『ローゼンメイデン(2013)』


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・はじめに


 2013年。PEACH-PIT著の漫画『ローゼンメイデン』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は畠山守。アニメーション制作はスタジオディーン。伝説の第一期『ローゼンメイデン』より九年もの長い時を経てまさかの復活。旧シリーズとタイトルが同じなので、便宜的に『ローゼンメイデン(2013)』とした。なお、原作漫画のタイトルはアルファベットからカタカナに変更されていることに注意。

・第三期


 まず、アニメ化自体が「まさか」である。今や知らない人も多くなったが、原作漫画は出版社とのトラブル(詳細は不明)が原因で休載・移籍し、新天地で連載が始まったものの、権利関係が不透明なのでアニメ化は難しいとされていた。それがここに来て、まさかの新作である。様々な大人の事情は全てクリアできたのだろうか? こんなことなら、旧アニメの続きも見たかったところだが。さらに驚かされるのは全キャストの継続である。変わったのはラプラスの魔と薔薇水晶(本作には登場しないが、雪華綺晶役で再登板するのではと噂されていた)の二人だけ。巴やみっちゃんのような難しい配役まで継続させている。今や中堅となった彼らのギャランティだけで大変なことになりそうだ。その上、音楽の光宗信吉とOP曲のALI PROJECTという作品の空気作りに欠かせないメンバーまでもが集結。ただし、監督・シリーズ構成・作画監督・制作会社等の制作スタッフは全交代しており、作風は一変している。もっとも、第二期『ローゼンメイデン トロイメント』と各種ドラマCDのグデり具合を見る限り、それも致し方なしだが。
 アニメの内容はと言うと、愚直なまでに「原作再現」に徹している。商売相手がコアなファンの付いた人気作だけあって、下手にいじって反感を呼ぶぐらいなら、原作に忠実であろうという判断だろう。ストーリーもシナリオもほぼ原作そのまま、ドール達の容姿も原作の画に極力近付けている(そのせいで、ドールのスケールがやたらと小さい)。全体的な画作りは茶色がかったセピア風の色合いで統一しており、おそらくドールの持つゴシック・オカルティックな雰囲気を出そうとしているのだろう。作画は旧作に比べたらましという程度、実写加工背景と紙芝居コンテは気になるが、予算的に仕方ないか。オリジナル展開に進んだ第一期・第二期からリスタートしたため、未読者でも雰囲気が掴めるように、第一話では原作のストーリーを三十分にまとめたダイジェスト版を放送する念の入れ様。さらには、旧作で映像化されていなかったシーンまで回想として放送するなど、まさに続編作品の鑑のような作品である。本作を見ると、前番組の『げんしけん二代目』が如何に適当に作られているかがよく分かる。

・まかなかった世界


 先の通り、原作漫画は諸事情により物語の途中で終了し、掲載紙を変えて新たなスタートを切っている。その際、単純に前作の続きを描くのではなく、舞台背景に一捻りを加えている。それが「まかなかった世界」である。未視聴者に説明するのは難しいので簡略化するが、もし、ローゼンメイデン達が主人公の所へ来なかったらというパラレルワールドを舞台にしたストーリーだ。そこでの主人公は、中学一年生の時に受けたトラウマによりずっと不登校を続けているのは一緒だが、中学卒業後に自力で引き篭もりを脱出し、大検を受けて大学に入学した。今は本屋でアルバイトをしながら安アパートで一人暮らしをしている。nのフィールドという亜空間の存在や、そもそも旧アニメ自体がパラレルワールドの話だったため、あまり設定に違和感はない。あるとすれば、なぜ違う空間なのに携帯電話が繋がるのかといった辺りだ。それより問題なのは、ドール達抜きで本当に主人公は引き篭もりを脱出できるのかということである。
 もっとも、本作の主人公は一見、完全に社会復帰したかのように見えるが、キャンパスライフは孤独その物でバイト先でも店長と反りが合わない等、現実との折り合いに苦労している様子がうかがえる。常に世の中を恨み、他人を恨み、優秀なはずの自分が不当に虐げられていることに強い憤りを覚えているが、自分から進んでその現状を打破しようとはせず、無気力で怠惰な日常を過ごしている。いわゆるサブカル評論家が三度の飯より好きな「ルサンチマン」という奴だ。そのため、本質的な部分では中学時代から何も成長していない。結局、人間、自分一人だけでできることなど限られているということだ。本当に困った時には誰かの手助けが必要で、たとえ自力で立ち直ったとしても、その時は何か大切な物を失ってしまう。本作の主人公はそういった人間の業のような物をよく体現している。その辺りの状況を、ドール達との交流を経て復帰した旧アニメ版と比較してみると面白いだろう。

