『ガッチャマン クラウズ』

曖昧。

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ガッチャマンクラウズとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年夏。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話。監督は中村健治。アニメーション制作はタツノコプロ。正義のヒーロー「ガッチャマン」が地球を守るために宇宙人と戦うSFアクション。1972年放送のテレビアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』の外伝的位置付けだが、設定やストーリーに一切の繋がりはない。最終回は、放送版とディレクターズカット版の二種類が存在するが、ここでは放送版を取り上げる。

・テーマ


 非常に複雑な物語構造をしている作品なので、先に全体的な構成を記述する。ガッチャマンと呼ばれる変身ヒーローがいる。彼らはある高次の存在から力を与えられ、悪しき宇宙人から地球を守るために日夜戦っている。その存在は秘匿されているため、一般人には知られておらず、都市伝説のような扱いになっている。だが、その考えに異を唱える者がいた。ある十八歳の青年、彼は「全人類がヒーローである」という思想に基づいて、SNS「GALAX」を開発する。そのSNSは「総裁X」と呼ばれるAIの導きにより、お互いがお互いを助け合う共助社会を実現させることを目的としていた。実際、そのSNSが普及したことで人々は助け合いの精神を深め、今やSNSは行政よりも信頼されるメディアになっていた。だが、その成功には裏があった。彼は、ベルク・カッツェという悪質な宇宙人から「CROWDS」という力を授かり、その力を使ってSNSを開発したのだった。ベルク・カッツェの喜びは他人の不幸を見ること、目的は秩序を崩壊させること。彼はなぜかネットスラングを多用し、他人に成りすます特技を持つ。彼の存在は、明らかに匿名掲示板などで暴れている悪質ネットユーザーの暗喩である。すなわち、匿名ヒーロー・SNS・悪質ネットユーザーの三すくみの関係が本作の基本構造になっている。

 本作のテーマは「ヒーローは本当に正義の味方なのか?」である。正義と悪の概念は、個人や社会の価値観でいくらでも変化する。それなのに、一人の超人的なスーパーヒーローが勝手にそれを決めてしまってもいいのだろうか? その疑問に答えるために、ベルク・カッツェという秩序を破壊する悪役を登場させ、人間の本当の姿を暴かせようと……要するに、映画『ダークナイト』である。世の中にごまんとある『ダークナイト』の評論を読めば、本作の九割は説明できるだろう。だが、あれはかつて「世界の警察」を自称していたアメリカ合衆国が、911を経てスーパーヒーローの語る一方的な正義に疑問を覚えたから成立しているのであって、元々、等身大のヒーローであるガッチャマンで同じことができるかと言うと正直厳しい。そもそも、本作のガッチャマンは、原作とは似ても似つかない別人である。ただ、ヒーローのアンチテーゼ的役割としてSNSを取り上げているのは面白い。確かに、SNSは個人が情報を発信し、それを短期間で他者と共有できるメディアである。その多くは実名であり、匿名ヒーローと対になっている。もちろん、SNSならでは問題点も多いのだが、それも含めて2013年という早い時期に映像化したことは、非常に意義のあることだと思われる。

・主人公


 本作の主人公は十六歳の女子高生。天真爛漫な性格で嘘や隠し事を嫌い、常に自分に正直に生きている。根っからの博愛主義者であり、暴力での解決を良しとしない。文房具に対して並々ならぬ愛情を注ぐ文房具フェチの側面も持つ。そんな彼女が、ガッチャマンの一員に選ばれたところから本作がスタートする。

 彼女の存在を一言で表すと「中立」である。一応はガッチャマンのメンバーであるが、全くその枠に収まらない。柔軟な発想で古くからの悪しき因習を全て否定し作り変える。敵であるSNS側に対しても理解を寄せ、両者の仲を取り持とうとする。それどころか、全ての元凶であるベルク・カッツェとさえコミュニケーションを取ろうとする。そんな彼女は、本作におけるトリックスター的役割であり、人々の間を自由に動き回ることで話を回している。ただ、中立という言葉は「どっち付かず」と言い換えることができる。そのため、彼女の言動には矛盾する点が多く見られる。例えば、彼女はSNSのヘビーユーザーである。普通、アナログな文房具とデジタルなスマホは相反する存在だ。その時点で矛盾しているわけだが、その後、彼女はSNSはただのツールだという趣旨の発言をし、SNS依存症を批判する。まさに、どっち付かずである。別の作品だと間違いなくマイナスポイントだが、本作は中立であることが重要なキーになっているため、そこまで問題ではない。

