『ef - a tale of memories.』

記憶。

公式サイト
ef - a fairy tale of the two. - Wikipedia
efとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2007年秋minori制作の十八禁美少女ゲーム『ef - a fairy tale of the two.』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は大沼心。アニメーション制作はシャフト。記憶をテーマにした群像劇。続編として『ef - a tale of melodies.』が制作されている。

・演出


 本作は、いわゆる「シャフト演出」で作られたアニメである。その詳細を書くのは果てしなくスペースの無駄なので割愛するが、明らかに演出過多である。こういった凝った演出は、ここぞと言う場面で用いるから効果的なのであって、最初から最後までフルスロットルでアクセルを踏み続けたら、視ている方が疲れるだけでなく、肝心のここぞと言う場面での演出が過剰になって、結果的にシリアスなのかギャグなのかよく分からない状態になってしまう。また、極めて情緒的で内省的な心理描写が多い割に、全般的なテンポが異常に早い。例えば、ヒロインが初めて学校に行ったり、初めて体を重ねたりといった本来ならじっくりと描かなければならないシーンでさえ、なぜか駆け足で消化する。そのため、全体を通してひどく「忙しい」アニメになってしまっており、元々の意図とは違った地点に着地している。

・群像劇


 本作の最大の特徴は、十八禁美少女ゲーム原作でありながら、男性主人公が三人もいることである(正確には五人だが、内の二人は第二期が主戦場なので、本作では顔見せ程度の扱い)。原作ゲームでは、それぞれが独立したシナリオで一人ずつ順番に登場するが、アニメ版では同時進行で描かれる。つまり、一種の群像劇のようになっているということである。そして、それは本作の最大の欠点でもある。と言うのも、麻生蓮治と新藤千尋が織り成す物語に比べて、他の二人の物語が明らかに数段劣るからだ。あまりにもレベルが違い過ぎて釣り合いが取れておらず、蓮治達のシナリオからすると他の二人は没入を阻害するつっかえ棒にしかなっていない。しかも、三つのシナリオは横の繋がりがほとんどなく、互いに影響を与え合わない。例えば、三人の主人公を無二の親友にしておいて、ある男子高校生の仲良しグループが体験した一冬の群像ラブストーリーという形にしておけば、本作は映像作品としてもっとクオリティアップしていただろう。

 それでは、「他の二人」こと、広野紘と堤京介のシナリオを簡単に紹介しよう。一言で言うと、典型的な四角関係である。高校生ながらプロの漫画家として活躍する広野紘。紘に一目惚れして何かと付きまとう不思議ちゃんの宮村みやこ。紘の幼馴染みで妹的存在のバスケットボール部員の新藤景。景をヒロインにした映像を撮ろうとする映画監督志望の堤京介。この四人が繰り広げる愛憎劇という、今時、少女漫画でもやらないようなベッタベタに手垢の付いた恋愛ドラマである。しかも、問題なのは、四角関係の中心にいる広野紘が普通に「いい人」なことである。漫画に対して真剣に向き合っていて、商業主義と作家性の狭間で苦しんでいる。彼を慕う二人の女性に対しても、特に曖昧な態度は取ってない。むしろ、彼女達が自分勝手なだけだ。そのため、広野紘のライバル役であり、彼の二股を戒める立場の堤京介が、何の結果も残していないのに上から目線で説教するだけの屑野郎になってしまっている。主人公の一人がこれでは厳しい。

 最終的にこの四角関係がどうなったかと言うと、正直なところ、よく分からない。どうやら、新藤景とは普通の兄妹のような幼馴染みの関係(普通なのか?)に戻り、宮村みやこと恋人の関係になったようだが、明確には断定できない。それもこれも、上述した演出のせいである。つまり、感情を吐き出すシーンの演出が大袈裟過ぎるため、恋愛の勝ち負けが非常に分かり難いのだ。演出は話を盛り上げることだけが役割ではなく、時には意図的に盛り下げることも必要だと理解すべきだろう。いくら群像劇でも、誰もが主役になれるわけではないのだから。

