『Wake Up, Girls!』

物語。

公式サイト
Wake Up, Girls! - Wikipedia
Wake Up, Girls!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2014年。オリジナルテレビアニメ作品。全十二話。監督は山本寛。アニメーション制作はOrdet、タツノコプロ。杜の都・仙台を舞台に七人の女性アイドルグループが芸能界の頂点を目指して奮闘する青春ドラマ。これまで他人の原作付きが主だった山本寛監督の初のオリジナルテレビアニメ作品に当たる。第一話の放送日に前日譚を描いた映画を同時上映したり、制作が遅れに遅れて第四話を落としたり、監督のネット上での放言が波紋を広げたりと、話題に事欠かなかった。

・アイドルアニメ


 ここ数年、サブカル業界ではアイドル物が大興盛である。きっかけは、言わずと知れたアーケードゲーム『THE IDOLM@STER』だが、アイドルアニメというジャンルに限って言えば、それこそ遥か古の時代より連綿と作られ続けており、特別な目新しさはない。ただ、その多くは小学生以下対象のいわゆる少女アニメだったわけである。可愛い衣装を着てカメラの前で歌って踊るアイドルになりたいという少女の夢を具現化した物、それがアイドルアニメだったのだが、昨今の少女漫画の萌えアニメ化の例に倣って、あらゆる少女向けコンテンツが成人男性向けへと移行しており、その一環としてクローズアップされるようになったのが萌えアイドルアニメである。
 アイドルアニメと萌えアニメの親和性は高い。と言うより、萌えアニメの劇中に登場する可愛らしい萌えキャラ達が、そのまま偶像としてのアイドルの要件=男性にとっての理想の女性像を全て満たしているため、あらゆる萌えアニメがアイドルアニメだと言えなくもない。実際、劇中歌でもなく、歌が好きな設定でもないのに、放送後にキャラクターソングを発売したりしているわけである。それはまさに昔懐かしい正統派アイドルの幻影である。もっとも、その清純なアイドル達が、お色気シーンで裸になったり嬌声を挙げたりしているのが現在のアニメであり、やはりどこか歪んでいると言わざるを得ない。
 昨今のアイドル物の特徴の一つとして、アイドルを演じた中の人がキャラクターと同列でアイドル視されるという傾向が挙げられる。もちろん、過去にも『超時空要塞マクロス』のリン・ミンメイ役で人気を博した飯島真理のようなケースは幾らでもあるのだが、現代のそれが昔と違うのは、声優とキャラクターが同一視され、声優を応援することで同時にキャラクターをも応援するという訳が分からない状態になっていることだ。つまり、「○○役の声優」ではなく、「○○が実体化した人間」という扱いなのである。そういった状況を2次元と3次元の間の「2.5次元」などと称したりもするが、役者としては本望でも、一人の人間としてはどうなのだろうかと心配にならざるを得ない(ちなみに、この手の同一化ビジネスの発端は『サクラ大戦』の帝国歌劇団だと思われる)。そして、本作もその辺りの新しいビジネスモデルが十分に考慮された作品になっており、CVは全員、キャラクターと同様にオーディションで選ばれた七人の新人声優達である。しかも、わざわざキャラと声優の名前を一致させるという念の入れ様だ。要は、劇中でキャラが成長するのに合わせて中の人も成長し、両者まとめて応援してもらおうという実に視聴者の財布に対して優しい作りになっている。その目論見が成功するか、新人声優達がこれからも食って行けるかは、全てこの『Wake Up, Girls!』という作品に懸っているわけで、罪作りなことをする物だと逆に感心する。