・ドール


 そんなダメ主人公の下へローゼンメイデンがやってくるところから本作のメインストーリーが開始する。ただ、今回の面白い点は、パートワーク形式の某雑誌のように毎日少しずつパーツが送られ、主人公自身がローゼンメイデンを組み立てるという流れを取ることだ。毎晩、一心不乱にドールを組み立てている内に、主人公は少しずつかつての気力を取り戻す。と言っても、要は彼が本来持っていたマニア志向が再燃したということで、一種の幼児退行のような状態だ。だが、それは大切なことである。悪しき方向に凝り固まった自分を打破するためには、一旦、全てをリセットして元に戻さなければならない。つまり、大きくジャンプするために一度、身をかがめるような物だ。
 その後、ドールが完成し、それを依代にして第五ドールの真紅がまかなかった世界に降臨する。そして、元の世界(まいた世界)で第七ドールの雪華綺晶が暗躍し、ドールやマスター達を次々と拘束・封印するという暴挙に出ていることが明かされるが、正直、本作は主人公の成長物語がメインなのであまり興味が湧かない。文字通り、遠い世界の物語である。それはともかく、真紅と彼女に導かれるように現れた第一ドールの水銀燈との共同生活を経て、主人公は徐々に現実と直面できるようになっていく。そこで大きな役割を果たすのが、バイト先の同僚女性である斎藤だ。劇団に所属する女優の卵でもある彼女は、主人公の持つ本質的な優しさと子供時代に培った裁縫技術に心惹かれていく。彼女の存在によって、主人公の歪み切った暗黒の人生にようやく光が差す。
 このように、本作のストーリーはカウンセリングにおけるドールセラピーのモデルケースのような様相を呈している。人の形をした人形は、人間その物の代用品であり人の心を映す鏡でもある。そんな人形と触れ合っている内に心を癒し、それと呼応するように現実世界にアニマの象徴が現れるが、グレートマザーが邪魔をするというまさに作られたような(?)ストーリーだ。ただ、本作の場合、そのドールの所有者は自分ではなく中学時代の自分である。それに気付いた主人公は、斎藤の好意も無視して、自分だけのローゼンメイデンを手に入れるために新たなドール作りに乗り出す。それが雪華綺晶の罠だとも知らずに。

