『一週間フレンズ。』

おままごと。

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・はじめに


 2014年春葉月抹茶著の漫画『一週間フレンズ。』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は岩崎太郎。アニメーション制作はブレインズ・ベース。友達との記憶が一週間でリセットされてしまう少女を描いた青春ラブコメ。今更言っても仕方ないだろうが、『ef - a tale of memories.』よりも先に見ることを強くお勧めする。

・記憶障害


 本作の主人公は、お調子者だが肝心な場面ではヘタレな男子高校生。クラスメイトの孤独なヒロインのことが気になっていた彼は、ある月曜日、勇気を出して「友達になって下さい」と告白する。それに対し、なぜか「私、友達を作っちゃダメなの」と拒絶するヒロインだったが、主人公がしつこく話しかけることで徐々に心を開いて仲良くなる。すると、週末の金曜日、ヒロインは衝撃の事実を打ち明ける。彼女は、仲の良い友達との楽しかった記憶が月曜日になると全てリセットされ、全部忘れてしまう障害の持ち主なのだと。……え、どういうこと? 毎度お馴染みの前向性健忘は、あくまで記憶がある一定の期間しか保持できない状態のことだ。つまり、月曜日に忘れるのは先週の月曜日の記憶であって、火曜日から日曜日の記憶は全て残っているはず。だから、彼女は前向性健忘ではない。実際、記憶がなくなるのは友達に関することだけで、しかも、記憶できないのではなく、記憶はしているが思い出すことができない状態らしい。いわゆるヒステリー(身体化障害)という奴だろうか。そうなると、他の作品よりかなりマイルドな内容になる。本作の最終的な目標も、彼女が心の傷を癒して記憶を全て取り戻すという非常にポジティブな物になるだろう。

 月曜日。ヒロインの言葉通り、彼女は主人公のことを忘れていた。その不幸な境遇に同情した主人公は、もう一度、彼女と友達になることを決意する。軽っ! マジかよ。『ef - a tale of memories.』の主人公は、すぐにその危険性に気付いて逃げ出したぞ。生半可な気持ちで記憶障害の人間に近付くと、誰よりも主人公自身が傷付く、少し考えれば分かることだ。この考えの浅さ、行動の軽さが本作の主人公の最大の特徴である。そして、それは本作の特徴でもある。例えば、ヒロインの障害のつらさを知った主人公は、彼女に対して「俺、凄く自分勝手だった」と今までの行為を一方的に謝罪する。その行為自体が自分勝手である。結局、自分側の主導で物事を進めたいだけなのだから。本当に相手のことを想うなら、相手側のペースで進めようとするはずだ。ただ、言い訳をさせてもらうなら、彼はまだ高校生である。人付き合いの適切な距離感が分からなくても仕方ない。もし、自分が高校生だったら、きっと主人公と同じような行動を取るだろう。そういう意味で言うと、本作の主人公の方が現実味があり、『ef - a tale of memories.』の主人公の方が大人び過ぎていて不自然ということになる。その辺りは、少年漫画原作と十八禁美少女ゲーム原作の差異がダイレクトに現れる部分だ。

・青春


 その後、主人公は再びヒロインに「友達になって下さい」と告白し、友達関係を一からやり直す。一週間ごとに記憶がリセットされても、何度も同じことを繰り返す。そうしていく内に、徐々にヒロインは週を跨いでも主人公の断片的な記憶を思い出すことができるようになる。さらに、主人公の提案によりヒロインが日記を付け始めると、二人の信頼関係はより強固になる。小さい頃からの記憶障害なのに、今まで日記を付ける習慣がなかったとは到底思えないのだが、それはまぁいいとして、やはり全体的に物事が上手く運び過ぎて、心理ドラマとしての温さ・底の浅さは否めない。そこは、そもそも記憶自体ができない他作品と、記憶はできるが思い出すことができない本作との違いなのだろう。記憶が残っているなら、何らかのきっかけでいつか思い出すかもしれない。可能性は0じゃない。つまり、ほんの少しでも希望があるかないかだけで、ここまで重みが違ってくるということだ。

