『つうかあ』

怒りのデス・ロード。

公式サイト
つうかあ (アニメ) - Wikipedia
つうかあとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2017年秋。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話。監督は田村正文。アニメーション制作はSILVER LINK.。レーシングニーラーの全国大会に出場した女子高生達の汗と涙を描いた青春スポコン。「つうかあ」とは「two car」を意味する。タイトルだけを見ると電話のアニメにしか見えないが、レースアニメである。

・レーシングニーラー


 毎度お馴染み「女子高生に何かをやらせてみた」シリーズの一つである。今回のお題は「レーシングニーラー」。おそらく、日本人の九割は知らないと思うので解説するが、要はレース用のサイドカー付きバイクのことである。重心が非常にアンバランスなので、ハンドルを握る「ドライバー」の腕だけではなく、側車に同乗する「パッセンジャー」の体重移動がコーナーリングの出来を左右し、レースの勝敗の大きな鍵を握る。体を剥き出しにしたまま、地面スレスレを高速で移動するため、一歩間違えば死に繋がるような危険なスポーツである。実際、劇中で何度も事故が発生し、人が何人も死にかけている。このようなスポーツが女子高生に相応しいかと言うと、考える間もなく「否」である。レースを描きたいのであれば、車でもバイクでも自転車でも変わらないわけで、レーシングニーラーでなければならない必然性はまるでない。しいて言えば、ドライバーとパッセンジャーのコンビ愛を描くには便利かもしれないが、そんな物はただの後付けだ。結局、誰もアニメ化していないスポーツを探したら、たまたまこれを発見したというだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。(ただ、乗車姿勢はエロい)

 それ以外にも、レーシングニーラーを萌えアニメ化する際に生じる問題点は、レーサーがフルフェイスヘルメットを着用していることである。フルフェイスだとキャラクターの顔がよく見えないため、顔が命の美少女アニメとしては致命的だ。だが、安心して欲しい。なぜなら、本作の人々は、レース本番以外は常に「ノーヘル」だからである。通学時もお買い物に行く時も。これでニーラーに乗っていても、キャラの顔が見えてめでたしめでたし……なわけねぇ! 馬鹿か、お前は! もちろん、そういう特殊な世界設定なのは分かる。この世界の道路交通法は、我々の知っているそれとは違うのだろう。だが、バイクのドライバーがヘルメットを被るのは、それがルールだからではなく、ヘルメットの有無による事故時の死亡率に著しい差があるからだ。ましてや、誰の目にも明らかに危険な乗り物である。事故が起こると業界全体に迷惑をかけるのだから、ニーラーを愛しているなら、常に自衛するのは当たり前だろう。つまり、レーサーとしての意識が低いということである。そんな人々が何を言っても説得力がない。

 ちなみに、この世界では、女子高生が車を運転でき、物語の舞台の三宅島は速度無制限で、ニーラーに四人乗りが可能で、大会中のレーサーが毎晩酒盛りをしてもOKということになっている。世紀末だろうか? ルール無用の無法地帯で、登場人物は皆、命知らず。これはもう『つうかあ 怒りのデス・ロード』が正式タイトルでいいだろう。

・第一話


 本格派レースアニメである本作は、物語冒頭からいきなりレースシーンで幕を上げる。否応なく気持ちが盛り上がる展開……のはずだが、実況が「エキシビジョン」を連発するので萎える。もっと別の重要なレースを用意しろよ。その後、出走前にキャラクターの紹介を行うのだが、一組ずつ時間をかけて順番に紹介するため、やたらと長い。平気で三分以上続く。これでは、誰が主人公なのか分からないではないか。と思うと、いきなり場面が切り替わり、主人公と思わしき女性二人の回想シーンが始まる。と思うと、いきなり場面が切り替わり、モノローグによる世界観の説明が始まる。と思うと、いきなり場面が切り替わり、レースシーンに戻る。編集ミスか? いや、この後も同様の流れを何度も何度も繰り返すので、どうやら、オシャレなカットバック演出をやろうとしたらしいのだが、あまりにも下手過ぎて訳が分からないことになっている。基本的な技術のない人間が、商業作品でお試しプレイをやらないで欲しい。