・青春


 本作のストーリーは極めてオーソドックスである。おそらく、アイドルにまつわるドラマを作ろうとした際の企画会議において必ず出てくるであろうアイデアをそのまま全部詰め込んでみましたという体だ。もちろん、それは悪いことではない。奇をてらえば面白くなるというわけではなく、王道を極めることもまた一つの立派な創作活動であるからだ。特にアイドルアニメが群雄割拠している現在、もう一度原点に立ち返って本質を突き詰めてみるのも大事なことだろう。
 では、簡単に梗概を紹介しよう。本作は、七人の少女達が仙台を拠点にしたローカルアイドルグループを結成し、とりあえずデビューライブを行ったところ(映画版)からストーリーが始まる。デビューしたとは言っても、所詮は素人の寄せ集め(一人を除く)、プロとしての自覚もチームワークもほとんどない。そんな彼女達が様々な困難にぶつかりながらトップアイドルへの道を駆け上がっていくのが骨子である。上述した通り、アイドルドラマとしてのストーリーは王道で目新しさに欠けるが、その分、小さなイベントをこつこつと積み上げて少しずつ成長していく様は非常に現実的で説得力がある。まず、インチキプロデューサーに騙されて体を張った仕事をさせられた後、ローカル番組のミニコーナーを担当して知名度を上げ、小さなライブハウスで定期ライブを行うようになったはいいが、失敗続きで集客も散々。ところが、そこに怪しげな物好きの音楽プロデューサーが現れ、彼女達に厳しい特訓を化す。そうして、徐々にアイドルとしてのスキルを高めながら、全国大会を目指すという、アイドル物というよりスポーツ物に似た様相を持つのが本作の特徴である。特に、元全国トップアイドルが都落ちしてメンバーにいる点や、ローカルタレントとしての壁を破れない元人気子役のリーダーなどは、まさにスポーツ青春物の雛形を踏襲している。
 実際のところ、本作におけるアイドル要素は舞台装置の一つに過ぎず、その本質は青春ドラマにこそある。年齢も性格も異なる七人の少女が、様々な紆余曲折を経て一つの目標に向かい、力を合わせて邁進する美しさ。最初はお互いに遠慮してケンカすらできなかったが、段々と心を開き合って掛け替えのない仲間になる。その時の喜びは全国デビューに匹敵する物があるはずだ。それこそ、まさに「物語」の真髄であろう。ただ、問題なのは、肝心要の「なぜ彼女達はアイドルを目指したのか」が描かれるのは映画版他であるため、本作単体ではどうしても評価が落ちることだ。その辺り、もう少し回想シーンで補完しても良かったのではないだろうか。(ちなみに、その映画版は明らかに尺が足りずに総集編のようになっているため、もっと評価は落ちる)

・アイドル


 改めて、本作はアイドルアニメである。率直に言うと、可愛い女の子が歌って踊っていれば、それだけで十分に成立するジャンルである。テーマ的にも、普通の女の子がアイドルになるという成長と葛藤がそこそこ描けていれば、それで十分だ。そのため、型が決まっているという意味では、ロボットアニメや魔法少女アニメに近く、作るだけなら非常に簡単だと言えよう。ただし、型通りに作っているだけでは決して名作は生まれないため、少しでも後世に名を残そうと思えば、そこに何らかのプラスアルファを加えなければならない。では、アイドルアニメにおけるプラスアルファとは何か? それはまさしく「アイドルの定義」に他ならない。
 本作はストーリーをオーソドックスにすることで、そのテーマを深く掘り下げることに注力している。基本的には「I-1クラブ」という名のライバル団体と主人公達との比較が論拠の中心だ。I-1クラブとは、人気・実力共に全国トップを走る巨大アイドルグループのことである。モデルはお馴染みのあのグループだが、それよりも数倍システマティックで妥協なき精鋭エリート集団として描かれている。彼女達は「休まない愚痴らない考えない」というスローガンの下に、まるでロボットの如き厳しいレッスンを日夜繰り広げており、自ら「人間である前にアイドル」を信条にしている。グループ内での競争も激しく、敗者はただ無言で去るのみ。だが、そういったギスギスとした人間関係を嫌がってI-1クラブを辞めた元センターがいる。それが今、Wake Up, Girls!でエース的な立場にいる島田真夢である。
 彼女はずっと「アイドルとは何か?」で悩み続けていたが、Wake Up, Girls!で細々と活動を続ける内に、自分の求めていた物がそこにあることを知る。無名の新人ローカルアイドルに過ぎないWake Up, Girls!は、はっきり言って未熟である。物好きプロデューサーの言葉を借りるなら「アマチュア丸出しの友情ごっこ」である。だが、彼女達は傷付き苦しみ、それでも頑張って前に進み続ける一人の血の通った「人間」であり、何よりローカルアイドルであるがゆえに、雲の上にいるI-1クラブと違って我々のすぐ側にいる。そんな彼女達をファンはまるで大切な家族かのように心から応援する。その結果、彼女達は周りを幸せにするだけでなく、自分自身も幸せになる。それこそが本作の訴えるアイドルの定義である。
 正直なところ、この考えが正しいかどうかは分からない。アイドルは理想の偶像であるべきだと考える人にとっては、I-1クラブのように完成され、決して裏の顔を見せない人物・団体こそが真のアイドルであろう。そういう人達からすると、本作は監督個人が考える独りよがりな意見に過ぎない。それでも、物語が進むにつれ、困難にもめげず奮闘努力する彼女達に段々と感情移入していく自分がいる以上、このテーマは強い訴求力を持つ。そして、それは涙を流してまで彼女達を熱く応援するファンの顔として劇中でも見事に演出されている。ゆえに、本作の思想は個人的な妄想を離れて広い普遍性を持つのである。

