『惡の華』

アニメじゃない。

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惡の華 - Wikipedia
惡の華とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。押見修造著の漫画『惡の華』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は長濱博史。アニメーション制作はZEXCS。群馬県のある街を舞台に繰り広げられる中学生の男女三人の自分探しを描いた青春ストーリー。同名タイトルの芸術作品は複数存在するので、混同しないように注意。そもそも、本作をアニメのカテゴリに入れていいのか迷ったが、作っている本人がアニメだと言っているので、きっとアニメなのだろう。

・ストーリー


 舞台は山に囲まれた閉塞感の漂う盆地の街。そこの中学に通う主人公は、クラスでは地味な存在であるが、ボードレールなどの難解な文学作品を愛読し、自分は他人とは違うと思っている典型的な中二病患者のプライドの高い少年。そんな彼がある日、出来心で憧れのクラスメイトの佐伯奈々子の体操服を盗み、それをクラスの変わり者の仲村佐和に見られたことから物語が始まる。「クソムシ」みたいな日常に飽き飽きして街から出たいと願っていた仲村佐和は、主人公に「ド変態野郎」の素質を見出し、彼の仮面の下の素顔を暴こうとする。一方、主人公はひょんなことから佐伯奈々子と付き合うことになる。こうして、男女三人の奇妙な三角関係が始まるのだった。
 良くも悪くも青春物語である。思春期特有の複雑な心理は上手く描けているので、そこに共鳴できる感性の持ち主なら、本作の世界に深く入り込むことができるだろう。逆にそれ以外の人は、一旦、精神年齢をそこまで下げないといけないので、少々厳しい物がある。だが、本作は原作漫画と違って、視聴者のほとんどが十八歳以上の深夜アニメのため、ターゲット設定がよく分からない。やはり、企画自体に無理があるのかもしれない。他の欠点を挙げるなら、佐伯奈々子が主人公を好きになった理由がやや薄い(ただの下流志向か)ことと最終回の構成だろう。特に最終回は半分以上が回想シーンで、その中には見たことのない映像(おそらく未来の出来事)が含まれ、ラストはまさかの「第一部完」の文字。これなら、全十二話で全く問題はなかっただろう。水増しにも程があるわけで、結局、制作者が一番のクソムシだったというオチが面白い。
 以上、簡単ながら本作の論評はこれで終わらせて頂く。詳しくは原作を読んで欲しい。なぜなら、他にも書かなければならないことが大量にあるからだ。

・アニメ


 本作は全編「ロトスコープ」という手法で作られているアニメである。ロトスコープとは、実写を一カットずつトレスしてアニメーションにした作品であり、実際、本作も先に役者が演技をした実写映像を制作し、それを元に作画作業を行っている。非常に手間暇がかかる手法なのは言うまでもない。そして、先に結論を書くが、本作の最大の問題点は、そんな苦労をしてまで「実写をアニメ化する意味がまるでない」ことである。
 まず、アニメーションの特徴は何かを考えると、一番のメリットは「非現実的な物と現実的な物を同一画面上に違和感なく並べられる」点だろう。その一番分かり易い例がロボットアニメである。CGやら特撮やらを駆使してロボットを画面上に出すことは可能だが、実在の人間や背景と並べるとどうしても両者の間に質感のズレが生じ、違和感を覚えてしまう。だが、アニメーションの場合は、ロボットも人間も背景も全て同じ一枚の「画」なので、全体に統一感が生まれ、画面内にリアリティが発生するのである。他に非現実的な物と言えば、眼が大きくて髪の色が変な「美少女萌えキャラ」なども同様だ。だが、本作のように実在の映像をトレスしただけでは、リアルとファンタジーの融合というアニメーションの最大の特徴が全く生かされない。唯一、第十一話で主人公の夢の中に空想的な映像が出てくるが、それもアニメ演出的にはお粗末な代物だ。もっとアニメーションでしか表現できない特殊な演出を多用しなければ、ロトスコープを用いた意味は何もないし、本作の存在意義に対する疑念、つまり、「原作を読めばいい」で終わってしまうだろう。
 なお、本作の監督は、原作者との対談の中で「単純なアニメ化では原作の良さを表現できないので、ロトスコープを用いた」と語っているが、明らかにアプローチが逆だ。実写化しようと思ったが、表現の限界を感じたのでロトスコープでアニメ化したとならなければおかしい。この発言は、心の底からアニメーションという映像芸術を馬鹿にしていなければできない物である。そんなにアニメが嫌いなら実写監督になればいい。無理だろうけど。

