『AKB0048』

彼女達は特別な訓練を受けています。

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AKB0048 - Wikipedia
AKB0048とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年。オリジナルテレビアニメ作品。全十三話。総監督は河森正治。監督は平池芳正。アニメーション制作はサテライト。人気アイドルグループ「AKB48」を題材にしたSFファンタジー。近未来の話なので劇中にAKB48本人は出てこないが、歌舞伎役者のように彼女達の名前を襲名したメンバー(CVはプロの声優)が登場する。一方、主人公である研究生達は、AKB48等から選抜されたメンバーが声を演じている。

・AKB商法


 まず、内容よりも先に売り上げである。BD・DVDを合わせた第一巻の売り上げは約八千枚、以降は四千枚前後。同時期の人気作品である『這いよれ! ニャル子さん』は平均七千枚だから、かなり差が開けられたことになる。ちなみに、社会現象などと言われた『けいおん!』は四万枚越えだから比べ物にならない。この結果は非常に興味深い。なぜなら、AKB48と言えば、「AKB商法」と揶揄されるほどこと商売に関しては非凡な能力を持った集団だからだ。発売されるCDは軒並みミリオンヒット。関連グッズも飛ぶように売れ、この不況下で怒涛の如く経済を回している。そんな中、AKB48をモデルにしたアニメが制作されるとならば、歴史的大ヒットを期待するのが人情だろう。しかし、売り上げはご覧の有り様。これは一体どういうことだろうか?
 大きく分けて五つの理由が考えられる。1、AKB48はアイドルオタクだけではなく、普通の子供達にも人気があること。2、グッズは握手券などの特典目当てで複数買いされていること。3、マスメディアによる大規模な宣伝を行わなかったこと。4、「AKBファン=アニメオタク」ではないこと。5、本作の内容がAKBファンのお気に召さなかったこと。この内、最大の理由はもちろん1だろうが、個人的には4の理由が興味深い。一口にオタクと言っても一枚岩ではないということで、意外とAKB48はアニメ好きの集まるネット掲示板で叩かれていたりする。その理由は「商業主義的だから」ということだが、実際のところ昨今のアニメも同じぐらい商業主義的であるため、結局は同属嫌悪なのだろう。その分、両者の対立は極めて根深い。本作を企画した人は、その辺りの事情を読み違えていたということだろうか。

・設定


 人類が多くの惑星で生活するようになった近未来、その世界では惑星間連合「D.G.T.O」の取り決めにより、歌やダンス等の「芸能」が禁止されていた。そこで、伝説のアイドルグループ「AKB48」の名を受け継いだ非合法組織「AKB0048」が立ち上がり、各惑星でゲリラライブを開催する。政府は彼女達をテロリストと認定し、対テロ組織「DES軍」を用いて彼女達を壊滅しようとする。一方、彼女達も武装して軍の妨害を阻止しながら、再び人類の手に芸能を取り戻すため、命を懸けてゲリラライブ活動を続けるのだった。
 この設定を見てもらえれば分かる通り、本作中におけるAKB0048はただのアイドルではない。正しくは、アイドルの皮を被った「反政府レジスタンス」である。そのため、この時点ですでに設定が破綻しているのが見て取れるだろう。AKB0048に加入するということは、武装組織に「入隊」し、最前線で戦う「兵士」になるということだ。AKB0048の選抜オーディションは実質的な組織への勧誘であり、アイドルグループを隠れ蓑にして世界中から戦力をかき集めているわけである。しかも、アイドルになるのは年端も行かない少女ばかり。劇中の描写によると、軍事活動をすると知らずにオーディションを受けた者もいるようだ。いやいや、この設定はダメだろう。重大なる人権侵害ではないのか? タリバンの少年兵と何が違うのか。当然、両親はレジスタンスへの参加を反対するだろう。そんな我が子を想う親の願いを振り払って戦地へ向かう少女。この瞬間、「アイドルになりたい普通の女の子」というテーマはどこかへ飛んで行ってしまう。一体、何がやりたいのだろうか。

