『狼と香辛料』

原作に忠実。

公式サイト
狼と香辛料 - Wikipedia
狼と香辛料とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2008年。支倉凍砂著のライトノベル『狼と香辛料』のテレビアニメ化作品。全十三話(テレビ未放送一話)。監督は高橋丈夫。アニメーション制作はIMAGIN。行商人の主人公と人狼のヒロインが旅をするファンタジーロードムービー。ファンタジーアニメにしては珍しく、市場経済と商取引をテーマにしている。幕間劇的な第七話は映像ソフトにのみ収録。

・脚本


 まず、先に純粋な脚本上の問題を処理しよう。本作は、原作小説の第一巻と第二巻を十二話分、約四時間かけてアニメ化している。小説の映像化の慣例から考えると、ややスローペースである。それだけ原作を忠実に再現しているということになるはずだが、実際に映像を目にすると非常にハイペースな印象を受ける。とにかく場面転換が早く、説明量も足りないため、視聴者の理解が追い付かない。特に目立つのが、とりあえず駆け足でストーリーを進めておいて、後から回想シーンで不足しているカットを補うという手法だ。ここぞという場面で使うならインパクトもあるだろうが、こうも多用されると時系列に混乱を来たして没入を阻害する。例えば、とある村で値段交渉人を営むクロエという女性(原作では男性)が、なぜ主人公の敵対勢力のリーダーになったのか、後から追記された短い回想シーンだけでは全く分からない。ちゃんと事前に彼女がヒロインの正体を疑う伏線を入れておかないと、それはサプライズでも何でもなく、ただ単に唐突なだけだ。奇をてらえばいいという物ではない。
 また、本作は市場経済をテーマに盛り込んだ異色の作品なのだが、肝心要の経済に関する専門的な解説を全く行わない。信用買いや債権譲渡といった専門用語を台詞だけで聞かされて、商取引に明るくない視聴者が十分に理解できるだろうか? 「主人公は取引先の商人からの依頼で、別の商人が持っている武具を信用買いの後払いという形で買い付けたが、武具の価格が暴落したことで商人は破産した。そのため、取引先の商人がその債権を買い取り、主人公に対して売掛金の全額返済を要求した」という一連の流れを初見で納得できた人はほとんどいないだろう。「つまり、どういうことになったのじゃ?」「つまり、後ろの荷物がゴミになったということだ」という簡素な会話で分かれと言う方が無茶だ。そもそも、この世界の法律や契約関係がどうなっているのかすら分からないため、どこまで現代的な感覚を持ち込んでいいのか判断できない。ならば、ある程度のリアリティを犠牲にしてでも、劇中で詳しく説明しなければならなかったはずだ。つまり、地の文でフォローできる小説と映像が全てのアニメとの表現方法の違いを考慮しなければならないということである。「原作に忠実」が決して最上の褒め言葉ではないことを改めて認識し直す必要があるだろう。

・ヒロイン


 遥か遠い昔、狼が麦の神様だった頃のお話。貨幣経済の発達により合理的な精神が浸透し始めた人々は、神秘なる物を世俗に引きずり降ろそうとしていた。ある日、辺境の村に訪れた行商人の主人公は一人の奇妙な女性と出会う。一見すると妙齢の女性だが、獣の耳と大きなしっぽを持っていた。彼女は何百年間も麦の神として村を守ってきた人狼だったが、人々の信仰心が衰えたことで力を失い、生まれ故郷の北の国へ帰ろうと麦の行商を営む主人公を頼ったのだ。思わぬ申し出に困惑する主人公だったが、彼女の純粋な気持ちに絆されて契約を結ぶ。こうして人間と人狼の不思議な旅が始まるのだった。
 と、大袈裟な紹介文を書いたが、要するに可愛らしいヒロインとのいちゃいちゃ二人旅を楽しむだけのアニメである。それ以上でもそれ以下でもない。冷静に考えると、なぜヒロインが主人公と旅をしているのかはさっぱり分からない。ヒロインにとって、主人公は何百年もの間に大勢出会った男性の一人に過ぎず、たまたま自分の目的と利害が一致しただけだったはずだ。年齢差を言うと、お婆ちゃんと孫というレベルではない。だが、旅を始めた時にはすでにお互いの好感度が高く、第三話ぐらいにはもう恋人同士のような関係になっている。齢数百の人狼にして「賢狼」とも称される百戦錬磨・頭脳明晰なヒロインが、大して商才もない平凡な行商人の主人公に惚れた理由は何か? 特にない。特にないが、ヒロインは自分の寂しさを埋めるために年甲斐もなく主人公に甘えまくる。すなわち、画面の向こうの視聴者に媚びまくる。要は、自分を構ってくれる男性なら誰でも良かったのだろう。いわゆる「構ってちゃん」という奴だ。
 それを抜きにしても、確かにヒロインは可愛い。設定の不備を忘れさせるほど可愛い。ただ、そのほとんどをCV担当の小清水亜美の演技力に負っている。あまり「最近の若者は~」とは言いたくないが、やはり昨今の若手声優とは演技の幅に格段の差がある。キュートなキャラとクールなキャラを演じ分けることぐらいはどの声優でもできるだろうが、大事なのはその中間をアナログ的に繋げられるか否かだ。それができないと、如何にも定型化した三流キャラクターになってしまうが、本作のヒロインは非常に幅広く奥深く、声優の演技力が作品にとってどれほど大切かを教えてくれる。

