『メイドインアビス』

冒険。

公式サイト
メイドインアビス - Wikipedia
メイドインアビスとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2017年夏。つくしあきひと著の漫画『メイドインアビス』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は小島正幸。アニメーション制作はキネマシトラス。探窟家見習いの少女と機械の少年が巨大な穴の底を目指して旅に出る冒険ファンタジー。一見すると、ほのぼのとした少年向けアニメだが、ビデオメディアのレーティングはPG12(小学生以下の鑑賞には不適切)である。

・冒険物語


 人は皆、誰しもが未知なる物の正体を知りたいと思う「好奇心」を持っている。それゆえ、見知らぬ土地に立ち向かう人間の知恵と勇気を描いた「冒険物語」に心を躍らせる。ジュール・ヴェルヌ著の『海底二万里』、ロバート・ルイス・スティーヴンソン著の『宝島』、ダニエル・デフォー著の『ロビンソン・クルーソー』といった人々の好奇心を掻き立てる名作冒険小説は、時代を超えて老若男女に愛されている。そして、本作もそんな冒険物語の意思を継いだ名作漫画を、上質の作画と丁寧な演出と迫力のある音響でアニメ化した作品である。

 本作の最大の特徴は、冒険の舞台を絶海の孤島に開いた正体不明の巨大な縦穴「アビス」にしていることである。この時点で本作は勝利を約束された作品である。なぜなら、穴はジャングルや海底や宇宙にはない特別な性質を持っているからだ。それは「見えているはずなのに見えない」ことである。縦穴は、途中で捻じ曲がっていない限り、入り口から奥底を見ることができる。しかし、実際は光の加減により、暗闇に覆われて奥底を見ることができない。すると、人間はマイナスの想像力が働いて、深淵に恐ろしい光景を思い浮かべる。未知なる植物が生え揃い、凶暴なモンスターが蠢き、死の呪いにより一度入ったら出てこられない。また、底には悪魔が住んでいて、こちらの様子をじっと覗いている。それはとてつもない恐怖である。そのため、深い穴はしばしば人間の心のメタファーとして使われる。本作は、己の中の好奇心に突き動かされて、そんな穴の最奥に挑もうとする命知らずの職業「探窟家」をフィーチャーしている。

 主人公は十二歳の少女。母親は世界でも屈指の探窟家だったが、アビス内で発生した事故により行方不明になっていた。そのため、彼女は探窟家を養成する孤児院に引き取られ、日々厳しい訓練を受けていた。そんなある日のこと、アビスの浅層を調査中、彼女は一人の機械少年と出会う。なぜか記憶を失っていたが、どう考えてもアビスの深淵からやってきたとしか思えない機械少年を、主人公は自分の部屋にかくまう。ちょうどその時、アビス内で母親の残したメッセージが発見される。「奈落の底で待つ」という母親の言葉に何かを感じた主人公は、機械少年と共にアビスへ旅立つ決心をする。しかし、アビスはそんなに生易しい場所ではない。その最大の要因が「上昇負荷」。降りる分には問題ないが、少しでも上に登ろう物なら、俗に「アビスの呪い」と称される謎の力によって身体的・精神的に大きなダメージを食らう。それはすなわち、一度足を踏み入れると二度と生きて帰れないことを意味する。はたして、二人の旅はどのような結末を迎えるのだろうか?

・動機


 これらの概要を見るだけでも分かる通り、本作は非常に完成度の高いアニメである。実際、批評サイト等では満点に近い評価を与えていることが多い。だが、決して欠点がないわけではない。むしろ、「ここをこうしていたら、歴史的な名作になれたのに」と思う点が多く、ある種の無念さを強く感じさせる作品になってしまっている。

 本作の一番の欠点は、「主人公がアビスの底を目指す動機が弱い」ことである。彼女を動かしているのは、深淵を見たいという好奇心と母親の残したメッセージと記憶喪失の機械少年の三つ。これだけ見ると、少年向け冒険物語の主人公の動機としては十分だが、本作には他の作品と大きく異なる点がある。それは「主人公が探窟家になるための正式な訓練を受けている」ことである。他の作品だと、好奇心旺盛な少年が何も知らずに己の感情のままに行動し、深く足を突っ込んでからその恐ろしさを知るというパターンが多い。一方、本作の主人公は、まだ見習いの段階だが、孤児院でアビスに関する教育を受け、指導員監視の下に実地訓練も行っている。つまり、アビスがどれほど恐ろしく、二度と生きて帰って来られない危険な場所であるかをよく知っており、さらに所属する組織のルールとしてアビスに潜ることを明確に禁じられているのである。こういった複数の障害を乗り越えてまでアビスに向かわせる理由として、上記の三つは弱い。一応、主人公は後先を考えない無鉄砲な性格だという設定になっているが、それでも好奇心と自分の命を天秤にかけている状況は違和感が大きく、実際の劇中の描写も今から死出の旅に出るという悲壮感が少ない。いくら十二歳の子供とは言え、もう少し生きるか死ぬかの葛藤があっても良かったのではないか。