・設定厨


 しかし、そんな小気味良い成長物語も、第九話で斎藤の所属する劇団の舞台劇が始まり、それに便乗して雪華綺晶が復活した辺りからきな臭くなる。誰かが何らかの行動をし、何かをしゃべる度に新たなる「設定」が追加され、それに沿ってストーリーが進行していくのだ。真紅のタイムリミットに始まり、蒼星石の復活方法、双子のローザミスティカ、さらには全員がnのフィールドに閉じ込められ、そこからどうやって脱出するかという話になると、最早、完全に物語が崩壊してただの設定資料集となる。これは旧作の頃からの欠点でもあるのだが、基本的に本作の原作者はストーリーテリングがあまり上手くない。キャラが行動しているシーンより独自設定を語っているシーンの方が多いという、ネットスラングで言うところの典型的な「設定厨」である。設定とは物語の序盤に出して初めて設定になるのであって、後から出したらただの作者にとって都合のいい「魔法」に過ぎない。特に、本作はnのフィールドという作者が自由に改変できる異世界を舞台にしているのだから尚更だ。つい数話前まで地に足付いた泥臭い物語を展開していただけに、この終盤のお花畑展開は非常に残念である。
 そんなこんなで主人公達は元の世界へ帰り、また退屈で憂鬱な日常が舞い戻る。エピローグでは、主人公の仕事振りが職場の上役に褒められ、意地悪な店長が失脚するという下剋上描写があるのだが、どうにもカタルシスがない。本人も視聴者もそこまでは求めていないし、何より直前の展開がお粗末なせいで、主人公に成長した跡がほとんど見られないのだ。描くべきは内面の変化によって、目に映る世界が違って見えるということなのに、物理的に世界が変わってしまっている。第一期のエンディングがあれほど爽々しかったことを想うと、やはり大きな差を感じざるを得ない。旧作のスタッフなら、ストーリーを改変してでも終盤のゴタゴタを一話程度にまとめていただろう。つまるところ、原作再現は必ずしも最善ではなく、ダメな部分はちゃんとアニメ用に作り変えるべきなのである。

・総論


 悪く言えば「無難」。ファンを楽しませると言うより、ファンに嫌われないように怒らせないように配慮を尽くした結果、これと言って特徴もない微妙な作品に仕上がってしまった。無茶苦茶にされるよりはましだが、もう少し歴史に名を残そうという気概を持って欲しかったところだ。とにもかくにも、旧アニメには遠く及ばない作品である。

星:☆☆☆(3個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:02 |  ☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『げんしけん二代目』

彼岸。

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げんしけん - Wikipedia
げんしけん二代目とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。木尾士目著の漫画『げんしけん 二代目』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は水島努。アニメーション制作はProduction I.G。大学のオタクサークル「現代視覚文化研究会」内で繰り広げられる脱力系ストーリーの最新作。公式では一応、第三期という扱いになっているらしいが、旧作の主要な登場人物はほとんど卒業した後なので、ほぼ別シリーズと呼んでも差し支えない。と言うより、別シリーズであって欲しい。

・続編


 まず、確認しておきたい。本作は、あくまで漫画『げんしけん 二代目』をテレビアニメ化した物であり、アニメ『げんしけん』『げんしけん2』の続編作品ではない。これが大前提である。それゆえ、本作を両作品と照らし合わせて批判するのはお門違いである。だが、旧作のファンだった人からすると、とてもじゃないが黙ってはいられない箇所が幾つも存在する。そのため、後に禍根を残さぬよう先にまとめて書いておく。
 何より、見過ごすことができないのは「キャストの全変更」である。続編を作る際、やってはいけないことベスト3に入るような悪行である。特に、荻上千佳と斑目晴信は本人が声優に乗り移ったかの如きハマり役だったため、この二人を変えることだけはどうしても許し難い。旧作とのブランクが長いからという言い訳は、後番組である『ローゼンメイデン(2013)』でほぼ全キャストが引き継ぎだった時点で通用しない。ギャランティの問題にしても、新たに中堅声優を複数人起用している時点で通用しない(ちなみに、その中堅声優が起用された大野加奈子は、何をしゃべっているのか聞き取れないレベルのミスキャストである)。結局、声優刷新という話題性、つまり、マーケティングを重視したキャスティングでしかないということだ。その証拠に、本作のOP曲を歌っているのは最近人気急上昇中の新規声優の一人である。
 続いての問題点は、旧作の収録範囲が原作の途中までだったため、アニメ化されていないシーンが存在することだ。中でも、物語上の重要な転換点である合宿回が丸ごとカットされているのは如何ともし難く、そのため、アニメしか見ていない人にはストーリーが理解できないという事態が発生する。もちろん、本作は漫画新シリーズのアニメ化作品なので、原作未読者を考慮する必要はないかもしれない。だが、それならそれで、今までのあらすじを第一話で描くべきだろうし、未アニメ化のシーンはしっかりと回想で補完すべきだろう。過去との連続性を断ち切った独立作品が、視聴者に予備知識を求めるようになったらお終いである。
 最後の問題点は、オタクレベルの低下である。例えば、斑目の部屋に『けいおん!』や初音ミク風のフィギュアが飾られているのはどういうことだろうか? 斑目という人物は古き良き硬派なオタクであり、そういったライトな萌えを誰よりも嫌っている人物ではなかったのか。それと関連して、本作の欠点は劇中アニメ『くじびきアンバランス』が削除されていることである。くじアンは、内容はよく分からないが、斑目達濃い目のオタクがハマるマニアックで高品質な作品とされていた。それゆえ、彼らのオタク度合を補完する重要な役割を担っていたのだ。だが、本作ではそれが排除され、既存の有名作品の模倣に置き換わっているため、あらゆる点でオタクレベルが低い(劇中でボーカロイドを使用したBGMも流れる)。つまり、流行に流されるファッションオタクと同程度ということであり、そんな彼らが現代視覚文化研究会を名乗っても全く説得力がない。

