヒロインに命を助けられたという感謝の気持ちがあり、彼女が十年前の幼馴染みであったらいいという個人的な感情もある。何より、彼にはかつて幼馴染みを助けられなかったというライトワンスによって決して拭えない強い負い目がある。そのため、主人公の感情に共感でき、話の流れに説得力が生まれるのである。
 特筆すべきは、本作はヒロイン達の寿命を決める薬の扱い方が格別に上手いことだろう。薬の残り数がすなわちタイムリミットであるため、常に画面内に緊張感が満ちている。工場で薬を手に入れたところで、寿命が数日伸びるだけ。薬の複製ができるかできないかで一喜一憂する様は、まさにサスペンスドラマの醍醐味だ。最終的に「今を生きる」という結論に辿り着くのも理に適っており、本作は設定とストーリーとテーマが高いレベルで一体化している好例と言えよう。

・終盤


 そうして、幾つもの出会いと別れを経て辿り着いた第十一話。ヒロインを抹殺するために最強の刺客が動き出し、ストーリーが最終章に突入すると、本作は俄然と盛り上がる。と同時に、展開が急激に加速する。新キャラクターや新事実が怒涛のように押し寄せ、次から次へと場面が切り替わる。視聴者の理解が追い付かないほどに。元々、全十八巻にも及ぶ長編漫画をたったの十三話に無理やり落とし込んでいるのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが、もう少し丁寧に描けなかったのだろうか。例えば、ヒロインが本当に生き別れの幼馴染みだったという作品の根底を成す大きな謎が、パーティー中に飲み物をこぼすというとんでもなく些細な出来事により発覚したり、ずっと謎だった敵の秘密研究所がネット検索であっさりと見つかったりする。終盤のストーリーも、さらわれた仲間を助けるために敵の本拠地に乗り込んで決戦するというように大幅に簡略化され、なぜかそこに待ち構えている敵が一人しかいなかったり、ラスボスを倒すと全ての事件が解決したりする等々、やっつけ仕事感が甚だしい。前半の貯金があるから何とか許されているが、ここだけ見ると致命的な駄作扱いされても文句は言えまい。少なくとも、急に出てきて重要な役割を担ったレジスタンス組織の内情はもっと深く掘り下げるべきだっただろう。ちなみに、原作ではちゃんとレジスタンスと主人公が事前に接触するシーンが存在するため、アニメ版ほどの唐突感はない。
 もっとも、これだけの高速展開へ移行しておきながら、ストーリー的な矛盾点がほとんどない点は評価に値する。例えば、ヒロインは最強の刺客に唯一対抗できる力を持っているという設定、レジスタンスが突然主人公達の所へ現れた設定、全身不随の仲間が実は動こうと思えば動けるという設定、これらは一見見過ごしがちだが、全て劇中で伏線が用意されている。また、再生の能力を持つ魔法使いを上手く使うことによってサスペンス感を醸成している。よって、俗に言う超展開とは一線を画しており、脚本家の頑張りは称賛すべきだ。まぁ、そんなに大変な苦労をするぐらいなら、最初から2クールにしておけということだし、そもそもなぜアニメ化したのかという話なのだが。

・エルフェンリート


 冒頭にも書いた通り、本作は『エルフェンリート』と世界観を共有した姉妹作のような作品である。具体的に言うと、本人の意思とは無関係に超人的な能力を身に付けた少女達、暗躍する秘密研究組織、命を蔑ろにした非人道的な人体実験、主人公とヒロインの過去の邂逅、身体切断などのグロテスクな描写の数々、画面を染める大量の鮮血、文脈を無視してまで挿入されたセクシャルなシーン等々。テーマ的にも、人工的に作られた超能力者が温かい愛情を欲すという正統派の人造人間譚と共通点が非常に多い。また、捻くれた見方をするなら、それらは全て綺麗事で本当は可愛い女の子が苦しんでいる様を見たいだけなのではないかという疑問点も同じだ。
 ただし、アニメ版を見比べてみると、両者はよく似ているようでかなりの違いがある。その中でも一番の相違点は、後発であるこの『極黒のブリュンヒルデ』の方が、より「希望」に満ち溢れていることであろう。『エルフェンリート』の主人公がただ事件に巻き込まれて右往左往するだけの置き物なのと違い、本作の主人公は残酷な現実を良しとせず、自らの手で運命を変えようと奔走する。タイムリミットまで後一週間という状況でも、最後まで希望を失わない。そんな彼の姿を見て、自分達の運命を受け入れようとしていた魔法使い達も徐々に前向きになり、笑顔を取り戻す。それは何事にも代えがたいことだ。そして、最終回、薬の複製法に劇的な発見があり、量産が可能になって彼女達の命が救われる。SF的に考えると、かなりのご都合主義だ。いわゆる安っぽい「奇跡」であり、今まで積み重ねてきた科学的な描写を全て無駄にしてしまう。だが、奇跡は僅かな希望を信じて努力を続けてきた者にこそ訪れる。それゆえ、彼らには非科学的な奇跡を受領する資格がある。
 前述のように、本作はアニメーションとしての質は低い。終盤はクソアニメと誹られても仕方ない出来栄えだし、可愛い女の子が苦しんでいるのを見て悦に入っているだけという批判もある。ただ、本作と『エルフェンリート』のどちらを他人に薦めるかと言われると、間違いなく本作である。フィクションである以上、少しぐらいはこの残酷な現実に希望があってもいいはずだ。そう願いたい。

・総論


 主人公が魅力的であるかどうかが、作品の評価を決定するバロメータになるということ。他が酷くても、そこさえしっかりしていれば、まぁ何とかなる。

星:☆☆☆(3個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 13:18 |  ☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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