『俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」としてゲッツされた件』

非常識。

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俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」として拉致られた件 - Wikipedia
俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」として拉致られた件とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年秋七月隆文著のライトノベル『俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」として拉致られた件』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は神保昌登。アニメーション制作はSILVER LINK.。お嬢様学校に「庶民サンプル」としてゲッツされた主人公を描いた学園ラブコメ。ご覧の通り、タイトルの「拉致」という不快な言葉が削除されて、「ゲッツ」という当たり障りのない言葉に置き換えられている。これはアニメ業界が正常というより、ラノベ業界が異常なだけ。

・設定


 物語冒頭、何の変哲もない普通の男子高校生である主人公は、突然、学校内で四人組のマッチョな軍人に拉致される。今時、マッチョて……。昭和のセンスかよ。それはともかく、彼が無理やり連れてこられたのは、日本のどこかにあるお嬢様学校。彼は、そこにいた学園付きのメイド長に言われるがままに、お嬢様学校の中へと足を踏み入れる。だからさぁ……何度も言うが、この時点で本作は真面目に語る価値もないクソアニメなのである。主人公は見ず知らずの人間に無理やり連れ去られたわけだ。ならば、恐怖に怯え、まずは自分の身の安全を図ろうとするのが普通の反応だろう。意思のある人間が何の抵抗もせず、黙って謎のメイドに付いていくはずがない。死の恐怖がないということは、その人間はすでに死んでいるということだ。そんなゾンビ共が何をやろうと共感できないし、感動もしない。

 その後も、メイド長と学長が口頭でペラペラと世界観を説明するという『アウトブレイク・カンパニー』を彷彿とさせる幼稚な展開が続く。彼女達の言によると、ここは良家の令嬢が集まるお嬢様学校で、その存在は世間から隠匿されているという。だが、ここを卒業した生徒は、庶民に対する免疫がないため、実社会で様々な困難に直面する。そこで、主人公を「庶民サンプル」として起用し、生徒を庶民に慣れさせようとしたのだった。主人公が選ばれた理由は、彼が同性愛者だったから(誤解)。もし、拒絶すると機密保持のために社会的に抹殺されるらしい。もう何度目か分からないが、いつものアレを言おう。こういう設定は、荒唐無稽ではなく「支離滅裂」である。卒業生が実社会で苦労するなら、大本の教育方針の方が間違っているのだから、そちらを正すのが先だ。よしんば、それができない理由があるにしても、講師として招くなり、交換留学生として在学するなり、幾らでも真っ当な方法はある。庶民サンプルが男子高校生である必要もないし、そもそも、ここで働いている教師やメイド達は庶民ではないのか? そういった設定を精査する作業を放棄して、安易に法律と人権無視の方向に舵取りすると、そこはもうリアルの世界ではなくなってしまう。言わば「現実の異世界化」だ。そうなると、あらゆる物事から説得力が消え失せてしまう。そんな人間が愛情やら友情やら語っても空々しいだけだ。

 結局のところ、本作の作り手は「人間に興味がない」のである。キャラクターがただのストーリーを構築するデータでしかないから、こういうことを平気でやるのだ。映像作品として、良い悪い以前に論外である。

・ハーレムアニメ


 こうして、お嬢様学校に所属することになった主人公。ところが、クラスメイトとの初交流もそこそこに、突然、ヒロインからの襲撃を受ける。彼女は「庶民とキスをすると願いが叶う」という噂を真に受けて、主人公にキスをしようとしたのだった。その勘違いはすぐに解消されたが、それがきっかけで二人は仲良くなる。彼女の言葉によると、どうやら彼女の願い事は「クラスの人気者になりたい」らしい。実は、彼女はクラスメイトとなかなか打ち解けられず、昼食も一人で食べるといういわゆる「ぼっち」だったのだ。どうすれば人気者になれるか悩んだ結果、庶民がお嬢様に人気であることに気付いて、彼女は庶民の文化を研究する「庶民部」を立ち上げる。以上が第一話のストーリー後半である。