 この違和感を解消するためには、やはり動機の方を強めるしかない。すなわち、命を賭してまで主人公をアビスの深淵に向かわせるに値する何らかの強い理由だ。一番簡単な例を挙げると、母親からのメッセージを「助けて」といった単純なSOSに変更する。そうすれば、母親を助けるためにアビスへ行くという大義名分ができ、視聴者側も素直に主人公を応援することができる。また、呪いか病気で、底に行かなければ主人公は死んでしまうとするのもいい。ただし、それだとストーリーが大きく変貌し、好奇心ではなく義務感の物語になってしまうため、冒険物語としての良さが半減してしまう。わざわざ、子供を主人公にする意味もない。

 さすがに、この状況は作者も不味いと思ったのか、旅の途中で主人公がアビスに向かわざるを得ないある理由を後付けで挿入しているのだが、やはり蛇足感が否めない。結局のところ、この問題の原因を突き詰めると、事前にアビスの恐ろしさを描き過ぎたということになる。つまり、王道を外すことの難しさであり、いつものことながら冒険物語のテンプレートが如何に良くできているかを再確認する。

・絶望感


 続いての欠点は、全体的に「絶望感が足りない」ことである。もちろん、アビスの恐ろしさはこれでもかと子細に描いている。上昇負荷の影響で、少し高度を上げるだけで心身共に大きなダメージを受ける。凶暴な巨大モンスターが周囲を飛び回り、幾度となく危険な目に遭う。アビスで出会う人間は皆、心に暗い闇を抱えている。第十話では、モンスターから受けた毒と上昇負荷により主人公が生死の境を彷徨い、かなり痛々しいグロテスクな治療シーンが描かれる。だが、これだけやっても、作品全体にどこかお気楽な雰囲気が漂っている。どんな困難に襲われても、「ここさえ切り抜けたら一息つける」という安心感があり、本当の意味でのアビスの恐ろしさは感じられない。それは、アビスを人間の心のメタファーとして使用したい本作の意図するところではないはずだ。

 なぜ、そうなっているかというと、「主人公のパラメータが減ってない」からである。分かり易くビデオゲーム的な表現をしたが、要は出発した時から所持品や体力などがほとんど減っておらず、経験値や仲間はむしろ増えているということである。だが、本当の絶望感を描こうと思ったら、冒険の過程でこれらのパラメータを徐々に減らして行かなければならない。例えば、出発した時には大勢いた仲間が、旅の途中で客死して少しずつ減っていく。水や食料が足りなくなって、飢えとの戦いになる。呪いで少しずつ体が蝕まれていき、歩くのがやっとになる。そういった物質的なリソース以外でも、単純にタイムリミットまでに残された時間がどんどん減っていくというのもいい。とにかく、先に進むごとに主人公を取り囲む状況が悪化しなければ、真の絶望感は得られない。先に進むと必ず地獄が待っている。しかし、後戻りはできないため、命がけで前進するしかない。その心理的な圧迫感が生み出す恐怖は、上昇負荷や巨大モンスターの比ではないだろう。つまり、真に恐ろしいのは人間の想像力だということである。

 名作と言われる作品は、こういった精神的な絶望感の使い方が上手い。映画『八甲田山』などはまぁ極端な例だが、子供向けアニメに限っても、例えば『ドラえもん のび太の大魔境』は、このスキームを巧みに利用して話を盛り上げている。便利な秘密道具のほとんどが使えなくなり、アフリカの秘境に取り残される。だが、戻ることはできないので、目的地を目指して自分の足で少しずつ進むしかない。こういった不安感を上手く揺さぶれば、流血シーンなど描かなくても冒険のスリルを演出することができる。この辺りは単純に作り手のセンスの差だ。残念ながら、本作は深夜アニメの中では優秀でも、大御所達の作品とはまだまだ差があると言わざるを得ない。

