『ワルキューレ ロマンツェ』

少女騎士物語。

公式サイト
ワルキューレロマンツェ 少女騎士物語 - Wikipedia
ワルキューレロマンツェとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。Ricotta原作の十八禁美少女ゲーム『ワルキューレロマンツェ 少女騎士物語』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は山本裕介。アニメーション制作はエイトビット。馬上槍試合に青春を燃やす少女達を描いた学園ドラマ。監督の山本裕介は『ケロロ軍曹』や『ヤマノススメ』で知られているが、本ブログ的には『N・H・Kにようこそ!』の監督と言った方が通りがいい。

・設定


 タイトルが良い。『ワルキューレ ロマンツェ』、本作の内容を表すのにこれ以上ないベストのネーミングだ。ワルキューレ(ヴァルキュリア、バルキリー)とは北欧神話における半神の戦乙女。主神オーディンに仕え、その命を受けて戦場で戦死した騎士を選別し、天界へと導く役割を担っている。彼女達は武芸に優れ、天魔を駆って華麗に戦場を舞う。本作は、そんな現代版のワルキューレ達が織り成すロマンツェ(ロマンス)を情感豊かに、且つエロチックに描いた作品である。
 本作の設定はかなり特殊である。舞台は、ヨーロッパのどこかに位置する架空の地方都市「ヘレンズヒル」。中世ヨーロッパの街並みを色濃く残したその古の都は、「ジョスト」と呼ばれる中世さながらの一対一の馬上槍試合が盛んで、ジョストを専門に教えるウィンフォード学園が街のシンボルになっていた。ジョストは基本的には貴族のスポーツだが、性別・身分・国籍などの制限がなく、そのため、世界中からジョストを学びに多くの留学生が集まっている。街には大きなジョスト専用の競技場があり、毎年、夏に学内ナンバー1を決める大会が開かれる、という世界観である。ジョストは実在のスポーツで、現在でも一部地域で細々と行われているが、あくまでマイナースポーツの域を出ず、本作のように華やかで格式のある世界的な伝統スポーツとして扱われている状況は違和感が大きい。もっと言うと、馬鹿馬鹿しい。だが、その馬鹿馬鹿しさを打ち消しているのが、作品全体を包み込む古き良きヨーロッパの光景を再現した美術やバロック調の音楽であり、そして、丁寧な演出である。十八禁美少女ゲーム(以下、エロゲー)原作という決して潤沢とは言えない予算規模のアニメでありながら、ここまで細部に拘った作品作りが行われていることは称賛に値する。
 また、ジョストというスポーツ自体が、非常にアニメ化に適した題材であることも功を奏している。アニメは基本的に多人数が乱雑に動き回るのを不得手としているが、ジョストは二人の人間が直線移動して交差するだけ、それでいて槍を突き合う瞬間はダイナミックと、まさにアニメになるために生まれたようなスポーツである。しかも、本作は贅沢にもその部分だけに3DCGを使用しており、得も言われぬ迫力がある。その結果、単純にスポーツアニメとして見ても、かなりのクォリティを保っている。