 他にも問題点を挙げるなら、主人公の思想は所詮「結果論」に過ぎないという点だ。例えば、彼女は敵の宇宙人に対して戦いを挑まず、愛情を持って対等の友達になろうとする。結果的にその方法は功を奏し、無益な戦いは避けられた。だが、それはたまたま上手く行っただけであって、最善策である保証は全くない。下手したら、宇宙人の反撃を許して地球が全滅していたかもしれないのだ。他にも、ガッチャマンの存在を世間に勝手にばらしたり、「ガッチャンネル」なる動画を配信したりしたが、それらも一歩間違えれば最悪の結果を迎えていたかもしれない。また、彼女は戦闘で負傷したことが一度もない。戦うことにリアリティを持っていないから、イージーゴーイングを主張できるのであって、はたして痛みを覚えた後も変わらずにその思想を貫けるだろうか? それができるなら立派だが、さすがに無理だろう。こういった最良の結果を前提にしたギャンブル行動を主人公に取らせるのは、作劇の在り方として適当ではない。なぜ、その行動が正しいのかを納得がいく形で視聴者に示すべきだ。でなければ、ただ頭の中だけで成立したストーリーを垂れ流している独り善がりな作品になってしまうだろう。

・ストーリー


 本作のストーリーにはある大きな特徴がある。それは「自分で出した結論を自分で覆す」ことである。『SHOW BY ROCK!!』の項目で書いたが、物語とは「気付きを得ること」だと定義することができる。本作も、様々な障害を乗り越えて登場人物が何らかの気付きを得ている。ところが、本作の場合は、必ずその直後に気付きを否定する出来事が起こるのである。しかも、その流れを何度も何度も繰り返すため、まるでシーソーのように思考が左右に行ったり来たりする。その結果、制作者の意図が非常に掴み難いストーリーになってしまっている。

 具体的に見ていこう。長い間、正体を隠して宇宙人から地球を守っていたガッチャマンだったが、主人公が宇宙人を懐柔したことで戦う相手がいなくなり、存在意義を失ってしまう。さらに、SNSの普及によって相互助け合いの精神が広まり、「みんながヒーロー」という思想と共にガッチャマンが誰にも必要とされなくなる。それが最初の気付きである。だが、ベルク・カッツェが暗躍したことにより、SNSの創設者は力を失い、彼の部下だった人間が暴走してテロを行う。そのテロに対してSNSは全くの無力だったため、ガッチャマン待望論が持ち上がる。この時点で先程の気付きを反故にした訳である。ところが、そのガッチャマンは宇宙人とは戦えても、人間には手を出せない。再び、ヒーロー不要論が持ち上がる。そこで、創設者と総理大臣はSNSの素晴らしさを再確認し、皆で力を合わせてSNSで治安を取り戻そうとする。ところが、それをベルク・カッツェが利用し、さらなる混乱を生み出す。やはり、SNSは危険なメディアだったのか。だが、創設者はガッチャマン達の自己犠牲精神を見て人間の素晴らしさに気付き、もう一度SNSを活用して街に平和を取り戻す。そして、本作は感動のエンディングを迎える。ところが、エピローグではSNSによって犯罪が増えたという皮肉に満ちたオチが描かれて終了する。……と、このように、結論を出してはそれを自ら覆すということを何度も何度も繰り返すストーリーなのである。通常、この手の気付きは一回、多くても二回程度だ。「ヒーローはいらないことに気付いた。だが、よく考えるとやっぱり必要だった」というように。一方、本作はヒーローとSNSの立場がコロコロ入れ替わるため、何が何だか分からない。そのため、見ていて非常に「しんどい」作品になっている。

 結局、本作を通じて制作者が訴えたかったことは、主人公の言葉を借りると、「ヒーローって何なんすかね?」である。知らんがな。「世に問う」と言えば聞こえがいいが、ただ単に自分で結論を出すのを回避して、人任せにしているだけだ。やはり、映像作家である以上、問題提起をするだけではなく、ある程度は自分の回答を示す必要があるだろう。それゆえ、残念ながら、本作は『ダークナイト』の足元にも及ばない作品である。

・政治


 さて、問題はここからだ。正直な話、あまりこのブログで政治的な発言はしたくないのだが、遺憾ながら取り上げざるを得ない。なぜなら、本作の政治・社会描写が目に余るほど稚拙で非現実的だからである。そのため、この手の話が嫌いな方は、華麗に読み飛ばして欲しい。

