『オーバーロード』

むなしさ。

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オーバーロード(小説)とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。丸山くがね著のライトノベル『オーバーロード』のテレビアニメ化作品。監督は伊藤尚往。アニメーション制作はマッドハウス。ネトゲのサービス終了と同時に異世界に飛ばされた主人公が、仲間を探して戦うダークファンタジー。ヒロイックファンタジーでありながら、主人公が骸骨のアンデットという非常に珍しい作品。いわゆる「なろう系小説」の一つである。

・俺TUEEEE系異世界転生物


 本ブログが初めて取り上げる「俺TUEEEE系異世界転生物」である。それは何か? 身も蓋もない言い方をすれば、現実世界でうだつの上がらない人生を送っている人間の「異世界ならば一発逆転できるかもしれない」という希望的観測に満ちた妄想を形にした物である。子供向け漫画の『ドラえもん』で、ダメ人間ののび太が文化の異なる星や時代に行って大活躍する話が幾つかあるが、それと似たようなメンタリティである。現実世界でダメな人間は、どこに行ってもダメに決まっているのだが、それは言ってはいけないお約束。異世界に行った途端、これまでの惨めな人生が全てなかったことになり、人が変わったようにヒーロー的活躍をするのがセオリーだ。
 俺TUEEEE系異世界転生物の最大の問題点は何かと言うと、それは「主人公を上げるために転生先の異世界を無理やり下げる」ことである。詳しくは、当該作品のレビューに書くことになるだろうが、異世界の文明レベルを極度に落としたり、異世界人をやたらと虚弱にしたりして、あくまで「普通の人間」である主人公でも難なく活躍できるように工夫している。『ドラえもん』でも、重力の低い星に行ったのび太が筋力の弱い異星人を叩きのめしてスーパーマンになる話があるが、これの何が悪いかと言うと、一歩間違えると相手を見下すことで自己承認欲求を満たす「レイシズム」に繋がる危険性があるからだ。スーパーマンになりたければ体を鍛えたらいい。その努力を怠り、弱き者をいたぶることで力を誇示しようというのなら、それはただの卑怯者の所業である。
 さて、本作がそんな他の異世界物と異なるのは、異世界と現実世界の間にクッションとして大規模オンラインRPG(以下、ネトゲ)を挟んでいることである。主人公は一度、ネトゲのキャラクターに転生し、そこからさらに異世界に転生するという複雑な形態を取っている。それもただのネトゲではなく、サービスが開始して十二年が経過し、課金アイテムも充実して、おそらくバトルバランスが崩壊しているであろう末期のネトゲだ。そんなゲームの廃プレイヤーなら、異世界の一般人を凌駕できるほど強くて当たり前だろう。そこへ至るまでにとんでもない量の時間と金を費やしているのだから。言い換えると、本作は「正統派ファンタジーにネトゲの論理を持ち込んだらどうなるか」を実験した作品なのである。こう考えれば、なかなか面白い試みだと言えよう。

