『ガールズ&パンツァー』

命知らず。

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ガールズ&パンツァーとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話+総集編二話。監督は水島努。アニメーション制作はアクタス。「戦車道」に青春を懸ける女子高生達の姿を描いた日常系ミリタリーアニメ。制作が遅れに遅れ、総集編を二度挟んでなおレギュラーシーズンでは完結できず、第十一話と第十二話が放送されたのは翌年の三月のことだった。

・女子高生


 「女子高生に何かをやらせてみよう」シリーズの一翼である。昔からありふれたジャンルなので、別に起源がどうの歴史がどうのと今更語る必要はないだろう。要は、みんな大好き女子高生に男性的な趣味やスポーツを体験させて、そのギャップを楽しもうという物だ。これはアニメや漫画に限った話ではなく、例えば、女子高生にジャズバンドをやらせてみただけの映画『スウィングガールズ』など様々な分野で枚挙に暇がない。ただ、例によって例の如く、テレビアニメ『あずまんが大王 THE ANIMATION』登場以前と以後で内容が大きく様変わりしている。それ以前は趣味やスポーツがメインだったのに対して、以後は女子高生が日常を楽しく過ごす方がメインで、趣味要素は他と区別するための追加ガジェットに過ぎない。しかし、他と被らず、それでいて程良いエンタメ性を出せる美味しいネタがそこらに転がっているわけがないので、結局、妙な物を組み合わそうとしてカオスになりがちだ。最終的には、女子高生がエロゲ声優をやったりして訳が分からなくなるのがオチである。
 そして、本作が選んだ追加要素は「戦車道」である。もう一度書く。「戦車道」である。戦車道とは戦車の操縦と戦闘をスポーツにした一種の武道である。本作では華道や茶道と同じく良家の子女の嗜みとされている。武道と呼ぶからには日本発祥ということなのだろうが、実際の日本に戦車が活躍したという歴史は存在しないので、真面目に考えると頭が痛くなる。荒唐無稽もここまでくると爽々しい。日常系アニメと戦車を組み合わせようとした発想も凄いが、誰も止めないアニメ業界も凄い。良い意味で馬鹿である。
 ただ、設定は斬新だが、脚本は安い。いや、安過ぎる。主人公は戦車道の家元の娘だが、過去のトラウマが原因で戦車を避けていた。それが生徒会の強引な勧誘により嫌々ながら再開し、学校の廃校を賭けて全国大会に出場することになる。そこに主人公の姉が立ちはだかる。と、あらゆるシチュエーションがベタベタで、どこかで見たことのある手垢の付いた話ばかりだ。相変わらず、町内・学内・身内に敵がいないのでどこまでも温い(戦車が建物を破壊しても、「やった。これで新築できる」と街の人が喜ぶ等)。キャラも薄い。声優のレベルも低い。もっとも、設定が斬新で脚本まで斬新だと妙な前衛芸術になってしまうので、これはこれでいいのかもしれない。たぶん。

