『艦隊これくしょん -艦これ-』

奇作。

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艦隊これくしょん -艦これ-(アニメ)とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。角川ゲームス開発、DMM.com運営のブラウザゲーム『艦隊これくしょん -艦これ-』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は草川啓造。アニメーション制作はディオメディア。「艦娘(かんむす)」と呼ばれる擬人化軍艦が世界を守るために戦うSF戦争ドラマ。原作は登録アカウント数三百万を誇る化け物ゲーム。2016年秋に劇場版が公開予定。

・擬人化


 まず、原作であるブラウザゲーム『艦隊これくしょん -艦これ-』を簡単に紹介しよう。このゲームは、旧日本海軍の軍艦を建造して艦隊を編成し、世界に仇なす謎の軍隊と戦う戦略シミュレーションゲームである。最大の特徴は、その軍艦が可愛らしい女の子に擬人化されていること。彼女達は「艦娘」と呼ばれ、明確なストーリーこそないが、戦いを通じて少しずつ成長し、最後には強力な艦船に進化するといったRPG要素も兼ね備えている。ただ、この程度なら他社のゲームでもよく見られる仕様だ。では、なぜ、本作は並みいる強敵を押し退けてまで歴史に名を残すような人気ゲームになれたのだろうか。一般的には、同種の作品に比べて課金システムが良心的であることや、バトルシステムが綿密に作り込まれていることなどが理由として挙げられている。特に、後者は常に「基本無料のブラウザゲームとは思えない」が枕詞として付いて回る。それが真実の評価なのかどうかの判断は別に譲るとして、このゲームの売りが個性的な艦娘達による戦略性の高いバトルにあることは間違いないだろう。
 さて、それでは、そのテレビアニメ化作品である本作はどうだろうか。まず、視聴して最初に目に付くのは、直立不動のまま隊列を組んで海上をホバー走行する艦娘達の姿である。ちょ待てよ。いや、幾ら何でもそれはどうなのか。確かに擬人化した軍艦をそのままビジュアル化しようと思ったら、そうするより他に仕方ないのだろうが、見た目は明らかに変である。彼女達の姿から、全長数百メートル、排水量数万トンの巨大な軍艦をイメージすることは、どんなに想像力の豊かな人間でも不可能だ。逆にゲームユーザー側から見ても、自分達が長年プレイして漠然と想像していたゲーム版のバトルのイメージと、アニメ版のバトルのビジュアルとの間に言い様のないギャップを覚えるだろう。当然だ。なぜなら、ゲーム版で行われているバトルは、あくまで巨大な軍艦同士の「艦隊戦」なのだから。一方、アニメ版で行われているのは、武装した生身の兵士が戦艦に立ち向かう「歩兵戦」である。もう、比べること自体が間違っている。
 結局、これは「擬人化とは何か?」という根底的な疑問に帰着する。勘違いしている人も多いが、全長160メートルの軍艦を擬人化したら、身長160センチの少女になるわけではない。擬人化しても全長160メートルのままである。だからと言って、身長160メートルではない。禅問答みたいになってしまい恐縮だが、要するに擬人化とは対象が持っている抽象的なイメージを具体化した物であって、現実の物体に顕現化した物ではないということだ。前にも書いたが、猫を擬人化した人間が家で猫を飼っていたらおかしいだろう。そういう意味では、軍艦その物ではなく軍艦の人工知能を擬人化した『蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-』は実に上手い。これこそまさに理想の擬人化だ、と他のアニメの当て馬になるようではお終いである。

