『僕だけがいない街』

推理ゲーム。

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僕だけがいない街とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2016年。三部けい著の漫画『僕だけがいない街』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は伊藤智彦。アニメーション制作はA-1 Pictures。同じ時間を繰り返す「リバイバル」能力を使って過去の誘拐事件を解決しようと奮闘する主人公を描いた悲劇回避型のSFミステリー。CVに職業声優ではない俳優を起用しているが、聞くに堪えないレベルで下手である。

・タイムパラドックス


 SFの世界において長年繰り返されている議題の一つが、タイムパラドックスについてである。すなわち、タイムマシンで過去に行って、そこで何らかの歴史に係るような影響を与えた時、現代は一体どうなってしまうのかである。個人的には大きく三つに分けられると考える。一つ目は、過去を変えると現在まで全て変わってしまうという物。最も一般的な考え方で、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がその代表作として挙げられる。この場合、作品の作り手は「親殺しのタイムパラドックス」などの多くの論理的矛盾と戦わなければならない。二つ目は、過去を変えても何らかの大きな力が働いて結局は同じ現在に辿り着いてしまうという物。映画『ターミネーター』がその代表で、絶望的な未来を救うために現在を改変しようと試みるが、紆余曲折を経て最終的には同じ絶望的な未来に繋がってしまう。つまり、「歴史を変えようとしたこと」それ自体が歴史の一部という考え方だ。この場合、「大きな力」の定義付けが一番困難な作業になるかもしれない。三つ目は、過去に行って歴史を変えた瞬間、パラレルワールドが発生するという物。漫画『ドラゴンボール』のトランクスが一番分かり易いだろう。歴史を変えるために過去へ行ったはいいが、結局、元の未来と新しい未来の二つの時間軸が生まれただけだった。この場合、タイムパラドックスを考慮しなくていいというメリットがあるが、時空の並列化という別のデメリットが生じてしまうため、一長一短である。
 さて、本作もそんなタイムトラベル物の一種であるが、そのスタンスは一つ目と二つ目の複合となっている。つまり、「基本的に歴史は変わらない。もし、大いなる力に逆らって歴史を変えようと思えば、多大な努力が必要になる」という物である。本作の主人公は、残酷な現実を変えるために自ら過去へ向かう。しかし、歴史はそう易々と変わらない。自分の思い通りの未来へ導くためには、複雑に絡まり合った糸をパズルのように一つずつ論理的に解いて行かなければならない。その一連の作業は極めてゲーム的である。ゲーム的というのは、要するにAというスイッチを押せば、Bというゲートが開いて、Cという乗り物が動き出すというように行動と結果が必ず結び付いていることだ。言い換えると、世界を単純化することで、能動的に歴史の改変に係れるようにしたのである。なるほど、本作が人気作品になった理由がよく分かる。

