『OVERMANキングゲイナー』

尻すぼみ。

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OVERMANキングゲイナーとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2002年。オリジナルテレビアニメ作品。全二十六話。総監督は富野由悠季。監督は森邦宏。アニメーション制作はサンライズ。遥か遠い未来の地球、極寒のシベリアに閉じ込められた人々が新天地を目指して旅立つ様を描いたロボットアニメ。OPムービーの熱い歌詞とキャラクター&メカニックによるモンキーダンスが話題になった。富野由悠季監督作品としては、現時点で最後のテレビアニメ作品となっている。(注:2013年に新作が発表されるとの噂あり)

・舞台


 環境汚染が深刻化して、人類はシベリア等の極地のドームポリス(都市国家)に住むことを強制された遠い未来。その一つ「ウルグスク」の住民は、鉄道会社の支配から逃れて温暖な理想郷ヤーパン(日本)で暮らすことを夢見て、エクソダス(集団移住)を開始する。それを阻止しようとするシベリア鉄道公社の警備隊。皆を守るため、主人公はオーバーマン(この世界におけるロボットの総称)の「キングゲイナー」に乗って立ち向かう。はたして、彼らはヤーパンに辿り着けるだろうか。
 以上が本作の基本設定である。ガンダム等に比べて敵味方の構造が少々掴み難い物になっているが、シベリア鉄道の元ネタが「西武鉄道グループ」だと言われれば、あぁなるほどと納得できるだろう。交通手段が鉄道しかない場合、その沿線住民は生活の全てを鉄道会社に支配されることになる。そして、その住民が土地を離れることを試みたら、鉄道会社は何としてでも彼らの企みを阻止しようとするだろう。本作は、そういった悪く言えばスケールのせこい、良く言えば身近で親しみ易い物語になっており、それを生かすように内容も明るくて元気なコメディータッチのアニメになっている。劇中での主役級の戦死者が二人だけという事実がそれをよく物語っているだろう。登場キャラクターも個性的で、内向的なオタク少年と自立した強い大人というW主人公の対比が物語の軸になっており、誰にでも共感し易い構造になっている。また、CVに舞台俳優を起用したことで、職業声優とは一風違ったバラエティー豊かな声質を披露している。明るい作風だった『∀ガンダム』よりもさらに明るく、かの『戦闘メカ ザブングル』に匹敵するぐらいコミカルな作品である。

・第一話~第五話


 何と言っても第一話・第二話だ。ウルグスクの人々がエクソダスを開始する中、普通の学生である主人公が成り行きでキングゲイナーに乗り込み、彼らを守って旅立つまでの話を、圧倒的な作画枚数と含蓄ある台詞回しと流れるようなコンテワークで描いている。いきなり修羅場から始まり、背景に膨大な情報量を詰め込みながら、一切の淀みなく次々と場面を展開し、今後のストーリーにも大きな期待を抱かせるという完璧な仕事ぶりは、演出家・富野由悠季の真骨頂であり、最早、名人芸の粋に達している。ロボットアニメの第一話はこう作るのだとアニメ制作の教科書に載せても良いぐらいだ。個人的には『機動戦士ガンダム』の第一話に次ぐ物だと思っている。
 続く第三話~第五話は、逃げる主人公達とそれを追うシベリア鉄道の戦いだが、そこで主役級の働きをするのが、シベリア鉄道警備隊隊長のヤッサバである。彼はとにかく熱い男で、よく笑いよく泣きよく怒りよく叫び、物語を多いに盛り上げてくれる。しかし、あまりにも目立ち過ぎたせいか、残念ながら彼は第五話で早くも舞台上からいなくなる。監督の言によると、悪役のキャラが立ち過ぎると主人公が霞んでしまうため、仕方なく予定を繰り上げてご退場を願ったのだとか。確かにその通りなのだが、後のストーリーの盛り上がり方を見る限り、その判断は正しかったとは言い難い。これだけの良キャラを使い捨てにするのは、非常にもったいない話である。

・第六話~第二十話


 隊長の退場に対応して、第六話以降はややパワーダウンする。基本的には、エクソダスを続ける主人公達をシベリア鉄道とロンドンIMA(世界政府)が阻止しようとする一話完結型のロードムービー風物語だ。ロボットアニメのセオリーに従って、襲いかかってくるオーバーマンはそれぞれ様々な特殊能力を備えている。ざっと挙げると、窃盗、幻影、伝心、不安、恐怖具現化などだ。そのため、ロボットバトルと言うより、『ジョジョの奇妙な冒険』のような超能力バトルと言った方が正しいストーリーになっている。お話として面白いことは面白いのだが、視聴者が求めている富野作品らしさ(富野節)はあまり見られない。ここで言う富野作品らしさとは、どこか日本語がおかしい台詞回しと過去に縛られた人々の愛憎ストーリーと戦闘中の意見のドッヂボールのことだ。構成と脚本を若手に任せたことで、見た目はオシャレな現代風になっているのだが、これまでの作品と違って心にグサリと突き刺さるような熱い何かが感じられないのは哀しい。
 ただ、この中盤でシンシアという好キャラが生まれているのは、数少ないプラス材料である。敵軍に所属するオーバーマン乗りの天才少女であり、いわゆる主人公のライバルキャラに当たる。性格的にはツンデレ、もしくはヤンデレに近く、富野作品に綿々と受け継がれる少し壊れた感のある女性だ。それが優れたキャラクターデザインのおかげで比類なき萌えキャラになっており、とかくチャーミングである。また、もう一人の人気キャラクターであるアナ姫の活躍の場も、しっかりと設けられているのは嬉しい。もっとも、逆に言うとキャラクターの魅力におんぶに抱っこということなのだが。

