『夜桜四重奏 ~ハナノウタ~』

妖怪大戦争。

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夜桜四重奏 ~ヨザクラカルテット~ - Wikipedia
夜桜四重奏とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。ヤスダスズヒト著の漫画『夜桜四重奏 ~ヨザクラカルテット~』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督はりょーちも。アニメーション制作はタツノコプロ。旧アニメ版の続編ではなく、OAD『夜桜四重奏 ~ホシノウミ~』のスタッフによる再アニメ化(リメイク)という位置付けである。

・再アニメ化


 不思議な経緯を辿って作られているので、内情を知らない一視聴者が語ろうとすると様々な困難が生じる作品である。2008年、最初のテレビシリーズとなる『夜桜四重奏 ~ヨザクラカルテット~』が発表された。『ローゼンメイデン』のスタッフが中心となって制作されたそれは、事前の期待を裏切る形で終幕した。その二年後の2010年、漫画単行本付属のOADとして『夜桜四重奏 ~ホシノウミ~』が制作された。監督・キャラクターデザインは個性的な作風の作画監督で知られるりょーちも。旧アニメ版のキャストを引き継ぎながら、全く新しい夜桜像を提示するという見事な仕事振りを披露した。そして、2013年、再度のテレビアニメ化が発表されたのだが、驚くべきことに『夜桜四重奏 ~ホシノウミ~』のスタッフがそのまま続投するという形を取っている。つまり、OADの評判が良かったということなのだろう。確かに、アニメーションとしての質は高く、本ブログのような変わり者には絶賛されたが、基本的に灰汁が強い(主にキャラクターデザイン面)ので一般ウケするとは思えない。それを理解した上で確信的にやっているとしたら、なかなかの英断である。
 再アニメ化するに当たって、独自に完結した旧アニメ版の続きではなく、原作に沿って最初から全部作り変えるという方式を取っている。ただし、尺の関係上、すでに旧作でアニメ化された原作の序盤部分は飛ばして、数話分のオリジナルストーリーに置き換えられている。そのため、旧アニメ版を七話ぐらいまで見た後、本作に移行するのが一番効率的な方法だ。制作会社が違うからと言って過去作を単純に黒歴史化せず、良い点はちゃんと引き継ぐという制作方針は称賛されるべきである。一方、一から新たに作り直したことで脚本面でいろいろと細かな矛盾も発生している。特に「ヒメが妖怪であるという記憶を封印していたこと」と「秋名のチューニングの多用による現世とのズレ」という二つの設定は、様々な作品が複雑に入り混じっていることで、非常に分かりづらくなっている。これは再アニメ化というイレギュラーな方式が招いた必然的な欠点である。
 なお、『夜桜四重奏 ~ホシノウミ~』は第八話と第九話の間のサブストーリーという位置付けになっている。ただし、それを見ていないと第九話で突然知らない人が増えるということになるため、第九話のOPでOADのダイジェスト映像を流すという面白い試みを行っている。これもユーザーサービスを考えた良いアイデアである。

・作画


 本作の監督・キャラクターデザイン・総作画監督を務めたりょーちもは、立体的に描いた物体を三次元空間内で縦横無尽に動かすことを得意とするアニメーターである。しかも、彼の場合は物体と同時にカメラまで動くため、非常に画がダイナミックである。ただ、今回は全十三話のテレビアニメシリーズということで、彼が直接手掛けた「らしいシーン」はあまり多くない。もう少し『鉄腕バーディー DECODE』のような派手な戦闘シーンがあっても良かったのにと思うと残念である。
 個人的な意見を言うと、彼の作風は非常に好きである。その理由は「よく動くから」だ。もっとも、単純によく動くと言っても、最近のアニメはこれぐらいキャラクターが動くのは通常進行である。『進撃の巨人』などは本作以上にグルングルン回っている。そうではなく、彼の作風の最大の特徴は「デフォルメの妙」である。手前の物はより大きく、奥の物はより小さく。敵に殴られて吹っ飛ぶと、体がぐにゃりと曲がる。そうやって身体の一部を誇張することでより立体感が生まれ、平面のキャラクターに肉感的な生々しさを感じるのである。ただし、これをやると確かに動きは良くなるのだが、体のラインが狂い、大事な商品であるキャラクターの「顔」が簡略化されてしまうため、萌えアニメとの相性は良くない。もしかすると、アニメ作品自体との相性も良くないかもしれない。だが、ずっと綺麗な体のままでいたいなら3Dでいい。もっと言えば、実写でいいのである。どうせアニメーションで映像を作るのなら、アニメーションでしか表現できない物をもっと見せて欲しいところだ。
 ちなみに、本作は旧アニメ版と違い原作準拠なので、女性キャラはパンチラどころかパンツ全開である。戦闘シーンなどで三次元的な動きをしている時は大歓迎なのだが、日常シーンでやられるとあざといだけだ。これもまた本作の明確な欠点である。