・実写


 では、逆に実写としての評価はどうだろう。試しに、本作をロトスコープのない一つの映画として見てみると(※ニコニコ動画において第三話の実写映像が公開された)、致命的な欠点が存在することが分かる。それは「パンができない」ことだ。つまり、実写並みのクォリティを維持した背景の制作には多大な労力がかかるため、その手間を省くにはカメラをできる限り動かさないようにするしかないのである。すると、できあがるのは、固定カメラの中で人物が動くカットを次々と切り替えるだけの「紙芝居」である。別に、カメラのパンは必須の表現技法ではない。映画監督の中にはパンが作る画的な安っぽさを嫌って、あえてしない人もいる。ただ、「しない」と「できない」とでは天と地の差がある。一流映画監督のような撮影技術を持っているわけではないのに、自ら表現の幅を狭めているのである。それは完全にアマチュアの発想だ。実際、本作も後半になるとキャラクターが画面内を動き回るようになり、仕方なく3Dなどを使って無理やり背景を動かしているが、ビジュアル的に極めて奇怪である。こうなることが事前に予測できていなかったとしたら、それはもう原作に謝罪しなければならないレベルの失態であろう。
 もう一つの欠点は人物の表情である。絵画ならともかく、アニメ画は絶対的な情報量が少ないため、どうしても微妙な表情の変化が乏しくなる。アニメや漫画の場合は、それを「デフォルメ」表現を使うことで補っているが、当然、本作では用いられない。本作でやっていることは、照れた時に頬を赤く染めることと、困った時に冷や汗を流すことぐらいである。そのチープさをお分かり頂けるだろうか。どこの世界の映画に頬を赤く染め、冷や汗を流す役者がいるのだろうか。アニメでも実写でもないロトスコープという中途半端さが、演出までも中途半端にしているのである。そんな物で思春期の奥深い心理を描けると思っているなら、チャンチャラおかしい。

・良点


 さて、批判だけでは何なので、強引にでも評価点を探そう。しいて言うなら、ロトスコープの長所は作画の段階で幾らでも修正が効くことだろうか。役者の容姿を後から変更できるということは、中学生のドラマだからと言って、役者が中学生である必要はないわけである。演技力の拙い子役を使わずとも、プロの役者に演じさせて、後から中学生風に加工すればいい話だ。また、音声もプロの声優が吹き替えているため、子役を使う際に最もネックになる台詞回しの不自然さも解消されることになる(ただし、彼らが役者が演じる以上の臨場感を発揮できているかどうかは正直怪しい)。おそらく、舞台上のリアリズムが全てだと考える演劇関係者が聞けば激怒するだろうが、こういった良い部分の切り貼りリミックスが如何にも現代文化らしい。
 もう一つのメリットは、完全に願望になるが、アニメーターが本作を手がけることによって、人間とはかくも不規則に動き続ける物かと学習することである。実在の人間は、アニメのようにじっと静止はしてくれない。それを学ぶことによって、その経験を後のアニメ制作にも活かしてくれたらという願望である。もちろん、本作を萌えアニメの何に応用するのかと問われたら回答に窮すのだが。
 最後のメリットはビジネス面である。実写ドラマではなくアニメ作品にすることで、商売的に非常に有利になる。アニメ雑誌などで取り上げてくれるし、ネット上でアニメファンが勝手に話題にしてくれる。今やビデオ屋でもドラマコーナーよりアニメコーナーの方が広い時代である。売れるかどうか分からない一般人を相手にするより、確実にペイできるオタク相手に商売する方が楽だ。ただ、その最善策がロトスコープなのかは正直分からない。

・総論


 新しいことに挑戦したからという理由で本作を評価している人も多いが、作品としての出来を考慮すると、やはり評価すべきではないと考える。歴史がどう判断するかなど本項とは何も関係ない。もちろん、ストーリーはよくできているので、原作はオススメである。

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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:04 |  未分類 |   |   |  page top ↑

『アキカン!』

良い意味で馬鹿。

公式サイト
アキカン! - Wikipedia
アキカン!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2009年。藍上陸著のライトノベル『アキカン!』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は日巻裕二。アニメーション制作はブレインズ・ベース。自動販売機で買った缶ジュースに口を付けると、何と缶が女の子に変身した! そこから始まる落ち物系ファンタジーラブコメ。当時、開局したばかりのBS11が初めて独占放送した記念すべきタイトルである。何で、この作品が?