 物語の中盤になると、最早、記憶障害など最初からなかったかのような普通の学生生活が繰り広げられる。ヒロイン以上に物忘れの激しい新キャラが登場し、主人公の友人も含めた男女四人で海へ行ったり、一緒に勉強したりといった高校生らしい爽やかな友情が描かれる。ヒロイン自身も、ただの天然ボケで純粋無垢なキャラクターといった扱いになる。はっきり言って、中盤は記憶障害をテーマにしている必要が何もない。この手の序盤だけはハードだが、気付けばただの日常系になっている萌えアニメと言えば、『パパのいうことを聞きなさい!』や『琴浦さん』などを思い出すが、本作はそれらにも増して温い。なぜ、そうなるのか? 様々な理由が考えられるが、結局のところ、一番の理由は「青春」という名の暴力的なまでの強圧なパワーの前には、あらゆる問題が容易く吹き飛んでしまうからだろう。高校生の悩みなど、仲の良い友達と馬鹿騒ぎすれば大抵は解消される。それと同じように、記憶障害のマイナス面を強調するより、青春のプラス面を強調した方が、よりテーマを掘り下げられるという判断があったのだろう。

 ただ、問題がある。それは「ヒロインの父親が出てこない」ことだ。男性向け萌えアニメで主人公やヒロインの父親が出てこないのは、最早、時代劇の悪代官並みのお約束だが、本作に限ると、ヒロインの最大の保護者である父親が出てこないのは、ヒロインの記憶障害がそれほど重大ではないということの裏返しになってしまう。いくら青春に全振りでも、さすがにそこだけは崩してはならない。少年達にとってどこまで自由な世界を描くか、その見極めが大切なのだろう。

・真相


 第九話。主人公達のクラスに一人の転校生がやってくる。彼はヒロインの小学生時代の友達(それゆえ、ヒロインは彼を覚えていない)らしく、彼女を認識するや否や突然「この裏切り者」と言い放つ。その言葉を聞いた途端、ヒロインは心のトラウマが揺り動かされて意識を失ってしまう。次に目覚めた時、彼女は今までの主人公との思い出を全てリセットしていた。また最初の状態にまで戻ってしまったという事実にショックを受けた主人公は、絶望してヒロインの前から逃げ出す。……やっとか。長かったな。待ちくたびれたぞ。ここからも分かる通り、本作は『ef - a tale of memories.』の主人公が二話ぐらいで通り抜けたことを、全十二話かけてゆっくりと描いた作品である。それだけ内容が薄いということだが、もちろん、それが作品の質に直結することはない。

 転校生は小学六年生の時、同じクラスのヒロインと仲が良く、彼女とは「特別な友達」の関係だと思っていた。彼の引越しの日も、ヒロインだけを公園に呼んで別れを告げようとしていた。しかし、それが密かに転校生のことが好きだったヒロインの友人の嫉妬を呼ぶ。友人達は公園へ向かおうとしたヒロインを取り囲み、「抜け駆けした」と言って責め立てる。堪らず、彼女達から逃げて道路に飛び出したヒロインは、車に轢かれて頭を強く打つ。これが原因で、彼女は親しい友達に関する記憶を一週間でリセットしてしまう障害を持つようになったのだ……って、そんな無茶苦茶な! この手のアニメに正確な医学知識を求めても無駄だろうが、それにしても無理があり過ぎる。内的な要因と外的な要因が一つに混在しているが、記憶障害を起こしているのは友達に関する部分だけなのだから、内的な要因の方が強いはず。しかし、それを引き起こしたトラウマが「友人に責められたから」だけでは、あまりにも弱い。友人だと思っていた人間に嫉妬されて嫌がらせを受ける経験は、誰しもが持っているはずだ。その度に記憶障害を起こしていては、医者が何人いても足りないだろう。もちろん、事故が小さなトラウマを何倍にも増幅させたと解釈することもできなくはないが、どの道、障害の原因が非常に他愛もないことなのは変わりない。

 また、大事なのは、どうすれば彼女の記憶障害が治るかである。だが、上記の原因だけを見ると、友人と会って誤解を解けば、それだけでトラウマが解消されてしまうように見える。さすがに、それでは物語にならない。実際のところ、ヒロインは友達という存在それ自体に強い不信感を抱いており、そのため、主人公は一から友達関係を作り上げようと死に物狂いに頑張っている。この辺りのストーリーと設定の噛み合わせの悪さが、本作の一番の欠点である。

・恋愛


 本作のタイトルは『一週間フレンズ。』であり、『一週間ラバーズ。』ではない。最初から最後まで友達関係だけが取り上げられ、恋人関係に焦点が当たることはない。その理由は上述の通り、ヒロインは友情に対して極度の不信感を抱いているからだ。彼女の心を癒すには、男女の区別ない純粋な友情の素晴らしさをこれでもかと説く必要があり、そこに恋愛などという不純な物が割り込む余地はない。実際、ヒロインは異性の主人公に対して恋愛感情を一切抱かない。もっとも、それはトラウマによる物ではなく、ただ単に彼女の生まれ持った性格のようだが。

