『GJ部』

白ご飯。

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・はじめに


 2013年。新木伸原作のライトノベル『GJ部』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は藤原佳幸。アニメーション制作は動画工房。謎の部活「GJ部」を舞台にしたゆるふわ日常系アニメ。「GJ部」と書いて「ぐっじょぶ」と読む。ずっと「じーじぇいぶ」だと思っていた。

・日常系アニメ


 舞台は高校。実態不明の謎のクラブ。自由気ままな部室。多くの女子部員。楽しいティータイム。何の目的もなくダベるだけ。親も教師も不在。干渉する者も不在。ストーリーなし。物語なし。テーマなし。と、ここまで並べれば、どこに出しても恥ずかしくない立派な血統書付きの「ゆるふわ日常系アニメ」である。1クールに一本は必ずと言っていいほど紛れ込んでいるマストアイテムだ。最近はネタ切れからか、何らかの変わり種要素を付け加えることも多いが、内容自体はどれもこれも大して変わらない。本作も基本はその流れに乗っかった作品なのだが、ある一点、他の作品との大きな違いが存在する。そして、それが両者の間に決定的な差を生んでいる。
 本作の最大の特徴は「男性主人公」がいることである。つまり、女性だらけの雑談オンリーの部活に一人だけ男性が混じっているのである。その光景はかなり異様かつ滑稽だ。元々、男性の都合のいい妄想を具現化したハーレムアニメから、視聴者にとって最も邪魔な存在である主人公を省いた物がゆるい日常系アニメという定義だった。ということは、本作は再び日常系から脱却してハーレムアニメに先祖返りしたということになるのだろうか? いや、そうではない。本作はハーレムアニメではなく、あくまで「男性主人公のいる日常系アニメ」である。その違いを文章で説明するのは非常に難しいのだが、やれるだけやってみよう。
 まず、最初に記しておくべき重要事項の一つは、女性部員が主人公に対して「媚びない」ことである。詳細不明の部活「GJ部」には四人の女性部員(翌年から後輩が一人加わる)がいるが、いずれも良く言えば自立した、悪く言えば自分勝手な性格であり、あまり他人に依存して生きていない。それゆえ、主人公に対しても色目を使うことなく、あくまで同じ部員の一人として対等に接している。時にはからかったり、意地悪をして反応を見たりしているが、それも部活友達に対する友情の範囲内だ。この「対等さ」は日常系を語る上で非常に重要な要素であり、主人公>ヒロインだと彼女達がただの物扱いになってしまい、主人公<ヒロインだと主人公が存在する必要がなくなってしまう。本作はその辺りのバランス感覚が実に秀逸である。

・男性主人公


 本作は「男性主人公のいる日常系アニメ」という新ジャンルに挑戦した意欲作である。だが、簡単そうに見えて実際に作るとなると、なかなかどうして難しい。たとえ、どんなに平和で温暖な空気を作り上げようとしても、気付けば女性陣が全員主人公に対して好意を抱き、結果、主人公に視聴者からの羨望とヘイトが集中する物である。では、そういった状態に陥るのを回避するにはどうすれば良いか。その唯一の方法は、主人公を女性グループの中に置いても、常に付かず離れずの適切な距離感を保ち続ける驚異的な精神力を持った人徳者にすること、もっと分かり易く言うと「いい奴」にすることである。
 ただ、一口にいい奴と言っても幅広い。例えば、世のハーレムアニメの主人公も皆、劇中ではいい奴とされている。普段はいい加減だが情に厚く、ヒロインの危機には体を張って助けに行くというヒーロー性。ただし、あまりに優柔不断で察しが悪いため、結果的に他のヒロインを傷付けて、こいつのどこがいいのかと叩かれがちになるという欠点を持つ。一方、本作におけるそれは少し定義が異なる。本作の主人公の良さは「空気が読める」ことだ(なぜか、劇中では空気が読めないキャラとされているが)。ここで言う空気とは、場の雰囲気というより視聴者との一体感である。つまり、視聴者が考えていることと主人公が考えていることが一致するということだ。女性に迫られると照れる。悪いことをすると謝る。メイドさんがいると回って欲しくなる。そういった普通の人の「普通の感覚」である。本作は非常に巧みな表現でそんな彼の人となりを表している。「何にでも合う無個性振りから」付けられた彼の通り名は「白ご飯」。なるほど、良い例えだ。これが少しでも自己主張のあるおかずだったら、きっと不快なことになっていただろう。
 このように、本作は今まで批判してきたダメアニメの要件を全て満たしているにも係らず、なぜか嫌味がないという本ブログの存在意義に真っ向から挑戦するような作品である。これだけしっかりとベースができていれば、後は思う存分、主人公に自分を重ね合わせてヒロイン達の可愛らしさにニヤニヤすればいい。不満があるとすれば、もう少しキャラクターデザインを万人向けにして欲しかったことと、もう少し声優陣には頑張ってもらいたかったことぐらいだろうか。この辺りの細かいクォリティの低さが非常に残念である。

