『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』

ベストバランス。

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ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2016年春聴猫芝居著のライトノベル『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は柳伸亮。アニメーション制作はproject No.9。ネトゲにハマっている高校生達の日常と青春を描いた学園ドラマ。2000年代前半のディープなネットネタ(ブロントさんやS県月宮など)が満載なので、それらを知らないとちょっとつらい。

・第一話


 本作の内容は、『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』のタイトルに極めて忠実である。主人公はネトゲ(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)が好きな男子高校生。自分の趣味を大っぴらにする「オープンオタ」でありながら、ネトゲのことは周囲に内緒にしていた。彼は以前、ネトゲ内の女性キャラクターに恋をして結婚を申し込んだところ、相手がネカマ(女性の振りをした男性)だと知り、激しいショックを受けた。その結果、彼は「ゲームとリアルは別物」だと悟り、「可愛ければいいじゃないか」という真理に辿り着く。そして、同じギルドに所属する女性キャラクターの求愛を受けて、ゲーム内で結婚をする。その後、ギルドでオフ会をすることになり、てっきり男性だと思っていた「嫁」を含む三人のギルドメンバーは全員、同じ学校の女子高生だったことを知る、というのが第一話である。悪く言えば捻りのない平凡なアイデアだが、ネトゲのあるあるネタに都合の良い妄想を上手く組み合わせることでエンターテインメント性を高めた作品である。

 本作の最も優れている点、そして、他のライトノベル原作アニメと最も異なる点は、キャラクターがちゃんと現実世界に生きていることである。彼らは、オープンオタを自認する主人公ですら、ネトゲをプレイしていることをクラスメイトに隠している。なぜなら、ネトゲと学校はそれぞれ別個のコミュニティだからだ。人は平穏無事に毎日を生き延びるために、所属するコミュニティに合わせてペルソナ(仮面)を使い分けるということを無意識の内に行っている。大半の人は家と学校で性格が異なり、高校時代の友人と中学時代の友人とでは接し方が微妙に違う。それは自分を守るために身に着けた生活の知恵。ところが、質の悪い萌えアニメでは、こういったことが往々にして考慮されない。どこに行っても主人公は同じ性格で、コミュ障だったはずなのに平気でハーレムを形成する。最後には、描き分けることすら面倒になって安全な部活に閉じこもる。一方、本作のキャラクター達は、現実とゲームの狭間でペルソナを演じ分け、その微妙なギャップの調整に苦労している。ネトゲをテーマにしている以上、その対となる現実生活をしっかりと描くという課題から逃げない本作の姿勢には好感が持てる。

 もっとも、現実世界に悪人が一人も出てこないなど、萌えアニメなので全体的に表現が温い。そもそも、本作のストーリーはヒロインが美少女でなければ成立しない。萌えアニメの鎖に縛られなければ、ヒロインは美少女じゃない方が面白いだろうし、ネカマを数人出した方が話が膨らんだだろう。そういう意味では、このジャンルの限界を感じる一作である。

・ヒロイン


 第一話でタイトルに関連するネタを全て使い切っているので、第二話からは何をやるのかと思っていると、すぐに次のトラブルの種が舞い込んでくる。それは、ネトゲ嫁ことヒロインに関することである。彼女は、ゲーム内の夫である主人公に対して、リアルでも同様に接しようとする。つまり、リアルでは初対面の赤の他人なのに、まるで結婚した本当の夫婦のように振る舞おうとするのである。学校内でも主人公をキャラクター名で呼び、ベタベタとくっ付いてくるヒロイン。その奇行に触れた主人公達は、「ゲームと現実の区別が付いてない」と彼女を評する。もちろん、これは物語的に分かり易く表現した物であって、実際はもっと複雑だ。ヒロインは内気で友達が一人もおらず、学校もサボりがち。何をやってもドジばかりで、人並みにできることが何もない。そんな惨めな現実の反動からか、彼女はリア充の人間を人一倍憎み、ネトゲに逃避している。その結果、彼女の中でネトゲという虚構空間の価値が飛躍的に上昇し、現実と同価値、もしくはそれ以上になっている。すると、本来なら複数あるはずのペルソナを、彼女は一つしか持っていないことになり、ゲームとリアルの区別が付かなくなっているのである。ペルソナは外界から心を守る一種の防護壁であるため、今の彼女は無防備で非常に危険な状態だ。早急に何らかの対処をしなければならない。