・リバイバル


 本作は殺人事件の犯人を推理するミステリーであるが、非常にSF色が強く、設定がそのままストーリーと直結しているため、簡潔に作品紹介を行うのはなかなか難しい。それゆえ、かなり回りくどい書き方になってしまうが容赦されたし。
 主人公は二十九歳の男性。北海道出身で、今は都内で一人暮らし。ヒーローになりたいという子供の頃からの夢を叶えるため、漫画家になったはいいが、自分の心と向き合うのが怖いという理由により傑作を生み出せず、今はピザ屋のバイトで生計を立てている。そんな彼はなぜか他にない一つの特殊能力を持っていた。それは人の生死に係るような大事件に遭遇すると、その記憶を持ったまま事件の発生地点まで時間が巻き戻るという物。かれはその力を「リバイバル」と呼んでいた。ある日、上京した主人公の母親が誘拐事件を目撃したことで犯人に殺されてしまう。発動するリバイバル能力。すると、主人公が辿り着いたのは十七年前の雪深い北海道だった。どうやら主人公の小学生時代と今回の事件が密接に関係しているらしい。そこで、主人公は事件の謎を解いて母親を助けるために、もう一度人生をやり直すのだった。
 何とも掴みどころのない不思議な能力である。まず、なぜ主人公だけがその能力を保持しているのかの説明が何もない。いつ頃に発現したのかも分からない。世界全体を作り直すほどの力なのだから、個人が後天的に手に入れるにはあまりにも強過ぎる。文字通り、神の如き能力であり、その時点で主人公は普通の人間ではない。確かに、ストーリー的には深く描写する必要のないことだが、「そういう物だから」と納得するしかないのはストレスが溜まる。また、リバイバル先で過去の改変に失敗すると、なぜか主人公は一度現在に戻される。その後、なぜか自分の意志で再びリバイバルを発生させる。その時、彼は何の根拠もなく「これが最後のリバイバルだ」と呟く。と、どう頑張っても論理的に説明しようのない都合の良さを発動させる。我々の大事な歴史をそう粗雑に扱ってもらっては堪らない。
 タイムパラドックス的に言うなら、リバイバルで助けられる人命は極めて主人公に近しい人物だけなのに、歴史自体を改変しても良いのかという問題が挙げられる。先に結論を書くと、リバイバルによって確かに主人公の母親は救われた。だが、その結果、歴史に様々な影響が発生している。もしかすると、生まれるはずの命が生まれなかったかもしれない。そうなると彼は間接的な「殺人」を犯したことになる。それは良いことなのか。いや、良いわけがない。どうやら、彼は神の申し子か、それとも聖人の生まれ変わりか、もしくは悪魔と取引したのだろう。それがSF的な解釈の仕方という奴である。

・欠点


 本作の最大の欠点、それはキャラクター造形が非常に「リアル」なことである。通常、この言い回しは褒め言葉として使われる。本ブログにおいても、キャラクターの言動に現実感が足りないと偉そうに批判することが多い。しかし、本作に限っては、そのリアルさが明らかにシナリオの足を引っ張るという逆転現象が発生している。
 何が問題かと言うと、神の如き能力を保持しているくせに、主人公が極めて「一般人」なのである。いや、同年代の人間と比べると、やや劣っていると言わざるを得ない。独身フリーターの売れない漫画家、いつまでも小さい頃の夢を追いかけているが、自分の心の闇を直視できないせいで、ろくな漫画が描けない。そのため、社会的にも精神的にも未熟で子供っぽい。彼の母親が非常に優秀な人間なので尚更そう見える。もちろん、それ自体は特に悪いことではない。別の作品ならリアルな心理描写だと絶賛されるだろう。しかし、本作の場合、主人公の言動が子供っぽいと、リバイバルして小学校時代へ戻った時に精神と肉体のギャップがほとんどないという致命的な欠陥が発生するのである。彼が誘拐事件を妨害するために取った行動は「孤立している子供と友達になって、誘拐を未然に防ぐ」だった。それが二十九歳の大人が選ぶ解決方法だろうか? そんな物は「経験豊富な大人」がやることではなく、「頭の良い子供」がやることだ。一時的に誘拐を阻止したところで、誘拐犯自体はその土地に残るのだから意味がないことぐらい分かる。もっと根本的な所にメスを入れないと事件は止まらないことも分かる。ちゃんとした大人なら、社会権力をフル活用して効率的に犯人を追い詰めるのではないだろうか。
 なぜ、このようなことになったのかと考えると、制作者が余計な色気を出してしまったせいだろう。何にかと言うと、「主人公の心の成長を描くこと」と「子供同士の友情を描くこと」に対してだ。この二つを本編と同時にやろうとして、一箇所に詰め込み過ぎた結果、ちぐはぐになってしまっている。分かり易く言うと、主人公が馬鹿過ぎてミステリーとしてはひどくつまらないのだ。ここはある程度のリアルさを犠牲にしてでも、もう少し主人公を賢くして、ヒーロー的な活躍をさせるべきではなかったか。それがエンターテインメントのあるべき形だろう。子供の物語を描くなら、わざわざタイムトラベル物にする必要は何もないのだから。