・戦争


 では、本作の設定を紹介しよう。「海の底から出現する謎の艦艇群、それらを人類は深海棲艦と呼称した。駆逐艦級から超弩級大型戦艦まで多彩を極める深海棲艦の攻撃によって、人類は制海権を喪失。その脅威に対抗できるただ一つの存在、それが在りし日の戦船の魂を持つ娘達、艦娘である。艤装と呼ばれる武器を装着し、生まれながらにして深海棲艦と互角に戦う能力を持つ彼女達、その活躍により制海権奪還に向けた反抗作戦が開始されようとしていた」といったことが、冒頭のナレーションで語られる。残念ながら、皆さんにお伝えできる情報はこれが全てである。これ以上の設定は劇中では何も語られない。いつの時代かも分からないし、どこを舞台にしているのかも分からない。敵の正体も分からなければ、何のために人類を襲うのかも分からない。艦娘が作られることになった経緯も分からないし、どうやって作られるのかも分からないし、なぜ艦娘と呼ばれるようになったのかも分からない。何より「艦娘とは何なのか?」という最大の疑問に答えてくれる人は誰もいない。彼女達は機械なのか人間なのか、その差異はストーリーの行く末を大きく左右するが、それすらも分からない。
 もっとも、これらの設定は原作ゲームでも謎のままなので、アニメ版だけ先走って種明かしをすることはできないし、する義理もなかろう。ただ、フィクションにリアリティを求める必要はなくとも、その実在感・生活感といった物は絶対に必要だ。摩訶不思議な物が現実に存在しても違和感を覚えさせない確かな説得力、それが本作には圧倒的に欠けている。その一番分かり易い例として、劇中に艦娘以外の普通の人間が全くと言っていいほど出て来ないことが挙げられる。甘味処の主人と整備兵だけが人間なのではないかと推測される程度(もしかしたら、彼女達も艦娘なのかもしれない)で、当たり前のように全員が女性である。もちろん、学園物なら別にそれでもいい。だが、本作のジャンルは「戦争物」なのである。謎の軍隊が人類を襲う。それなら、襲われる側の人類を詳細に描かなければ何の意味もない。戦争の目的は「誰を倒すか」ではなく「誰を守るか」である。深海棲艦によって被害を受ける街や人々を丹念に描き、艦娘がそれを守らなければならない必然性、すなわち彼女達が存在する必要性を描写する。そうして初めてフィクショナルな艦娘が我々と同じ大地に足を付ける。それがなければ、武装して水上をホバー走行する美少女などただのジョークだ。そんなジョークキャラが戦いで大破しようが轟沈しようがどうでもいい話なのである。

・提督


 さて、上には劇中に普通の人間が出て来ないと書いたが、実は一人だけ、間違いなく普通の人間だと断定できる人物が登場する。人外の女性しかいない謎空間に唯一存在する男、それが「提督」である。彼はその名の通り軍の司令官であり、艦娘達の上官である。軍の組織図がさっぱり分からないので断定できないが、どうやら艦娘達が配属された鎮守府の中で一番偉い人のようだ。ただ、登場すると言っても姿は見せない。本人はカメラの画角の外に隠れ、影だけが映り込む。当然、台詞もなければ艦娘達との会話もなく、彼がどのような人物なのかは全く分からない。
 皆まで言う必要はないと思うが、提督=ゲームプレイヤーである。本来はモニターの向こうにいて、この世界その物を操作している人間が、ある意味ゲスト的にアニメ内に登場する。これをメタフィクション構造だと言ってしまうと、本作はゲーム内世界の物語ということになってしまい、いろいろと齟齬が発生するため、単なるファンサービスだということにしておいた方が無難だろう。つまり、プレイヤーを具現化することで、可愛らしい艦娘達が熱を上げているのは、他の誰でもない貴方なのですよと示しているわけだ。言わば、本作自体が彼らのための壮大なハーレム空間なのである。
 ただし、それはあくまでゲームプレイヤーからの観点であって、ゲームに関係のない一般のアニメ視聴者から見た場合、大変なことになる。この姿なき提督は、その名に反して提督らしい行動は何もしない。作戦の立案も指揮も全て艦娘自身が行う。提督は大まかな戦略を練り、後は自室に閉じ籠もって悠々自適に過ごすだけ。傷付いた艦娘達の心のケアをすることもほとんどない。普通の作品なら、この手の人間はほぼ間違いなく黒幕である。ところが、艦娘達はそんな提督をまるで実の父親のように慕っている。中には恋愛感情のような物を抱いている人もいる。それは非常に奇怪な光景だ。これが創造主とその創作物という関係なら分からないでもないのだが、前述の通り、艦娘達は人間なのか機械なのかも判別できない。そのため、理由もなく上官を恋慕しているようにしか見えず、蚊帳の外である視聴者には不快感しか残らない。
 さらに言うと、本作は戦争物であり、舞台は軍隊である。艦娘達は世界を守るために命を懸けて大海原へ出撃する。実際、戦いの最中に命を落とす者もいる。なのに、それを命令する立場の最高責任者が、カメラの影に隠れて姿を現さないというのは人としてどうなのか。そんな人間を盲目的に信仰しているなら、それは紛れもないファシズムである。他の作品で当たり前のように行われている人と道具の絆というテーマを排除すれば、ここまで気持ちの悪い物が出来上がるのだと、本作は反面教師にするには最適の作品である。

