『ブラック・ブレット』

ダイジェスト。

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ブラック・ブレットとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2014年。神崎紫電著のライトノベル『ブラック・ブレット』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は小島正幸。アニメーション制作はキネマシトラス、オレンジ。謎の怪物の襲撃を受けた近未来の日本を舞台に、呪われし運命を背負った少年少女が戦うアクションファンタジー。bullet(弾丸)の読み方についてだが、よりネイティブに近い発音は「ブリット」になる。よく日本で使われる「バレット」は基本的には正しくない。

・設定


 う、うーん……。いや、やりたいことは分かるし、やっていることも決して間違っていない。キャラクターデザインもいいし、作画も丁寧で、演出も悪くない。好きか嫌いかで言うと、かなり好きな部類のアニメではある。ただ、非常に残念なことだが……出来は悪い。
 設定は甘い。もっとも、それは説明不足・描写不足が主たる原因なので、破綻はしていない。十年前、「ガストレア」と呼ばれる虫型の怪物が突然大挙して現れ、東京の街は壊滅的な被害を受けた。人々はガストレアの嫌う「バラニウム」という黒い鉱石で街を覆うことによって、何とか生き長らえた。十年後、一応の平穏を取り戻した東京では「呪われた子供たち」と呼ばれる十歳以下の少女が社会問題になっていた。彼らは生まれながらにしてガストレアウイルスに感染し、人間離れした驚異的な身体能力を持っている。そこで、呪われた子供たちを対ガストレア用の生体兵器として利用する「民間警備会社」が生まれ、金儲けのために怪物の鎮圧に当たっていた。主人公は小さな民間警備会社に所属する男子高校生。彼は十年前、大けがを負ったことで人体実験の被験者になり、体の半分をサイボーグ化していた。本作はそんな主人公と相棒の呪われた子供が東京の街を救うために戦う物語である。
 未知の怪物に襲われたことでパラレルワールド化した日本を舞台にした作品は、深夜アニメ界隈では定番ネタである。それらに共通して見られる問題は、このような異常事態にも係わらず「都市生活が正常に機能している」ことである。本作も、周囲を怪物に取り囲まれて隔絶された状況なのに、なぜかインフラも経済も滞りなく、まるで我々の世界の延長線上にあるかのように平和にのんびりと暮らしている。これは間違いなく大きな設定上のミスである。ただし、本作はある一点を殊更に強調することによって、そのミスを覆い隠すことに成功している。それが「呪われた子供たちに対する差別」である。敵であるガストレアのウイルスを宿した子供達を市井の人々が忌み嫌い、激しい憎悪と暴力を間接的・直接的にぶつける様子を、包み隠さず執拗なまでに描いている。平和そうなのは見た目だけで、実際は常に死の恐怖に怯えている。そういった人間の持つ光と闇の二面性を描くことで、世界が抱えている潜在的な恐怖心と異常性を演出している。これは上手い。この点に関しては、本作は他のアニメと一線を画しており、素直に称賛されるべきである。

