『武装神姫』

メルヘン。

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武装神姫 - Wikipedia
武装神姫とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年秋。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話+OVA。監督は菊地康仁。アニメーション制作はエイトビット。小型アンドロイドと人間が共存した世界を描いた近未来SF。元々は、コナミデジタルエンタテインメントが製作するアクションフィギュアシリーズの名称で、本作はそのメディアミックスの一つである。本作の前にOVA『武装神姫 MOON ANGEL』が発表されているが、世界観に直接の繋がりはない。

・童話


 「神姫」と呼ばれるフィギュアサイズの超小型女性アンドロイドが一般家庭に普及し、人間の暮らしを支えている世界を舞台にした物語。ジャンル的にはいわゆる「人造人間譚」に該当する。つまり、人工的に作られた人間そっくりのアンドロイドやサイボーグを通じて、「人間とは何か?」をもう一度問い直す作品だ。深夜アニメでは、『ローゼンメイデン』や『ファンタジスタドール』などが本作とコンセプトを共有している。基本的には、アニメーションと非常に相性の良いテーマの一つである。

 ただし、本作の全体的な印象は、人造人間というより童話や伝承における「小人さん」のイメージの方が強い。例えば、貧しい靴屋が夜眠っている間に小人達が靴を仕立ててくれるグリム童話の『小人の靴屋』、あのイメージである。神姫達は、自分達のオーナーである人間を「マスター」と呼んで従い、家事や雑用を代行する。だが、体が小さ過ぎるため、人間にとっては簡単な作業でも彼女達には重労働で、何度も失敗を繰り返す。それでも、愛するマスターを喜ばせるために、小さな体で一生懸命奉仕する。その様子は非常にコミカルであり、見ていて微笑ましい。こんな子達が家にいたらいいなと視聴者に思わせることができたら、その時点で本作は勝ちだ。なお、グリム童話における小人はかなり謎の存在で、なぜ靴屋を手伝ったのかも分からないし、続編では人間に直接的な危害を加えている。一方、本作の神姫は、最初からマスターに服従するようにプログラミングされているため安心だ。もっとも、AIが暴走しなければの話だが。

 ただ、その観点で言うと、やや不満が残るのは「作画」である。本作はバトルシーンの動画枚数を確保するため、かなり簡略化した作画を採用している。それはそれで構わないのだが、上記のような「小人さん」の画的な面白さを描こうとすると、やはりこの作画では厳しい。身長15センチほどの小人が人間の家で生活するという、ある種の巨人の国に迷い込んだかのような異世界感を表現するためには、コンテやレイアウトの段階で緻密に計算し尽くされなければならない。それこそ、ディズニーやらピクサーやらの名作映画を参考にして作っていれば、本作はもっと良いアニメになっていただろう。

・設定


 神姫自体が完全にオーバーテクノロジーなので、本作の設定にはかなり穴が多い。例えば、神姫を使った犯罪にはどう対処しているのかといった疑問は、劇中では全く触れられていない。しかも、本作のタイトルは、ただの神姫ではなく『武装神姫』である。何とも物騒な香りが漂っている。

 ここで改めて第一話冒頭のナレーションを引用しよう。「神姫とは、人間の補佐をするために作られた全高15センチのパートナー。知性と感情を備え、マスターである人間に尽くし、仕える。その神姫に人々は思い思いの武器・装甲を装備させ、戦わせた。名誉のために、強さの証明のために、あるいはただ勝利のために。マスターに従い、武装して戦いに赴く彼女らを人は武装神姫と呼ぶ」。この解説を読む限り、どうやら元々は純然たる家電製品だった物を、ユーザーが勝手に対戦競技に使い始め、それがスポーツに発展した。その結果、メーカー側もスポーツ用の神姫を発売するようになった、ということらしい。実際、劇中においてヒナという好戦的な神姫が「私達は戦うために作られた」と発言している。現実世界でも、単なる移動手段だった自動車や自転車がレースになり、それを受けてレース用の車が発売されたりしているが、現実と違うのは、あらゆる神姫が武装を携帯し、それを任意で使用している点である。何とも恐ろしい世界だ。このような無法状態で社会の秩序が正しく保たれているとは到底思えない。おそらく、明確に描かれていないだけで、何らかの法律でがんじがらめにされているのだろう。

