『すべてがFになる THE PERFECT INSIDER』

理路整然。

公式サイト
すべてがFになる - Wikipedia
すべてがFになるとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。森博嗣著の小説『すべてがFになる』のテレビアニメ化作品。全十一話。監督は神戸守。アニメーション制作はA-1 Pictures。大学教授と女子大生が孤島の研究所で起きた密室殺人の謎に挑むミステリー。人気小説家・森博嗣のデビュー作にして、「S&Mシリーズ」の第一巻。2014年にはテレビドラマ化もされている。ミステリーなので、基本的には文中でネタバレを行わない。基本的には。

・謎解き


 良きミステリーの条件は何だろうか? 手前味噌ながら申し上げると、それは三つあると考える。一つ目は「謎解きが斬新であること」、二つ目は「ヒントの出し方が的確であること」、三つ目は「心理描写が優れていること」。この中で最も重要なのは、当然、一つ目の「謎解きが斬新であること」だろうが、それは同時に最も批評の難しいポイントである。なぜなら、斬新であると評価するには、世のミステリーの謎解きを全て知っておく必要があるからだ。そのためには相当なミステリーマニアでなければならず、門外漢の素人には難しい。それゆえ、ここではあくまで「おそらく斬新であろう」という体で話させて頂くことをご了承願いたい。
 本作は古式ゆかしい「密室殺人」を取り扱ったミステリーである。密室ミステリーの肝は、何と言っても「犯人がどうやって密室に侵入し、どうやってそこから脱出したか」だ。古今東西、多くのミステリー作家が取り組んできたこの命題に対し、本作の作者はある斬新なトリックをメインに据えることによって比類なき独自性を主張している。いや、トリックのアイデア自体はさほど珍しくはないのだが、あまりにも非現実的過ぎて公の場ではほとんど使われていないであろう物だ。本作はその無理難題に果敢に挑戦した作品であり、様々な工夫を凝らして論理的に設定を補強することで、非現実的な物を現実的にしている。まず、殺人事件の被害者を人間嫌いの若き天才女性科学者に設定して、十四歳の時から十五年間、密閉された部屋に閉じ籠もったまま一度も外に出ていないとする。それだけではファクターが足りないので、彼女はかつて両親をその手にかけたシリアルキラーであり、厳重に警護された研究施設で二十四時間、出入り口を監視されているとする。なぜ、両親を殺したのかを示すため、当時、被害者と交際していた男性を語り手にしたサブエピソードを随時挿入する。天才科学者であることを強調するため、研究施設を全てコンピュータ管理にし、そのOSを被害者自身が作成したとする。探偵役はその科学者に憧れる思考タイプの大学教授にして、助手役は教授のことが好きな感情タイプの女子大生にする。女子大生には幼い頃に両親を飛行機事故で亡くした過去を持たせ、被害者とオーバーラップさせる。後は怪しげな登場人物を周囲に配置すれば完成だ。
 このように、本作は非常に理路整然とした物語作りが成された作品である。余計な物が一切存在せず、全てがロジックの上に組み立てられている。それは逆に言うと、本当の天才探偵ならば、これらの設定からトリックを逆読みすることができるということだ。下手すると、この短い紹介文だけでも見破れるかもしれない。さて、犯人がどうやって密室に侵入し、どうやってそこから脱出したか、考えてみては如何だろうか?