・設定


 考えてみると、本ブログにおいて本作の世界観を解説したことは一度もなかった。旧作はそれ以前の問題だったからだが、なかなか面白いので改めて紹介しておこう。
 主人公の一人、比泉秋名には先祖代々受け継がれる比泉家の「お役目」があった。それは此岸と彼岸を繋ぐチューニング(調律)の能力で人間界に馴染めない妖怪をあちら側へと送ること。しかし、あちら側の実態が分からない以上、安易にチューニングをするべきではないと考えた秋名は、無気力な怠け者を装いつつ、人間と妖怪が平和的に共存できる街「桜新町」の維持に心血を注ぐ。だが、それを邪魔する勢力が二つあった。一つは此岸と彼岸を同化して世界の支配を企む比泉円神(かつて、人柱としてあの世に送り込まれたことから比泉家を恨んでいる)。もう一つは、その円神の脅威を排除するため、妖怪達を街から追い出すよう要求する桜新町の元老院。街を守りたい。でも、妖怪達も守りたい。その二つの感情の板挟みにあって秋名は葛藤する。と、このように意外と言っては失礼かもしれないが、単純に善悪を決められない奥の深いストーリーになっている。現実と理想、個と公の間で主人公が常に思い悩んでいるからこそ、物語に説得力が生まれるのである。どこぞのハーレムアニメの主人公のように、普段は逃げ回っておきながら、ピンチの時だけ熱い啖呵を切ったところで何の感動もない。
 一方、もう一人の主人公である槍桜ヒメは、秋名に比べるとややキャラクターが弱い。もちろん、桜新町の町長として日々奮闘しているが、意外と打たれ弱くてすぐ凹む、そういうキャラクター性自体は申し分ないのだが、残念ながら戦闘シーン以外ではあまり活躍の場がない。これはヒメが悪いというより、秋名の背負っている物が大き過ぎるせいだろう。W主人公という形式で共に似たような重責を背負っていると、より重い方に注目が集まるのは仕方のないことだ。ここはW主人公ではなく、秋名を単独主人公にして、健気に頑張るヒロインを陰からフォローするという形式にしておけば良かったのではないだろうか。つまり、表側で活躍するヒロインと裏側で活躍する主人公という立場を明確にしておけば、どっち付かずになることもなかったはずだ。下記の話とも関連するが、初期設定の練り込みの甘さがつくづくもったいない作品である。