・高速展開


 では、本作の何が問題かと言うと、それは異様なまでに「展開が早い」ことである。いや、早いというレベルではない。高速である。ウサイン・ボルトである。
 例えば、第一話。怪物退治に出かけた主人公は、事件現場で仮面を付けた謎の人物と出会う。彼は世界に混乱をもたらそうとしている凶悪なテロリストだった。さて、このシーンが第一話の後半や第二話で描かれたのなら何も問題ない。ところが、本作はそれを第一話冒頭の最初のシーンでやるのである。その時点では、まだ視聴者は民間警備会社の役割や仕事が何も分かっていない状態なのだから、まずは日常業務を見せて、彼らがどういった生業の人間なのかを示さなければならない。だが、本作は最初の仕事と同時にラスボスまでも出してしまうため、何が何だか分からないまま話が進む。その後も怒涛のように展開が押し寄せ、次々と新しい人物が登場しては、新しい事実が明らかになる。仮面の男は自分の足で主人公達の前に現れて、自分の口で自己紹介をする。主人公とヒロインが一緒に暮らし始めた頃の思い出話という、主人公の思想の根幹を成し、本来なら独立した回にすべき重要エピソードも、十秒ほどの短い回想シーンで処理してしまう。この一ヶ月一万円生活のような無駄の無さは、別の意味で芸術的だ。もっとも、他の三流アニメだとそもそも描かれなかったりするので、あるだけましなのだが……。そして、ドーピングを使って仮面の男を倒し、続けて現れた怪物も倒し、ついでに黒幕も倒したことで、第一部はたったの四話で終了してしまう。最低でも六話、できれば1クールかけてじっくりと描きたいところだ。
 なぜ、このような残念な事態になってしまったのか。詳細は分からないので推測に頼ることになるが、おそらくアニメ化に当たって1クール分しか放送枠を確保できず、続編の制作も見込めないため、無理やりにでも全十三話でストーリーを収めようとした結果の高速展開なのだろう。つまり、制作ではなく製作の判断の問題である。ただ、第一部だけをアニメ化することや、ストーリーを改変して尺を上手く調整することもできたはずで、その判断には疑問符を付けざるを得ない。実際問題、短い時間に多くの物を詰め込んだせいで、作品としての完成度が著しく低下したのは紛れもない事実なのだから。ただ単に原作小説を宣伝するためのアニメ化か、それともアニメ文化の発展に少しでも貢献する気持ちがあるのか、今一度原点に立ち返ってその点を見つめ直して欲しい。

・主人公


 こういった外的要因によってダメになってしまった作品の粗探しをしても仕方ないので、できる限り良い点を褒めることにしよう。では、本作の良点は何かと言うと、やはり、それは「主人公」になるだろう。
 本作の主人公は、基本的には他のライトノベル原作アニメと同様で、普段はぼんやりとしているが、いざという場面になると急に人が変わったようにヒーロー的な活躍をし、ヒロインが理不尽な扱いを受けるとすぐにキレて、誰彼構わず熱い啖呵を切るタイプの人間である。ただ、彼が他の主人公と違うのは、人体実験の材料にされて人ならざる体になってしまったという重い過去を持っていることや、人々から差別を受ける呪われた子供たちと一緒に暮らしていることで、世の中の不正を人一倍憎む心を有している点である。そして、その思想は最初から最後まで一貫して変わらない。常に弱き者の側に寄り添い、強き者に立ち向かう。他のアニメにありがちな、何の苦労も何の努力もしていないのに、なぜか世の中全てが分かった振りをして、上から目線で他人に説教するような人間ではない。つまり、地に足が着いているということだ。だからこそ、彼の発言には説得力があり、己の理想を実現するために体を張って突き進む背中を素直に応援することができる。確かに、それは子供じみた暑苦しい正義感かもしれないが、いい歳した大人が必死になって否定するようなことでもない。特に、本作は中高生をメインターゲットにしているため、こういった主人公こそが相応しい。
 また、主人公は超人的な能力を持っているが、決して無敵という訳ではない。敵はそれ以上に強力なため、劇中ではむしろ敗北を喫することの方が多い。あれだけ大口を叩いておいて呆気なく敗れるのだから、その姿は明らかに「かっこ悪い」。だが、本作の主人公はどんなに無様にやられても決して諦めず、ボロボロになりながら何度も立ち上がって敵に戦いを挑む。その姿は間違いなく「かっこいい」。『聖剣使いの禁呪詠唱』の項目と見比べてもらうとよく分かると思うが、本当のかっこ良さを描くためにはある程度のかっこ悪さを同時に描かないといけないのだ。全く痛みを知らず、すました顔で敵を惨殺するような人間はただの兵器である。兵器に自分自身を投影できるほど人間は愚かではないし、そんな作品が世間に受け入れられることはない。

