『のうりん』

公害。

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・はじめに


 2014年。白鳥士郎著のライトノベル『のうりん』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は大沼心。アニメーション制作はSILVER LINK.。地方の農業高校を舞台にした日常系ギャグアニメ。モデルは岐阜県美濃加茂市にある実在の高校。その縁から様々な面で地元企業・行政とタイアップし、放送前には市長直々に応援メッセージを動画サイトで配信した。

・コメディー


 おそらく、番組開始五分で目の肥えた視聴者の大半が気付くだろう。「このアニメはつまらない」と。そして、その予想は見事なまでに的中する。はっきり言って、この作品は死ぬほどつまらない。それも人を選ぶとか、オタクじゃなければ理解できないとかではなく、誰が見ても明らかにつまらない。よくこんな物を平気で地上波に配信できるなと、見ている方が恥ずかしくなるレベルである。
 単純にネタがスベっているだけならまだいい。だが、本作の場合はデフォルメや誇張演出を多用し、キャラクターがハイテンションでわめき散らし、良識を疑うような下ネタや他作品のパロディーをこれでもかと詰め込んで、その上でスベっているのである。もう目も当てられない。しかも、そのつまらないネタを延々と引っ張るという悪しき特徴がある。第二話では下品なパンツネタを十分以上も続けるなど、完全にコメディーの基本ができていない。ちなみに、劇中で使われているパロディーネタのほとんどが、二十年以上前の少年漫画・アニメである。作者の実年齢と狭い知見が伺い知れて哀しくなる。
 なぜ、つまらないのかも明白だ。それは独自性がまるでないからである。キャラクター一つ取っても、アイドルオタクの痛々しい朴念仁の主人公、天才イケメンだが変態露出狂の親友、主人公のことが大好きなツンデレ幼馴染み、無口な元アイドルのヒロイン、アラフォーの行き遅れ教師と皆、深夜アニメファンなら必ずどこかで見たことのある人達ばかりだ。そんなテンプレート丸出しの登場人物では、どんなに舞台を変えたところで目新しさは何もない。本作の特徴と言えば、岐阜県という地方都市にある農業高校を舞台にしているところである。それなら、キャラクターも設定を活かした人々にするべきではないのか。例えば、野菜マニアで都会に憧れる田舎者の主人公と都会から転校してきてカルチャーギャップに苦しむ元アイドルのヒロインの組み合わせにしておけば、設定に沿った物語作りをするだけで幾らでも面白いシチュエーションが発生するだろう。
 結局、笑いとはロジックの産物なのである。綿密な計算に基づいてシナリオを構築し、初めて良質な笑いが生まれるのである。決して、感覚だけでできる物ではないし、感覚だけで作ったら本作のようになるという良い見本である。

・アイドル


 主人公達は岐阜県にある架空の農業高校に通う高校生。そこへ、つい最近までトップアイドルだったヒロインが転校してきたところから物語が始まる。主人公はそのアイドルの大ファンだった。そのため、憧れの女性が目の前に現れて、大パニック!……になるのが普通のアニメである。だが、本作は普通のアニメではないので、なぜか主人公は極めて冷静である。慌てふためくこともなく、最初から一人の女性として彼女に接する。それどころか、まるで十年来の友人のように彼女を煽ったり、セクハラしたりする。もう、その時点で本作は一切批評する価値のない本物のゴミである。自分で作った設定だろう。なのに、その設定を十分に活かした作品作りをしなくてどうしようと言うのか。雲の上の存在だったヒロインを目の当たりにして、主人公が常人ではあり得ない突飛な行動をすれば、ギャグ的にも物語的にも面白くなるではないか。何を思ってこのようなことをしているのか全く理解できない。まさか、アラフォーのプロのクリエイターが、こんな作劇の基礎中の基礎もできないとは思いたくない。
 一方、農業高校で主人公達と学ぶことになった元アイドルだが、なぜか、その特異なプロフィールを全く感じさせない。どこまでも普通の人間であり、周囲の人間も一人の転校生として粗雑に扱っている。もちろん、素の彼女はアイドル時代と違って無口・無表情であるというのが設定的な面白さなのだが、あまりにも一般人臭が強過ぎて、元アイドルという肩書きまでもが嘘のようである。もしや、双子設定なのではと身構えてしまうほどに。はっきり言って、これも意味が分からない。トップアイドルが地方の農業高校に転校してきたら当然、様々なトラブルが発生するだろうし、彼女自身、アイドル時代とのギャップからアイデンティティーの確立に苦心するだろう。このままでは、元アイドルなどという特殊設定を用いず、ありがちなトラウマを抱えた薄幸の美少女で何の問題もない。
 一応、物語のクライマックスシーンでは、忘れた頃にアイドル設定が復活し、農業問題と絡めて「なぜ、この高校に転校したのか」が語られる。それは「主人公の送ってくれた野菜が、ファンに媚を売ることに疲れたヒロインの心を癒してくれたから」だ。かなり苦しいが、何とか気持ちを理解できないこともない。ただ一点、絶対に忘れてはならないことがある。それは「なぜ、ヒロインはアイドルになりたかったのか」という視点である。そこを完全に否定してしまうと、ヒロインはただの自己顕示欲に塗れた性悪女になる。アイドルと農業に共通するのは「人を笑顔にしたい」という優しい気持ち、そこを強調して描くべきなのだが、残念ながら本作にそのような高度なことを望むのは無茶である。

