『ようこそ実力至上主義の教室へ』

地獄。

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ようこそ実力至上主義の教室へとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2017年夏衣笠彰梧著のライトノベル『ようこそ実力至上主義の教室へ』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は岸誠二橋本裕之。アニメーション制作はLerche。奇妙な慣習のある国立エリート進学校におけるクラス間闘争を描いた学園ドラマ。原作を手掛けているのは、十八禁美少女ゲーム『こんな娘がいたら僕はもう…!!』や『暁の護衛』でお馴染みのシナリオライター・衣笠彰梧である。誰だよ。

・実力至上主義


 実力至上主義って何だよ……。「実力主義」という言葉ならあるが、それは年齢やコネや学歴といった抽象的な力が評価される従来の社会ではなく、その人の持っている能力を正当に評価しましょうという試みのことだ。つまり、虚に対する実という意味である。それに対し、「至上」などというマイナスのイメージを持つ単語を付けるということは、本作の訴えたいことはその逆、つまり、年齢やコネや学歴をもっと重視すべきだということなのだろう。何だそりゃ。そんなアニメ、見たいとも思わないのだが。

 とは言え、このままでは埒が明かないので実際に見てみると、本作の舞台は異常なほど高い進学率・就職率を誇る国立の全寮制エリート養成高校。生徒は卒業するまで学外に出ることができない。一学年にクラスは四つあり、(入試の?)成績によって生徒はA~Dに振り分けられ、Dクラスには「不良品」と呼ばれる落第生が集められる。毎月、学内のみで使えるポイントという形で食費とは別に十万円が生徒に支給される。だが、それは日々の生活態度や学業成績によってクラスごとに査定され、適宜減額される。それを「Sシステム」と呼称する。何それ? しかも、そのことは入学時には秘密にされ、一ヶ月後のポイント支給日に初めて明らかになる。そして、文句を言う生徒達に対し、教師は「疑問に思わなかったお前達が悪い」と言い放つ。これを見たら分かる通り、本作の元ネタは明らかに『賭博黙示録カイジ』である。何のことはない、エスポワールの利根川をやりたいだけだ。つまり、本作で言う実力至上主義とは、カイジの世界のような強い者だけが勝ち残る弱肉強食の成果主義・選民主義のことを言いたいらしい。

 だが、カイジと本作は全く違う。カイジのエスポワールは、社会の落伍者である債務者達が訳も分からず連れて来られているのに対して、本作の生徒は最初から全寮制のエリート養成学校であることを理解した上で入学しているはずだ。狭き門を突破して入学できた時点でエリートだろうし、一般人とは根本的に意識が違うだろう。そんな学校にDクラスのような「不良品」がいるわけがないし、十万ポイントに浮かれて怠惰な生活を送るわけがない。向上心のない人間は元より合格させるなという話だ。そもそも、彼らが最も問題にすべきことは、Sシステムよりも卒業まで学外に出られないことではないのか? あまりにも設定が杜撰過ぎる。本当にこの作品はプロのクリエイターが作っているのだろうか。初期設定の段階でこれほどツッコミどころがあるのは、かの『Angel Beats!』以来である。そう言えば、同じ監督だった。

・主人公


 本作の主人公は、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の主人公と『アルドノア・ゼロ』の主人公を足して二で割ったような人間である。考え得る限り最悪の組み合わせだ。主義主張は何もなく、常に無表情で無感動。極端な三白眼で、ロボットのような抑揚のない話し方をする。他人に対する興味を全く持っていないので、当然のようにクラス内で孤立する。だが、なぜか困っている人がいると率先して助けに行く。気付けば彼の周りに人が集まっており、特に理由もないのに複数の女性が彼に惚れている。常人離れした洞察力を持っているはずなのに、なぜかその恋心に気付かない。実は彼は天才であり、平穏な学生生活を過ごすためにわざと平均的な点数を取っている。……いやさぁ。こういう人間、死ぬほど嫌いなんだけど、アニメファンはこれを許容できるの? もしかして、これが理想のかっこいい男なの? だとしたら、ちょっと相容れない。目の前にいたら絶対にぶん殴っているが、彼は格闘技の達人という設定なので、おそらく返り討ちに遭うだろう。もう完全に歩く災害のような人物である。