 その後、「ゲームとリアルは別物」が信条の主人公は、現実世界のヒロインの可愛らしさに惚れて、「恋人になって欲しい」と告白する。だが、ヒロインはそれを拒絶する。なぜなら、ゲーム内ですでに結婚しているのに、リアルで改めて恋人になるのはおかしなことだからだ。その論理が理解できないギルドメンバー達に、彼女はこう言って説明する。例えば、現実世界の夫婦がネトゲ内で別の恋人を作ったら、それは不倫になるだろう。逆に、ネトゲ世界の夫婦が現実で恋人を作ったら、それは不倫になるのではないかと。一見、筋が通っているように見えるこの考えに価値観の混乱を覚えたメンバー達は、恐怖に駆られてヒロインから逃げ出す。

 ……とまぁ、何となく大袈裟に書いたが、正直なところ、この辺りの描写はかなり曖昧で理解が難しく、本作の一番の欠点になっている。何より「ゲームと現実の区別が付いてない」ヒロインと「ゲームとリアルは別物」の主人公の対比があまり上手く行っていない。どうも、本作はヒロインの元ネタである「S県月宮」を論理的に解釈しようとして失敗した感がある。もう少し設定を練り込むか、もしくは妄想は妄想で処理するかした方が良かっただろう。

・現実と仮想


 それでは、主人公達はそんなヒロインに対して何をしたのか。彼らは「現代通信電子遊戯部(ネトゲ部)」なるクラブを作り、学内でネトゲをプレイして、現実とゲームが別物であることを彼女に教えようとした。「それ、何の意味もねーだろ」と大半の視聴者が思うかもしれないが、本作はそこら辺の量産型萌えアニメではない。通常、この手の作品がやりがちなのは、現実と仮想、どちらか一方を悪に仕立て上げて、もう一方の正義を高らかに謳い上げるというパターンだ。それに対し、本作が最初から最後まで一貫して主張している思想は、「現実にもネトゲにも良い面と悪い面がある。人と人が関わるコミュニティという点において、両者は全く同じ。だから、両方を同時に、同等に扱う」である。この辺りのバランス感覚が、本作は絶妙である。実際、現実とゲームを分け隔てなく同じ分量で描いている。むしろ、このバランスが少しでも崩れたら、本作はどうしようもないクソアニメと化していただろう。

 その最も分かり易い例が、第十話~第十二話のラストエピソードである。秋、主人公達の通う高校は文化祭シーズンを迎える。顧問教師から文化祭の出し物を求められたネトゲ部は、ゲーム内のイベントである「攻城戦」に勝利し、そのスクリーンショットを展示することを部の活動として決定する。一方、ヒロインはある手違いから、クラスの模擬店で重大な役割を担わされてしまう。今まで努力することを嫌い、気に食わないことから逃げ続けてきたヒロイン。今回もいつも通り逃げ出そうとしたが、ネトゲの戦いを通して皆で協力して勝利を掴むことの喜びを知り、意識を改める。そして、クラスの模擬店経営にも参加し、確かな成長の跡を見せて、物語は終幕する。

 さて、このエピソードだが、ネトゲ部側だけを取り出して見ると、非常に滑稽と言うか、何とも馬鹿馬鹿しい。文化祭の展示物にネトゲの実績を提出する部活なんて聞いたことがないし、実際にやれば学校中の笑い者になるだろう。そのため、必死になって攻城戦に取り組む部員達にも、どことなく哀愁が漂っている。だが、本作の上手いところは、仮想世界と同時に現実世界の課題も描くことで、両方の価値を高めている点である。つまり、文化祭の模擬店経営というヒロインにとって極めて高い現実のハードルが背景にあることで、くだらないネトゲ部の活動が大きな意味を持つのである。世に多数溢れている部活動アニメで、現実と仮想をこういう形で使っているアニメを自分は見たことがない(しいて挙げるなら、『涼宮ハルヒの憂鬱』の「ライブアライブ」ぐらいか)。それゆえ、本作がただの三流萌えアニメの枠に留まらない魅力を持っていることを理解して頂けるだろう。