 本作中の日本は、CROWDSの攻撃により官公庁の建物が破壊されただけでなぜか首都機能が完全に麻痺し、政治が機能しない無政府状態になる。総理大臣は数名の側近と共に車に乗って逃げ回り、他の閣僚は姿すら現さない。民衆はあっという間に秩序を失い、好き勝手に行動するようになる。命令系統が寸断された警察や自衛隊は独自に動き、あまつさえSNSのAIの指示に従う。特に酷いのが総理大臣の人物描写で、端からやる気がない上に、事態を収拾しようという意思すらなく、最後にはAIに政権を委ねてしまう。歴代の日本の総理大臣に対して思うところは多々あるし、言いたいことは山程あるのだが、さすがにここまでアホではない。失礼にも程がある。しかも、本作の設定は東日本大震災から着想を得ているらしい。馬鹿じゃねーの! いつ日本が無政府状態になったんだよ。劇中であれだけ悪質ネットユーザーを批判しておきながら、彼らと何も変わらない制作者の幼稚な政治観には驚かされる。

 そんな無能総理に対して、ガッチャマンのリーダーが熱く説教する。「私はそういう時、いつも心に問いかけてきた。お前はこの星を愛しているかと。あんたはどうだ? この国を愛しているか?」「あんたも考えろよ。これは我々異星人だけの問題じゃない。あんた達地球人の問題でもあるんだ。この町がやられれば、この国が、この国がやられれば、世界が、地球がやられるんだ。カッツェはそういう奴なんだ!」と。現実的な脅威が迫ってきているのだから、武器を取って立ち向かうのは当たり前。だが、本作の制作者が一つ勘違いしている点がある。総理大臣が一番に守るべきは国ではない。「国民」である。国民の生命と財産を守るのが政府の役割である。どれほど非道な独裁者でも最初に口にする単語を、なぜ本作は全く触れようとしないのか。もし、その発想がなかったというなら、ガッチャマンの存在自体が無である。そもそも、ヒーローを論じる資格がない。

 確かに、物語には誇張が必要だし、現実をオーバーに描くことでより明確に問題点を浮き彫りにすることができるが、いくら何でもこれはない。もう少し他に描きようはなかったのだろうか。これを社会派アニメなどと言ってしまうと、我々の生きている社会は何だということになるので、本当に勘弁して欲しい。

・総論


 今まで見た深夜アニメの中でも、ずば抜けて「頭の悪い」作品。ただ、作り手のやりたいことは完全に表現できているし、見るべき部分も多いので、曖昧な評価とする。アニメって何なんすかね?

星:☆(1個)
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by animentary  at 10:27 |   |   |   |  page top ↑

『プリンセス・プリンシパル』

期待外れ。

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・はじめに


 2017年夏。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話。監督は橘正紀。アニメーション制作はStudio 3HzActas Inc.。十九世紀の架空のロンドンを舞台に、五人の女子高生スパイが活躍するスパイアクション。放送中にリリースされたスマホゲーム版は、すでにサービス終了が発表されたが、続編を描いた映画版が2019年に上映を予定されている。

・設定


 舞台は十九世紀末、現代のグレートブリテン島にある架空の国「アルビオン王国」。かつて、強大な軍事力によって世界を支配していたが、十年前の市民革命により王国と共和国に分裂し、その境界線上にあるロンドンは高い壁によって東西に分断されていた。その王国側にある上流階級用の高校、そこに通う五人の女子高生にはある秘密があった。実は、彼女達は共和国が送り込んだスパイだったのだ。そして、今日も彼女達は共和国の密命を受け、ロンドンの空を飛ぶ……というのが本作の設定である。俗に言う「女子高生に何かをやらせてみた」シリーズの一環だが、女子高生×スパイ×スチームパンクという、こんなの絶対に面白いに決まっている組み合わせは、人々の注目を集めた。ところが、いざ蓋を開けてみると、何か予想していたのと違う。面白くないわけではないのだが、一般的に言うスパイアクションの楽しさはあまり感じられない。そのため、期待が高かった分、失望が非常に大きい。

 とにかく、設定が甘い。特に、市民革命によってアルビオン王国が分裂し、ロンドンに壁ができたという世界設定があまりにも雑過ぎる。革命で王族が首都を追われて僻地や他国に臨時政府を開いたという話はよく聞くが、ロンドンに居座ったまま、依然として強大な権力を握っているという状況がまずあり得ない。そんなことになれば、ロンドンは常に内戦状態で上空を砲弾が飛び交っているだろう。王国と共和国、それぞれの政治や経済がどうなっているのかも不明なままだ。王国側は移民や貧困で民が苦しんでいるという描写があるが、それが王制の影響による物なのかの言及は一切なく、共和国側は触れられさえしない。また、主人公達、年端も行かない少女がなぜスパイをやらされているのかの説明もない。そんなことを平気で行う連中が正義な訳がないので、本作が本当に注目すべきは共和国側である。さらに言うと、おそらく尺の都合上、本作の重要アイテムである「ケイバーライト」に関する解説が劇中で全く行われない。元々は、H・G・ウェルズ著のSF『月世界最初の人間』に登場する反重力物質だが、さすがにそれを一般教養として扱うのは無理がある。しかも、ストーリー上のキーアイテムではなく、便利な道具として使われるのみだ。それでは、ただの悪しきチート主人公である。

