『黄昏乙女×アムネジア』

ホラー×恋愛。

公式サイト(消滅)
黄昏乙女×アムネジア - Wikipedia
黄昏乙女×アムネジアとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年春めいびい著の漫画『黄昏乙女×アムネジア』のテレビアニメ化作品。全十二話+未放送一話。監督は大沼心。アニメーション制作はSILVER LINK.。過去の記憶をなくした学校の幽霊と彼女の魅力に取り憑かれた男子中学生の恋愛模様を描いたホラーコメディー。アムネジアとは記憶障害の意であり、本作全体の重要なキーワードになっている。

・演出


 本作の基本設定はかなり王道である。いや、むしろ平凡と言ってもいいだろう。主人公は内気な男子中学生。ある日、いわくつきの旧校舎を一人で探索していると、学校の怪談として数々の逸話を残している「夕子さん」と呼ばれる美しい女性幽霊と遭遇する。だが、主人公は恐怖よりもその美貌に目を奪われてしまう。一方、幽霊も主人公のことを気に入り、何かにおいてベタベタと付きまとう。まるで恋人同士のように楽しい日々を過ごす二人。周囲の人は心配する。もしかすると、彼は悪霊に取り憑かれているのではないか、と。このような感じで、怪談としては非常にスタンダードであり、学園アニメの夏休み回のサブシナリオなどでよく見られるパターンだ。本作は、そういった普通なら一・二話で終わるようなショートエピソードを、全十二話かけてじっくりと描いた作品である。

 さて、具体的なストーリーに入る前に、まずは演出について触れなければなるまい。本作はホラーがメインであるため、非常に奇抜な演出を用いることによって恐怖感を助勢している。光と闇のコントラストを強調し、赤やオレンジなどのビビットな色彩を大胆に配置し、歪んだレイアウトを多用し、タッチの異なるイラストを随時挿入し、シルエットやシャッター演出を効果的に使う。こうして、見ている者の不安感を掻き立てて、ホラーアニメとしてのクオリティを一段と高めている。特筆すべきは、こういった特殊な演出を用いると得てして紙芝居風になりがちだが、本作の場合はちゃんと映画の文法に基づいた映像作品になっている点だ。しっかりと映像の原則を守りつつ、アニメーションができるギリギリの表現を攻めている。この辺りのバランス感覚は実に見事である。

 もっとも、長所は同時に短所でもある。ホラーの部分や、ホラーを模倣したコメディーの部分は上記の演出が効果的なのだが、それ以外の日常描写や恋愛描写ではかえって足枷になってしまっている点が多々ある。正直なところ、本作の魅力の大半はメインヒロインである夕子さんの魅力に負っているわけで、どこまで作品をホラーに寄せるかは難しいポイントである。個人的な意見を書くと、ホラーに振り切ってしまった方が本作は何倍も高品質になったと思うが、そんな原作ではそもそもアニメ化されなかっただろう。そう考えると、何とも歯がゆい作品である。

・サブキャラクター


 本作の序盤は、学校の怪談にまつわる怪異現象を調査しつつ、ヒロインの夕子さんが主人公を誘惑してイチャイチャするシーンを延々と描くという如何にも萌えアニメらしい展開が繰り返される。こう書くと非常に軽薄なアニメに見えるが、本作は二人のサブキャラクターを上手く使うことで、そういった下品さを適度に緩和している。この辺りがストーリーを中心にして作られたアニメの良さであり、キャラクター先行のハーレムアニメとの違いである。

 一人は小此木ももえ。彼女は、ヒロインが自身の失われた記憶を探し出すために設立した「怪異調査部」の最初の新入部員である。根っからのオカルト好きで天真爛漫な性格の彼女は、主人公の霊媒師としての能力(小此木を騙して、ヒロインの存在を誤魔化すための嘘)に憧れを抱き、同時にほのかな恋心のような感情を持つようになる。つまり、主人公・ヒロイン・小此木の三角関係になっているということだが、一つだけ普通とは言い難い点があった。それは、何の霊感もない彼女は幽霊を見ることができないという点だ。すると、三角関係でありながら、恋敵の存在を認知できないという非常に面白い状態になり、恋愛ドラマとしてもコメディーとしても一風変わった楽しさを提供している。そして、その奇妙なシチュエーションが、結果的にヒロインの暴走を食い止める防波堤の役割を果たしている。とは言え、主人公はヒロインに完全に心を奪われており、小此木ももえのことは可愛い部活仲間程度にしか思っていない。そのため、彼女の存在は、目に見えない恋敵の当て馬的役割に過ぎず、非常に可哀想な立場になっている。彼女の眩しい笑顔に涙を禁じ得ない。