・前向性健忘


 さて、本題に入ろう。メインストーリーのヒロインである新藤千尋は、四年前の交通事故の後遺症で、十三時間しか記銘(新しい物事を覚えること)ができなくなる「前向性健忘」を発症した十六歳の少女である。この前向性健忘を題材にしたフィクションの始祖が何であるかは、寡聞にして存じ上げないが、近年では映画『メメント』や小説『博士の愛した数式』などが代表作として挙げられるだろう。『メメント』の十分間、『博士の愛した数式』の八十分間に比べると本作の十三時間は長いが、一日から一週間程度がスタンダードの他のアニメ・漫画作品に比べると短い。本作を見てみると分かると思うが、この十三時間という長さは絶妙である。朝の出来事の記憶が夜には薄れ始め、寝る前に記憶を整理すると翌日も覚えていられる。この設定が、本作のストーリーを構築する上で非常に重要な舞台装置になっている。ヒロインは、その日に起こったことを全て日記にしてメモ帳に書き込んでおり、毎晩、寝る前にその日記を読み返すことで記憶を翌日に繋いでいる。つまり、そのメモ帳が彼女の記憶の全てであり、彼女その物になっている。もし、記憶こそが人格の形成に最も大きな役割を果たすと考えるなら、そのメモ帳を失うことは、すなわち彼女の人格を否定するということである。その時、彼女は完全な別人になってしまうだろう。美少女ゲーム業界では、生まれ付きの障害や何らかの迫害によりアイデンティティの危機に直面するヒロインが多数登場するが、その中でも彼女の希薄さは飛び抜けている。さすがに、やり過ぎの感は否めない。

 そんなある日のこと、ヒロインはいつも通っている廃駅でメイン主人公である麻生蓮治と出会う。本が好きでいつか自分の小説を書きたいと思っている彼は、今まで他人と接触することを極端に避けていたヒロインの心を溶かし、二人は徐々に仲良くなる。やがて、ヒロインは主人公に恋心を抱くようになる。ここで疑問に挙がるのは、はたしてヒロインは恋愛感情を永続的に維持することができるのかである。十三時間しか記憶を持続できないのだから、彼と出会った時の感情や心が通じ合って嬉しい気持ちなどを翌日まで残すことができない。メモ帳にその時の感情を記したり、寝る前に記憶の整理をしたところで、一度文字情報になった物を再び脳にインプットしているに過ぎない。そうなると、残酷なようだが、正確な感情の維持は不可能という結論になる。では、彼女が抱いている恋愛感情はまやかしなのか? 難しいところだが、ならば、逆に我々が抱いている恋愛感情は確固たる物なのかと問われると答えに窮すように、元々がどうしようもなく曖昧な物だ。結局のところ、ヒロインにとって大事なのは、不確かな自分のアイデンティティを肯定してくれる存在である。主人公がまさにそれであり、だからこそ、我が身を犠牲にしてでも守りたいと願う。そういった利己と利他の重なり合いこそが愛情なのだと、本作は我々に訴えかけているのではないだろうか。

・奇跡


 ヒロインには一つの夢があった。それは自分の不幸な境遇をモデルにした物語を書くこと。今まで三十一度も挑戦していたが、記憶を保持できない彼女にとってそれは極めて困難な作業であり、ずっと途中で挫折していた。しかし、今回、主人公が手助けを申し出たことで、彼女は勇気を振り絞って書き始める。その内容は、誰もいない世界で一人生きている少女が、心の寂しさを埋めるために男の子の絵を描くという物だった。当初は順調そうに見えた物語作りも、根を詰め過ぎたことによる過労で彼女は倒れてしまう。十三時間以上、昏睡状態が続いた結果、目を覚ました彼女は主人公との記憶を全て失っていた。ショックを受ける主人公。彼は知る。生半可な気持ちで前向性健忘の人間に近付くと、誰よりも主人公自身が傷付くのだと。だが、この事件は、主人公に自分が本当にヒロインを愛していたことを気付かせてくれた。もう一度、最初から関係を構築し直す二人。そして、彼女は再び物語作りを開始する。