・ハナノウタ


 漫画『夜桜四重奏 ~ヨザクラカルテット~』がアニメ化されるのはこれで三度目だが、毎回書いていることがある。それは「登場人物が多過ぎる」ことだ。主役はヒメ・秋名・ことは・アオの「四重奏」だが、彼ら四人とほぼ同レベルのステータスの脇役が第一話からずらりと勢揃いする。本作の場合、途中からさらに隣町の住人や陰陽師、『ホシノウミ』で登場した死霊使いまでもが新加入する。そんな脇役が多過ぎることによる一番の弊害は、当然、主役の出番が削がれることである。ただでさえW主人公でメインの活躍が二分されているのに、四人均等に出演機会が訪れるわけがなく、アオ(CV:藤田咲)などは最終回ですらほとんど台詞がない。なぜ、そうなるのか。それは各人の役割を事前にきちんと整理できていないからであろう。一人一つではなく、一人に複数の役割を与える。そうすることで、全体的なキャラクターの数を減らすことができ、ひいては各人の個性が強くなるのである。要は、わざわざ敵にさらわれる役のためだけに学校の友人を出しているようではダメだということだ。
 そして、サブタイトルになっている「ハナノウタ」とは、原作のエピソードの一つであり、本作の終盤を飾るメインストーリーでもある。街のアイドル的存在である女医の生き別れの妹が、悪の魔法使いに扮して街に攻めてくるという話だ。これを見たら分かる通り、女医という脇役中の脇役の身内が登場することで、彼女の存在感が飛躍的に上昇する。つまり、また一人、主役級のキャラクターが増えるということである。ことはやアオのキャラクターを十分に煮詰めていないのにも関わらずだ。もう、夜桜何重奏なんだよという話である。結局、姉妹の物語は二話程度であっさりと終了し(手品を極めると奇怪な魔法にしか見えなくなるというテーマ自体は面白いが)、最終回は秋名と円神の一騎打ちになる。物語の中で最も重要度が高いのが二人の意見の対立なので、これをクライマックスに持ってくるのは当然なのだが、その分、姉妹の影が薄くなっているのはサブタイトル的にどうなのだろうか。ちなみに、その妹は『ホシノウミ』同様に改心して桜新町の住民になる。こうやって、エピソードごとに登場人物を増やしていくと、最終的には大変なことになりそうだ。最後は妖怪大軍団を結成してラスボスに立ち向かうのだろうか。そうなると、きっとアオ(CV:藤田咲)の出番はほんの二・三秒だろう。

・総論


 アニメーションとしては素晴らしいのだが、内容はどこまでも人を選ぶ。さすがに、全三話のOADと比べると完成度に大きな差があるのは否めない。そんな実に残念感の溢れる作品である。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 19:56 |  ☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『ビビッドレッド・オペレーション』

適当。

公式サイト
ビビッドレッド・オペレーション - Wikipedia
ビビッドレッド・オペレーションとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話。監督は高村和宏。アニメーション制作はA-1 Pictures。謎の敵から地球を守るために女子中学生が変身して戦うSFアクション。監督を筆頭にテレビアニメ『ストライクウィッチーズ』と共通する要素が多く、ある種の姉妹作のような関係である。なお、放送終了後に発売されたPS3ゲーム『ビビッドレッド・オペレーション -Hyper Intimate Power-』は、本作に輪をかけて出来が悪く、2013年クソゲーオブザイヤーの最有力候補である。

・概要


 本作を一言で説明するなら、『ストライクウィッチーズ』に魔法少女物と戦隊物のエッセンスを加えた物である。異世界から現われた謎の巨大な敵に対して、肌も露わな少女達が生身で空を飛び、激しい空中戦を繰り広げる、それが『ストライクウィッチーズ』の特徴だが、本作はそこに魔法少女物的な変身・合体要素と戦隊物的なチーム戦要素を加えている。主人公達はオシャレな決め台詞と共にそれぞれ赤・青・緑・黄の色鮮やかなコスチュームに着替え、各キャラ固有の必殺技で対抗する。一度倒した敵が敵組織の力によりパワーアップして第二戦を行う点などは、戦隊物の黄金パターンを踏襲している。ピンチになれば友情パワーで合体だ。ただし、本作には魔法という要素はなく、あくまで科学の力というSF設定になっているため、衣装や武器はかなりメカニカルである。
 本作のもう一つの大きな特徴は「尻」である。本作はローアングルで主人公達の臀部をアップにする画がやたらと多い。主人公達が普段から履いているホットパンツも、シワの一つ一つまで異常なほど丁寧に書き込まれている。それもそのはず、本作は企画の時点で「おしりアニメ」と位置付けられており、魔法少女的な設定は完全に後付けのおまけである。『ストライクウィッチーズ』でもパンツを日常服にするという暴挙に出ていたことから分かるように、もう完全に監督の個人的な趣味だ。そんなおっさんの小汚い性癖を多大な製作費と人員をかけて映像化し、堂々と地上波に垂れ流すというアニメ業界の懐の広さには恐れ入る。みっともない。そもそも、そういった内なるリビドーを作品に昇華して初めて芸術たり得ると思うのだが、どうなのだろうか。
 他の特徴を挙げておくと、音楽と作画は非常に高レベルである。ただ、音楽は使いどころにやや難があり、作画も戦闘シーン以外はかなり手を抜いている。もちろん、キャラクターデザインは可愛いので、そちらを求める人には満足の出来である。

