『落第騎士の英雄譚』

エディプス・コンプレックス。

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落第騎士の英雄譚 - Wikipedia
落第騎士の英雄譚とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年秋海空りく著のライトノベル『落第騎士の英雄譚』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は大沼心。アニメーション制作はSILVER LINK.Nexus。他人よりも著しく魔力の劣る高校生の魔導騎士が、努力を積み重ねて栄光を掴む学園ファンタジー。英雄譚と書いてキャバルリィと読む。模倣剣技と書いてブレイドスティールと読む。完全掌握と書いてパーフェクトビジョンと読む。一刀修羅と書いて……イットウシュラと読む。

・テーマ


 まずは、物語冒頭の主人公のモノローグを引用しよう。「人生は不平等だと考える人がいる。最初に与えられた物で行き着ける場所が決まってしまうからだと言う。天才と凡才、確かにそれは生まれた瞬間に決まる絶対的な序列だ。才能を持たない者は才能に恵まれた者に勝つことはできない。進みたい道も諦めるしかない。でも、本当にそうだろうか?」と、全てを怪しい日本語で語ってしまうのは少々アレだが、作品のテーマを初期の段階ではっきりと明示するのは決して悪くない。要は、才能と努力、どちらが優れているかの問題だ。ただし、才能のない者が努力して才能のある者を打ち倒すだけの物語では、面白くも何ともないし、話も広がらない。ここから一つの作品として昇華するには、設定にもう一捻りが必要になる。

 本作の舞台は、魂の力を武器に変えて戦う通称「伐刀者(ブレイザー)」と呼ばれる特殊な人々が存在する世界。男子高校生の主人公は、ブレイザーの名門一族「黒鉄家」の出身でありながら、生まれ付き魔力が劣っていたため、子供の頃から家内で迫害を受けていた。何とか魔導騎士を養成する学校には進学できたものの、黒鉄家の圧力により落第を示すFランクに認定され、卒業に必要な実践訓練を受けることすらできなかった。それでも、彼は弛まぬ努力によって魔力に頼らない剣術を磨き上げ、相手の攻撃を短時間で見抜いて我が物にする「模倣剣技」「完全掌握」の能力や、一日一回、一分間だけに力を凝縮する「一刀修羅」の能力を身に着ける。そして、その年、学園の理事長が交代したことにより、とうとう彼にもチャンスが巡ってくる。

 ご覧の通り、彼は決して才能がないわけではない。名家の出身であり、魔力に劣るとは言え、剣術家としては常人を遥かに超えており、むしろ恵まれた立場にいる。では、何を問題にしているかと言うと、「評価基準」である。そして、その評価基準は、世の権力者の匙加減一つで幾らでも左右されてしまうことを批判している。これは上手い。こういった「頑張っているのに評価されない」ケースは、職場や学校や家庭内など、実社会に幾らでも存在する。つまり、誰もが経験していることを題材にすることで、テーマがより身近に感じられるのである。さらに、本作は何でもかんでも数値化してランク付けしてしまうライトノベルの悪しき風習を利用することで、理不尽な社会を上手く演出している。逆に言うと、そういった悪習を皮肉っているわけだが、それがどこまで意図的かは分からない。

・ストーリー前半


 そんな主人公が、理事長の差し金で、ヨーロッパの小国の姫であるヒロインとルームメイトになったことから物語がスタートする。稀代の天才であるヒロインは、まさに主人公と正反対のキャラクターであり、彼女との決闘に勝利したことによって主人公は皆に認められ、学園の代表を決める大会への出場が可能になる。その大会の初めての公式戦、一見すると平静な主人公だったが、いざ戦いが始まると明らかに様子がおかしい。実は、彼は「卒業するためには一戦も負けられない」というプレッシャーに圧し潰されていたのだ。彼のふがいない戦いに「落第騎士(ワーストワン)」という蔑称を連呼して嘲笑する観客。それに対して、ヒロインは「私の大好きな騎士を馬鹿にするな!」と激高する。彼女の言葉を聞いた主人公は、自分を取り戻して形勢逆転し、無事に公式戦初勝利を挙げる。そして、試合後、ヒロインに愛の告白をする。