・ストーリー


 では、最後にストーリーを紹介しよう。と言っても、本作のストーリーには改まって論述するほどの価値はない。ダメダメな駆逐艦の艦娘が戦いを通じて成長し、最後には艦隊の旗艦になるという単純な話だ。彼女は典型的な主人公型熱血娘で、素敵な先輩に憧れ、困難にぶつかると特訓し、苦しいことがあると落ち込むという実に分かり易いキャラクターである。良く言うと王道だが、悪く言うと何も考えていない。なぜ、軍艦の擬人化娘がスクワットで筋力を鍛える必要があるのか。なぜ、ドックで装着するはずの艤装を自由に出したりしまったりしているのか。いくら日常描写がメインの萌えアニメでも、もう少しSF的な思考を取り入れて欲しい。本作の場合、さらにそこへゲーム特有のシステムを輸入した描写が追加され、何とも掴みどころのない訳の分からない物に仕上がっている。シュールという単語はこういう時に使う物だろう。
 第十一話。何の前触れもなく、突然新しいテーマが挿入される。艦娘達は、かつてのモデルになった旧日本海軍軍艦の記憶を受け継いでおり、その敗北の歴史は繰り返される運命にあった。深海棲艦は歴史をあるべき形に戻すために送り込まれた刺客。はたして、艦娘達は歴史の刺客を倒して残酷な運命に抗えるのだろうか、と。……はい? いきなりハードSFが始まって混乱するが、どうやらそういうことらしい。ということは、やはりこの世界は我々の住む日常の延長線上ではなく、ゲーム内世界などのメタ空間であるということだろうか。それではただの楽屋オチだと思うのだが、制作者の深い思慮など分かるはずもない。なぜなら、これらの設定は見事に投げっ放しにされるからだ。深く設定が掘り下げられることもなく、そのまま重要拠点を懸けて艦娘と深海棲艦の最終決戦が開始される。当初は劣勢だったが、行方不明だった提督が精霊会議により突如復帰し、謎の援軍が駆け付けたことで辛くも戦闘に勝利する。こうして、艦娘は自分達の運命に逆らい、それを導いた主人公は英雄になったのだ……ということらしい。たぶん。いや、何もかも曖昧で申し訳ないが、こう書く以外に方法がないのだから仕方ない。結局、軍艦の擬人化という行為に満足して、世界観を作り込むという面倒な作業を放棄したため、いざ映像化してストーリーが必要になった時に問題が露呈するのである。それはアニメーション文化に対して失礼な行為だ。ゲームプレイヤーのために想像の余地を残したいという気持ちは分かるが、それなら映像化自体をするなと言うより他にない。

・総論


 戦闘シーンはそこそこ面白いが、ただそれだけの作品。この真面目に考えれば考えるほど損をする感覚は、まさに奇作と呼ぶに相応しい。ハマる人はハマるかもね。

星:★★★★(-4個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 11:36 |  ★★★★ |   |   |  page top ↑

『世界でいちばん強くなりたい!』

リョナ。

公式サイト
世界でいちばん強くなりたい! - Wikipedia
世界でいちばん強くなりたい!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。ESE原作・夏木きよひと作画の漫画『世界でいちばん強くなりたい!』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は久城りおん。アニメーション制作はアームス。女子プロレス界でトップを目指す元アイドルの活躍を描いたスポ根アニメ。モデルはやはりアイドルレスラーの元祖と言われるミミ萩原なのだろうか。