・解決


 第十話。ついに犯人が明らかになる。さすがに、ネタバレになるので詳細は明かさないが、劇中で最も怪しい人間が順当に犯人である。勘の良い人なら第二話か第三話辺りで気が付くはずだ。しかし、普通の一般人である主人公は、その正体に薄々と気付きながらも、当たり前のように犯人の返り討ちに遭う。計略にハマり、車ごと川に沈められる主人公。辛くも一命を取り留めたが、彼は意識不明の重体になり、再び目を覚ましたのは十五年後のことだった。何とも意表を突く展開だが、「子供の体に大人の心」という状態から「大人の体に子供の心」という状態へ逆転したと考えれば興味深い。ただ、アニメ版だとすぐに昔の記憶を取り戻してしまうが……。そして、覚醒したという話を聞きつけて見舞いへ訪れた犯人に、主人公がかつての仲間達と力を合わせて立ち向かうという流れになるのだが、正直、その方法が酷い。主人公が選んだのは、自ら屋上から飛び降りて犯人の目を覚ますというアクロバティックな物だった。もちろん、地面には仲間達が救助マットを敷いているのだが、そんな不確実で危険極まりない方法が本当に上手く行くのだろうか? 結局、犯人は別件の殺人未遂罪で逮捕されるのだが、殺人未遂程度なら実刑になるかは分からないため、このまま野放しになる可能性もある。かつての誘拐事件はすでに時効。これはちょっとお粗末な結末ではないだろうか。時代を超えた難事件の犯人を追い詰める方法としては力不足に思えるし、本作が最も訴えたい仲間との協力関係も弱い。ちなみに、この展開もアニメオリジナルである。
 もっとも、本作はミステリーの中でも、どちらかと言うとサイコサスペンス寄りなので、こういう結末でも許されるのかもしれない。トリックの奇抜さや予想を覆す深い謎よりも、登場人物の心理面の方に重点が置かれているからだ。犯人の目的、それは主人公と同じく自分自身の心の闇と向き合い、足りない何かを埋めることだった。そんな彼は、親子のような、魂の双子のような同質の心の持ち主である主人公と出会ったことで救われる。描写こそないが、きっと取り調べ中に全ての罪を自白したのだろう。一方、主人公も事件を通じて成長し、心理描写に定評のある売れっ子漫画家になる。こうやって並べて見るとよくできた成長物語に思えるが……やはり、どうしても全てにおいて優遇された主人公補正、もしくは主人公贔屓が気になる作品である。

・総論


 非常に優秀な推理ゲームをあまり優秀ではない人間が実況プレイして、その様子を画面越しに見ているかのような感覚。それを「リアリティがある」と判断するかどうかが評価の分かれ目になるのではないだろうか。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 12:18 |  ☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『男子高校生の日常』

ホモソーシャル。

公式サイト
男子高校生の日常 - Wikipedia
男子高校生の日常とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年。山内泰延著の漫画『男子高校生の日常』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は高松信司。アニメーション制作はサンライズ。普通の男子高校生達がダラダラとした日々を過ごす日常系ギャグアニメ。サンライズ制作ということで、冒頭で『機動戦士ガンダム』のパロディーを行っているが、その戦闘シーンの臨場感はどのガンダムシリーズのそれよりも素晴らしい。