・ダイジェスト


 第五話からは第二部が始まり、激動の第一部に比べると本作はやや落ち着きを見せる。だが、それでも一般の作品と比べると全体的なテンポは早い。その理由の一つとして、本作に登場する人物が皆、その場の状況を把握する「理解」と事件の真相を言い当てる「推理」と今後の目標を定める「決断」が異様に早いことが挙げられる。これらが遅いとただの頭の悪いアニメになってしまうが、だからと言って早過ぎるのも考え物だ。あまりにもサクサクと話が進むため、まるで超能力者しか住んでいない世界に迷い込んだかのような錯覚に襲われる。
 第八話以降の第三部もその流れを引き継ぎつつ、最終話へ向けて加速度的にスピードを上げていく。特に、最終話は目に見えて放送の尺が足らず、激安タイムセールのような詰め込みっぷりを披露する。紛失したバッテリーの伏線はあっさりと消化され、せっかく集めた八人の仲間は活躍の場すらない。あっと言う間に命懸けの決断をし、あっと言う間に最強の敵は倒される。それで終わりかと思ったら、突然場面が切り替わり、民間警備会社の女社長と実は事件の黒幕だった彼女の兄との対決シーンが描かれる。すると、なぜか二人で決闘をすることになり、それに勝利した社長が闇落ちしたところでいきなりストーリーが終了する。意味が分からない。はっきり言って、この対決シーンには物語的な必要性をほとんど感じない。この分の尺を使えば最終決戦をもう少し盛り上げることができたはずだ。ただ、原作通りにストーリーを進めようと思うと、社長の闇落ちは必須になる。この辺りのジレンマが歯痒い。どうせ続編などあり得ないのだから、ばっさりとカットしてしまっても構わないと思うのだが。
 このように、本作は製作の都合によって、まるでダイジェストムービーのようになってしまった不幸な作品である。ただ、内容自体はちゃんと地に足が着いた熱い青春物であり、中高生向けアニメとして十分なクオリティを保っている。こういった作品をどう評価すればいいのか判断に迷う。本来あったであろう形に戻せば間違いなく高評価なのだが、そんな物はこの世のどこにもない。そもそも、ダイジェストムービーを批評する文化などあり得るのか? ゆえに、深夜アニメ業界の特殊性とそれを取り扱うことの難しさを強く実感する。

・総論


 個人的には好きな作品。こういう物だと割り切れば、面白い。

星:☆(1個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:59 |   |   |   |  page top ↑

『ゆゆ式』

幼稚園。

公式サイト
ゆゆ式 - Wikipedia
ゆゆ式とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。三上小又著の四コマ漫画『ゆゆ式』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督はかおり。アニメーション制作はキネマシトラス。情報処理部に所属する女子高生三人組が、まったりゆったりとした日々を過ごす日常系アニメ。高校の部活を舞台にした日常系アニメでありながら、入学式以外の学校行事が全く描かれないという大きな特徴を持つ。

