『この美術部には問題がある!』

問題作。

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・はじめに


 2016年夏いみぎむる著の漫画『この美術部には問題がある!』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は及川啓。アニメーション制作はfeel.。中学校の美術部を舞台にした日常系ラブコメ。原作は「あくまでギャグ漫画であってラブコメではない」ということらしいが、アニメ版は恋愛要素がかなり強いため、やはりラブコメと呼ぶべきだろう。なお、監督の及川啓は『アウトブレイク・カンパニー』を手掛けた監督として、(本ブログでは)唯一無二の存在である。

・女性主人公とヒーロー


 本作のタイトルは『この美術部には問題がある!』である。なかなか刺激的なタイトルだが、本作はそれ以前に作品構造自体に重大な問題がある。そのため、そちらを先に処理しなければ、話が前に進まない。

 本作の主人公は、美術部に所属する中学二年生の「女の子」である。順番的に最初に登場するし、冒頭のナレーションも行う。何より、彼女の視点で大半の物語が綴られる。そのため、この定義について異論を唱える人は少ないはずだ。そんな主人公である彼女は、同じ美術部の男子部員に片思いをしていた。女性主人公の相手役を示す適切な単語がないため、ここでは仮に彼のことを「ヒーロー」と呼称するが、そのヒーローこそが本作の抱える「問題」の元凶である。と言うのも、彼はオタクである。それも悪い意味で殊更に誇張された記号的な萌えオタクである。彼は「二次元が最高。三次元の女子には興味ない」と公言し、身近にいる女性に対して一切の興味を示さない。多感な思春期の中学二年生なのに、恋愛感情はおろか性欲すら抱かない。それどころか、一般社会常識に欠陥を抱えており、他人に対するデリカシーが欠けた言動を繰り返し、セクハラさえも平気で行う。また、彼は「最高の二次元嫁を描き出す」という目標を掲げて、美術部でいわゆる「萌え絵」をずっと描いている。美術に対する彼の思想は主人公と正反対であり、従来の絵画技法で静物デッサンをしている主人公を小馬鹿にする。このように、容姿こそイケメンの部類に入るだろうが、それを除外すると、彼は100人中99人の女性が嫌悪感を覚えるであろうタイプの醜悪な人間である。ところが、なぜか主人公はそんなヒーローにベタ惚れしているのである。あばたもえくぼ、上記の欠点すらも許容してしまうぐらいの惚れっぷりである。そうなったきっかけは第二話で簡単に語られるが、迷子の子供を助けたのを見て「意外と悪い奴じゃないと思った」という程度の軽い話で、「なぜ、彼のことが好きになったのか?」は最後の最後まで全く分からない。この時点で、本作は論述する価値もない壊滅的な駄作である。なぜなら、視聴者の感情と主人公の感情が完全に解離しているのだから。

 しかも、本作はただのアニメではなく「男性向け萌えアニメ」である。男性向け萌えアニメとは、男性の視点で女性の可愛らしさを描くことに特化したジャンルである。そして、男性の視点から見ても、ヒーローの性格は厳しい。そうなると、いろいろとややこしい問題が発生するのだが、詳しくは次の章で語ることにしよう。

・男性向け萌えアニメ


 ここで改めて、男性向け萌えアニメの歴史を振り返ってみよう。女性の可愛らしさを描く上で、男性主人公こそが最も不要な存在であることに気付いた制作者は、登場人物が全て女性の「日常系アニメ」を作り出した。しかし、それでは最重要萌えポイントである「恋する女性の可愛らしさ」を描くことができない。そこで、女性同士で恋愛させることを思い付き、その結果、生み出されたのが「百合アニメ」である。一方、男女の恋愛こそが正道と考える人が、女性を主人公にしたまま、細々と普通の恋愛ドラマを作り続けていた。ただし、それだと男性視聴者の分身である主人公が同性のヒーローに恋をするという奇怪な状態になってしまうため、逆転の発想で、ヒーロー側に視聴者が自己投影できるように様々な工夫を凝らしている。例えば、困っている人を放っておけない根っからのお人好しにしたり、我が道を突き進む天才肌の奇人変人にしたり、もしくは、あえて非の打ち所がない完璧超人にしてしまうこともある。大事なのは、愛すべき女性主人公を「彼なら安心して任せられる」とまるで花嫁の父親のように視聴者に思わせることである。