・ストーリー


 本作の主人公は、ジョストの騎士になるためにウィンフォード学園に留学した日本人の少年。優れた素質を持ち、学園でも一・ニを争うほどの腕前を誇っていたが、不慮の事故により足を負傷し、それ以来、ジョストから一定の距離を取っていた。今は従姉の経営する喫茶店でアルバイトをしながら、ジョスト用の騎馬の世話をしている。実は、ケガはとっくの昔に完治しており、足の痛みは事故の恐怖心から来る精神的な物だった。それゆえ、本心では騎士に戻りたいとは思いつつも、その勇気が出ず、ずっと同じ場所に立ち止まっていた。
 一方、メインヒロインも主人公と同じく日本からの留学生。ただし、ジョストとは無関係の普通科の生徒である。彼女はかつて騎士だった頃の主人公の雄姿に惚れ込み、彼がジョストから離れた今でも何かと世話を焼き続けている。そんなある日のこと、貴族のお嬢様のプライドを傷付けてしまったことにより、彼女からジョストでの決闘を申し込まれる。ジョスト未経験者であるヒロインは突然の申し出に戸惑うが、練習試合という形で生徒会にも承諾されてしまう。そこで、主人公はヒロインを補佐する「ベグライター」(ボクシングで言うセコンドのような役割)になり、彼女を騎士として徹底的に鍛え上げる。最初は失敗ばかりしていたヒロインも、徐々に内に秘めたるジョストの才能を発揮し、皆が驚く急成長を遂げる。
 ご覧の通り、本作のストーリーは極めて王道である。それも『エースをねらえ!』や『アタックNo.1』といった昔懐かしの「スポ根ドラマ」をかなり意図的に踏襲している。素人のヒロインがひょんなことからハードな肉弾系スポーツに挑戦することになり、意中の男性がコーチ役になってしごき上げる。ライバルは気位の高いお嬢様。何の取り柄もないと思われたヒロインが、実は人並み外れた動体視力の持ち主だったといった展開もお約束だ。さすがに、コート上で涙を流したり、物語の途中で重要人物が死んだりはしないが、ベースにあるのは苦しみからの解放が歓喜を呼ぶ浪花節である。最終的に、ヒロインは主人公のアドバイスによって辛くもお嬢様に勝利し、ジョストの面白さに目覚めたことで、これからも競技を続けて夏の大会にエントリーすることを誓う。ここまでわずか四話。この後、本作はギャグ寄りのサブエピソードに突入するのだが、それを可能にしているのもこの濃密な導入部があればこそである。

・ハーレム


 上記の通り、本作の基本になっているのはスポ根ドラマだが、全体的なジャンルは萌えアニメらしい「女子高生に何かをやらせてみた」シリーズである。馬上槍試合などという男性の象徴のようなスポーツをあえて可憐な美少女にやらせてみて、そのギャップを楽しむのが最大の目的だ。男女の役割が逆転しているため、男性はベグライターとして戦う女性を補佐する役割に徹する。この点だけを見ると、ジェンダーフリーを謳った女性解放ドラマのような様相だが、もちろん、そのような高尚なテーマは一切なく、ただ男性主人公が物臭になって高みの見物を決めているだけだ。事実、本作には五人のヒロインが登場するのだが、全員が主人公をベグライターに指名して女同士で奪い合うというハーレム展開になる。女性の自立を描いているように見せて、実は男性の掌の上で踊っているだけという歪んだ愛情が如何にも深夜アニメらしい。
 ただ、本作には他のハーレムアニメと決定的に異なる点が一つある。それは、主人公がヒロイン達のベグライターになることを「断る」ことである。いろいろなハプニングが重なって明確に態度で表せてはいないが、その思考は最初から最後まで一貫して変わらない。理由は二つ。一つ目は、主人公には馬の世話という現実的な仕事があったから。二つ目は、主人公自身がジョストの騎士に未練があったから。彼は、過去に負ったケガを理由に「期待を裏切りたくないから。期待に応える自信がない」と言って本心から逃げ続けていた。だが、慣れないジョストに一生懸命取り組んでいるメインヒロインの姿を見て考えを改め、自分も密かにジョストの練習を始める。それはつまり主人公の心の成長を示す。言い換えると、男尊女卑的なハーレムを否定することで、一人の人間として大きくなるということだ。こんなハーレムアニメは未だかつて見たことがない。
 夏の大会では、主人公は一試合限定でメインヒロインのベグライターになり、大会後は騎士に戻ることを宣言する。それに対して、ヒロインは「騎士に戻るって聞いて、私、とっても嬉しいよ」と告げる。これもまたハーレムアニメのお約束を完全に無視した展開だ。他のアニメだと、最後まで騎士とベグライターという男女の関係は変わらないだろう。どちらが良いか悪いかはあえて言及しないが、本作が非常に特殊な作品であることは理解して頂けるはずだ。