・映像作品


 毒と上昇負荷で瀕死の重傷を負った主人公を救ってくれたのは、一人のケモノ少女だった。彼女は元々人間で、ある理由により体質が変化し、それ以来ずっとアビスに住んでいた。彼女の語るところによると、孤児だった彼女は、探窟家になれるという甘い言葉に騙されて非人道的な人体実験の被験者になり、友達と一緒にアビスの上昇負荷を受ける。その結果、彼女はケモノ少女に、友達は不死の化け物になってしまったのだという。その後、機械少年の持つビーム兵器の威力を見た彼女は、彼に頼む。その武器で友達を殺してくれと。

 またかよ……。例の如く、『新世紀エヴァンゲリオン』-『最終兵器彼女』-『エルフェンリート』の流れで育まれた「子供をとことんまで酷い目に合わせる」パターンである。子供が傷付き苦しんでいる様を見て現実の理不尽さを再認識し、彼らの不幸な境遇に同情して涙を流す。それをシリアスだと言い張り、質が高いとうそぶく。はっきり言って、カスである。ストーリー的に彼らが子供である必要性は全くない。ただ、純粋無垢な子供が苦しめば、より事が重大そうに見えるだけだ。つまり、作り手の勝手な都合である。こう書くと、表現の自由の行使だとの反論が返ってくるだろうが、では、漫画やアニメ以外のメディアに、「騙されて人体実験の被験者になり、不死の怪物と化した子供を、その友達に頼まれて主人公が殺す」などというストーリーの作品があるのかということである。やたらと人権問題にうるさいハリウッドで、こんなシナリオを脚本家が持ってくれば、彼にもう次の仕事は来ない。なぜなら、ハリウッドはエンターテインメント業界のトップである矜持があるからだ。よく日本のアニメが海外で人気と言うが、ただ単に規制が緩くて他のメディアでは禁じられたことを平気でやっているから、マニアックな好事家が評価しているだけという側面があることを忘れてはならない。

 勘違いされると困るが、別にこういう設定自体が悪いわけではない。要は描き方の問題である。例えば、映画『魔女の宅急便』では、主人公が初潮を迎えたことで魔法を使えなくなる。だが、そんな描写は映画のどこにもない。何気ない所作や会話の中にそれとなく匂わせているだけだ。良き映像作品とはそういう物ではないか。登場人物に回想シーンで過去をペラペラと語らせるだけなら、素人監督でもできる。本作がよくできたアニメーションであるだけに、こういった映像作品としての詰めの甘さに対して非常にもったいなさを覚える。

・総論


 上記の諸問題により、星9個ではなく星8個とする。ただ、個人的な感想では、出発前の第一話が本作のピーク。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
スポンサーサイト
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:55 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『黄昏乙女×アムネジア』

ホラー×恋愛。

公式サイト(消滅)
黄昏乙女×アムネジア - Wikipedia
黄昏乙女×アムネジアとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年春めいびい著の漫画『黄昏乙女×アムネジア』のテレビアニメ化作品。全十二話+未放送一話。監督は大沼心。アニメーション制作はSILVER LINK.。過去の記憶をなくした学校の幽霊と彼女の魅力に取り憑かれた男子中学生の恋愛模様を描いたホラーコメディー。アムネジアとは記憶障害の意であり、本作全体の重要なキーワードになっている。

・演出


 本作の基本設定はかなり王道である。いや、むしろ平凡と言ってもいいだろう。主人公は内気な男子中学生。ある日、いわくつきの旧校舎を一人で探索していると、学校の怪談として数々の逸話を残している「夕子さん」と呼ばれる美しい女性幽霊と遭遇する。だが、主人公は恐怖よりもその美貌に目を奪われてしまう。一方、幽霊も主人公のことを気に入り、何かにおいてベタベタと付きまとう。まるで恋人同士のように楽しい日々を過ごす二人。周囲の人は心配する。もしかすると、彼は悪霊に取り憑かれているのではないか、と。このような感じで、怪談としては非常にスタンダードであり、学園アニメの夏休み回のサブシナリオなどでよく見られるパターンだ。本作は、そういった普通なら一・二話で終わるようなショートエピソードを、全十二話かけてじっくりと描いた作品である。

 さて、具体的なストーリーに入る前に、まずは演出について触れなければなるまい。本作はホラーがメインであるため、非常に奇抜な演出を用いることによって恐怖感を助勢している。光と闇のコントラストを強調し、赤やオレンジなどのビビットな色彩を大胆に配置し、歪んだレイアウトを多用し、タッチの異なるイラストを随時挿入し、シルエットやシャッター演出を効果的に使う。こうして、見ている者の不安感を掻き立てて、ホラーアニメとしてのクオリティを一段と高めている。特筆すべきは、こういった特殊な演出を用いると得てして紙芝居風になりがちだが、本作の場合はちゃんと映画の文法に基づいた映像作品になっている点だ。しっかりと映像の原則を守りつつ、アニメーションができるギリギリの表現を攻めている。この辺りのバランス感覚は実に見事である。