・セレクション


 主人公達は両親の反対を押し切って、AKB0048のオーディションを受ける。無事、第一次審査に合格した彼女達は、厳しい歌のレッスンと「戦闘訓練」を受け、数日後、すぐに実戦に投入される。DES軍の攻撃を受けて次々と倒れていく候補者達。そんな彼女達を容赦なく不合格にする非情なプロデューサー。そんな中、辛くも生き残った主人公は、晴れてAKB0048の七十七期研究生になる。
 その後、これは選抜試験のためのペイント弾を使った模擬戦だったというオチが付くのだが、逆に言うと、実戦ではこうなる可能性が十二分に存在するということである。DES軍は口では捕縛などと言っているが、劇中の彼らの行動を見る限り、実弾を装備して完全にAKB0048全メンバー(未成年含む)の抹殺を狙っている。ここまで狂ったディストピアも珍しい。後に、AKB0048を脱退したメンバーのことが幾度か話題になるが、その中の何人かは「戦死」したはずだ。ところが、このような殺伐とした設定にも係わらず、誰も死を恐れない(負傷者が一名出るのみ)ので、現実感も何もない。襲名メンバーの誰かがライブ中に死亡し、その名を主人公達研究生が継いで初めて「設定を生かした物語」と言えるはずだが。
 真面目に批判するが、設定的にアイドルとその護衛部隊を区別しないのは、ちょっと異常である。芸能がない世界に、歌と踊りで文化を呼び戻して革命に導こうという話なのに、当のアイドル自身が武力を行使するなら、ゲリラライブを行う必要性がまるでない。彼女達が敵本拠地に乗り込んで大暴れすれば済む話である。相手の胸倉を掴んで「俺の歌を聴け」と言うのではなく、胸倉を掴んでくる相手に歌を聞かせるのがアイドルではないだろうか。アイドル本人も「でも、忘れないで。私達はAKB0048。戦うことじゃなく、愛を届けること」と語っている。歌で文化を届ける役割、彼女達を武力で守る役割、その両者を分けて描いて初めてテーマが成立するのだ。本当に『マクロスF』を作った制作会社だろうか。

・萌えアニメとして


 このような無茶苦茶な設定であるが、その中身の方はと言うと、アイドル候補生の主人公が仲間達と切磋琢磨しながらトップアイドルを目指して成長する友情物語として綺麗にまとまっている。芸能のない世界に文化革命を起こすストーリーも悪くない。キャラクターも個性的であり、特定のモデルがいることで萌えアニメなのに判子絵ではない点は評価できる。劇中歌がよく流れるため、それこそ一つの「芸能」として、のんびり眺めているだけで十分に楽しめる。そういう意味では、監督と脚本家はよく頑張っている。
 だが、こうして見ると、本アニメにおいて最も不要な要素はAKB48に関することである。いろいろと現代のAKB48のルールやお約束を詰め込んでいるのだが、明らかに世界観から浮いている。AKB48に興味がない人間からするとノイズでしかない。しかも、それを馬鹿真面目にやる物だから、正直な話、ギャグアニメにしか見えない。つまり、「先聖センセイって秋元康のことだろ?(笑)」という穿った見方になってしまうのだ。また、研究生のCVをAKB48他のメンバーが演じており、素人とは思えない意外な演技力を披露しているが、さすがに本職と比べると厳しい。特に、主人公役が一番拙いのは明らかな配役ミスだろう。
 後、芸能が存在しない世界であるため、唯一のアイドルであるAKB0048が全人類に人気なのは分かるが、なぜライブ風景が現代のAKBライブのコピーなのだろうか。もっと、老若男女が分け隔てなく参加できる「祭り」でないといけないはずだが。こういったところの手抜きさ加減が、SFファンタジーに成り切れていない中途半端さを感じさせて萎える。

・AKBアニメとして


 AKB48は、八十年代アイドルとは違って、その殺伐とした内情を少し垣間見せることで、神格化された偶像ではなく、身近にいる応援の対象とした点が特徴的なアイドルグループである。近所に住む憧れのお姉さんといったところか。ただ、だからと言って神秘性を失ったわけではなく、締めるところではしっかりと締めているため、本作のようにアイドルグループの日常と実情を赤裸々に描いてしまうと、現実との解離が激しくなってしまう。彼女達は普通にトイレへ行くし、アンチに恐怖するし、グラビア撮影を恥ずかしがる。中の一人は、幼馴染みに片想いをしている。アニメとして見れば普通だが、彼女達が「AKBの研究生」だと言われれば違和感を覚えるだろう。
 特に、本作では現役AKBメンバーが「襲名」という形で劇中に登場するのがまずい。名前を借りているだけならまだしも、容姿や性格などの様々な特徴も受け継いでいるのだ。しかも、悪い意味でデフォルメ化されている。板野友美などは親戚一同がアヒル口だ。こういった余計なお遊びは、AKBファンでなくても馬鹿にされているように感じるのだから、ファンなら尚更だろう。つまり、「自分の応援する○○はこういう人物ではない」ということだ。ターゲットを細かく設定したアイドルアニメで、この感覚は致命的である。馬鹿されていると言えば、ステレオタイプなAKBファンが彼女達を守る私設軍隊「WOTA(オタ)」として登場するのも痛い。最初から襲名メンバーなど出さず、単純にAKB48を目指す普通の少女達の物語にしておけば良かっただろうに。