・脚本ミス


 一般的に駄作と呼ばれる作品に必ず付いて回るのが「脚本ミス」である。原因があるのに結果がなかったり、結果があるのに原因がなかったり、はたまた原因と結果が矛盾していたりと、そんな極めて初歩的かつ低次元な物語上の欠陥である。分かり易い例を出そう。主人公の祖父は、今や世界の95%のエネルギーを賄う「示現エンジン」の開発者であり、また、本作における敵「アローン」に唯一対抗できる力を持つ「ビビッドシステム」の開発者でもある。そして、そのシステムによって変身した主人公に彼はこう言う。「示現エンジンすら、ある意味、これを生み出すための副産物に過ぎん」と。だが、アローンは示現エンジンを破壊するために襲ってくるのである。じゃあ、何のためにビビッドシステムを開発したんだと。もちろん、アローンを倒して示現エンジンを守るために開発したのだが、それが分かるのはかなり後半になってからである。つまり、これは「絶対に言ってはいけない系の発言」であり、設定を知らない視聴者に対するミスリードになってしまっているのだ。
 本作にはこの手の脚本ミスが大量に存在する。特に、第二話と第四話はストーリー自体が作劇のセオリーから完全に外れてしまっている(敵がパワーアップする前にドッキングを勧める、教室にハッキングの痕跡が残っている等)。ただし、脚本ミスは気にする人と気にしない人で重要性が大きく分かれる要素である。特に、女の子の可愛さ目当てで見ている人は、その手の細かい脚本の矛盾などはどうでもいいことであろう。例えば、「先程、仲間になったばかりの子がなぜかドッキング方法を知っている」などといったミスは、普通はあまり気にならない。画面に映らないところでこっそりと教えていたのだろうと強引に解釈もできる。ただ、それにも限度がある。一度や二度ならまだしも、こうも連続で繰り返されると、制作者の資質の問題に目を向けざるを得なくなるのだ。つまり、そもそも最初から整合性を取るつもりがないのではないかという疑念である。その疑念が芽生えた瞬間、サイエンス・フィクションとしての賞味期限が終了することは言うまでもない。

・リアリズム


 普通、魔法少女物や戦隊物に「軍隊」は出てこない。出てきても、「科学特別捜査隊」のような架空の独立特殊部隊である。なぜか? それは軍隊がリアリズムの極地であり、個人の勝手な空想を挟む余地を持たないからだ。それゆえ、まともなSFファンタジーでは劇中に軍隊を登場させない。だが、本作は止せばいいのにリアリティを出すために軍隊を登場させて、かえってリアリティを削ぐという本末転倒っぷりを露呈している。
 その最たる例が示現エンジンだ。世界の95%のエネルギー供給を一手に担う機関など、この世に存在し得るわけがない。それならそれで、詳細をぼかした空想科学にしておけばいいのだが、本作は連合防衛軍という政府直轄の軍隊を出したせいで、「守るべき対象」になってしまうのである。当然、示現エンジンが破壊された時点で世界終了なのだから、それを守る側にとんでもない重圧が科せられる。防衛は全世界の軍事力の粋を集めるべきで、エンジンの管理局長が防衛の全権指揮を執ったり、簡単に不審者の侵入を許したりするなど常識的に考えてあり得ない。また、その圧力は主人公達にも及ぶ。例の如く、脚本家が「主人公達に世界の命運がかかっている」という馬鹿な台詞を書いたせいで、主人公達の立場がとんでもないVIPになる。ビビッドシステムは軍の厳重な管理下に置かれるはずで、普段から自由に持ち歩いたり、勝手に友人に渡して仲間を増やしたりできるわけがない。もう、あまりにも世界観が幼稚過ぎて、本当にプロの仕事かと疑うレベルである。
 リアリズムという観点で言うと、謎の敵の侵略という「戦時下」の描写が杜撰過ぎるのも問題だ。これは『新世紀エヴァンゲリオン』でも見られる欠点だが、このような状況でまともに学校が機能しているはずがない。少なくとも、伊豆大島の民間人は全員島外へ避難しているはずだ。また、アローンの攻撃により住んでいる島が破壊され、学校が壊れて何人も死者が出ているはずなのに、その深刻さや悲壮感が全く伝わってこない。主人公も島の住人より自分の学力テストの結果を心配しているほどで、愛郷心などこれっぽっちも感じられない。そんな無慈悲な人間がどんなに熱く平和や友情を語っても、低俗な萌えアニメにしかならないのである。