 もう一人は庚霧江。彼女はヒロインの妹(現在の学園理事長)の孫娘に当たる女子中学生。親族だからなのか、主人公を除いて唯一、ヒロインの姿を見ることができる人間である。彼女は幽霊に取り憑かれている主人公のことが心配で、怪異調査部に度々顔を出すようになる。非常に理知的な彼女は、主人公とヒロインの特異な関係に対して極めて冷静に対処し、科学や民俗学に基づいた様々なアドバイスを施す。その一方で、女子中学生らしく恋愛にも興味があり、二人の昵懇な間柄に嫉妬と羨望が入り混じった複雑な感情を抱く。親戚である彼女は、よく見るとヒロインと似ていた。しかし、彼女は幽霊であるヒロインに一人の女性として何一つ敵わない。そうやって思い苦しむ彼女は実に人間らしく、人ならぬヒロインとの対比になっている。

・ホラー×恋愛


 第七話。庚霧江がある事実に気付く。常に陽気なヒロインだが、それがあまりにも明る過ぎて不自然ではないかと。今まで彼女が誰かに怒ったり、恨んだり、妬んだりしたのを見たことがない。そこで、霧江は一つの仮説を立て、それを主人公に打ち明ける。ヒロインは過去の記憶を全て失っていると言う。だが、それは記憶を失っているのではなく、六十年前、誰かに殺された時に怒りや恨みといった負の感情を自ら切り離したのではないか。そして、その負の感情は実体化して学園を彷徨っており、それが学校の怪談にも登場し、かつて霧江が目撃した「悪霊」なのではないかと。こうして、本作は一気にサイコサスペンス的な様相を見せ始める。ヒロインは、主人公が小此木と仲良くしているのを見て嫉妬し、無意識の内に主人公を階段から突き落とす。自分の中に芽生えた負の感情を認められなかったヒロインは、次に会った時、主人公の記憶を全て失っていた。その状況に耐えられず、逃げ出す主人公。幽霊と人間が恋愛関係になる方がおかしく、今の状態が本来ではないかと諭す霧江。しかし、主人公のヒロインに対する想いは本物であり、葛藤の末、彼はヒロインに自分の気持ちを打ち明ける。すると、彼女の記憶が全て蘇り、その結果、ヒロインは光と闇、表と裏を併せ持つ普通の人間らしい性格になる。だが、霧江は腑に落ちない。ヒロインが主人公の記憶を失っていた時、その記憶はどこに行っていたのかと。その時、ついに悪霊が姿を現す……。

 このように、本作はホラーという縦軸に恋愛という横軸を上手く組み合わせることによって、高い完成度を誇る作品になっている。ヒロインが無邪気で暗い側面を持たないのは、萌えアニメのテンプレートに則っているからだが、本作はそのお約束を逆手に取り、つらい記憶を捨てたことでそのような性格になったと定義している。すると、主人公には大いなる選択肢が与えられることになる。すなわち、今のヒロインはあくまで仮の姿に過ぎず、本当の彼女は暗い部分も持っている。記憶が戻るとそういった性格まで戻ってしまうが、それでもなお、ヒロインの記憶を戻そうとするのか否か、だ。これはそう簡単に答えを出せる問題ではない。その時、本作は世に名立たる恋愛ドラマ群に肩を並べることになる。深夜アニメで、ここまで真剣に「愛」と向き合った作品はそうないのではないか。

 もっとも、長所は同時に短所でもある。本作が愛と真剣に向き合っているのは事実だが、その答えを真剣に捻り出したとは言い難い。と言うのも、主人公はかなりあっさりとヒロインに愛の告白をするからだ。男子中学生の性欲の前に、ちょっとした恋人の性格の違いなど無意味である。「恋は盲目」という意味ではリアリティがあるのだが、少し残念さが残る。

・エンディング


 第十話以降はアニメ版オリジナルストーリーだが、オリジナルとは思えないぐらいクオリティが高く、本作を全十二話で上手くまとめ上げている。はっきり言って、辞め時を見失って迷走した感のある原作よりも、奇麗に終わっているのではないだろうか。もちろん、尺の都合上、全体的な描写不足は否めない。

