『つよきす Cool×Sweet』


前代未聞。

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つよきすとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2006年。きゃんでぃそふと制作の十八禁美少女ゲーム『つよきす』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は木村真一郎。アニメーション制作はトライネットエンタテインメント、スタジオ雲雀。演劇好きの強気な女の子が、転校先で幼馴染と再会したことから始まる学園ラブコメ。原作ゲームはヒロイン全員が強気系という特徴を持ち、後の「ツンデレブーム」を牽引するほどの人気を博した。アニメ化に際し、女性陣のキャストは全員変更されているのに、男性陣の一部は原作から継続という謎のキャスティングが行われている。

・ツンデレ


 現在でも各所で行われていることから分かるように、「ツンデレ」の歴史ほど面白い研究対象はないかもしれない。それこそ手塚治虫の時代から、ツンツンした女の子がデレデレした時のギャップの可愛らしさは描かれており、用語こそなかったが一つの黄金パターンとしてキャラクターが確立していた。そして、九十年代の後半からゼロ年代前半、エロゲーがオタク文化の牽引車としてその地位を固めると、「萌え」という名の下にカテゴリの分類・整理が行われるようになる。その中には、当然のように「体は小さいけど態度のでかいケンカ友達の女の子」(例:『ONE ~輝く季節へ~』の七瀬留美)も含まれていた。ツンデレという言葉が生まれたのはちょうどその頃である。ただし、俗に言う「ツンデレブーム」が起きたのは、2005年~2006年のことであり、そこから少し間が開いている。そのバックグラウンドには、間違いなく本作の原作ゲームが大きく係っている。
 そもそも、当時の時代背景は、妹ブーム・姉ブームが終焉してエロゲー業界自体が斜陽に差し掛かった頃であり、そこで新たな起爆剤としてツンデレというジャンルに目を付けたのが本作を制作したきゃんでぃそふとである。結果、本作は大ヒットを記録し、エロゲー業界も復活して世代交代が行われた。その後、ツンデレという言葉が独り歩きし、ネット掲示板などで話のネタとして使われ始めた時、ちょうどヒロインがツンデレ風(純粋なツンデレとは言い難い)だった『涼宮ハルヒの憂鬱』が放送されたのである。以降、ツンデレという言葉はアニメ業界のみならず、一般社会にも広く浸透するようになったのはご存じの通りだ。
 本作の功罪は、ブームを作り上げただけでなく、それまで曖昧だったツンデレという単語に一つの定義を与えたことである。それまでは「内と外で性格が異なる」「好きな人の前だけはデレデレになる」などと媒体によって異なる表現がされていたが、本作の登場によって「強気なキャラクターが本心を覆い隠すために虚勢を張ること」と定義付けられた。ただ、これは数多いツンデレの萌え要素の一つの側面に過ぎないので、結果的に良いことだったかどうかは判断が難しい。個人的な意見を述べるなら、ツンデレとは自分を嫌っていた人が徐々に心を開いていく感情の変遷その物を指す言葉であり、世に跋扈するツンデレキャラはその一連の流れを単純記号化しただけの紛い物のように思えるが、これ以上書くと明らかに話が脱線するので自重する。