 本作は、単純な見た目だけなら他のチート主人公による超能力バトルアニメと何も変わりない。これと言う過程を描かないまま、神の如き強大な力を易々と使いこなす。ただ、本作には他作品と決定的に異なる点がある。それは力に制限を加えていることである。特に主人公が顕著だが、一日一回しか使えない一刀修羅の能力など、冷静に考えるとデメリットだらけの未完成の技である。主人公はそれを分かった上で、創意工夫を凝らして不完全な能力を使いこなしている。だからこそ、その技のキレはメンタルの状態に左右される。それはすなわち、人間の弱さや脆さを描いているということだ。完璧な人間などこの世に存在しない。己の弱さを知り、それを乗り越えた時、初めて人は本当の強さを手に入れることができる。その姿は何よりも美しい。本作は、決して完全無欠のヒーローではない落第騎士の主人公が、己の心の弱さと向き合う様を描くことによって、本当の人間のカッコ良さを表現している。

 もう一つの特筆すべき点は、基本的なギャグセンスの差である。本作は他のライトノベル原作アニメで多用されるパロディネタや下ネタをほとんど使わず、脚本と演出だけでちゃんと視聴者を笑わせている。その違いは大きい。なぜなら、世界観を大きく崩すことなく、シリアスとコミカルのバランスが取れるからだ。ライトノベル原作アニメに限らず、この重要性を理解していない作品が多過ぎる。本当に何とかして欲しい。

・ストーリー後半


 第五話以降は才能に関する問題も一旦保留され、ありがちな超能力バトルアニメになる。とは言え、序盤の貯金があり、キャラクターの内面もしっかりと描写されているため、常に一定のクオリティは保たれている。その間、幾つもの戦いを通じて、主人公は徐々に戦闘自体の楽しさに目覚めていく。それを心の成長と見るかは難しいところだが、少なくとも復讐のために戦うよりかは健全であろう。

 第十一話。黒鉄家の手の者によって、主人公とヒロインがキスしているところを写真に撮られてしまう。そして、国賓であるヒロインに粗相を働いたという理由で主人公は収監され、査問会にかけられる。……いや、この展開はどうなのか? 今までずっと理知的にストーリーを構築してきたのに、ここにきて急に幼稚になるのは頂けない。こういったストーリーにするなら、第一話からヒロインとの交際が禁断の愛であることを殊更に強調する必要があるのではないだろうか? それはともかく、厳しい監獄生活が続く中、主人公は自分の強さの源は「父に認められること」だと気付く。しかし、当の父親に「才能のない者が努力で勝利する前例ができてしまうと、社会の秩序が保てなくなる。だから、お前は何もするな」と突き放され、主人公は心を閉ざす。だが、ヒロインや妹、それに学内の友人達に励まされて主人公は立ち直り、大会最終戦の舞台に立つ。対戦相手は学内最強の生徒会長。そこで、主人公は一日分のエネルギーを一太刀に凝縮する「一刀羅刹」の必殺技を使って会長を倒し、学園の代表に選ばれる。

 最後の最後でロジックを放棄した感は否めないが、それでも本作は全体を通して一つの確固たるテーマに沿って作られている。それは、父親に対する愛憎の入り混じった複雑な感情、いわゆる「エディプス・コンプレックス」である。才能に関する問題など所詮は表面的な物に過ぎない。父親を憎みつつ、同時に父親に認められたいというアンビバレントな感情、そのループから脱却することが彼にとっての本当の成長である。もちろん、それは容易いことではない。多くの人と出会い、様々な苦難を乗り越え、最終的に「他人に認められるのは嬉しい」という気付きを得て、ようやく主人公は大人の階段を一段昇る。その時、彼を導くのがヒロインや妹であり、彼にとっての母親代わりの存在である。できれば、もう少し二人の役割を明確に分散すべきだったが、さすがにそこまで求めるのは酷か。定番のテンプレートを使って、ここまでテーマ性を高めただけでも大した物である。