・主人公


 作画・シナリオ・演出、本作の欠点は多岐に渡るが、一番の欠点は何と言っても主人公その物だろう。これと言う特徴もなく、場面場面で思考がブレまくるので、最後の最後まで彼のキャラクターが掴めない。分かり易いのが第二話。ヒロインが「嘘を聞き分ける」という特殊能力の持ち主であることを知った主人公は、すぐにその能力を商売に生かそうと考えるのである。ドラマのセオリーに則ると、そんな非現実的な力に頼ろうと考える人間は、老獪な悪徳商人か右も左も分からない駆け出し商人のどちらかに相場は決まっている。前者はあり得ないから、当然、主人公は後者ということになるが、彼は決して駆け出しではなく、ある程度の経験を積んだ中堅行商人である。抜けている点はあるが、基本的に商談も巧みで、いざという場面ではやたらと饒舌になる。もっとも、他人の評価はまちまちで、「頭の回転は良いが経験が足りない」という意見もあれば「経験が過信を呼んだ」という全く正反対の意見もある。組合に信用されているような描写もあれば、最後の最後でようやく一人前だと認められたという描写もある。実際、劇中で何度も大きな失敗を犯しているし、女性に対する反応もあからさまに童貞臭い。と、このようにあらゆる面でバラバラなので、彼本来のキャラクターが全く分からないのである。
 これは単にシナリオの問題ではなく、作品テーマの問題である。つまり、本作のジャンルをヒーロー物として捉えるか、成長物語として捉えるかの問題だ。前者なら、もっと主人公は金儲けに対して貪欲でなければならないだろう。為替詐欺に出くわしたのであれば、それをただ通報して謝礼をもらうのではなく、その詐欺を逆に利用して自分だけが儲かるように誘導するぐらいのしたたかさがあっても良い。後者なら、もっと主人公を頼りない青年にして、幾つもの失敗を繰り返しながら成長していく様を描かないといけないだろう。だが、本作はどちらに対しても非常に中途半端だ。その結果、主人公は「ミスの多いベテラン」という最悪の位置に収まってしまっている。それでは、ますますヒロインの惚れる余地がない。
 なぜ、そんなことになっているのかには明確な理由がある。なぜなら、この作品は「ライトノベル原作」だからだ。ライトノベル原作アニメは、たとえ成長物語であっても主人公のかっこ悪さを描けないのである。何ともまぁ、つくづく自分で自分の首を絞めるのが好きな業界である。