・改変


 さて、そんな原作をアニメ化したのが本作であるが、世間の評判は著しく悪い。例の如く、原作ファンからは総スカンを食らい、クソアニメのレッテルが張られている。その原因は何だろうか。作画が悪い? いや、確かに技術的な面での不具合は多量にあるが、エロゲー原作アニメは大体こんな物とも言える。設定が違う? いや、『H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND-』などと比べたら可愛い物だ。ストーリーがおかしい? いや、別にツンがデレになるというベースラインからは外れていない。本作が叩かれたのは、その程度の些末な差異からではない。もっと単純にして根本的な「主人公が違う」のである。原作の主人公は普通の男子生徒だが、本作の主人公は何とコンシューマ版で追加された「ヒロイン」の一人、近衛素奈緒。もう、この時点で「前代未聞」だ。『スーパーマリオ』で例えるなら、マリオでもピーチ姫でもクッパでもなく、ハンマーブロスを主人公にしてアニメ化するような物である。良い悪い以前に意味が分からない。基本プロットどころか、作品ジャンル自体が変更になるような大胆過ぎる改変である。
 何が悪いって、本作はただのラブコメではなく、「ツンデレをテーマにしたラブコメ」なのである。そして、ツンデレの特徴の一つに「内面の分かり易さ」がある。「思っていることと正反対のことを全力で口にする」と言われているように、言葉では否定しながらも、その態度が明らかに肯定を表しているところに可愛らしさを感じるのがツンデレの萌えポイントだ。ただし、それはあくまで外から見た分かり易さである。隠しているはずの本心がバレバレなのが良いのであって、本作のようにツンデレ側の視点で内面を描いてしまうとメリットを全て捨ててしまうことになる。それでは何の意味もない。まるで犯人が分かっている推理小説のような物だ。そもそも、強気な人間を主人公にすると、ただの少年漫画風熱血馬鹿主人公になり、ストーリー展開自体が強引になってしまう。いくら設定とキャラクターが共通していても、これを『つよきす』だと言い張るのは、どう考えても無理があるだろう。

・実験作


 ただ、ここは一つ、原作ファンには涙を飲んでもらった上で、原作から離れた一つの作品として見てみると、なかなかどうして興味深い点がある。それはヒロイン視点でギャルゲーのシナリオを描くとどうなるかという実験作としての存在価値だ。今までありそうでなかったシチュエーションであり、結果的にギャルゲーという物を見つめ直す良いきっかけになるだろう。
 例えば、主人公の心理に説得力を持たせるため、本作では相手役である原作主人公がとんでもなく「いい奴」になっている。自分の非は素直に認めるし、友達想いで義理堅く行動的、何より女性に対して一途である。ハーレムアニメの主人公と言えば、明らかに人格が捻じ曲がっているのに女の子にモテモテで、「こいつがモテる理由が分からない」と視聴者に陰口を叩かれるのが関の山だが、この主人公なら納得である。なぜ、他のアニメでもこうしないのか。いろいろと理由はあるのだろうが、その一つはゲームとアニメの視点の違いであろう。要するに、基本的に一人称であるゲームだと男性視点の偏った人物像でも構わないが、三人称であるアニメだと第三者の視点、特に女性側の視点が必要だということである。主人公に魅力のない作品ほどつまらない物はないのだから、この辺りを適当にテンプレで誤魔化さず、ちゃんと細部まで煮詰めて欲しいところだ。
 また、特筆すべきは、主人公が原作キャラクター達とは別のクラスに所属していることである。当然、主人公には彼女の同僚となるクラスメイトがいるわけで、日常の多くの時間を彼らと共に過ごしている。そのため、本作はアニメ陣営vs原作陣営という一種のクラス対抗戦の様相を呈している。これはなかなか斬新かつ刺激的な構図だ。学生時代を振り返ってみても、クラス対抗イベントほど面白かった行事はない。良い奴・嫌な奴が入り混じった群衆が、一つの集団となって目標に立ち向かう様は感動的である。もちろん、クラスが違っても個々のキャラクター同士は友人なのだが、個人的な付き合いと社会的な付き合いは別だ。つまり、「個」と「公」は違うということである。この公共という概念が、学園ドラマとは名ばかりで部室等の安全な場所に引き篭もる昨今のアニメでは抜け落ちている視点であり、他に類を見ない独自性を本作にもたらしている。