・日常系アニメ


 本作のコンセプトを一言で説明すると「巷に溢れる日常系アニメの登場人物を男性に置き換えてみた実験的な男性向けアニメ」である。この短い一文の中だけで数多くの矛盾点を孕んでいるのが面白い。当たり前だが、かつての男性向けアニメの登場人物は全て男性が中心だった。視聴者は男性主人公に自分を重ね合わせ、未知なる世界を一緒に冒険する。女性が主人公の作品も少なくはないが、それはあくまで去勢された男性であって、既存作品の亜種でしかなかった。そのお約束を崩したのが、言わずと知れた『あずまんが大王 THE ANIMATION』である。作品世界から男性主人公と物語性を極端に排除し、限定された空間内でヒロイン達が慣れ合う姿だけを映像化し、人気を博した。以降、同種のコンセプトを持った『らき☆すた』や『けいおん!』などがヒットし、それらをまとめて「日常系アニメ」と呼ぶようになった。もっとも、そもそもの日常系アニメという単語の定義は、『灰羽連盟』や『ARIA The ANIMATION』のように異世界の理想郷で起こった何気ない日常を丹念に描くことで、現実世界の大切な物を再発見するという物だった。それがいつしか、安全な場所に引き篭もって誰にも邪魔されずに好きなことだけをやるという作品に変わっていったのは、とどのつまり、女性の可愛らしさ=萌えこそが平和と幸福の象徴であるという思想による物だろう。それ自体は間違っていないのだが、では、その日常は貴方の側にあるのかと聞かれると、答えに詰まってしまう。
 さて、本作はそういった日常系アニメの登場人物を男性に置き換えた物である。結局、元の男性中心アニメに戻ったわけだから、ただ単に先祖返りしただけなように思われるが、実際にはかなりの差異がある。まず、日常系アニメの最大の特徴は、主人公や物語性を排除した結果、登場人物を脅かす「敵がいない」ことである。外敵がいないということは、現実の野生生物同様、環境変化に合わせて進化する必要がないということであり、「成長」という要素が完全に省かれることになる。普通、ギャグアニメであろうと、年頃の男子が集まれば、将来の夢やら未来に対する不安という話になるが、本作にはその類の物は一切存在しない。特に悩みや苦しみもなく、延々と楽しい日々を過ごしている。その分、ギャグの質の向上に集中できるということだが、はっきり言って心に訴えかけるような物は何もない。
 なお、そのギャグだが、笑いのツボは人それぞれなので深い言及は避けるとして、登場人物が男性な分、他の日常系萌えアニメとは比べ物にならない完成度を誇る。通常では不快感を覚えるような下ネタやパロディーネタも、お馬鹿な男子高校生がやっていることなので、さらりと聞き流すことができる。ただし、ネタの質を重視するがあまり、各キャラクターの個性が非常に薄くなっているのは大きな欠点か。特に、主要キャラ三人がモブキャラ同然の書き分けしかできていないのは至極残念である。

・高校生


 本作のタイトルは『男子高校生の日常』である。『男子中学生の日常』でも『男子大学生の日常』でもない。それはつまり、ピンポイントで「男子高校生」のリアルな生態を描いているということであるが、それはなかなか難しい問題だ。事実、世の日常系アニメでは、可愛い女子高校生のゆるい日常と銘打ちながら、とてもじゃないがそうは見えない人々で溢れ返っている。男性が考える女性の可愛らしさを強調するため、全体的に登場人物の精神年齢が低く、下手すると幼稚園児レベルの「純真さ」を抱えていたりする。一方、本作はと言うと、これが予想以上に男子高校生らしい男子高校生を描けており、看板に偽りなしの作品となっている。
 まず、リアルな男子高校生の特徴として、中学生同様に己の力を過信し、ファンタジー妄想やら暴力への憧れやらに浸りがちな点が挙げられる。ただし、高校生が中学生と違うのは、義務教育を卒業して見識を広めたことで、それ相応の社会性を獲得していることである。そのため、そういった自分に都合の良い妄想を他人に知られることに対する「恥」という概念を持てるようになっている。また、社会性があることで他人の気持ちを汲み取れるようになり、いわゆる「空気が読む」ことが可能になって、相手を尊重した行動ができるようになる。その分、自己の欲求と社会の制約との間で板挟みになり、それによって生まれた葛藤が人を大人に成長させる。
 そういった男子高校生らしさを存分に生かしたネタが「男子高校生と文学少女」シリーズである。幻想文学好きでその手のファンタジックなシチュエーションに憧れている女子高生に対して、男子高校生の一人が成り行きでその妄想に付き合ってあげるという話だ。お互い、自分の行動の馬鹿馬鹿しさには気が付いているが、場の空気を読んで自分の本心を覆い隠す。しかし、そこに恥という概念が待っている。結果、心に動揺が発生し、それが話の面白さに繋がる。これが中学生の物語だと、ただ単に妄想と妄想がぶつかり合って爆発するだけの痛々しい話になるだろう。それはそれで面白いかもしれないが、そこに人間関係の心の機微は感じられまい。わびさびとまで言うと言い過ぎかもしれないが、性善説をベースにした人と人の微妙な心のすれ違いを楽しめるのは、高校生を主役に据えているからである。
 また、同種の自己と社会のギャップをネタにした傑作が、第九話の「男子高校生とパンツ」である。これはもう説明抜きで見てもらうのが一番だが、見事に世の深夜アニメのアンチテーゼになっている。このネタを面白いと思うかどうかが、高校生と中学生を分ける境界線になるだろう。