・王道


 突然だが、エロゲー原作アニメの最大のメリットは何だろうか。個性的なヒロイン? エロチックなシーン? いや、そうではない。答えは「各キャラクターの背景がしっかりしている」ことである。なぜなら、エロゲーにはヒロインそれぞれに個別シナリオが存在し、それゆえ、各キャラクターの設定が他作品の主人公並みに充実しているからだ。エロゲー原作アニメは、そういった深みのあるヒロインが一堂に会して一つの作品を構成しているわけで、まるでオールスターゲームである。本来なら、そこらのオリジナル作品に負けない物が出来上がるはずなのだが、そうなっていないのは素人には及びも付かない何らかの事情があるのだろう。
 さて、本作において、そのメリットが最大限に活かされているのが、第十話以降のストーリーである。そこでは、学内ナンバー1を決める夏の大会が三話もかけて丹念に描かれている。他のアニメだと一話程度で終わってしまいそうな分量だが、それが三話も続くということは、それだけ各キャラクターの背景がしっかりしているということだ。例えば、ノエルというキャラクターがいる。彼女の家はジョストの名門だったが、彼女の妹がジョストの事故の後遺症で原因不明の半身不随になってしまい、その結果、父親はジョストを強く憎んでいた。彼女が夏の大会に出場したのは、ジョストの面白さを父に再認識させて、親子の絆を取り戻したかったから。本作は王道路線なので、当然、ノエルの試合を観戦した妹が思わず立ち上がり、その光景に感動した父親が改心するという流れになるのだが、一介のサブヒロインでこのボリュームである。こういったヒロインが五人ないし六人もいて、一つの優勝旗を目指して競い合うのだから、その奥深さが理解できよう。
 以上が本作の解説になる。確かに、あからさまな性描写の数々は見る人を選ぶし、中盤は無駄なエピソードが多過ぎて中だるみする。それでも、第十話以降の展開の熱さは圧巻である。様々な人の想いが一つに集まり、夏の大会を通して一気に花開く。基本的に悪人が一人もいないので、視聴後感が非常に爽やかで気持ちいい。もちろん、原作自体の出来の良さも無視できないが、それをアレンジして一つの作品に作り上げたアニメ版の制作スタッフ、特に監督の力量が非常によく分かる良作である。

・総論


 毎度のことながら、物語のセオリー通りに作ることによって成功した作品。逆に言うと、それだけ定石を外して失敗するアニメが多いということだが……。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:28 |  ☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』

感情×論理。

公式サイト
櫻子さんの足下には死体が埋まっている - Wikipedia
櫻子さんの足下には死体が埋まっているとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。太田紫織著の小説『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は加藤誠。アニメーション制作はTROYCA。平凡な高校生の主人公が骨を愛する標本士のヒロインと共に難事件を解決するミステリー。作品タイトルの元ネタは、梶井基次郎の短編小説『櫻の樹の下には』の一節「櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」。2017年4月より観月ありさ主演のテレビドラマ版が放映されている。

・ミステリー


 ミステリー小説にありがちな「市井の人々を無理やり名探偵に仕立て上げるシリーズ」の一つである。今回のターゲットは「標本士」。標本士とは、動物の遺体から骨を取り出して骨格標本を作る専門職のことだが、当然ながら警察捜査とは何の関係もない。つまり、本来は事件を推理することそれ自体が越権行為なわけで、そんな普通の人間をどう事件に係らせてどう名探偵に仕立て上げるか、そこが作者の腕の見せ所になる。
 本作の主人公は、平凡な日常に退屈していた男子高校生。これと言って特徴のない普通の人間だが、一つだけ他の生徒にはない特別な交友関係を持っていた。その相手は、郊外の洋館で年老いた婆やと二人暮らししている年上のお嬢様。見た目は清楚な美人だが、一風変わったプロフィールを有している。それは彼女の職業が標本士であること、生き物の骨に対して異常なほどの愛情と執着心を持っていること、そして、なぜか日常的に人間の死体と遭遇することだった。その結果、二人は事あるごとに奇妙な事件に巻き込まれる。本作は、そんな二人が無能な警察に代わって難解事件を解決する一話完結型のミステリーである。
 純粋な捜査関係者ではないため、本作が劇中で取り扱っているのはいわゆる「小さな事件」になる。もちろん、テーマがテーマなので毎回のように死者は出るのだが、世間を騒がせる凶悪犯罪や解読不能の完全犯罪といった大きな事件は出て来ない。基本的には誰かを愛する心や幸福になりたいという想いが、少しボタンを掛け違ったことによって発生する哀しくも儚い事件の数々だ。それに対し、ヒロインは豊富な科学・医学・文学・歴史学の知識と、人並み外れた冷徹な観察眼を持って真実を見抜き、論理的に謎を解き明かす。つまり、感情によってもつれた糸を論理によって解きほぐし、正しく並び替えて真実を浮かび上がらせるタイプのミステリーである。実は、ヒロインは法医学者としての側面も持っており、そちらの方が謎解きの役に立っている。第一話などはロープの結び方がメイントリックになっており、標本士とはあまり関係ない。それなら、最初から骨好きの法医学者の話にすればいいのにと思う。
 なお、物語の終盤になって、一人の猟奇殺人犯が今までの小さな事件の裏で手を引いていたことが発覚し、一気に大きな事件へと推移する。ただし、アニメ版はちょうど犯人と対決することを決意した場面で終了するため、最後まで小さいままである。コンセプトがぶれないのは好感を持てるが、後味は悪い。