・男の娘


 本作の連載が始まる少し前、「男の娘ブーム」が話題になったことがある。2009年頃だろうか。「こんな可愛い子が女の子のはずがない」という言い回しが用いられるようになったり、アイドル育成ゲームに男の娘が参加したり。ただ、「ブームになった」と書いていないのは、あくまで話題になっただけで実際には全く流行っていなかったからである(もちろん、局所的な流行はあったが)。そもそも、「男の娘」の定義自体が曖昧だ。女の子の格好をした男の子なのか、男の子の格好をした女の子なのか、それとも未成熟なロリ・ショタの総称なのか、当時ですら疑問に思われていた。そんな状態なのになぜか話題になったのは、要するに何者かがブームを作り上げようとしたからであり、今風に言うなら典型的なステマである。そして、本作はその謎のブームに乗っかった作品であり、ブームが跡形もなく消え去った今、結果的に孤軍奮闘するような形になっているのは何と言う皮肉だろうか。
 本作より登場した波戸という男子新入部員がその男の娘である。男性なのに男同士の恋愛を描いたボーイズラブが好きな「腐男子」で、女性よりも女性らしく扮装する「女装男子」である。ただし、彼自身は同性愛者ではない(女性としてOBの班目と接している内に、徐々に彼に心惹かれていく描写はあるが)。彼が大学入学を機に女装を始めた直接の原因は、腐女子達の間に入って一緒にオタトークをしたかったから。だが、その目的は、いつしか「自分自身をボーイズラブの登場人物にして妄想する」という楽しみに変わっていく。その感情をビジュアル化するため、女性化した波戸が幽霊のように独立し、彼女が腐女子的な発想で波戸に助言するという演出を本作は用いている。これはなかなか斬新で面白い試みである。ただ、斬新ではあるが、心理描写として本当に正しいのかどうかは少々疑問を覚える。問題なのは、それが女装ではなく完全なる女性の形を取っていることだ。つまり、心の内なる女性性「アニマ」が具現化した物だが、同性愛の傾向を持つ人間はアニマに何らかの異変を来たしていると考えるのが定説なので、普通の女性の姿だと設定的にいろいろとズレが生じる。ここはちゃんと女装男子=両性具有の状態にするべきだったのではないだろうか。
 ちなみに、男性の波戸と女性(女装)の波戸は演じている声優が異なる。これも意味が分からない。映像作品としてのクォリティを保つなら、女声が出せる男性声優か、男声が出せる女性声優を起用すべきだろう。そういう人材がいないというのであれば、それは別の意味で大問題である。