 では、本作はどうか。視聴者層に合わせて、ヒーローをオタク化しているのはセオリー通りだが、極めて人格に難のある誇張されたオタク像にしているため、非常に共感しづらいキャラクターになってしまっている。中でも「二次元が最高。三次元の女子には興味ない」という彼の思想が相容れない。もちろん、同じことを考えている萌えオタクは多い。だが、実際問題、主人公のような可愛い女の子のアプローチを受けて、なお二次元の方が良いと言い切れる人が何人いるだろうか? 性欲すら湧かないのなら、その人はもう人間ではない。意思のないロボットか何かである。こんな人間に大事な女性主人公を任せられない。

 このように、本作は主人公に対してもヒーローに対しても共感し難い作品構造を有している。そのため、視聴者の魂は誰に乗り移ることもできず、中空にふわふわと漂うしかない。もし、この作品に自己投影できる人がいるとすれば、それは「男性的な視点を持ちながら、女性主人公に自分を投影して、ヒーローを恋愛対象にできる人」、すなわち「同性愛者」だけだ。実際、主人公とヒーローのキスシーンでヒーローの唇を大写しにするなど、結果的にいわゆる「BLアニメ」のようになってしまっている。もちろん、それは悪いことではないが、少なくとも本作の制作者にそういう意図はなかったはずで、評価はできない。

・萌え絵


 それとは別に、もう一つ気になる点がある。それはヒーローが愛して止まない「萌え絵とは何か?」である。ヒーローは「最高の二次元嫁を描き出す」と称して、いつも美術部で美少女イラストを描いている。それに対して、主人公は強い嫌悪感を抱いている。つまり、萌え絵は芸術ではないという「一般常識」に沿って動いているからだが、さて、実際のところはどうなのだろうか。

 萌えとは女性の特徴の一部分を取り出して記号化した物であるが、萌え絵はそれをビジュアル化した物と考えていい。それゆえ、ある意味、抽象画に近いとも言える。現実問題、目があんなに大きく、鼻と口があんなに小さい人間はいないわけだから。だが、抽象画と萌え絵には決定的に異なる点がある。それは、萌え絵は長年に渡って多くの人々が模倣に模倣を重ねて徐々にパターン化してきた物であって、そこにオリジナリティは一切存在しないということである。そういう観点で言うと、純粋な芸術とは対極に位置する物だ。ところが、ヒーローは自作の萌え絵を一般の絵画コンクールに二度出品し、二度共に優秀な賞を受賞している。これは一体どういうことだろうか? 常識的に考えると絶対にあり得ないことであって、「萌え絵が好きなオタクを喜ばせるためのフィクションだから」では済まされない事態である。おそらく、審査員は主人公の絵に何らかのオリジナリティと芸術性を感じたのだろうが、残念ながら劇中では全く言及がない。一つ考えられる理由としては、審査員は生まれてこの方、萌え絵なる物を見たことがなく、それゆえ、欲望を具現化した主人公の絵が非常に斬新に思えたのだろう。それでは『アウトブレイク・カンパニー』である。そんな卑怯な手段を使ってまで、自己承認を得ようとするやり方には賛同できない。

 もっとも、そこまで大げさに考える必要はないかもしれない。なぜなら、本作自体が萌え絵で構成された「萌えアニメ」であるからだ。世界全体が二次元ワールドで、登場人物も二次元キャラクター、そのような世界で萌え絵が受賞するのは、冷静に考えると当たり前のことなのかもしれない。むしろ、二次元ワールドで普通の芸術を志向した主人公の方が異常なのだ……とまぁ、こういう面倒なことになるので、本作のようなテーマを取り上げる時は、リアルタッチの劇画アニメにするか、いっそのこと実写ドラマにするのが常識である。主人公とヒーローの逆転も含めて、本作がどこまで意図的に常識に逆らおうとしたのかは分からないが、結果を見ると大失敗であると言わざるを得ない。

・萌え否定


 さて、前置きは以上にして、残り少ないが本題に入ろう。本作は基本的には何の変哲もない日常系アニメであり、たまに上記のような気持ち悪いラブコメが挿入されるが、正直、大して面白くもない代わりに、大して問題要素もない。ただ、第十一話の文化祭回には、少なからず違和感を覚えた。主人公達は、校内で出た空き缶を使って空き缶アートを作ることになったのだが、とあるトラブルで制作中に数が足りなくなる。そこで彼らはどうしたかと言うと、何と外から缶ジュースを買ってきて校内で売りさばいたのである。リサイクルをテーマにしておいて、ゴミを増やしてどうする! 深夜アニメに時折現れるこの手の倫理観の欠如は一体何なのだろうか。これを本気で美談だと考えているなら、小学校から道徳の授業を受け直した方がいい。