・農業


 本作唯一のオリジナリティーは、農業高校を舞台にしている点である。そのため、様々な農業知識が劇中に登場する。その知識自体は間違っていない。だが、それらのほとんどは物語になっておらず、ただ知識を羅列しているだけである。なぜ、そうなっているかと言うと、主人公達が農業高校在籍中の学生にも係らず、すでに知識を十分に蓄えており、それを無知なヒロインに伝授するという話になっているからだ。もし、主人公達が学生生活を通じて農業について学んでいくストーリーならば、本作のような資料の垂れ流しにはならなかっただろう。また、ライトノベルにありがちな「最初から最強」状態であるがゆえに、あらゆる農業上のトラブルを学生達だけで解決しようとする。何と自主性に溢れた高校であろうか。ただ、猿害や台風被害などは全国的に問題になっているのだから、これを生徒達の自己管理に任せるのは軽率過ぎる。それではただの放任と取られても否定できまい。
 本作は基本的に能天気なギャグアニメだが、物語の節々で急にシリアスになる。急過ぎて、突然違う作品が始まったかのようである。つい先程まで馬鹿騒ぎしていた連中がそういうことをやっても、同じキャラクターを用いたスピンオフ作品にしかならない。コメディーパートでもちゃんと基本に則ったストーリーを構築していれば、シリアスなシーンだけが宙に浮くこともないのだが……。それはともかく、そのシリアスパートでは日本の農業の将来について語られる。農業は大変で実りも少ない職業だが、真面目にコツコツと作った野菜はどんな高級品よりも美味しいという結論だ。それは間違いなく正しい。主人公達も野菜作りに対してだけは真摯である。ただ、真面目にコツコツと万人が楽しめるコメディー作りに励まず、下ネタとパロディーという最も安易な手段に逃げた人間が何を偉そうに語っているのかということだ。言行不一致な人間に心配されるほど日本の農業は落ちぶれていないだろう。
 このようにあらゆる面でダメなアニメだが、良いところが全くないわけではない。特に、第六話の萌えビジネス回はなかなかよくできており、後味も爽やかである。また、第十話の親子対立回も『美味しんぼ』のパロディーとは言え、訴えようとしているテーマ自体は悪くない。ただ、そのテーマとストーリーが全く噛み合っていない。固定種の野菜の美味しさをアピールしなければならないのに、なぜかマーケティングの話になっている。結局、ダメである。