 アホが作っているのか、このアニメは? 一体全体、本作のテーマは何だ? それは考える間もなく、「上流階級と庶民の対立」だろう。その普遍的で根の深い一つのテーマだけで、1クールのアニメぐらい簡単に制作できる。それなのに、なぜ「ヒロインの自己実現」などという、メインとは何の関係もない目的をこんなにも早い段階で挿入する必要があるのか。まず、お嬢様学校の独特の風習をしっかりと描き、それに戸惑いながらも順応していく主人公を丹念に描く。その過程で学校に馴染めないヒロインを登場させればいい。それが作劇のセオリーだ。わざわざ非日常的な舞台を用意しておいて、部活動などという極めて日常的な物を出す理由が全く理解できない。それとも、作者にとって「ぼっち」というテーマは、他の何よりも優先されるべき最重要事項なのか? それ、ただの本人のコンプレックスだろう。だったら、普通の学校を舞台にして、思う存分、孤独なヒロインを描けばいいではないか。

 その後、本作は複数の美少女ヒロインが次から次へと登場し、皆が庶民部に入部する。そして、特に理由もなく全員が主人公に惚れるが、なぜか本人はそれに気付かない、というどこにでもある凡庸なエロティックハーレムアニメと化す。良識を疑われるほど特殊で不条理な初期設定を構築しておきながら、第一話の中盤という極めて早い段階で無理やり軌道修正して元に戻すという謎のパワープレー。意味が分からない。それほどまで従来のパターンに魅力があるのか、もしくは従来のパターンでしかストーリーを作れないほど無能なのか。どちらにしろ、類似品は世の中に大量に出回っているわけで、本作の存在価値は果てしなく0に近い。

・庶民


 再び時計の針を第一話の前半に戻すが、主人公がお嬢様学校の庶民サンプルになって最も驚いたこと、それは「庶民の人気」であった。深窓の令嬢達は、今まで触れ合ったことのない一般庶民に興味津々で、一種の憧れのような物を抱いていた。そのため、スマホやゲームや漫画、カップラーメン、お笑い芸人などの庶民文化を絶賛し、凄い凄いと褒め称える。そんな庶民文化に通じている主人公は、すぐに学校中の人気者になる。そっちか……。作劇のセオリーに従うなら、まずは主人公が上流階級の華やかな文化に圧倒され、強い劣等感を味わう。さらに、嫌味なお嬢様達に見下されて対立する。だが、お嬢様達の悩みを庶民の知恵と工夫で解決してあげたことで、立場を逆転させてカタルシスを得る。そして、お嬢様は主人公に惚れるが、身分の違いにより素直になれない、という流れにするだろう。そうしないと設定の意味がなくなってしまう。ヒロインの件もそうだが、本作は世の中の常識に悉く反逆している。それで話が面白くなるなら誰も文句は言わないが、面白さの欠片もないから困る。

 要するに、本作もまた形を変えた「異世界転生物」の一つなのである。いや、この場合は「白人酋長」と言うべきか。平凡な人間が未開の異文化集団の中に足を踏み入れ、その土地の人々に崇められて長になる。そうやって周りの人間を見下し、相対的に自分達の地位を高めることで自己顕示欲を充足させる。本作の場合は、庶民凄い=俺凄いだ。だが、さすがにそれは無理がある。上流階級の人間は、金も地位も人脈もあらゆる点で庶民より上だ。庶民文化を誉めているのも、彼女達にとってはただのお遊び、物珍しさを小馬鹿にしているだけ。手に入れようと思ったら、幾らでも手に入れられる。何より忘れてならないのは、主人公が見下している相手は現在進行形で自分を拉致監禁している連中だということだ。これでは、お釈迦様の掌の上で踊る孫悟空である。

 もっとも、それ以前に、はたして主人公を庶民の代表として扱っていいのかという疑問がある。主人公は典型的なオタクである。漫画やラノベを愛読し、メイド喫茶にも興味を持っている。それは視聴者の平均かもしれないが、日本人の平均ではないだろう。また、その一方で、コーヒーチェーン店の複雑な注文方法といったリア充の専売特許のような物にも通じている。女性の扱いも手慣れた物だ。要は、そもそもの「庶民」の定義が広過ぎて、本当に自分がその団体に所属しているのかどうかが曖昧なのである。例えば、現代人や日本人のように定義が単純な物でしか、このロジックは通用しない。そういう意味では、異世界転生物としても中途半端で役立たずなのが本作である。

・ストーリー


 こんな感じで、第二話以降は何の変哲もないハーレム描写が延々と続く。ヒロインのぼっち問題や主人公とヒロインが付き合っているという噂も、特にトラブルが発生することなく、いつの間にか自然消滅している。あまりにも何も起こらな過ぎて、自分が何のアニメを見ているのか分からなくなるぐらいだ。

