『あさっての方向。』

斜め上。

公式サイト
あさっての方向。 - Wikipedia
あさっての方向。とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2006年。山田J太著の漫画『あさっての方向。』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は桜美かつし。アニメーション制作はJ.C.STAFF。とある田舎町を舞台に、大人になってしまった少女と子供になってしまった女性が繰り広げる恋愛ファンタジー。設定・キャラクター・ストーリー共に原作とは大きく異なる。

・キャラクター


 本作の主要キャラクターは四人。主人公は五百川からだ。小学六年生の女の子。四年前に両親を事故で亡くし、現在は歳の離れた兄と田舎町で二人暮らし。年齢の割に体が小さいため小学六年生には全く見えず、それが本人にとっても大きなコンプレックスになっている。口調は兄の影響で誰に対しても丁寧語。実は兄とは血が繋がっておらず、自分のせいで赤の他人である兄に「負担をかけている」と考えているため、早く大人になって兄を「自由にさせてあげたい」と思っている。その大人びた考え方からも分かる通り、見た目と違って非常に精神年齢が高く、家事なども普通の大人以上に何でもこなす。ただし、社会的にはまだまだ知識・経験不足なので、そういった点に自己矛盾を抱えている。
 五百川尋。からだの兄(実際は従兄)。ただし、彼女とは血が繋がっていない。かつては海外で薬学を専攻していたエリート研究者だったが、からだの両親の訃報を聞いて帰国し、それ以来、彼女を引き取って育てている。現在は薬局の受付勤務。昔は爽やか系の好青年だったが、かのような事情から自暴自棄になって老成し、今はエロゲー主人公のように前髪で目を隠している。基本的には優しい性格だが、妹に対しても敬語で話すなど、どこか余所余所しくて現実感がない。
 野上椒子。二十四歳。眼鏡の才女。海外留学時に尋と出会って同棲していたが、妹のことで彼が帰国したため、結果的に捨てられた形になった。以来、彼のことを愛しつつも恨んでいたが、環境を変えるために引越しした田舎町で運命的な再会をする。大人の女性らしく冷静沈着なキャリアウーマンだが、家事全般は苦手で生活面は子供のようにだらしない。幼少の頃から根暗でプライドが高く、あまり友達のいない性格。それゆえ、直接、子供になりたいと願っていたわけではないが、子供のように素直になって人生をやり直したいとは思っていた。
 網野徹允。からだのクラスメイト。彼女とは正反対に体が大きく、たまに大学生と間違えられることも。からだに対して片思いしている。良い意味で猪突猛進、自分は何でもできると思っている子供らしい性格。過去、からだとはある約束を交わしていた。
 以上の四人が主要登場人物である。これらの設定を見れば分かる通り、各人のキャラクターが非常にアンバランスでありながら、それが結果的に良いバランスを生んでいる。見た目と性格、社会的な側面と生活的な側面の大きなギャップ。現在と過去の雰囲気の違い。血が繋がっていないとは言え、兄妹なのに敬語で話す。そういった誰が見てもおかしさを覚える違和感を、本作は第一話で十分に描いている。昨今、インパクト重視で導入部を省略してしまう作品が多い中、この慎重さはかえって新鮮である。