・タイアップ


 以上、本作は誰が見ても非常に分かり易いクソアニメである。ここまで酷いと逆に「酷さを楽しむ」という状態になって、ネット掲示板や動画サイトなどでは文字実況が盛り上がったりする。おそらく、制作側もそれを十分に認識して開き直っているであろう。最初から良質の作品を作る気などさらさらなく、適当に小遣い稼ぎできればいいと思っているに違いない。それは別にいい。どうせ、半年後には誰も覚えていない作品だ。ただ、一つ問題がある。それは、本作が数多くの地元企業・行政とコラボレーションしていることである。
 この手のコラボの発端は、やはりアニメ『らき☆すた』になるだろうか。放送中からモデルとなった埼玉県久喜市の鷲宮神社には多くのアニメファンが訪れ、とんでもない経済効果をもたらした。それがきっかけとなり、二匹目のドジョウを狙って幾つものコラボが行われたのだが、それが上手く行った例は少ないようだ。明確に成功と言えるのは『ガールズ&パンツァー』の茨城県東茨城郡大洗町ぐらいな物だろう。大規模なイベントを行ったにも係らず、思ったよりファンが足を運ばなかったり、逆にアニメファンがトラブルを起こしたこともあった。結局、上手く行かない理由は、企業・行政側がアニメの内容をよく理解していないからだろう。経済効果にだけ目を奪われ、中身を精査せずに行うから、ニーズがズレるのである。中には『ヨスガノソラ』のように町興しに使うにはどう考えても相応しくない作品も存在するのだから、まずは深夜アニメの現実に目を向けるべきである。
 さて、本作も地元企業と多くのコラボを行っている。そのタイアップをどちら側が仕掛けたのかは知る由もないが、どちらにしても本作はそんな価値のない作品である。ならば、アニメ側が自粛すべきなのだ。低俗な物を作っていると自覚しておきながら、それを隠してタイアップするのは詐欺にも近い行為である。しかも、本作は農業を取り扱っているのである。真面目にコツコツと作物を育てている地元農家の人々に対して、十分以上もパンツネタが続く下品なアニメを胸を張って見せられるのかと問いたい。

・総論


 下ネタやパロディーが悪いというのではなく、コメディーとしての基本が何もできていないのが致命的。日本の農業を心配する前に自分の国語力を心配すべきだ。後、田村ゆかりファンは本気で怒っていい。

星:★★★★★★★(-7個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 11:43 |  ★★★★★★★ |   |   |  page top ↑

『ベン・トー』

食べ物で遊ばない。

公式サイト
ベン・トー - Wikipedia
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・はじめに


 2011年。アサウラ著のライトノベル『ベン・トー』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は板垣伸。アニメーション制作はdavid production。スーパーの半額弁当を巡って戦いを繰り広げる若者達の青春を描いた学園ハーレムバトルコメディー。ゲーム会社のセガを始めとして、複数の企業とタイアップしており、様々な商品が実名で劇中に登場する。

・ワンアイデア


 映画業界やゲーム業界でよく使用される言葉だ。肯定的な意味でも用いられるが、通常は「ワンアイデアで映画を作ってはいけない」などと否定的な言葉とセットで使われることが多い。具体的に言うと、どんなに斬新で魅力的な設定やゲームシステムを思い付いたとしても、そのアイデア一本だけで強引に作品を作ってしまうと、絶対に面白い物は生まれないという長年の経験に基づいたある種の教訓のような物である。例えば、「DNAを操作して恐竜を復活させる」というアイデアがあるとする。それはとても興味深い設定ではあるが、その設定だけで映画を作ってしまうと、ただの退屈な恐竜鑑賞ムービーになってしまう。きちんと万人が楽しめるエンターテイメントとして商売をしようと思えば、「システム管理者が私利私欲のために恐竜を暴走させた閉鎖空間内で、子供嫌いな恐竜学者が子供と一緒に逃げ回りつつ、カオス理論をベースにして科学文明を批判する」といった複数のアイデアを幾つも盛り込まなければならないだろう。それができるかどうかが、プロフェッショナルとアマチュアの最大の違いと言っても過言ではない。
 さて、本作も「スーパーの半額弁当を巡って血みどろの戦いを繰り広げる」という基本設定自体は確かに面白い。しかし、他にこれと言って独自要素はないため、このアイデア一本で押し通すしかなく、結果的にひどく薄っぺらい物になってしまっている。弁当バトルが面白いのは精々最初の二・三話だけで、後は哀しいぐらいにマンネリ化する。第一話と最終話でやっていることが大して変わらないので、頑張って全話見る必要すらない。仕方ないので、弁当とは無関係な下ネタ満載のハーレム描写でお茶を濁すという本末転倒っぷり。本当に芸術作品として評価されたければ、弁当バトルはむしろサブ要素にして、それにまつわる人々のネガティブな人生を面白おかしく描きつつ、日本人の平和ボケや経済格差を批判するといったストーリーにしなければならないだろう。中高生向けのライトノベル原作だからと言って、決して手抜きが許されることはない。