・第二十一話~最終話


 第二十一話以降は、突如、オーバーデビルという伝説のオーバーマンを巡る戦いになる。そいつは、かつて世界の形をも歪めた文字通り悪魔のような力を持っており、捕えられたシンシアを助けるという大義名分もあるのだが、はっきり言ってメインストーリーとは何も関係がない。長い物語を締めくくるためにはラスボス的な存在が必要という理屈は分かるが、エクソダスという最大目標を放っておいてまですることかという疑問が残る。
 特に、最終話は明らかに尺が不足している。どう考えても、その話は一話前でやるべきで、要するに丸々三十分が足りないのである。結局、監督自身がコンテを切り、長年の経験に基づいた力技で二話分の膨大な量の脚本を三十分内で収めているが、それでも主人公達が日本に辿り着くことなく、非常に中途半端なところで終了する。富野作品と言えば、これまでどの作品も最終回のクォリティには定評があったが、本作はその経歴に泥を塗ることになってしまった。やはり、若手に任せず、ストーリー構成も監督自身がするべきだったのだろう。

・総論


 第五話までは歴史的な傑作。以後はロボットアニメとしては平均点。最終話はどんな信者でも擁護不可能。以上、典型的な尻すぼみ系の作品である。よって、この批評も尻すぼみ。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 21:55 |  ☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『みなみけ~おかわり~』『みなみけ おかえり』『みなみけ ただいま』

アニメ業界の生贄。

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みなみけ - Wikipedia
みなみけ~おかわり~とは - ニコニコ大百科
みなみけ おかえりとは - ニコニコ大百科
みなみけ ただいまとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2008年、2009年、2013年。テレビアニメ『みなみけ』の続編作品。全十三話+全十三話+全十三話。監督は細田直人、及川啓、川口敬一郎。アニメーション制作はアスリード、feel.。『みなみけ~おかわり~』は名目上は第二期ということになっているが、正確には第一期の2クール目である。ただし、前半と後半で監督と制作会社が交代するという前代未聞の制作方式が取られているため、一般的には第二期という扱いになっている。また、実質三期の『みなみけ おかえり』は第二期と同じ制作会社だが、諸事情により監督が交代している。

・みなみけ~おかわり~


 今だかつて、これほど叩かれた作品が存在しただろうか。出来が酷くて嘲笑の対象になった作品や、原作を改悪して原作ファンに批判された作品、そして、制作者の放言等により視聴者を敵に回した作品は山ほどあるが、本作のように原作ファン・アニメファン・その他大勢の全方面から集中攻撃された作品はそう多くない。誹謗・中傷を受けたり、蔑称を付けられたり(『みなみけ~残飯~』など)するぐらいは可愛い物で、今や存在自体がなかったことにされているのが現状だ。こうした扱いを受けている理由は後述するが、その原因と現在の結果が釣り合っているかどうかは正直疑問である。批判ポイントとその心情は理解できるが、全体的に見た作品としての質は決して悪い物ではなく、存在を抹消しなければならないような駄作ではない。本作より叩かれるべき真に酷い作品(例:けいおん!)は幾らでもある。そもそも、『みなみけ』という作品自体、根本的に見る人を選ぶアニメであり、合わない人にはとことん合わない作品だ。
 要するに、これも「流行」なのである。周囲と話題を共有するために人が一箇所に集中する「覇権アニメ」現象などと同じで、皆が叩いているから自分も叩こうというネガティブな一体感だ。一度、そういったムーブメントが出来上がってしまうと、いつしか大義を忘れ、批判すること自体が目的化する。作品を全否定し、一切の擁護を許さない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い理論で、どこからか粗を見つけ出し、大した問題点でもないのに大げさに取り上げて攻撃材料にする。そうやって、世間一般的に「二期はダメだ」という烙印が押されてしまうと、たとえ、自分は面白いと思っていても口に出すことができなくなる。正しくは、面白いはずの物がなぜかつまらなく見えてくるのだ。そういった作品は、大体が十年後ぐらいに「再評価」などと言って手のひら返しされるのがオチである。本作がそうなるかどうかは分からないが、こういった過去があったということだけは深く心に刻んでおかなければならないだろう。