 どちらにしろ、冷静に考えると、かなり酷い設定である。なぜなら、意志を持ったアンドロイドに戦いを強要しているのだから。この世界ではアンドロイドの人権がどうなっているかは分からないが、極めて非人道的である。ただし、このテレビアニメ版に限ると、その非人道さをほとんど感じない。理由は一つ。メインヒロイン達のマスターである主人公が、「バトルは危ないからね」と言って、ヒロイン達に戦うことを禁止しているからである。彼女達は自分の身を守るためやマスターの名誉を守るために戦うことはあっても、自ら積極的に他の神姫に戦いを挑むことはなく、年に一度の公式バトル大会にも出場しない。ある意味、『武装神姫』というタイトルに反しているが、これこそが本作を特徴付けている最大の要因になっている。

・神姫愛


 正直なところ、本作はかなり「下品」なアニメである。主人公は一人暮らしの男子高校生。本作のヒロインである四体の神姫(アン、ヒナ、アイネス、レーネ)を所有している。彼女達はマスターを敬愛するようにプログラミングされているため、主人公に対して恋愛にも似た感情を抱いており、まるで恋人のように甲斐甲斐しく身の回りの世話をする。それゆえ、完全に主人公を中心としたハーレムが形成されている。しかも、本作は序盤を中心にやたらと性的なシーンが多い。神姫達の服装は常に露出度が高く、体にオイルを塗ったり、筆で塗装したりと性行為を思わせるシーンが連続する。と、このように本作は男性視聴者の欲望を極めてストレートに映像化しており、そのため、他人にお勧めするには多少の勇気を必要とするアニメになっている。

 だが、実際の映像からは、あまりそのような印象は受けない。それはなぜかと考えると、やはり全体を包み込む雰囲気がとても柔らかく、神姫愛に満ちた作品になっているからであろう。主人公は、自分の世話をしてくれる神姫達に対して常に感謝の気持ちを忘れず、支配者として高圧的に振舞うこともない。神姫達は便利な道具ではなく、あくまで人間と共生するパートナーだからだ。一方の神姫達も、マスターへの奉仕以外は誰にも束縛されることなく、自由気ままに暮らしている。それはつまり、彼女達の人権が保障されているということである。ストーリーにしても、小さな体で沖縄までマスターに会いに行く第五話、幽霊となったマスターに仕える神姫を描いた第七話、一時的に人間になったヒロインの揺れる心を描いた第八話、サンタの代わりに子供達にプレゼントを届ける第十話と、非常にハートフルで心温まる話になっている。それゆえ、上記のような下品さも目立たなくなり、爽やかな視聴後感だけが心に残る。

 これは非常に大事なことを示唆している。極めて観念的で、一歩間違えると怪しい新興宗教か何かのようになってしまうが、結局のところ、作劇において最終的に一番上に現れるのが「愛・感謝・優しさ」ということである。どんなにユーザーのニーズに応え、練りに練ったシナリオを構築したところで、愛も感謝もない物語では人の心は動かない。登場人物が互いを一人の人間として尊重し合い、今の幸せは誰かのおかげで成り立っていると自覚する、それが大事なのだ。逆に言うと、駄作と言われるアニメは、そういった感情が抜け落ちていることが多い。幸い、その手のアニメのサンプルは幾つも用意してあるので、参照してみてはどうだろうか。

・最終回


 第十一話~第十二話のラストエピソードは、前述のヒナが、世界中の珍しい神姫を集めているコレクターに誘拐される話である。彼女はコレクターによって記憶を書き換えられ、今まで一緒に暮らしてきたヒロイン達のことも忘れてしまう。そこへ、ヒロイン達が助けに来る。コレクターが所有するヒナと同系統の武装神姫との激しい戦いの末、彼女は奇跡的に記憶を取り戻し、ヒロイン達と力を合わせて敵を倒す。こういったストーリーである。これだけ見ると何も問題はない。神姫愛に満ちたハッピーエンドだし、感動もする。だが、本作全体の作品テーマを総括する最終回として見ると弱い。残念ながら、この程度では世の名作群の中に名を連ねることは不可能だ。