・欠点


 その日の夜に起こったことをちょこっと描いただけで、「これが僕の登校初日の一部始終だ」と主人公がナレーションする衝撃のオープニングで本作は幕を開ける。何が一部始終なんだ? 日本語大丈夫か? のっけからそういうアホなことをやられると先行きが不安になるが、案の定、その不安はすぐに現実の物となる。
 一口に欠点や欠陥と言っても大小あるが、その中で最も酷いのが物語の根幹に係る部分の描写不足である。そこでミスられると中心軸が崩壊し、作品の存在意義自体が危うくなりかねない。そして、本作における欠点もその系統で、それは「主人公が半額弁当に執着する理由が何もない」ということである。主人公は学生寮で一人暮らしをしている高校生。月二万五千円の生活費でやりくりしているため、食費をできるだけ安く抑えられるよう、スーパーの売れ残り品を狙っている。その気持ちは分かる。しかし、弁当バトルで凄惨な光景を目にし、実際に自分も手傷を負った後で、それでもなお半額弁当を求める理由としてはあまりにも弱過ぎる。例えば、貧乏学生で食費すらままならないとか、莫大な借金があるとか、とある目標に向かって貯金しているとか、子供の頃から弱肉強食の世界に生きてきたとか、とんでもない偏食でスーパーの弁当しか食べないという設定ならば、命を懸けて弁当バトルに参戦する必要性があるが、それ以外なら幾らでも安全に食材を手に入れる方法はある。親に仕送りをしてもらっている状態で、部活もバイトもしていない、なのにスマホを自由に使っているような恵まれた子供が、偉そうに食い物のことに口を挟むなということだ。さらに言うと、弁当バトルに敗北した時にはカップ麺を食べなければならないのだが、実在企業とタイアップしているせいで、その商品を「不味い」と言うことができない。だったら、最初から美味しいカップ麺を食べていろという話である。
 結局、「初期設定の練り込みの甘さ」というライトノベル原作ハーレムアニメに共通する、いつものアレである。ハーレムアニメの雛形は様々な分野に応用が利く万能性を持っているとは言え、所詮は汎用テンプレート、個々のジャンルに特化した奥深い設定など作れはしない。それは制作者本人が一番よく分かっているはずだが。いつまでも、そんな物にしがみ付いて三流作品を垂れ流し続けるか、それともリスクを冒して一流作品に挑戦するか、そろそろアニメ業界人も腹を括るべき時期だろう。もっとも、「作らない」のではなく「作れない」のだったら仕方ないが。