 さて、その回想シーンの内容だが、主人公は幼馴染みの女子高生二人。いわゆる「喧嘩するほど仲が良い」状態。二人共、側車部の部員であり、一人の男性コーチに恋心を抱いている。……男性向け萌えアニメなのに、メインヒロインがイケメンに恋しているのか? 斬新だな。そして、そのコーチに振り向いてもらえるように一生懸命練習して、あっという間に一流のレーサーになる。斬新だな。だが、コーチはマン島のレースに出場するため、三宅島を離れなければならなかった。それに対し、二人は「全国大会優勝します!」と宣言して別れの言葉に代える。なぜなら、全国大会に優勝すると賞品でマン島に行けるから。……動機が不純過ぎないか? 嘘でもいいから、そこはニーラー愛を語れよ。一方、エキシビジョンレースの方はどうなったのかと言うと、絶賛仲違い中の二人はスタートで出遅れ、ずっと最下位を走っていた。だが、ゴール間近の「直線」で急にスピードアップして、一気に前をごぼう抜きする。そして、一位でフィニッシュする。それ、マシン性能の差なんじゃないか?

 ちなみに、後で分かることだが、このエキシビジョンは「第十話」の出来事である。視聴者にレースの雰囲気を味わわせるため、順番を入れ替えて第一話に持ってきているのだが、恐ろしいことに本作は第十話でこのレースをもう一度最初から描き直す。何という節約生活。アニメーターは楽できて良かったね。もっと言うと、第九話もほとんど総集編である。

・ハートフル


 本作の大半を占める第二話~第八話は、オムニバス形式のショートストーリー集である。各学校のドライバーとパッセンジャーの衝突から関係改善までを描いた心温まる話が繰り広げられる。質はそこまで高くないが、シナリオ自体は別に悪くはない。だが、根本的な基本設定が酷いせいで、幾つもの問題点が噴出している。

 まず、彼女達は、たまたま大会に出場するために集まった人々に過ぎないということである。そのため、視聴者の各キャラクターに対する思い入れが全くない状況で話が展開される。しかも、本編で取り上げられているのは、全七組中の三組だけ。要するに、主人公でも何でもないただの「脇役」である。なぜ、わざわざアニメで脇役と脇役の友情物語を見なければならないのか。仮に、群像劇を意識していたとしても、最初に主人公の話をやるべきだし、登場人物全員を等しく取り上げるべきだ。あらゆる点が中途半端で、ただ漠然と与太話で尺を埋めているだけと言われても反論できないだろう。

 続いての問題点は、これがレーシングニーラーの「全国大会」であることだ。大会の詳細は不明だが、彼女達は厳しい地区予選を勝ち抜いてきた精鋭中の精鋭のはず。もし、コンビ間に何らかの確執があったなら、それらは地区予選が始まる前にすでに解消してあるはずだろう。このままでは、チームに問題を抱えていても勝ち上れるような低レベルの大会になってしまう。もっとも、全国大会なのに七校しか出場していない時点で、カーリングの全国大会と大して変わりない大会規模なのだろう。三宅島の中だけでは異様に盛り上がっているが、本土では知る人ぞ知るマイナースポーツという扱いなのではないか。それ、現実と同じでは? これだけ特殊な世界設定を用意しておいて、その結論は悲し過ぎる。

 最後に、仲間意識についてである。第七話、解説者が奇妙なことを口走る。ライバル同士で助け合うのは「レーシングニーラー独特の世界」だと。実際のレーシングニーラーの世界がどうなっているかは存じ上げないが、本作では大会中にも関わらず対戦相手同士で協力し合い、「ライバルは仲間、敵は自分自身」と断言している。そして、利他的な熱い友情を強調している。いや、それはおかしいだろう。だったら、一人でタイムアタックでもしていろよという話である。命がけのレースである以上、敵は敵だ。本気で倒すべき障壁だ。この無駄にハートフルな思想は、全国大会の価値を貶め、結果的にレーシングニーラーその物を貶めている。そんなに温い競技ではないだろう。

 以上の問題点に共通しているのは、「一つの学校の部活内の物語なら何も問題はない」である。なぜ、全国大会にしてしまったのか? なぜ、無駄に話を盛ってしまったのか? 謎は深まるばかりである。

・マッドマックス


 第九話。全国大会を観戦するために、コーチが突然帰国する。主人公二人は喜び、恋の炎が再燃する。だが、コーチには婚約者がいた。ショックを受けた二人は、傷心状態のまま全国大会の「予選」に挑む。それが第十一話である。「あれ? 今までやっていたレースは何だったの?」と思うかもしれないが、第二話~第八話のハートフルストーリーは、全て全国大会の「試験走行」の話である。そして、第十話がエキシビジョンである。ちょ、待てよ……いや、世界の果てで行われるお祭りじゃないんだからさ、もっとちゃんとしようよ。