・リョナ


 本作は「リョナ」アニメである。リョナとは、スポーツや戦闘などで女性が肉体的苦痛を受けて苦しんでいる様子を見て性的興奮を覚えるフェティシズムの一種である。リョナのリョは猟奇的、ナは自慰行為を指す。読んで字の如く、自分より地位の低い人間を虐待することによって優越感を得たいというサディズムがベースになっている。リョナ好きの人間は、自分好みの女性が苦しんで悲鳴を挙げれば挙げるほど興奮し、さらなる苦痛を求める。これがエスカレートするとグロテスク嗜好になり、対象への肉体破壊願望が芽生える。もっとも、いざ破壊までしてしまうともう声を聞くことができなくなって困るというジレンマが面白い。壊さないように苦しめるという謎の労りの心が必要になるからだ。
 ただ、深夜アニメにおけるリョナにそこまで深い意味はないだろう。心の内なるサディズムの発露としてではなく、女性が苦痛を受けている時の表情や悲鳴が性行為のそれを想起させるからという単純な理由の方が強い。いくら規制の緩い深夜アニメでも、下着や裸はともかく、性行為をそのまま放送することはできない。だが、視聴率や放送後のメディアの売り上げを考えれば、扇情的なエロス要素は外せない。だから、それに類似した物でお茶を濁す。要するに「疑似ポルノ」である。むさ苦しい戦闘メンバーの中になぜか若い女性が一人いる。女戦士はどう考えても役に立たない露出度の高い鎧を着る。敵モンスターの腕には無駄に触手が付いている。そうやって、あの手この手で疑似ポルノ状態を作り上げようと努力する。今や手段と目的が逆転しているアニメも少なくない。
 そこで本作である。本作は女子プロレスという題材を十二分に生かし、グラマラスな美女がプロレス技をかけられて苦しむ様子を延々と垂れ流すことに心血を注いでいる。ヒロインは露出度の高いコスチュームを着て、あられもないポーズを取る。カメラは局部を大写しにする。その間、女性声優はずっと悲鳴を挙げ続ける。そういったシーンが五分・十分と繰り返される。最早、これは疑似でも何でもない。完全なる「ポルノ」である。こんな映像を平気で地上波に配信する風土、本番じゃないから大丈夫という空気……言いたくはないが、やはり異常だと言わざるを得ない。しかも、悲鳴という名の喘ぎ声を挙げているのは、当代きっての人気声優である竹達彩奈や阿澄佳奈なのである。業界トップの人材をこうも粗雑に扱うアニメ業界、それに異議を唱えない声優業界、視聴者にとってはありがたいことだが、そこに正義はあるのだろうか。

・ストーリー


 本作の主人公は、国民的アイドルグループのセンターポジションを務めるトップアイドル。ある日、仕事の一環として女子プロレス団体に体験入団した際、レスラーの一人にアイドル活動を馬鹿にされる。それに怒った主人公は、自らがプロレスラーになって彼女と対決することを決意する……って、んん? え、どういうこと? アイドルを馬鹿にされてプロレスで戦うの? 普通はアイドルで戦うと思うのだが、まぁ、ここで躓いていると話が進まないので設定をフォローすると、要するにその活動にどれだけ本気で取り組んでいるかという誠実さが争点になっている。示したいのはその気持ちの度合いだけなので、挑戦する対象がプロレスだろうと何でもいい。ただ、こういったストーリーを成立させたければ、「プロレスなんてどうせ八百長だろう」「アイドルなんてオタクに媚を売っているだけだろう」というお馴染みのやり取りがないと盛り上がらない。ベタは大事だ。もっとも、この八百長という単語は本作ではNGなので使えない。その理由は後述する。
 こうして、晴れて女子プロレスラーとなった主人公。トップアイドルだけあって、身体能力やメンタルの強さには非凡な物があったが、如何せん素人ゆえにデビュー以来六十五連敗という大記録を達成する。六十五連敗である。しかも、そのいずれも逆エビ固めを耐えきれずに秒殺でギブアップするという同じ展開で敗れている。ダメだろ。プロレス団体は一体彼女に何を教えているのか。さすがにこれでは不味いということで、主人公は団体のスターレスラーに弟子入りして、一から心身を鍛え直す。そこで「プロレスの本質は技の痛みに耐えて逆転すること」という教えを受け、さらに必殺技を取得し、アイドルを馬鹿にした先輩レスラーにリベンジマッチを挑む。そして、めでたく初勝利を収める。それが第六話までの話である。基本的に本作は展開が早い。もう少しストーリーに様々な仕掛けを加えても良かったのではないだろうか。残念ながら、視聴者の記憶に残っているのは、主人公が逆エビ固めで悲鳴を挙げている姿だけである。
 その後、目的を達したにも係わらず、プロレスを続けようとする主人公の前に新たな敵が現れる。この敵の正体を明かしてしまうと、実際に目の当たりにした時の衝撃が薄れてしまうので秘密にしておくが、かなりの超展開である。ある意味、プロレスらしいドラマチックなストーリーと言えなくもないが、お前らどれだけ拳で語り合いたいんだよ、野生生物かとツッコミを入れざるを得ない。

