『翠星のガルガンティア』

異文化同士の交流。

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翠星のガルガンティアとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。オリジナルテレビアニメ作品。全十三話+OVA二話。監督は村田和也。アニメーション制作はProduction I.G。遠い未来の地球で異なる文化を持った人類同士の交流を描いたロボットSFアニメ。シリーズ構成は『魔法少女まどか☆マギカ』の虚淵玄、キャラクター原案は漫画家の鳴子ハナハルという豪華布陣である。

・設定


 先に全体的な結論を書こう。本作は設定・ストーリー・作画共に非常にクォリティの高い作品である。特に練り込まれたSF描写は素晴らしいの一言。それゆえ、人によっては歴史的な傑作として本作を捉える向きもあるだろう。それは否定しない。だが、多くの人は本作を視聴している間、ずっと目に見えない何らかの違和感を味わい続けるのではないだろうか。言っていることは理解できるのに、なぜか話が頭に入って来ない。見ていて気持ち良くないため、ストレスが溜まる。そんな感覚が常に付きまとうせいで、面白いはずなのにいまいち面白く感じられないのである。それゆえ、その違和感の正体を明らかにしない限り正当な評価は下せない。
 まず、基本的な設定を整理しよう。遠い未来の物語。氷河期により居住不可能になった地球を後にした人類は、長きに渡る漂泊の末、謎の宇宙生物「ヒディアーズ」と対抗するために「人類銀河同盟」なる組織を結成し、日々戦いに明け暮れていた。本作の主人公は、そんな対ヒディアーズ用の殲滅兵器「マシンキャリバー」のパイロット。幼い頃より兵士としての訓練を受けてきたため、いわゆる人間らしい幸福や家族愛を何も知らずに育った。ある日のこと、ヒディアーズとの交戦中に起きた不幸な事故により、彼は見知らぬ水の惑星へと飛ばされてしまう。まるで一つの町のような船団「ガルガンティア」に救出された彼は、そこで純粋無垢なヒロインと出会い、その星が氷河期を脱した地球であることを知る。地球の文明の低さに戸惑いつつも、主人公は人類銀河同盟からの救援が来るまで、ガルガンティアで生活することを決意する。
 ご覧の通り、本作は「謎のスーパーロボットと異星人のパイロットが地球にやってきて、人類が戦争に巻き込まれる」という王道ロボットアニメをベースに、視点だけを逆にしてみたという作品である。視点を逆転するということは、異星人側を善の執行者にするということだが、残念ながら現在の地球には何の問題も発生していないため、本作には敵という敵が登場しない。それゆえ、ロボットアニメを名乗りながら、ロボットによる戦闘シーンはほとんどなく、主人公側とヒロイン側との異文化交流がメインになる。こう書くと思い出すのが『∀ガンダム』であり、どこまで意図的かは不明だが、両作品にはかなりの類似点が見られる。興味がある方は見比べてみると面白いだろう。