・ヒント


 続いて、ヒントの出し方についてだが、こちらも設定同様に理路整然としているため、非常にシンプルで分かり易い。主人公達の捜査に合わせて、少しずつ設定の穴を埋めていき、少しずつ情報を追加していく。全体的に尺に余裕があり、この手のミステリーにありがちな捜査を混乱させる無能警察やあからさまに怪しいゲストなども登場しないため、一つの謎に対して実に丁寧である。コンピュータのプログラムにまつわる描写もリアルだ。通常、無駄が少ないと薄っぺらい作品になりがちだが、本作がそれを可能にしているのは、被害者のキャラクターが実に魅力的だからであろう。過去に両親を殺害し、十五年間も研究室に閉じ籠もっていた若き女性天才科学者。なぜ両親を殺したのか、なぜ今まで生きて来られたのか、なぜ姿を見せようとしないのか。密室殺人のトリック以上に彼女の生き様も謎に包まれているため、それを解き明かしていくことに対して興味が尽きない。それゆえ、視聴者もスムーズに作品世界の中へ入り込み、主人公と一緒になって謎に取り組むことができる。
 ただし、わざと間違った情報を流して視聴者を誘導する「ミスリード」の取り扱い方については、少し問題を抱えている。と言うのも、事もあろうか主人公側がそれに加担するからである。例えば、「なぜか被害者の見た目が実年齢よりも若い」や「なぜか被害者の妹が姉よりも老けている」という疑問がある。常識的に考えると誰もがおかしいと思うことだが、天才であるはずの主人公やヒロインが何だかんだと論理的に理由を付けて勝手に納得してしまうため、視聴者もそれに従わざるを得ない。すると、後で真実が明らかになっても、主人公に裏切られたような気持ちになって、何とも収まりが悪いのである。
 また、タイトルにもなっている「すべてがFになる」というキーワードが劇中に登場し、主人公はそれが今回の殺人事件において犯人が定めた一つのルールであると推理する。その推理は、確かに途中までは当たっていたのだが、当の犯人によって土壇場で反故にされ、結果的にまんまと逃げられる。つまり、タイトル自体が一種のミスリードになっているのである。それはどうなのか。犯人が主人公の推理力を逆利用するのはミステリーの常套手段だが、せめてタイトルぐらいは守って欲しい物だ。これでは悪意ある視聴者にネタバレされても文句は言えないだろう。ということで、「すべてがFになる」のFとは十六進数の最後の数字のことである。

・心理描写


 ミステリーでは犯人の動機も大切な要素だ。殺人という人類最大のタブーを通して、人間の心の在り様を確かめることも、ミステリーの楽しみの一つである。では、本作の犯人の動機は何か? これがまた非常に曖昧で掴みづらい物になっており、初見の視聴者に混乱をもたらす要因になってしまっている。と言うのも、犯行前にあるアクシデントが発生したせいで犯人の計画に支障を来たし、その結果、彼の思想が大きく変革したからである。目的自体は同じだが、目標は180度転換したと言っていい。そのため、一つの作品の中で二つの動機が混在するという複雑な状態になっている。
 犯人の目的はズバリ「自由になる」である。ただし、この自由という単語の定義は多岐に渡るので、そう一筋縄にはいかない。一般的に言うと、自由になるとは自分を束縛する物から逃れることを指す。犯人にとっては被害者がそれで、自由を得るために被害者を殺したということになる。しかし、犯人は極めて論理的な思考の持ち主である。この世のあらゆる物に合理性を求め、全てを数学的思考を割り切れると考えている。彼にとって人間の体は魂の入れ物以外の何物でもない。そのため、自由になるということは、肉体という不自由な檻から離れて、魂だけが旅立つことである。それはつまり「死ぬ」ことであり、殺人を犯すことで警察に捕まり、死刑になるのが犯人の動機だ、と主人公は考える。これまでの犯人の行動を総合すると、その推理は間違いなく当たっているはずだった。だが、そんな主人公の浅はかな考えをあざ笑うかのように、犯人は都会の雑踏の中へと姿をくらます。なぜなら、上記の通り、犯人は犯行の途中で根本的な思想を変えたからだ。そう、犯人はただ「文字通り」自由になりたかっただけなのである。
 正直、この犯人の動機の変節はあまり支持できない。もっと言うと、本作の最大の欠点だと考える。なぜなら、あれだけ論理的な思考に捕らわれていた人間がこうも易々と心変わりするとは考え難いし、前半で発したメッセージを自ら否定することになるからだ。もちろん、これを犯人の「心の成長」だと捉えることもできるのだが、それはそれで別問題である。単純にミステリーのトリックとしても卑怯だし、特に第二の殺人の方に大きな不具合を来たしている。それゆえ、もう少しミステリーの部分と心の成長の部分を分けて作ることはできなかったのだろうか。