・欠点


 本作の欠点はやはり作画ということになるが、予算・スタッフの質・監督の人望などを考慮すると、それなりに頑張っているのではないかと思われる。本作で重視されるべきなのは人物の綺麗なシルエットではなく、ダンスシーン等におけるリアルなアクションの方なので、そこに関しては妥協なくよく動いているからだ。特に注目すべきは、そのダンスがちゃんと「下手」であることだ。3D等を用いて、七人全員がきっちりと合わせた完成度の高いダンスを描く方がどう考えても楽だが、本作は各人の振りが少しずつズレており、駆け出しアイドルの現実感を持たせている。それより、同じ作画でも批判されるべきはキャラクターデザインの方である。基本的な顔の構造が全員同じといういわゆるハンコ絵であり、各キャラクターの違いが髪型と細かな目の形ぐらいしかないため、初見で見分けるのが非常に困難である。個性が全て、各メンバーに固定ファンが付いてなんぼのアイドルグループでこれは頂けない。また、性格においても、一応それとなく味付けはしているのだが、他のアイドルアニメなどと比べるとどうしても弱い。ただし、本作がリアリティ重視であまり萌えテンプレ的なキャラ付けをしていないので、仕方ないとも言える。一方、オーディションで選ばれた新人声優達のCVはちゃんと個性的なので、そこは安心である。
 もう一つ気になる点は、男性マネージャーがアイドル達のフォロー役でしかないことだ。あくまで主役はアイドル達であり、彼女達の成長と青春がメインであるため、下手に出張られても困るのだが、あまりにも扱いが不遇なのでもやもやする。もちろん、恋愛要素はいらないし、彼の働きでアイドルの苦しみが癒されるというエロゲ展開も薄ら寒いが、アイドルを育てるという視聴者の願望に直結した役割であるため、もう少し活躍の場が欲しいところ。具体的には、ダメダメだった新人マネージャーが新人アイドルと一緒に一人前になるという要素があってもいいはずだ。同じく、設定を生かし切れていないという意味では、東北・仙台という被災地を舞台にしていることもそうだろう。第九話では気仙沼の復興とアイドル達の立志を重ね合わせるという巧みな演出を用いているが、そこを除くと東京から離れた地方都市としてしか設定を活用できていない。もっとも、本当に震災をアイドルアニメに組み込めたら、それは深夜アニメのレベルを遥かに超越した名作になるので無茶と言えば無茶だ。
 最後に本作の最大の欠点を記述すると、親近感こそがアイドルの本質であるというテーマは、話が進み、彼女達がメジャー化することによって段々と矛盾するというジレンマを抱えていることだ。つまり、ファンが応援すればするほど彼女達は遠ざかっていくのである。その辺りのジレンマは、おそらく続編で描いてくれるはずだから期待しておこう。

・総論


 非常に懇切丁寧に作られた極めて好感度の高い作品。だからこそ、丁寧じゃない作画が残念で仕方ないのだが。しかし、これだけの物が作れるのだったら、あの『フラクタル』の適当極まりない演出は何だったんだよと思わなくもない。続編希望。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:59 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『銀盤カレイドスコープ』

残念無念。

公式サイト
銀盤カレイドスコープ - Wikipedia

・はじめに


 2005年。海原零著のライトノベル『銀盤カレイドスコープ』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督はタカマツシンジ。アニメーション制作はカラク。オリンピックを目指す女子高生フィギュアスケーターの身体に男性幽霊が憑依したことから始まるファンタジックラブコメディー。監督は『機動新世紀ガンダムX』等で知られる高松信司だが、諸所のトラブルにより最終回だけクレジットされていない。知名度は低いが、『夜明け前より瑠璃色な ~Crescent Love~』や『MUSASHI -GUN道-』などと並び称される作品である。