・適当


 はっきり言うと、本作は『新世紀エヴァンゲリオン』のオマージュである。人類を審判するために異空間から現れる巨大な異形の敵という『DEVIL SURVIVOR 2 the ANIMATION』の項目で書いた「黙示録系」のパターンを踏襲している。使徒そのままの攻撃をしてくる敵がいるかと思えば、ラスボスが八枚の羽根を持っていたりする(※見た目や言動はアトラスゲームっぽい。なお、一部にはモスラのオマージュも見られる)。それはそれで良い。ただ、問題なのは、同監督が手がけた『ストライクウィッチーズ』もまたエヴァのオマージュなのである。そうすると、「この監督はこれしかできないのか」という疑惑を生むことになる。もっと言うと、自分がやりたいことさえできたら、後は適当に過去作の流用で済ませればいいと軽く考えているのではないかという疑惑である。(ちなみに、高村和宏はガイナックス出身)
 その適当さが爆発しているのが最終回である。勢い任せと言うより他にないレベルの適当さが怒涛のように視聴者に押し寄せる。真の敵の詳細が明らかになる前に、自称「代弁者」が勝手にラスボスに名乗り出る。そして、ラスボスは示現エンジンのエネルギーを吸収して地球を破壊しようとする。それを黙って見ているだけの防衛軍。示現エンジンを止めろよ! だが、そうこうしている内にエネルギー吸収が終わり、宇宙を破壊できる力を身に付ける(脚本ミス)。誰もが絶望しかけたその時、主人公達が立ち上がる。「みんなとだったら世界だって救えるよ」と友情パワーに自信を見せる。もちろん、何の根拠もない。そして、何が何やら分からない内に「宇宙創成の光」が画面を覆い、最後の仲間と合体して敵を倒す。
 エピローグでは、その仲間が住んでいた世界が修復されたり、ぬいぐるみになっていた博士が元に戻ったり、とりあえず平和な日常が戻ったりとご都合主義全開の展開が待っている。「なぜ、ビビッドシステムは主人公達しか使えないのか?」「アローンをパワーアップさせる矢とは何なのか?」「なぜ、アローンは示現エンジンの力で動くのか?」「なぜ、七年前ではなく今のこの時期なのか?」といった疑問には一切答えない。それより、テーマ的に最も大事なのは「世界の95%のエネルギー供給を担う示現エンジンの存在は是か非か」ということなのに、哀しいぐらい完全スルーである。ここまで適当に作られるともう笑うしかない。え、第二期? あるに越したことはないが、『ストライクウィッチーズ2』の手抜き具合を見る限り、期待しろと言う方が無茶である。

・総論


 見ていてイラッとするタイプのクソアニメである。あらゆる点が適当で、尻さえ映せればいいという安易な考えで作っているのがバレバレ。正直、こういう監督にアニメーションを語って欲しくないのだが、尻好きが彼に出資している間は無理なのであろう。

星:★★★★★★(-6個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:16 |  ★★★★★★ |   |   |  page top ↑
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