・総論


 面白いか面白くないかと問われれば、まぁ、それなりに面白い。ただし、その前に無茶苦茶な設定を許容でき、AKB48に対する生理的嫌悪感がなく、現実との差異を笑って許せる器量があるという高いハードルを乗り越える必要があるが。結局、大多数の人が予想していた通り、SFとAKB、どっち付かずの作品になってしまったのは否めない。

星:★★(-2個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 17:41 |  ★★ |   |   |  page top ↑

『げんしけん2』

モラトリアムからの卒業。

公式サイト
げんしけん - Wikipedia
げんしけんとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2007年。テレビアニメ『げんしけん』の続編作品。全十二話。監督はよしもときんじ。アニメーション制作はアームス。前作のエンディング後、主人公達が大学三年生になった初夏から物語がスタートする。原作で言うと第五巻~第七巻に相当し、物語的には一区切りが付いているが、作品としてははまだまだ続くため、本作中にも回収できていない伏線が幾つか見られる。恋愛要素の濃い原作に対し、アニメ版は人間ドラマに重点を置いている。

・注意


 まず、注意して頂きたいのは、テレビアニメ『げんしけん』第一期の直接の続編は、本作ではなくOVA『げんしけん』全三話だということだ。つまり、本作は一期から通算すると第十六話に相当し、ストーリーに数ヶ月の空白期が生まれている。第二期の主要キャラクターである荻上千佳の初登場はそのOVA内で描かれるため、原作未読者は先にそちらを見なければ、誰が誰だかよく分からないという状態になってしまうだろう。しかも、問題なのは、そのOVAは単独で販売されているのではなく、テレビアニメ『くじびきアンバランス』のDVD-BOXの特典だということだ。原作の有名な台詞である「オタクが嫌いな荻上です」や「ホモが嫌いな女子なんていません!」を聞こうと思ったら、スピンオフ作品とは言え、全く関係ないアニメのDVDを買わなければならない。これはちょっと不誠実ではないだろうか。本筋と関係ない幕間劇ならまだしも、重要エピソードでそういうことをする神経はちょっと理解できない。数ある特典商法・抱き合わせ商法の中でもかなり悪質な部類に含まれる。(※なお、OVAは本作の一年後に単独で発売された)

・一期との違い


 一期と二期との間には放送時期に三年もの開きがある。一見、大した期間ではないように思われるが、深夜アニメ的には途中に激動と呼んでいいほどの進化を遂げた時期を挟んでいるため、雰囲気が大きく様変わりしている。ある意味、本作の歴史がそのままアニメの歴史と言ってもいいぐらいだ。
 まず、作画。原作の絵柄の変遷に従って、キャラクターデザインはより漫画チックになっている。デフォルメ画が登場する回数も多い。つまり、現代的な萌えアニメ風になっているということだが、劇中アニメとの対比という意味でも、リアル寄りの画だった一期の方がテーマ的には合っているだろう。そのキャラクター描写もレギュラーに女性が増えたせいか、やや記号的になっている。春日部咲などは以前の刺々しさがほとんど見られず、ただのご意見番キャラになっている。要は、言動が単純になっているということで、あれだけ現実感のある人間描写に徹していた一期を思うと不満が残る。
 また、全体を通して直接的なパロディーが増えているのはどうだろうか。ガンダム風のOPムービーに始まって、登場人物が過去のアニメ・ゲームの名台詞を度々口にする。一期では、あくまでオタク知識の披露という形で設定にリアリティーを与えるのが目的だったが、本作では明らかにギャグ目的になっている。そして、それらをも凌ぐ最大の相違点は、性的な要素が増えていることだ。女性の裸や性行為描写が当たり前のように画面に登場する。前作では、そういう話題でもできる限り直接描かないように努力していたのだが……。いわゆるエロ・パロは、近年の萌えアニメにおける二大悪と呼んでいいような代物であり、それらがそのまま本作にも取り入れられているという事実は、分かっていても哀しい。