 そんな何を考えているか分からない無表情の人間が、キャラクターの統一性などお構いなしに、その場その場の勢いでトラブルに首を突っ込みまくるのが本作である。地獄のような光景だ。はっきり言って、本作で最もミステリアスな不審人物は主人公自身である。例えば、第三話で無邪気な博愛主義者だと思っていたヒロインに狂気の裏の顔があることが発覚する。普通なら衝撃の展開のはずだ。しかし、彼女よりも、彼女の豹変を前にしてもノーリアクションの主人公の方が、傍目には圧倒的に異常なのである。遊園地のお化け屋敷で、お化けよりも同行の彼女の方が怖かったら意味がないのと同じで、物語自体が崩壊してしまう。馬鹿だろ、この制作者。また、そんな主人公だから、事あるごとに上から目線で他人に説教をする。第五話に出てくる大人しい眼鏡女子のクラスメイトなどは良いカモで、水を得た魚とばかりに偉そうにご高説を垂れまくる。別にポリコレ趣味はないが、さすがにこれは女性蔑視と怒られても仕方ない。

 世の中には、クールな主人公もいれば裏の顔を持っている主人公もいる。だが、彼らにはそれ相応の人間的魅力があって、視聴者の共感を得られるように工夫している。一方、本作の主人公は端から視聴者と一体化することを拒絶している。だったら、最初から別のキャラを主人公にして、このキャラはヒロインにでもすればいいではないか。なぜ、程度の低い制作者ほど作劇の基本を無視したがるのか、本当に不思議でならない。

・ストーリー


 先立って鳴り物入りで紹介したが、実際のところ、Sシステムはほとんど本編には関わってこない。本編のストーリーは極めてオーソドックスな学園ドラマであり、むしろ古臭ささえ覚える。『スクールウォーズ』とか『3年B組金八先生』とかそっち系だ。第一話~第三話は、成績の悪いヤンキーをクラスの皆で協力して赤点から救う物語。先輩から過去問を譲ってもらうのにSシステムのポイントを使ったり、はたまた教師からポイントで点数を買ったりするところは、まぁ、らしいと言えばらしいが、結局はそれだけの話である。実力至上主義でも何でもない。もっと徹底した管理教育とそれに翻弄される子供達を描き、そのシステムの穴を突いて逆転勝利するという頭脳バトル的な面白さを加えなければ、本作は無価値だろう。

 第四話~第六話は、同じヤンキーが他のクラスの生徒と暴力事件を起こしたため、正当防衛を主張する彼の無実を皆で証明するという物語だ。もうそいつ退学させろよ。この一件においてSシステムは最早何の関係もなく、ただ偽情報で相手側を脅して訴えを取り下げさせるという力業の解決方法を取る。ここで問題になっているのは、むしろ事件の目撃者である眼鏡のクラスメイトの方で、主人公達は人見知りの彼女を何とかして真っ当な方向へ導こうとする。最終的に、ストーカーに襲われそうになった彼女を主人公が助けて一件落着という恐ろしく単純なストーリーで終了する。よくこれを公共の電波に流そうと思った物だ。恥ずかしくないのだろうか。

 第八話~第十二話は、何と南国の無人島における特別試験という名のサバイバル訓練である。弱肉強食を描くのに、無人島を舞台にするというあまりにも安直過ぎる発想だ。今時、中学生の黒歴史ノートでもこんなストーリーはやらないだろう。そのサバイバル生活、リアリティの欠片もなく、この作品でやる必要性も感じないが、それ自体はまぁそれなりに面白い。だが、肝心の特別試験の内容はと言うと、サバイバルとは何の関係もなく、他のクラスのリーダーが誰かを当てたらポイントアップ(間違えるとポイントダウン)という謎競技であった。他のクラスは謀略や裏取引を駆使してポイントを稼ごうとするが、我らが主人公はリーダーの体調不良をいいことに「終了目前にリーダーを交代する」という奇策に出て、見事に一位を獲得する。……は? え、ギャグアニメ? 前言撤回。本作の元ネタは『賭博黙示録カイジ』ではなく『一休さん』だったようだ。

 ちなみに、第七話は低俗な水着回である。これ以外にも、本作は脈絡のない性的なカットが異様に多い。中身が空っぽなので、こうでもしないと視聴者を呼べないのだろう。

・テーマ


 結局、本作は何をやりたかったのだろうか。実力至上主義を比判することが目的だったならば、この学校の異常性をもっと強調しなければならないが、そこが全く描き切れていないため、生徒達の切実さ、及び真剣さが何一つ伝わってこないという残念な結果になってしまっている。

