『境界線上のホライゾン』

動く設定資料集。

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・はじめに


 2011年。川上稔著のライトノベル『境界線上のホライゾン』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は小野学。アニメーション制作はサンライズ。遠い未来の極東を舞台にしたSF冒険ファンタジー。原作が発表される前に膨大な量の設定資料が公開される等、練り込まれた奇抜な世界観が魅力の典型的な「設定アニメ」である。

・設定


 「設定がよく分からない」と批判されるドラマは世に数多く存在するが、その原因は一体何だろうか。単に「受け手の読解力が足りない」という根本的な物を除けば、おそらく以下のような原因が挙げられるだろう。1、設定が破綻している物(破綻していれば理解できないのは当たり前)。2、設定が多過ぎる物(複雑にすればいいというわけではない)。3、設定の見せ方が下手な物(思わせぶりな台詞ばかりで中身0とか)。4、設定を見せ過ぎる物(全部を台詞で語っちゃう系)。5、設定と物語が無関係な物(いわゆるゴミ)。もちろん、これらの原因が単独で存在するのではなく、様々に複合することでコードがスパゲッティ化し、結果、「何をやっているのか分からない」状態になるのだろう。
 さて、本作もとかく「設定がよく分からない」と言われがちな作品である。ただ、本作の場合は、ご丁寧に第一話のエンディングでナレーションが全てを語ってくれているのでありがたい。「遠い未来。ある理由から、もう一度歴史をやり直し始めた世界。かつて、神として天上へ昇った人類は、争いの末、神々の力を失い、再び地球と呼ばれた台地へと戻ってきた。しかし、その星の環境は荒れ果て、神州以外に人の住める場所はなくなっていた。人々はかつての繁栄を取り戻すべく、聖譜と呼ばれる前時代の歴史を元に現実世界の神州とそのコピーである重奏神州に分かれ、歴史再現を行っていた。しかし、中世の神州において、歴史再現の失敗により生じた重奏神州の崩壊が世界各国による極東神州の分割支配をまねき、各国の王はそれぞれの土地の戦国大名との合一を図ったのである。そして、現在、極東の戦国大名と世界各国の英傑達は、極東史の戦国時代と世界史の三十年戦争時代をやり直しつつ、世界の覇権を争っている」……長ぇーよ。ていうか、意味分かんねーよ! 神州ってどこやねん!? 歴史再現って何やねん!?
 もっとも、実際に本編を見てみれば気付くと思うが、これでも分かり易くまとめている方なのである。本当の設定はもっと大量かつ複雑で、到底一つの文章にまとめられるような物ではない(Wikipedia参照)。つまり、本作は設定が分かり難いとか説明が悪いとか言う以前に、端から視聴者に理解させることを放棄した世にも珍しい作品である。

・主人公


 主人公は、武蔵アリアダスト教導院の総長兼生徒会長。見た目は高身長で細マッチョのイケメン。だが、顔は常にヘラヘラと笑っていて締まりがない(常に陽気でないと死んでしまうという謎設定があるため)。性格は空気の読めないスケベでお馬鹿なお調子者。でも、リーダシップがあって皆に好かれている。言動は痛々しいオタクその物で、未来世界なのになぜか現代のネットネタを連発する。そして、「趣味はエロゲー」である。あのさぁ……煽りでも何でもなく真面目に聞きたいのだが、ライトノベルの読者は本当にこういった主人公を好ましく思っているのだろうか。いわゆる一般的な熱血主人公よりも、この手の「美化されたオタク」タイプの方が共感できるということだろうか。ライトノベル好きの全員がエロゲーユーザーではなかろうに。ちょっと意味が分からない。後、普段は適当でも、いざと言う時に本気を出す系の人物が中二病的にカッコイイのは分かるが、その言葉に「説得力はない」ということを早く理解して欲しい。
 何にしろ、この灰汁の濃過ぎる主人公に共感できる人間が非常に限られているのは間違いないわけで、多くの視聴者は共感以前に不快感を覚えるだろう。はっきり言って、それはドラマとして失格、いや、問題外である。もちろん、悪人やダメ人間が主人公になるドラマは多数あるが、それらの人々は人間が隠し持っている弱さや脆さを克明に映し出すため、不快感を覚えつつも頭から否定できず、最後にはついつい自分を重ね合わせてしまうのである。一方、本作は? エロゲー好きなオタク以外はお断り? それが自慰行為でないなら何と言うのだろう。そもそも、「エロゲー」って何? これだけ複雑な設定を詰め込んだ作品なのに、なぜ「仮想偏愛遊戯」みたいな世界観に合った固有名詞を付けないの? もう、この時点で本作は真面目にファンタジーをやる気がないとみなしても良いということだ。こいつ一人のせいで、頑張って作った設定が全て台無しである。

