『乱歩奇譚 Game of Laplace』

何をやりたいのか?

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乱歩奇譚 Game of Laplace - Wikipedia
乱歩奇譚 game of laplaceとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。オリジナルテレビアニメ作品。全十一話。監督は岸誠二。アニメーション制作はLerche。小林少年と明智探偵のコンビが怪人二十面相に立ち向かう怪奇ミステリー。「江戸川乱歩没後50年作品」と銘打ち、その一連の作品群を原案にしたオリジナルアニメということになっているが、はたしてその真相は如何に。

・深夜アニメ


 深夜アニメの視聴者ターゲットは何か? これは簡単そうに見えて非常に難しい問題である。ご存じの通り、今や小学生から高齢者まで幅広い年齢層が深夜アニメを視聴している。単純に数だけを集計すると、やはり一番多いのは中高生になるはずだが、それでは中高生をメインターゲットにすればいいのかと問われると難しい。DVD等のグッズを販売して制作費を回収するというビジネスモデルになっている以上、財布に余裕のある社会人を対象にしなければ生計が成り立たないからだ。よって、中高生向けを装いつつ、同時に大人も楽しめるという作品に仕上げなければ、群雄割拠の深夜アニメ界では生き残れないだろう。
 さて、本作は、怪人二十面相シリーズでお馴染みの江戸川乱歩の作品群をそんな深夜アニメ風にアレンジした作品である。その結果、どうなったかと言うと、舞台は現代、明智探偵は日本政府公認の天才高校生探偵、小林少年は女性にしか見えない中学生の男の娘、羽柴少年は小林少年に道ならぬ恋をする御曹司、担任教師はフリフリの服に身を包んだ萌えキャラ、影男はロリコンの変態で変装の達人、黒蜥蜴は色狂いのSM女王様、怪人二十面相は革命家気取りの連続殺人犯となる。良く言えばデフォルメだが、要は深夜アニメで何度も使い回されているアバターを流用して乱歩キャラに当てはめただけだ。また、作風はなぜかコメディタッチになり、原案の持つ怪しげな雰囲気などどこにもない。そのコメディにしても、映画風の喜劇でもなければ、少年漫画風のギャグでもない。登場人物が常にボケとツッコミで会話することでストーリーを進めるという深夜アニメ風としか言い様のない独特のノリだ。不自然だし、そもそも大して面白くない。そして、大元の設定は、一つの数式が世界を動かすという陰謀論やらセカイ系やらをごちゃまぜにした純然たる中二病。もし、登場人物の名前が別人だったら、誰も乱歩作品を題材にしているとは気付かないだろう。
 では、本作の視聴者ターゲットは何なのだろう。どう贔屓目に見ても、本作が大人の鑑賞に耐えられるとは思えない。ならば、採算を度外視し、江戸川乱歩を世に広めることだけを目的とした純粋な中高生向けアニメということになるのだろうか? ただ、ここで一つ留意しなければならないのは、江戸川乱歩にはすでに小学生向けにアレンジされた「少年探偵団シリーズ」というレパートリーがあり、それらに比べて本作は明らかに幼稚だということである。そう考えると、本作のコンセプトに疑いの目を向けざるを得ない。一体全体、本作は何をやりたいのだろうか?

・特徴


 本作の最大の特徴、それはいわゆる作劇のセオリーを意図的に避けていることである。ミステリードラマでありながら謎解きのシーンが少なく、雰囲気も無駄に明るい。演劇風の演出やゲーム風の演出を多用する。解説用のギャグキャラだと思っていた人物が実は犯人だったという楽屋オチさえも厭わない。もちろん、人を選ぶが、それ自体は別に悪いことではない。乱歩作品はしばしばセオリーを逸脱する。ただ、脚本までもが作劇のセオリーを無視してしまっては、ちょっと困った事態になってしまう。
 例えば、小林少年は退屈な日常に嫌気が差している時に明智探偵と出会い、裏社会の魅力に引き込まれたという設定になっている。だが、日常に退屈している様子は劇中で全く描かれない。精々、一人で下校するシーンが数秒間描かれる程度だ。こう書くと制作者は必ず反論するだろう。いや、違う。モブキャラをシルエットにすることで少年の孤独な心を表現しているのだ、と。確かにそうかもしれないが、それは後から言われてようやく気付く程度の小さな差異だ。物語は初見で理解できなければ意味がない。何度も何度もリピート再生してくれる心優しい視聴者ばかりではないのだから。そもそも、他人をモブキャラ扱いするほど世間に興味のない人間が、優秀な探偵になれるはずがない。その証拠に、原案の明智小五郎の趣味は「人間の研究」だったではないか。一方、少年が憧れるその明智探偵にしても、本作では何が凄いのかさっぱり分からない。彼が初めて探偵らしい活躍をするのは何と第七話。それまでは自室に閉じ籠もって適当なことを言っているだけで、日本政府公認の天才高校生らしさはどこにも垣間見えない。なぜ、そんな男に小林少年は憧れたのか。探偵なら誰でも良かったのか。結局、小手先の演出にこだわって描くべきシーンを描かないと、こういった根本的な疑問が生じてしまう。
 また、乱歩作品と言えば、人間の心の奥深くに潜む黒く歪んだ感情を白日の下に晒し出す点に特徴がある。では、本作はどうかと言うと、確かに人間の黒い感情は語られる。ただし、それは本人の口からだ。そう、本作の一番の問題点は、登場人物が心情を全て口頭で語ってしまうことである。よく二時間サスペンスドラマで追い詰められた犯人が崖の上で犯行を自供するが、本作はそれをさらにパワーアップさせて、まるで独演会のように長時間ペラペラと自分語りする。第十話などは最初から最後までずっと怪人二十面相のモノローグだ。小説ならともかく、映像作品の脚本としては非常に稚拙であり、評価は厳しい物にならざるを得ない。