・設定


 仮想空間で現実と同じ体験ができる「DMMO-RPG」の一つ「ユグドラシル」、かつては広大なマップと自由度の高さで人気を集めていたが、時代の移り変わりと共に凋落し、運営開始十二年にして最後の時を迎えようとしていた。主人公は社会人専用ギルド「アインズ・ウール・ゴウン」のリーダーを務めるベテランプレイヤー。誰もいないギルドでただ一人、サービス終了の瞬間を待っていた彼は、ふと周囲で不思議な現象が起こっていることに気付く。ゲームのコンソールが消え失せ、NPCがまるで生きた人間のように動き、自分の意志で魔法も使える。どうやら、ギルドごと異世界に転移してしまったらしい。その世界がどうなっているのかを確かめるため、主人公はギルドのNPCと共に戦いを始める。
 やりたいことは分かるのだが、いまいち現場で何を起こっているのか分かりづらい。その最たる理由は、本作の舞台の一つであるDMMO-RPGの説明が決定的に不足しているからであろう。公式サイトにすら解説がないのだが、どうやら現代で言うところのVRをさらに発展させた意識と機械を直接繋ぐタイプのゲームのようだ。その証拠に、異世界へ転生したことに本人自身が実感を持てていない。つまり、現実とゲームと異世界が完全に同等だということである。だが、キャラクターが確信を得られていないのに、それを遠くから眺めている視聴者が十分に理解できるはずがない。ならば、DMMO-RPGがどのような物であるかを事前にしっかりと説明するべきではないだろうか。
 状況が分かり難いもう一つの理由は、異世界に転生した主人公が全く現実世界へ帰ろうとしないことである。どのような人間でも、まずは自分の身の安全を図るために、ゲームからログアウトすることを試みるだろう。状況を確認するのはその後だ。ところが、主人公はなぜか異世界の方に心を奪われており、一向に現実世界を振り返らない。何らかの理由でログアウトできないというわけでもなさそうだ。原作によると、主人公は天涯孤独で現実世界にあまり未練がなく、仕事にも辟易していたためネトゲにハマり込んでいたということらしいが、それは絶対に劇中で描かないといけない情報だろう。主人公の思想の根幹を成す物なのだから。もちろん、誰でも日々の生活に苦労しており、現実逃避したいという願望は持っているだろうが、それを当たり前のこととして省略するのは違う。『ドラえもん』でも、必ず冒頭でのび太がジャイアンとスネ夫にいじめられるシーンがあるように、作劇の原則として必ず描かなければならない物があるということを理解する必要がある。

・ストーリー


 異世界に転生した主人公がまず初めに取った行動は、一緒に異世界へとやってきたギルドを掌握することだった。理由は分からないが、なぜか自分達の作ったNPCが各々の人格を得て自律行動している。足元を固めなければ動こうにも動けない。もっとも、彼らは自分達の設定した通りにしか行動しないので、最初から主人公を主として付き従う。そこで、彼はあえて王として威厳のある振る舞いをすることによって、ギルドを手中に収めることに成功する。
 続けて、彼は今後の目標と方針を打ち立てる。目標は自分と同じように異世界に転生しているかもしれない仲間を探すこと。そのために、自分とギルドの名前を世界中に知らしめること。仲間がいる可能性は0ではないし、探す方法も間違っていないが、それが目標として正しいとはとてもじゃないが言い難い。上述した通り、一番初めにしなければならないのは元の世界へ帰る方法を探すことだ。しかし、彼は全くそれをしようとしない。そもそも、ギルドのメンバーは主人公を残してとっくの昔にネトゲを引退しているはずだ。結局のところ、全ては言い訳なのだろう。現実世界に帰りたくないがゆえの。仲間が見つかれば、また昔みたいに一緒に楽しく遊べるかもしれない。過ぎ去りし時を求めて、主人公はあてもない冒険の旅に出る。
 そうこうしていると、NPCの一人がネトゲのアイテムにより洗脳されて反旗を翻す。やはり、自分と同じように異世界に転生した人間がいるようだ。そこで、主人公は誰の力も借りず自分一人でNPCに立ち向かうことを決意する。今まで実務ばかりしていて、ギルドマスターらしいことを何もしてこなかったからだとその理由を語るが、あまりしっくりこない。なぜなら、その贖罪を果たすべき相手は、もうそこにはいないのだから。本人が言う通り、完全に自己満足の世界である。それはさておき、主人公とNPCは、ファンタジー世界においてネトゲ丸出しのシステマチックな戦闘を行う。そのギャップは面白い。また、NPCは主人公に対して有利な条件を持っており、単純な力押しでは勝てないため、制限下での頭脳バトルになる。これも悪くない。そして、主人公はかつてチームメンバーが使っていた武器を次々に召喚してNPCを倒す。そういう展開にするなら、チームが機能していた頃の思い出や回想シーンを戦闘中に挿入したら、もっと話が盛り上がるだろうに……。結局のところ、ファンタジーバトルとしてはよくできているが、青春物・人情物としての演出はいまいちというのが本作の印象である。

