『Another』

もう一つ。

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Another - Wikipedia
Another(小説)とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年。綾辻行人著の小説『Another』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は水島努。アニメーション制作はP.A.WORKS。とある地方都市の呪われし中学校を舞台にしたホラーミステリー。ホラーとは言え、あまりにも簡単に登場人物が亡くなるため、他のアニメでもそういった場面があると「Anotherなら死んでた」などと茶化して言われることも。

・クラス


 タイトルが指し示す通り、本作は「もう一人いる」系のホラーミステリーである。簡単に説明すると、ある組織内でいつの間にか見知らぬ人物が一人増えている。だが、誰もそれに気付かない(もしくは主人公だけが気付く)。そうこうしている内に、段々と組織内で世にも不思議な現象が起こり始めるという、ベタとまでは言い切れないがアイデアとしてはよくあるパターンである。ただ、通常は十名程度の限定された団体(例:宇宙船の乗組員)で行うことが多いのだが、本作はそれを学校のクラスその物で行っている。つまり、対象人数が三十人強となり、「もう一人いる」系の作品の中ではかなり大規模な設定となっている。
 学校のクラスは、実に特殊な空間である。最大の特徴は強制的であることだ。新学期が始まるとほとんどの学校でクラス分けが行われる。だが、それを行うのは担任教師であって、そこに生徒側の意志は介在しない。性別・容姿・性格・趣味・特技・学力・運動能力、何の共通点もない多種多様な人々がランダムで集められ、そこで一年もの長い期間を過ごすことになる。拒否権はなく、どんなに嫌な人間がいても、どんなに雰囲気が悪くても、自ら逃れることができない。また、転校生でもいない限り、そのメンバーが増減することはない。ある意味、牢獄に近い。だが、不思議な物で、あらゆるイベントがクラス単位で行われるせいか、そのクラスに対する帰属意識は他の何よりも高くなる。クラスこそが我が家であって、他のクラスは他者、もしくは敵。すると、おのずとクラス内のルールが定められるようになり、それを犯す者には制裁が科せられ、無視やイジメといった人権に係る恐怖が身に降りかかる。こうやって順番に見て行くと、なるほど、「もう一人いる」系の作品をやるにはなかなか適した舞台だと言えよう。クラスメイトという時点で、それが幽霊であろうとロボットであろうと絶対的に助け合わなければならない仲間になるのだから。木の葉を隠すなら森の中ならぬ、幽霊を隠すなら教室の中である。

・ヒロイン


 本作は大まかに第一部と第二部に分けられる。第一部は第一話~第六話。五月、とある山間の集落に立地する中学校へ主人公が転校し、三年三組に配属される。だが、そのクラスには最初から奇妙な雰囲気が満ちていた。特に、片目に眼帯をかけた無口なヒロインのことを、なぜか他のクラスメイトはまるで教室に存在しない人のように扱い、彼女自身もそれを当然のように受け入れている。ヒロインは本当にこの世に存在するのだろうか。もしかして、主人公だけが見えている幽霊なのではないだろうか。一方、それと前後して、クラス内ではクラスメイトやその家族が突然死亡するという奇怪な事件が相次いで発生する。結果、益々、頑なになっていくクラスメイト。この事件はヒロインと何か関係があるのだろうか。そして、彼らがひた隠しにするクラスのルールとは?
 ホラーを売りにしたアニメは数多くあるだろうが、本作のように真っ向から視聴者を怖がらせることに主眼を置いた作品は数少ないのではないだろうか。そういう意味で言うと、ホラーの雰囲気作りは十分頑張っているように思われる。終始、おどろおどろしいBGMが流れて気分を盛り上げ、人形やカラスといった不気味なカットが随時挿入される。丁寧な背景作画と棒立ち気味の人物作画のギャップも良い味を出している。そこに登場するのは、本当に存在するのかしないのか分からない物静かなヒロイン。『惡の華』の項目でも書いたが、アニメのメリットは現実的な物と非現実的な物を同一画面上に違和感なく並べられることである。それゆえ、全体的にどこまで現実か判別できないファンタジックな映像を作り上げることに成功している。また、逆に髪型を変えるとキャラクターの見分けが付かないというアニメのデメリットを利用したトリックも存在する。
 だが、その一方で幾つかの物足りなさを覚えるのも事実だ。つまり、演出次第でもう少し怖くできたのではないかという残念さである。まず、本作の何が一番恐ろしいかと言うと、要はヒロインを含めたクラスメイト全員が「何を考えているのか分からない」点にある。もちろん、後述する通り、裏には彼らなりに必死に考えた上の合理的な判断があるのだが、転校生である主人公にはそれが分からない。しかも、実際のところ、彼らのやっていることはかなり陰湿で残酷である。一般的なモラルからするとやってはいけないことだ。それゆえ、そういった自分と新しい環境との間に横たわる大きな溝、いわゆる疎外感をもっと前面に強調しなければならない。それこそ、クラスメイトの方が幽霊なのではないか、いや、そんなことを考える自分自身が幽霊なのではないか、そう感じさせるぐらいまで誇張して描かなければならなかっただろう。

