『あの夏で待ってる』

羊頭狗肉。

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・はじめに


 2012年。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話。監督は長井龍雪。アニメーション制作はJ.C.STAFF。長野県を舞台にしたSFファンタジー青春ラブコメ。原作・脚本は黒田洋介、キャラクター原案は羽音たらくという『おねがい☆ティーチャー』『おねがい☆ツインズ』のコンビによって制作されているため、作風は似通っている。なお、タイトルは誤植ではない。まぁ、正しい日本語だと『あの夏(のあの場所)で待ってる』になるとは思うが。

・ごった煮


 突然だが、この統一感のなさ、このバラバラ感は特筆物である。作画、特に背景美術は異常なほど綺麗だ。全編に渡って実写と見紛うばかりのクォリティを維持しており、長野県の雄大な自然をきめ細やかに描写している。それは文句なしに素晴らしい。映画でもこのレベルにまで達している作品は少ないだろう。一体、どれほどの金がかかっているのかと心配になるが、本作がそのリアルな作画を生かした作品になっているかと問われると、残念ながらその答えは明らかに「NO」である。
 そもそも、これほど細密な背景が必要になる作品は、映像の空気感で心理描写などを行う俗に言う「雰囲気アニメ」ぐらいな物だ。しかし、本作にその要素はない。背景を演出として使うこともなければ、音楽も平凡、夏らしい季節感もあまり感じられない。何より、設定的にも物語的にも、大自然に囲まれた田舎町である必然性がまるでない。主人公はクセ毛の眼鏡男子でカメラ好きという誰がどう見てもオタク少年。だが、なぜか女性にモテモテ。要はハーレムラブコメ。対するヒロインも同じくクセ毛の眼鏡女子でアイドル性に欠ける。しかも、実は宇宙人。要はSFファンタジー。結局はありがちな萌えアニメの一つということであり、豪華な見た目と大幅に解離しているのが本作の最大の特徴である。

・ラブコメ


 本作の八割方はこれである。いわゆる典型的な落ち物ラブコメ。ある日突然、空から女の子が落ちてきて、ひょんなことから一緒に暮らすことになる。同じ場所で同じ時間を過ごす内に、お互いを意識し始める主人公とヒロイン。だが、別のヒロインが密かに主人公のことを想っており、嫉妬から奇妙な三角関係が発生する。ただし、本作の場合は、主要登場人物五人が全員、数珠繋ぎのように片想いをしているため、非常にややこしいことになっている。沖縄編などは、そこに二人の女性が加わって合計七角関係だ。これほどまで複雑な人間関係だと、当然一人一人にかける時間が取れず、しかも、終盤ではSFファンタジーの方も処理しないといけないため、史上稀に見る高速展開になっている。第三話の時点で主人公がヒロインに告白し、第九話で恋人同士になる。その間、他の人物も振ったり振られたりと大忙し。結局、十二話かけて最終的にカップルが成立したのは主人公とメインヒロインだけで、他の三人は見事なまでに保留である。
 もちろん、ラブコメ自体は王道なので面白いことは面白いのだが、問題は話のスケールが恐ろしく小さいことである。あらゆる対立がグループ内だけで完結しているため、ベクトルが外に流れて行かない。つまり、全員が想い人の方を向いているので、誰も背景の雄大な自然など見ていないのである。その結果、映像的には広々としているのに、物語的に非常に狭い範囲で終始するというひどく寂しい状態になっている。制作者もその欠点に気付いてか、彼らをいろいろな場所(観光地)へと移動させているのだが、やっていることは自宅と大して変わらないので広がりは少ない。この辺が、似たような人間関係でありながら、街の伝統行事をストーリーに組み込むことで地域振興アニメとなった『true tears』との大きな違いだろう。

・映画


 本作のメインストリームは、主人公達が自主映画を撮影するという物である。夏休みの間に何かを一つのことを成し遂げたいと思っていた主人公は、友人達と映画を制作することにした。それ自体は青春物語として十分に成立しているし、それなりに見所がある。また、思い出を記録するという映画の特性が、ストーリーにおいても大きな役割を担っている。ただし、それはあくまで演出上のキーアイテムに過ぎず、映画制作という行為その物が物語に係わることはない。せっかくのヒロインの宇宙人設定も生かされず、自分の正体を偽っている人が映画の中でさらに自分を偽るという二重フィクション構造も生かされない。
 主人公達の映画作りに対する動機も見え難い。夏休み中に何かをやりたいという台詞での説明はあるが、それ以前のダラダラとした生活を描いていないので、説得力はあまりない。主人公ですらそれなので、彼を手伝う友人達は尚更だ。映画制作はかなりマニアックな行為であり、同時にかなり面倒臭い行為である。本当に映画好きな人間でなければ絶対に続かない。そのため、この手の軽いノリで始まった遊びは、大体が途中でモチベーションが尽きて放棄される物だが、なぜか彼らは最後までノリノリである。グループ内での衝突や葛藤がない青春物語ほどつまらない物はない。
 そして、最大の問題点はやはりスケールが小さいことだ。映画研究部等の正式な部活動ではなく、本当に気の合う仲間内でのことだから、遊びの延長でしかない。完成した映画をどうしようということもない。撮っている映画も素人感丸出しのチープなSFコメディー。例えば、これが長野県の大自然をバックにした本格的な青春ムービーだったりしたら、視界が広がって、上質の作画を生かすこともできただろうが、これでは何の意味もない。分かり易く言うと、全てにおいて本作は「映画的」ではないのである。劇中映画の拙さによって、本作自体もそのレベルの作品だと自ら認める形になってしまっているのが皮肉なところだ。