 では、どうすべきなのか? 有難いことに、本作は序盤から様々なキーワードが提示されている。「神姫は戦うために作られた」「バトル嫌いな主人公が戦いを禁じている」「ヒナはそれに不満を抱いている」「一年に一度のバトル大会」「神姫は大量生産品で同タイプが多数存在する」「神姫は人間のパートナー」などだ。ならば、それらを十分に活用してラストエピソードを構築すべきではないか。例えば、ある日、ヒナそっくりの神姫が現れ、ヒナに戦いの意義を説く。ヒナは無断で大会への出場を決意する。だが、それは神姫コレクターの罠だった。洗脳され、ヒロイン達に牙を剥くヒナ。絶体絶命のピンチ。そこへ主人公がやってくる。主人公は同型機の中からヒナを見つけ出し、その絆の力により、記憶を取り戻したヒナは、ヒロイン達と共にコレクターの神姫を倒して平和な日常を取り戻す……というストーリーは『ローゼンメイデン』のパクリだが、どちらにしろ大事なのは、マスターである「人間との関係性」である。人間という存在を否定すれば、武装神姫は文字通りの兵器になる。ただの兵器に幸せは訪れない。では、神姫の幸せとは? その疑問はつまり、人造人間譚という最初のテーマに回帰するということである。

 よく、作劇のおける娯楽性とテーマ性のバランスが問題になるが、その議論自体がナンセンスである。ストーリーにちょっとした工夫を加えるだけで、高い娯楽性を保ったまま深いテーマ性を入れることは十分に可能だ。本作にはそれが足りない。どうしても娯楽一辺倒になっている。作り手にほんの少しでもその意識があれば、本作は歴史的な名作になっていただけにもったいない。

・総論


 萌えトイ・ストーリー。

星:☆☆☆☆☆☆☆(7個)
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by animentary  at 09:44 |  ☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『うた∽かた』

思春期。

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うた∽かた - Wikipedia
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・はじめに


 2004年。オリジナルテレビアニメ作品。全十三話(テレビ未放送一話)。監督は後藤圭二。アニメーション制作はハルフィルムメーカー。十四歳の女の子が経験した一夏の不思議な出会いを描いた青春ファンタジー。漢字では「詩片」という造語で表記するが、本来の「泡沫」という意味も併せ持っている。各回の変身コスチュームをそれぞれ別のイラストレーター・漫画家がデザインするという珍しい形態を取っている。

・優しさ


 『ARIA The ANIMATION』『スケッチブック 〜full color's〜』『魔法遣いに大切なこと 〜夏のソラ〜』『たまゆら』等でお馴染みの、今は亡きハルフィルムメーカー制作の作品である。同社制作のアニメは、閉鎖的なアニメ業界の中でもかなりの異彩を放っており、脚本的な面白さを多少犠牲にしてでも、美術・音楽が一体になった柔らかい雰囲気作りを大事にする手法にこだわっている。本作にしても、ジャンルは魔法少女物でありながら、派手な魔法バトルなどは一切行わず、思春期の女の子の複雑な感情を温かみのある背景と美しいBGMを用いて丹念に描いている。いわゆる萌えでは他社に負けるが、見ていて優しい気持ちになれる作風はなかなか真似できず、今となっては貴重な存在である。
 本作の主人公は、中学二年生の十四歳の女の子。裕福な家庭に生まれ、優しい両親と一緒に何不自由なく育っている。そのため、非常に真面目で純粋、嘘をつくのもつかれるのも嫌いな性格である。その一方で、何事にも気後れして自分の意見を言うことができないという短所も併せ持つ。明日から夏休みという終業式の日のこと、旧校舎で想い人からもらった大事なアクセサリーを探していた彼女は、一枚の大きな古い鏡を見つける。すると、突然、鏡に一人の少女が映り、驚く主人公の目の前で実体化する。彼女は主人公の夢の中に出てきた少女だった。少女は主人公にアクセサリーを返す代わりに、自然界の神精霊(ジン)の力を与える。彼女が言うには、とある理由で十二種類の力を全て解放しなければならず、それを主人公に手伝って欲しいとのこと。こうして、二人は夏休みの間、一緒の時間を過ごすのだった。
 設定だけ見るとかなり複雑であり、かつ第一話で提示された謎が最終盤まで明かされないので、視聴者は常にもどかしい感覚を味わうことになる。もっとも、内容自体は非常にシンプルで、人と人の心の交流を十四歳の主人公の目を通して淡々と描いていくため、さほどストレスは感じない。例えば、第三話は、主人公の父から借りた何十万もする高価な腕時計を友人がなくしてしまい、それを神精霊の力を使って探すだけの物語だ。ここで描きたいのは、当然、金持ち自慢などではなく、そんな時計よりも友情の方が何倍も大事ということである。そういった良い意味での性善説に基づいたハートフル路線は確かに人を選ぶが、殺伐としたアニメが世に溢れている中、本作は一服の清涼剤になり得るだろう。