 もっとも、長所は同時に短所でもある。ホラーの部分や、ホラーを模倣したコメディーの部分は上記の演出が効果的なのだが、それ以外の日常描写や恋愛描写ではかえって足枷になってしまっている点が多々ある。正直なところ、本作の魅力の大半はメインヒロインである夕子さんの魅力に負っているわけで、どこまで作品をホラーに寄せるかは難しいポイントである。個人的な意見を書くと、ホラーに振り切ってしまった方が本作は何倍も高品質になったと思うが、そんな原作ではそもそもアニメ化されなかっただろう。そう考えると、何とも歯がゆい作品である。

・サブキャラクター


 本作の序盤は、学校の怪談にまつわる怪異現象を調査しつつ、ヒロインの夕子さんが主人公を誘惑してイチャイチャするシーンを延々と描くという如何にも萌えアニメらしい展開が繰り返される。こう書くと非常に軽薄なアニメに見えるが、本作は二人のサブキャラクターを上手く使うことで、そういった下品さを適度に緩和している。この辺りがストーリーを中心にして作られたアニメの良さであり、キャラクター先行のハーレムアニメとの違いである。

 一人は小此木ももえ。彼女は、ヒロインが自身の失われた記憶を探し出すために設立した「怪異調査部」の最初の新入部員である。根っからのオカルト好きで天真爛漫な性格の彼女は、主人公の霊媒師としての能力(小此木を騙して、ヒロインの存在を誤魔化すための嘘)に憧れを抱き、同時にほのかな恋心のような感情を持つようになる。つまり、主人公・ヒロイン・小此木の三角関係になっているということだが、一つだけ普通とは言い難い点があった。それは、何の霊感もない彼女は幽霊を見ることができないという点だ。すると、三角関係でありながら、恋敵の存在を認知できないという非常に面白い状態になり、恋愛ドラマとしてもコメディーとしても一風変わった楽しさを提供している。そして、その奇妙なシチュエーションが、結果的にヒロインの暴走を食い止める防波堤の役割を果たしている。とは言え、主人公はヒロインに完全に心を奪われており、小此木ももえのことは可愛い部活仲間程度にしか思っていない。そのため、彼女の存在は、目に見えない恋敵の当て馬的役割に過ぎず、非常に可哀想な立場になっている。彼女の眩しい笑顔に涙を禁じ得ない。

 もう一人は庚霧江。彼女はヒロインの妹(現在の学園理事長)の孫娘に当たる女子中学生。親族だからなのか、主人公を除いて唯一、ヒロインの姿を見ることができる人間である。彼女は幽霊に取り憑かれている主人公のことが心配で、怪異調査部に度々顔を出すようになる。非常に理知的な彼女は、主人公とヒロインの特異な関係に対して極めて冷静に対処し、科学や民俗学に基づいた様々なアドバイスを施す。その一方で、女子中学生らしく恋愛にも興味があり、二人の昵懇な間柄に嫉妬と羨望が入り混じった複雑な感情を抱く。親戚である彼女は、よく見るとヒロインと似ていた。しかし、彼女は幽霊であるヒロインに一人の女性として何一つ敵わない。そうやって思い苦しむ彼女は実に人間らしく、人ならぬヒロインとの対比になっている。

・ホラー×恋愛


 第七話。庚霧江がある事実に気付く。常に陽気なヒロインだが、それがあまりにも明る過ぎて不自然ではないかと。今まで彼女が誰かに怒ったり、恨んだり、妬んだりしたのを見たことがない。そこで、霧江は一つの仮説を立て、それを主人公に打ち明ける。ヒロインは過去の記憶を全て失っていると言う。だが、それは記憶を失っているのではなく、六十年前、誰かに殺された時に怒りや恨みといった負の感情を自ら切り離したのではないか。そして、その負の感情は実体化して学園を彷徨っており、それが学校の怪談にも登場し、かつて霧江が目撃した「悪霊」なのではないかと。こうして、本作は一気にサイコサスペンス的な様相を見せ始める。ヒロインは、主人公が小此木と仲良くしているのを見て嫉妬し、無意識の内に主人公を階段から突き落とす。自分の中に芽生えた負の感情を認められなかったヒロインは、次に会った時、主人公の記憶を全て失っていた。その状況に耐えられず、逃げ出す主人公。幽霊と人間が恋愛関係になる方がおかしく、今の状態が本来ではないかと諭す霧江。しかし、主人公のヒロインに対する想いは本物であり、葛藤の末、彼はヒロインに自分の気持ちを打ち明ける。すると、彼女の記憶が全て蘇り、その結果、ヒロインは光と闇、表と裏を併せ持つ普通の人間らしい性格になる。だが、霧江は腑に落ちない。ヒロインが主人公の記憶を失っていた時、その記憶はどこに行っていたのかと。その時、ついに悪霊が姿を現す……。