 まず目に付くのは、生徒達が躍起になって集めているポイントが、結局のところ、ただの「お小遣い」に過ぎないということだ。全寮制で衣食住は保証されているのだから、日々の生活には何の支障も来たさない。格好付けた意識高い系の優等生が数万円のお小遣いを巡って戦っている光景は、逆に滑稽ですらある。それなら、カイジのエスポワールをそのままパクって、「保有しているポイントを全て失ったら強制退学」ぐらいにしないと話が盛り上がらないだろう。また、クラスごとのランク付けにしても、ヒロインが目の色を変えて昇格しようとしているほどの障害には感じない。どのクラスにいようと、結局は大学入試で良い点数を取ればいいだけの話だからだ。実力至上主義を表現したいなら、例えば、「下のクラスの人間は上のクラスの人間に対して敬語を使わなければならない」といった、もっと具体的で分かり易い格差を付けなければならないだろう。はっきり言って、この程度なら我々が生きている現実世界の学校の方が余程シビアである。実際、主人公達の学園生活は、まるで日常系アニメのように穏やかである。特に、謎の英才学習教室(詳細不明)出身の主人公にとっては、むしろこの学校は自由の象徴のような描き方をしている。つまり、完全に矛盾しているわけだ。それなら、もういっそのこと、主人公をSシステムを徹底的に破壊するジョーカー役として描いた方がいい。そうすれば、地の底に沈んだ好感度も少しは回復するだろう。

 ところが、ラストシーンで主人公がとんでもないことを告白する。「全ての人間は道具でしかない。過程は関係ない。どんな犠牲を払おうと構わない。この世は勝つことが全てだ。最後に俺が勝ってさえいればそれでいい」……は? え、頭おかしいの? いや、制作者が自ら作品を否定するなよ。だから、クソアニメを真面目に考察するのは嫌なんだよ。『Angel Beats!』もそう、『乱歩奇譚 Game of Laplace』もそう、まともな原作がないとまともなアニメを作れないなら、もうアニメ監督なんて辞めてしまえばいいのに。

・総論


 明らかに破綻した設定の中で、無表情の主人公が上から目線で延々と他人に説教し続けるという地獄のようなクソアニメ。視聴ストレスが半端ない。『AKIBA'S TRIP -THE ANIMATION-』の後に、これはキツ過ぎる。

星:★★★★★★★★★(-9個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:34 |  ★★★★★★★★★ |   |   |  page top ↑

『つうかあ』

怒りのデス・ロード。

公式サイト
つうかあ (アニメ) - Wikipedia
つうかあとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2017年秋。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話。監督は田村正文。アニメーション制作はSILVER LINK.。レーシングニーラーの全国大会に出場した女子高生達の汗と涙を描いた青春スポコン。「つうかあ」とは「two car」を意味する。タイトルだけを見ると電話のアニメにしか見えないが、レースアニメである。

・レーシングニーラー


 毎度お馴染み「女子高生に何かをやらせてみた」シリーズの一つである。今回のお題は「レーシングニーラー」。おそらく、日本人の九割は知らないと思うので解説するが、要はレース用のサイドカー付きバイクのことである。重心が非常にアンバランスなので、ハンドルを握る「ドライバー」の腕だけではなく、側車に同乗する「パッセンジャー」の体重移動がコーナーリングの出来を左右し、レースの勝敗の大きな鍵を握る。体を剥き出しにしたまま、地面スレスレを高速で移動するため、一歩間違えば死に繋がるような危険なスポーツである。実際、劇中で何度も事故が発生し、人が何人も死にかけている。このようなスポーツが女子高生に相応しいかと言うと、考える間もなく「否」である。レースを描きたいのであれば、車でもバイクでも自転車でも変わらないわけで、レーシングニーラーでなければならない必然性はまるでない。しいて言えば、ドライバーとパッセンジャーのコンビ愛を描くには便利かもしれないが、そんな物はただの後付けだ。結局、誰もアニメ化していないスポーツを探したら、たまたまこれを発見したというだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。(ただ、乗車姿勢はエロい)