・戦車道


 世間的によく言われるのが、「なぜ、本作がウケたのか分からない」ということだ。アニメの未来について真剣に考えている人ほど、むしろ不思議に感じるらしい。例えば、『けいおん!』などは分かり易い。何の敵もいないダラダラとした日常と努力なしでスポットライトを浴びられるイージーな世界が、中高生にとってのリアルな理想郷だったからだ。バンド演奏と歌というお祭り要素が魅力的だったのもあるだろう。だが、本作はバンドではなく戦車である。確かに、ミリタリーは男性が好きな物の一つだが、萌えアニメとミリタリーの噛み合わせが良いとは到底思えない。実際、同年に放送されたミリタリー日常系アニメの『うぽって!!』は散々な結果だった。それゆえ、ただ単純に戦車のミリタリー要素が原因だとは言い難い。
 まず、本作の優れた点は、戦車が動くまでのメカニズムを克明に描いていることだ。ズブの素人が初めて戦車に触れるところから始まり、徐々に操縦や戦闘に慣れて行く様子がキメ細かく描写されているので、彼女達と同じく戦車の知識がない視聴者もすんなりと物語の中に入っていけるのである。また、その際、戦車の音や装甲の肌触りなどを精密に描いているため、戦車が今そこにあるという質感・空気感を存分に味わうことができ、これも初心者を誘う良い効果を生んでいる。特に、音の描写に関しては素晴らしいの一言で、発射音や走行音だけでなく人が戦車の上に立つ足音などもリアルに再現しているため、戦車マニアも納得の出来である。
 もう一つは戦車の乗組員が五人一組であることだ。これが一人乗りの戦闘車両なら面白くも何ともない。五人乗りで車長・砲手・操縦手・装填手・通信手と役割分担がしっかりなされているからこそ、各キャラクターの個性が生かせるのである。同時に皆で協力して強大な敵に立ち向かう友情展開も描き易い。昨今の萌えは、外部との関係を断ち切る代わりに内輪の絆を強調する傾向にあるため、戦車という「鉄の棺桶」は打って付けの存在だ。そして、その棺桶同士が協力したり反目したりして戦う様は、まさに現在のアニメ業界を映し出しているようで面白い。

・実弾


 以上、良くも悪くも典型的な水島努監督作品なので、中身は空っぽだがエンターテインメントとしては優秀である。これと言って問題視する要素もなければ、褒め讃える要素もない。『けいおん!』みたいに物語の軸が狂っていることもない。むしろ、萌えアニメ的な要素が邪魔なぐらいだ。ただ一点、どうしても見過ごせない点を除けばであるが。
 それは、彼女達が戦車道に用いている弾丸が「実弾」であることだ。基本的には炸裂しない徹甲弾(なぜか、地面に当たると炸裂する)だが、分厚い装甲に突き刺さる程度の威力を有している。衝撃だけでも眼鏡が割れるほどで、当然、当たり所が悪いと大破・爆発、機動がやられると障害物に衝突、もしくは崖下に落下だ。実際、劇中でも何度か戦車が炎上したり横転したりしている。しかも、主人公は戦車から顔を出す機会が多く、そこに直撃すると「即死」である。主人公達もその危険性を十分に認識しているらしく、「滅多に当たる物じゃない」「もしものことがあったらどうする?」「一斉に攻撃されたらケガ人が出るかも」などと深刻に話し合う。少なくとも、試合中に負傷者が出るのは日常茶飯事らしい。
 あり得ない。剣道で例えるなら、高校生の大会で「真剣」を用いるような物だ。剣術の歴史を振り返ってみても、戦闘訓練やコロシアムならともかく、鍛錬としての「試合」で真剣を使うことは早い段階でなくなっている。それどころか木刀すら幕府に禁じられ、竹刀に変更されたという記録が残っている。当然、戦車戦をスポーツとして成立させようと思うなら、安全面に対する配慮は必要不可欠だろう。相手が良家の子女なら尚更だ。常識的に考えて、ここはペイント弾を使うべきではないだろうか。それでは映像に迫力が出ないと言うなら、音と光と煙だけのバラエティ番組用こけおどし弾でもいい。要は、安全だという何らかの「理由付け」が必要ということだ。さらに言うと、主人公達は試合中にヘルメットも被らなければ、シートベルトもしない。それ以前に体を鍛えてもいないし、定められた「型」もない。こんないい加減な心構えでよくも「戦車道」と名乗れた物だ。