・ストーリー


 主人公は演劇が大好きな女子生徒。だが、転校した学校に演劇部がなかったため、生徒会に新部創設の許可をもらいに行ったところ、そこで一人の男子生徒と運命的な再会をする。彼は主人公の幼馴染みであり、幼稚園の頃に彼女のことを「大根」と呼んで、深いトラウマを与えた人物だった。最初は彼を嫌っていた主人公だったが、後にその言葉が誤解であったことを知り、気持ちが揺らぐ。これまでの反発心は、「好き」の裏返しだったのではないか……とまぁ、こんな感じでオーソドックスなツンデレシナリオである。些細な誤解から仲違いになるが、その誤解が晴れたことで自分の本心に気付く。しかし、今までずっときつい態度を取っていたため、簡単には素直になれず、気持ちとは裏腹に厳しいことを口にしてしまう。原作と異なるとは言え、これはこれでよくできている。ただし、上記の通り、本作はヒロイン側の視点で描かれているため、この心境の変化を全て映像で見せてしまい、相手の気持ちを推理する楽しみはない。最終的には、原作ヒロインの一人を交えて三角関係になり、彼女との直接対決を制して晴れて恋人同士になる。そのヒロインが原作における「メインヒロイン」なのは、当て付けと取るか挑戦的と取るかで意見が分かれるところだろうか。
 このようにストーリー自体は全く問題ないのだが、そのストーリーを十分に生かした作品になっているかと問われたら、その答えは間違いなく「NO」である。なぜなら、本作の基本演出はデフォルメを多用した九十年代ギャグアニメ調だからだ。しかも、正直、かなりスベり気味である。頻繁に挿入されるアイキャッチは煩わしいだけ。原作もテンポの良い軽快なテキストが売りだったが、ここまで変に崩してはいない。結局は制作者のセンスの差なのだろう。ただ、それでも他作品のパロディーネタをやられるより何百倍もまし。そういった不快感がない分、昨今の低質なハーレムアニメとは雲泥の差だ(ちなみに、最近のエロゲー業界でもパロディー問題が深刻化しているそうだ)。もちろん、エピローグの馬鹿馬鹿しいオチだけはどうやっても擁護できないが。

・総論


 『つよきす』どこー? ツンデレどこー? でも、そこに目を瞑れば、ただ作画が悪くてギャグがスベり気味のB級ラブコメである。こういう物だと割り切れば、十分に楽しめるし、世間一般に叩かれるような作品ではない。まっ、素直に原作をプレイするのが正解ではあるが。

星:☆(1個)
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by animentary  at 00:07 |   |   |   |  page top ↑

『ベン・トー』

食べ物で遊ばない。

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ベン・トー - Wikipedia
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・はじめに


 2011年。アサウラ著のライトノベル『ベン・トー』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は板垣伸。アニメーション制作はdavid production。スーパーの半額弁当を巡って戦いを繰り広げる若者達の青春を描いた学園ハーレムバトルコメディー。ゲーム会社のセガを始めとして、複数の企業とタイアップしており、様々な商品が実名で劇中に登場する。

・ワンアイデア


 映画業界やゲーム業界でよく使用される言葉だ。肯定的な意味でも用いられるが、通常は「ワンアイデアで映画を作ってはいけない」などと否定的な言葉とセットで使われることが多い。具体的に言うと、どんなに斬新で魅力的な設定やゲームシステムを思い付いたとしても、そのアイデア一本だけで強引に作品を作ってしまうと、絶対に面白い物は生まれないという長年の経験に基づいたある種の教訓のような物である。例えば、「DNAを操作して恐竜を復活させる」というアイデアがあるとする。それはとても興味深い設定ではあるが、その設定だけで映画を作ってしまうと、ただの退屈な恐竜鑑賞ムービーになってしまう。きちんと万人が楽しめるエンターテイメントとして商売をしようと思えば、「システム管理者が私利私欲のために恐竜を暴走させた閉鎖空間内で、子供嫌いな恐竜学者が子供と一緒に逃げ回りつつ、カオス理論をベースにして科学文明を批判する」といった複数のアイデアを幾つも盛り込まなければならないだろう。それができるかどうかが、プロフェッショナルとアマチュアの最大の違いと言っても過言ではない。
 さて、本作も「スーパーの半額弁当を巡って血みどろの戦いを繰り広げる」という基本設定自体は確かに面白い。しかし、他にこれと言って独自要素はないため、このアイデア一本で押し通すしかなく、結果的にひどく薄っぺらい物になってしまっている。弁当バトルが面白いのは精々最初の二・三話だけで、後は哀しいぐらいにマンネリ化する。第一話と最終話でやっていることが大して変わらないので、頑張って全話見る必要すらない。仕方ないので、弁当とは無関係な下ネタ満載のハーレム描写でお茶を濁すという本末転倒っぷり。本当に芸術作品として評価されたければ、弁当バトルはむしろサブ要素にして、それにまつわる人々のネガティブな人生を面白おかしく描きつつ、日本人の平和ボケや経済格差を批判するといったストーリーにしなければならないだろう。中高生向けのライトノベル原作だからと言って、決して手抜きが許されることはない。