・ハーレム化


 ところが、上記のような本作特有の心地良さは、第三話ぐらいをピークにして徐々に下降する。特に、第六話からは主人公の妹が登場し、主人公に対して兄妹愛を超越した並々ならぬ愛情を披露する。他の部員の妹達も、主人公に対して如何にも萌えアニメ風の好意的な反応をし、それに釣られるように女子部員も媚びた言動を行うようになり、俄かにハーレム化の様相を見せる。また、ゆるい日常系アニメの風物詩である反モラル的な自分勝手な行動(強引な新人勧誘、卒業式で袴等)も散見されるようになる。そして、第八話はお約束の部室de水着回。この瞬間、本作は他のアニメと大して変わらない位置まで落ちてしまう。先の例に従うなら、主人公>ヒロインの状態だ。
 もし、物語形成の本質が登場人物の「成長」にあるとすれば、日常系萌えアニメの主人公にとっての成長とは何だろう。スポーツのように達成すべき目標が明確なら話は早い。しかし、本作のような一話完結型でダラダラと毎日を過ごすだけのストーリーでは、身体的・精神的な変化は望むべくもない。もし、一つ存在だけするとすれば、それは「コミュニケーション」である。女性との適切なコミュニケーションを築けなかった内気で場慣れしていない男性が、部内での数々のイベントを経験する内に少しずつ克服していく。それも一種の成長物語だろう。ただ、問題なのは「女性との適切なコミュニケーション」とは何かという話である。気持ちが打ち解け、友情を深め、親密になる。文章にするとこれだけだが、男女の仲はそう単純には行かない。成長という名の下に友情を突き進めると愛情になるのか、それが複数に跨った場合はどうなるのか。こうやって突き詰めていくと、どうしても最後は遊び人的なプレイボーイ的な位置に着地してしまう。結局、根本的な「女性グループの中に男性が一人」という設定の不自然さが浮き彫りになるだけだ。
 こうならないためには、完全に成長という要素を止めてしまうより他にないのだが、人が人である以上、どうしても物語の中に含めてしまわざるを得ない。特に、萌えアニメである以上、女の子の可愛らしさを描こうとして、結果的に恋愛の部分にまで足を踏み入れてしまいがちだ。それでも、本作はギリギリのところでハーレム化するのを食い止めたまま、何とか最終回まで駆け抜けている。その点は十分に評価できる。

・卒業


 最終回の第十二話は、主人公の先輩達が高校を卒業する話である。青春ドラマの最終回によくあるパターンだが、本作のそれはどこか違和感を覚える。メインイベントであるはずの卒業式は至極あっさりと、それこそ涙の一つもなく数カットで流される。本当のメインはGJ部内で行われるお別れ会だ。本来、人生における重要な通過点であるはずの高校の卒業式よりも、さらに小さなコミュニティである部活動のお別れ会の方が何倍も重要なのである。それは冷静に考えると非常に奇妙な光景だ。
 日常系萌えアニメの始祖である『あずまんが大王 THE ANIMATION』でも『げんしけん2』でも卒業のシーンは描かれていた。しかし、それは学校という一つの小さな「社会」からの巣立ちであり、次の段階へ進むための通過儀礼だった。居心地の良い楽園にもいつか終わりが訪れ、新しい世界へ向けて一歩踏み出さなければならない、そういった時の流れの無常さを感じるからこそ胸を打つのである。一方、本作の場合、卒業する先輩達の進路は全く分からない。受験勉強すらしていない。当然、卒業後の姿も描かれない。親にも教師にも祝福されず、ただ、ひたすらGJ部から去るという一点だけが強調される。しかも、第一話と最終回の一つ前の展開が全く変わらないため、突然、別れ話が出てきたようにさえ感じる。はたして、これを卒業と呼んでいいのだろうか。
 本ブログはアニメ作品の出来栄えについてあれやこれや言うところであり、社会学的にオタクとは何ぞやを研究する場所ではないので、深い発言は控える。ただ、本作を見る限り、GJ部員達には公共という概念が著しく欠けていると言わざるを得ない。彼女達にとって、部員わずか六名の部活動が学校生活三年間の全てであり、それ以外の物は視界にすら入ってこない。学校生活のコンテンツの一つに過ぎない部活動が、完全にメインになってしまっているのである。安全な場所に閉じ籠もり、自分達の好きなことだけして、何も生み出さず何も残さない。そして、部員数名にだけ見守られて高校を去っていく。本人達はそれで幸せなのだろうが、第三者が見るととても寂しいことだ。そんな青春で本当に大丈夫か? そう考えると、「GJ部」という名前自体がひどく皮肉めいて聞こえてくるのが物悲しい。