・バーチャル


 かのような指摘をした際、ファンはいつもこう擁護する。「フィクションだから」と。なるほど。確かに、アニメとは未来の世界の猫型ロボットが地球破壊爆弾を持っていたり、テニスプレイヤーがテニスで物理的に相手を倒すような世界だ。それを思えば、戦車道の名を借りた殺人ゲームぐらい安い物。主人公に砲弾が直撃しても、肌を黒焦げにして髪をアフロにすれば済む話なのだから。
 もちろん、問題はそんな矮小なことではない。アニメーションはただの絵である。たとえ、キャラクターに声が付いて自由に動き回っても、所詮は魂のない人形である。それを「生きている」と思わせるにはどうするか。食事をしたり恋をしたり、悩み苦しんだりするのも良い方法だが、それより大事なのは「死を恐れること」である。命を失うことに対する本能的な恐怖心があるからこそ、その反動で生きることが実感できるのである。だが、本作の主人公達は死を恐れない。当たれば即死の実弾が飛び交う中、彼女達は鍛えられた兵士のように勇猛果敢に出陣する。そもそも、自動車の免許も持っていない彼女達が当たり前のように初見で戦車を動かすという異様さ。まず、かの如き巨大な車両を動かすこと自体に恐怖を覚えるのがまともな人間だ。文字通りの「命知らず」である。そんな人間は生きている人間ではない。
 最終盤、全国大会の決勝戦では住宅地を舞台にした市街戦が行われる。だが、なぜかその街は無人である。無人どころか生活の匂いが一切しないゴーストタウンである。そこで、彼女達はこれ幸いとばかりに街を破壊しまくる。これでは完全に一昔前のテレビゲームである。要するにバーチャルだということだ。バーチャルな世界に命知らずのキャラクターとはお似合いだが、これではどんなに戦車の描写を頑張ってもリアリティなど生まれない。そんな死んだ人間が努力と友情パワーで勝利を掴んだところで感動も何もないのである。

・総論


 ただの日常系萌えアニメである。戦車シーンだけは頑張っているが、中身はないに等しい。そして、その戦車シーンのせいで、ただでさえ薄い人間性がさらに薄くなっている。結局、ミリタリーと萌えアニメは噛み合わせが悪いと再確認しただけであった。

星:☆☆(2個)
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by animentary  at 23:51 |  ☆☆ |   |   |  page top ↑

『放浪息子』

ファンタジー。

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放浪息子 - Wikipedia
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・はじめに


 2011年。志村貴子著の漫画『放浪息子』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督はあおきえい。アニメーション制作はAIC Classic。性同一性障害の中学生が悩んで大きくなる様を描いた青春ドラマ。全十二話構成のストーリーをノイタミナの放送枠に合わせるため、全十一話に圧縮した。その際、第十話と第十一話を一つにまとめた物を第十話として放送したのだが、第十話は全話中で最も細微に描かないといけない場面であり、そこを飛ばしたことで作品のクォリティが著しく低下している。

・白昼夢


 驚きの白さ。洗剤のCMじゃないが、思わずそう言いたくなるほどとにかく白い。何が白いって画面が白い。背景も人物画も塗りは全て淡い水彩画調。単純なベタ塗りではないので、恐ろしく手間暇がかかっている。それに飽きたらず、全体的に白のフィルタをかけて影を飛ばすという念の入れ様。場面によっては、このまま天に召されるのかと錯覚してしまうほどだ。なぜ、そうしているかの解説はあまり必要ではないだろう。要は、回想シーン等でよく使われているのと同様に、詳細をぼかすことで現実と非現実の境界を曖昧にしているわけである。中学校に入学し、これから始まる新しい生活に対して期待と不安が入り混じり、心が騒ぐ。本格的な思春期に入る直前の大人になるということすら曖昧な時期特有の非現実感。地に足が付かない綿毛のような白くてふわふわとした感じ。そういった感情をビジュアル化するために、画面全体を白くしているのである。ノイタミナ枠は基本的に大人のアニメファン向けなので、自分自身の中学校生活を振り返りながら、甘酸っぱい青春時代を追体験してもらおうというのが本作の趣旨だ。
 だが、ちょっと待って欲しい。はたして我々が中学一年生の頃、世界は本当に白く見えていただろうか。中学に進級すると、学習のレベルが急上昇する。着慣れない制服。別の小学校から来たクラスメイト。厳しい校則。間断なく迫りくる定期テスト。心と体のバランスの乱れ。不安だらけで、明日が分からなくて、世界は「灰色」に見えていなかっただろうか。白く見えていたのは、悩みなど何もなかった小学生時代の話だ。個人的には評価しないが、画面が黒く歪んでいたテレビアニメ『惡の華』の方がリアルな中学生像だろう。やりたいことは分かるし、たぶんやっていることも正しい。だが、現実問題、こうでなかったのは事実であり、本当は誰もが知っている。要は「願望」であり「誇張」なのである。まず、この前提を確認しておかなければ先に進めない。