 それ以外にも、レーシングニーラーを萌えアニメ化する際に生じる問題点は、レーサーがフルフェイスヘルメットを着用していることである。フルフェイスだとキャラクターの顔がよく見えないため、顔が命の美少女アニメとしては致命的だ。だが、安心して欲しい。なぜなら、本作の人々は、レース本番以外は常に「ノーヘル」だからである。通学時もお買い物に行く時も。これでニーラーに乗っていても、キャラの顔が見えてめでたしめでたし……なわけねぇ! 馬鹿か、お前は! もちろん、そういう特殊な世界設定なのは分かる。この世界の道路交通法は、我々の知っているそれとは違うのだろう。だが、バイクのドライバーがヘルメットを被るのは、それがルールだからではなく、ヘルメットの有無による事故時の死亡率に著しい差があるからだ。ましてや、誰の目にも明らかに危険な乗り物である。事故が起こると業界全体に迷惑をかけるのだから、ニーラーを愛しているなら、常に自衛するのは当たり前だろう。つまり、レーサーとしての意識が低いということである。そんな人々が何を言っても説得力がない。

 ちなみに、この世界では、女子高生が車を運転でき、物語の舞台の三宅島は速度無制限で、ニーラーに四人乗りが可能で、大会中のレーサーが毎晩酒盛りをしてもOKということになっている。世紀末だろうか? ルール無用の無法地帯で、登場人物は皆、命知らず。これはもう『つうかあ 怒りのデス・ロード』が正式タイトルでいいだろう。

・第一話


 本格派レースアニメである本作は、物語冒頭からいきなりレースシーンで幕を上げる。否応なく気持ちが盛り上がる展開……のはずだが、実況が「エキシビジョン」を連発するので萎える。もっと別の重要なレースを用意しろよ。その後、出走前にキャラクターの紹介を行うのだが、一組ずつ時間をかけて順番に紹介するため、やたらと長い。平気で三分以上続く。これでは、誰が主人公なのか分からないではないか。と思うと、いきなり場面が切り替わり、主人公と思わしき女性二人の回想シーンが始まる。と思うと、いきなり場面が切り替わり、モノローグによる世界観の説明が始まる。と思うと、いきなり場面が切り替わり、レースシーンに戻る。編集ミスか? いや、この後も同様の流れを何度も何度も繰り返すので、どうやら、オシャレなカットバック演出をやろうとしたらしいのだが、あまりにも下手過ぎて訳が分からないことになっている。基本的な技術のない人間が、商業作品でお試しプレイをやらないで欲しい。

 さて、その回想シーンの内容だが、主人公は幼馴染みの女子高生二人。いわゆる「喧嘩するほど仲が良い」状態。二人共、側車部の部員であり、一人の男性コーチに恋心を抱いている。……男性向け萌えアニメなのに、メインヒロインがイケメンに恋しているのか? 斬新だな。そして、そのコーチに振り向いてもらえるように一生懸命練習して、あっという間に一流のレーサーになる。斬新だな。だが、コーチはマン島のレースに出場するため、三宅島を離れなければならなかった。それに対し、二人は「全国大会優勝します!」と宣言して別れの言葉に代える。なぜなら、全国大会に優勝すると賞品でマン島に行けるから。……動機が不純過ぎないか? 嘘でもいいから、そこはニーラー愛を語れよ。一方、エキシビジョンレースの方はどうなったのかと言うと、絶賛仲違い中の二人はスタートで出遅れ、ずっと最下位を走っていた。だが、ゴール間近の「直線」で急にスピードアップして、一気に前をごぼう抜きする。そして、一位でフィニッシュする。それ、マシン性能の差なんじゃないか?

 ちなみに、後で分かることだが、このエキシビジョンは「第十話」の出来事である。視聴者にレースの雰囲気を味わわせるため、順番を入れ替えて第一話に持ってきているのだが、恐ろしいことに本作は第十話でこのレースをもう一度最初から描き直す。何という節約生活。アニメーターは楽できて良かったね。もっと言うと、第九話もほとんど総集編である。

・ハートフル


 本作の大半を占める第二話~第八話は、オムニバス形式のショートストーリー集である。各学校のドライバーとパッセンジャーの衝突から関係改善までを描いた心温まる話が繰り広げられる。質はそこまで高くないが、シナリオ自体は別に悪くはない。だが、根本的な基本設定が酷いせいで、幾つもの問題点が噴出している。

 まず、彼女達は、たまたま大会に出場するために集まった人々に過ぎないということである。そのため、視聴者の各キャラクターに対する思い入れが全くない状況で話が展開される。しかも、本編で取り上げられているのは、全七組中の三組だけ。要するに、主人公でも何でもないただの「脇役」である。なぜ、わざわざアニメで脇役と脇役の友情物語を見なければならないのか。仮に、群像劇を意識していたとしても、最初に主人公の話をやるべきだし、登場人物全員を等しく取り上げるべきだ。あらゆる点が中途半端で、ただ漠然と与太話で尺を埋めているだけと言われても反論できないだろう。