 これらの設定不足による最大の弊害は、「世界情勢が分からない」ことである。スパイ物において、世界情勢は主人公以上に重要な要素だ。何と何が対立し、裏でどのような力が働いているのかが話の肝なのに、それが分からない状況でスパイが暗躍したところで、何の意味もない。つまり、本作は極めて底の浅い似非ハードボイルドに過ぎないということである。

・スパイ


 スパイ物は、いつの世にも人気のジャンルである。『007』シリーズや『ミッション:インポッシブル』シリーズは時代を超えて愛されているし、日本では忍者物が普遍的な人気を博している。厳密にはスパイではないが、同じく裏社会のヒーローを描いた『ゴルゴ13』や『攻殻機動隊』も息が長い。その理由はなぜかと考えると、やはり、スパイ物でしか味わえないスリルとサスペンスが生み出す独特のドキドキワクワク感があるからだろう。日本版『スパイ大作戦』のナレーションが「実行不可能な指令を受け、頭脳と体力の限りを尽くし、これを遂行するプロフェッショナル達の秘密機関の活躍である」と語る通り、正攻法では絶対に解けないミッションを我々の想像を超えた方法で華麗に解決する格好良さこそがスパイ物の華である。ここで大事なのは「プロフェッショナル」なことであり、厳しい鍛錬により育まれた高度な知識と豊富な経験が彼らの最大の武器である。運や偶然に頼ることは絶対にない。そのため、時には直接的なバトルも行うが、基本はそこに至るまでの頭脳戦・情報戦・心理戦がメインになる。

 一方、本作はどうだろうか。そもそも、スパイらしい秘密工作活動を行う回が数えるほどしかない。それも、思いっ切り顔をさらして正面突破する単純な作戦ばかりで、さらにケイバーライトというチートアイテムを用いることで、何の工夫も苦労もなく簡単に任務を完了してしまう。では、他の回は何をやっているかと言うと、主人公達がスパイになった過去を描いた回想回や、市井の人々の心温まる交流を描いたハートフル回、人間の心の闇を描いた人間ドラマ回、そして、主人公達がワイワイ楽しい学校生活を送るコメディー回などである。スパイ物……なのか? もちろん、長期ドラマシリーズなら五回に一回はこういう話があるだろうが、まさかそれがメインを張るとは誰も思うまい。

 要するに、本作は企画自体が1クール向きではないのである。基本設定からして、2クールか、もしくはそれより長いストーリー用で、とてもじゃないが1クールで処理できる分量ではない(注:各話のサブタイトルに元々は2クールの企画だった痕跡が見て取れる)。それを無理やり全十二話に詰め込んだ結果、スパイアクションらしからぬ番外編ばかりになってしまったのである。想定外に放送枠が削減された何らかの裏事情があるのだろうが、制作側の都合など知ったことではないので、我々はただ目の前にある材料で判断するだけだ。

・チェンジリング


 チェンジリング作戦。それは、女子高生スパイである主人公が王国の姫と容姿が瓜二つなことを利用し、姫を殺して彼女と入れ替わり、内部から王国を崩壊させるという作戦だった。だが、その作戦の途中、あるトラブルが発生して中断を余儀なくされる。それは、姫が元々反体制的な思想の持ち主であり、自分が将来、王国の女王になることを交換条件に、共和国のスパイに参加することを申し出たからである。それを受諾した共和国側は、監視を兼ねて主人公達のスパイチームに姫を加入させる。こうして、姫は主人公達と共に破壊工作活動を行うのだった……って、いや、おい、待て、こら。それ、スパイの意味が違うだろう。なぜか、スパイ=特殊工作員のような見なし方をされているが、スパイにもいろいろあって、一国の姫が敵国と独自に交渉しているだけで十分なスパイ行為である。それが共和国側の手先となって自ら工作現場に足を運び、姫という立場を利用して潜入するなど、軽率にも程がある。それでは特殊工作員などいらないし、単純にスパイアクションとしても面白くない。また、主人公が姫と顔が似ているという設定もほとんど意味をなさなくなる。もし、この設定を十分に生かそうと思うなら、チェンジリング作戦は最終話に先送りし、それまではただのクラスメイトという形で姫と接触した方が良い。姫の立場を上手く利用して工作活動を行う主人公。一方、姫も本当は主人公の正体に薄々気付いているが、王国に恨みがあるので陰ながら協力する。こういった狸の化かし合いストーリーにした方が、よりスパイ物らしくなるのではないだろうか。ただ、残念なことに、本作のタイトルは『プリンセス・プリンシパル』なのである。「王国の姫を中心とした女子高生スパイチームの活躍」という初期設定にこだわった結果、このような奇妙なことになっている。