・モザイク化


 上に初期設定を長々と書いたが、はっきり言って、これでも序の口である。本作の設定は想像以上に膨大である。そのため、さすがに第一話こそはエンタメに徹したが、第二話からは怒涛の設定オンパレードが開始される。当然、一つ一つを物語として描く尺はないため、全てが登場人物の台詞として語られる。しかも、分かり難いことに、それらの設定に沿った物語は、主人公達とはまるで関係のないところで繰り広げられるのである。主人公=視聴者が世界を見て回る内に、徐々に複雑な設定が明らかになるといったオーソドックスな手法は使われない。各組織のリーダー的な立場のキャラクターが裏で暗躍している間、主人公達は本筋と全く無関係の幽霊退治などをやっており、彼らがストーリーに加わるのは中盤以降、大きな事件が起こった後のことだ。これでは物語に没入しろと言う方が難しい。
 ただ、ここは判断が分かれるところだ。これらのモザイク化した設定群は明らかに意図的に仕組まれた物である。大して重要ではない物にすら固有名詞を付け、詰め込めるだけ詰め込んでいる。最早、設定を増やすこと自体が目的化しているようなレベルだ。もちろん、設定が前面に出過ぎている以上、ドラマとしては全く評価できないのだが、この複雑怪奇な世界観が好きという人もいるだろうし、何度もアニメ本編を見直して、パズルゲームのように少しずつ設定を解きほぐしていくのも楽しみの一つであろう。そのため、頭ごなしに悪いとも言い難い。ここは一つ、「人を選ぶ作品」と曖昧に誤魔化しておくのが得策だろうか。
 ちなみに、なぜ、これほどまで設定がモザイク化するかというと、根本のテーマである「歴史再現」が無理やり過ぎるからである。「未来の日本で戦国時代を行う」というただ一つの目的のため、どんどん後付けで設定を足していった結果、最終的にここまで肥大化してしまった。破綻していないのはさすがだが、褒められるようなことでもない。

・問答


 このようにとかく面倒臭い作品であるが、軸となるメインストーリーは意外と単純である。簡略化して書くと、「子供の頃に亡くなった幼馴染みの魂が封じられた自動人形が敵に捕えられたので、皆で助けに行く」というだけの物語だ。それはそれで悪くはないのだが、練り込まれた設定とのギャップが凄まじく、真面目にやれば二・三話で終わってしまうような簡単な話である。ところが、本作は全十三話。では、それまで何をやっているのかと言うと、そのほとんどの時間を埋めるのが「問答」である。
 本作は、事あるごとにキャラクターが一対一で討論する。それは意見のぶつけ合いなどではなく、一定のルールの下に行われる文字通りの「ディベート」である。議題は「戦争するべきか否か」や「それに大義名分があるか否か」など。まぁ、それなりに含蓄のある言い回しや巧みな論理展開などを使って、迫力のある討議を演出しようとはしているのだが……。ただ、なぜ、そのような討論が劇中において成立するかと言うと、登場人物が全員、歴史再現などの決められたルールには必ず従う遵法主義者だからである。そして、そのルールとは何かと言うと、当然、作者自身が築いた「設定」なのである。自分の作った設定を遵守する者達が自分の思う通りの言葉をぶつけ合ったら、そりゃ、描くのは楽だよねという話だ。結局、作者の「高度な頭脳戦を描ける俺カッコイイ」でしかないため、人によっては鼻に付くだろう。
 なお、最終盤、敵から自動人形を助け出すための手段も問答である。彼女を助け出したい主人公とそれを拒否する自動人形の意見が平行線を辿る。しかし、主人公がその状態を上手く逆手に取って……という流れだが、正直、これはどうだろう。何となく哲学的なことを言っているようなムードを醸し出しているが、要するにやっていることはただの「説得」である。クライマックスシーンなのに二人で突っ立って会話をしているわけで、その間、当たり前のように敵は攻撃を待っていてくれる。何も盛り上がらない。捕らわれのお姫様を騎士が説得して連れ出すおとぎ話が子供達にウケるかと考えれば、本作のがっかり具合をお分かり頂けるだろうか。