・神精霊


 鏡から出てきた謎の少女と出会ったことにより、主人公は俗に言う変身魔法少女になる。可愛らしい衣装に華やかな変身シーン。しかも、本作は水や風などの十二種類の神精霊の力を用いるため、各回で変身コスチュームが異なるという豪華さである。ただし、本作において主人公が魔法少女的な活躍をすることは全くない。なぜなら、彼女が得た物は厳密に言うと魔法ではなく、ただ単に神精霊と一体化するだけの能力だからだ。では、一体化して何をするのか? それは、一言で言うと「見る」ことである。千里眼のような物と解釈してもらって構わない。神精霊とは自然その物の力、それを通して世界を見るということは、すなわち、地球的な視点で我々人間の活動を見直すということ。その時、世界は普段我々が見ている物とは全く違って見えるだろう。
 当初、その能力は人や物を探す程度の使われ方しかしなかった。だが、徐々に主人公は今まで見えなかった物が見え始める。それは人の心の醜さ。欲望のままに女性を我が物にしようとする男。怠惰の限りを尽くした挙句、自分の身を危険に晒す女。平気で嘘を付いて他人の心を弄ぶ男。ほんの少しの気持ちのすれ違いから心を壊す女。また、いつも笑顔で振る舞っている主人公の友人達も、密かに重いトラウマを抱えていた。本作では、それらをキリスト教における七つの大罪「傲慢・憤怒・嫉妬・怠惰・強欲・暴食・色欲」になぞらえている。良家のお嬢様で、人間の汚い面を何一つ知らずに育ってきた主人公にとって、それはショッキングな光景だった。そのため、彼女は理想と現実の狭間で悩み苦しむ。結果、神精霊の力に恐れを抱き、もう二度と使わないと宣言する。
 「ハートフル路線はどこに行った?」と突然の掌返しに困惑する方もいらっしゃると思うが、心の闇を描くことと優しい世界を描くことは矛盾しない。むしろ、闇のない光など紛い物である。揺れる心とそれにくじけぬ心を同時に描くことで、人間の本来持つ温かさを表現できる。そして、それを可能にしているのが、最初から最後まで一貫した優しい雰囲気の演出である。つまり、演出は脚本に勝るということだ。そう言えば、本作は近年の深夜アニメ以上に下着や裸といった性描写が多いのだが、あまり気にならない。つまり、演出はエロに勝るということだ。