・ストーリー


 本作は原作に忠実な二部構成である。第一話~第六話のストーリーは、銀貨の価値変動に乗じた詐欺事件を巡る争い……だったはずだが、いつの間にか人狼たるヒロインを巡る争いになって終了する。その際、狼神の気紛れに頼った従来の時代遅れの農業を近代化しないといけないという無駄にシリアスな社会問題が取り上げられる。全く関係ないわけではないが、繋がりは薄い。それなら、最初から旧来の風習を守る商業組合と急進的な考えを持つ行商人との争いにしておけば良かったのではないか。ちなみに、敵に捕らえられたヒロインを救出するために、なぜか行商人である主人公が単身敵陣に乗り込むが、実はすでに味方の私設軍隊が動いていたという訳の分からない展開になる。そして、最後は狼に変身したヒロインに助けられて一件落着……ヒロインを救出しに行く必要はあったのか? ストーリーにファンタジー要素を盛り込みたい気持ちはよく分かるが、もう少しプロットを整理しなければならなかったのではないだろうか。
 第八話~第十三話のストーリーは、冒頭で書いた通り、信用取引の事故によって膨大な借金を背負ってしまった主人公が、どのようにして借金を返済するかの物語である。期限はわずか二日。逃げれば、二度と行商人として活動することはできない。そこで、我らが主人公の取った起死回生の策は、何と「金の密輸」。前言撤回。こいつは悪徳商人だ。確かにその伏線は敷かれていたが、普通の主人公はそんなことをやらない。それはともかく、主人公は経営難の商人と手を組んで資金調達し、純真な羊飼いの少女を半ば騙す形で道案内に雇い入れて、金密輸を実行する。だが、他の街に行って金を買い付けるまでは良かったものの、案の定、帰り道で商人に裏切られて殺されそうになる。そして、最後は狼に変身したヒロインに助けられて一件落着……また同じパターンかよ。ストーリー的には何も問題はないし、ちゃんと起点と終点が繋がっているが、あまりにも安直過ぎないだろうか。物語の面白さの本質は、如何にして受け手の予想を裏切るかにあるはずだ。これでは何の驚きもない。仮にも経済ドラマを標榜するなら、武具の値段を吊り上げるために狼の大群を操って行商人を襲わせ、街の人々の危機感を煽り、武器商人同士を争わせて漁夫の利を得るぐらいのことはやってもいいのではないだろうか。正直、お世辞にもシナリオの質は高いとは言い難い。作画はご覧の通りだし、主人公のCVは合っていないし、結局は「ヒロインが可愛いだけのアニメ」である。

・総論


 全体的に満遍なくレベルが低い。深夜アニメなどこんな物と言われたら、それまでだが……。余程、ヒロインに思い入れがなければ、漫画『ナニワ金融道』を読んだ方が商取引の勉強になるだろう。

星:☆☆(2個)
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by animentary  at 08:43 |  ☆☆ |   |   |  page top ↑

『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』

母親参観。

公式サイト
ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか - Wikipedia
ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。大森藤ノ著のライトノベル『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は山川吉樹。アニメーション制作はJ.C.STAFF。新米冒険者が凛々しい女戦士と出会ったことで大きく成長する青春ファンタジー。本編の内容よりもヒロインの衣装、俗に言う「例のヒモ」の方が知名度が高いだろう。

・ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか


 いつも通り、ライトノベル原作アニメ恒例のタイトルいじりから始めよう。まず、普通の冒険者がダンジョンに求める物は何だろうか。それは未知への冒険であったり、そこから得られる多額の報酬であったり、世界的な名声であったりするだろう。もちろん、人の価値観はそれぞれなので、中には報酬や名声よりも異性との出会いの方が大切という人もいるかもしれない。そういう人にとっては、百万の富より美女のキスの方が何倍も栄誉ある物だ。それは何もおかしいことではない。ただし、大事なのはそれらが全て「命懸け」であるということだ。ダンジョンには凶悪なモンスターや恐ろしい罠が待ち構え、いつでも冒険者の命を奪おうと舌なめずりしている。常に危険と隣り合わせで、明日も日の目を拝める保証はない。つまり、ダンジョンに出会いを求める人は、恋愛に命を懸けることを何とも思わない根っからのプレイボーイということである。その前提を踏まえた上で、本作のストーリーを見て行かなければならない。
 主人公はこの稼業を始めてわずか半月の駆け出し冒険者。少々気弱で誰に対しても優しい性格である一方、レベル1の状態でダンジョンの五階層に挑むという無謀さも持ち合わせている。案の定、ミノタウロスに襲われて死にそうになったところを、通りすがりの一人の女戦士に救われる。彼女の凛々しさにすっかり惚れ込んでしまった主人公は、彼女に相応しい男になれるようもっと強くなることを決意する。はたして、彼は女戦士のハートを射止めることができるであろうか。が、本作のメインストーリーである……って、え、どういうこと? 意味が分からないんですけど。まず、この男は何のためにダンジョンに潜っていたのか。それは当然、「生活」のためであろう。ダンジョンでモンスターを倒し、報酬を得て、衣食住を賄い、生き延びる。しかし、新米冒険者では弱い敵しか倒せないため、得られる報酬も限られている。ならば、普通の人は今の暮らしをより良くするために強くなろうと思うはずだ。
 もし、このストーリーを成立させようと思ったら、彼はダンジョン探索以外に何らかの副収入があるか、冒険があまりにも簡単過ぎて退屈だったとしなければならないだろう。怠惰な生活を送っていた男性が憧れの女性と親密になるために生まれ変わる話は、ボーイミーツガールの定番パターンである。そうでないなら、それこそ主人公は三度の飯より女が好きという本物の色狂いの人間になってしまう。さすがに、そんな主人公では軽薄なエロアニメにしかならないため、もし「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」と問われたら、「間違っている。その前にやることがある」と答えるしかない。