・キャラクター


 原作は百万部近くを売り上げた人気小説である。当然、作品としての完成度は極めて高い。では、アニメ版も原作同様に名作になるかというと、残念ながら一概にそうとは言えない。小説とアニメでは表現方法も違うし、求められる物も違う。小説ではキャラクターの心理を全て文章で表すことができるが、アニメでは具体的な行動で表さないといけない。それはつまり、キャラクターの行動が面白くないと作品自体が面白くなることはないということである。さらに踏み込んで言うなら、主人公はかっこ良く、ヒロインは可愛くないとスタートラインにも立てないということである。
 本作のテーマは『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』と同じく「感情×論理」である。犯人が論理、ヒロインが感情、主人公が論理と感情の中間をそれぞれ象徴している。主人公は犯人の論理的思考に対して強い憧れを抱き、自分も犯人のように自由になりたいと人目をはばからず公言する。その一方で、食や服装に妙な拘りがあったり、ヒロインに意味のないジョークを言ったりするなど感情的な一面も持っている。そういった二面性は、ヒーローに必要不可欠な物だ。強いだけの男では、誰も親しみを持ってもらえない。人間離れした能力を持ちつつ、どこか憎めない人間臭さがあって初めて憧れのヒーローになれる。だが、何度も書いている通り、犯人は犯行途中で論理から感情へと思想を転換し、実に人間らしいハイブリッド思考の人間になる。すると、どうなるか? そう、犯人が主人公を完全に食ってしまうのである。キャラが被る、もしくはIT用語で言うところの「上位互換」という奴だ。また、それはヒロインも同様で、感情型の人間と言いながら、天才的な計算能力を持っている。両親を事故で亡くした哀しい過去を持っているが、良家のお嬢様なのでさりとて何不自由なく暮らしている。と、中途半端な二面性のせいで、こちらも犯人や被害者のキャラクターの前では霞んで見える。中盤で披露する水着姿などは、むしろ哀愁さえ漂わせているほどだ。
 やはり、物語の主人公たる物、他を寄せ付けない圧倒的な個性が必要ということなのだろうか。世に数え切れないほどの探偵物が溢れる中、少なくとも本作のアニメ版の主人公は、犯人の引き立て役になる程度の個性しか発揮できていない。映像作品らしいデフォルメとリアルな人間らしさ、そのバランスをどう取るかが小説のアニメ化の課題になるだろう。

・総論


 小説一冊に対して全十一話は過量なので、基本的に尺が余り気味である。その分、非常に丁寧に作られており、原作の世界観を十分に再現している。取っ付き難い点も多いが、ミステリー好きな方には文句なしでお勧めできる良作である。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:36 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『灰と幻想のグリムガル』

生活。

公式サイト
灰と幻想のグリムガル - Wikipedia
灰と幻想のグリムガルとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2016年。十文字青著のライトノベル『灰と幻想のグリムガル』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は中村亮介。アニメーション制作はA-1 Pictures。異世界に召喚された日本の少年達が一人前の冒険者として独り立ちするまでを描いた冒険ファンタジー。

・異世界ファンタジー


 ある日突然、日本人の少年少女が異世界に召喚される。そこはまるでゲームの中の世界。中世ヨーロッパ風の街並み、魔法が実在し、街の外にはモンスターがうろつき、人々はそれらを狩って生活している。召喚前の記憶を無くした少年達は、お金を稼ぐために手に手に剣を取り、義勇兵(冒険者)として生きる。本作はそんな極めてオーソドックスな異世界ファンタジーの一作である。ただ、本作が他と違うのは、彼らが冒険者として一人前になるまでの行程を一から十まで懇切丁寧に描いていることだ。これは今までありそうでなかったジャンルである。他の作品だと、特に苦労することもなく異世界に順応したり、気が付いたら一人前になっていたりする。くだらない作品だと、自称普通の少年がなぜか最初から最強でモンスターを容易く虐殺する場合もある。一方、本作は驚くほど現実的であり、ろくに戦闘訓練を受けていない彼らは、ファンタジーでは最弱の敵とされるゴブリンすら倒せない。だが、生きるためには食事をする必要があり、食事をするためにはお金が必要で、お金を稼ぐためにはモンスターを倒さなければならない。それゆえ、嫌が応にも戦う力を身に付けなければならない。そんな一人の人間の「生活」を本作は独特の柔らかなタッチで淡々と描写している。普通は省略される物をわざわざ描くことによって独自性を出すという点において、本作はかなりニッチなアニメだと言えよう。
 異世界における生活を詳細に描くことのメリットは何か、それは架空のキャラクターが生きた人間としての実在感を得ることである。アニメなどそもそも嘘の塊なのだから、大事なのリアルさではなく、如何に「それっぽさ」を描けるかである。そのためには、登場人物がその世界の中でちゃんと生きていると思わせることが何よりも重要だ。我々と同じように、良いことがあると喜び、哀しいことがあると落ち込み、美味しい物を食べると満足して、夜はぐっすりと就寝する。そういった何気ない日々の生活を描くことで、ぐっと親近感が増す。「食べ物が美味しそうなアニメは良作」などと言われるのも同じ理由である。
 なお、なぜ彼らが異世界に召喚されたのかや召喚される前は何をしていたのかなどの疑問は、劇中では一切触れられない。これは賛否の分かれる点だと思うのが、個人的には支持したい。なぜなら、本作が訴えようとしているテーマには全く不要だからだ。それなら、最初から触れないようにするという判断は決して悪くない。もちろん、いつかは解明しないといけない謎ではあるのだが。