 ヒロインの負の感情が具現化した悪霊と接触した主人公は、ヒロインの記憶の中に連れ込まれ、過去の出来事を追体験する。六十年前、ヒロインの暮らす村は原因不明の疫病に襲われていた。村人に犠牲者が続出する中、ついに村の長老は疫病を鎮めるために人柱を立てることを決定する。そこで、ヒロインが世話していた病気の村娘を神様の使いである銅人(あかひと)に祭り上げ、彼女に人身御供の対象を選ばせた。その結果、ふとしたボタンの掛け違いにより、ヒロインが人柱に選ばれてしまう。現在は学園の地下にある祠に閉じ込められるヒロイン。命が消え行く中、彼女は自分を奈落に突き落とした村人や村娘に恨みを募らす。このように、伝記ホラーとしてはオーソドックスだが、非常に胸に突き刺さるエピソードを物語の背景にしている。村人を許したい善人の自分と、許せない悪人の自分、二つの相反する感情がヒロインの中でせめぎ合う。そんな彼女に心を寄せ、支える主人公。そこに新たなる真実が舞い込む。ヒロインが助けた村娘、彼女こそが主人公の祖母だったのだ。それを知ったヒロインは「無駄じゃなかったんだ。私が苦しんだの」と涙する。こうして、ヒロインは自らが作り出した悪霊を自分の中へ取り込むことに成功する。

 最終話。再び平和な日々が学園に舞い戻るが、それは二人の別れを意味していた。なぜなら、恨みが解消された今、幽霊のヒロインが現世に留まる理由が何もなくなってしまったからだ。徐々に消え行くヒロインと、彼女の側に最後まで寄り添う主人公。その後の展開は蛇足感が強く、視聴者によって賛否が分かれるだろうが、ともかく、この複雑な物語を上手く軟着陸させたアニメ版スタッフの頑張りは、素直に称賛されるべきであろう。無理やり1クールで終わらせようとして原作を改変し、結果的に無茶苦茶になる作品は決して少なくないのだから。

・総論


 とんでもなく粗削りであるが、とにかく良い作品を作り上げようというスタッフの気持ちがひしひしと伝わってくる意欲作。決して万人にはお勧めできないが、たまにはこういうのもいい。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
スポンサーサイト
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:02 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『すべてがFになる THE PERFECT INSIDER』

理路整然。

公式サイト
すべてがFになる - Wikipedia
すべてがFになるとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。森博嗣著の小説『すべてがFになる』のテレビアニメ化作品。全十一話。監督は神戸守。アニメーション制作はA-1 Pictures。大学教授と女子大生が孤島の研究所で起きた密室殺人の謎に挑むミステリー。人気小説家・森博嗣のデビュー作にして、「S&Mシリーズ」の第一巻。2014年にはテレビドラマ化もされている。ミステリーなので、基本的には文中でネタバレを行わない。基本的には。

・謎解き


 良きミステリーの条件は何だろうか? 手前味噌ながら申し上げると、それは三つあると考える。一つ目は「謎解きが斬新であること」、二つ目は「ヒントの出し方が的確であること」、三つ目は「心理描写が優れていること」。この中で最も重要なのは、当然、一つ目の「謎解きが斬新であること」だろうが、それは同時に最も批評の難しいポイントである。なぜなら、斬新であると評価するには、世のミステリーの謎解きを全て知っておく必要があるからだ。そのためには相当なミステリーマニアでなければならず、門外漢の素人には難しい。それゆえ、ここではあくまで「おそらく斬新であろう」という体で話させて頂くことをご了承願いたい。
 本作は古式ゆかしい「密室殺人」を取り扱ったミステリーである。密室ミステリーの肝は、何と言っても「犯人がどうやって密室に侵入し、どうやってそこから脱出したか」だ。古今東西、多くのミステリー作家が取り組んできたこの命題に対し、本作の作者はある斬新なトリックをメインに据えることによって比類なき独自性を主張している。いや、トリックのアイデア自体はさほど珍しくはないのだが、あまりにも非現実的過ぎて公の場ではほとんど使われていないであろう物だ。本作はその無理難題に果敢に挑戦した作品であり、様々な工夫を凝らして論理的に設定を補強することで、非現実的な物を現実的にしている。まず、殺人事件の被害者を人間嫌いの若き天才女性科学者に設定して、十四歳の時から十五年間、密閉された部屋に閉じ籠もったまま一度も外に出ていないとする。それだけではファクターが足りないので、彼女はかつて両親をその手にかけたシリアルキラーであり、厳重に警護された研究施設で二十四時間、出入り口を監視されているとする。なぜ、両親を殺したのかを示すため、当時、被害者と交際していた男性を語り手にしたサブエピソードを随時挿入する。天才科学者であることを強調するため、研究施設を全てコンピュータ管理にし、そのOSを被害者自身が作成したとする。探偵役はその科学者に憧れる思考タイプの大学教授にして、助手役は教授のことが好きな感情タイプの女子大生にする。女子大生には幼い頃に両親を飛行機事故で亡くした過去を持たせ、被害者とオーバーラップさせる。後は怪しげな登場人物を周囲に配置すれば完成だ。
 このように、本作は非常に理路整然とした物語作りが成された作品である。余計な物が一切存在せず、全てがロジックの上に組み立てられている。それは逆に言うと、本当の天才探偵ならば、これらの設定からトリックを逆読みすることができるということだ。下手すると、この短い紹介文だけでも見破れるかもしれない。さて、犯人がどうやって密室に侵入し、どうやってそこから脱出したか、考えてみては如何だろうか?