・女子高生


 基本的に、世の日常系アニメには男性キャラクターは登場しない。汚れのない楽園感を演出するため、クラスメイトはおろか家族でさえ存在が抹消されているのが常である。それを逆転アレンジした本作でも、基本的に女性キャラクターは出て来ない。ただし、それは「萌えアニメらしい可愛らしい女性は出て来ない」という意味である。画面に出てくる女性という女性は皆、お馬鹿であったり暴力的であったり下品であったりと、一般的に言う女性らしさはほとんど感じない。それどころか妹や姉といった特定の恋愛属性の対象になりそうな人物は、影で顔を隠して特定を避けている。つまり、徹底して「萌え」を排除しているのが本作の特徴である。言い換えると、リアリティを大事にしているということだが、なぜそのようなことをしているかと考えると、なかなか面白い結果が浮かび上がってくる。
 本来、男子高校生にとって、女性は未知の物であると同時に、どのような手段を使ってでも手に入れたい宝石のような代物である。表面上は無関心を装いながらも、心の中では是が非でも恋人を作りたいと思っている物だ。しかし、本作には恋人にしたくなるような素敵な女性は、極一部を除いて悉く登場しない。そのせいか、本作の男子高校生達は皆、恋愛に関してほぼ無頓着である。愛だの恋だのにうつつを抜かすより、気心の知れた男同士で遊んでいる方が何倍も楽しい。もう、この世界には醜い女性などいらない。いっそ、男性同士でいい。そういった異性を排除した男性同士の閉鎖的な強い連帯感のことを「ホモソーシャル」と呼ぶが、本作は極めてその空気感に満ちた作品である。俗に言う百合やBLは異性の制作者が異性の視聴者のために作った空想の産物だが、本作は同性の制作者が同性の視聴者のために作っているので、より本気度が高い。しかも、特定の主人公がいないということは主体がないということであり、視聴者は男でも女でもない謎の存在として、男しかいない楽園をふわふわと漂うことになる。
 このブログでも何度か指摘しているが、昨今、オタクのジェンダーが女性化しつつある。男性主人公がヒロインに護られる男性向けアニメや、女性主人公が男性に恋する男性向けアニメなどが平気で放送されている。その結果、二次元の世界であっても未知である女性を対象にするより、既知である男性の方が安心できるという境地にまで達しているのではないだろうか。本作はあくまで実験作であるが、将来的にそういった作品がスタンダード化しそうな状況を危惧する。

・総論


 日常系アニメを男性に置き換えた結果、ネタの面白さという点では飛躍的な進化を果たしたが、それと同時に言葉にならない気持ち悪さを抱えることになってしまった。それはつまり、日常系アニメが抱える本質的な気持ち悪さを炙り出したということであり、実験アニメとしては大成功と言える。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 15:33 |  ☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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