・ストーリーその1


 名目上、本作は江戸川乱歩の小説を原案にしたオリジナルアニメということになっている。だが、実際のところはどうかと言うと、共通しているのはサブタイトルとちょっとした小ネタぐらいで、後は似ても似つかぬ物だ。例えば、『人間椅子』というサブタイトルの付いた第一話・第二話で用いられている題材は「人間の死体で作った椅子」である。流行に乗り遅れた田舎の駄菓子屋だろうか。原理主義的な乱歩ファンが聞いたら怒り狂いそうだが、中高生向けの深夜アニメに多くを求めても無駄だ。少年探偵団シリーズを読んでいるかどうかすら怪しい層が視聴者である。
 それでは、本作の中心的なストーリーは何かと言うと、『DEATH NOTE』と『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』を足して何倍にも薄めた物である。すなわち、世の中には法律で裁けない犯罪者が何人も野放しになっている。その悪しき状況を是正するためには、自分自身が「怪人二十面相」となって彼らを成敗し、犯罪の抑止力になるしかない。そうしている内に必ず追従者が自然発生し、二十面相ムーブメントが出来上がるはずだ。というように、明らかに『DEATH NOTE』のキラと『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の笑い男を意識している。それは別にいい。不変不朽のテーマだ。だが、本作はそこに上記の中二病要素をプラスしているせいで、非常に陳腐な物になってしまっている。
 簡単に説明すると、明智探偵と彼の友人は数年前に一つの数式を発明した。カオス理論を用いて作られたその数式は、世界中のあらゆる事象を数値化して予言することができる。そして、友人はその数式が導き出した解答に従って怪人二十面相になり、世界に革命を起こそうとした、という分かるような分からないような話である。いや、嘘を付いても仕方ない。全く分からん。数式の詳細については、劇中で何も描かれない。明智探偵が狂ったようにパソコンのキーボードをタイピングするシーンがあるが、何を入力しているのかは分からない。当然だ。なぜなら、具体的に描こうと思ったら、監督・脚本・演出・作画スタッフ全員がカオス理論を理解していないといけないのだから。もっとも、本当に理解していたら、このような馬鹿げた設定は持ち出さないだろう。聞き齧った知識で世の中全てを分かったつもりになるのが中二病の特徴である。そもそも、元ネタの二作品は、人間の心理上、模倣犯が自然発生するのは当たり前だとしているのに対して、本作はそれだと納得できないから何らかの大きな力が裏で働いているに違いないとしている。どちらが人間の心と真摯に向き合おうとしているかは言うまでもない。