 続いての問題点は、これがレーシングニーラーの「全国大会」であることだ。大会の詳細は不明だが、彼女達は厳しい地区予選を勝ち抜いてきた精鋭中の精鋭のはず。もし、コンビ間に何らかの確執があったなら、それらは地区予選が始まる前にすでに解消してあるはずだろう。このままでは、チームに問題を抱えていても勝ち上れるような低レベルの大会になってしまう。もっとも、全国大会なのに七校しか出場していない時点で、カーリングの全国大会と大して変わりない大会規模なのだろう。三宅島の中だけでは異様に盛り上がっているが、本土では知る人ぞ知るマイナースポーツという扱いなのではないか。それ、現実と同じでは? これだけ特殊な世界設定を用意しておいて、その結論は悲し過ぎる。

 最後に、仲間意識についてである。第七話、解説者が奇妙なことを口走る。ライバル同士で助け合うのは「レーシングニーラー独特の世界」だと。実際のレーシングニーラーの世界がどうなっているかは存じ上げないが、本作では大会中にも関わらず対戦相手同士で協力し合い、「ライバルは仲間、敵は自分自身」と断言している。そして、利他的な熱い友情を強調している。いや、それはおかしいだろう。だったら、一人でタイムアタックでもしていろよという話である。命がけのレースである以上、敵は敵だ。本気で倒すべき障壁だ。この無駄にハートフルな思想は、全国大会の価値を貶め、結果的にレーシングニーラーその物を貶めている。そんなに温い競技ではないだろう。

 以上の問題点に共通しているのは、「一つの学校の部活内の物語なら何も問題はない」である。なぜ、全国大会にしてしまったのか? なぜ、無駄に話を盛ってしまったのか? 謎は深まるばかりである。

・マッドマックス


 第九話。全国大会を観戦するために、コーチが突然帰国する。主人公二人は喜び、恋の炎が再燃する。だが、コーチには婚約者がいた。ショックを受けた二人は、傷心状態のまま全国大会の「予選」に挑む。それが第十一話である。「あれ? 今までやっていたレースは何だったの?」と思うかもしれないが、第二話~第八話のハートフルストーリーは、全て全国大会の「試験走行」の話である。そして、第十話がエキシビジョンである。ちょ、待てよ……いや、世界の果てで行われるお祭りじゃないんだからさ、もっとちゃんとしようよ。

 閑話休題。その予選の最中、情緒不安定な主人公二人は事故を起こし、パッセンジャーが足を怪我してしまう。心が折れ、決勝レースを棄権しようとする二人。だが、そこにコーチが現れ、彼女達を叱咤激励し、無理やりレースに出場させる……それ、絶対にやっちゃダメ! 今、学生スポーツ界で最も問題視されているパワハラじゃねーか。怪我を押して試合に出るのは美談でも何でもない。後遺症を残さないように、出ようとする選手の気持ちを制止して、適切に休ませるのが指導者の務めである。とても2017年に放送されたアニメとは思えない。

 最終話。こうして、決勝レースに出走することになった二人。パッセンジャーが怪我をしたので、急遽ドライバーと役割を交代し、マシンのブレーキを魔改造する。どんな全国大会だよ。何でもありかよ。悪天候の中、レーススタート。しかし、二人の気持ちはすれ違ったままで、ついに途中で試合を放棄し、コースのど真ん中(路側帯?)で殴り合いの喧嘩を始める。いや、そこ危ないぞ。轢かれて死ぬぞ。なるほど、これが「怒りのデス・ロード」か。ところが、殴り合っている内に何だかんだで自己解決して仲直りし、レースに復帰する。ちょうど雨が激しくなってきたので、レースはイエローフラッグ(悪天候のため追い抜き禁止)の処置が取られていた。そこに追い付く主人公達。レースは再開され、主人公達が謎のパワーで他の六組をぶっちぎって優勝する。イエローフラッグをメインガジェットに使うレースドラマを初めて見たよ。これで勝って嬉しいか?

 エピローグ。コーチのクズさに呆れ果てた婚約者が、「貴方は男だけど、マンじゃない。ボーイよ」と言って、一方的に婚約破棄して立ち去る。だが、馬鹿な主人公達はその理由を理解できなかったので、コーチに求愛してエンディングを迎える。なにこれ?

・総論


 (爆笑)

星:★★★★★★★★★(-9個)
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