・命


 異世界に召喚された主人公は、とりあえず周りにいた人々と六人でパーティーを組み、見よう見まねで冒険者稼業を始める。だが、付け焼刃の戦闘スキルではゴブリンすら倒すことができない。当然、今日の生活費にも事欠き、困窮に喘ぐ六人。結局、初めてゴブリンを倒すことができたのは第二話、劇中の時間で言うと二週間以上も後のことだった。
 さて、その初めてのゴブリン退治だが、本作は演出として非常に凄惨に描いている。ほとばしる血飛沫。断末魔の咆哮。画面越しに痛みや苦しみが伝わるぐらい生々しい。それも六対一という卑劣な状況。最早、モンスター退治などという生易しい物ではなく、明らかな「殺戮」である。これはもちろん意図的にそうしている。理由は命の重さを描くことで、生きることの罪深さを強調するためだ。例えば、ゴブリンが悪の魔王の尖兵で、倒さなければ世界が滅ぶというなら話は簡単だ。遠慮なくぶちのめせばいい。しかし、本作のゴブリンには何の罪もない。普通にそこで暮らしているだけだ。それを自分達の生活のために命を奪うというのは、劇中の言葉を借りるなら「ゴブリンから見れば自分達が侵略者」である。善か悪かを問われると間違いなく悪だろう。だが、我々が普段口にしている牛や豚にも何の罪もないわけである。でも、彼らを食べないと生きて行けないから仕方なく殺す。本作は生き物の死を精細に描くことで、そういった誰かの犠牲の下に生きさせてもらっているという人間の「業」に真正面から切り込んだ作品である。
 正直、これを本当にアニメでやるべきだったかどうかは答えに窮する。アニメはすべからくエンターテインメントであるべきだ。子供も見ている。偏った思想を押し付けるプロパガンダアニメほど怖い物はない。しかし、おそらく、このシーンはアニメーション技法でしか描けない。小説や漫画ではこの凄惨さは表現できないし、実写だとただのグロテスクなホラームービーになる。程良い省略と程良い誇張という特徴を持つアニメだからできることだ。そういう意味では、批判を恐れず新しいことに挑戦した本作には大きな価値があるのではないだろうか。少なくとも、異形の怪物だから平気で殺していいという思想のアニメの方が危険であると信じたい。