・自分探し


 本作は「女の子になりたい男の子」と「男の子になりたい女の子」の男女を中心にした群像劇である。原作者の意向により意図的に「性同一性障害」という単語は使われない。ということは、それを鑑賞する側もその単語を使わないようにしなければならないのだが、これがなかなかどうして条件的に難しい。性同一性障害の物語なら、ジェンダー論でも持ち出して、男とは何か、女とは何かを好き勝手に語ればいい。だが、そういった身体性の問題を排除して思春期の心理だけに一元化すると、ただ単に中学生の「自分探し」の話になってしまうのである。
 話を簡略化するため、主人公に絞って見て行こう。彼は小学生の頃から女の子の服を着るのが好きで、いつしか自分も女の子になりたいと考えるようになった。なぜ、女の子の服が好きなのかが語られないのは当然としても、なぜ、女の子になりたいのかも具体的には語られない。ただ、各所にヒントは残っている。例えば、彼は周りの男子中学生の体臭に辟易し、「自分は女の子みたい。だから、臭くない」とのたまう。また、声変わりすることに恐怖を覚えて自分の声を録音して残そうとしたり、にきびができることを人一倍嫌がったりする。その一方で、自分のことを「気持ち悪い僕」と自虐し、男の名前を捨てようとする。これらに共通することは、強烈なほどの「自己愛」とその反動による男性、つまり、自分が属している集団に対するヘイトである。彼にとって自分こそが至高の存在であり、それ以外は全て醜き物である。ただし、それ以外の集団の中に現在の自分も含まれてしまっているため、早くそこから抜け出したがっている。それゆえ、女性になることはあくまで手段の一つでしかなく、「にきびは女性もできる」という当たり前の事実を理解できない。性同一性障害という逃れ得ぬ宿命を加えることで、こういった上から目線の鼻持ちならないナルシズムも許容されるが、外してしまうと後に残るのは他者を否定する汚い言葉だけである。それはただの「愚痴」だ。もっと分かり易く言うと、性質の悪い「中二病」である。
 ところが、そんな痛々しい主人公なのに彼は非常にモテる。終盤では夢の三股状態を達成する。しかも、周囲の人間は寄ってたかって彼を「可愛い」「才能がある」と褒めたたえる。主人公側もそれでさらに調子に乗り、周囲をより見下すようになる。何のことはない。お題目は素晴らしいが、結局、本作がやっていることは煮え切らない優柔不断な主人公がグチグチ言っている間に周りが勝手に問題を解決してくれる「昔のエロゲー」と全く同じ構図なのである。かの『School Days』の伊藤誠と大して変わりない。ノスタルジックに共感するどころか、ただただ不快である。