・総論


 序盤の雰囲気は、まさに良作・佳作と言っていいぐらいなのに、第六話以降の右肩下がり具合が非常に残念感を醸し出す惜しい作品。元々、企画自体に無理があるのだから、よく第五話まで耐えたと褒めるべきなのだろうか。一話十五分の全六話ぐらいでちょうど良かったのに。

星:☆☆☆(3個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:45 |  ☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『おおかみかくし』

狼なんか怖くない。

公式サイト
おおかみかくし - Wikipedia
おおかみかくしとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2010年。コナミデジタルエンタテインメント製作のPSPゲーム『おおかみかくし』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は高本宣弘。アニメーション制作はAIC。ある奇妙な風習が残る山奥の町で、高校生の主人公が恐ろしい事件に巻き込まれる怪奇ホラーミステリー。原作・原案は『ひぐらしのなく頃に』『うみねこのなく頃に』で知られる竜騎士07。キャラクターデザイン原案は『ローゼンメイデン』でお馴染みのPEACH-PIT。

・ヒロイン


 ある夏の日、高校生の主人公は、親の仕事の都合で山奥のニュータウンへと移住する。引っ越し当日、彼は隣に住むクラスメイトのヒロインと顔見知りになる。すると、彼女は出会った瞬間から主人公に対して強い好意を抱き、まるで十年来の恋人のように濃密なスキンシップを要求する。また、クラスメイトも転校生に対して非常に好意的で、彼は一躍クラスの人気者になる。と、ここまで書けば、誰もがどこの三流ハーレムアニメかと感じるだろう。世の中にはフレンドリーな女の子もいるし、転校生に一目惚れする女の子もいる。だが、相手がどのような人間なのかも分からず、ましてや相手の意志も確かめずに一方的な愛情を押し付けるような女の子はいない。もしいるとしたら、それはある種の狂気の産物であり、恐怖の対象である。本作はホラーアニメであるが、まさかこんなところで身の毛もよだつ恐怖感を演出してくるとは予想の範囲外だった。
 ……と、勢いでこう書くと作者の「してやったり」という表情が目に浮かびそうだ。実はこれは「伏線」である。詳しくは後述するが、ヒロイン達は生まれ付き特定条件下で性的衝動を抑えられなくなるという特異体質を持っており、一方、主人公も特定の人間の性欲を誘因する十年に一人と言われる天性の素養を有していた。そのため、ヒロインが主人公に見せていた異常な愛情は、ヒロインの意志ではなく主人公の力に誘われた物だったのだ。これは萌えアニメのお約束を逆手に取ったなかなか面白い設定である。やがて、ヒロインは、自分の主人公に対する愛情が性的衝動による物なのか、それとも本当の初恋による物なのか思い悩む。視聴者視点で見るとあまりにも不自然な好意なので、どう考えても性的衝動による物なのだが、今まで恋という物を知らなかったヒロインは何としても初恋だと思い込もうとする。この時のヒロインは意地らしくて可愛らしい。結局、ヒロインは性的衝動に負けて発狂するのだが、主人公の声によりギリギリのところで自我を取り戻す。それは恋心が真実の愛情だったからだろうか。
 ただ、残念ながら、この興味深い設定は第六話で提唱された後、劇中では全く語られなくなる。以後、ヒロインは第十話まで誇張抜きで文字通り「放置」される。そして、事件が全て終わった後のエピローグでは、第一話とまるで変わらない一方的な好意を主人公に見せる。一体全体、この作品は何をやりたいのか。変わらなきゃ。せっかく面白い設定を用意しておきながら、全くそれを生かさないのは情けないとしか言い様がない。