・変化


 第一話のラストである不思議な現象が発生し、物語が一気に加速する。街に伝わる「願い石」、その石の力により、五百川からだは大人に、野上椒子は子供になってしまう。兄に負担をかけたくないから、ずっと大人になりたいと願っていたからだ、心のどこかで意地っ張りな自分を直して素直になりたいと思っていた椒子、そんな二人の願いを神様が叶えたのだった。そして、二人の奇妙な一夏の物語が始まる……。
 何という魅力的な設定であろうか。もう、この設定だけでご飯三杯ならぬ、メインストーリーの三本ほどが想像できてしまう。つまり、変化した二人が実生活で様々なトラブルと遭遇する物語、兄と友人が変わり果てた想い人の姿に戸惑う物語、そして、同年代となった兄と妹が禁断の恋に落ちる物語だ。これだけ魅力的な設定が揃っていたら、後は普通に話を進めるだけで魅力的なストーリーになるだろう。その前提をよく理解しているのか、本作の作風を一言で表現すると極めて「丁寧」である。全体的に尺が余り気味なので、かなりゆったりと時が進み、そこで起こったことを全て詳細に描いている。体が変化した二人の苦しみ、当面の生活をするための買い物、行方不明になった妹を探す兄とクラスメイト、二人の変化に気付かない兄、葛藤を経ての事実の告白、そして、その事実をなかなか受け入れられない兄。服やメガネといった小道具一つ取っても、フィクションにありがちな突然の変化は起こらず、入手経路も明確で簡単に入れ替わったりしない。ともすれば、先に先にとストーリーを進めたくなる中で、その気持ちをぐっと堪えて、地に足付いた作品作りを行っている制作スタッフの努力は素直に称賛したい。
 作劇における永遠の命題として、設定が特殊だった場合、同時にストーリーをも特殊にすべきか否かということがある。本作で言うなら、肉体が変化した二人がそれぞれの学校・職場に行って、同僚達とハプニングを起こすという物語でもいいのである。ただ、視聴者側の立場からすると、やはり、見たいのは人々が特殊な状況に巻き込まれた時、どのような事態が発生するかというシミュレーションであろう。肉体変化という非日常的なシチュエーション自体をじっくりと楽しみたいのである。そう考えると、本作のように時系列を一つ一つ描いて行くのがベストである。とは言え、何も起こらないとそれはそれで退屈になるので、ある程度の変化球は必要になり、その辺りのさじ加減に制作者のセンスが問われることになる。

・あさっての方向


 第八話のサブタイトルは、メインタイトルと同じ『あさっての方向』である。その名が示す通り、この回を期にストーリーが明後日の方向へ走り出す。ひょんなことから椒子と尋がかつて恋人同士であると知ったからだは、居た堪れなくなって家を飛び出す。その理由が椒子と尋、そして、視聴者にもいまいち伝わり難く流れが停滞する。後に、からだは自分と兄に血の繋がりがないことを昔から知っていたと告白するのだが、それでもこの家出という行動はかなり突飛である。彼女の慎重な性格を考えると、ちょっとこの展開が想像できない。ただ、よく考えてみると、からだは見た目は大人だが中身は小学六年生なのである。突飛な行動をする方が当たり前なので、彼女の不安定な感情をよく表しているとも言えよう。
 家出したからだは、様々な現実的な困難に直面しながらも、とある海岸沿いのペンションに住み込みで働くことになる。そこで思わぬ活躍を見せるのが、それまで脇役同然のキャラクターであったクラスメイトの網野徹允である。彼は身を粉にしてからだを探し回り、ある偶然も手伝ってついにペンションに辿り着く。その情熱に心打たれたからだは、自分の正体を彼に打ち明けるが、網野はそれを信じられずに衝突する。というように、ほとんど主人公と言っていいぐらいの目覚ましい仕事振りである。一方、主人公だと思われていた尋は、グチグチと悩んだまま最終回近辺まで動かない。この時点で、兄と妹の物語に終始するであろうと思われていた視聴者の予測は、明後日の方向に裏切られる。最終的に、からだと網野は気持ちを確かめ合って和解し、椒子と尋も元の鞘に戻る。
 本作はいわゆる萌えアニメに該当する作品であるが、他の同ジャンルの作品と比べるとかなり異質な雰囲気を保っている。それは、ゆったりとした空気感だとか美しい美術・音楽だとかだけではなく、萌えアニメが有している「常識」に真っ向から反しているからであろう。からだにとって「大人になる」ということは、誰にも負担をかけずに自分の力で生き抜くこと、つまり、「自立」である。それゆえ、家から飛び出して一人で世間の荒波に立ち向かい、それを他のキャラクターが呼び戻そうとするのが本作の筋である。一般的な萌えアニメだと、ヒロインに困難が訪れるのは同じでも、彼女達は内に閉じ籠って、それを主人公が解放するというパターンを取る。完全に逆である。この無意識的なパターン破りこそが本作の独自性を生んでおり、名作と呼ばれる素地を作り出している。