・本質


 以上、本作のストーリーを簡単に紹介したが、そこに一つ、非常に興味深いポイントがあったことにお気付きになっただろうか。それが、プロレス団体のスターレスラーが主人公に対して語った「プロレスの本質は技の痛みに耐えて逆転すること」という教えである。プロレスを、いや、スポーツを題材にしたアニメ作品は数多くあれど、ここまでその競技の本質を簡潔に断言した物は少ないのではないかと思われる。普通はもっと「チームワークが大切だ」「ボールは友達」みたいな漠然とした物になりがちだ。では、この考え方は正しいだろうか。少し考察してみよう。
 プロレスの魅力と言えば、やはり派手で華麗なプロレス技の数々にある。ブレーンバスター、バックドロップ、パイルドライバー、逆エビ固め。基本的に、プロレスに敵の攻撃を避けるという概念は存在せず、互いに何度も大技をかけ合って勝敗を決めるスポーツである。しかし、プロレスは採点競技ではない。どんなに複雑で難易度の高い技を披露したところで、技自体には技術点も芸術点もない。では、何を持って勝利とするのか。もちろん、ギブアップやスリーカウントで決めるのだが、そのためには相手の体力・スタミナをギリギリまで削る必要がある。つまり、プロレスとは体力の削り合いがメインのスポーツだということになる。そういう意味で言うと、プロレスの本質は技を「かけること」ではなく「耐えること」であるという指摘は言い得て妙である。敵の激しい攻撃を何度も何度も耐えては反撃する。プロレスラーがあれだけ苦しいトレーニングを積み重ねているのは、何にも屈しない頑強な肉体を作るためである。もし、素人がプロの技を食らってしまうと、その瞬間、彼は病院送りになるだろう。特に女子プロレスの場合は、技の完成度や力強さ、迫力という点ではどうしても男子に劣るため、耐えることの方が重視される傾向にある。実際、女子プロレスのスターは必ずしも最強とは限らず、それ以外の要素を売りにしている者、いわゆるアイドルレスラーも多い。そんな彼女達が巨漢の悪役レスラーにこっ酷く痛め付けられるのも、また女子プロレスの魅力の一つである。
 その観点で見るなら、本作独特の延々と続く非人道的なリョナ描写は、作品テーマとしては正しいということになる。プロレスの本質は耐えることであるという教えを身を持って実践するために、わざと主人公が技をかけられて悶絶する姿を放送しているのだ。よって、本作こそが世界一リアルなプロレスアニメなのである……という言い訳はやはり苦しいか。

・エンターテインメント


 さて、これで終わると綺麗にまとまるのだが、もう一つ、絶対に忘れてはならないことが残っているため、話はまだまだ続く。本作が意図的に避けていること、物語を成立させるためにあえて無視していること、それがプロレスのショー的な側面だ。本作におけるプロレスは、現実におけるプロレスとは大きく異なり、完全なるシュート(ガチンコ)である。リング上でプロレスラーが正々堂々と戦い、より強い者が勝利する。だが、現実のプロレスはそうではない。事前の打ち合わせによって定められたブック(台本)があり、それに沿って試合が行われる。勝者も最初から決まっていることが多い。それは八百長がどうということではなく、ショーを盛り上げるためには絶対に必要なことだ。例えば、敵をロープに投げて、跳ね返ってきたところをラリアットで倒す。プロレスでは当たり前の光景だが、物理学的にそんな運動が発生するわけがない。レスラーがわざわざ技を食らうために走って帰ってくるのは、両者の間にそういった約束事があるからだ。全てはプロレス技を美しく見せるために。そもそも、本当に強い者を決めたければ、プロレス技などかけずに直接拳で殴った方が早い。つまり、エンターテインメント性を重視するために、ある程度の競技性を犠牲にしているのがプロレスである。
 ところが、本作は違う。真剣勝負こそがエンターテインメントであると断言している。虚飾を排し、全身全霊をかけて戦うからこそ娯楽であり観客が感動すると論じている。もちろん、それはそれで間違っていないのだが、話がややこしくなっているのは、本作はそこにアイドル要素を絡めているからだ。プロレスもアイドルもショービジネスという括りでは全く同じベクトルにある。しかし、真剣勝負こそがエンターテインメントだとしてしまうと、その方向性が少しズレてしまう。アイドルがファンのために自分を偽ってキャラを演じることは邪道であり、それでは人を感動させることはできない。自分を全てさらけ出し、恋人の有無などもオープンにしなければならない。いや、それはおかしい。ファンはそんな物を望んでいない。エンターテインメントにはある程度の虚飾も必要だ。現に本作自体、視聴者を楽しませるためにポルノ紛いの露骨なエロスを加えているではないか。言っていることとやっていることが違う、それがこの作品の本質である。

・総論


 まぁ、これでもそこら辺の量産型ファンタジーアニメよりは余程面白い。こういったリング外でのストーリーをプロレス用語では「アングル」と呼ぶそうだが、エンターテインメント的にその重要性がよく分かる作品である。

星:★★★★(-4個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 11:05 |  ★★★★ |   |   |  page top ↑
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