・視点


 さて、最初に違和感が訪れるのは第二話である。突如、海賊がガルガンティアを襲撃し、ヒロインに救援を頼まれた主人公がロボットを駆って迎撃する。彼は超兵器を用いて海賊を一瞬で全滅させ、ガルガンティアの平和を守る。すると、なぜか住民は一斉に彼を非難する。どのような理由があっても殺戮行為は悪であり、憎しみの連鎖を生むだけだ、と。多くの視聴者はここで戸惑いを覚えるのではないだろうか。海賊に襲われて身に危険が及んでいる状況下で、彼らを殺害するのは正当防衛の範囲内であり、神に与えられた基本的な権利である。それが我々現代人の価値観だ。それを否定する人々とは相容れない。つまり、ガルガンティアの人々は、我々から見ると「異文化の民」である。もちろん、主人公も異文化の民であるため、本作がやっていることは異文化交流ではなく「異文化同士の交流」なのである。それでは視聴者が完全に蚊帳の外だ。かと思うと、第四話以降、今度は視点が完全にヒロイン側に固定され、ガルガンティアの文化に戸惑う主人公がそこに馴染んでいくまでの様子が面白おかしく描かれる。その間、ガルガンティアは我々の地球文化の代表として振る舞っている。それは別に悪くないが、つい先日の蛮行のせいでどうにも気持ちが落ち着かない。
 第九話。衝撃の事実が明らかになる。人類銀河同盟の敵であるヒディアーズは、実は人間が宇宙に進出するために人為的に進化した生き物だったのだ。今までずっと人間同士で殺し合っていたことを知った主人公は戦慄し、激しく動揺する……って、違うだろ! 主人公は人間らしい感情を何も知らずに育ち、海賊をあっさりと皆殺しにした生粋の兵士である。最近になって、ようやくヒロインに諭されてヒューマニズムを理解し始めた人間が、この程度のことで動揺するはずがない。本来、この役目を担うのは我々地球人の代表であるヒロインのはずだ。だが、ストーリーの都合上、視点を主人公側に移さざるを得なかったため、このようなことになってしまっている。
 ここまで書くと理解できると思うが、本作が抱える違和感の正体は「物語の視点があちらこちらに飛び回って全く一つに定まらない」ことである。お互いがお互いを異文化扱いしているため、物語の主体がどこにも存在しない。ドラマツルギーにおいて思想の対立は非常に重要な要素だが、どちらの勢力にも共感できないと、それは全て視聴ストレスとして帰ってくる。それを防ぐのが主人公という存在であり、どのような時でも創作の基本を蔑ろにしてはならない。

・家族


 本作が抱える違和感はそれだけではない。もう一つの大きな違和感の正体、それを探るためにもう一度主人公の生い立ちを振り返ってみよう。主人公が生まれ育った人類銀河同盟は、徹底的に合理化・効率化された管理社会である。生まれてすぐに教育施設に隔離され、兵士としての素養がない者は選別されて排除される。両親の顔を知らなければ、人間らしい温かい生活をしたこともない。そんな主人公のカウンターパートたる立ち位置のガルガンティアには、当然、描かなければならない物が存在する。それは「家族」である。複数の世代が共同生活する家族の温かさを描いて、初めて主人公との対比が生まれる。しかし、実際のガルガンティアには家族らしい家族がほとんど出て来ない。背景のモブとして描かれる程度で、家族愛を主体にしたエピソードは一つもない。ヒロインには病床の弟がいるが、両親の話は全く出て来ない。誰かが誰かに惚れたという話すら皆無だ。
 では、ガルガンティア自体が一つの疑似家族のような共同体を形成しているかと言うと、それも怪しい。彼らはあくまで各職業のスペシャリスト集団であり、船団を形成するとより作業が効率的になるから一箇所に集まっているに過ぎない。つまり、それは家族ではなく、ただの「社会」である。実際、物語の後半では意見の衝突により、あっさりと船団が分裂する。まるで合併した企業が内紛で再分裂するように。また、劇中で謝肉祭が行われるのだが、ヒロイン達が半裸で踊るシーン以外、祭りらしい光景は全く描かれない。そもそも、何のために踊るのかも分からない。住民全員が日頃の苦労を忘れて大騒ぎする、それが祭りではないのか。視聴者はこれを見て本当に「この街に住んでみたい」と思うのだろうか?
 これらは細かいことのように見えて、非常に由々しき問題である。本当に作り手が人類銀河同盟を悪しきディストピアだと認識しているなら、誰に頼まれなくてもガルガンティアを地上の楽園として描くはずだからだ。そうなっていないということは、頭の中だけで考えた悪役設定に過ぎず、作り手の想いが全く込められていないということである。そんな小手先のテクニックで人の心は動かない。如何に人間を生き生きと描くか、それはすなわち如何に人間が好きでよく観察しているかということであり、それが感じられない本作はやはり同種の作品より一段落ちると言わざるを得ない。