・戦闘


 では、本作は「付いて来れる者だけが付いて来い」という漢らしい作品なのかと問われたら、一点だけ万人が楽しめる要素がある。それが戦闘シーンである。動画枚数が多く、レイアウトも巧みなので、実にダイナミックである。同制作会社の『機動戦士ガンダム00』などより明らかに予算的にも技術的にも気合が入っているのが哀しい。時代はライトノベルということか。特に、第一話の空中戦艦上の戦闘は、建物の奥行き感に空の青さが加わって非常に面白いビジュアルになっており、そこだけでも見る価値がある。ただ、個々のキャラクターの戦闘形態が違い過ぎるため、第一話以外は常にタイマン勝負なのが難点か。大規模な戦争が起こっているはずなのに、一つの勝負が終結すれば、また次の勝負というように視野が著しく狭い。そういう物と割り切れば楽しめるが、個性的な仲間が皆で協力し合って戦うといった団体戦の面白さは皆無である。
 そして、忘れてはいけないのが、ここでも設定、設定、設定である。戦闘中にも係わらず、自分達の技の原理や効果を『美味しんぼ』の海原雄山の如く詳細に解説する。もちろん、ほぼ全てが後付けである。最初から、これは『美味しんぼ』なのだと思えば、微笑ましく見れないこともないのだが、作者自身はこれをカッコイイと思ってやっているようなので、いろいろと残念だ。

・総論


 設定資料集を片手に、主人公の登場シーンを全て早送りで飛ばしたら、まずまず楽しめる作品。ドラマとしては全く評価できないが、設定の詰め込み具合だけはガチなので、よくぞここまで頑張った「努力賞」といったところだろうか。

星:☆(1個)
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by animentary  at 22:30 |   |   |   |  page top ↑

『大魔法峠』

集大成。

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大魔法峠 - Wikipedia
大魔法峠とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2006年。大和田秀樹著の漫画『大魔法峠』のOVA化作品。全八話。監督は水島努。アニメーション制作はスタジオバルセロナ。魔法の国からやってきた可憐なプリンセスが、楽しい仲間達と一緒に夢いっぱいの学園生活を過ごす魔法少女系アニメ。はい、嘘です。ごめんなさい。

・邪道魔法少女


 邪道魔法少女三部作の中では、本作が最も「魔法少女」らしい作品である。主人公の田中ぷにえ(本名)は魔法の国「聖魔法王国」のプリンセス。とある事情から、修行のために人間界の学校へ転校することになる。ショートボブの金髪に大き目のカチューシャという少女漫画風の可愛らしい容姿、変身こそしないが普段の学校の制服が特殊なので、外見は非常にメルヘンチックである。いつも胸に付けているプリンセスロッドを使い、「リリカル・トカレフ・キルゼムオール」と呪文を唱えることで魔法を使うことができる。パヤたんというキュートなマスコットキャラが常に付き従う。OP曲はキャッチーで愛くるしい正統派アニソン。ベースとなる元ネタは『魔法使いサリー』と『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の折衷か。この時点では、誰がどう見ても真っ当な魔法少女である
 さて、本題である。本作は同じ魔法少女でも邪道魔法少女なので、ここから中身をできる限り崩して行かなければならない。だが、設定のテンプレートまで変えてしまうとパロディーである意味がなくなってしまうため、基本的には何か新しい物を付け足すという形になる。『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』ではオタクパロディー、『撲殺天使ドクロちゃん』ではエログロが追加要素だった。そして、本作の目玉は、その物ずばり「バイオレンス」である。