・恋愛


 主人公には片思いの相手がいた。それが彼女の家庭教師をしている双子の大学生の一人。主人公が魔法少女になったのも、彼からもらったアクセサリーを傷付けたくないという一途な恋心がきっかけだった。だが、ある日、彼が別の女性と話しているのを目撃してしまい、主人公は激しく動揺する。それは嫉妬の心。普通、想い人が異性と話したぐらいではこれほど嫉妬しないが、何と言っても彼女は汚れを知らない十四歳の中学生。彼女にとって、それは世界が崩壊するのと同じぐらい衝撃的な出来事だった。結果、彼女の心はますます不安定になる。二重人格のような状態に陥り、神精霊の力を使って恋敵を殺そうとしたり、崖から飛び降りて自殺しようとしたり。最後は体にまで変調を来たし、食事が喉を通らなくなるなどボロボロに疲れ果てる。
 そこで終わると、昨今流行りの終末系魔法少女物と同じ結末になるが、本作の主人公は違う。悩みに悩んだ末、彼女はつらい現実から逃げることなく、人として強くなることを決意する。そして、ついには自力で立ち直り、子供時代から卒業して大人の階段を昇り始める。その姿は実に感動的だ。ここで疑問に挙がるのは「なぜ、他のアニメと違って彼女は自分の力で立ち上がることができたのか?」である。もちろん、神精霊の力が上手く働いたのは事実だが、それはあくまで副次的な物に過ぎない。大きな理由として考えられるのは二つ。一つは鏡の少女がずっと側にいてくれたから。本音で語り合える親友の存在が、思春期の人格形成に如何に大切かということ。もう一つは恋をしていたから。恋愛は一人ではできず、必ず他者の存在が必要になる。それは言いかえると、常に他者の視線=鏡を気にしているということである。自分の殻に閉じ籠もっている人間は絶対に成長しない。他者との関係性があって初めて前に進むことができるのだ。昨今の女性だらけのアニメの一番抜け落ちている観点がこれである。他者を排除し、自分達だけで答えを出そうとするから不自然なことになる。それほど人間は器用な生き物ではない。
 ちなみに、この双子は実は主人公達と同じ境遇の人々で、元魔法少年と元鏡の少年の組み合わせである。そして、主人公と鏡の少女が親友の枠を超えて親密になるのと同じぐらい二人も親密になる。つまり、同性愛的な関係になる。男性視聴者からするとあまり気持ち良いとは言えない光景だが、百合が良くてBLがダメな道理はない。まぁ、わざわざこの作品でやる必要はないと思うが。

・試練


 第十二話において、ようやく本作の真実が明かされる。今までのことは、全て何らかの高次の存在の命により、鏡の神精霊が仕組んだことだった。彼らの目的は、地球の実質的な支配者である人間の未来を試すこと。そのため、子供ほど純粋ではなく大人ほど汚れていないちょうど中間の年代である十四歳の少年少女を「試しの子」に選び、彼らに神精霊の目を通して世界を見させて、人間の行く末を決めさせる。彼らの返答次第で、人類全員を抹殺するか試しの子を抹殺するかを決定する……どこかで聞いたような話だが、まぁそれは置いておいて、要は人間視点でなく神視点で人間の活動を見返してみるとどうなるかである。すると、人間の醜さが嫌と言うほど見えてくる。では、主人公はその試練にどう答えたのだろうか? 地球の未来のために人類抹殺を選ぶのか、それとも、世界に絶望して自分自身を消し去るのか。もちろん、人として大きく成長した主人公は、そんな答えは出さなかった。彼女の回答は「選べないじゃなくて、選ばない」。明と暗、善と悪、好と嫌、真と偽、どちらか一方に傾くのではなく、両方を一つに飲み込んでいるのが人間だと。そんな曖昧さや危うさを内包しつつ、常に成長し変わっていくから人間は素晴らしいのだと。その回答は鏡の神精霊の満足を得る物ではなかったが、鏡の少女の自分の身を犠牲にした助けもあって、主人公の処分は保留される。そして、試しの子は次の十四歳に受け継がれる。
 正直、ストーリー的には問題満載である。こういった話にするなら、七つの大罪をもっとフィーチャーして、人間の醜さをこれでもかと描かないといけないだろう。また、なぜ主人公が許されたのかに対してのロジックが足りないため、視聴後に何とも言えないもやもや感が残る。ただ、本作がやりたいのは、あくまで思春期の心の成長を美しい美術と音楽で描くことである。最後の審判はその舞台装置に過ぎない。特に「自分と世界の二者択一」などは典型的な中二病患者の思考であって、主人公の未成熟な心理のメタファーになっている。言ってみれば、本作の物語全体が主人公の妄想、もしくは脳内世界のような物なのである。そういう意味では本作の完成度は極めて高い。テーマを一つに絞ること、そのテーマに沿って設定・脚本・演出を決定することが如何に大切かが良く分かる作品である。

・総論


 テーマとストーリーと演出が見事にマッチした良作。いろいろと荒削りな部分はあるが、それも含めてずっと視聴者の心に残り続ける、そんな作品である。

星:☆☆☆☆☆☆☆(7個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 12:39 |  ☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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