 閑話休題。その予選の最中、情緒不安定な主人公二人は事故を起こし、パッセンジャーが足を怪我してしまう。心が折れ、決勝レースを棄権しようとする二人。だが、そこにコーチが現れ、彼女達を叱咤激励し、無理やりレースに出場させる……それ、絶対にやっちゃダメ! 今、学生スポーツ界で最も問題視されているパワハラじゃねーか。怪我を押して試合に出るのは美談でも何でもない。後遺症を残さないように、出ようとする選手の気持ちを制止して、適切に休ませるのが指導者の務めである。とても2017年に放送されたアニメとは思えない。

 最終話。こうして、決勝レースに出走することになった二人。パッセンジャーが怪我をしたので、急遽ドライバーと役割を交代し、マシンのブレーキを魔改造する。どんな全国大会だよ。何でもありかよ。悪天候の中、レーススタート。しかし、二人の気持ちはすれ違ったままで、ついに途中で試合を放棄し、コースのど真ん中(路側帯?)で殴り合いの喧嘩を始める。いや、そこ危ないぞ。轢かれて死ぬぞ。なるほど、これが「怒りのデス・ロード」か。ところが、殴り合っている内に何だかんだで自己解決して仲直りし、レースに復帰する。ちょうど雨が激しくなってきたので、レースはイエローフラッグ(悪天候のため追い抜き禁止)の処置が取られていた。そこに追い付く主人公達。レースは再開され、主人公達が謎のパワーで他の六組をぶっちぎって優勝する。イエローフラッグをメインガジェットに使うレースドラマを初めて見たよ。これで勝って嬉しいか?

 エピローグ。コーチのクズさに呆れ果てた婚約者が、「貴方は男だけど、マンじゃない。ボーイよ」と言って、一方的に婚約破棄して立ち去る。だが、馬鹿な主人公達はその理由を理解できなかったので、コーチに求愛してエンディングを迎える。なにこれ?

・総論


 (爆笑)

星:★★★★★★★★★(-9個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:08 |  ★★★★★★★★★ |   |   |  page top ↑

『犬とハサミは使いよう』

必然性の欠如。

公式サイト
犬とハサミは使いよう - Wikipedia
犬とハサミは使いようとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。更伊俊介著のライトノベル『犬とハサミは使いよう』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は高橋幸雄。アニメーション制作はGONZO。ドSな女流作家と読書好きの犬が繰り広げるSMチックな愛憎の日々を描いたエロチックラブコメ。

・設定


 主人公は自他共に認める「読書バカ」の男子高校生。秋山忍という正体不明の人気ベストセラー作家の大ファンで、誰よりも新刊を心待ちにしている。そんなある日のこと、喫茶店で発生した麻薬密売事件に巻き込まれ、店内にいた女性をかばって命を落としてしまう。だが、秋山忍の新刊を読みたいという一念が奇跡を起こし、彼は犬の体に転生する。その後、なぜか主人公の心の声を聴くことができる女性に拾われるが、彼女こそが喫茶店で主人公が助けた人であり、しかも、小説家の秋山忍その人であった。彼女は鋭利なハサミを武器として常用するサディスティックな性格で、事あるごとに主人公を切り裂こうとする。こうして、猟奇的な小説家と読書バカの犬という一人と一匹の奇妙な同居生活が始まるのだった。
 ややこしい。シンプル・イズ・ベストの格言に真っ向から反逆する複雑極まりない初期設定だ。この難解な設定を成立させようと思ったら、「たまたま、主人公が犬に転生した」「たまたま、犬の声を理解できる人が近くにいた」「たまたま、それが主人公の助けた女性だった」「たまたま、それが小説家の秋山忍だった」「たまたま、彼女がハサミを愛用するサディスティックな女性だった」という五つの奇跡が同時に発生しなければならない。当然、それぞれの奇跡に対して論理的に納得できる説明を付けなければ、ただの都合の良いこじつけで終わってしまい、視聴者の没入感を妨げるだけでなく、後のシナリオに不整合を起こしてしまう。それでは自分で自分の首を絞めるだけだ。どうせ、本作がやりたいのは「女性と雄犬のSMチックな関係」しかないのだから、「犬の言葉が分かる特殊能力」という設定一つで全てを処理できるだろう。ただし、それだと痛々しい動物虐待の話になってしまうが。
 また、設定が混迷化しているがゆえに、「第一話の段階で物語の最終目標が分からない」という三流アニメにありがちな失敗も犯している。これが分からないと物語のメリハリがなくなり、続きを見たいという視聴者の意欲が損なわれる。「主人公が人間に戻ること」なのか「ヒロインが新作小説を書き上げること」なのか「二人が恋仲になること」なのか「ヒロインの過去が明らかになること」なのか、どれか一つでもいいから早い段階で目標を明示し、それを最終回で解決する、それが作劇の常識だ。はっきり言って、こんな物は基礎中の基礎の幼稚な問題であって、わざわざ行数を取って指摘したくない。非常に不愉快である。