・現実逃避


 深夜アニメはオープンエンターテインメントであるがゆえに、多種多様な層の人々が同時に視聴する。当然、その感想も十人十色だ。ただ、本作に限れば、かなり多くの人々が一つの共通した感情を胸に抱くのではないだろうか。それは「むなしさ」である。
 誰もいないギルドに一人でいること。ギルドのNPCに崇め奉られること。彼らに対して王様のように振る舞うこと。ネトゲの能力を使って敵を殲滅すること。救世主のように異世界の人々を助けること。彼らに上から目線で説教をすること。ギルドマスターとしての責任感を抱くこと。昔のギルド仲間に想いを馳せること。高価な課金アイテムを使って状況を打破すること。そして、何より現実世界に帰らず異世界に居続けること。いずれも言葉では言い尽くせぬ「むなしさ」に満ち溢れている。見ているだけで居た堪れなくなるような恥ずかしい感情。特にNPCが主人公を称賛するのは、ただ自らが定めた設定に従っているだけだ。裸の王様も裸足で逃げ出すレベルの自慰行為。ちょっと知り合いにその姿は見せられない。
 要するに、本作の特徴を一文で表すと「残酷な現実に向き合えないネトゲ廃人が、過去の楽しかった日々が忘れられず、サービス終了したネトゲにいつまでもしがみ付いている話」である。究極の現実逃避と言ってもいい。いい歳した独身男性が、一介のサラリーマンに過ぎない現実世界には帰らず、かっこいいダークヒーローになれる異世界に様々な理由を付けて閉じ籠もる様は、社交ダンスにハマる中年男性のような哀愁に満ちている。言ってみれば、本作自体が世の俺TUEEEE系異世界転生物を皮肉ったパロディーになっているのである。はてさて、制作者はどこまで意図してこれを作ったのだろうか。所々で主人公が自らの面映い境遇に苦笑するシーンを挿入しているので、ある程度は織り込み済みなのだろうが、その一方で現実世界にまつわる部分を全カットしたのは、皮肉を受け手に気付かせ難くした意図もあるのだろう。それゆえ、大事なのは視聴者側がどう受け取るかである。こう言っては何だが、本作を単純な異世界転生物だと受け止められる人は幸せ者だ。今を何も後悔せずに生きているのだから。だが、多くの人は主人公に自分を重ね合わせ、失くした物を探し続ける彼の姿に心を寄せるだろう。そのため、本作は簡単には否定できない魅力を有した作品だと言うことができる。

・総論


 俺TUEEEE系アニメと見せかけて、実は俺YOEEEEを描いているという不思議な作品。内容云々とは関係なく、この先、彼が異世界でどのような時間を過ごすのか非常に気になる。

星:☆☆☆☆(4個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:27 |  ☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『宙のまにまに』

残念ラブコメ。

公式サイト
宙のまにまに - Wikipedia
宙のまにまにとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2009年。柏原麻実著の漫画『宙のまにまに』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は高松信司。アニメーション制作はスタジオコメット。高校の天文部を舞台にした青春ラブコメ。綿密なロケハンを重ねた星空の作画の美しさには定評がある。

・設定


 本作の主人公はこの春、高校に進学した少年。幼い頃から父親の仕事の都合で転校を繰り返しており、そのせいか目立つことが嫌いで、できる限り静かに暮らしたいと願っていた。趣味は読書。理由は転校続きで知り合いの少ない寂しさを埋めてくれるから。そんな彼が、高校入学を機に昔住んでいた町へと帰郷し、そこで一人の少女と出会ったことから物語が始まる。彼女は一歳年上の幼馴染み。天真爛漫で無邪気、何事にも真っ直ぐな性格で押しが強く、小さい頃は否応なく彼女に連れ回される日々を送っていた。その性格は今でも変わっておらず、彼女は数年ぶりに再会した主人公に対して文字通り全身全霊で付きまとい、強引に天文部へと招き入れる。彼女は天文学者の父親の影響で、小さい頃から星を見るのが大好きだったのだ。こうして、主人公の思い描いていた平穏無事な高校生活は、全く別の物に変化するのだった。
 静かな日常を望む主人公と天然ボケで子供っぽいヒロイン、主人公は嫌がっているのに、なぜか美少女のヒロインが勝手に近寄ってきて困った困った、という飽きるほど繰り返されたベタ過ぎるラブコメである。特にヒロインの性格は、最早アニメでもきついレベルの無邪気さで、異性に対する恥じらいや恋愛感情といった物すらない。天真爛漫なのは、本作のメインガジェットである「天体観測」が現代人が忘れている子供らしいロマンや夢を体現した物だからなのだろうが、そちら方面に数値を振り過ぎて、俗に言うセックスアピールがまるでないのは、萌えアニメとしては痛い。もし、ヒロインが美少女じゃなかったら、本作は完全にホラーである。
 もっとも、本作の最大の問題点はそこではなく、そういった無邪気系ヒロインを違和感なく溶け込ませるためか、全体的な作風を少年漫画風ハイテンションギャグにしていることだ。それを面白いと思うかどうかは人それぞれなので不問にするが、天体観測という言葉が持つ静かでしっとりとした情緒的なイメージとは正反対に位置する。なぜ、このような作風にしたのか。もしかすると日常と非日常のギャップを演出するのが目的かもしれないが、やはりバラバラ感は否めない。天体観測のシーンは、落ち着いたファンティックな雰囲気をよく作り出せているだけにもったいない。