・原作との相違


 冒頭で書いた通り、原作とアニメ版とは大きな相違点がある。同じなのはキャラクターの名前と容姿、後はヒロイン二人の肉体が変化するという点ぐらいなので、ほぼ別作品と呼んでも過言ではない。逆に言うと、どこが変更されているかを詳しく調べることで、アニメ版スタッフが本当に訴えたかったことが透けて見えるだろう。
 一番の大きな違いはストーリーである。原作では、どうやって元の身体に戻るかという伝奇ミステリー的な面に重きが置かれており、特に終盤はかなりファンタジーストーリーへとシフトする。よって、肉体変化に対する主人公達の心理描写は深く描かれず、からだが網野に自分の正体を明かすタイミングも随分と早い。何より、家出するという展開自体がない。一方、アニメ版は男女四人の複雑に絡み合った感情面に重きが置かれ、それまでアンバランスに安定していたバランスを正しい姿へと戻すことが主題になっている。ファンタジックな側面もないことはないが、その辺りは専用のオリジナルキャラクターを用いることであっさりと処理している。さて、そのどちらが優れているかだが、1クール全十二話で完結した物語として見ると、これはもう圧倒的にアニメ版である。肉体変化はあくまで舞台装置に過ぎず、人々の積極的な行動によって事態を変化させる。つまり、本作はアニメという媒体を通じて、ありのままの「人間」を描こうとしているのである。その強い意志を我々は変更箇所から読み取ることができるだろう。
 もう一つの大きな違いは、尋のキャラクターである。原作ではアニメ版以上にいい加減でやさぐれた人物として描かれている。いなくなった妹を心配する描写も少なく、変化した二人をかなりあっさりと受け入れている。それは性格が悪いというよりも、どこか人格が欠落した人間かのような印象を覚える。実は過去設定にも大きな違いがあり、それはアニメ版より何倍もハードなので、そういった事情があるなら納得できなくもない。一方、アニメ版の尋は、一言で言うと「善人の振りをしたダメ人間」である。椒子との確執で堕落したというより、元々こういう人間なんだろうなと想像できる。もっと分かり易く言うと、見た目通りの典型的なエロゲー主人公である。そんな彼を放っておいて、子供らしい率直な感性を持った網野が大活躍するのだから、いやはや皮肉めいていて面白い。もちろん、誰に対しての皮肉なのかは言うまでもない。

・総論


 上には書かなかったが、何よりキャラクターがいい。見た目は妖艶な大人だけど中身は純粋無垢な小学生、見た目は幼い子供だけど中身は素直になれないダメな大人という二人の組み合わせがいい。エロくていい。以上、身も蓋もない斜め上な結論になってしまったが、個人的に高評価。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 19:54 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『はたらく魔王さま!』

設定の妙。

公式サイト
はたらく魔王さま! - Wikipedia
はたらく魔王さま!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。和ヶ原聡司著のライトノベル『はたらく魔王さま!』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は細田直人。アニメーション制作はWHITE FOX。とある事情で現代日本にやってきた魔王が、いつか再び魔界へ帰る日のため、ファーストフード店で地道に働いて生活費を稼ぐファンタジーコメディー。

・魔王と勇者


 魔王とは何なのだろう。もちろん、これは文字通り「魔族の王」「魔界の王」という意味である。だが、「魔族とは?」「魔界とは?」と問われると急に途方もない無理難題と化す。ファンタジーゲームの性質上、冒険の障害となる敵は全て魔族である。スライムもゴブリンもゾンビもドラゴンも全部ひっくるめて。民族・種族の差どころか生物なのかどうかすら定かではない。では、そんな無茶苦茶な寄せ集め軍団を統べる王とは一体何なのか。一言で言うと、「よく分からない」だ。現実世界では絶対にあり得ないことなので、他の物に例えようがない。結局は、フィクション特有の非合理的なご都合主義=お約束に過ぎないということだ。ただ、質の高いファンタジーはその無理難題に何とか整合性を付けようと試みている。例えば、魔族は全て無から生まれた魔法生物であるといった設定や、知性のあるヒューマノイドだけが魔族で、その他の魔獣はただの野生生物に過ぎないといった設定など。しかし、それでもなお「魔王」という職業は存在自体が苦しい。魔族が世界にもたらそうとしている「混沌」と、一人の君主による独裁政治という「秩序」は元々相反する物だからだ。魔王に異形のモンスター達を支配できるほどの能力とカリスマ性があるなら、世界征服などといった子供じみた発想はやめて、もっと建設的な活動をするのではないだろうか、疑問である。
 では、勇者とは何なのだろう。これはいわゆる「英雄」のことだが、神話や寓話で語られるそれとは少し毛色が異なる。神話の英雄は神か神の化身がほとんどだが、ゲームの英雄は(何らかの出生の秘密があるにしても)基本的にはただの人間だ。また、神話の英雄が戦う相手はドラゴンや魔神などの個であるのに比べ、ゲームの英雄が戦う相手は魔界の魔王軍団という集団である。こうやって並べてみると、ゲームの英雄が如何に無謀なことに挑戦しているかがよく分かる。たった一人、もしくは数人の人間で数万もの大軍に立ち向かおうというのだから、なるほど、勇者と呼ばれるだけのことはある。ただ、この設定を成立させようと思えば、勇者に人間離れした一騎当千の力を身に付けさせなければならない。はたして、そこまで進化した人間が人間らしい正義の心を持ち続けられるだろうか、疑問である。
 このように、ファンタジーにおける魔王と勇者は、いずれも幾つかの疑問点と大きな設定の穴を抱えている。だからこそ、ファンタジーパロディーというジャンルが成立する。ただし、疑問点が明確である分、余程、上手く調理しないと各人が似通った物になってしまう。それゆえ、ある意味、作者のセンスが最も試される場と言えるかもしれない。