・機械


 終盤の第十一話、新たな勢力が劇中に登場する。リーダーはかつて主人公の上官だった男。彼は先達ての事故で主人公と共に地球へ飛ばされ、そこで現地住民を懐柔し、自らが教祖となって宗教国家を建設していた。要するに新たなる「異文化の民」である。主人公と人類銀河同盟を分けて考えるなら、これで五つ目の異文化か。設定が混迷化して収拾が付かなくなったため、とりあえずの敵を出して強引に話をまとめるという手法自体は決して批判される物ではないが、視聴者の置いてきぼり感はとてつもない。一体全体、我々はどこの誰に自分を重ね合わせればいいのか。
 さすがにこれでは不味いと気付いたのか、本作はとあるカラクリを用いることで、ヘイトをラスボスに集中させることに成功している。実は、主人公の上官はすでに死んでおり、彼の乗っていたマシンキャリバーが自律行動をして集団を率いていたのだ。敵が人工知能となれば話は別で、遠慮なく叩き潰せばいい。ただ、何を血迷ったのか、本作はなぜか最終決戦中に主人公のマシンキャリバーまでが自立し、単独でラスボスに戦いを挑むという異様な展開になる。ロボット同士の熱きバトル。自爆して世界を守る人工知能。横で見守るだけの主人公(と視聴者)。一方、その間もずっと人間は人間同士で無益な戦争を続けているのである。どのような理由があっても殺戮行為は悪ではなかったのか。何なんだ、この作品は。
 本作のメインテーマは、もちろん「ヒューマニズム」である。人間の素晴らしさ。性善説に基づいた無為自然の心。そういった物をロボットアニメという媒体を通して訴えかけている。そして、そのヒューマニズムと対を成す物は何か、それはもちろん「機械」であろう。中でも「人工知能の自立」は、人間の根本的な尊厳を脅かす物であり、絶対に認めてはならないことだ。ところが、本作はそれを敵側だけではなく味方側でもやるのである。正直、理解不能だ。好意的に解釈するなら、人為的に進化して化け物と化したヒディアーズに対し、人間の科学力の良き方向性を示すため……いや、それではヒディアーズが一方的に悪となり、共存共栄を描いたラストシーンと矛盾してしまう。蛇足以外の何物でもない。結局、これだけ緻密なSF設定を構築しておきながら、肝心なところは全て曖昧なまま処理しているのである。設定にこだわる前に、もう少し「本当に自分が訴えたい物は何か?」を突き詰めて欲しい。

・総論


 一言で言うと「頭でっかち」。設定は豪華だが、それを十分に活かしたとは言い難い。特に、ヒロインはいる意味あったのか、これ?

星:☆☆☆☆☆(5個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:33 |  ☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』

無難。

公式サイト
IS 〈インフィニット・ストラトス〉 - Wikipedia
IS〈インフィニット・ストラトス〉とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2011年。弓弦イズル著のライトノベル『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は菊地康仁。アニメーション制作はエイトビット。女性にしか扱えないはずの飛行パワードスーツを、なぜか世界で一人だけ操縦できる男子高校生の活躍を描いたロボットアニメ。嘘か真か、「世界で最も売れたハーレムアニメ」らしい。あんまり嬉しくない称号だな。