 第八話。主人公の過去が彼女自身の口から語られる。本作は基本的に尺が足りないため、重要な設定は全て口述される。それによると、主人公と姫は小さい頃からの知り合いで、革命の混乱により入れ替わったのだという。つまり、スパイの主人公こそが本当は王家の血を引いたプリンセスで、今の姫はスリを生業とする下層民だったのだ。姫の持つ「女王になってこの国を変える」という思想は、主人公が遊びで姫と入れ替わって城下に出た時に感じた考えであり、それを革命で入れ替わった姫が受け継いだのだっ……ややこしいわ! これ、入れ替わる必要ある? 姫がスリの子供の惨めな生活を見て、自由主義に目覚めたで良くないだろうか? 少なくとも、このテレビアニメ版においては、入れ替わり設定は全く活用されておらず、主人公が王族である意味は何一つない。おそらく、続編ではストーリーの中軸になるのだろうが、それはそれ、これはこれである。

・構成


 脚本家の大河内一楼がストーリー構成を務めたオリジナルアニメ作品群、『OVERMANキングゲイナー』『コードギアス 反逆のルルーシュ』『シゴフミ』などに共通する点は、「風呂敷を広げ過ぎて、上手く畳めない」である。『OVERMANキングゲイナー』が分かり易い例だが、メインストーリーとはあまり関係ないボス退治に尺を使い果たした結果、目的地に辿り着く前に話が終わってしまう。そして、同人物が構成を手掛けた本作も、また同様の問題を抱えた作品である。

 第十話。共和国のスパイを統括する司令官が突如交代し、チェンジリング作戦の継続が発令される。それはすなわち姫の命を奪うことであり、主人公にその命令が下される。一方、王国では移民達がクーデターを企てており、共和国側に協力を要請していた。彼らは女王暗殺を計画し、共和国もそれに賛同する。なぜなら、その罪を姫になすり付けて同時に始末しようと考えたからだ。……はい? えっと、姫を殺すのか殺さないのか、どっちか一つにしてくれない? それはともかく、姫を殺したくない主人公は、姫と入れ替わって彼女をカサブランカへ逃がそうとした。しかし、女王になって国を変えたい姫はそれを拒否し、主人公を飛行船に閉じ込めた上で「姫の振りをした主人公の振り」をして共和国側に帰り、クーデターを阻止しようとする。ややこしい! その服はどこで手に入れたんだ? だが、それはすぐに共和国のスパイのリーダーに見破られる。だが、結局、どっちでもいいので、クーデターは決行される。意味ねぇ! そして、何やかんやいろいろあって、スパイのリーダーに殺されそうになった姫を主人公が救出し、主人公の仲間の手によってクーデターも失敗し、司令官も失脚して元に戻る。

 以上、何とも複雑で分かり難いストーリーである。この概要を見れば分かる通り、チェンジリング作戦は丸ごと必要ない。最初から最後まで全く活用できていないのだから、元より入れる意味がない設定ということだ。さらに話を複雑にしているのが、「敵国のスパイになって破壊工作は行うけど、クーデターは暴力的だからダメ」という姫の訳の分からない思想である。通常の感覚だと、卑怯な諜報活動より公明正大な市民革命の方が、よっぽど真っ当な手段だと思うのだが。この無茶苦茶さを「子供の純粋さ」で片付けるのは無理がある。要は、無茶苦茶な設定のしわ寄せが全て姫に集まっているだけなのだから。結局のところ、本作は萌えアニメ風のスパイアクションではなく、スパイアクション風の萌えアニメに過ぎないということである。なかなか、期待通りに事が運んではくれないようだ。

・総論


 当初の予定通り、2クールだったらもっと評価されただろうか。それとも、そのままだっただろうか。何にしろ、梶浦由記の音楽がもったいない。

星:☆(1個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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