・ホラー


 本作は、奇妙な慣習の残る山奥の町を舞台にした怪奇ホラーミステリーである。同原作者が手がけた『ひぐらしのなく頃に』と同じジャンルだ。ただ、ひぐらしと違って、本作には極めて大きな問題が一つある。それは「ホラーなのにあまり怖くない」ということである。確かに、画面を傾けたり色彩を工夫したり恐怖心を煽る音楽を使ったりと、おどろおどろしい雰囲気を作り上げようとした努力の跡は見られるのだが、さすがにこれを怖がるのは多感な中学生でもちょっと難しいだろう。
 まず、気になるのが、「奇妙な慣習の残る山奥の町」というホラー作品における王道設定の描き方が、本作はあまり上手くないということである。何が悪いって、町人が「町の掟を守らなければならない」とまるで義務感に駆られたように口にすることである。そうではない。奇怪な掟があること自体が怖いのではなく、そういった掟が日常生活の中に溶け込んでいるから怖いのである。町人は一般常識から見ると明らかに歪なルールを当たり前のこととして受け止め、誰もそれを疑ったりしない。そんな閉鎖環境に部外者が立ち入ることで、見た目は同じなのにまるで異世界に迷い込んだような錯覚に襲われ、外ではマジョリティだった自分がマイノリティになる。要するに、今まで普通だと思っていた常識=アイデンティティの危機に直面するからこそ、強い恐怖を覚えるのである。
 また、本作は元々の住民が住んでいる「旧市街」と、新たに他所から移住してきた人々が住む「新市街」が川を挟んで対立しているという面白い設定になっている。だが、その練り込みが極めて甘い。まず、旧市街と新市街の見た目があまり変わらない。住んでいる人もほとんど変わらない。たとえ、表面的には仲良くしていても、心の中には深い溝がある。旧市街の人は新市街の人を余所者扱いし、新市街の人は旧市街の人を不気味に思っている。そういった目には見えない根深い対立構造をしっかりと提示しないと、この設定にした意味がないだろう。
 なお、劇中でも語られないし、それを匂わせるような台詞も小道具もないのだが、本作の舞台は1983年ということになっている。正直、その必要性を一切感じない。確かに、その頃は都市近郊のベッドタウンの開発が進み、元住民との軋轢が問題化した時期ではあるのだが、それならもっと映像に八十年代らしさを出すべきではないだろうか。何も好き好んで自ら「死に設定」を増やす必要もなかろうに。

・狂気


 本作におけるもう一つの大きな欠点は、作品のダークな雰囲気を生み出す重要なガジェットである「狂気」の描き方が非常に稚拙であることだ。タイトルの時点でネタバレなので今更隠す必要もないと思うが、本作の舞台となる嫦娥町は現代に生き残った「狼男」達が暮らす村である。彼らは満月の夜になると(なぜか毎日満月だが)性的衝動が強くなり、あるきっかけで周囲の人を見境なく襲うようになる(主人公はその誘因する力が一際強い)。その際、狂気に蝕まれて内外共に人間離れした姿を見せるのだが……それが黒目を小さく口を大きく描き、奇声を挙げたり「くくくっ」と笑ったりと、実にアニメアニメした狂気なのである。さすがに、これを怖がるのは多感な小学生でもちょっと難しいだろう。
 そもそも、なぜ狂気に捕らわれた人間を見ると恐怖を覚えるかだが、噛み砕いて言えば「合理性がない」からだ。例えば、「美味しい物を見るとよだれが出る」、これは一見すると不思議な現象だが、今では後天的な経験で獲得した条件反射として論理的に説明されている。だが、もし、これが「美味しい物を見ると人を傷付けたくなる」だとどうなるだろう。両者の間には何一つ関連性がない。関連性がない物同士を組み合わせることは、我々の常識からするとあり得ない。だが、狂気に捕らわれた人は無関係の物を平気で組み合わせる。それゆえ、我々の脳が混乱を来たし、そこに恐怖を覚えるのである。では、本作の場合はどうだろう。確かに、様々な人が劇中で発狂するのだが、彼らは「狼男」の末裔なのである。狼男が満月の夜に狂うのは、少なくともフィクションの世界では至極当然のことだ。つまり、そこに合理性が存在するのである。そのため、そういうシーンに直面しても、視聴者は恐怖感を覚えないどころか、「あぁ、可哀想だな」と普通に同情してしまう。そうなると、最早ホラーでも何でもなく、ただのギャグになってしまうのである。
 ちなみに、本作にはもう一つ欠点があって、それはホラーミステリーなのに「主人公の身に危険が及ばない」ということである。基本的に余所者である主人公は常に蚊帳の外におり、好奇心から事件に首を突っ込むだけ。そして、主人公に訪れる最初の危機は、第三話で隣人男性(ヒロインの兄。狼男)に性的に迫られることである。確かに、それは怖いが……いや、違うだろう。