 ようやく、まともなストーリーらしき物が登場するのは、エンディング直前の第十一話、ヒロインの一人であるクラス委員長に縁談の話が持ち上がってからだ。御家のため、学園を去ることを決意する委員長。だが、それは彼女の本心ではないと気付いた庶民部の面々は、お見合いを妨害するため、武装した私兵に警備された委員長の屋敷に押しかける、というベタ中のベタな展開である。脚本会議など一秒たりとしていないであろう正真正銘の手抜きシナリオだ。これだけ見ると、アニメ『極上生徒会』のラストに似ているが、そちらの場合は大人と子供の対立というテーマを最初から一貫して描いているので、ストーリーに説得力がある。一方、本作は上流階級と庶民の対立というテーマが二の次になっているのは、前述の通りだ。そのため、何の自由もない厳格なお嬢様学校を、まるで子供達の楽園かのように扱うという矛盾が発生している。こういったストーリーにするなら、お嬢様学校が子供の自主性を阻害する監獄のような場所であることを強調し、庶民部の活動によってそれが解放され、自由の素晴らしさを訴えるという流れが必要不可欠であろう。もちろん、そのためには先にラストシーンを作っておいて、そこから逆算してストーリーを構築するという作業を行わなければならないが、セオリーを無視して思い付いたエピソードをただ並べているだけの本作には無理な話である。(ちなみに、メイド長が実は上流階級出身で主人公を庶民サンプルに選んだ張本人だったという伏線は、最後まで回収されない。第二期? あればいいね)

 さて、ここまで本作の短所を書いてきたが、最後に長所も書いておこう。本作は、基本的には恋愛メインのハーレムアニメだが、比較的ギャグの色が濃い。面白いかどうかは別にして、視聴者を楽しませようという意思はあるし、ギャグを生み出す物語構造もしっかりしている。そのため、他のラノベアニメのような不快感は少ない。また、図らずもタイトルが変更されたことで、開き直って劇中でダンディ坂野のネタを多用するのも決して悪くない。庶民文化の象徴として、作品に一本の筋が通るからだ。ただ、問題は、はたして萌えアニメの中でダンディ坂野を見たい視聴者がどれだけいるかだが。

・総論


 異常な設定とは裏腹に、中身は平凡その物。平凡なクソアニメ。後、そろそろ同性愛者を変態扱いするのは、御時世的にやめておいた方が……。

星:★★★★★★★(-7個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:56 |  ★★★★★★★ |   |   |  page top ↑

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』

不快。

公式サイト
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - Wikipedia
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。渡航著のライトノベル『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は吉村愛。アニメーション制作はブレインズ・ベース。友達が一人もいない「ぼっち」の男子高校生が、ヒロイン達との交流を通じて成長していく様を描いた青春ラブコメ。略称は「俺ガイル」。やはり「俺」の青春ラブコメはまち「が」って「いる」。「俺ハマチ」じゃダメなのか?

・主人公


 本作の主人公は男子高校生。ネガティブな性格の持ち主で、常に世の中を斜めに見ながら不平不満を口にしている。青春を謳歌しているクラスメイトに対して羨望と侮蔑の感情を同時に持ちつつ、孤高を貫いている。恋人はおろか友達すら一人もおらず、異性とは二年以上話していない。精神発達が未熟で、日常的にネットスラングを連発する。教師にすら「死んだ魚の目をしている」と馬鹿にされる。これらの設定から察するに、『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(以下、ワタモテ)の主人公と似たようなタイプのキャラクターなのだろう。だが、実際に映像を見てみると、両者にはかなりの違いがある。ワタモテの主人公が、コミュケーション能力に難があって人前ではしゃべることすらできなかったのに対し、本作の主人公は教師に対して面前で暴言を吐くなど、能力はあるのにそれを正しく使わない。過去のトラウマこそ大量にあるが、肉体・精神に何らかのコンプレックスを持っているということもなく、ただ自らの意志で他人との間に壁を作っている。要するに、彼はひたすら単純に「性格が悪い」のである。性格が悪いから友達もいない。実に分かり易い。完全に自業自得であり、ここまで同情も共感もできない主人公は珍しい。ただし、こういう性格だから友達がいないのか、友達がいないからこういう性格になったのかは、劇中の描写からは読み取れない。おそらく、卵が先か鶏が先かなのだろうが、視聴者側がそこまで気を遣う必要があるのかと考えると馬鹿らしくなる。
 何にしろ、本作は青春ドラマである以上、主人公の抱える悩みや問題が最終的に解決されれば、それで物語が成立する。だが、その肝心要の彼の悩みが、第一話の段階ではさっぱり見えてこない。本心は別にして、彼は独りぼっちであることを苦にしていないどころか、むしろ誇りに思っている。現状に満足しているため、物語の目標が全く見えない。それはゴールの分からないマラソンを延々と続けるような物だ。ワタモテの主人公が何とか現状を打破しようと失敗を繰り返しながらも一生懸命に頑張っていて、それが彼女の人間的魅力を生んでいるのに比べると、延々と悪態を吐いているだけの本作の主人公の魅力の無さは致命的である。今のままではただの「嫌な奴」であり、そんな人間が将来どうなろうと知ったことではない。それゆえ、正直なところ、この作品には全く興味が湧かない。