・問題点


 本作が批判された最大の要因は、一期と二期でアニメーション制作会社が交代したことと、それらを連続して放送したことである。他にも理由はあるが、これに比べればほんの些細なことだ。制作会社を変更すれば、当然、監督もキャラクターデザインも作風までも変わる。これが『GUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO-』のように数年のブランクを経た後なら、単純に良い・悪いだけの問題になるだろう。しかし、本作のように一期放送直後に二期を放送すると、どうしても両者の比較になってしまう。そうなった場合、誰の目にも「先行有利」なのは明らかだ。たとえ、同じレベルであったとしても、後発はどうしても先発と比べて低く見られるのが世の常であり、それが本作のような異色作だった場合は言うまでもない。
 とは言え、このような不平等な状態はアニメファンの望むところではない。それゆえ、二度とこういうことを繰り返さないよう「制作会社の変更という新形式は失敗した」という既成事実が必要なのである。そのためには、どちらか一方を叩き、どちらか一方を持ち上げなければならない。となると、後発の方を攻撃するのは人間感情的に当たり前のことだ。要するに生贄なのである。この歪で幼稚なアニメ業界を守るための。
 もちろん、他にも理由はあるだろう。よく槍玉に挙げられるのは、冬樹というキャラクターとモブキャラの黒塗りである。しかし、勘違いしてはいけないのは、それらが登場したのは第二話以降だということだ。だが、本作は第一話、もっと言うと番組宣伝の時点ですでに叩かれていたのである。火に油を注いだのは事実だろうが、そこに根本的な原因を求めるのは筋違いである。

・冬樹


 二期のオリジナルキャラクターにして、賛否両論の的である。こう書くと、どこからか「ふざけるな」という声が聞こえてきそうだ。なぜなら、本作を嫌悪している人にとって、彼こそが最大の戦犯だからである。賛否両論などない。彼は全人類に恨まれなければならない存在であるという考えだ。当然、そんな生の感情丸出しの一方的な主張が通るわけがない。
 彼は、南家の隣に引っ越してきた父子家庭の一人息子で、三女の同級生である。生真面目で他人に頼まれると断れない性格、つまり、どこまでもいい加減な南家の女性陣とは対称的な人間である。そんな彼が南家と交流を深めて、最後には再び転校して行くという出会いと別れを描いたオリジナルストーリーが二期の軸になっている。孤独な彼の存在は、賑やかで楽しい南家をよりクローズアップし、彼が南家に迎え入れられることで互いの心の成長を促すという3+1の形が成立した非常に良くできた物語であり、何の中身もない一期とは比べ物にならないぐらい完成された作品だ。だが、その一期の中身のなさを好んでいた人は、余計な要素の付け足しに激怒し、ネット上などで暴れ回った。
 もちろん、気持ちは分かる。一期の項目で書いた通り、本来、冬樹のポジションに納まるべき人間は視聴者なのだから。それを原作キャラでもないぽっと出の人間に奪われたわけで、その怒りは止まることを知らないだろう。だが、相手は小学五年生の孤独な少年である。それに対して大の大人が本気で嫉妬するのは如何なものか。アニメだから夢を見させろという主張が正しいなら、アニメだからちゃんと物語を構築すべきだという主張も正しい。なぜ、自らアニメ文化を貶めるようなことをするのか、自分には理解できない。

・みなみけ おかえり


 以上のような批判が相当堪えたのか、実質三期の『みなみけ おかえり』では、私利私欲を捨てて原作をそのままアニメ化することのみに注力している。ちょうど原作もノッてきている時期なので、ネタの質だけで見るとこの三期が一番面白い。保坂先輩の奇行やもう一つの南家のズレた会話などは万人が楽しめるだろう。ただ、それだけだ。完全に守りに入っており、何か新しいことに挑戦しようという気概はまるで感じられない。原作そのままなら原作を読めば済む話である。しかも、三期は他と比べて格段に作画が悪い。それゆえ、何のためにアニメ化したのか、その意義があまりよく分からない作品である。

・みなみけ ただいま


 そして、四年のブランクを経てアニメ化された第四期は、第三期に輪をかけて原作漫画を順番に並べただけの作品であった。一応、同一テーマのエピソードを一つにまとめ、それぞれが繋がるように細かい修正点を入れているのだが、やはり三十分を通したストーリーという物はないに等しい。特に、今期は各エピソード間にアイキャッチを入れているため、より独立色が濃くなっている。唯一、バーベキューをテーマにした第八話とカーテンコール的に登場人物が全員で花見をする最終話だけは、ちゃんとストーリーがあって面白い。中でも最終話はしっかりと心揺さぶる物語が構築されている。ただし、その分、雰囲気やギャグに『みなみけ』らしさがあまり感じられず、キャラクターの言動もどこか違和感がある。さて、アニメーション的に優れているのは一体どちらなのだろうか。

・総論


 大義名分さえあれば何でもするという人間の醜さがよく分かる作品である。批評をする上で、その作品が本当に批判に値するか、他人の意見に流されていないかを見つめ直す良い反面教師になるだろう。仮にもアニメオタクが、アニメーションの文化的価値を軽視するようでは話にならない。

星:☆☆☆(3個)
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by animentary  at 22:09 |  ☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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