・構成


 話が前後するが、小学五年生から始まる原作と違って、アニメ版は中学入学時が物語のスタートラインである。空白となった小学校時代の二年間は、回想シーンや登場人物のモノローグ等で補完されるが、その量は決して多くない。それゆえ、明らかに説明不足かつ状況不明なシーンが頻出し、理解を深めるためには逐一原作を参照する必要がある。当然、そのような穴ぼこの状態で完璧な作品になるはずがなく、原作にない様々な問題が発生することになる。
 何よりも厳しいのは、本作のテーマを語る上で最も重要なはずの「主人公の心理」が分かり難くなっている点だ。例えば、女の子になりたい男の子なのだから、女性よりも男性の方が好きなのかと思いきや、彼は物語の後半で姉の女友達にあっさりと告白して交際するようになる。何だこのスケコマシ。原作を読んでいると、彼は純粋な同性愛者ではなく、男女の間で気持ちが揺れ動いているのが分かるのだが、アニメ版は何もかもが唐突過ぎて訳が分からない。それどころか前半の行動を自ら否定しているようにさえ感じる。そのため、青春物語のはずなのに、下手すると最初から最後まで主人公の人間性が理解できずに終わる。主人公ですらそうなのだから、他のキャラクターなど悲惨な物だ。特に、なぜ主人公の友人に女装癖があるのかや、なぜ姉が主人公を嫌っているのかが分からないと原作の楽しさが半減する
 まず、認識しないといけないのは、視聴者は基本的に第三者の存在だということだ。つまり、物語世界の住人ではなく、外部から登場人物の生活を覗き見しているということである。そんな視聴者を物語世界に招き入れようと思えば、それなりの工夫が必要になる。例えば、主人公が組織に参加するシーンから物語を開始するなどだ。だが、本作の場合は、そこに至る前段階が丸ごとカットされているため、物語開始時にはすでに人物同士の関係性ができあがっているのである。すると、視聴者は完全に蚊帳の外になり、遠く離れた場所から彼らの行動をぼんやりと眺めるしかない。彼らが語る楽しい思い出話に、原作未読の視聴者は参加できない。過去の因縁が原因で気持ちがすれ違っても、同じ時間を過ごしていない視聴者は蓋然的にしか理解できない。思春期の少年少女の奥深い心理を描こうとしている作品で、この構成の方法は非常に不誠実である。

・ファンタジー


 私見だが、いわゆる青春物語は二種類に大別できる。一つは登場人物が「自分とは何か」「青春とは何か」という問いにアクティブに立ち向かっていく物。もう一つは普通の人間が理不尽な社会に否応なく翻弄される物。もちろん、本作は前者に分類される。ただ、前者は得てして青春の爆発を表現するためにモラルを逸脱するという欠点を持ちがちだ。本作でも自己表現という名の下に異性の制服を着て登校するシーンが度々描かれる。本人にとっては重大な案件なのだろうが、嫌々ながら校則を守っている他の生徒からすると面倒この上ない。しかし、彼らは周囲の冷たい視線には気付かない。なぜなら、いわゆる「自分に酔っている」状態だからだ。
 結局、これも「個」と「公」の問題なのだろう。巷に溢れる日常系萌えアニメと同様に、あらゆる要素から公という概念が抜け落ち、どこまでも個と個の物語なのである。例えば、作中で主人公のクラスは文化祭に創作劇をやることになるのだが、奇っ怪なことに男子生徒を含めてクラス全員が異様なまでにその劇に乗り気なのである。常識的に考えて、実際の中学生が恥ずかしい創作劇など自らやりたがるはずがない。もう、その時点で彼らは非実在青少年である。つまり、ここは現実世界ではなく、作者にとっての都合のいい「異世界」なのである。主人公の「個」の悩みを目立たせるため、思い通りに動かない「公」の社会を排し、敵と味方を都合良く配置している。性同一性障害という単語を用いないのも、それを出してしまうとつらい現実に否応なく向き合わないといけなくなるからだ。ストーリーの最後では、主人公は自分が特別な存在ではなく普通の人間であると気付くのだが、なぜか、そこから転じて「みんな、特別な存在」というアクロバティックな結論を導き出す。ここまで徹底するとかえって清々しい。
 以上、結論をまとめるとこうなる。本作はファンタジーである。もっと言うなら、お伽噺である。「昔々あるところに」で始まるそれと本質的には同じ物だ。それはそれで構わない。そういう非現実的な青春を好む層もいるだろうから否定はしない。しかし、決して諸手を挙げて肯定できるような物ではないことも確かである。

・総論


 とにもかくにも、原作を読まないと話にならない。本作だけでは登場人物に何一つ共感できないので評価のしようがない。よって、対象外とす。

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