・導入


 異世界「エンテ・イスラ」。世界征服を企む魔王とそれを阻まんとする勇者の最終決戦が、魔界の魔王城において繰り広げられる。壮絶な戦いの末、勝利したのは勇者一行。追い詰められた魔王とその従者は、空間に転移ゲートを開いて辛くも脱出する。だが、辿り着いた先は現代の日本だった。地球上では魔力が回復できず、魔界へ帰還するための魔法が使えない魔王は、仕方なく普通の人間として生活を始める。様々な現実的困難に直面しながらも、六畳一間のアパートに腰を下ろし、ファーストフード店で働き始める魔王達。数ヶ月後、すっかり人間界の生活に慣れた魔王の元へ、一人のOL風の女性が現れる。彼女こそが魔王を追って日本にやってきて、現在はテレフォンアポインターとして働く勇者だったのだ。
 素晴らしい。ファンタジーコメディーの導入部として申し分のないオープニングだ。上記の魔王に対する疑問点を見事にコメディーに昇華している。基本設定がしっかりと練り込まれているため、どんなにキャラクターが突飛な行動をしても破綻せず、その分、ギャグの切れも良い。現代日本のリアルな生活を誇張もせず歪曲もせずにそのまま描いているのは好印象。何より目的がすっきりしているのが素晴らしい。「現代世界はファンタジー世界と違って魔力が少ないため、魔王は魔法を使えない。そのため、ファーストフード店に勤務しながら、魔界への帰還に必要な量の魔力を回復する方法を探す」と文句の付けようがない設定だ。魔界では最強の魔王が、ファーストフード店では一番下っ端のアルバイト店員で、そこから少しずつ出世して正社員を目指すという展開も面白い。確かに、社内で出世して部下を持つようになれば、間接的に人間を支配することになるため、何も間違ってはいない。これら一連の展開は、「最初から最強」が当たり前になっている昨今のアニメのアンチテーゼと言っても過言ではないだろう。
 ただ、心配なのは、本作は全て基本的に「出オチ」だということだ。恐怖の象徴たる魔王が庶民的な活動するというギャップが根幹なので、そこに慣れが生じるとネタが成立しなくなってしまう。構造的には、漫画『デトロイト・メタル・シティ』とよく似ている。あちらもデスメタルの人気ミュージシャンと純朴な青年のギャップが肝だが、最初は面白くてもずっと似たような展開とオチが続くため、単行本二巻目辺りから飽きが生じてしまう。本作もそういった危惧を抱えており、第二話以降の展開に不安が募る。