・第一話


 彼女達は仲良し三人組。同じ高校に入学して、同じクラスに配属される。三人は何をするにもいつも一緒。登下校も一緒、学校でも一緒。そんな春の日のこと、彼女達は部員0の謎の部活「情報処理部」を発見して入部する。そこで三人は毎日楽しい放課後を過ごすのだった、と本作は他の日常系アニメと似たような展開でスタートする。だが、その光景に他のアニメではあまり感じない非常に大きな違和感を覚える。それは何だろうかと考えると、三人組はこの第一話で、担任教師以外の学内の人間とは誰一人として口を聞いていないという事実に気付く。
 日常系アニメの特徴は、とにかく内に内に閉じ籠もることである。気心の知れた仲間以外を極端に排除して、誰も邪魔しない安全な場所で自由気ままに過ごす。その中でも、本作の非社会性は完全に突き抜けている。何をするにしても三人で行動し、周囲の人間は視界にすら入らない。高校に進学して環境が変化したのに、中学時代とやっていることが全く同じ。そして、最終的には三畳ほどの狭い情報処理部室にひき籠もる。そこから感じられるのは、楽しさでも自由さでもなく「寂しさ」である。三人だけで過ごす楽しみは否定しないが、クラスメイトや先輩後輩と交流することによって新たな楽しみを発見する可能性もあるはずだ。なのに、自ら社会生活を拒絶してシェルターに閉じ籠もっている姿はかなり痛々しい。しかも、そのことに対して「こういう時間が大切な時間」と自己弁護する様がさらに痛々しい。日常系アニメの始祖である『あずまんが大王 THE ANIMATION』や『苺ましまろ』などと見比べてみると、本作の社会性のなさと寂寥感は際立っている。
 それに加えて、本作は俗に言う「百合」的な要素がプラスされている。明確な恋愛感情こそないが、同性同士で好きだの可愛いだのを言い合う萌えの一ジャンル。ただ、本作の場合は、完全に自己完結した三人組でそれをやるのだから、とんでもなく内向的である。それはいわゆる「ホモソーシャル」という奴で、潜在的な欲求不満を同性の仲間内で充足し合う関係なのだろう。もっと言うなら、自己という概念が消失し、無意識を共有化した三位一体のような、三人で一人のような状態になっているに違いない。高校時代はそれでもいいかもしれないが、将来、彼らが卒業して別々の進路を選んだ時にどうなるか、大変興味深い。

・相川さん


 本作は典型的な量産型日常系アニメだが、他の作品ではあまり見かけないタイプのキャラクターが二人登場する。その内の一人が次に紹介する「相川さん」である。
 彼女は三人組のクラスの委員長である。別の友人グループに所属しているため、基本的に両者の間に交流はない。だが、彼女は三人組の一人に憧れを抱き、何とか彼女達とお友達になろうと接近する。最初はギクシャクして変人扱いされていたが、最終的には仲良くなって部室にも出入りするようになる、といった一風変わったキャラクターである。が、はっきり言うと、あまり必要性を感じない。キャラも弱いし、彼女の力でギャグが盛り上がることもない。それどころか、彼女がいることで別グループとの間に無駄な軋轢が生じ、本作のテーマであるまったりゆったり感が失われてしまう。では、なぜ、そんな十字架を背負ってまで、わざわざ劇中に登場しなければならないのか。一つは当然、視聴者の分身としての役割だ。元々、日常系アニメに主人公は存在しない。いるのはヒロインだけ。本来の主人公は、透明な存在となってヒロインの近くを彷徨い、彼女達の日常を温かく見守っている。その役割を改めて可視化したのが、相川さんという存在なのだろう。ヒロインを可愛いと感じて恋に落ちるという当たり前の感情。人が人を好きになる喜び。そこに作者の葛藤が見て取れる。時流に流されて日常系の作品を作ってしまったが、本当にやりたいのは真っ当な恋愛ドラマなのだ。その想いが相川さんという無駄な存在を作り上げてしまったのだろう。
 そして、もう一つ、こちらが重要なのだが、三人組を殊更に持ち上げてヨイショする太鼓持ちとしての役割だ。相川さんは惚れた弱みで三人組を褒めまくる。「凄い」だの「面白い」だの。しかし、冷静に考えると、彼女達は毎日狭い部室でブラブラしているだけなので、大して凄くもないし面白くもない。おしゃべりと間食が大好きな極めて平凡な女子高生である。しかし、物語の主役である以上、何らかの特殊性を持たせないといけない。普通は、部活動で頑張って何らかのコンクールで賞を獲るという方向へ向かう物だが、そんな面倒臭いことはやっていられない。すると、一番手っ取り早い手段が、適当な第三者に褒めてもらうということになる。それはどうなのか。今更、その善し悪しを問おうとも思わないが、画的な不自然さだけは誤魔化せる物ではない。