 第十一話。ついに物語が完成する。しかし、それはヒロインをモデルにしたキャラクターが世界から消えてしまうというバッドエンドだった。驚く主人公に追い打ちをかけるように、ヒロイン自身も彼の前から消えることを夜の学校の屋上で宣言する。物語を書くという子供の頃からの夢が叶った今、彼女に思い残すことは何もなかった。だが、障害を持った自分と一緒にいると、主人公が不幸になってしまう。それだけは嫌だから、「好きです」と言える内にお別れしたい。それが彼女の考えであり、愛の形であった。止めようとする主人公の眼前で、ヒロインはメモ帳を破り、主人公のことが書かれた日記を空にばら撒く。日記はヒロインの記憶の全て。日記を失った時、彼女は別人になってしまう。それは今のヒロインが死ぬことを意味する。愛する女性との楽しかった時間がもう二度と戻らないという事実に、主人公は絶望する。

 さて、この後の最終回で主人公が何を行い、その結果、何が起こったのかは、文章で書くより実際に見てもらった方がいいだろう。基本的には、美少女ゲームが得意とする「奇跡」のストーリーであるが、ただの神頼みではない。むしろ、本作において、神は人間に試練を与えるだけの厄介な存在に過ぎない。根底にあるのは、人々の努力と信じる心。本当に相手のことを想って一生懸命行動した時に初めて奇跡が訪れる、それが本作のテーマである。主人公家のお隣さんの台詞を引用すると「でも、時にはね、行動の結果が必然となり、それが偶然と重なって、図らずも夢が叶うなんてこともある。それが奇跡と呼べるかどうかは分からないけど、確かなことが一つだけある。想いがなければ何も起きないんだよ」というように。

・総論


 メインストーリーは素晴らしいのだが、あまりにも無駄が多過ぎる。最初からメインだけに注力した二時間程度の映画にしておけば、本作はもっと評価されただろうに、何とももったいない。

星:☆☆☆☆☆☆☆(7個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:31 |  ☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『武装神姫』

メルヘン。

公式サイト
武装神姫 - Wikipedia
武装神姫とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年秋。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話+OVA。監督は菊地康仁。アニメーション制作はエイトビット。小型アンドロイドと人間が共存した世界を描いた近未来SF。元々は、コナミデジタルエンタテインメントが製作するアクションフィギュアシリーズの名称で、本作はそのメディアミックスの一つである。本作の前にOVA『武装神姫 MOON ANGEL』が発表されているが、世界観に直接の繋がりはない。

・童話


 「神姫」と呼ばれるフィギュアサイズの超小型女性アンドロイドが一般家庭に普及し、人間の暮らしを支えている世界を舞台にした物語。ジャンル的にはいわゆる「人造人間譚」に該当する。つまり、人工的に作られた人間そっくりのアンドロイドやサイボーグを通じて、「人間とは何か?」をもう一度問い直す作品だ。深夜アニメでは、『ローゼンメイデン』や『ファンタジスタドール』などが本作とコンセプトを共有している。基本的には、アニメーションと非常に相性の良いテーマの一つである。

 ただし、本作の全体的な印象は、人造人間というより童話や伝承における「小人さん」のイメージの方が強い。例えば、貧しい靴屋が夜眠っている間に小人達が靴を仕立ててくれるグリム童話の『小人の靴屋』、あのイメージである。神姫達は、自分達のオーナーである人間を「マスター」と呼んで従い、家事や雑用を代行する。だが、体が小さ過ぎるため、人間にとっては簡単な作業でも彼女達には重労働で、何度も失敗を繰り返す。それでも、愛するマスターを喜ばせるために、小さな体で一生懸命奉仕する。その様子は非常にコミカルであり、見ていて微笑ましい。こんな子達が家にいたらいいなと視聴者に思わせることができたら、その時点で本作は勝ちだ。なお、グリム童話における小人はかなり謎の存在で、なぜ靴屋を手伝ったのかも分からないし、続編では人間に直接的な危害を加えている。一方、本作の神姫は、最初からマスターに服従するようにプログラミングされているため安心だ。もっとも、AIが暴走しなければの話だが。