・ラブコメ


 話を元に戻すが、本作は典型的な青春ラブコメであり、ストーリー展開もキャラクター設定もどこかで見た物が続出する。そもそものキャスティングが、傍から見るとどこからどう見ても恋人同士なのに本人達にはその自覚がなく、それどころかむしろ嫌っているとさえ言い張る痛々しい男女を中心に、彼らに対して報われない仄かな恋愛感情を抱く可哀想な脇役が周囲を固めるという定番の構図だ。特に、主人公のクラスメイトの女の子は絵に描いたようなツンデレで、主人公に好意を抱きつつ、それを隠すために何だかんだと理由を付けて天文部に転がり込む。彼女の心理描写は、薄っぺらい主人公とは比べ物にならないぐらい深く、切ない片思いの感情が心を揺さぶる。本作を見た人は全員同じ感想を抱くと思うが、彼女を主人公にした方がラブコメとしては何倍も面白くなっただろう。
 第六話。新しいキャラクターが劇中に登場する。彼は二学期から主人公達の通う高校に赴任した男性教師で、なぜか空席だった天文部の顧問に就任する。ところが、彼とヒロインの関係がどうにも怪しい。まるで仲の良い兄妹、いや、それ以上の深い関係に見える。どうやら、ヒロインの父親を通じて古くから親交があるらしい。そんな親密な二人を見て、主人公は嫉妬に駆られ、ようやくヒロインを異性として意識し始める。という、これまたベッタベタのラブコメ展開である。元々、主人公とヒロインの関係がファンタジーなため、そこに容赦のないリアルを叩き込むことで無理やり目を覚まさせるという分かり易い手法だ。もっとも、設定に無理があるせいか誤解はすぐに解け、教師はその他大勢のポジションへ追いやられて、以後、ヒロインと絡むことすらほとんどなくなる。ドロドロの三角関係にならないのは、ある種の視聴者に対する「優しさ」なのだろうが、はたしてそれはラブコメとして正しいのかどうか。
 結局のところ、ラブコメが発生する大前提として、主人公もヒロインも「異性にモテる」という条件が必要で、本作の場合、そこに説得力がないから話が盛り上がらないということなのだろう。主人公はまだしも、ヒロインの女性的な魅力の無さは致命的である。それゆえ、もう少し設定を練り込まなければならなかったのではないだろうか。