・災厄


 全ての始まりは二十六年前の事件だった。当時、三年三組の生徒の一人が交通事故で不慮の死を遂げた。それを不憫の思ったクラスメイトは、卒業するまで彼を「いる者」として扱うことを決める。すると、世にも奇妙な出来事が発生する。何と卒業写真に死んだ生徒の姿が映っていたのだ。この事件が引き金となり、三年三組は「死者」の魂を呼び寄せる力を持つようになる。その結果、三年三組はある特定の年に生徒とその家族が次々と謎の死を遂げるという「災厄」に苛まれるようになってしまったのだった。
 視聴者の誰もが思うところだろうが、正直、この設定は苦しい。まず、何より二十六年前の事件がきっかけで三年三組に死者の魂を呼び寄せるようになったという二つの事象の合理的な繋がりが何もない。さらに、その死者がクラスメイトを襲う動機もない。これは劇中でも指摘されていることだが、悪意や恨みが込められた「呪い」ではないため、その分の恐怖感がマイナスとなるのである。当事者にとってはひたすら理不尽な仕打ちであり、恐怖よりも怒りの感情が勝ることになるだろう。クラスというある種の閉鎖空間に蓄積された負の感情が、歪んだエネルギーを引き寄せるなどといった強引な解釈もできなくはないが、所詮は言葉遊びの域を出ない。
 また、その災厄自体のリアリティにも問題がある。ほぼ隔年ごとに十人近いクラス関係者が謎の死を遂げる。全て不慮の事故なので事件性がなく、さらに田舎町なので情報が外に伝わらないという設定だが、さすがにここまで事件が頻発するとただの都市伝説では終わらないだろう。特に授業中に担任教師が自殺したとなれば、間違いなく全国トップニュースになるはずだ。そもそも、何の因果律もなくクラスの誰かが死に続けるという状況に追い込まれた時、そのクラスに属している人間の心理状態は一体どうなるだろうか? 次は自分の番かもしれない。だが、どんなに準備をしても逃れることは不可能。そういった状況下で人が正常な精神状態を保てるはずがない。災厄が始まった時点で、ほとんどの人は情緒不安定になるか、逃げ出すはずだ。劇中の演出では生温い。もっと極限まで追い詰められた人間の狂気を描かなければならない。
 そんな無敵の災厄だが、一つだけ防ぐ方法があった。災厄が発生すると、その死者の分だけクラスの人数が増え、机と椅子が足りなくなる。だが、神秘的な力により記憶の改ざんが行われるため、誰が死者なのか分からない。そこで代々の三年三組が取った対策は、クラスメイトの一人をいない者として扱うことによって、人数を揃えるという物。そう、ヒロインは幽霊ではなく、実はその対策に選ばれた人だったのだ。この事実を知った主人公は安堵し、ヒロインと共に戦うことを誓うのだった。