・B級


 紛うことなき「馬鹿アニメ」である。ジュースの空き缶が女の子になるという設定の馬鹿馬鹿しさ。アルミ缶とスチール缶がジュース業界の覇権を懸けて戦うというストーリーの馬鹿馬鹿しさ。何より、主人公が良い意味で突き抜けた馬鹿である。面白いかどうかは別にして、彼の言動は最初から最後まで一貫してハチャメチャなので、常に明るく楽しい雰囲気が保たれている。その一方でシリアスな部分はちゃんとシリアスだし、ほろりと泣かせる要素もある。作風の割りにはパロディーネタが少ないし、下ネタもちゃんと笑えるように作られている。本作はその辺りのバランス感覚が非常に良い。ただの軽薄な馬鹿騒ぎでは終わらせず、ちゃんとコメディーの原則に則っているのは好感が持てる。それゆえ、この手の作品を良識ぶって頭ごなしに批判しても、「空気読め」と言われて終了だろう。あまり深く考えず、お馬鹿なキャラクターのお馬鹿な行動を笑い飛ばして楽しむべき作品である。
 明確な欠点は、やはり作画だろうか。2009年の作品なのに、まるで2000年代初頭のアダルトアニメレベルの作画力である。人物デッサンや背景パースが狂っているだけならまだしも、全体的に塗りが平坦なので非常に安っぽい印象を受ける。それ以前にキャラクターデザイン自体にも問題があり、原作画を手がけた鈴平ひろ特有の可愛らしいキャラクター像を再現できていないのは苦しい。純粋なギャグアニメならこれでいいのだが、一応、本作のジャンルは美少女萌えアニメになるはずだ。ただ、その欠点を補うかのように音響面が頑張ってくれている。声優陣の熱演が、一歩間違えればどうしようもない駄作になりがちな作品を、笑って楽しめるB級作品に押し上げている(ただし、ラスボス役の中島愛は除く)。OP曲・ED曲もバラエティー豊かで良い。

・萌えキャラ


 「結局、あたしなんて用が済んだらそれで終わり。もう要らない。後はただゴミになるだけ。ただ、愛されたいだけなのに。誰か、あたしを……」
 ある日突然、自動販売機で買った缶ジュースが可愛い女の子に変身し、冴えない主人公と一緒に暮らすことになった。これは、いわゆる「落ち物ラブコメ」の雛形を意図的にそのまま踏襲した物である。しかし、本作と他作品との決定的な差異は、ヒロインは本来飲んだら捨てられる空き缶であり、彼女はそれを十分に自覚していることである。冒頭の台詞にある通り、彼女は自分自身の存在の儚さを嘆き、持ち主に捨てられることに強い恐怖を覚えている。つまり、彼女は「物」であり、明確に「人間ではない」。そのため、主人公のヒロインに対する愛情も、一人の女性に対する恋愛感情ではなく、身近な道具に対する愛着と言った方が正しい物になっている。これはなかなか斬新なアイデアであろう。
 もっとも、画面上では両者の違いは分かり難いのだが、その分、周到にヒントを用意している。それが幼馴染ヒロインと彼女の有するアキカンである。二人は共に女性であり、一般的な男女の恋愛感情は持ち合わせていないのだが、それ以上に強い絆で結ばれている。しかも、彼女は実家が大金持ちにも係らず倹約家で、人一倍、物を大切にする性格なので、より感覚が掴み易い。こういった道具に対する愛着で思い出すのはアニメ『ローゼンメイデン』であるが、本作はそれと構造がよく似ており、人に使われることによって存在意義が生まれる道具の幸せとは何かがテーマになっている。お馬鹿なノリにばかり目を奪われがちだが、このように本作の作品としての器は意外と深い。
 一方、本作の設定は、上記とは別にもう一つの穿った捉え方をすることができる。それは萌えアニメに対するアンチテーゼである。冒頭の台詞を聞いて、何かがチクリと胸に突き刺さった人も少なからずいるだろう。つまり、アニメのヒロインに対して激しい愛情を注ぎ、「俺の嫁」を自称しながらも新しいアニメが始まるや否や目移りし、三ヶ月ごとに嫁を次から次へと替えていく昨今のアニメオタクに対するアイロニーである。彼らにとって、ヒロインは飲み終わった空き缶と同レベルなのだ。本作の主人公のように「一生、側にいろ」と胸を張って言える人がどれだけいるだろうか。