 では、主人公の方はどうだろうか。これがなかなかに複雑で面白いことになっている。作品テーマに則って、彼も具体的な恋愛感情を表に出すことはない。だが、第三者から見ると、どう考えても下心があるようにしか見えないという状況が頻発する。そもそも、彼がヒロインに話しかけたのは、本人は頑なに否定するが、明らかに異性として意識したからだ。しかし、彼女と友達になり、彼女の抱える事情を知ると、一転して裏表のない普通の友達関係を強調する。それは打算ではなく、あくまで彼なりの優しさである。それでも、ヒロインが少しずつ笑顔を取り戻し、他のクラスメイトとも打ち解け始めると、主人公は彼らに嫉妬する。今まで孤独な彼女は自分としか話せなかったのに、そうじゃなくなって悔しい。彼女を自分一人で独占したい。自分だけを見て欲しい。そういった独占欲を一般的には恋愛感情と言う。しかし、恋愛という言葉を使えない本作は、それに代わる新しい言葉を発明している。それが「特別な友達」である。主人公は言葉にこそ出さないが、ヒロインと特別な友達になりたいと願う。何か、いろいろと妥協した感は否めないが、それらは圧倒的な青春パワーの前に覆い隠され、有耶無耶になる。

 そこに転校生が現れ、かつて特別な友達だった彼の顛末を知った主人公は、恐怖に駆られてヒロインから逃げ出す。今度は逆にヒロインが主人公を追う。そして、ヒロイン側から「友達になって下さい」と告白し、二人は再び友達になる。これで一件落着である。ストーリーとしては十分にまとまっているが、本当にこれはハッピーエンドなのだろうか? 現実的な話をすると、これでもう二人は「良いお友達」の関係で終わり、主人公はヒロインを恋人にする最後のチャンスを失ったことになる。それが主人公の本意だとは思えない。やはり、ボーイミーツガールである以上、ある程度のリビドーに基づいた高校生らしい恋愛感情を含めなければ、転校生の言う通り、ただの「おままごと」になってしまうだろう。それなら、最初から女性同士の友情物語にすればいいのである。

・総論


 ボーイミーツガールなのに、友達のままで終わるという何ともむず痒い作品。エロ漫画なら第二話でHシーンなのに。

星:☆☆☆☆(4個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:33 |  ☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『オーバーロード』

むなしさ。

公式サイト
オーバーロード (小説) - Wikipedia
オーバーロード(小説)とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。丸山くがね著のライトノベル『オーバーロード』のテレビアニメ化作品。監督は伊藤尚往。アニメーション制作はマッドハウス。ネトゲのサービス終了と同時に異世界に飛ばされた主人公が、仲間を探して戦うダークファンタジー。ヒロイックファンタジーでありながら、主人公が骸骨のアンデットという非常に珍しい作品。いわゆる「なろう系小説」の一つである。

・俺TUEEEE系異世界転生物


 本ブログが初めて取り上げる「俺TUEEEE系異世界転生物」である。それは何か? 身も蓋もない言い方をすれば、現実世界でうだつの上がらない人生を送っている人間の「異世界ならば一発逆転できるかもしれない」という希望的観測に満ちた妄想を形にした物である。子供向け漫画の『ドラえもん』で、ダメ人間ののび太が文化の異なる星や時代に行って大活躍する話が幾つかあるが、それと似たようなメンタリティである。現実世界でダメな人間は、どこに行ってもダメに決まっているのだが、それは言ってはいけないお約束。異世界に行った途端、これまでの惨めな人生が全てなかったことになり、人が変わったようにヒーロー的活躍をするのがセオリーだ。
 俺TUEEEE系異世界転生物の最大の問題点は何かと言うと、それは「主人公を上げるために転生先の異世界を無理やり下げる」ことである。詳しくは、当該作品のレビューに書くことになるだろうが、異世界の文明レベルを極度に落としたり、異世界人をやたらと虚弱にしたりして、あくまで「普通の人間」である主人公でも難なく活躍できるように工夫している。『ドラえもん』でも、重力の低い星に行ったのび太が筋力の弱い異星人を叩きのめしてスーパーマンになる話があるが、これの何が悪いかと言うと、一歩間違えると相手を見下すことで自己承認欲求を満たす「レイシズム」に繋がる危険性があるからだ。スーパーマンになりたければ体を鍛えたらいい。その努力を怠り、弱き者をいたぶることで力を誇示しようというのなら、それはただの卑怯者の所業である。
 さて、本作がそんな他の異世界物と異なるのは、異世界と現実世界の間にクッションとして大規模オンラインRPG(以下、ネトゲ)を挟んでいることである。主人公は一度、ネトゲのキャラクターに転生し、そこからさらに異世界に転生するという複雑な形態を取っている。それもただのネトゲではなく、サービスが開始して十二年が経過し、課金アイテムも充実して、おそらくバトルバランスが崩壊しているであろう末期のネトゲだ。そんなゲームの廃プレイヤーなら、異世界の一般人を凌駕できるほど強くて当たり前だろう。そこへ至るまでにとんでもない量の時間と金を費やしているのだから。言い換えると、本作は「正統派ファンタジーにネトゲの論理を持ち込んだらどうなるか」を実験した作品なのである。こう考えれば、なかなか面白い試みだと言えよう。