・パーティー


 こうして、少しずつ冒険者稼業にも慣れてきた主人公達六人だったが、ある日、油断が招いた不幸な事故によってパーティーリーダーの少年を失ってしまう。彼はパーティー唯一の回復職であると同時に、聡明かつ冷静沈着で面倒見が良く、皆の頼れるまとめ役だった。残された五人の間に深い悲しみが訪れる。例の如く、本作はそういった感情を何話もかけて淡々と丁寧に描く。誰かの命を奪って生きているということは、当然、自分達も殺される可能性があるということ。つまり、生きるということは「命のやり取り」をすることである。そんな現代人が皆忘れている事実に、アニメという媒体を通じてもう一度正面から向き合う。本作のそういうところは最後まで徹底している。
 その後、リーダーの穴埋めに新しい女性神官がパーティーに加わる。しかし、彼女は協調性を著しく欠いており、全く五人に馴染もうとしない。その結果、パーティーに亀裂が生じて、人間関係がギスギスする。元々、その場の成り行きで組んだ即席パーティーだったため、全員が同じ趣味趣向の仲良しグループという訳ではない。ただ、求心力のあるリーダーがまとめてくれていただけだった。今まで生きるのに必死で半ば意図的に気付かない振りをしていたこの問題に、五人は改めて直面する。なぜパーティーを組むのか、なぜこの六人でないといけないのか、それを主人公の目を通して見ていくのが後半のストーリーになる。
 元々、新メンバーは明るい女の子だった。しかし、以前所属していたパーティーで自身のミスにより仲間を三人も殺してしまい、それがトラウマとなって今のような性格になった。そこで、主人公は彼女の心の闇を取り除くため、かつての悲劇の舞台となったダンジョンでの狩りを提案する。その結果、パーティーに様々な問題が紛出するが、新リーダーとしての自覚が芽生え始めた主人公は、悩みながらも一つずつ問題を解決していく。戦いにおいて仲間が重要なのは当たり前だが、その当たり前のことをもう一度問い直すのが本作のテーマ。人間の性格は十人十色、良い奴もいれば嫌な奴もいる。そのことを認め、変えられる部分は変え、受け入れられる部分は受け入れ、順応する。そして、新メンバーの仇との戦いを通じ、六人は本当に掛け替えのないパーティーになっていく。

・欠点


 このように、本作は非常によくできた作品である。同種のアニメの中では頭一つ抜きん出ている。ただ、だからと言って、全く欠点がないという訳ではない。まず、誰しもが目に付くであろうことは、主人公達が冒険者にならざるを得ない動機が薄いということである。劇中では、一人前の義勇兵にならなければ生きて行けないとやたら脅迫的に話が進むが、別に農家でも職人でもお金を稼ごうと思えばできるはずだ。ここをしっかりと煮詰めないと後の「命のやり取り」の意義が薄れてしまうため、村の掟でも宗教的教義でも何でもいいから、適当な理由をでっち上げるべきだった。これらやステレオタイプなキャラクター造形なども含めて、本作はやはりどうしても「ゲーム的」である。異世界に召喚されたというより、テーブルトークRPGやオンラインRPGの世界の中に取り込まれたといった方が正しい。せっかくキャラクターに現実感を持たせようと頑張っているのに、自らハンデを課す必要もあるまい。
 ストーリー的もおかしな点がある。ラスト、新メンバーの仇である強敵モンスターを倒してハッピーエンドを迎えるのだが、その方法は主人公が謎の力を用いて一人で討伐するという物だった。それは仲間との絆という後半のストーリーテーマと矛盾する。謎の力自体はちゃんと劇中でも説明されているし、今後の伏線になる物だが、今まで散々パーティー六人の協力の大切さを訴えてきたのに、最後の最後に一人で倒してしまっては意味がない。主人公の成長を描きたいのかパーティーの成長を描きたいのか、もう少し物語の軸を一つに絞るべきだっただろう。
 最後に、これが一番の欠点になるかもしれないが、「演出がくどい」ことだ。本作は事あるごとに感動的な挿入歌をバックにして情緒的なシーンを流す。それもかなりの長時間。ただ、それを初めてゴブリンを退治した後やリーダーが死亡した後にするのは分かるのだが、お墓参りやただの休日にもするのはさすがにくどい。あまりセンチメンタルになり過ぎると、他者の命を奪って生きるという人間の業まで否定しかねない。パーティーメンバーの一人がいきなりベジタリアンになったら、この物語は成立しないのだから。それゆえ、ナイーブさとドライさのバランスをもう少し慎重に取らなければならなかっただろう。

・総論


 ニッチアニメなのでどうしても評価が甘くなるのは否めないが、やりたいこととやるべきことがはっきりした良作。できることなら、もう少しゲーム的な要素を減らして異世界の創造に注力して欲しかったところだ。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:30 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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