・ストーリーその2


 また、この設定を成立させるためには、我々の住む社会が如何に歪で理不尽であるかを劇中で明確に示さなければならない。一応、本作もそれを試みているのだが、何とテレビニュースというストレートにも程がある演出で表現している。しかも、そこで取り上げられているのは、雇用情勢やらブラック企業やら小学生新聞並みの分かり易いニュースだ。真面目に批判するが、ここで描くべきは現代人が漠然と抱えている「不安感」である。深い哀しみが世界を覆っている。将来がどうなるか分からない。人々の絆が薄れかかっている。そういった得体も知れぬ不安感が具現化して怪人を生み出すのだ。その感情が何一つ伝わって来ない本作は、社会派ドラマとしてあまりにも低レベルである。
 その後、死んだはずの友人が真の怪人二十面相として復活し、明智探偵と衆人環視の中で対決する。実は数式には大きな欠陥があり、このままでは友人か探偵のどちらかが死んでしまう。だが、あくまで数式にこだわる友人は、自ら死ぬことで数式の正しさを証明しようとする。それを阻止する探偵。と、そんな鬼気迫る状況なのだが、肝心の場が一向に盛り上がらない。これも簡単な話で、要は「思想の対立」がないからである。友人は世の中に絶望して自分の手で幕引きをしようとしている。探偵は彼を助けようとしている。それだけだ。ストーリーを盛り上げるためには、怪人二十面相と逆の思想を持った人間を登場させて、真正面からぶつかり合わなければならない。その人間とは、世の中の酷さを十分に理解しているが、自分の生活のため、そして、家族のために感情を捨てて毎日頑張っている人、すなわち「大人」だ。だが、明智探偵は国のお墨付きをもらって、学校にも行かずに悠々自適の生活を過ごしている子供。本来、議論の輪に入る資格のない人間だ。これでは何の説得力もない。実際、劇中でも明智探偵が「根深いんだよ。子供が考えている以上にな、社会ってのは」と語った後、すぐに羽柴少年に「自分だって子供でしょ?」と突っ込まれるシーンがある。ボケとツッコミで会話を進めるのが深夜アニメ、などと言っている場合ではない。
 結局、本作は何をやりたかったのだろうか? 「平凡な日常に退屈していた少年が、怪しげな探偵と出会ったことで裏社会に足を踏み入れる」、この定番のプロットを普通に映像化すればいいだけの話なのに、それを嫌って特殊なことをやろうとした結果、訳の分からない物が出来上がる。それを中高生向けと言い張るのは勝手だが、作り手が中高生レベルでは意味がない。もう一度、江戸川乱歩作品を読み直し、創作の基本に立ち返ってもらいたい物である。

・総論


 深夜アニメの悪いところを集約したような作品。視聴者を心の底から馬鹿にしていなければ作れない作品。それはつまり、江戸川乱歩を馬鹿にしているということ。

星:★★★★★★★★(-8個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:14 |  ★★★★★★★★ |   |   |  page top ↑

『Charlotte』

破綻。

公式サイト
Charlotte - Wikipedia
Charlotte(アニメ)とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。オリジナルテレビアニメ作品。全十三話。監督は浅井義之。アニメーション制作はP.A.WORKS。中途半端な特殊能力に目覚めた少年少女を巡る戦いを描いたSFファンタジー。原作・脚本・音楽を担当したのは『Angel Beats!』でお馴染みの人気シナリオライター・麻枝准。タイトルの「Charlotte」とは、彼の好きな歌手の曲名であって、それ以上でもそれ以下でもない。

・第一話


 先に結論を書くと、本作は非常に特殊な設定をベースに作られているが、あまりに土台が脆弱なため、増築に次ぐ増築で補強を重ねた結果、見るも無残な違法建築物が出来上がってしまったような作品である。
 主人公は五秒間だけ他人に乗り移ることができる特殊能力保持者。その能力を駆使して、成績トップでエリート高校に入学する。成績トップ? ただのカンニング能力でどうやって一番になれるのだ? この時点で早くも設定が破綻しているのだが、そこは気にせず話は進み、主人公はその偽りの実績をバックにして傲岸不遜な態度で高校に君臨する。本作最大の問題点は、この主人公の歪んだ人格を決定付ける設定的な根拠が何もないことである。主人公が自己中心的で傲慢な性格なのは、物語の後半で自己犠牲を行って人間的な成長を描くための伏線なのだが、肝心の主人公がなぜそのような性格になったかの理由付けがないため、感動も何もない。普通に考えると何らかのコンプレックスの裏返しなのだろう。両親のいない寂しさが心を歪めたと取れなくもないが、ここはしっかりと具体的に描かなければ意味がない。彼は誰もが認めるイケメンであり、演説も巧み。そんな人間が不正を働いてまで名声を得ようとする動機が何もないため、今のままではただの「嫌な奴」でしかなく、視聴者の感情移入が難しくなる。さらに、物語が進むごとに彼はキャラがぶれまくり、ありがちな「やれやれ系」主人公まで堕ちたかと思えば、突然ダークな本性を露わにする。もし、これで複雑な人間の心理を描けたと思っているなら大間違いだ。これではただの多重人格者である。
 そんな主人公だったが、別の能力者にカンニングを見透かされたことで失脚し、能力者ばかりを集めた高校へと強制的に転校させられる。番組開始十五分のことである。その後は妹とののんびりとした日常話で残り十分を埋める。意味が分からない。普通のアニメなら、学校と家の生活を交互に描きながら主人公がどういう人間であるかを示し、第一話の最後に能力がバレて転校という流れになるだろう。なぜ、セオリーを無視してまで構成を逆にしたのか。はっきり言って謎である。要するに、本作の脚本家は劇中で描くべき物とそうでない物の判断が全くできていないのである。「アニメの脚本に慣れていないから」で済むような話ではないし、それならそれで監督やストーリー構成担当が適切に修正すべき案件だと思うのだが。