・作画


 作画がなぁ……。いや、本ブログは脚本重視を表明しており、個人的にもあまり気にならない方なのだが、さすがに限度という物がある。キャラクターデザインの時点で瞳が異常に大きな二昔前の少女漫画絵であり、人体の不思議を超越している。作画監督の技術力の限界か、カットごとにシルエットの歪みが発生し、人間工学的にあり得ない動きを連発する。モブキャラは手抜きの極み。背景は落書き。もっとも、日常シーンは予算を考えるとこんな物だろうと納得できる。最近のアニメが予算以上に高水準なだけだ。問題は本作におけるメインコンテンツであるフィギュアスケートの競技シーンの方である。
 そもそも、スポーツとしてのフィギュアスケートをアニメーションで描こうというのが無茶である。ただ動き回るだけでも大変なのに、フィギュアはそこに「回転」が加わるのである。回転するということは、それだけ中割りの動画枚数が必要というわけで、低予算アニメには厳しい条件だ。さらに言うと、フィギュアスケートは採点競技である。運動性だけではなく、表現力や演技構成力などの「美」を競うスポーツである。これをアニメーションという「絵」で描くのは非常に困難だと言わざるを得ない。しかも、ただ芸術性の良し悪しだけではなく、それを他の選手と比較して、こちらが上だと具体的に示さないといけないのだ。スタジオジブリや京都アニメーションでも無理だろうというレベルであり、カラクとかいう聞いたことのない制作会社(『ガールズ&パンツァー』を制作したアクタスの子会社)では最初から無謀と言うより他にない。
 また、低予算アニメには付き物の空気の読めない寒いギャグシーンの数々も当然のように完備している。デフォルメとSEを多用。飽きるほど繰り返される天丼。ノリは完全に八十年代。昔から不思議なのだが、なぜダメなアニメほど独自のギャグを入れたがるのか。そして、なぜそれが総じて寒いのか。一度、本格的に研究する必要があるのではないだろうか。

・序盤


 本作の主人公は十六歳の日本屈指の女子フィギュアスケート選手。現在、たった一つのオリンピック日本代表の座を賭けて、ライバル達と激しい争いを繰り広げている。だが、代表選考に関わる大事な試合で彼女はジャンプに失敗し、頭を打って失神してしまう。その時、彼女の身体に幽霊が憑依するという奇怪な事件が発生する。幽霊の名はピート。日本育ちの十六歳のカナダ人。アクロバット飛行の若き天才パイロットだった彼は、人生最高の演技を行ったその日に事故で命を失ってしまった。しかし、天国に召される直前、なぜか神の手により百日間の猶予が与えられ、それまで主人公の身体の中で共に過ごすよう命ぜられる。二人の運命は如何に。そして、主人公はオリンピックに出場できるのだろうか。
 以上が本作の導入であるが、まず最初に目に付く欠点がその導入部の弱さだ。ここという押しが分かりづらくインパクトも弱いため、なかなか視聴者の興味を引き難い構成になっている。その理由の一つは、スケーターに幽霊が憑依するという世にも奇妙なトラブルに、シナリオ上の必然性が、少なくとも冒頭の段階ではほとんど存在しないからである。他のファンタジックラブコメを見れば分かる通り、その手の特殊イベントが発生することによって期待されることは、今までずっと変わりたくても変われずに停滞し続けていた物に対する変化の兆しだ。要するに「きっかけ」である。だが、本作の場合は、主人公が何に対して困っているのかが分かり難いため、きっかけの必要性をあまり感じない。一応、「表情が硬い」「大舞台で失敗する」という欠点を抱えているのだが、基本的に彼女は強気で前向きな性格であり、放っておいてもその内に自分で解決するのではと思わせるのはどうだろう。ここはちゃんと失敗の原因を特定させ、このままでは絶対にオリンピックに出場できないと明確に示した方が良いのではないだろうか。
 また、演出面でも幽霊が体に取り憑くシーンがなく、憑依後もほのぼのとした日常描写が続くため、全体的にダラっとした印象になってしまっている。むしろ、幽霊のせいで悪化したようにさえ感じる。この辺りは難しいところなのだが、やはり、もう一つ前の大会から描き始めるべきだっただろう。