・設定


 仮想空間で現実と同じ体験ができる「DMMO-RPG」の一つ「ユグドラシル」、かつては広大なマップと自由度の高さで人気を集めていたが、時代の移り変わりと共に凋落し、運営開始十二年にして最後の時を迎えようとしていた。主人公は社会人専用ギルド「アインズ・ウール・ゴウン」のリーダーを務めるベテランプレイヤー。誰もいないギルドでただ一人、サービス終了の瞬間を待っていた彼は、ふと周囲で不思議な現象が起こっていることに気付く。ゲームのコンソールが消え失せ、NPCがまるで生きた人間のように動き、自分の意志で魔法も使える。どうやら、ギルドごと異世界に転移してしまったらしい。その世界がどうなっているのかを確かめるため、主人公はギルドのNPCと共に戦いを始める。
 やりたいことは分かるのだが、いまいち現場で何を起こっているのか分かりづらい。その最たる理由は、本作の舞台の一つであるDMMO-RPGの説明が決定的に不足しているからであろう。公式サイトにすら解説がないのだが、どうやら現代で言うところのVRをさらに発展させた意識と機械を直接繋ぐタイプのゲームのようだ。その証拠に、異世界へ転生したことに本人自身が実感を持てていない。つまり、現実とゲームと異世界が完全に同等だということである。だが、キャラクターが確信を得られていないのに、それを遠くから眺めている視聴者が十分に理解できるはずがない。ならば、DMMO-RPGがどのような物であるかを事前にしっかりと説明するべきではないだろうか。
 状況が分かり難いもう一つの理由は、異世界に転生した主人公が全く現実世界へ帰ろうとしないことである。どのような人間でも、まずは自分の身の安全を図るために、ゲームからログアウトすることを試みるだろう。状況を確認するのはその後だ。ところが、主人公はなぜか異世界の方に心を奪われており、一向に現実世界を振り返らない。何らかの理由でログアウトできないというわけでもなさそうだ。原作によると、主人公は天涯孤独で現実世界にあまり未練がなく、仕事にも辟易していたためネトゲにハマり込んでいたということらしいが、それは絶対に劇中で描かないといけない情報だろう。主人公の思想の根幹を成す物なのだから。もちろん、誰でも日々の生活に苦労しており、現実逃避したいという願望は持っているだろうが、それを当たり前のこととして省略するのは違う。『ドラえもん』でも、必ず冒頭でのび太がジャイアンとスネ夫にいじめられるシーンがあるように、作劇の原則として必ず描かなければならない物があるということを理解する必要がある。