・SF


 第九話でヒロインの正体が宇宙人であると主人公達にバレると、以後はそのヒロインが生まれ故郷に帰るか帰らないかという話になる。それまで、何度かSF的なシーンは出てきたものの、全体的な雰囲気は青春ドラマ寄りなのでやはり浮いている。だって、長野県だよ、長野県。ギャップを演出したいのは分かるが、明らかに差が大き過ぎる。これが東京の下町とか近未来の工業地帯とかなら違和感はないのだろうが。
 最終回は、ヒロインを地球に引き止めるため、彼女の記憶を頼りにかつて宇宙人が地球に来ていた証拠を探しに行く話だ。正直、目的がよく分からない(なぜ、過去に宇宙人が来ていると文明星と認められるのか)のだが、黒田洋介脚本らしい適当さが爆発したハチャメチャ展開なので、ここでようやく作画のクォリティに物語が追い付く。最初からこういうノリだったら、もっと面白くなっただろうに。
 あくまで予想だが、企画段階ではもっとライトタッチの落ち物ラブコメだったのだろう。ところが、制作が進むにつれて、地域振興などの余計な要素が入り込み、作画スタッフが頑張り過ぎて内容との解離を生んだのではないだろうか。そう思わないと納得できないぐらいのまとまりのなさである。例えるなら、超高級パンで冷凍ハンバーグを挟んだハンバーガーのような物だ。全体の雰囲気を統一させること、つまり、「監督の仕事」が如何に大切かがよく分かる作品である。

・総論


 良くも悪くも普通の落ち物ラブコメなので綺麗にまとまっている。だが、それは本作のように大金をかけ、優秀なスタッフを使って制作するに値する物ではない。これだけの技術力を萌えアニメにしか使わない日本のアニメ業界に本当に未来があるのかと心配になる。つか、こういうの、もう飽きない?

星:☆☆☆☆(4個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 21:53 |  ☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『ゆるゆり』

無。

公式サイト
ゆるゆり - Wikipedia
ゆるゆりとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2011年。なもり著の漫画『ゆるゆり』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は太田雅彦。アニメーション制作は動画工房。タイトルは「ゆるい百合」から。その名前通り、女子中学生がのんびりとした日々を過ごす百合系日常アニメである。

・企画


 本作を一言で説明すると、明確に視聴者ターゲットを設定した純然たる「企画アニメ」である。現代のオタクと呼ばれる人々が好む物をよく研究し、それらの要素を作品の中に詰め込めるだけ詰め込んでいる。当然、それらが一つの物語になっているわけがなく、ただ単にキーワードを並べているだけだ。具体的に言うと、ゆるい日常、百合、○○部、生徒会、漫画、ゲーム、魔法少女、コスプレ、コミケ、幼女等々。オタクが好きな物、言い換えるとそれは「オタクに売れる物」である。そのため、本作は商業主義の権化のような作品になっている。ドラマで例えるなら、バブル期のトレンディドラマ。音楽で例えるなら、全盛期のavexサウンド。映画で例えるなら、世界の亀山モデル。よって、本作を好きな人は、マスコミの仕掛けた流行にほいほいと乗ってしまう若い女性や韓流オバサンと同類だということである。もう、その時点でオタクでも何でもないという自己矛盾が面白い。
 なお、これは本項が勝手に言っているわけではなく、アニメ放送前のプレスリリースで、本作のターゲットは「マンガ・ゲーム・アニメ・アキバ系情報(2ちゃんねるなど)に興味がある「アキバ(オタク)の流行を追う」事を趣味とした顧客層」であるとはっきりと明示されている。普通の人間の感覚では、これを「馬鹿にされている」と受け取ると思うのだが。