・バイオレンス


 まず、主人公の可憐で可愛らしい性格はフェイクである。最初は物の加減が分からない程度の天然キャラかと思いきや、敵に襲われた時などに彼女は本性を露わにする。その素顔はガラが悪く、ドス黒く暴力的かつ卑劣な外道で、王族としての威厳に満ちている。表情も一変し、声のトーンも下がる。その可愛い顔と暴力的な顔の落差を、CVの佐藤利奈が巧みに演じ分けている。それ以前の問題として、彼女が転校してきた学校はスケバンが大勢いるような暴力校であり、彼女達は転校生のくせに目立つ主人公をシメようとする。主人公を付け狙う魔法の国からの刺客も、冗談抜きに本気で彼女のタマを取りに来ている。また、なぜか外国人にウケたことで有名なカレー作りのシーンなど、『撲殺天使ドクロちゃん』ほど極端ではないが、エログロ風味のブラックネタも満載だ。
 このように、本作の特徴は魔法少女とバイオレンスの高度な融合にある。要するに、可愛らしい魔法少女の世界観に、それと正反対に位置する古き良き少年不良漫画的な世界観を付け足して、モザイク化させているわけである。第二話などがその典型で、マスコットとの出会いが回想シーンで語られるのだが、それが某世紀末救世主漫画のように退廃的なイメージなので笑いを誘う。ただし、ネタとしては非常にベタである。下手な制作者が手を付けると、くだらないパロディーで終わってしまうだろう。それゆえ、本作の場合は物語の軸となるテーマをしっかりと事前に定義することで、そう簡単にはぶれないように工夫している。それが、次に紹介する「マキャヴェリズム」と「肉体言語」である。

・マキャヴェリズム


 政治学者のマキャヴェリが著作『君主論』で書いた「政治家は国家存続の目的のためなら、手段を選ぶべきではない」という思想。もっと分かり易く言うと、いわゆる「帝王学」である。本作は、「みんな、私のお友達」という平等主義的な魔法少女とのギャップを演出するため、「力こそが正義」という実力主義的な思想を物語の根底にしている。しかも、元ネタが『魔法のプリンセス ミンキーモモ』なので、ちょうど上手いことに主人公が魔法の国のお姫様なのである。そのため、本作における魔法の国は、そのメルヘンな名前とは裏腹に、主人公の母親が武力と謀略で軍事制圧し、絶対王政による恐怖政治を敷いているという設定になっている。そんな母親の娘である主人公も、同様のマキャヴェリズム論者だ。目的のためなら手段を選ばず、勝利こそが全て、敗北して生き恥を晒すぐらいなら潔く死を選ぶ。それが良いことか悪いことかはこの際問題ではなく、キャラクターが一つの固い信念をベースにして動くというのは、ドラマ制作において非常に大切なことである。なぜなら、人物の言動に一貫性が出て、話に説得力が増すからだ。つまり、バイオレンスアニメと言っても、ただの無差別な暴力ではないということである。これが作品の質にどれだけ貢献するかは語るまでもないだろう。

・肉体言語


 主人公は、邪道魔法少女にしては珍しく魔法の使い手である。しかし、その魔法が封じられても、彼女は肉弾戦という必殺の隠し技を持っている。と言うより、そちらの方が本職であり、むしろ、それを好む。彼女の得意技は、格闘技全般の中でも特に関節技(サブミッション)。それを「肉体言語で語り合う」と称する。なぜ、打撃技ではなく関節技かという理由は明白で、魔法という目に見えない超自然的な技と最も対極に位置するのが、他者との身体的接触をベースにした関節技だからだ。たとえ、武器がなくても、たとえ、相手が巨大なモンスターであっても、自分の身一つで戦いに勝利することができる。それゆえ、彼女はこう述べる。「打撃系など花拳繍腿、サブミッションこそ王者の技よ」
 ただ、関節技は画的にはかなり地味なので、アニメーションとして見ると少々厳しい物がある。実際に関節技をかけられた経験がないと、痛みを実感することも難しいだろう(もちろん、実際に魔法をかけられた経験のある人間はこの世に一人もいないのだが)。その代わり、本作は格闘描写に関しては徹底的にリアルにこだわっている。特に、第三話の刺客との関節技を駆使した戦闘シーンは、格闘技マニアをも唸らせる完成度だ。おそらく、作画スタッフの中に相当な格闘技好きがいるのだろう。また、それ以外にも軍事や合戦描写なども正確だ。こういった細かいこだわりは素直に賞賛したい。ギャグアニメだからこそ、「真面目に馬鹿をやる」ことが大切なのである。

・総論


 数ある邪道魔法少女の中でもずば抜けた完成度を誇る一品。全く関連性はないはずだが、『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』『撲殺天使ドクロちゃん』で積み上げてきた物の集大成のような作品になっている。しいて欠点を挙げるならば、漫画の時点ですでに完成されているので、あまりアニメ化するメリットが感じられないということだろうか。

星:☆☆☆☆☆(5個)
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by animentary  at 22:01 |  ☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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