・ジェノサイド


 第七話より第二部となる。ヒロインの実在が認められたことでクラス内のいざこざは一応の収束を見せ、後はどうやって災厄を食い止めるかが物語の焦点になる。その一方で、相変わらず理不尽な惨劇が繰り返されるのだが、そこにはもう第一部のような緊迫感はない。なぜなら、転校生である主人公は、クラスを守るという大義が他の生徒に比べて薄いからだ。例えば、「好きな女の子を守る」などの明白な理由があれば、もっと話も盛り上がったのだろうが。仕方ないので、とにかくインパクトを上げてマンネリ化を防止しようと、殺人描写だけがより派手に、よりグロテスクになっていく。だが、あまりにも簡単に人が死に続けるので、その内、怖さなどどこかに吹き飛び、ブラックジョークにも似た乾いた笑いが巻き起こる。人の死ぬ場面がここまで面白くなるとは誰も予想できない。恐怖を演出したつもりなら完全に失敗だが、狙ってやったなら大成功である。
 そして、かつての三年三組OBの協力もあって、主人公達はついに災厄を止める方法を発見する。それは「クラスに紛れている死者を亡き者にすること」。その恐ろしく物理的過ぎる安易な解決方法を聞いて、視聴者の脳裏に一抹の不安がよぎる。案の定、その方法がクラス中に広まった瞬間、夏休みの合宿に訪れた山奥の旅館で惨劇の幕が上がる。死へのストレスと疑心暗鬼がピークに達した生徒達は、精神に異常を来たして互いを殺し合う。特に狙われるのは、あからさまに怪しいヒロインと主人公。ただ、本来なら身の毛もよだつサスペンスシーンのはずだが、あまりにも唐突でやけくそなジェノサイド演出なので、ここでも恐怖より笑いの方が勝る。まるでモンティ・パイソンのコメデイーである。大体、炎に包まれた建物の中でこれほど長時間活動できるわけがない。主人公とヒロインだけやたらと健康的過ぎないか? こいつら、死者だろう。第一部でやろうとしていた緻密な恐怖演出とは一体何だったのか。ちなみに、このシーンはPSゲーム『ダブルキャスト』のバッドエンドと酷似している。当然、現実感・恐怖感は比べようもない。
 惨劇の後、ヒロインの活躍により、ついに死者の正体が明らかになる。ネタバレになるので詳細は伏せるが、かなり意外な結末である。だが、細かなヒントはあちらこちらに描かれているので、目立った不自然さはない。ただし、記憶の改ざんという都合の良い設定のおかげで、何とか強引に辻褄を合わせている感は否めない。また、主人公だけが知っていて視聴者が知らない情報があるのは、ミステリーとしてはどうだろう。ヒロインの設定も上手く物語に生かしたとは言い難い。そもそも、これで本年度の災厄が終了したからと言って、何の解決にもなっていないのである。「何の悪意もない理不尽な呪い」を解決手段がないからと言ってそのまま放置するのは、ミステリー作家としての敗北宣言ではないだろうか。それこそ、何でもありの世界になってしまうだろう。

・総論


 ミステリー部分はさすがの完成度だが、アニメ化するに当たってホラー部分を強調しようとした結果、ただのギャグアニメになってしまったという悲しい作品。前半の緊張感を後半まで保てと言うのは、それほど無理難題なのだろうか。

星:☆☆☆☆☆(5個)
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by animentary  at 23:54 |  ☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『オオカミさんと七人の仲間たち』