・ネトゲ


 最後に、ネトゲその物について軽く触れて終わりにしよう。本作の劇中ゲームである「レジェンダリー・エイジ」の元になったのは、2002年にサービス開始した『ラグナロクオンライン』ではないかと言われている。そのゲーム、加え同時期のネトゲ『エバークエスト』『ウルティマオンライン』『ファイナルファンタジーXI』『リネージュ』などに共通する特徴が、いわゆる「Time to Win」と「Pay to Win」である。つまり、時間と金をかければかけるほどキャラクターが強くなるのが、当時のネトゲの不文律だった。その結果、生活のバランスを崩し、仕事や学校を辞めてまでゲームにのめり込む「ネトゲ廃人」が大量に発生し、大きな社会問題になった。また、対人戦に端を発したユーザー間のトラブルも日常茶飯事だった。そういったある種の中毒性と反社会性を併せ持った遊びを、萌えアニメの主人公である健全な高校生達にやらせるのは、はたして正しいことなのかという疑問は必ず生じるだろう。劇中でも、大金持ちのギルドメンバーがリアルマネーの力を使って戦いに勝利するというシーンが何度も登場する(一応、金よりも友情が大事というオチは付くが)。戦車部や麻雀部が平気で闊歩している萌えアニメ業界で何を言っているのだとなりそうだが、人によっては不快感を覚えるのは事実だ。ストーリー本編とは無関係なので、本項では評価の対象外とするが、あまり褒められた物ではないというのは理解して欲しい。

 もっとも、本作の原作が発表された2013年頃には、すでに『World of Warcraft』方式と呼ばれるクエストクリア型・エンドコンテンツ重視のネトゲがメインストリームになり、「Time to Win」「Pay to Win」は形骸化しつつあった。さらに、このアニメ版が放送された2016年には、最早ネトゲ自体が下火になり、スマホゲームに取って代わられている。では、この御時世にわざわざ十年以上前の古臭いネトゲを舞台にしたアニメを放送する意義はどこにあるのだろうか? 正直、あまりない。ところが、本作はゲーム本体に留まらず、パロディネタを含めた当時のネトゲ文化までも忠実に再現しており、ノスタルジックと言うにはかなり悪趣味である。上記の反社会性を鑑みるなら、作品の内容をもっと2016年風にアレンジすべきだったのではないか。テレビアニメは、何も原作をそのまま映像化することだけが使命ではない。悪い部分は手直しし、時代に合った形に作り直すことも、大事な役割だと考える。

・総論


 見た目に反して、意外な底の深さを持っている良作。ただし、万人受けは絶対にしないので、注意が必要。

星:☆☆☆☆☆(5個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:13 |  ☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『それが声優!』

成長のジレンマ。

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それが声優! - Wikipedia
それが声優!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。あさのますみ原作・畑健二郎作画の四コマ漫画『それが声優!』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は博史池畠。アニメーション制作はGONZO。人気声優になることを夢見て頑張る三人の女の子を描いた青春ドラマ。原作者のあさのますみは声優・浅野真澄の別名義であり、彼女の経験が本作のネタ元になっている。彼女を含め、実在の声優が本人役で多数登場する。