・欠点


 その日の夜に起こったことをちょこっと描いただけで、「これが僕の登校初日の一部始終だ」と主人公がナレーションする衝撃のオープニングで本作は幕を開ける。何が一部始終なんだ? 日本語大丈夫か? のっけからそういうアホなことをやられると先行きが不安になるが、案の定、その不安はすぐに現実の物となる。
 一口に欠点や欠陥と言っても大小あるが、その中で最も酷いのが物語の根幹に係る部分の描写不足である。そこでミスられると中心軸が崩壊し、作品の存在意義自体が危うくなりかねない。そして、本作における欠点もその系統で、それは「主人公が半額弁当に執着する理由が何もない」ということである。主人公は学生寮で一人暮らしをしている高校生。月二万五千円の生活費でやりくりしているため、食費をできるだけ安く抑えられるよう、スーパーの売れ残り品を狙っている。その気持ちは分かる。しかし、弁当バトルで凄惨な光景を目にし、実際に自分も手傷を負った後で、それでもなお半額弁当を求める理由としてはあまりにも弱過ぎる。例えば、貧乏学生で食費すらままならないとか、莫大な借金があるとか、とある目標に向かって貯金しているとか、子供の頃から弱肉強食の世界に生きてきたとか、とんでもない偏食でスーパーの弁当しか食べないという設定ならば、命を懸けて弁当バトルに参戦する必要性があるが、それ以外なら幾らでも安全に食材を手に入れる方法はある。親に仕送りをしてもらっている状態で、部活もバイトもしていない、なのにスマホを自由に使っているような恵まれた子供が、偉そうに食い物のことに口を挟むなということだ。さらに言うと、弁当バトルに敗北した時にはカップ麺を食べなければならないのだが、実在企業とタイアップしているせいで、その商品を「不味い」と言うことができない。だったら、最初から美味しいカップ麺を食べていろという話である。
 結局、「初期設定の練り込みの甘さ」というライトノベル原作ハーレムアニメに共通する、いつものアレである。ハーレムアニメの雛形は様々な分野に応用が利く万能性を持っているとは言え、所詮は汎用テンプレート、個々のジャンルに特化した奥深い設定など作れはしない。それは制作者本人が一番よく分かっているはずだが。いつまでも、そんな物にしがみ付いて三流作品を垂れ流し続けるか、それともリスクを冒して一流作品に挑戦するか、そろそろアニメ業界人も腹を括るべき時期だろう。もっとも、「作らない」のではなく「作れない」のだったら仕方ないが。