・神様


 改めて設定をまとめよう。本作は神話の神々が実在し、下界に降りて人々と共に生活している世界である。神々は冒険者に戦う能力を与える代わりに、彼らを自分の眷属とし、「ファミリア」という名のギルドを形成している。そんな神々の内の一人、ロリ巨乳な女神「ヘスティア」は、未だに眷属が主人公一人しかいない駆け出し神様。彼女はなぜか主人公のことが大好きで、既成事実を作ろうと積極的にアタックするが、主人公はその好意に全く気付かない……という、少し視点を変えただけの典型的な「落ち物」系アニメである。こんな物は世の中に腐るほど転がっているので、さりとて話題にすることでもない。
 ただ、本作が他の作品と決定的に異なるのは、その神様がメインストーリーに全く絡まないことだ。詳しくは後述するが、彼女がいなくとも話は滞りなく進む。では、彼女は何のために存在するかと言うと、主人公のことを「全肯定」するためだ。彼女は主人公の隠れた才能を信じ、事あるごとに彼を褒め称え、どんなに失敗しても前向きな発言で勇気付ける。一つ屋根の下に同棲し、「君ならできる」と主人公をダンジョンに送り出して、無事に帰ってきたら「頑張ったね」と膝枕で慰める。神様なのにアルバイトをして、ファミリアの生計を支える。そんな彼女の存在は、間違いなく主人公にとっての「母親」である。主人公を外敵から保護し、絶大な安心感を与え、成長を後押しする。彼が「ダンジョンに出会いを求める」などとふざけたことを言えるのも、優しい母親に身分を保証されているからだ。もちろん、主人公本人はまだ十四歳なので幾らでも母親に甘えていいのだが、分別ある大人の視聴者が彼に自分自身を重ね合わせているとしたら、気持ち悪いというレベルではない。
 さらに気持ち悪いのは、その神様が鍛冶屋に土下座をしてまで主人公のために特注の短剣を作らせたことだ。その魔法の短剣は、持っているだけで能力を高める特別な力がある。ただ、主人公は他の女のために強くなると宣言しているわけで、それを手助けする武器を提供するような都合の良い女性が、この世に存在するはずがない。いるとすれば、それは母親以外にあり得ない。主人公も主人公で、断ればいいのに当たり前のように短剣を受け取って使用する。これでは息子のデートに来ていく服を母親があつらえるような物だ。この先、彼がどのように成長していくかは分からないが、少なくともストーリー開始時点では、全く自立できていないマザコンのお坊ちゃんである。ちなみに、父親に該当する役割の人物は当然のように出て来ない。しいて言えば、女戦士か。