・欠点


 このように、本作はライトノベル原作の超能力バトルアニメとしては、異例なほどの完成度の高さを誇る作品である。一つの大きなテーマが根底を支え、キャラクターの心理をしっかりと描写し、この手のアニメにありがちな不快な要素も少ない。ただし、当然のことながら、欠点も少なからず存在する。それこそ、評価基準をどこに置くかで、本作は良作にも駄作にも成り得る危険性を内包している。

 一番の欠点は、ヒロインが主人公に恋心を抱くタイミングがどう考えても早過ぎる点だ。第一話の時点でヒロインはすでにベタ惚れで、第四話の時点で早くも恋人同士になる。当然、ほのかな恋心に揺れる想いや大人の男女の恋愛の駆け引きといった物は何もなく、素直になれないヒロインのツンデレ行動が延々と繰り返されるだけである。せっかく「一国の王女とルームメイトになる」という特殊なシチュエーションを用意したのだから、年頃の男女が同居するドタバタコメディーや禁じられた愛の背徳感などをもっと丁寧に描くべきではないか。もし、この恋愛ストーリーが一つのジャンルとして成立していたら、エディプス・コンプレックスという縦軸に対する横軸ができて、さらに作品としての深みが増していただろう。

 もう一つの大きな欠点が、ストーリー構成である。全十二話中、第五話~第九話(原作の第二巻)は、ほとんど本編とは関係のないサブエピソード群だが、やはり尺的に長過ぎる。もう少し短縮した上で、終盤に登場する人物の出番を早めて伏線を形成すべきではないか。特に、最後に主人公が戦うことになるラスボス的存在の生徒会長は、第一話の段階で劇中に登場させておくべきだろう。また、エディプス・コンプレックスをテーマにするなら、主人公の最大のライバルとして父親の寵愛を受ける男性親族(兄や弟)も出した方がいい。なぜなら、両者の立場を比較することによって、より主人公の悲しみが強調されるからだ。つまり、映画『エデンの東』である。どうせ既存の漫画やゲームを参考にしてアニメを作るぐらいなら、こういった名作映画を積極的にパクって欲しい物である。

・総論


 全てのライトノベル原作アニメがこのレベルにあれば、誰にも文句は言われないのに。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:41 |  ☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『ワルキューレ ロマンツェ』

少女騎士物語。

公式サイト
ワルキューレロマンツェ 少女騎士物語 - Wikipedia
ワルキューレロマンツェとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。Ricotta原作の十八禁美少女ゲーム『ワルキューレロマンツェ 少女騎士物語』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は山本裕介。アニメーション制作はエイトビット。馬上槍試合に青春を燃やす少女達を描いた学園ドラマ。監督の山本裕介は『ケロロ軍曹』や『ヤマノススメ』で知られているが、本ブログ的には『N・H・Kにようこそ!』の監督と言った方が通りがいい。

・設定


 タイトルが良い。『ワルキューレ ロマンツェ』、本作の内容を表すのにこれ以上ないベストのネーミングだ。ワルキューレ(ヴァルキュリア、バルキリー)とは北欧神話における半神の戦乙女。主神オーディンに仕え、その命を受けて戦場で戦死した騎士を選別し、天界へと導く役割を担っている。彼女達は武芸に優れ、天魔を駆って華麗に戦場を舞う。本作は、そんな現代版のワルキューレ達が織り成すロマンツェ(ロマンス)を情感豊かに、且つエロチックに描いた作品である。
 本作の設定はかなり特殊である。舞台は、ヨーロッパのどこかに位置する架空の地方都市「ヘレンズヒル」。中世ヨーロッパの街並みを色濃く残したその古の都は、「ジョスト」と呼ばれる中世さながらの一対一の馬上槍試合が盛んで、ジョストを専門に教えるウィンフォード学園が街のシンボルになっていた。ジョストは基本的には貴族のスポーツだが、性別・身分・国籍などの制限がなく、そのため、世界中からジョストを学びに多くの留学生が集まっている。街には大きなジョスト専用の競技場があり、毎年、夏に学内ナンバー1を決める大会が開かれる、という世界観である。ジョストは実在のスポーツで、現在でも一部地域で細々と行われているが、あくまでマイナースポーツの域を出ず、本作のように華やかで格式のある世界的な伝統スポーツとして扱われている状況は違和感が大きい。もっと言うと、馬鹿馬鹿しい。だが、その馬鹿馬鹿しさを打ち消しているのが、作品全体を包み込む古き良きヨーロッパの光景を再現した美術やバロック調の音楽であり、そして、丁寧な演出である。十八禁美少女ゲーム(以下、エロゲー)原作という決して潤沢とは言えない予算規模のアニメでありながら、ここまで細部に拘った作品作りが行われていることは称賛に値する。
 また、ジョストというスポーツ自体が、非常にアニメ化に適した題材であることも功を奏している。アニメは基本的に多人数が乱雑に動き回るのを不得手としているが、ジョストは二人の人間が直線移動して交差するだけ、それでいて槍を突き合う瞬間はダイナミックと、まさにアニメになるために生まれたようなスポーツである。しかも、本作は贅沢にもその部分だけに3DCGを使用しており、得も言われぬ迫力がある。その結果、単純にスポーツアニメとして見ても、かなりのクォリティを保っている。