・ロボットアニメ


 本作の特徴を簡単に説明すると、「人型兵器が激しい空中戦を繰り広げるロボットアニメ」と「主人公に多数の女性が群がる学園ハーレムラブコメ」を一つに組み合わせた物である。こう書くと、如何にも危険な色物の匂いがして、好事家が目を輝かせるだろう。だが、残念なことに、本作にはアンチの付け入ることができそうな大きな欠点が、これと言って見当たらない。全て「個人の好み」で片付けられる範疇。それはすなわち、やるべきことをちゃんとやっているため、穴が少ないという意味である。
 例えば、ロボットアニメ的な要素にしても、確かに宇宙開発用マルチフォームスーツ「IS」に関する点は全てファンタジーである。自由に飛行ができ、強力な武装を携帯し、操縦者を守るシールドが完備され、いつでも無から呼び出すことができる。そして、なぜか女性しか操縦できない。こんな物が科学的に存在できるわけがない。しかし、本作はISその物ではなく、それを取り巻く人々の行動に重きを置くことでリアリティを高めている。ISは、そのあまりに高過ぎる性能のため、国際条約により各国政府の厳重な管理下に置かれている。テロ等による身の危険を感じた開発者は行方をくらましている。それゆえ、全世界にISのコアは467機分しかない。軍事転用が全面的に禁止されているため、現在は主にスポーツとして使われている。このスポーツという点に疑問を覚える人もいるかもしれないが、軍事に用いることなく技術発展を図るのに、スポーツとして利用するのは決して不条理ではない。そのスポーツはシールドが無力化したら負けというルールで、操縦者の安全が守られている。主人公達が通う学校「IS学園」は、そんなISの操縦者を育成する世界で唯一の教育機関であり、あらゆる組織から独立している。等々、仮にISが実在すれば起こるであろうことを全てカバーしている。
 もちろん、個々の設定自体は他のアニメでもよく見られることだ。天才開発者が行方不明だとか異能者の集まる学園だとか。だが、本作はそれらの設定をある目的のために一つに集約することで質を高めている。それは「ISは高性能であるがゆえに危険である」という一点。設定のコンセプトが統一されているからこそ、ストーリーも演出もブレず、穴が生まれ難くなる。本作を見ていると、俗にクソアニメと言われる作品が、如何に「やりたいこと」のみに囚われて「やるべきこと」を疎かにしているかが良く分かる。

・ハーレムラブコメ


 では、ハーレムラブコメ的な要素はどうだろうか。本作には五人の美少女ヒロインが登場し、最終的には全員が主人公に対して好意を抱くという異常事態が発生する。傍から見るとギャグ以外の何物でもないが、視聴者は主人公に自分自身を重ね合わせているため、そこは極上の理想空間に他ならない。ただし、そのためには主人公の感性が自分に極力近いという条件が付く。もし、主人公の言動に違和感があり、彼我の距離が離れてしまうと気持ち良くハーレムに浸れない。それゆえ、ヒロイン側よりもむしろ主人公側に細心の注意を払う必要がある。
 さて、その主人公だが、ヒロインの細やかな感情変化に気付くぐらい観察力が高いのに、なぜか自分に対する愛情にだけは気付かないという矛盾や、肝心な場面で突然難聴になるという特異体質などは間違いなくファンタジーである。そんな人間がこの世に存在するはずがない。だが、それ以外の部分はしっかりと作り込まれているため、この手のアニメにありがちな不快感が少ない。彼はいわゆる天才キャラだが、最初から何でも完璧にこなすというわけではない。女子高の中に男子は自分一人という特殊な環境に戸惑いながらも、必死に努力して馴染もうとする。授業態度も真面目で他人を貶めるような言動はしない。常にヒロイン達に気を配り、いざと言う時には体を張って助ける。そして、容姿も端麗。そんな男性が女の園の中に一人だけいたら、これはもうモテないはずがない。完全に自然の理だ。
 こうして見ると、良いハーレムアニメと悪いハーレムアニメの境界線がよく分かる。結局はロジックの有無である。例えば、ダメなハーレムアニメにありがちなのが、視聴者とのシンクロ率を高めるために「普段は冴えない少年」だとか「趣味はエロゲー」といった無駄な属性を主人公に加えること。そんな人間が、環境が変わっただけで急に強気になってモテ始めるなど現実的にあり得ない。つまり、大事なのは「合理性」があるかどうかであり、合理性がなければどんなにそのジャンルに対して好意的な人間でも違和感を覚える。その違和感が積もり積もって不快感に繋がるのだ。