 最終話。それなりに主人公とヒーローが良い仲になった後、最後の最後でヒーローがとんでもないことを口走る。とある女性アニメキャラに熱を上げていたヒーローが、突然、そのキャラを嫌悪し始める。その理由を主人公が尋ねると、返ってきた答えは「そのキャラに彼氏がいるのが判明したから」……おい、待て。本作は、そのアニメキャラが全十二話かけて彼氏を作ろうと必死に奮闘する物語なのだが。今まで散々、主人公目線でヒーローを持て囃す拷問を視聴者に見せておいて、この仕打ちはない。登場人物が作品を否定するな。それは、ミステリーで主人公が真犯人だったような重大なる背任行為である。

 一億歩譲ってヒーローの発言を擁護するなら、彼の言うアニメキャラの定義は「三次元」の主人公には当てはまらないという考えがあるのかもしれない。すなわち、主人公は萌えオタクのヒーローにとって特別な存在であるという考えだ。それは「二次元が最高。三次元の女子には興味ない」という思想だったヒーローが、初めて三次元の女性に興味を持ったということであり、彼の心の成長を意味する。つまり、本作の真のテーマは「萌え否定」だったのだ!……ということもないだろう。それをやるなら、このテーマに沿ってストーリーを構築しないといけないし、何よりコンクールで萌え絵が受賞するという既成事実まで作ってしまっている。結局のところ、奇をてらっていろいろと配置を逆転してみたら、作品として成立しなくなったというだけの話だ。こんな苦労をするぐらいなら、最初からヒーローを主人公にした実写ドラマにしておけば良かっただろうに。

・余談


 ここから先は完全な余談である。第五話、美術部員の一人がデッサン用の石膏像に悪戯し、肌を茶褐色に塗ってしまう。そして、彼女は白人から黒人に変化した石膏像を見て、こう言う。「こんがり焼けました」……いや、この発言はアウトだろ。アニメ業界って本当にどうなってんの?

・総論


 常人にはこのアニメを理解できない。

星:★★★★★★★★★★(-10個)
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by animentary  at 09:37 |  ★★★★★★★★★★ |   |   |  page top ↑

『アルドノア・ゼロ』

大駄作。

公式サイト
アルドノア・ゼロ - Wikipedia
アルドノア・ゼロとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2014年、2015年。オリジナルテレビアニメ作品。全二十四話。監督はあおきえい。アニメーション制作はA-1 Pictures、TROYCA。地球と火星が覇権を懸けて争うロボットアニメ。ストーリー原案を『魔法少女まどか☆マギカ』『翠星のガルガンティア』で知られる虚淵玄が務めている。

・設定


 本作はクソアニメである。それもアニメ業界の常識を覆すレベルの歴史的な大駄作である。創作の勉強をしている人は、本作を反面教師にすることで今後の活動の大きな糧を得られるだろう。そうでない人も、業界の最底辺を知ることで今後のアニメライフがより充実した物となるに違いない。
 地球と火星、両惑星に住む人々は十五年前から戦争状態にあった。その状況を憂慮した火星の姫が友好親善のために地球へ向かう。ところが、歓迎パレードの最中にテロリストのミサイル攻撃を受けて死亡する(後に替え玉だと判明する)。それを受けて、火星は地球に宣戦布告する。実は、テロは火星の自作自演だったのだ!……この中学生が考えたような安っぽい導入部もどうかと思うが、それ以上に本作を視聴した人が共通して感じるであろうストレスは、「この人達が何で戦っているのか分からない」である。地球人と火星人が争っているのは理解できるが、誰が、どこで、何のために、何をしているのかが全く頭に入ってこない。火星の騎士達は全員が同じ性格と容姿で判別ができず、戦闘地域が地球のどこなのか詳しい説明がない。敵は意味もなく主人公達を付け狙い、魔法にしか見えない謎の科学技術を披露しては一話で退場する。キャラクターの思想が場面場面でコロコロ切り替わり、昨日言ったことを今日には否定する。それゆえ、誰と誰が対立しているのか分からず、ただただ無意味に繰り返される戦闘行為を冷ややかに傍観するだけのアニメになってしまう。
 結局、本作の何がクソアニメたらしめているかと言うと、それは「マクロな目線とミクロな目線の描き分けができていない」ことである。もう、これに尽きる。惑星間の人類存亡を懸けた宇宙大戦というマクロな目線と、主人公を中心にした己の生命を懸けた局地戦というミクロな目線、または「なぜ生きるのか」「なぜ戦うのか」といったマクロな目線と、「今日を如何にして生き延びるのか」といったミクロな目線、それらが完全に同じテーブル上で同じテンションで描かれるのである。例えば、『機動戦士ガンダム』では、冒頭のナレーションで設定が語られた後は、ずっと主人公の周囲で起こる小競り合いに終始し、物語中盤で敵の総大将の演説を聞いて初めて自分が置かれている状況を知る。一方、本作では戦略的な作戦と戦術的な作戦の差異が区別できず、しかも、それを立案する人と実行する人が同一人物という異常な事態が頻発する。また、火星の指導者が全世界規模の演説をYouTuberの如く気軽に何度も配信する。その結果、個人と世界がダイレクトに繋がり、個人的ないざこざがなぜか世界規模になり、世界規模だったはずの問題がなぜか個人の感情で処理される。かつて「セカイ系」という言葉が流行したが、本作における「世界」の扱いはそれよりも酷い。その証拠に、本作には地球と火星の「一般市民」が最初と最後を除いて全くと言って出てこない。そんな上から目線のロボットアニメが面白くなるわけがないのである。