・ストーリー


 本作の主人公は、ジョストの騎士になるためにウィンフォード学園に留学した日本人の少年。優れた素質を持ち、学園でも一・ニを争うほどの腕前を誇っていたが、不慮の事故により足を負傷し、それ以来、ジョストから一定の距離を取っていた。今は従姉の経営する喫茶店でアルバイトをしながら、ジョスト用の騎馬の世話をしている。実は、ケガはとっくの昔に完治しており、足の痛みは事故の恐怖心から来る精神的な物だった。それゆえ、本心では騎士に戻りたいとは思いつつも、その勇気が出ず、ずっと同じ場所に立ち止まっていた。
 一方、メインヒロインも主人公と同じく日本からの留学生。ただし、ジョストとは無関係の普通科の生徒である。彼女はかつて騎士だった頃の主人公の雄姿に惚れ込み、彼がジョストから離れた今でも何かと世話を焼き続けている。そんなある日のこと、貴族のお嬢様のプライドを傷付けてしまったことにより、彼女からジョストでの決闘を申し込まれる。ジョスト未経験者であるヒロインは突然の申し出に戸惑うが、練習試合という形で生徒会にも承諾されてしまう。そこで、主人公はヒロインを補佐する「ベグライター」(ボクシングで言うセコンドのような役割)になり、彼女を騎士として徹底的に鍛え上げる。最初は失敗ばかりしていたヒロインも、徐々に内に秘めたるジョストの才能を発揮し、皆が驚く急成長を遂げる。
 ご覧の通り、本作のストーリーは極めて王道である。それも『エースをねらえ!』や『アタックNo.1』といった昔懐かしの「スポ根ドラマ」をかなり意図的に踏襲している。素人のヒロインがひょんなことからハードな肉弾系スポーツに挑戦することになり、意中の男性がコーチ役になってしごき上げる。ライバルは気位の高いお嬢様。何の取り柄もないと思われたヒロインが、実は人並み外れた動体視力の持ち主だったといった展開もお約束だ。さすがに、コート上で涙を流したり、物語の途中で重要人物が死んだりはしないが、ベースにあるのは苦しみからの解放が歓喜を呼ぶ浪花節である。最終的に、ヒロインは主人公のアドバイスによって辛くもお嬢様に勝利し、ジョストの面白さに目覚めたことで、これからも競技を続けて夏の大会にエントリーすることを誓う。ここまでわずか四話。この後、本作はギャグ寄りのサブエピソードに突入するのだが、それを可能にしているのもこの濃密な導入部があればこそである。