・SM


 例えば、何らかの出版メディアが第三者に本作を紹介しようとすると、「ドSな女流作家と読書好きの犬が繰り広げるSMチックな愛憎の日々を描いたエロチックラブコメ」と呼称するだろう。事実、PVなどではそういったまとめ方がされており、それなりに楽しそうに見える。だが、この紹介文は必ずしも正確な表現ではない。確かに、そういうシーンは本作に存在するが、それは決して本作のメインストリームではないし、本作に存在しなければならない必然性もない。ただ、ユーザーのニーズに応えるため、前後の文脈に関係なく、それっぽいシーンを無理やり捻じ込んでいるだけだ。
 まず、犬となった主人公がヒロインの家に居座り続けなければならない理由が何もない。食料と寝床にありつけるから、好きなだけ本が読めるからと劇中で説明されているが、それは外に出るよりはましといった程度の後ろ向きな理由に過ぎず、完全なる主人公の自由意志である。そのため、物理的にも精神的にも全く束縛されておらず、逃げようと思えばいつでも逃げられる。一方、ヒロイン側も主人公を飼わなければならない理由がない。最初は心の声が聞こえるのが不快という理由で主人公を殺そうとしたが、彼が殺人犯から自分を守ってくれた命の恩人であることに気付いて、住む場所を提供した。ところが、その後も彼女は、まるでストレス発散でもするかのように暴力を振るい続ける。かと思えば、深い心理描写もないまま「犬」の主人公に恋愛感情を抱き、事あるごとにいわゆるツンデレ的な言動を繰り返す。その一連の行動には全く整合性がなく、彼女が何を考えているのかさっぱり理解できない。
 なぜ、そのようなことになっているかと言うと、要は愛情と暴力が完全に乖離してしまっているからだ。俗に言う「暴力は愛情表現の一つ」が、彼女からは全く感じられない。実際、後半になればなるほど、主人公がヒロインの小さな胸をからかい、怒ったヒロインが主人公の体毛を切るという行動がパターン化されるが、それはSMでも何でもないただの痴話ゲンカである。暴力という本来は相手の人格を全否定する行動が間に介在しても、なお離れられない「特殊な関係性」が男女間にあって初めてSMが成立する。例えば、本作の元ネタであろう『ゼロの使い魔』では、魔法使いと使い魔という絶対的な主従関係があり、ゆえに倒錯的な男女関係が意味を持っていた。対する本作は、ただの同居人程度の関係でしかなく、暴力も戯れ程度に過ぎない。そのため、本作がやっていることは「SMっぽい何か」でしかないのである。