・第二話~第八話


 第二話。転校先の高校で主人公は生徒会に入れられる。そこはクラスメイトのヒロインが生徒会長となって全てを取り仕切っていた。なぜ、高校一年生が生徒会長なのか、理由は本編中でも述べられているが正直苦しい。これもまた設定の穴を無理やり埋めた結果であって、今後も似たような苦肉の策が延々と続く。その生徒会の目的は、主人公のような能力者を探し出して、研究者に見つかる前に高校で保護すること。詳細は不明だが、何らかの公的な研究団体が日本中から能力者を集めて人体実験を行っているらしい。『Angel Beats!』でもそうだったが、本作の基本理念は「理不尽な社会に対抗するために自分達で楽園を作って好き勝手にやる」である。ただし、肝心の理不尽な社会が全く描けていない。能力者が人体実験されているという現実も作者が勝手に作った独自設定に過ぎないため、一般人にはピンとこない。すると、「好き勝手にやる」という面だけが強調され、実に不快な物になる。例えば、生徒会を私物化しているのもそうだし、ちょっとした悪ふざけで救急車を呼んだりもする。かと思えば、自分達のことは棚に上げて、同じく好き勝手にやっている要救助能力者を上から目線で説教する。どちらが作者の本音なのかは言うまでもない。
 第六話。妹が死ぬ。いや、マジで。そのことで主人公が自暴自棄になり、社会からドロップアウトする。すると、作品の雰囲気が一変し、反社会的なバイオレンスアニメになる。物語の途中で突然シリアスになる作品は多いが、ジャンル自体が変更になる作品は珍しい。まともなクリエイターなら絶対にやらない。結局、ヒロインの献身的な働きによって主人公は社会復帰するのだが、その方法が非常に浅い。しかも、「学校に戻ろう」ではなく「生徒会に戻ろう」である。誰も邪魔しない楽園からまた新たな楽園に移動しただけで、そういうのを社会復帰とは言わない。
 第八話。主人公が道を歩いているとたまたま某重要人物と出会う。もう一度言う。道端でたまたま重要人物と出会う。そして、その人物の力により精神病院に入院していたヒロインの兄が自我を取り戻す。ジーザス! 何と言う奇跡! 安過ぎる! とまぁ、この第二話~第八話の一連の流れは、設定がどうのこうの以前に単純に物語としての質が低い。ギャグも全体的にスベり気味で、敬語キャラが身近に四人もいるなど人物配置も悪い。『Angel Beats!』であれだけ叩かれたのが堪えたのか、設定の齟齬自体は減っているのだが、それで物語の面白さまでも失っては意味がない。クリエイターたる物、あまり世間の目を気にし過ぎてもダメということなのだろう。