・ストーリー


 異世界に転生した主人公がまず初めに取った行動は、一緒に異世界へとやってきたギルドを掌握することだった。理由は分からないが、なぜか自分達の作ったNPCが各々の人格を得て自律行動している。足元を固めなければ動こうにも動けない。もっとも、彼らは自分達の設定した通りにしか行動しないので、最初から主人公を主として付き従う。そこで、彼はあえて王として威厳のある振る舞いをすることによって、ギルドを手中に収めることに成功する。
 続けて、彼は今後の目標と方針を打ち立てる。目標は自分と同じように異世界に転生しているかもしれない仲間を探すこと。そのために、自分とギルドの名前を世界中に知らしめること。仲間がいる可能性は0ではないし、探す方法も間違っていないが、それが目標として正しいとはとてもじゃないが言い難い。上述した通り、一番初めにしなければならないのは元の世界へ帰る方法を探すことだ。しかし、彼は全くそれをしようとしない。そもそも、ギルドのメンバーは主人公を残してとっくの昔にネトゲを引退しているはずだ。結局のところ、全ては言い訳なのだろう。現実世界に帰りたくないがゆえの。仲間が見つかれば、また昔みたいに一緒に楽しく遊べるかもしれない。過ぎ去りし時を求めて、主人公はあてもない冒険の旅に出る。
 そうこうしていると、NPCの一人がネトゲのアイテムにより洗脳されて反旗を翻す。やはり、自分と同じように異世界に転生した人間がいるようだ。そこで、主人公は誰の力も借りず自分一人でNPCに立ち向かうことを決意する。今まで実務ばかりしていて、ギルドマスターらしいことを何もしてこなかったからだとその理由を語るが、あまりしっくりこない。なぜなら、その贖罪を果たすべき相手は、もうそこにはいないのだから。本人が言う通り、完全に自己満足の世界である。それはさておき、主人公とNPCは、ファンタジー世界においてネトゲ丸出しのシステマチックな戦闘を行う。そのギャップは面白い。また、NPCは主人公に対して有利な条件を持っており、単純な力押しでは勝てないため、制限下での頭脳バトルになる。これも悪くない。そして、主人公はかつてチームメンバーが使っていた武器を次々に召喚してNPCを倒す。そういう展開にするなら、チームが機能していた頃の思い出や回想シーンを戦闘中に挿入したら、もっと話が盛り上がるだろうに……。結局のところ、ファンタジーバトルとしてはよくできているが、青春物・人情物としての演出はいまいちというのが本作の印象である。

・現実逃避


 深夜アニメはオープンエンターテインメントであるがゆえに、多種多様な層の人々が同時に視聴する。当然、その感想も十人十色だ。ただ、本作に限れば、かなり多くの人々が一つの共通した感情を胸に抱くのではないだろうか。それは「むなしさ」である。
 誰もいないギルドに一人でいること。ギルドのNPCに崇め奉られること。彼らに対して王様のように振る舞うこと。ネトゲの能力を使って敵を殲滅すること。救世主のように異世界の人々を助けること。彼らに上から目線で説教をすること。ギルドマスターとしての責任感を抱くこと。昔のギルド仲間に想いを馳せること。高価な課金アイテムを使って状況を打破すること。そして、何より現実世界に帰らず異世界に居続けること。いずれも言葉では言い尽くせぬ「むなしさ」に満ち溢れている。見ているだけで居た堪れなくなるような恥ずかしい感情。特にNPCが主人公を称賛するのは、ただ自らが定めた設定に従っているだけだ。裸の王様も裸足で逃げ出すレベルの自慰行為。ちょっと知り合いにその姿は見せられない。
 要するに、本作の特徴を一文で表すと「残酷な現実に向き合えないネトゲ廃人が、過去の楽しかった日々が忘れられず、サービス終了したネトゲにいつまでもしがみ付いている話」である。究極の現実逃避と言ってもいい。いい歳した独身男性が、一介のサラリーマンに過ぎない現実世界には帰らず、かっこいいダークヒーローになれる異世界に様々な理由を付けて閉じ籠もる様は、社交ダンスにハマる中年男性のような哀愁に満ちている。言ってみれば、本作自体が世の俺TUEEEE系異世界転生物を皮肉ったパロディーになっているのである。はてさて、制作者はどこまで意図してこれを作ったのだろうか。所々で主人公が自らの面映い境遇に苦笑するシーンを挿入しているので、ある程度は織り込み済みなのだろうが、その一方で現実世界にまつわる部分を全カットしたのは、皮肉を受け手に気付かせ難くした意図もあるのだろう。それゆえ、大事なのは視聴者側がどう受け取るかである。こう言っては何だが、本作を単純な異世界転生物だと受け止められる人は幸せ者だ。今を何も後悔せずに生きているのだから。だが、多くの人は主人公に自分を重ね合わせ、失くした物を探し続ける彼の姿に心を寄せるだろう。そのため、本作は簡単には否定できない魅力を有した作品だと言うことができる。

・総論


 俺TUEEEE系アニメと見せかけて、実は俺YOEEEEを描いているという不思議な作品。内容云々とは関係なく、この先、彼が異世界でどのような時間を過ごすのか非常に気になる。

星:☆☆☆☆(4個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:27 |  ☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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