・成長


 「三人の新人女性声優達が、失敗を繰り返しながらも力を合わせて成長していく様を軽快なタッチで描いた青春コメディー」、本作の内容はこの短い一文で全て表現できてしまう。こういう書き方をするとまるで貶しているように感じると思うが、逆だ。一つの文章で表すことができるということは、シンプルで無駄がないということである。そして、それは作劇の基本に忠実だということでもある。先人が長い年月をかけて作り上げたセオリーに則って作ってさえいれば、必ず良い物ができる。中二病を引きずったアニメの制作者は、得てして独自の道を歩みたがるが、基本を蔑ろにしたアニメが最終的にどうなるかは、本ブログで取り上げているダメな作品一覧を見れば一目瞭然だ。
 本作の主人公は新人女性声優。先日、養成所を卒業し、今は業界最大手の青空プロダクション(モデルは青二プロダクション)に預かり声優として所属している。だが、声優としての稼ぎはほとんどないため、近所のコンビニでのアルバイトが主な収入源になっている。彼女が声優を志した理由は、就職難の折に「この際、自分の夢の中で一番難しいのにチャレンジしよう」と思ったから。この度、端役ながら初めてのレギュラー番組出演が決まり、その現場で二人の新人声優と出会って意気投合する。こうして、三人は輝かしい未来を夢見て一歩ずつ歩き出す。
 ドの付く新人である本作の主人公達は、とにかく気持ちいいぐらい失敗をしまくる。声優のお仕事を紹介する作品なのだから当たり前だが、新人声優が犯しがちなミスを見事に全て網羅している。そして、失敗することで大事なことを知り、人間的に大きく成長する。その繰り返しだ。失敗するから彼女達に親近感を覚え、自分達の近くに住む者としてシンパシーを覚える。だから、早く一人前になれるように応援する。その結果、成長した彼女達に対して深い感動を覚える。まさに、これぞ物語というべき黄金パターンである。ここで大事なのは、あくまで他者との関係性において己を知るということだ。下手な作品は勝手に自問自答して自己完結させてしまうが、それではわざわざ物語にする必要がまるでない。本作の他に類を見ない長所は、その主人公にアドバイスを与えて良き方向へと導く担い手として、実在の人気声優・大御所声優を本人役で登場させている点である。これは非常に効果的で、かつ絶大な説得力がある。もちろん、かなり卑怯な手法ではあるのだが。

・ジレンマ


 挫折を経験することで何らかの気付きを得て人として成長する、これが物語のセオリーである。だから、本作の主人公は何度も何度も失敗を積み重ねる。だが、現実問題、その流れが必ずしも上手く行くとは限らない。なぜなら、そんなに何度も失敗を重ねる人間に、普通は次のチャンスは回ってこないからだ。声優のような特殊な専門職なら尚更である。つまり、一言で成長と言っても、「二つの軸」があるということである。個々の事例に対応する能力を磨くソフトウェア的な成長、それらを総合してキャリアをステップアップさせるハードウェア的な成長。上記の通り、この両者は時には干渉し合うというジレンマを抱えている。そのバランスを如何に取りながら最終目標へと近付けるか、それが成長ドラマの作り手に課せられた一番の試練である。
 では、本作はどうだろう。残念ながら、本作はそういった問題に正面から立ち向かうことを極力避けている。主人公達の元には、これだけ失敗を繰り返しながらも、かなり順調に仕事が舞い込んでくる。仲良し三人組でウェブラジオのMCをやることになり、その三人でユニットを組んでCDデビューする。最後には、かなり大きめのステージで単独ライブを行う。その一方で、ゲームやナレーションや外画の吹き替えの仕事も経験する。主人公は業界最大手の事務所に所属しているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、本人の努力とは全く関係のないところで向こうから次々と仕事がやってくる状況には、やはり違和感を覚えざるを得ない。なぜかと言うと、個々の仕事に関連性がほとんどないからだ。一つの仕事を成功させ、それが別の仕事を呼ぶという流れなら問題はないが、それぞれが完全に独立しており連続性がない。そのため、成長ドラマとしてはかなり不自然な仕上がりになってしまっている。
 ところが、最終回。事務所の人間に、この二年間で目立った実績はユニット活動しかないとダメ出しをされる。素人目には順調に見えたが、この程度では全然足りていないらしい。確かに、メインを張るような仕事は何もないが、デビュー直後の新人にそこまで求めるのか。要するに、声優業界は我々が考える以上にシビアということだ。この現実を知らない批評家を鼻で笑うような圧倒的なリアリズムこそが、本作の最大の特徴である。