・ストーリー


 改めて、本作のストーリーを見て行こう。全ての事の始まりは、女性しか扱えないはずのISを、なぜか男性の主人公が操縦できてしまったことにあった。そのため、主人公はISのパイロット養成学校に強制的に入学させられる。戸惑いつつも、必死にISの操縦を練習する主人公。その後の物語は、ISは政府によって厳重管理されているという設定に従って、基本的に全て学内での物語になる。すなわち、主人公達がISの実習を行っている時に謎のISが学園に現れて、騒動に巻き込まれるという形だ。あくまで偶然の結果なので、なぜか一学生に過ぎない主人公が特別扱いされるということはない。この辺りの気の遣い様は、悪い例として挙げて申し訳ないが、『ハイスクール・フリート』と見比べてみると違いがよく分かる。簡単に言うと、組織が機能しているかしていないかの差だ。当たり前だが、まともなプロ集団なら素人の高校生に援軍を頼む必要など何一つないのである。
 ところが、第十話以降の展開は、そういった大前提を覆す流れになる。ある夏の日、無人のISが暴走する事故が発生し、たまたま近くに臨海学校に来ていたIS学園が上層部の命令により対処に当たることになる。だが、不思議なことに、学園のリーダーである主人公の姉は、教員達ではなく主人公達にその役割を命じるのである。確かに、主人公達は特別な「専用機持ち」で問題解決にはより効率的だったかもしれないが、はたしてそれは適切な判断だったのだろうか。実際、主人公は暴走機との交戦により、一時意識不明になるような重症を負っている。責任問題がどうというよりも、主人公の姉の判断の甘さだけが浮き彫りになり、これまで築いてきた彼女のカリスマ性が消え失せる。例えば、専用機でなければ止められないなどのそれらしい理由を設定し、主人公達に対して頭を下げるべきではなかっただろうか。今までの地に足付いた描写に比べ、このシーンでの説明不足感は否めない。
 もっとも、この事故は、実はメインヒロインの姉にして現在行方不明中のIS開発者が遊び半分で仕組んだ物だったということが最後に判明する。そして、主人公の姉もそれに気付いていたかのような描写が入る。なるほど、本作のこういった無難さは見事である。まさしく、プロの仕事だ。

・白人酋長


 ここから先は余談になる。本作は純粋な娯楽作品であり、無闇に穿った見方をするべきではないと考えるが、あえて本作をジャンル分けするなら「白人酋長物」になる。白人酋長とは、ネイティブアメリカンの部族の生活に白人の主人公が溶け込み、最終的にはその部族の長となって白人社会と戦うという物だ。基本的にはヒューマニズムの産物であり、白人がネイティブを虐げるだけだった旧来の西部劇のセオリーを根底から見直そうという運動が生んだ物だが、結局、白人がネイティブを支配しているのだから、何も変わらないのではないかという批判もある。
 さて、本作は女性しかいない学園に男性の主人公が入学するところから始まる。この世界は、ISという女性にしか扱えない超高性能機の出現によって男女の立場が逆転しており、女尊男卑が社会通念になっている。「男と女が戦争すれば三日持たない」という台詞すら存在する。その言葉通り、当初は主人公が女子生徒にいたぶられる立場だったのだが、第二話にはもうクラスの人気者になり、最後には上記のようなハーレムを築き上げる。この一連の流れは何を指し示すのだろうか。旧来の萌えアニメは、女性を性欲の対象として物扱いする男性優位の世界がセオリーだった。それを逆転させて女性優位の世界にしたのは、ある種リベラル的な発想の産物であり、女性は物ではなく尊い存在だと訴えたいわけである。ところが、時間が経つにつれて、結局は男性主人公が女性世界を支配してしまう。この辺りにいわゆるオタクの複雑な感情が見て取れる。女性を尊敬していると同時に、心の底では支配したいと思っている。おそらく、現実社会でのコンプレックスが投影されたそのアンビバレントな感情が、本作を生み出したと考えていいだろう。
 この先、本作がどういった変遷を辿るかは分からない。が、少なくとも第一期の時点での両者のバランスはそれなりに保たれているため、大きな問題にはなっていない。それが軽薄なハーレムアニメでありながら、あまり不快感がない最大の理由であろう。ただし、この異常な状態が延々と続くなら、間違いなく先鋭化して先祖返りする。その時、本作の評価は地の底へと沈むことになるだろう。

・総論


 良い意味で無難。これと言う大きな欠点がない。後は個人の好み。

星:☆☆☆☆☆(5個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:08 |  ☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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