 ただ、その観点で言うと、やや不満が残るのは「作画」である。本作はバトルシーンの動画枚数を確保するため、かなり簡略化した作画を採用している。それはそれで構わないのだが、上記のような「小人さん」の画的な面白さを描こうとすると、やはりこの作画では厳しい。身長15センチほどの小人が人間の家で生活するという、ある種の巨人の国に迷い込んだかのような異世界感を表現するためには、コンテやレイアウトの段階で緻密に計算し尽くされなければならない。それこそ、ディズニーやらピクサーやらの名作映画を参考にして作っていれば、本作はもっと良いアニメになっていただろう。

・設定


 神姫自体が完全にオーバーテクノロジーなので、本作の設定にはかなり穴が多い。例えば、神姫を使った犯罪にはどう対処しているのかといった疑問は、劇中では全く触れられていない。しかも、本作のタイトルは、ただの神姫ではなく『武装神姫』である。何とも物騒な香りが漂っている。

 ここで改めて第一話冒頭のナレーションを引用しよう。「神姫とは、人間の補佐をするために作られた全高15センチのパートナー。知性と感情を備え、マスターである人間に尽くし、仕える。その神姫に人々は思い思いの武器・装甲を装備させ、戦わせた。名誉のために、強さの証明のために、あるいはただ勝利のために。マスターに従い、武装して戦いに赴く彼女らを人は武装神姫と呼ぶ」。この解説を読む限り、どうやら元々は純然たる家電製品だった物を、ユーザーが勝手に対戦競技に使い始め、それがスポーツに発展した。その結果、メーカー側もスポーツ用の神姫を発売するようになった、ということらしい。実際、劇中においてヒナという好戦的な神姫が「私達は戦うために作られた」と発言している。現実世界でも、単なる移動手段だった自動車や自転車がレースになり、それを受けてレース用の車が発売されたりしているが、現実と違うのは、あらゆる神姫が武装を携帯し、それを任意で使用している点である。何とも恐ろしい世界だ。このような無法状態で社会の秩序が正しく保たれているとは到底思えない。おそらく、明確に描かれていないだけで、何らかの法律でがんじがらめにされているのだろう。

 どちらにしろ、冷静に考えると、かなり酷い設定である。なぜなら、意志を持ったアンドロイドに戦いを強要しているのだから。この世界ではアンドロイドの人権がどうなっているかは分からないが、極めて非人道的である。ただし、このテレビアニメ版に限ると、その非人道さをほとんど感じない。理由は一つ。メインヒロイン達のマスターである主人公が、「バトルは危ないからね」と言って、ヒロイン達に戦うことを禁止しているからである。彼女達は自分の身を守るためやマスターの名誉を守るために戦うことはあっても、自ら積極的に他の神姫に戦いを挑むことはなく、年に一度の公式バトル大会にも出場しない。ある意味、『武装神姫』というタイトルに反しているが、これこそが本作を特徴付けている最大の要因になっている。

・神姫愛


 正直なところ、本作はかなり「下品」なアニメである。主人公は一人暮らしの男子高校生。本作のヒロインである四体の神姫(アン、ヒナ、アイネス、レーネ)を所有している。彼女達はマスターを敬愛するようにプログラミングされているため、主人公に対して恋愛にも似た感情を抱いており、まるで恋人のように甲斐甲斐しく身の回りの世話をする。それゆえ、完全に主人公を中心としたハーレムが形成されている。しかも、本作は序盤を中心にやたらと性的なシーンが多い。神姫達の服装は常に露出度が高く、体にオイルを塗ったり、筆で塗装したりと性行為を思わせるシーンが連続する。と、このように本作は男性視聴者の欲望を極めてストレートに映像化しており、そのため、他人にお勧めするには多少の勇気を必要とするアニメになっている。