・中盤


 こうして奇妙な二心同体生活を始めた二人は、様々なドタバタを経て、徐々に気持ちを通じ合わせていく。そして、アクロバット飛行のパイロットであるピートのアドバイスによって、独りよがりだった彼女のフィギュアスケートも少しずつ改善されていく。と、このようにスポーツラブコメの方法論としては実にオーソドックスだが、その分よくできている。展開も自然だし、フィギュアスケートの身体表現論についても描けている。何より、強気な女の子が段々と心を開いていく過程が良い。ただ、残念なことに、ここで足を引っ張るのが前述した低質な作画と古臭い演出である。
 最も酷いのが第七話だ。代表選考を兼ねた大事な大会で、主人公はピートのアドバイスによりウェイトレスをテーマにしたショートプログラムを演じる。それが何と言うか……簡単に言うと三流アメリカンコメディーか幼児向けミュージカルかといった趣で、あまりにも馬鹿馬鹿しく下らない。作画も酷く演出も幼稚で、見ている方が恥ずかしいというレベルである。しかも、それを観客と審査員が絶賛するのだから、最早、乾いた笑いすら生まれない。そもそも、なぜウェイトレスなのだろうか。ピートの演出意図は「本当の自分を出す」ことであって、そこからどう「わがままなウェイトレスを演じること」に繋がるのか、それってかえって遠ざかっていないかと思わなくもない。好意的に解釈すると、スケートリンクをレストランに見立てて、そこでわがままな主人公が自由奔放に接客することにより、自分らしさを……いや、その理屈は「笑顔が下手」という彼女の欠点の解消には繋がらない。ウェイトレスが客に笑顔を振りまいているのは、それが仕事だからであって心から笑っているわけではないからだ。どちらかと言うと、高飛車なお姫様の方がテーマ的には合っていただろう。
 続く第八話も酷い。オリンピック代表に内定した主人公に対して、マスコミが一斉にバッシングするというストーリーだが、そのマスコミの攻撃の仕方があまりに幼稚で杜撰、誇張にしてもやり過ぎという内容である。何せ、記者会見で日本代表選手を平気で誹謗中傷するという民度だ。もう少し、描写に現実感を持たせようと思わないのか。しかも、なぜかスケート協会のお偉いさんまでもがマスコミに加担して、主人公を出場辞退に追い込もうとする。彼女を選んだのは協会自身では? 内部抗争を描くにしても、他にやり様はないの? 大の大人が寄ってたかって制作しているはずのに、こういった初歩的な脚本上のミスが生まれる、その原因を知りたい。

・終盤


 こうして晴れて日本代表になり、決戦の地へと旅立つ主人公だったが、そこに待っていたのは普段の大会からは到底考えられないオリンピックという名の重圧だった。強気な彼女でも、さすがにそのプレッシャーに押し潰されそうになる。そこで立ち上がるのがピートだ。彼は主人公をあの手この手で励まし勇気付ける。ここに来て、ようやく宙に浮いていた幽霊設定が実を結ぶ。実際に体験しないと分からないだろうが、オリンピックのプレッシャーは常人では及びも付かないほど重く苦しいはずだ。その時、ピートのように本当の自分を理解してくれて、身近で励ましてくれる人がいたらどんなに心強いだろうか。しかも、幽霊であるがゆえに、競技中も一緒にいて身体の感覚も共有しているのである。一歩間違える不正行為に当たるような、それぐらい強力な手助けである。
 もっとも、彼女を襲う不安はそれだけではなかった。ピートが天国に召されるまでの百日という猶予期間、その最終日がフリープログラムの日だった。そう、神様がピートを遣わしたのは、まさにこのためだったのだ。主人公は別れの悲しみを堪えて、自分のキャリアのためでもメダルのためでもなく、ピートのために最高のフリープログラムを演じる。惜しくもミスジャッジによりメダルは逃したものの、それすら主人公にとってはどうでもいいことだった。試合後、二人は会場の外へ行き、お別れの時を迎える。いつしか、二人の間には深い愛情が芽生えていた。しかし、刻々と迫るタイムリミット。そして、二人は……。
 以上、確かに作画は酷い。演出は古臭く、ギャグもつまらない。しかし、その中心となるストーリーは、王道ではあるがよくできているし感動もする。そのため、全体を通して見ると十分評価に値する作品になっている。だが、冒頭に描いた通り、本作は世間的に非常に低い評価を受けている作品だ。「クソアニメ」の定義は人それぞれだろうから、それに対して文句を言うつもりはないが、少なくとも自分は本作がクソアニメだとは思わない。世の中には訴えたいテーマもなく、物語の中心軸が歪み、登場人物の心理描写すらあやふやなアニメなど幾らでもあるのだから。

・総論


 八十年代の懐かしアニメだと思えば、まぁ、こんな物かなと。ストーリーに関しては高水準なので、もう少ししっかりとしたところに作って頂ければ、今のような評価は受けなかっただろうに。あ、そうそう。EDムービーは歌・画共に好き。

星:☆☆☆(3個)
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by animentary  at 22:05 |  ☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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