・ストーリー


 このような見出しを付けたが、本作には語るべき物など何もない。なぜなら、本作のストーリーは『機動戦士ガンダム』と『伝説巨神イデオン』の焼き直しに過ぎないからだ。すなわち、主人公を含む地球の少年少女が戦渦に巻き込まれ、敵国の姫と共に最新兵器に乗って逃げ回り、やがて自軍の本部に辿り着く。そして、組織の一員となって反抗作戦に参加するという黄金パターンである。だが、本作の場合は、根本的な作劇レベルが恐ろしく低質なので、オマージュではなくただの悪質なパクリになってしまっている。分かり易い例を挙げると、主人公達は逃避行の途中で軍に徴兵されるのだが、その理由がこれと言って特にない。別に人手不足というわけでもないのに、なぜか学生が操舵手などの重要ポジションに就いている。こんな感じで、休戦命令が発せられたと思えば、次のシーンでそれを破る人間が出てきたり、かと思えば、すぐに宣戦布告し直したり、地球全土を攻撃できる侵略兵器を持っているのに、地球征服が遅々として進展しなかったり、地球連合軍の秘密基地の場所が当たり前のようにバレていたりと、とてもじゃないが本気で戦争しようとしているとは思えない。また、全般的に回想シーンの扱い方が極めて悪く、華々しく作戦が始まった後に回想で作戦内容を説明するということを何度も何度も繰り返す。こんな駄シナリオでどう盛り上がれと言うのか。
 2クール目以降は、元ネタ通りに地球側の反抗作戦が始まるのだが、実際に決行されるのは第二十二話で、それまでは例の如く意味不明な小競り合いを繰り返しつつ、火星内部での内輪揉めを延々と描いている。政治劇として見るとそれなりに需要があるかもしれないが、戦争ドラマとして見ると1クールの間に最高司令官が何度も入れ替わるという恐ろしいストーリーである。視聴者は皆、同じことを考えると思うが、ここまで内輪揉めをフィーチャーするなら、最初から地球など出さずに火星の内戦を題材にした物語にすればいいのだ。その方が何倍も設定が引き締まって面白くなっただろうし、地球侵略作戦が新春お笑いラブラブ大作戦になることもなかっただろう。
 さて、我らが地球連合軍の反抗作戦はどうなったかと言うと、それが驚異の「総力戦」である。つまり、何の策略も用いずに真正面から全軍をぶつけ合うということである。第一話の時点では、火星の方が圧倒的に軍事力も科学力も高かったのに、『機動戦士ガンダム』で言うところのジムの開発やオデッサ作戦の勝利のようなターニングポイントが何もないまま、いつの間にか立場だけが逆転していることに驚かされる。パクるならちゃんとパクれ。