・お母さん


 もう一人が「お母さん」である。お母さんと言っても誰かの母親ではなく、三人組のクラス担任&部活顧問を務める女教師の愛称である。おっとりした性格かつふくよかな容姿で、まさに母親のイメージからそのような変わったニックネームが付けられている。それだけならまだ分からないでもないが、本作の奇妙なところは、三人組が彼女のことをまるで本当の母親のように慕っていることである。実際、彼女達は所構わずお母さんにベタベタと甘えまくり、プライベートな質問を連発する。可愛い女子高生だから何をやっても許されるという範囲を超え、かなり気持ちの悪い光景だ。彼女達はどれだけ家族の愛情に飢えているのかと心配になる。
 別に母親がいないわけではない。三人とも両親は健在だ。ただ、この手のアニメのセオリーに従って、両親の存在は画面から抹消されている。なぜなら、子供が自由気ままに生きるためには、親が最も不要な存在だからだ。だが、本作では教師にその代わりを務めさせて、母親だけが物語に舞い戻ってくる。それは一体どういうことだろうか。素直に母親を出せば済む話なのに、なぜそのような回りくどい方法を取るのだろうか。
 一つ考えられるのは、「部室の庇護者」という意味合いである。情報処理部室は誰にも邪魔されない安全な場所であるが、それでも外部からの侵入者が来ないとも限らない。生徒会が部活動の実態調査に来るかもしれないし、他のクラブが部室の所有権を賭けて殴り込みに来るかもしれない。例えば、同ジャンルのアニメ『ゆるゆり』では、二度ほど部活動の危機が訪れている。そのいずれも特に問題になることなくいつの間にか解決していたが、それすらも嫌だということなのだろう。そのため、部室を外敵から守ってくれる絶対的な保護者を必要とした。それがお母さんなのである。彼女はその名の通り、母親のように優しく三人組を守ってくれる。母親の庇護の下、ぬくぬくと育つ子供達。言わば、部室は母親の胎内と同じということだ。今や、そこまで幼児化しているのである。誰が? もちろん、日常系アニメのヒロインとこの手の作品を好む視聴者である。別に、全てのアニメがそうとは言わないが、こういった作品が平気で放送されているという事実は無視できない物があるだろう。

・情報処理部


 では、三人組が所属している情報処理部とは、一体何をする部活なのだろうか。一言で言うと、気になったテーマをインターネットで検索して、その結果について語り合うというただそれだけの部活である。本当にそれだけである。しかも、その検索対象がフリー百科事典のWikipediaだったりする。何だそれは。世の日常系アニメには、活動内容が不明な謎の部活が数多く登場するが、ここまで酷い物はあまり見かけない。今時、小学校の授業でも、いや、幼稚園でもやっていることだろう。これを大真面目に部活動と言い張る様は、呆れを通り越して哀しみすら覚える。ただの無職を自宅警備員と言い換えるようなレベルの話である。
 このように、本作は平和が売りの日常系アニメの中でも、ずば抜けて「何も起こらない」アニメである。最初から最後まで同じ三人組による取り留めのないおしゃべりが延々と繰り返される。物語も中身も何もない。ただ、決して争い事が一切起こらない極楽浄土を舞台にしている訳ではない。意外と騒動のタネはあちこちに撒かれている。それは、上記のような別の友人グループとのいざこざであったり、三人組内での確執であったりする。と言うのも、この三人組、実は二人が幼馴染同士でもう一人が後から遅れて加わったという2+1のグループなのである。そのため、二人の思い出話にもう一人が嫉妬するという危険なシチュエーションが何度も訪れる。だが、彼女はその感情を決して表に出さない。気付いているのか気付いていないのか、我慢しているのか無頓着なのか、そのどちらとも取れるようなギリギリのラインで踏み止まっている。第三者に彼女の本心を探ることは不可能だ。よって、本作には常に妙な緊張感が漂っている。平凡な日常を守りたいという想いと壊してしまいたいという想いのせめぎ合い。今は平和が勝っているが、いつそれが崩れるか分からない、そんな緊張感。あぁ、平和を守ることはこんなに大変なんだなと別の意味で勉強になる一作である。

・総論


 見た目はただの日常系アニメだが、その底に言い知れぬ不気味さを抱えている。何と言うか、いろいろ大丈夫か? これ。

星:☆(1個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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