・荻上千佳


 筆みたいなヘアスタイルが特徴の新キャラクター。春日部咲と同じく、信条は「オタク嫌い」。ただし、嫌いなのはオタクという人種であって、サブカルチャーその物は好きで、自身もかなり濃い目の腐女子である。服装やリアクションはオタクその物、クールを気取っているわりに妄想癖があり、テンパると東北弁が出る小動物系いじられキャラ。オタク嫌いなのは中学時代のトラウマがあるせいだが、アニメ版ではそれを匂わせる程度しか語られない。その代わり、劇中の会員の台詞で「ただの近親憎悪。誰でもいつかは通る道」と簡略化して説明されている。もっとも、「オタク嫌いなオタク」は意外と結構な割合で存在するものだ。特に、彼女のような一芸を持った人物は他と同類にされるのを嫌うことが多い。それを近親憎悪の一言で片付けてしまうのは忍びない。
 では、トラウマうんぬんを別にして、彼女と他の会員との相違点を考えると、要するに自己表現の方向性が違うのである。普通のオタクは他人が作った物を受容することが自己表現だが(コスプレも他人が作った記号と一体化する行為)、彼女達は自ら物を生み出して他人に認められることで自分を表現する。荻上千佳で言うと、それは「漫画を描くこと」だ。それら二つを同じ一つの「オタク」という単語でまとめているから話がややこしくなる。創造系のオタクを「マニア」と定義付けられればいいのだが、そんな単純な話ではないか。どちらにしろ、彼女の存在は本作の名物である「オタクに対する別の視点」の一つである。そんな「他人に認められたい」と願う彼女の気持ちは、二期のストーリーに新たな風を吹き込むことになる。

・卒業


 本作の前半は、サークル内で同人誌を作る物語である。その時点で、一期の目玉だった「気の合う仲間と安全な場所で心地良い時間を過ごす」というコンセプトからは逸脱することになる。初めての同人誌作り、当然、その過程で会員同士が本気でぶつかり合い、サークル内にギスギスした空気が流れることになる。これまで外部の人間と争うことはあっても、内輪で揉めることはなかった。春日部咲という異物があったとは言え、居心地の良い楽園の雰囲気は保たれていたのだ。しかし、自分達で何か新しい物を生み出したいと願うなら、そういった意見の衝突は必要不可欠な物である。それを乗り越えた時、初めて人は成長することができる。
 第七話では、四年生になった主人公の先輩達がついに大学を卒業する。この時に味わう切なさ・寂しさは堪え切れない物がある。それはただ単に気の合う仲間がいなくなるからというだけではなく、自分の属しているコミュニティが徐々に壊れていく様を目の当たりにするからである。どんな楽園も永遠には続かない。それは十分に理解しているはずだったが、改めてその現実を目の前に叩き付けられると言葉にならない絶望感を覚えるだろう。世にはびこる「○○部」といったゆるい日常アニメも、いつかはこうなる運命なのだ。それを率先して描いた本作はやはりパイオニアである。

・就職


 第八話以降、大学四年生となった主人公が就職活動を開始する。希望は出版関係。しかし、生来の気の弱さも手伝って上手く行かず、連戦連敗、とうとう秋まで引きずってしまう。自暴自棄になりかけたところ、他の会員の叱咤激励で何とか立ち直り、出版社の下請け派遣会社の就職面接を受ける。そこで、主人公は同人誌制作の経験をアピールし、何とか内定を勝ち取る。
 上記のように、サークル内での同人誌制作は、何の悩みもない理想郷を描いた一期とはテーマを異にする物である。そのため、それが理由で就職を果したということは、一期の物語を全否定するということである。事実、就職を諦めかけた主人公に、春日部咲は「それって単なる逃げじゃん。自嘲と自虐で自己弁護。オタクの常套手段だよね」と発破をかける。これは、オタクという物を自虐的に描いていた一期をさらに否定する言葉である。人が一人で生きて行こうと思ったら、必ず現実と向き合わなければならない。そのためには、いつまでも好きな物だけにのめり込むオタクであってはダメなのだ。本作は、そういったモラトリアムからの卒業と心の成長を描いている。成長物語はドラマ制作の基本だが、本作でそれをやるとどうしてもオタク否定にならざるを得ないため、これは大きな冒険であろう。そして、「残念ながら」その冒険は大成功に終わる。
 ただ、一つだけ、たった一つだけ一期を肯定した部分がある。それは、主人公の面接を担当した人物が漫画『くじびきアンバランス』の編集者だったことだ。『くじびきアンバランス』と言えば、いつまでも続くと思っていた一期の幸せな日常を象徴する物だ。その作品と就職面接という究極のリアリズムがリンクすることで、一期の日常も無駄な物ではなかったと明らかになる。厳しい現実の中にあるほんの小さな理想を描く、それが本作にこの上もない爽やかなエンディングをもたらしている。

・総論


 モラトリアムからの卒業を描いた作品は幾らでもあるが、それを日常系アニメの元祖とも言える本作でやることに多大な意義がある。ただ視聴者に夢を売るだけがアニメではない。理想と現実を両方描いて初めて物語になるのだ。本作はオタクという題材を上手く使うことで、そういった難しいテーマに意欲的に挑戦した名作である。後、荻上さんが可愛い。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
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