・バトル


 本作の目玉は、もちろん半額弁当を巡って繰り広げられる狼(弁当バトルに参戦する人々の自称)達の熱いバトルシーンである。そのバトルとは、現実世界でも行われているような押し合いへし合いのケンカではなく、一定のルール下で行われる「格闘技」である。殴る・蹴る・跳ぶ・掴む・投げ飛ばす。血反吐を吐き、記憶を失うほどのケガを負うのは日常茶飯事。まさに命とプライドを懸けた死闘である。「スーパーの中でそんなことができるわけない」という批判はごもっともだが、これはアニメ的な誇張表現であるため、そこにツッコむのは野暮という物。カツオ少年がいつまでも小学五年生なのはおかしいと文句を言うのと同レベルの空気の読めなさである。
 しかし、いくら誇張表現とは言え、その格闘技で優劣を決め、勝った者が弁当を手に入れるという設定になっている以上、「強さの理由」は絶対に描かなければならない重要ポイントである。なぜなら、強さの理由が分からないとそこへ到達する方法も分からず、ひいては「成長」という要素が描けないからだ。だが、少なくともアニメ版では、一介の女子高生である「氷結の魔女」や「オルトロス」がなぜ強いのかは一切描かれない。それは主人公も同様で、何の特徴もない普通の人間のはずなのに参戦当初から経験豊富な相手と互角の勝負をし、何度か勝利して弁当を手に入れている。その光景は極めて異常である。実際に殴り合いのケンカをしたことのある人なら分かると思うが、格闘技の経験のない人間がいきなり人を殴ることは絶対に不可能である。にも係らず、主人公が当たり前のように戦いに身を投じているのは非常に不自然であり、その瞬間、彼から人間味が奪われてしまう。
 もちろん、制作者もプロなので、強さの優劣を決める基準の一つとして、「空腹が戦闘力を高める」という設定を時折忘れた頃に挿入している。しかし、それだと主人公の空腹の度合いが他人よりも激しいという理由付けが必要なのだが、当然、そのような描写はどこにもない。どう考えても、ダラダラとした日常を送っている高校生より、汗水流して働いている肉体労働者の方がお腹はすいているだろう。また、最終回では、ジョギングでお腹を空かして戦闘力を高めるということを行っているのだが、逆に言うと、その程度の努力で強くなれるということだ。安易に設定を補強しようとして、かえって墓穴を掘るという典型的な悪例である。
 要するに、いつもの「チート主人公」である。何の特訓も修行もしていないのに、登場時にはすでに達人クラス。その後も一切の努力をせずに能力値だけがどんどんインフレする。かっこいいバトルシーンを描きたいという意識が先行し過ぎて、話の整合性など蚊帳の外。つまり、「幼稚」なのである。小学生レベルの妄想なのである。そんな物を地上波で垂れ流すということに恥ずかしさを覚えて欲しい。

・食育


 一応、本作のテーマは「弱肉強食」ということになる。普段、我々が当たり前のように食べている食料が、どれだけ貴重で大事な物であるかを血肉を分けた弁当バトルを通じて訴えかけているわけである。言ってみれば「食育アニメ」だ。そのテーマは「半額弁当を巡る戦い」をしている間は確かに守られている。だが、ここに落とし穴があり、「半額弁当を巡る戦い」というレールから一歩でも離れた瞬間、テーマが逆転してしまうのである。つまり、「食べ物は大事な物ではない」という全く正反対のテーマである。
 半額弁当を狙う者は皆、狼としての誇りを守るために試合開始・終了等の暗黙のルールを定めている。それに従わず、自分勝手に弁当を手に入れる者を「アラシ」や「豚」などと呼んで蔑んでいる。さて、本当に食べ物を大事にしているのはどちらだろうか? もっと言うと、主人公は、最初こそ半額弁当を手に入れることが目的だったが、段々と戦うこと自体が楽しみになり、「ゲームは強い奴に勝ってこそ嬉しい」「弁当だってすんなり手に入れられたら面白くない」などと戯けたことを口にし始める。それどころか、最終的には「狼の誇りのために戦う」という手段の目的化が発生している。それは主人公だけではなく他の狼達も同様で、オルトロスに至っては実家が金持ちで半額弁当を手に入れる理由すらない。また、狼の中には、売り場の割り箸や買い物カゴを武器にし、平気で商品棚の上に乗る者もいる。それは器物損壊という歴とした「犯罪」である。さて、本当に食べ物を大事にしているのはどちらだろうか?
 繰り返すが、本作が訴えたいことは食物の重要性である。そのテーマは弁当バトルをしている間は守られているが、そこから離れるや否や逆転する。結局、彼らのやりたいことは「命を懸けて戦うこと」であり、半額弁当はその出汁に過ぎない。要は戦いの大義名分が欲しいだけなのである。それを「食べ物で遊ぶ」と言うのだ。数あるマナー違反の中でも、他人を不快にするという意味ではトップクラスに君臨する行為である。飢えた狼を自称するなら、死ぬ気で働いて定価で弁当を買え。それが真の意味での食育である。

・総論


 面白いアイデアを思い付いたからそれでお話を作ってみたけど、すぐにネタ切れして、気が付いたらありがちなハーレムエロアニメになっちゃいました、というただそれだけの作品。文学的センスの欠片もない。とりあえず、食べ物で遊ぶのはやめましょう。お兄さんとの約束だ。

星:★★★★★★★(-7個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:25 |  ★★★★★★★ |   |   |  page top ↑
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