・査定


 主人公の所属する青空プロダクションには鉄の掟があった。それは、事務所の預かり声優となってから二年後に行われる「査定」までに目立った成果を挙げておかないと、本人の意思に関係なく契約を解除されるという物だった。つまり、主人公の立場はまだ見習いに過ぎず、プロの声優としてのスタートラインにすら立っていないということである。だが、上述した通り、主人公の特筆すべき実績はユニット活動しかない。そこで、彼女は思い悩む。自分はどんな声優になりたいのか。何を目標に声優業を続けるのか。しかし、答えが出ないまま、最終回、運命の査定の日を迎えてしまう。
 会社のお偉いさんが並ぶ面接の席で、主人公は通りすがりの子供達が話していた「動かない、でかい物を目標にする」という言葉を思い出し、自分の目標は「息の長い声優になる」ことだと告げる。その目標に驚く役員達。なぜなら、それは言葉にすると簡単だが、実際は非常に奥深く、同時に非常に難しいことであるからだ。劇中で指摘されているように、若い頃から何度もメインヒロインを張っているような人気スター声優でも、三十歳を越えると急に仕事が減るのが、今の声優業界の厳しい現実だ。声優予備軍だけでも何万人といて、次から次へと新しい才能が現れる。ユーザーも若くてフレッシュな人材にどんどん目移りする。そんな中で「息の長い声優」、つまり、三十歳を越えても六十歳になっても第一線で活躍できる声優になろうと思うと、人並み外れた実力とどんな困難にも負けない精神力が必要になる。主役だけでなく脇役も均等にこなし、少年役から老人役まで演じ分ける。悪役も汚れ役も厭わない。たとえ、一言しか台詞のない端役でも一生懸命やる。そんな茨の道をあえて歩もうとする主人公の決意に心打たれた会社の役員は、彼女の研修期間を一年延長することを決断する。この一連のストーリーは、声優を使い捨てにする現在の声優業界に対する批判も含まれているのだろう。ただ単に声優を蝶よ花よと持ち上げるのではなく、ちゃんと闇の部分も描いた上で未来に希望を持たせる。なるほど、本作は良い作品である。
 なお、本作はアニメらしいデフォルメ演出を多用するのだが、最終回ではその演出を上手く使って主人公の揺れる心を描いており、非常に表現が豊かである。こういうアニメならではの良さを見れるのは嬉しい。やはり、脚本が良いと自然と演出も良くなるのだろう。

・演劇論


 さて、これまで本作の長所を見てきたが、一方の短所はどうだろう。実は、本作の特徴である声優の世界をリアルに描くこと、それ自体が一番の短所である。なぜなら、本作が取り上げているのは一般的に言う声優ではなく、その中でも極めて限定的な「アイドル声優」だからである。
 実際のところ、本作で紹介されている様々な声優のお仕事の内、本来の意味での「声優業」に該当する業務は半分もない。ラジオのMCはあくまで副業だし、ユニットを組んで歌って踊るのはアイドル活動だ。ストーリーの後半は、ライブを成功させるために皆で協力するという感動展開がメインになるのだが、本来の声優業とは程遠い位置にいる。すると、どうなるのか。それは、声優を題材にした作品で最も重点的に取り上げるべき「演劇論」が、二の次になってしまうということである。演劇論とは、すなわち、自分とは別人のキャラクターを演じることに対する哲学や心構え。例えば、主人公は少年役が得意という設定になっているが、少年の声を出すことと少年を演じることは全く違う。少年を演じるためには、その年代の男の子の思考や思想を十分に理解し、その人物に成り切らなければならない。もちろん、女性が少年の心を正確に把握することは不可能なので、そこは想像力で補う必要がある。では、主人公はそれほどまで少年の心理に通じているのか? 残念ながら、そのような描写は皆無である。本作にはそういった演劇に対する深い見識が抜け落ちているため、どうしても底の浅い記号的な物語になってしまっている。
 また、同ジャンルのアニメ『REC』の項目でも書いたが、声優にとって最も難しい役どころは、他でもない「新人声優役」であろう。なぜなら、地声と演技の声を巧みに演じ分けつつ、その演技の声が徐々に成長していく様を具体的に示さなければならないからだ。ベテラン声優でも完璧に演じられるとは思えないその無理難題に、本作の若手声優陣も果敢に挑戦しているのだが、やはり厳しい物がある。地声がそもそも演技なため、演技の声がわざとらしい。結局のところ、これも演劇論を軽視したことによる弊害だ。歌って踊ることも声優の大切な仕事だろうが、やはり「演技とは何か?」を自問する回が一話ぐらいあっても良かったのではないだろうか。

・総論


 声優アニメとして見ると問題は多いが、青春ドラマとしては非常に良くできている。GONZOがこんなにいいアニメ作るんだ。意外。

星:☆☆☆☆☆(5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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