・第一部


 本作は第一話~第六話と第七話~第十二話の二部構成になっている。第一部は、ある程度原作に沿った物語だ。ある日、ガーリッシュ(女の子化)したスチール缶の「アキカン」のオーナーになった男子高校生の主人公の元へ、経済産業省の役人が現れて、ジュース缶の規格を統一するためにスチール缶とアルミ缶が戦う「アキカンエレクト」の開催を告げる。一方、主人公のことが大好きな幼馴染みヒロインも、またアルミ缶のアキカンのオーナーになっていた。無益な戦いを望まない二人だったが、主人公とアキカンが仲良くしているのを見て、嫉妬に駆られた幼馴染みが思わず自分のアキカンをけしかけてしまう。激しい戦いを繰り広げる二人のアキカン。そこへ主人公と幼馴染が駆け付け、体を張って二人を仲裁し、再び平和な日常が戻る。
 理由は馬鹿らしいがバトルは熱い。制作スタッフもよく分かっているが、この手のドタバタ話は作り手がほんの少しでも照れを見せると途端に白けてしまう物だ。その辺りのさじ加減が本作は絶妙である。ただ、少し話が狭いか。結局は幼馴染みの嫉妬物語でしかなく、ジュース業界の覇権を懸けた争いという設定を生かし切ったとは言い難い。だが、狭くても深みがある。それは主人公の主張が全くブレないからだ。過去の事件のトラウマで争い事に嫌悪感を持っている主人公は、他人の意見に流されることなく、最初から最後まで一貫してアキカン同士の戦いを否定し続ける。主人公は馬鹿だが、良い奴である。こういった人間は信頼できる。つまり、視聴者が安心して心を寄せられるということだ。そこが普段は逃げ回っているのに、大事な場面にだけ現れて美味しいところを奪って行く「巻き込まれ型主人公」との大きな違いである。

・第二部


 第七話~第十話は、主人公の周辺で巻き起こるのんびりとした一話完結型エピソードである。野球回に水着回にメイド回に日常回とラインナップが非常に分かり易い。第六話で最終回のような盛り上がりを見せた後では、ほとんど後日談か外伝かというような扱いになっている。ファンサービスだと思えば何も問題はないのだが、せっかくの1クールアニメなのに少々もったいない気もする。設定を重視するなら、原作のように数々の個性的な缶ジュースのアキカンが登場して、ヒロイン達と一悶着を起こす話の方が面白いだろう。ただし、それをやると取り返しの付かない失敗をやらかすリスクが飛躍的に高くなる。正直な話、本作の制作スタッフが複数ヒロインを上手く操れるとは考え難い。それなら、何も事件が起こらない平凡な日常話の方がいいという意見も分からなくはない。
 第十一話・第十二話は、本作を締めくくるオリジナルストーリーである。アキカンエレクトのルールを無視して、アルミ缶とスチール缶の両方を狙う「最強のアキカン」が現れ、穏やかな日々を破壊する。そこで、アキカン達が協力して彼女に戦いを挑む……という非常にベタな物語だ。それならそれで、第三勢力である瓶やペットボトルのアキカンにすればいいのにと感じるのは贅沢だろうか? なお、彼女は関西圏でよく飲まれているミックスジュースのアキカンである。本作には、缶入りミックスジュースを発売している関西資本の飲料会社が協賛しており、劇中で主人公達があの有名なCMソングを歌う。関西人及び阪神タイガースファンなら、それだけでニヤリとするだろう。この馬鹿馬鹿しさが美しい。こういったタイアップは大歓迎なのでぜひ続けて欲しい。

・総論


 緩い作画とお馬鹿なノリのせいで勘違いされがちだが、中身はちゃんとツボを押さえたB級コメディー作品である。見る人を選ぶものの、少なくともクソアニメではない。本来なら喜ぶべきことのはずだが、ちょっとガッカリしているのはなぜだろう。

星:☆☆(2個)
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