・バトル


 本作の目玉は、もちろん半額弁当を巡って繰り広げられる狼(弁当バトルに参戦する人々の自称)達の熱いバトルシーンである。そのバトルとは、現実世界でも行われているような押し合いへし合いのケンカではなく、一定のルール下で行われる「格闘技」である。殴る・蹴る・跳ぶ・掴む・投げ飛ばす。血反吐を吐き、記憶を失うほどのケガを負うのは日常茶飯事。まさに命とプライドを懸けた死闘である。「スーパーの中でそんなことができるわけない」という批判はごもっともだが、これはアニメ的な誇張表現であるため、そこにツッコむのは野暮という物。カツオ少年がいつまでも小学五年生なのはおかしいと文句を言うのと同レベルの空気の読めなさである。
 しかし、いくら誇張表現とは言え、その格闘技で優劣を決め、勝った者が弁当を手に入れるという設定になっている以上、「強さの理由」は絶対に描かなければならない重要ポイントである。なぜなら、強さの理由が分からないとそこへ到達する方法も分からず、ひいては「成長」という要素が描けないからだ。だが、少なくともアニメ版では、一介の女子高生である「氷結の魔女」や「オルトロス」がなぜ強いのかは一切描かれない。それは主人公も同様で、何の特徴もない普通の人間のはずなのに参戦当初から経験豊富な相手と互角の勝負をし、何度か勝利して弁当を手に入れている。その光景は極めて異常である。実際に殴り合いのケンカをしたことのある人なら分かると思うが、格闘技の経験のない人間がいきなり人を殴ることは絶対に不可能である。にも係らず、主人公が当たり前のように戦いに身を投じているのは非常に不自然であり、その瞬間、彼から人間味が奪われてしまう。
 もちろん、制作者もプロなので、強さの優劣を決める基準の一つとして、「空腹が戦闘力を高める」という設定を時折忘れた頃に挿入している。しかし、それだと主人公の空腹の度合いが他人よりも激しいという理由付けが必要なのだが、当然、そのような描写はどこにもない。どう考えても、ダラダラとした日常を送っている高校生より、汗水流して働いている肉体労働者の方がお腹はすいているだろう。また、最終回では、ジョギングでお腹を空かして戦闘力を高めるということを行っているのだが、逆に言うと、その程度の努力で強くなれるということだ。安易に設定を補強しようとして、かえって墓穴を掘るという典型的な悪例である。
 要するに、いつもの「チート主人公」である。何の特訓も修行もしていないのに、登場時にはすでに達人クラス。その後も一切の努力をせずに能力値だけがどんどんインフレする。かっこいいバトルシーンを描きたいという意識が先行し過ぎて、話の整合性など蚊帳の外。つまり、「幼稚」なのである。小学生レベルの妄想なのである。そんな物を地上波で垂れ流すということに恥ずかしさを覚えて欲しい。

・食育


 一応、本作のテーマは「弱肉強食」ということになる。普段、我々が当たり前のように食べている食料が、どれだけ貴重で大事な物であるかを血肉を分けた弁当バトルを通じて訴えかけているわけである。言ってみれば「食育アニメ」だ。そのテーマは「半額弁当を巡る戦い」をしている間は確かに守られている。だが、ここに落とし穴があり、「半額弁当を巡る戦い」というレールから一歩でも離れた瞬間、テーマが逆転してしまうのである。つまり、「食べ物は大事な物ではない」という全く正反対のテーマである。
 半額弁当を狙う者は皆、狼としての誇りを守るために試合開始・終了等の暗黙のルールを定めている。それに従わず、自分勝手に弁当を手に入れる者を「アラシ」や「豚」などと呼んで蔑んでいる。さて、本当に食べ物を大事にしているのはどちらだろうか? もっと言うと、主人公は、最初こそ半額弁当を手に入れることが目的だったが、段々と戦うこと自体が楽しみになり、「ゲームは強い奴に勝ってこそ嬉しい」「弁当だってすんなり手に入れられたら面白くない」などと戯けたことを口にし始める。それどころか、最終的には「狼の誇りのために戦う」という手段の目的化が発生している。それは主人公だけではなく他の狼達も同様で、オルトロスに至っては実家が金持ちで半額弁当を手に入れる理由すらない。また、狼の中には、売り場の割り箸や買い物カゴを武器にし、平気で商品棚の上に乗る者もいる。それは器物損壊という歴とした「犯罪」である。さて、本当に食べ物を大事にしているのはどちらだろうか?
 繰り返すが、本作が訴えたいことは食物の重要性である。そのテーマは弁当バトルをしている間は守られているが、そこから離れるや否や逆転する。結局、彼らのやりたいことは「命を懸けて戦うこと」であり、半額弁当はその出汁に過ぎない。要は戦いの大義名分が欲しいだけなのである。それを「食べ物で遊ぶ」と言うのだ。数あるマナー違反の中でも、他人を不快にするという意味ではトップクラスに君臨する行為である。飢えた狼を自称するなら、死ぬ気で働いて定価で弁当を買え。それが真の意味での食育である。

・総論


 面白いアイデアを思い付いたからそれでお話を作ってみたけど、すぐにネタ切れして、気が付いたらありがちなハーレムエロアニメになっちゃいました、というただそれだけの作品。文学的センスの欠片もない。とりあえず、食べ物で遊ぶのはやめましょう。お兄さんとの約束だ。

星:★★★★★★★(-7個)
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