・ヒント


 続いて、ヒントの出し方についてだが、こちらも設定同様に理路整然としているため、非常にシンプルで分かり易い。主人公達の捜査に合わせて、少しずつ設定の穴を埋めていき、少しずつ情報を追加していく。全体的に尺に余裕があり、この手のミステリーにありがちな捜査を混乱させる無能警察やあからさまに怪しいゲストなども登場しないため、一つの謎に対して実に丁寧である。コンピュータのプログラムにまつわる描写もリアルだ。通常、無駄が少ないと薄っぺらい作品になりがちだが、本作がそれを可能にしているのは、被害者のキャラクターが実に魅力的だからであろう。過去に両親を殺害し、十五年間も研究室に閉じ籠もっていた若き女性天才科学者。なぜ両親を殺したのか、なぜ今まで生きて来られたのか、なぜ姿を見せようとしないのか。密室殺人のトリック以上に彼女の生き様も謎に包まれているため、それを解き明かしていくことに対して興味が尽きない。それゆえ、視聴者もスムーズに作品世界の中へ入り込み、主人公と一緒になって謎に取り組むことができる。
 ただし、わざと間違った情報を流して視聴者を誘導する「ミスリード」の取り扱い方については、少し問題を抱えている。と言うのも、事もあろうか主人公側がそれに加担するからである。例えば、「なぜか被害者の見た目が実年齢よりも若い」や「なぜか被害者の妹が姉よりも老けている」という疑問がある。常識的に考えると誰もがおかしいと思うことだが、天才であるはずの主人公やヒロインが何だかんだと論理的に理由を付けて勝手に納得してしまうため、視聴者もそれに従わざるを得ない。すると、後で真実が明らかになっても、主人公に裏切られたような気持ちになって、何とも収まりが悪いのである。
 また、タイトルにもなっている「すべてがFになる」というキーワードが劇中に登場し、主人公はそれが今回の殺人事件において犯人が定めた一つのルールであると推理する。その推理は、確かに途中までは当たっていたのだが、当の犯人によって土壇場で反故にされ、結果的にまんまと逃げられる。つまり、タイトル自体が一種のミスリードになっているのである。それはどうなのか。犯人が主人公の推理力を逆利用するのはミステリーの常套手段だが、せめてタイトルぐらいは守って欲しい物だ。これでは悪意ある視聴者にネタバレされても文句は言えないだろう。ということで、「すべてがFになる」のFとは十六進数の最後の数字のことである。