・ゆるい


 便利な言葉である。「ゆるい日常」とさえ言っていれば、あらゆる作品上の不具合が全て許されるのだから。ストーリーもない、物語もない、訴えたいテーマもない、独創性もない、キャラクターの個性もない、人間的な深みもない。日常系アニメの元祖である『あずまんが大王』には、たとえ中身がなくても「ネタの面白さ」という唯一無二の要素があったが、本作にはそれすらない。毒がなく、演出も弱く、ツッコミのキレも甘く、同じオチを飽きるほど繰り返すため、ギャグアニメを自称するのは失礼なレベルにある。また、コメディーの質は声優の演技力の良し悪しが大きなウェイトを占めるが、本作は若手声優が中心なので恐ろしくレベルが低い。ちゃんと声の演技で客を笑わせているのは、眼鏡関西人役の豊崎愛生ぐらいな物だろう。こういうのを聞くと、つくづく『キルミーベイベー』の赤崎千夏の凄さを思い知る。
 ただ、考えてみると、女の子同士の普段のおしゃべりを他人、特に男子が聞いて面白く感じるわけがないので、リアルと言えばリアルかもしれない。むしろ、つまらない方がいいのだ。この手の日常系は、女の子が楽しそうに学校生活を過ごしている様子を、視聴者がすぐ側で生暖かく観察するのが目的なのだから。世の萌え系四コマ漫画家の多くが女性なのは、そういった理由からである、そして、本作の原作者も女性である。
 ちなみに、最近の日常系アニメのテンプレに従って、主人公達の親は存在を隠匿されている(出てきても声と後姿のみ)。それぐらいならまだいいが、なぜか主人公達は家族がいようがいまいがお構いなく、当たり前のように他人の家を歩き回って勝手に台所を使う。一体、どういう躾を受けているのだろうか。地上波で放送する以上、頼むから日本人として当たり前の礼儀ぐらいは守らせて欲しい。

・百合


 本作唯一の独自要素と言えなくもないのが「百合」である。いわゆる女性同士の精神的な恋愛関係。それが肉体関係まで行くと「レズビアン」になるが、全てにおいて適当な本作では両者の明確な区分はない。
 なぜ、今、百合が視聴者に求められているかを簡単に説明すると、萌えアニメである以上、女の子の数は多ければ多いほどいい。その結果が主人公+複数ヒロインのハーレムアニメなのだが、そこからさらに邪魔な存在である男性主人公を省いて、登場人物全員を女性キャラにしたのが日常系アニメである。しかし、恋する乙女の可愛らしさや性行為のエロスも捨てがたい。となると、残された手段は女性同士で恋愛をするしかない、というひどく打算的で後ろ向きな論法だ。そのため、女性が好むボーイズラブとは少々ニュアンスが違った物になっている。実際、百合好きな男性は多いが、レズ好きな男性は少数派である。
 結局、売れ筋路線の追加要素でしかないということであり、本作で真面目に百合を描いているということは決してない。グループ内で誰かが誰かを好きになるとどうなるか、当然、起こるべき感情の軋轢がないので現実感は皆無である。基本的に、オタク業界における同性愛の扱いは殊更に酷く、ほとんどギャグとしてしか使われない。例えば、第五話で主人公に友人が無理やりキスをする話があるが、これは普通に強制猥褻ではないのだろうか? 何でこれが笑い話扱いになっているのだ? 男女の恋愛だと問題で、百合なら何をやってもOKだという独自基準が分からない。本作は一事が万事そのような感じなので、女性同士の恋愛がただの記号でしかなく、人によっては不快感を覚えるぐらい極めて適当だ。第八話で双子の姉妹愛を描いているが、そちらの方がよほど百合である。

・娯楽部


 またまた出ました○○部。原作漫画が発表されたのは2008年だから、この時点でもう五十番煎じぐらいだろうか。本作における主人公達が属している部活の名称である。外敵が誰もいない安全な場所に閉じ籠もって、何をするでもなくグデグデとした日常を過ごすのが目的だが、本作の場合は何もしないどころか、部室にたむろすることすら稀なので存在意義が不明である。要はただの他作品のパロディーか。もっとも、かつて茶道部の部室だった学内の茶室を勝手に乗っ取っているのだから、数ある○○部の中でもかなり悪質である。なぜ、最近のアニメは、自称ジャンルが柔らかければ柔らかいほど犯罪行為に走りたがるのか。ちなみに、背景美術がいい加減なので、全く茶室らしからぬ部屋になっている。本当に日本人が作ったアニメなのだろうか。
 そんな理想郷も劇中に二度危機が訪れる。一度目は第二話、生徒会に目を付けられて、二度目は第十一話、頭を打った友人が優等生キャラに変化したことにより。どちらも、大して事件になることもなく、いつの間にか解決している。特に第十一話の方は、友人をどうやって元に戻すかに主眼が置かれ、部室の問題は気持ちいいぐらいにスルーされる。一度、自分達で「不法占拠は悪いことだ」と言っておきながら、それを解消せずに放置すると、自ら不法行為を認めることになってしまうのだがいいのか? 何だろう。監督と脚本家は馬鹿なのだろうか。

・総論


 「中身がない」を通り越して、「何もない」作品。いろいろな要素を詰め込んでいるが、どれもこれも物になっていない。それを「ゆるい」の一言で片付けるのは結構だが、制作者側が手抜きの言い訳として使っているのが現状なので同情はしない。

星:☆(1個)
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