・部活アニメ


 本作が放送されたのは2009年。いわゆる『けいおん!』に代表される「部活アニメ」が大量生産され始めた年である。当然、粗製乱造で似かよった作品が市場に並ぶ中、制作者に求められるのは、その作品のテーマとなる部活の素晴らしさを的確にプレゼンテーションする能力である。文化系・体育系・同好会・サークル・委員会、多種多様な部活が世間に溢れている中、なぜ主人公はその部活を選んだのか、その部活が他の部活より優れている点は何かを克明に描写しなければならない。ただ、これは口で言うより何倍も難しい。それぞれに必ず良い点はあるし、基本的には個人の相性の問題だ。どんなに良さを訴えても、視聴者がそれに共感してくれるとは限らない。だからと言って、例えば、野球部のアニメなのに野球の楽しさを全く伝えようとはせず、なぜか野球のボールでサッカーを始めたりしたら、それはネタとして面白いかもしれないが、作品としては最低である。軒先を借りて商売している以上、対象にリスペクトを持つのは人として当たり前である。
 そんな中、本作が最初に用いたプレゼン方法は、他の部活との比較である。発想は安易だが、非常に効果的だ。そして、そのやり玉として挙げられたのが「文芸部」である。主人公が読書好きなのは先に記したが、元々、彼は文芸部に興味を持っていた。それがヒロインの魔の手に掴まり、強引に天文部へと入れられたのである。その後、主人公は次第に天体観測の面白さに目覚めていくのだが、ヒロインのライバルとして登場した文芸部員兼生徒会長が、主人公を文芸部にヘッドハンティングしようと画策し、その対立の過程で天文部の良さをクローズアップするという展開になる。では、文芸部と天文部の違いとは何か? あくまで本作独自の考えだが、文芸部はずっと狭い部屋に閉じ籠もっているのに対して、天文部は広い屋外に出て雄大な自然を相手にしている。だから、天文部は素晴らしいのだと主張している。これはなかなかセンセーショナルな意見であろう。確かにそういう側面もあるだろうが、アクティブさを売りにするなら、文化系の天文部より体育系の運動部の方が余程優れている。むしろ、星を見るだけの天文部に対して、クリエイティブな活動をしている文芸部の方がアクティブと言えるのではないか。意見としては弱い。そして、何より失礼甚だしい。こうして見ると、他部活と比較するというやり方は決して良いとは言えない。もちろん、本作は底意地の悪いアニメではないので、ちゃんと文芸部の良さもフォローしていることは追記させて頂く。

・天体観測


 さすがに、これはまずいと判断したのかどうなのか、第五話近辺で生徒会長と和解した後は、純粋に天体観測の楽しさを追及することへとプレゼン方法をシフトする。壮大な宇宙のパノラマ。その美しい光景は、純粋だった子供の頃の夢を思い出させる。星にまつわる神話の物語。古代から人々は同じ想いを紡いできた。その感動を後世に伝えるのが自分達の役割。それが天文部の存在意義。ということを、天体マニアのヒロインを中心に全十二話かけて一つずつ伝えていく。宇宙をテーマにしておきながら、天体観測の楽しさを全く表現できていない作品が多い中、本作のヒロインが根っからの星好きなのは好感が持てる。そして、主人公もそんなヒロインに惹かれていくと同時に、星の美しさにも魅了されていく。
 このように、本作は描くべきことをしっかりと描いているため、一般的には良作と呼ばれる部類に当てはまる。それこそ星の数ほどある部活アニメの中では群を抜いている。ただ、ちょっと待って欲しい。本作が描いているのはあくまで天体観測の楽しさであって、天文部の楽しさではない。星空が綺麗で感動するのは当たり前だし、そんなことはみんな知っている。当たり前のことを当たり前に描いても意味がない。それに天体観測は一人でもできる。わざわざ天文部という団体行動にこだわるなら、それなりの理由が必要ではないか。残念ながら、本作は生徒会長の言う「ただ夜に騒ぎたくて部活をやっているとしか思えない」という疑念に十分に答えられていない。
 少し厳しいかもしれないが、本作の欠点はこういうところにある。やろうとしていることは分かるが、全てにおいて弱い。天体観測を純粋さの象徴として用いるなら、主人公の人格を純粋さとは正反対の位置に設定しなければならないし、天文部の優位性を描くなら、一人で星を見ることのつまらなさを強調しなければならない。そして、何よりもラブコメと天体観測を上手く組み合わせなければならない。主人公が好きなのは星なのかヒロインなのか、最後まで曖昧なままである。また、せっかく幼馴染みを題材にしているのに、過去の約束といった時間的な伏線が何もないのは、ストーリー的に大きなマイナスポイントであろう。よって、本作は良作かもしれないが、名作・傑作には程遠い作品である。

・総論


 とにかく、少年漫画風ハイテンションギャグが人を選ぶ。下ネタやオタクネタよりましとは言え、そこを乗り越えなければ評価も何もないのが、非常に大きなハンデである。

星:☆☆☆☆(4個)
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:16 |  ☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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