・心理描写


 ミステリーでは犯人の動機も大切な要素だ。殺人という人類最大のタブーを通して、人間の心の在り様を確かめることも、ミステリーの楽しみの一つである。では、本作の犯人の動機は何か? これがまた非常に曖昧で掴みづらい物になっており、初見の視聴者に混乱をもたらす要因になってしまっている。と言うのも、犯行前にあるアクシデントが発生したせいで犯人の計画に支障を来たし、その結果、彼の思想が大きく変革したからである。目的自体は同じだが、目標は180度転換したと言っていい。そのため、一つの作品の中で二つの動機が混在するという複雑な状態になっている。
 犯人の目的はズバリ「自由になる」である。ただし、この自由という単語の定義は多岐に渡るので、そう一筋縄にはいかない。一般的に言うと、自由になるとは自分を束縛する物から逃れることを指す。犯人にとっては被害者がそれで、自由を得るために被害者を殺したということになる。しかし、犯人は極めて論理的な思考の持ち主である。この世のあらゆる物に合理性を求め、全てを数学的思考を割り切れると考えている。彼にとって人間の体は魂の入れ物以外の何物でもない。そのため、自由になるということは、肉体という不自由な檻から離れて、魂だけが旅立つことである。それはつまり「死ぬ」ことであり、殺人を犯すことで警察に捕まり、死刑になるのが犯人の動機だ、と主人公は考える。これまでの犯人の行動を総合すると、その推理は間違いなく当たっているはずだった。だが、そんな主人公の浅はかな考えをあざ笑うかのように、犯人は都会の雑踏の中へと姿をくらます。なぜなら、上記の通り、犯人は犯行の途中で根本的な思想を変えたからだ。そう、犯人はただ「文字通り」自由になりたかっただけなのである。
 正直、この犯人の動機の変節はあまり支持できない。もっと言うと、本作の最大の欠点だと考える。なぜなら、あれだけ論理的な思考に捕らわれていた人間がこうも易々と心変わりするとは考え難いし、前半で発したメッセージを自ら否定することになるからだ。もちろん、これを犯人の「心の成長」だと捉えることもできるのだが、それはそれで別問題である。単純にミステリーのトリックとしても卑怯だし、特に第二の殺人の方に大きな不具合を来たしている。それゆえ、もう少しミステリーの部分と心の成長の部分を分けて作ることはできなかったのだろうか。

・キャラクター


 原作は百万部近くを売り上げた人気小説である。当然、作品としての完成度は極めて高い。では、アニメ版も原作同様に名作になるかというと、残念ながら一概にそうとは言えない。小説とアニメでは表現方法も違うし、求められる物も違う。小説ではキャラクターの心理を全て文章で表すことができるが、アニメでは具体的な行動で表さないといけない。それはつまり、キャラクターの行動が面白くないと作品自体が面白くなることはないということである。さらに踏み込んで言うなら、主人公はかっこ良く、ヒロインは可愛くないとスタートラインにも立てないということである。
 本作のテーマは『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』と同じく「感情×論理」である。犯人が論理、ヒロインが感情、主人公が論理と感情の中間をそれぞれ象徴している。主人公は犯人の論理的思考に対して強い憧れを抱き、自分も犯人のように自由になりたいと人目をはばからず公言する。その一方で、食や服装に妙な拘りがあったり、ヒロインに意味のないジョークを言ったりするなど感情的な一面も持っている。そういった二面性は、ヒーローに必要不可欠な物だ。強いだけの男では、誰も親しみを持ってもらえない。人間離れした能力を持ちつつ、どこか憎めない人間臭さがあって初めて憧れのヒーローになれる。だが、何度も書いている通り、犯人は犯行途中で論理から感情へと思想を転換し、実に人間らしいハイブリッド思考の人間になる。すると、どうなるか? そう、犯人が主人公を完全に食ってしまうのである。キャラが被る、もしくはIT用語で言うところの「上位互換」という奴だ。また、それはヒロインも同様で、感情型の人間と言いながら、天才的な計算能力を持っている。両親を事故で亡くした哀しい過去を持っているが、良家のお嬢様なのでさりとて何不自由なく暮らしている。と、中途半端な二面性のせいで、こちらも犯人や被害者のキャラクターの前では霞んで見える。中盤で披露する水着姿などは、むしろ哀愁さえ漂わせているほどだ。
 やはり、物語の主人公たる物、他を寄せ付けない圧倒的な個性が必要ということなのだろうか。世に数え切れないほどの探偵物が溢れる中、少なくとも本作のアニメ版の主人公は、犯人の引き立て役になる程度の個性しか発揮できていない。映像作品らしいデフォルメとリアルな人間らしさ、そのバランスをどう取るかが小説のアニメ化の課題になるだろう。

・総論


 小説一冊に対して全十一話は過量なので、基本的に尺が余り気味である。その分、非常に丁寧に作られており、原作の世界観を十分に再現している。取っ付き難い点も多いが、ミステリー好きな方には文句なしでお勧めできる良作である。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:36 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
twitter
検索フォーム
最新記事

全記事一覧
評価別一覧
年代別一覧
掲示板
掲示板2
カテゴリ
リンク
カウンター
RSSリンクの表示



にほんブログ村
PR1
PR2