・骨


 本作のヒロインは、生き物の骨を異常なまでに偏愛している変わり者である。まるで可愛いぬいぐるみか何かのように骨を扱い、深い愛情を持って自宅にコレクションする。昔飼っていた猫さえも自らの手で標本にしてしまう。一方、我々一般人は骨に対して通常は嫌悪感を、人によっては恐怖感すら抱いている。だから、できる限り闇の中に押し込んで、人目に付かないようにしている。では、彼女と我々の違いは一体どこにあるのだろうか?
 まず、なぜ、我々が骨に対する嫌悪感を持っているかと言うと、それは当然「死を連想させるから」に他ならない。生き物の骨は、普段は分厚い皮膚や肉に覆い隠され、死した時に初めて顔を出す。その時、気高き魂を持っていたはずの生き物が、ただの物言わぬ物体と化す。どんなに絶世の美女でも表面の肉を取ればただの骸骨だ。そのため、骨を目にすることで、自分達の命がいつ壊れるかも分からない脆い物であること、命を失ったら土や石と何も変わらない無機物になってしまうことを強く意識せざるを得なくなるのである。それは恐怖以外の何物でもない。ところが、ヒロインはそれを美しいと感じる。劇中で明言されているわけではないので、ここから先は想像になるが、おそらくヒロインはそういった人間の持つ本質的な儚さに強いシンパシーを抱いているのであろう。簡単なことですぐに壊れてしまう弱々しい生き物。しかし、それでも毎日を一生懸命生きている。そんな彼らの逃れ得ぬ業を可愛く思うからこそ、その終着点である骨に堪らない愛しさを覚えるのではないだろうか。
 もう一つ、ヒロインが骨を愛する理由は、それが「論理の象徴」だからだろう。骨は人間の表面的な虚飾を取り払ったありのままの姿である。全ての基本となる文字通りの「骨格」であるがゆえに、隠されたたった一つの真実を言葉よりも雄弁に語ってくれる。実際、彼女は医学の知識を総動員し、骨を見ただけで何度もその人の特徴をピタリと当てて見せている。そのため、ヒロインは事件の謎解きをしばしば骨に例える。彼女にとっては、論理=骨が繋がらないことで最大の嫌悪であり、それらが一本に繋がって形を成すことが最上の喜びなのだ。つまり、一種のパズル愛好家的な思考法であり、それが彼女を骨収集へと向かわせる大きな要因だろう。