・キャラクター


 だが、上記の心配は杞憂に終わる。確かに出オチコメディーの宿命で、物語が後半に差し掛かるにつれて徐々にパワーダウンしている感は否めない。ストーリー自体も極めてオーソドックスであり、第五話までの第一部もそれ以降の第二部も、魔王と勇者の共通の敵が現われ、それに対して共闘して日本を守るというありがちな物だから、視聴者を惹き付ける物語的な求心力に欠ける。それでも、崖下に転がり落ちることなく最後まで一定のラインで踏み止まっているのは、やはり、登場キャラクターの個性が抜群に優れているからであろう。
 まず、主人公である魔王は非常に「良い人」である。もう、これだけでどう考えても面白い。バイト先のファーストフード店では気の利く優秀な店員であり、接客態度も素晴らしく、他人に親切である。せっかく貯まった魔力を人助けに使ってしまい、魔界に帰れなくなってしまうほど。なぜか、魔王のくせに遵法意識に溢れており、勇者よりも社会のルールに敏感である。その一方で、後輩の面倒見が良く、リーダーシップがあって組織を束ねる能力に優れている点などは、さすが魔王というカリスマ性が感じられる。視聴者に「こういう人を友人にしたい」「こういう人と一緒に働きたい」と思わせたら勝ちだ。そういう点において、本作は最初から最後まで極めて高い質を保っている。
 また、勇者のキャラクターも非常に良い。父親の仇である魔王の命を狙って日本まで追いかけ、日本で悪行を働かぬよう常に監視し続ける。事あるごとに魔王城に現れては生活態度を注意し、共通の敵が現れると「魔王を倒すのは私だ」と間に入って仲裁する。そう、要するに彼女は萌えアニメで言うところの「風紀委員キャラ」の強化版なのである。だが、魔王が意外にも良い人であり、世界征服の意志も弱いことを知って、徐々に態度を軟化させていく。それはいわゆる本来の意味における「ツンデレ」であり、非常に可愛らしい。勇者と魔王という立場、殺し殺されるという関係なのに仲良くなるという背徳感がさらに気分を盛り上げる。そして、第二部からは、風紀委員的な立場をさらにパワーアップさせた新キャラクターが登場し、勇者は彼女と魔王との間で板挟みになる。父親の仇である魔界の魔王は許せないが、魔王本人のパーソナリティーには心惹かれるという葛藤。最終的には、「全部、自分が責任を持つから大丈夫」という結論を勇者が出すのだが、それもまるで夫婦の話を見ているようで面白い。

・欠点


 本作は非常に上質のファンタジーコメディーである。設定が良く、キャラクターが良く、ゆえに単純なストーリーでも盛り上がる。ただ、コメディーに徹したことによる弊害で、やはり、どうしてもあちらこちらに細かな欠点を抱えてしまっている。あまり気にしてはいけない部分かもしれないが、そういうブログなので容赦されたし。
 まず、気になるのが、魔王と勇者の異世界における活躍の描写が圧倒的に不足している点だ。ストーリー自体が魔王城での最終決戦から始まるため、魔王が如何様にして世界征服を企み、勇者が如何様にしてその野望を打ち砕こうとしたのかが分からない。ここが分からないと、日本での魔王の不甲斐ない生活の面白さや勇者の魔王に対する執着心が薄まってしまう。これは要するに、世のファンタジーゲームに設定を丸投げしているということである。視聴者がそれらのゲームをプレイしていることが大前提であり、言い換えると本作はパロディーに過ぎないということだ。正直なところ、それはあまり良いとは言えない手法である。作品はその中で自己完結すべきであり、外部資料を要求するようになったらお終いである。
 もう一つ、もっと大事なことは、世界を手中に収めんとする恐怖の魔王が、なぜ人間界では「良い人」になっているのかの説明が不足している点だ。いくら前線の指揮官の暴走があったとは言え、魔王が大軍を率いて人間界に攻め込み、破壊の限りを尽くしたのは事実なのである。現代に飛ばされた後も、人間を支配するという野望自体は失っていない。そのことに関して、勇者は第四話で魔王に疑問を直接ぶつけるが、彼は「何かすまん。あの頃の俺、人間という物をよく理解してなかった」というあやふやな回答をする。彼の言葉をそのまま受け取ると、現代で社会生活を続ける内に人間の素晴らしさに気付いて丸くなったということになるが……いや、仮にも魔族の王の性格がそんなに簡単に変化する物だろうか。元々、こういう性格だったと考えるべきではないのか。ただ、そうなると、彼個人の性格と魔王としての役割は別ということになる。家では優しいお父さんが、職場では非情なビジネスマンになるというのはよくある話だが、それだと現実と理想の狭間で魔王が葛藤するという展開が欲しい。この辺りをもう少ししっかり描いていれば、本作はコメディーの枠を超えた歴史的な名作になっていただろう。

・総論


 作品の出来だけで言うと平均点だが、勇者が可愛いので少しおまけ。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 23:18 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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