 だが、実際の映像からは、あまりそのような印象は受けない。それはなぜかと考えると、やはり全体を包み込む雰囲気がとても柔らかく、神姫愛に満ちた作品になっているからであろう。主人公は、自分の世話をしてくれる神姫達に対して常に感謝の気持ちを忘れず、支配者として高圧的に振舞うこともない。神姫達は便利な道具ではなく、あくまで人間と共生するパートナーだからだ。一方の神姫達も、マスターへの奉仕以外は誰にも束縛されることなく、自由気ままに暮らしている。それはつまり、彼女達の人権が保障されているということである。ストーリーにしても、小さな体で沖縄までマスターに会いに行く第五話、幽霊となったマスターに仕える神姫を描いた第七話、一時的に人間になったヒロインの揺れる心を描いた第八話、サンタの代わりに子供達にプレゼントを届ける第十話と、非常にハートフルで心温まる話になっている。それゆえ、上記のような下品さも目立たなくなり、爽やかな視聴後感だけが心に残る。

 これは非常に大事なことを示唆している。極めて観念的で、一歩間違えると怪しい新興宗教か何かのようになってしまうが、結局のところ、作劇において最終的に一番上に現れるのが「愛・感謝・優しさ」ということである。どんなにユーザーのニーズに応え、練りに練ったシナリオを構築したところで、愛も感謝もない物語では人の心は動かない。登場人物が互いを一人の人間として尊重し合い、今の幸せは誰かのおかげで成り立っていると自覚する、それが大事なのだ。逆に言うと、駄作と言われるアニメは、そういった感情が抜け落ちていることが多い。幸い、その手のアニメのサンプルは幾つも用意してあるので、参照してみてはどうだろうか。

・最終回


 第十一話~第十二話のラストエピソードは、前述のヒナが、世界中の珍しい神姫を集めているコレクターに誘拐される話である。彼女はコレクターによって記憶を書き換えられ、今まで一緒に暮らしてきたヒロイン達のことも忘れてしまう。そこへ、ヒロイン達が助けに来る。コレクターが所有するヒナと同系統の武装神姫との激しい戦いの末、彼女は奇跡的に記憶を取り戻し、ヒロイン達と力を合わせて敵を倒す。こういったストーリーである。これだけ見ると何も問題はない。神姫愛に満ちたハッピーエンドだし、感動もする。だが、本作全体の作品テーマを総括する最終回として見ると弱い。残念ながら、この程度では世の名作群の中に名を連ねることは不可能だ。

 では、どうすべきなのか? 有難いことに、本作は序盤から様々なキーワードが提示されている。「神姫は戦うために作られた」「バトル嫌いな主人公が戦いを禁じている」「ヒナはそれに不満を抱いている」「一年に一度のバトル大会」「神姫は大量生産品で同タイプが多数存在する」「神姫は人間のパートナー」などだ。ならば、それらを十分に活用してラストエピソードを構築すべきではないか。例えば、ある日、ヒナそっくりの神姫が現れ、ヒナに戦いの意義を説く。ヒナは無断で大会への出場を決意する。だが、それは神姫コレクターの罠だった。洗脳され、ヒロイン達に牙を剥くヒナ。絶体絶命のピンチ。そこへ主人公がやってくる。主人公は同型機の中からヒナを見つけ出し、その絆の力により、記憶を取り戻したヒナは、ヒロイン達と共にコレクターの神姫を倒して平和な日常を取り戻す……というストーリーは『ローゼンメイデン』のパクリだが、どちらにしろ大事なのは、マスターである「人間との関係性」である。人間という存在を否定すれば、武装神姫は文字通りの兵器になる。ただの兵器に幸せは訪れない。では、神姫の幸せとは? その疑問はつまり、人造人間譚という最初のテーマに回帰するということである。

 よく、作劇のおける娯楽性とテーマ性のバランスが問題になるが、その議論自体がナンセンスである。ストーリーにちょっとした工夫を加えるだけで、高い娯楽性を保ったまま深いテーマ性を入れることは十分に可能だ。本作にはそれが足りない。どうしても娯楽一辺倒になっている。作り手にほんの少しでもその意識があれば、本作は歴史的な名作になっていただけにもったいない。

・総論


 萌えトイ・ストーリー。

星:☆☆☆☆☆☆☆(7個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:44 |  ☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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