・矛盾


 さて、ここまで読んできた方の頭の中には、おそらく一つの疑問が浮かんでいるのではないだろうか。それは「感情と論理の二面性」である。ヒロインは根っからの思考型の人間であり、人嫌いを公言している。それなのに、感情に支配された事件を論理的に解き明かすということを何度も行っている。しかし、そんな冷徹でドライな人間が、仮に人間観察が趣味であったとしても、コミュニケーションにおける複雑な感情の軋轢を正確に推理することができるだろうか。そこに矛盾を感じるのは、人として当然のことだろう。
 事実、この矛盾は劇中の様々な場面で見ることができる。主人公達ですら気付かなかった犯人や被害者の心理を言い当てたかと思うと、返す刀でそういった感情を「くだらない感傷だ」と切り捨てる。その一番分かり易い例が第三話で、老婆のセンチメンタルな行動を正確にトレースしたかと思うと、「朝日は脳の幸福ホルモンを分泌させる」と極めて科学主義に傾倒した発言を同時に行う。だが、人間の感情をそのように理解している人が、どうして心の問題を正確に処理できようか?
 この疑問については、二つの回答が得られるだろう。一つ目は「感情さえも論理のパーツの一つに過ぎない」という点だ。人間の心理など所詮は脳が生み出したデジタル情報に過ぎず、全て統計学的にパターン化できる。それゆえ、感情に彩られた行動さえも、謎解きの骨格に当てはめることができるという考えである。これは確かにその通りだろう。実際、そうやって事件を解決しているのだから。ただ、逆に言うと、本作で取り扱っているのは、その程度のデータベース参照で解決できる単純な事件ということになってしまい、それでは本末転倒、自分で自分の首を絞めるだけである。
 二つ目は、そういった「二律背反した自己矛盾こそがヒロインの魅力である」という点だ。彼女はかつて弟を亡くしており、実は人一倍、命の価値に敏感な女性である。しかし、自らの論理的嗜好を守るために、その感情を無意識の奥に隠しており、それが折りに触れて意識上に侵出しているからこそ、上記のような矛盾した行動を取っているという考えである。つまり、彼女は決して論理一辺倒の人間ではなく、内面は非常に複雑で、その曖昧さが彼女の人間的魅力を生んでいるのである。本作は、そんな彼女が主人公との出会いを通じて内なる感情に目覚めていく物語だと言える。それが本作を魅力ある作品に仕立てている一番の理由であろう。

・欠点


 以上、基本的に完成度の高い作品ではあるが、「だから、面白いか?」と問われると「うーん」と首を捻ってしまう。まず、本作の本質的な面白さは何かと言うと、それはもちろん対称的な主人公とヒロインの関係性だろう。それこそ、推理そっちのけで「二人の会話を聞いているだけで面白い」というレベルに達しないと、とてもじゃないが名作とは言い難い。しかし、その視点で言うと、主人公のキャラクターの弱さは致命的である。物語開始時点ですでにヒロインと出会ってから数年が経っているという設定なので、彼は生き物の骨にすっかり慣れてしまっており、死体を見ても特に動じることはない。だが、二人の関係性の面白さを強調するなら、彼は我々一般人と同じく骨に対してそれ相応の嫌悪感を示してくれないと困るのだ。また、ヒロインを論理の象徴とするなら、主人公は感情の象徴でなければならない。本能の赴くままに行動し、それをヒロインにたしなめられるぐらいでちょうどいいのに、上記の通り、ヒロインに論理と感情の両方を併せ持たせているため、主人公の存在が完全に宙に浮いてしまっている。第六話などは、主人公の同級生がメインを張る回だが、そちらの方がヒロインとの思考の違いが如実に表れていて面白い。それゆえ、もう少し設定を整理する必要があったのではないだろうか。
 ヒロインに関しても問題がある。本作のタイトルは『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』である。要は、ヒロインの櫻子さんの魅力が作品の全てと言っても過言ではないが、彼女が他作品のヒロインに真正面から対抗できるかというと正直厳しい。「骨を愛するミステリアスで妖艶な年上の美女」と、文字にしてみると盛り沢山だが、実際のところはそれほどミステリアスでも妖艶でもないただの変人である。もっと裏で何をしているか分からない、下手に障ると火傷する女性特有の「怖さ」を描き、それに純朴な主人公が翻弄される様を描いて初めて娯楽作品になるのではないだろうか。もっとも、深夜アニメ界隈では、そういった背中がぞくっとするようなファム・ファタール(魔性の女)の描写を苦手としているらしく、本ブログで取り上げている作品では、『ローゼンメイデン』の水銀燈や『有頂天家族』の弁天、『怪物王女』の姫、『ウィッチクラフトワークス』のウィークエンドぐらいしか思い浮かばない。逆に言うと、上手くやればその隙間に潜り込んで一大派閥を築けていただけに、本作の演出面での物足りなさが非常に残念である。

・総論


 小説原作アニメによくある「設定とストーリーは素晴らしいが、娯楽性を高める演出面に難がある」という作品である。下手すると、評判の悪いテレビドラマ版よりも劣っている部分があるのは何とも。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:03 |  ☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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