・第九話~第十一話


 第九話。この回より怒涛のネタばらしが行われる。これまでのことは全て主人公の兄が仕組んだことだった。彼はタイムリープ能力保持者であり、かつて兄弟共々研究者に捕えられていたのだが、主人公の助けにより施設からの脱走に成功し、その能力を駆使して資金を集め、特別な学校を創立して能力者を研究者の魔の手から救おうとした、ということらしい。ご覧の通り、ここからは単純な設定上の矛盾に加え、「タイムパラドックス」という新たな矛盾まで抱えることになる。本作のタイムリープ能力は、本人の記憶だけを過去の自分に飛ばす能力である。そんな絶対に本人にしか分からないはずの能力をどうやって他人が知り得るのか。他の能力者の密告があったにしても、能力が発動して初めて能力者になるわけで、それだと本人にすら能力が分からないということになる。また、タイムリープで金策という設定も苦しい。ロト6や株だけで、本当に国家権力に対抗できるだけの資金が稼げるのか。それは「未来は変わらない」という前提があって初めて成立する物であり、これから「未来を変えよう」としている彼らの行動と矛盾する。さらに言うと、なぜ学校を作ると能力者を匿えるのかもよく分からない。能力者の存在を世間から隠蔽するためには、徹底した管理教育を施さないといけないはずで、そんな物は逆に不自然極まりない。そもそも、そんな描写自体がない。まぁ、それ以前に敵である研究者とやらの実態がよく分からないので、あらゆる点が想像の域を越えないのだが。
 なお、上記の設定ミスは言ってみれば裏の要素であり、無視しようと思えばギリギリ無視できる物である。しかし、ただ一つ、絶対に無視できない大きなミスも存在する。それが「主人公がタイムリープによって消されたはずの未来の記憶を持っている」ことである。彼はなぜか聴いたことのないはずのバンドの新曲を知っている。それは以前、施設に収容されている時に聴いたことがあったから。しかし、その時間軸は主人公の兄によって消されているのだから、絶対に覚えているはずがないのである。もちろん、いろいろとオカルティックな解釈はできる。タイムリープしたら全ての人類の記憶が受け継がれるのだが、明確に覚えているのは主人公兄弟だけという設定なのかもしれない。だが、大事なのは、それがストーリー上の極めて重要な「伏線」であることだ。伏線と言うからには、誰が見ても一目で理解できるような分かり易い物でなければ意味がない。そうでないとただのミスリードになってしまう。それはもうSF作家としてのセンスの問題だ。もし、これが新人文学賞なら、あらすじ読みの段階で跳ねられるような稚拙なプロットである。作っている人達は誰もこれをおかしいと思わなかったのだろうか、本当に不思議でならない。

・第十二話~第十三話


 第十二話。この回からいきなり話が世界規模に飛躍する。主人公達のような能力者は日本だけではなく世界中に存在する。彼らの力をテロリストが利用したら世界は破滅する。だから、主人公達がどうにかしないといけない、と……いや、まぁ、確かにそうですが。ただ、主人公達の当面の敵は、能力者を人体実験の材料にしている日本の研究者だったはずだ。そこに対する反撃を何もしないまま、唐突に目標を切り替えられても反応に困る。そもそも、物語における「敵」とは、ただ単なるストーリー上の障害物ではなく、その作品の目的やテーマが具現化した物である。だからこそ、主人公以上に丁重に扱わなければならない。本作の作者には、そういった基本的な国語能力が欠けているため、終始不安定で落ち着きのない作品になるのである。
 さて、我らが主人公達は、崩壊寸前の世界を、いや、作品を救うためにどうしたか。彼らの選んだ方法は、何と「主人公が世界を飛び回り、全ての能力者から力を奪う」という物だった。この面白さをお分かり頂けるだろうか。要するに、彼らがやろうとしていることは「破綻した設定の後始末」である。土台の計算が狂っているため、このまま突き進むといつか必ず破滅する。しかし、何らかの大きなイベント(例:彗星をミサイルで爆破)を起こして無理やり問題を解決したところで「超展開」の誹りを免れない。ならば、一つずつ細かい穴を潰していくしかない。そういった極めて人海戦術的で「地道」な作業をやろうというのである。もう、アホかと。先程の違法建築の例で言うなら、設計ミスで強度不足が明らかになった巨大建造物の一万本の柱を、一つ一つ耐震補強していくような物だ。どう考えても、最初から作り直した方が早い。
 最終回。自分の足で世界中を飛び回り、一人ずつ能力者から力を奪っていく主人公。地球の陸地面積は約一億五千万平方キロ。国の数は約二百。総人口は約七十億人。まさに砂漠で一本の針を探すような行為。数年後、ついに使命を果たした彼は、自分が誰か分からないぐらいボロボロになって日本に帰ってくる。そこでヒロインと再会する。感動の対面。どこからか流れてくる美しい挿入歌。告白するヒロイン。そして、爆笑する視聴者。はっきり言って、このシーンは長いアニメ史の中でも十指に入るほど面白い。いや、笑ってはいけない。そこにいるのは、自分の身を犠牲にしてまでストーリーが破綻するのを守った真の漢の姿だ。称賛と労いの言葉で迎えてあげようではないか。決して「自業自得だろ」と言ってはならないのである。
 ちなみに、この第十三話は1クールのアニメの最終回として見るとゴミクズだが、それ単体の作品として見ると、実に痛快なサイキックアクションムービーである。P.A.WORKSは、この回だけを1クールに分けて放送すべきだったのだ。タイトルは『Charlotte』のままでいい。どうせ内容とは何の関係もないのだから。

・総論


 『Angel Beats!』が『CASSHERN』だとするなら、この『Charlotte』はまさに『GOEMON』。これからも稀代のクソアニメメーカーとして頑張って下さい。

星:★★★★★★★★(-8個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 11:11 |  ★★★★★★★★ |   |   |  page top ↑
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