・ギャグ


 公式サイトによると、本作のストーリーの概要は「読者犬×ドS作家が繰り広げるミステリ系不条理コメディ!」だそうだ。ミステリ系不条理コメディ……などと意味不明な供述をしているが、言うまでもなくこれは誇大広告である。ミステリだの不条理だの語る以前に、本作は根本的な作劇レベルが低過ぎて話にならない。単純な脚本の質だけで言うと、間違いなく業界トップレベルの酷さである。
 まずはソフトウェア的な面、すなわち、個々のシナリオを見ていこう。例えば、最初のエピソードでは、主人公を殺した犯人の潜伏先はかつて主人公の住んでいたアパートに違いないと、ヒロインが推理する。その理由は「犯人はまともな精神状態ではなかったから」。その際、ヒロインは主人公を死なせてしまったことで、ずっと自分を責めていたと告白する。主人公をノリノリでお仕置きしていたような気がするが? 二番目のエピソードでは、近所で通り魔事件が発生するのだが、なぜか主人公もヒロインも興味津々で自ら捜査を開始する。すると、被害者が皆、ヒロインの本を所有していたことが判明する。順番逆だろ。その後、通り魔の正体は嫉妬に狂った主人公の妹だということが判明する。実はそれはミスリードで、本当はヒロインのスランプを脱出させようとした担当編集者だということが判明する。実はそれはミスリードで、本当の通り魔は担当編集者がとっくの昔に退治していたことが判明する。ちなみに、ヒロインのスランプは自力で脱出していた。と、このように、序盤の一部分だけを取り出してみても、本作のシナリオがどれだけ狂っているかがよく分かるだろう。あらゆるストーリー上の不整合が「登場人物は変人だから」で処理されている。つまり、ギャグにしているということだが、それで誤魔化せる物と誤魔化し切れない物がある。本作は後者だ。この無茶苦茶な脚本をギャグで消化しろと言われても、笑いの神様は困ってしまうだろう。
 さて、そのギャグだが、ほとんどが女性の胸に関する物である。ヒロインの小さな胸をからかう、もしくは他の胸の大きな女性と比較して小馬鹿にし、笑いを取る。こうやって文字にすると酷さが際立つが、面白さの欠片もない犯罪ドストライクのセクハラである。この御時世、これを面白いと感じる腐った感性もどうかと思うが、それより、中高生がメインターゲットである深夜アニメ業界において、こういったあからさまな女性蔑視思想を垂れ流している現状自体が異常である。彼らが大人になって重役に就いた時、部下の女性に対してどのような行為に及ぶかは、さもありなんだ。
 なお、主人公は無類の本好きという設定だが、なぜかアニメや漫画のパロディ台詞(特にガンダム系)を度々口する。これに関してはもう論外なので語りたくもない。

・構成


 続いて、ハードウェア的な面、すなわち、全体的なストーリー構成を見ていこう。冒頭で「五つの奇跡」に対して論理的に納得できる説明が必要と書いたが、何とそれらは最後の最後までただの一つも解き明かされない。「主人公が犬に転生した理由」はまだいいとしても、「ヒロインが主人公の心の声を聴ける理由」や「ヒロインがハサミを愛用する理由」といった誰もが疑問に思う事象すらスルーされるのは一体どうなっているのか(主人公の心の声はなぜか担当編集者も聴くことができるが、それも説明がない)。唯一、「ヒロインが正体を隠している理由」だけは最終回で明らかになるが、そんな物は話の中心軸でも何でもないし、その理由も「若くしてデビューしたから」という恐ろしくどうでもいい内容である。つまり、本作には全体を通した一つのストーリーという物が何もない。ただ乱雑に複数のエピソードを並べているだけだ。
 その構成も無茶苦茶である。本作は、第一話から後のエピソードの重要人物が伏線として顔見せ程度に出演しているのだが、ストーリーに関係なく突然現れるため、完全に存在が浮いている。その中に三大若手ベストセラー作家と呼ばれる人々がいて、彼女達はちょこちょこ本編に顔を出しつつ、第十一話でついに一堂に集結する。そして、皆で執筆勝負をすることに……ならない。対決は直前でドタキャンされ、そのまま放置される。この盛り上がりそうで盛り上がらないという目先のギャグのために、ストーリー上の最大のクライマックスすらオミットしてしまう。今まで張ってきた伏線は何だったのか。このアニメは何がやりたいのか。最終的に、主人公が「みんな、前に進んでんだな」とつぶやいて、無理やりいい話風に締めくくる。
 結果的に一つ余った形になる最終話だが、全体の総括をすることもなく、今まで通りの陽気な単体エピソードを描くことに終始する。そのまま何事もなく終わるかと思うと、ラストにとんでもない事実が待っている。何と、これまでの話は全てヒロインが書いた小説の粗筋だと言うのだ。ここに来て「楽屋オチ」を持ち出すセンスもアレだが、それより、当代きっての人気作家であるヒロインがこのようなくだらない話を書くわけがない。小説家を馬鹿にしているのか? 本作は劇中で本の素晴らしさを力説しているのだが、どう考えても最も本を冒涜しているのは、ここのスタッフである。

・総論


 笑えないクソアニメ。GONZOらしいと言えば、GONZOらしいが。

星:★★★★★★★★★(-9個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:51 |  ★★★★★★★★★ |   |   |  page top ↑
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