・ハーレム


 上記の通り、本作の基本になっているのはスポ根ドラマだが、全体的なジャンルは萌えアニメらしい「女子高生に何かをやらせてみた」シリーズである。馬上槍試合などという男性の象徴のようなスポーツをあえて可憐な美少女にやらせてみて、そのギャップを楽しむのが最大の目的だ。男女の役割が逆転しているため、男性はベグライターとして戦う女性を補佐する役割に徹する。この点だけを見ると、ジェンダーフリーを謳った女性解放ドラマのような様相だが、もちろん、そのような高尚なテーマは一切なく、ただ男性主人公が物臭になって高みの見物を決めているだけだ。事実、本作には五人のヒロインが登場するのだが、全員が主人公をベグライターに指名して女同士で奪い合うというハーレム展開になる。女性の自立を描いているように見せて、実は男性の掌の上で踊っているだけという歪んだ愛情が如何にも深夜アニメらしい。
 ただ、本作には他のハーレムアニメと決定的に異なる点が一つある。それは、主人公がヒロイン達のベグライターになることを「断る」ことである。いろいろなハプニングが重なって明確に態度で表せてはいないが、その思考は最初から最後まで一貫して変わらない。理由は二つ。一つ目は、主人公には馬の世話という現実的な仕事があったから。二つ目は、主人公自身がジョストの騎士に未練があったから。彼は、過去に負ったケガを理由に「期待を裏切りたくないから。期待に応える自信がない」と言って本心から逃げ続けていた。だが、慣れないジョストに一生懸命取り組んでいるメインヒロインの姿を見て考えを改め、自分も密かにジョストの練習を始める。それはつまり主人公の心の成長を示す。言い換えると、男尊女卑的なハーレムを否定することで、一人の人間として大きくなるということだ。こんなハーレムアニメは未だかつて見たことがない。
 夏の大会では、主人公は一試合限定でメインヒロインのベグライターになり、大会後は騎士に戻ることを宣言する。それに対して、ヒロインは「騎士に戻るって聞いて、私、とっても嬉しいよ」と告げる。これもまたハーレムアニメのお約束を完全に無視した展開だ。他のアニメだと、最後まで騎士とベグライターという男女の関係は変わらないだろう。どちらが良いか悪いかはあえて言及しないが、本作が非常に特殊な作品であることは理解して頂けるはずだ。

・王道


 突然だが、エロゲー原作アニメの最大のメリットは何だろうか。個性的なヒロイン? エロチックなシーン? いや、そうではない。答えは「各キャラクターの背景がしっかりしている」ことである。なぜなら、エロゲーにはヒロインそれぞれに個別シナリオが存在し、それゆえ、各キャラクターの設定が他作品の主人公並みに充実しているからだ。エロゲー原作アニメは、そういった深みのあるヒロインが一堂に会して一つの作品を構成しているわけで、まるでオールスターゲームである。本来なら、そこらのオリジナル作品に負けない物が出来上がるはずなのだが、そうなっていないのは素人には及びも付かない何らかの事情があるのだろう。
 さて、本作において、そのメリットが最大限に活かされているのが、第十話以降のストーリーである。そこでは、学内ナンバー1を決める夏の大会が三話もかけて丹念に描かれている。他のアニメだと一話程度で終わってしまいそうな分量だが、それが三話も続くということは、それだけ各キャラクターの背景がしっかりしているということだ。例えば、ノエルというキャラクターがいる。彼女の家はジョストの名門だったが、彼女の妹がジョストの事故の後遺症で原因不明の半身不随になってしまい、その結果、父親はジョストを強く憎んでいた。彼女が夏の大会に出場したのは、ジョストの面白さを父に再認識させて、親子の絆を取り戻したかったから。本作は王道路線なので、当然、ノエルの試合を観戦した妹が思わず立ち上がり、その光景に感動した父親が改心するという流れになるのだが、一介のサブヒロインでこのボリュームである。こういったヒロインが五人ないし六人もいて、一つの優勝旗を目指して競い合うのだから、その奥深さが理解できよう。
 以上が本作の解説になる。確かに、あからさまな性描写の数々は見る人を選ぶし、中盤は無駄なエピソードが多過ぎて中だるみする。それでも、第十話以降の展開の熱さは圧巻である。様々な人の想いが一つに集まり、夏の大会を通して一気に花開く。基本的に悪人が一人もいないので、視聴後感が非常に爽やかで気持ちいい。もちろん、原作自体の出来の良さも無視できないが、それをアレンジして一つの作品に作り上げたアニメ版の制作スタッフ、特に監督の力量が非常によく分かる良作である。

・総論


 毎度のことながら、物語のセオリー通りに作ることによって成功した作品。逆に言うと、それだけ定石を外して失敗するアニメが多いということだが……。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:28 |  ☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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