 このように、本作はホラーという縦軸に恋愛という横軸を上手く組み合わせることによって、高い完成度を誇る作品になっている。ヒロインが無邪気で暗い側面を持たないのは、萌えアニメのテンプレートに則っているからだが、本作はそのお約束を逆手に取り、つらい記憶を捨てたことでそのような性格になったと定義している。すると、主人公には大いなる選択肢が与えられることになる。すなわち、今のヒロインはあくまで仮の姿に過ぎず、本当の彼女は暗い部分も持っている。記憶が戻るとそういった性格まで戻ってしまうが、それでもなお、ヒロインの記憶を戻そうとするのか否か、だ。これはそう簡単に答えを出せる問題ではない。その時、本作は世に名立たる恋愛ドラマ群に肩を並べることになる。深夜アニメで、ここまで真剣に「愛」と向き合った作品はそうないのではないか。

 もっとも、長所は同時に短所でもある。本作が愛と真剣に向き合っているのは事実だが、その答えを真剣に捻り出したとは言い難い。と言うのも、主人公はかなりあっさりとヒロインに愛の告白をするからだ。男子中学生の性欲の前に、ちょっとした恋人の性格の違いなど無意味である。「恋は盲目」という意味ではリアリティがあるのだが、少し残念さが残る。

・エンディング


 第十話以降はアニメ版オリジナルストーリーだが、オリジナルとは思えないぐらいクオリティが高く、本作を全十二話で上手くまとめ上げている。はっきり言って、辞め時を見失って迷走した感のある原作よりも、奇麗に終わっているのではないだろうか。もちろん、尺の都合上、全体的な描写不足は否めない。

 ヒロインの負の感情が具現化した悪霊と接触した主人公は、ヒロインの記憶の中に連れ込まれ、過去の出来事を追体験する。六十年前、ヒロインの暮らす村は原因不明の疫病に襲われていた。村人に犠牲者が続出する中、ついに村の長老は疫病を鎮めるために人柱を立てることを決定する。そこで、ヒロインが世話していた病気の村娘を神様の使いである銅人(あかひと)に祭り上げ、彼女に人身御供の対象を選ばせた。その結果、ふとしたボタンの掛け違いにより、ヒロインが人柱に選ばれてしまう。現在は学園の地下にある祠に閉じ込められるヒロイン。命が消え行く中、彼女は自分を奈落に突き落とした村人や村娘に恨みを募らす。このように、伝記ホラーとしてはオーソドックスだが、非常に胸に突き刺さるエピソードを物語の背景にしている。村人を許したい善人の自分と、許せない悪人の自分、二つの相反する感情がヒロインの中でせめぎ合う。そんな彼女に心を寄せ、支える主人公。そこに新たなる真実が舞い込む。ヒロインが助けた村娘、彼女こそが主人公の祖母だったのだ。それを知ったヒロインは「無駄じゃなかったんだ。私が苦しんだの」と涙する。こうして、ヒロインは自らが作り出した悪霊を自分の中へ取り込むことに成功する。

 最終話。再び平和な日々が学園に舞い戻るが、それは二人の別れを意味していた。なぜなら、恨みが解消された今、幽霊のヒロインが現世に留まる理由が何もなくなってしまったからだ。徐々に消え行くヒロインと、彼女の側に最後まで寄り添う主人公。その後の展開は蛇足感が強く、視聴者によって賛否が分かれるだろうが、ともかく、この複雑な物語を上手く軟着陸させたアニメ版スタッフの頑張りは、素直に称賛されるべきであろう。無理やり1クールで終わらせようとして原作を改変し、結果的に無茶苦茶になる作品は決して少なくないのだから。

・総論


 とんでもなく粗削りであるが、とにかく良い作品を作り上げようというスタッフの気持ちがひしひしと伝わってくる意欲作。決して万人にはお勧めできないが、たまにはこういうのもいい。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:02 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
twitter
検索フォーム
最新記事

全記事一覧
評価別一覧
年代別一覧
掲示板
掲示板2
カテゴリ
リンク
カウンター
RSSリンクの表示



にほんブログ村
PR1
PR2