・クライマックス


 こんな本作であるが、第九話ぐらいまではまだ真面目にホラーをやろうとしているので、拙いながらも十分に評価できる。オカルトに興味のある中学生ぐらいなら、特に不満も覚えずに視聴することも可能だろう。問題はその後、劇中で年に一度の八朔祭が始まる第十話以降である。
 旧市街と新市街の間で二重スパイとして暗躍していた男が、かつて狼達に殺された恋人の仇を取るため、嫦娥町全体を滅ぼそうと企む。彼の選んだ手段は、町を流れる川の上流にあるダムを決壊させること。……ダムなんてあったんだ。初耳だ。それならそれで、事前にダムにまつわる伏線を入れるべきでは? そして、男は警官から奪った拳銃でダムの管理人一名(他の人は?)を殺害し、管理装置を操作して「放流」を開始する。途端、川が増水して壊滅の危機に瀕する嫦娥町って、おいおい。ただの放流で下流の街が壊滅するのはお隣の国ぐらいな物です。爆破しろ、爆破。だが、ヒロイン達が至急駆け付けたことで、あえなく放流はストップ。なぜ、立て籠もらない。なぜ、管理装置を壊さない。この時点で計画は失敗したわけだが、男はそのことに対して何の感情も見せない。それ以前に、ダムを決壊させることが目的なら、二重スパイとして暗躍する必要もなかったのでは? その後、男とヒロイン達の命懸けの口論があったり、主人公の身体を張った行動があったり、白狼様(謎)の身を挺した活躍があったりして、とにかく自己犠牲自己犠牲自己犠牲で無理やり話を盛り上げた後、犯人死亡であっさりと物語が終了する。何だか真面目に評論するのも馬鹿らしいぐらい適当な終わらせ方である。おそらく、ゲームをアニメ化するに当たって新たなラストシーンが必要になり、アニメ版の監督主導で急遽付け足された物だろうが、それにしてもお粗末過ぎる。これまでの伏線を全て置き去りにし、エピローグの主人公の台詞で処理してしまう様は壮観ですらある。
 ちなみに、全十二話構成だが物語は第十一話で終結する。では、最終話で何をするかと言うと、本編とは何も関係ないコメディータッチの後日談というまさかの『いつか天魔の黒ウサギ』方式である。視聴者を馬鹿にしているのか? 尺が余っているのなら、もっと描かなければならないことは大量にあるだろう。ヒロインの体質の問題はどうなった? 主人公の処遇は? 神人を救う薬は? 町同士の対立問題は? 何で恋人と白狼様が似てるんだ? 白狼様は何で死を選んだんだ? そもそも、白狼様って何だったんだ!? 以上、何とも幼稚かつ手抜き仕事で商業作品と呼んでいいのかすら迷う作品である。

・総論


 要はクソアニメなのだが、本当にダメになるのは第十話以降であり、それまでは良いとも悪いとも言えない微妙な空気が延々と流れ続けるので、視聴にはかなりの忍耐を求められる。退屈なホラーというのもある意味斬新だが、もう少し上手く視聴者を煽ってくれない物だろうか。

星:★★★(-3個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:32 |  ★★★ |   |   |  page top ↑
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