・腐女子


 旧作の主人公達が卒業した後、荻上千佳が新会長となった現視研は、自然と女性会員ばかりが集まり、結果的に腐女子サークルと化してしまう。その状況を悲しむ新会長だったが、なってしまった物は仕方ないと改めてサークル運営に一生懸命取り組むのだった。と、このように、本作は腐女子の生態をリアルに描いた「腐女子アニメ」である。ところが、視聴者ターゲット自体は前作から継続して男性のまま。ここが難しいところだ。ボーイズラブ好きな女性を好意的な視線で見ている男性は多くない。そういった人々に対して、腐女子の現実を包み隠さずに暴露しつつ、彼女達を萌え的な意味で可愛いと思わせるという極めて困難な作業を行わなければならない。なぜ、そんな茨の道にわざわざ進むのかと老婆心ながら心配になるほどだ。
 そういった観点で見て行くと、本作の最大の欠点は誰の目にも明らかで、それは「腐女子を否定する者が劇中にいない」ということである。『げんしけん』という漫画・アニメは、常に身内に正反対の思想を持つキャラクターを置いて自己批判してきた作品だった。第一期では春日部咲が、第二期では荻上千佳がそれぞれオタクと現視研を否定していた。そうやって相反する思考をぶつけ合うことでテーマを深めていたのである。
 勘違いしてもらっては困るが、腐女子を気味悪がったり馬鹿にしたりする人自体は劇中に登場する。そうではなく、本作に決定的に欠けている要素は、男女の恋愛が好きでイケメン男性キャラに心ときめかせる「普通の女性オタク」である。詳しい数値は分からないが、どう考えても腐女子より普通のオタクの方が多いはずだ(最近は美少女アニメ好きの女性オタクも多い)。いくらボーイズラブの同人誌が売れようと、その何倍もの数の少女漫画や乙女ゲームが売れているのである。ところが、本作にはそういった人々の影は微塵も見られない。なぜか、頑ななまでに「女性オタク=腐女子」と決め付け、その勝手な思い込みを前提に話を進めているのである。これは非常に危険である。オタクとは本来、自分の好きな物を突き詰める人のことであり、各ジャンルに多様化するのが当たり前だ。しかし、本作はそれを明確に否定し、表面的な物への画一化を望んでいるのである。これが作者の理想なのだろうか? 上にオタクレベルの低下と書いたが、これではまさにライトオタク・ファッションオタクの考えるステレオタイプなオタク像その物である。これを「にわか」と呼ばずして何と呼ぶのだろう。

・恋愛


 本作のストーリーの前半は腐女子と男の娘にまつわる話、後半は班目の春日部咲に対する片想いの話が中心になる。ところが、アニメ『げんしけん2』の項目で書いた通り、旧作は恋愛要素を少なめにして、人間ドラマを中心に描いている。そのため、班目の片想いの件にはあまり触れられておらず、これまた原作未読者には状況がよく分からないという問題が発生する。具体的に言うと、班目が自宅の机に春日部咲のコスプレ写真を隠していたエピソードはアニメ版ではカットされている。もっとも、それ自体はあまり問題ではない。問題なのは「話の連続性」である。本作のストーリーは、二次元至上主義者のオタクが彼氏持ちの年下の女性をずっと横恋慕していたという話だ。それは彼のアイデンティティーを根底から覆すことであり、ゆえに死ぬ気で隠し通している。そういった背景がある以上、何よりも「時間の積み重ね」こそが重要なのである。だが、本作はそれを自ら断ち切っている。過程に当たる部分を映像化していないばかりか、演者まで変えた。班目を演じて十話も立っていない声優が、映像化されていないシーンを振り返りながら、春日部咲への長年に渡る想いを語る。これほど珍妙なシーンはない。
 結局、班目はあえて玉砕するために春日部咲に告白し、見事に振られてしまう。そして、彼は人として男として成長する……となるのが普通の作品なのだが、なぜか本作はそこから班目が会社を辞め、再びオタクに戻るという流れを取り、そこでストーリーが終結する。さて、どうした物か。班目を主人公として見るなら、これはもうどうしようもない駄作なのだが、波戸を主人公として見るなら、彼が世間に認められて自己実現を果たす話としてギリギリのラインで踏み止まっているようにも思える。さぁ、どちらを採用するか。「荻上千佳が主人公じゃなかったっけ?」という話はこの際不問にする。

・総論


 とても良いアニメですので非常にオススメです。

星:☆(1個)
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