・ストーリー


 まぁ、そんなことを言っていると話が進まないので簡単にストーリーを紹介するが、クラスで孤立していた主人公は、見かねた生活指導担当教師から「奉仕部」への入部を薦められる。そこは部員がヒロイン一人だけしかいない潰れかけの部活だった。嫌々ながらも入部することになった主人公は、ヒロインと一緒にボランティア活動に精を出す。こう書くと、典型的なライトノベル原作学園アニメの第一話である。しかし、残念なことに、本作はその典型的な流れすら作れていない。主人公は教師に半ば命令される形で奉仕部に入部するのだが、いつでも辞められる立場でありながら、なぜか毎日そこへ通い続ける。口では嫌だ嫌だと言っているにも関わらずだ。本作はその辺りの心理描写が極めて杜撰で適当である。それ以外にも、なぜ主人公とヒロインが勝負するのかや他の部員が奉仕部に入る理由など分からないことだらけ。青春ドラマになくてはならない気持ちや感情の変化といった物が全く描かれない。最低でも、主人公がヒロインに対して何らかの興味を持ったことだけは、明確なビジュアルにしなければならなかっただろう。
 上記を踏まえて、本作の特徴にして最大の欠点は、映画的なダイナミズムやポップセンスといった物が徹底的に省かれていることである。例えば、第三話では、クラスのリア充グループとテニスで対決するという展開が発生する。ヒエラルキー下位の人間が上位の人間に立ち向かうのだから、これはもう世の中がひっくり返るような重大事件のはずだ。だが、このエピソードは全く盛り上がらない。正確に言うと「盛り上げない」。娯楽作品として当然あるべき誇張や外連味のある演出が何もなく、ただただ淡々と事態が進み、淡々と事態が終結する。その場に正義も悪も存在しないため、何のために対決するのかすらよく分からない。また、第五話では、部員の一人が過去の主人公の交通事故に係っていたというストーリー上の重要情報を、主人公の妹がさらりと口にする。なぜ、このタイミングで? 部員の正体に気付いた妹が恨みを募らせる等、もう少し話の盛り上げ様があるのではないだろうか。
 結局、何が言いたいかと言うと、本作は全てにおいて「日記」的なのである。その日に起こったことを順番に並べて報告しているだけで、何一つ物語になっていない。それを「人間のありのままを描いたネオリアリズムだ!」と主張するのは勝手だが、恐ろしく退屈でつまらないのは否定できない。孤高を望む嫌味な少年という最もヒーローから遠い人間をどうヒーロー的に描くか、この難問に全力で立ち向かうことを放棄した作品が面白くなるはずがないのだ。ネットスラングを声に出したら面白くなると思ったら大間違いだし、心の底から寒い。

・やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。


 改めて、よく意味が分からないタイトルである。これが『やはり俺の人生はまちがっている。』なら理解できる。もしくは、『やはり俺の恋はまちがっている。』でも少し日本語はおかしいが理解できないことはない。だが、本作は対象を「青春ラブコメ」と限定しているせいで実に珍妙なことになってしまっている。ラブコメとは「複数人の恋愛を面白おかしく描いた喜劇」のことである。悪い意味ではないが、真剣に恋愛を描いた純愛ドラマとは正反対に位置する。すなわち、この主人公は自分の恋愛を面白い喜劇だと称した上で、予想通りセオリーから外れていると冷笑しているのである。何なのだろうか、この神の如き上から目線は。恋愛は一人ではできない。かならず相手が必要だ。つまり、自分の恋愛を馬鹿にするということは、その相手も含めて馬鹿にするということである。失礼甚だしい。深夜アニメの歴史はもう二十年以上に及ぶが、ここまで性格の悪い主人公も珍しい。
 さて、実際のところはどうなっているかと言うと、男女の恋愛感情のズレが笑いを生むという分かり易いラブコメ要素が顔を出すのは、物語終盤の第九話からである。それまではラブコメですらないのだから、タイトル詐欺に当たる。もっとも、ヒロイン達はそれ以前から主人公に対して時折、好意的な素振りを見せているので、広義ではラブコメと言えなくもない。だが、その理由はさっぱり分からない。同じ境遇の相手に共感したから、困っている時に助けてくれたから、共依存だから、といろいろ強引に解釈できなくもないが、その相手は自他共に認める腐った性格の主人公である。萌えアニメにありがちな「なぜ、主人公がモテるのか分からない」の究極系と言っていい。
 そもそも、この世界の住民は優し過ぎる。あからさまに他人を拒絶している主人公の周りに勝手に集まって、勝手にストーリーを進めてくれる。これだけ悪行を振り撒いているのに、物理的に攻撃する人間が一人もいない。本当なら今頃は病院送りになっていてもおかしくないはずだ。自分が安全な場所にいて、どんなに無茶苦茶やっても傷付かないと分かっているから、ますます付け上がるのである。それでは、彼が嫌いなリア充の人間と何も変わらない。結局、主人公もラブコメ世界の住人に過ぎないというわけで、そんな彼が青春ラブコメを小馬鹿にしている様は滑稽である。どうせ数年後には、彼も社会に出て本物の現実と直面するのだから、その時の彼の態度は見ものである。

・ぼっち


 人がなぜ「ぼっち」になるのかは様々な原因があるだろう。だが、本作の主人公やヒロインがそうなった理由は明白である。それは「他人を見下しているから」だ。彼らは強烈な自己愛の持ち主である。「ぼっちの気持ちはぼっちにしか分からない」など自分が特別な存在であると思っている。それゆえ、自分の価値を下げる可能性がある他人には興味を持たず、壁を作って自ら孤立する。ワタモテを始めとして、『ローゼンメイデン』『N・H・Kにようこそ!』『四畳半神話大系』といった同種の主人公を抱えるアニメでは、そういった負の感情をギャグとして昇華していたが、本作は生のまま垂れ流すので堪らない。それこそ、自分の日記帳にでも書いていろと言わざるを得ない。
 そんな主人公が初めて他人に興味を持つのも、やはり第九話である。過去の交通事故に係っているのを隠していたヒロインが自責の念から元気をなくし、その様子を見た主人公が初めて自らを省みる。それを機に様々な変化が訪れる。その後、文化祭実行委員の活動を通じ、実行委員長やヒロインの姉といった分かり易い「悪役」が登場したことで、主人公側にもようやく正義が生まれる。絆や助け合いを強要する彼らに対し、それは誰かの犠牲の上に成り立っているに過ぎないと看破する主人公。しかし、主人公自身がヒロインに興味を持ち始めたことで、その主張に自己矛盾を起こす。はっきり言って、彼の心理は無茶苦茶なのだが、これまで完全に思考が凝り固まっていたことを思えば、矛盾が生じただけでも確かな成長の証である。後は主人公がその矛盾に気付いて、自分の中でどう折り合いを付けるかという話だ。
 このように、終盤の展開自体は決して悪くない。青春ドラマらしい感情の変化がしっかりと描かれ、主人公がヒーロー的な活躍をする。もし、第一話の時点で主人公がヒロインに対して興味を持ち、自己矛盾に葛藤していれば、本作は比べ物にならないぐらいまともな作品になっていただろう。だが、全ては遅きに失した。現実的に第一話~第八話という果てしなく長い無駄な時間がある以上、本作を評価することはできない。それはもちろん、青春ラブコメとしてではなく、映像作品としてである。つまり、本作が名乗るべき正しいタイトルは『やはりこの作品はまちがっている。』である。

・総論


 つまらなかった。読むのが苦痛ですらあったわ。想像を絶するつまらなさ。(原文ママ)

星:★★★★★★★(-7個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:04 |  ★★★★★★★ |   |   |  page top ↑
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