・成長


 そんな本作であるが、折り返し地点となる第七話以降、微妙に路線を変更する。ひょんなことから女戦士に特訓を付けてもらうことになった主人公は、その過程で自分の本当の目標は「英雄になること」だと悟る。そして、強大な敵にたった一人で立ち向かったことで、彼は冒険者として大きく成長する。一見すると「強くなる」という目的自体は同じに見えるし、無謀さという意味ではレベル1で第五層に挑んでいた頃と何も変わりない。変わったのは、それらを「自覚した」ということだろう。以前は訳も分からずにふらふらとダンジョンに突入し、女戦士と仲良くなると馬鹿げたことを言っていたが、彼女と剣を交えたことで、自分自身の名誉のためにあえて危険を恐れず「冒険」し、報酬や名声を手に入れるというように変わった。女戦士の寵愛などその報酬の一つに過ぎない。つまり、それが良いか悪いかは別にして、本作はライトノベル原作アニメにしては珍しく、物語の途中でタイトルを否定した作品なのである。ただし、主人公自身がその誤りに気付いたという具体的な描写はなく、極めてナチュラルに目標変更している。最大の懸念材料である神様の存在もそのまま放置だ。本気で成長しようと思ったら、神様=母親から自立することが第一だと思うが、彼女はストーリー的に蚊帳の外に置かれ、ある意味大事に保護されている。だからと言って、女戦士との恋愛が精彩に描かれるということもなく、ハーレムでもボーイミーツガールでもヒロイックファンタジーでもない中途半端さが、第七話以降のストーリーの特徴である。
 それはともかく、その後、主人公は爆発的に急成長する。正確に言うと、秘められた天才的な素質が次々と明るみになる。特殊なスキルが幾つも発現し、魔法さえも軽々と使いこなす。そして、皆が驚く中、たった一ヶ月半でレベル2(中級者)にランクアップし、ダンジョンの中層へと進出する。確かに0からのスタートだったので、広義では成長に当たるのだが、やっていることはくだらない三流アニメのチート主人公と同じである。非常に疑問なのだが、これを見て本当に視聴者は楽しいと思うのだろうか。努力しているように見せかけて、全て「才能」の一言で片付けているこの物語に、何の才能もない視聴者が自分を重ね合わせるのは極めて困難だと思うのだが……。少なくとも第一期のストーリー上では、彼を急成長させないといけない理由は特に見当たらないため、違和感しか覚えない。

・演出


 本作の演出には二つの大きな特徴がある。一つ目は「ゲーム的」だ。本作は人間の持つ能力や特徴を全てステータスやスキルといった物で表している。比喩表現ではなく、実際に劇中で神々が能力を測定し、その具体的な数値が日常的に台詞として語られる。本作のメインターゲットである中高生にとっては、文学や映画よりもゲームの方が身近な存在だろうから、こういった演出法もありと言えばありなのかもしれない。ただし、主人公が女戦士に惚れて急成長したことさえも「憧憬一途」という名のスキルで表しているのは、論外である。そういったアナログな感情をデジタル化した瞬間、それはもう血の通った人間ではなくなってしまう。逆に言うと、そのスキルを持たない人間は、どれほど好きな女性のために頑張っても、努力が報われることは決してないということだ。そんなふざけた話が通るわけがない。
 もう一つの特徴は「感情的」だ。本作の登場人物は皆、何かある度に生の感情を剥き出しにして、大声で絶叫する。第六話などは、ヒロインの一人が数分間にも渡って涙ながらに主人公を激しく問い詰める。確かに、キャラクターが感情的に声を張り上げれば場は盛り上がるし、何となく言葉に重みがあるように錯覚する。ただ、感情が先走ると理論が置き去りになるのは自然の摂理。本作でも、なぜ主人公が急激に強くなったのかという疑問は、彼の叫び声によって体良く誤魔化される。いや、本当に誤魔化せているのだろうか。余程、純粋な人間でない限り、彼らの言葉を鵜呑みにしないと思いたいが。
 最終話。ダンジョン内にある街を巨人が襲撃し、皆で力を合わせて撃退するという『進撃の巨人』を丸パクリした展開になる。当然、各キャラクターは感情を剥き出しにして大声で叫び続ける。そのドサクサに紛れて、今まで張っていた伏線を一気に消化する様は別の意味で面白い。そんな中、主人公だけは当たり前のように特別扱いされ、秘められた才能をさらに開花させて、一人で巨人を打ち倒す。その偉業に対し、周囲の人々が一斉に天才だ英雄だと褒め称える。そして、ラストシーンは神様の膝枕。いや、あのさぁ……。まぁ、こういう物を好む人を否定するつもりはないが、そんな生き急がなくてもいいのにと素直な感想を述べさせて頂く。

・総論


 あくまで中高生向けアニメとして見れば許容範囲内だが、これをいい歳した大人が見ていたら痛いというレベルではない。本ブログの読者には、間違いなく『灰と幻想のグリムガル』の方をオススメする。

星:☆☆(2個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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