・主人公


 もっとも、上記の欠点はあくまで演出上の問題であって、根本的な欠陥は別の所にある。本作の最大の特徴にして最大の問題点、それが「主人公」だ。
 彼はいわゆるクール天才キャラであり、常に沈着冷静な朴念仁である。一介の高校生でありながら、なぜか専門家顔負けの豊富な科学知識と軍事知識を誇り、ほとんど訓練を受けていないにも係わらず練習用の機体を駆って戦場で無双する。それはそれで大問題だが、ここでは特別に不問にしよう。では、本作の主人公の何がおかしいかと言うと、それはどのような状況に置かれても「常に無表情」なことである。友人が戦死しても無表情。戦いを決意しても無表情。命の危険に晒されても無表情。女性と良い仲になっても無表情。その女性と別れても無表情。よくバトルアニメに出てくる感情が欠落した戦闘マシーンキャラを思い浮かべてもらえると分かり易いが、視聴者には彼が何を考えているのか全く判断できない。しかも、本作の主人公の場合は、別に感情を失ったわけではなく、むしろ己の感情のままに(無表情で)突っ走るからさらに質が悪い。自分で勝手に作戦を立てて、自分で勝手に行動し、仲間の忠告も聞き流して、上から目線で他人に命令する。それでいて、誰も聞いていないのに海原雄山のように(無表情で)自説をペラペラと解説する。社会経験など何もないのに、なぜか世の中を達観しており、「戦争とは何か」「人生とは何か」「人間心理とは何か」を(無表情で)偉そうに語る。なぜ、そのような性格になったのか、どうやって高度な知識を身に付けたのかなどの設定付けは一切ない。2クール目以降は、本当に体の一部がサイボーグ化して人間性を失うのだが、元が元なので大して変わらず、むしろ表情が豊かになるという本末転倒さを見せる。ところが、こんなに奇怪な人間なのに、深夜アニメの原則通り、周囲の人間は徹底的に彼を甘やかす。実の姉という保護者的な立場の人間がずっと彼の側におり、複数のヒロインがなぜか彼に惚れている。ふざけているのか。この主人公に自分を重ね合わせられる視聴者が一人でもいるなら、今すぐここに連れてきてほしい。
 本作の制作者は、なぜ、このような人物を主人公に据えようと思っただろうのか。『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』の内向的な主人公が当時の世相を反映していたので、それにあやかって主人公を機械人間にすることで、二十一世紀の新たなコミュニケーション論を世に問おうとしたのだろうか。正直、分からない。それを判断するには、あまりにも設定とストーリーとキャラクターが貧弱過ぎる。ただ一つ言えるのは、こんな主人公を抱えた本作は死ぬほどつまらなく、娯楽作品のはずなのに腹が立って仕方ないということだけである。

・アンチヒーロー


 さて、主人公について長々と論じてきたが、実を言うと本作はW主人公制を取っており、火星側にも主人公と対になるべきアンチヒーローが存在する。『コードギアス 反逆のルルーシュ』におけるルルーシュとスザクの関係を想像してもらうと分かり易い。当然ながら、彼は主人公と比べるとより感情的で考えもしっかりしている。だが、2クール目以降、とある事情で彼は火星の支配を企てるようになり、その結果、感情を表に出さなくなって常に無表情になる。ヒーローとアンチヒーローがまさかの「キャラ被り」するという異様な光景が見られるのは、本作ぐらいな物であろう。そもそも、二人には思想の対立がない。と言うか、主人公に思想がない。にも係わらず、なぜか彼らは自分の手で相手を抹殺したいと考えるほど憎しみ合う。ここまでお粗末なライバル関係は見たことがない。
 では、彼がしようとしたことは何か、これがまたよく分からない。彼の思考は無茶苦茶で、その行動も無茶苦茶である。確定しているのは、好きだった女性を失ったことで自暴自棄になったということだけだ。だが、そういった負の感情で生まれたモチベーションは長続きしない。そこに視聴者との解離が生まれる。例えば、コードギアスのスザクは、組織の中で出世することで内から世界を変革しようと考えていた。そういった正の感情で動いていたからこそ、己の信念を最後まで貫き通すことができ、敵側の人間でありながら視聴者に受け入れられたのである。一方、我らがアンチヒーローは、何もかもがやけくそなので行動に論理性がなく、最終的にただの悪しき支配者になる。ラスボスに魅力のないロボットアニメがどうなるかなど自明のことだ。
 最終決戦の最中、彼は想い人に怒られたことで突然考えを翻意し、自軍の基地を爆破して火星全軍を投降させる。その時、なぜか地球軍の方が優勢という扱いになっている。そして、特に理由もないのに主人公とアンチヒーローの一騎打ちが始まる。と言った誰の目にも明らかな「打ち切りエンド」である。これ以外にも、ラスト二話ぐらいから急にメタ的な台詞や他作品のパロディーが増え、制作の行き詰まりがひしひしと感じられて哀しい。結局のところ、本作は『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』を見た人が、「自分ならもっと上手く作れるはず!」と己を過信して作ってみたら、言うは易く行うは難し、見事に大失敗した作品である。四次元殺法コンビコピペではないが、まずは王道を作ってみて、その上で独自要素を注ぎ足していって欲しい。

・総論


 一般的に言うクソアニメとは次元の違う酷さ。究極の自己満足アニメ。アニメ業界は、本作をこの世に生み出してしまったことを業界を挙げて反省すべき。

星:★★★★★★★★★★(-10個)
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