女性蔑視。

公式サイト
オオカミさんシリーズ - Wikipedia
オオカミさんシリーズとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2010年。沖田雅著のライトノベル『オオカミさん』シリーズのテレビアニメ化作品。全十二話。監督は岩崎良明。アニメーション制作はJ.C.STAFF。学園の平和を守るために暗躍する秘密組織とその組織に属する一組の男女の恋愛模様を描いた学園バトルラブコメ。世界各国のおとぎ話をモチーフにしているという触れ込みだが、実際は……。なお、本作がシリーズ構成デビューとなる脚本家は、後にとある問題を起こすことになる。

・ナレーション


 本作の最大の特徴、それはナレーションである。本作は謎の女性(CV:新井里美)による天の声が、タイムラインを埋め尽くさんばかりに随時挿入される。元々がおとぎ話のパロディーであり、また、原作が地の文がキャラクターの言動に干渉し、それに対してキャラクターが反応するという良く言えばメタフィクション、悪く言えば楽屋オチ的な独特の文章構造を有していたため、それを再現するためにナレーションという手法を用いているのだが、残念ながらそこに二つの大きな問題を抱えてしまっている。
 一つ目の問題は、ナレーションがひたすら単純に「つまらない」ことだ。キャラクターのズレた言動にツッコんだり、茶化したりといろいろと面白いことを言おうと頑張っているのだが、その全てがことごとく滑っている。そのため、かえって場の空気を汚し、面白くなるはずの物をつまらなくしてしまっている。もっとも、いつものことながら、なぜ、つまらないかを文章で説明するのは非常に難しい。面白いかどうかは完全に主観の問題であり、これが良いと感じる人も少なからずいるはずだからだ。ただ、一つだけ間違いなく言えるのは、そのナレーションが存在することによるメリットよりもデメリットの方が遥かに大きいということである。例えば、台詞に声を被せて聞き取り難くなっている場面が頻発するのは何をやっているのかと言わざるを得ない。
 二つ目の問題は、ナレーションが状況を説明し過ぎることだ。本作のナレーションは、例えは悪いがテレビの視覚障害者向け副音声と酷似しており、見たら分かるという程度の物まで全て言葉で説明してしまう。しかも、当時のキャラクターの心理までも全部解説するため、ナレーションだけ聞いていれば大体理解できてしまうという親切設計だ。それでは映像作品である必要性が何もない。かと思えば、シリアスシーンになると途端に黙り込み、キャラクターがモノローグで過去を語るというお粗末仕様。良かれと思い、とりあえず実装してみたはいいが、回を追うごとに使いづらくなって困り果てているスタッフの顔がありありと想像できて哀しい。まさに絵に描いたような企画倒れである。

・設定


 日本のどこかにあるという御伽花市。一見、のどかな田舎町に見えるそこは、とある権力者が自らの理想を実現するために開発した劇場型学園都市だった。その街には御伽学園という名の一貫校があり、日本の未来を担うエリートを育成していた。そして、より優秀な人材を輩出するために、あえて不良ばかりを集めた高校を近隣に設立し、敵役として競わせていたのだった……という、これでもかと言わんばかりに分かり易い中二病設定が本作の舞台である。ただし、いつものようにこの設定はストーリーには大して絡まない。権力者が主人公達を意のままに操る展開もなければ、彼らが権力者に反逆するような展開もない。そもそも、不良高校が学園に襲い掛かってくる動機も単なる個人的な趣味に過ぎない。要は、作者が自分のやりたいことをよりやり易くするためだけに持ち出した理想空間に過ぎないということである。
 御伽学園学生相互扶助協会、通称「御伽銀行」。主人公達が所属する学内秘密組織である。生徒の悩みを手助けすることで貸しを作り、後に相応の借りを強制徴収するという相互貸し借りシステムで成り立っている。こう書くと分かり難いが、実際はただの学内何でも屋である。だが、これも中二病が絡むと、本部の場所を生徒が誰も知らず、様々な特殊能力者が集まり、ハイテク機材が完備され、学園を裏で牛耳っているという話になる。同監督が手がけた『極上生徒会』の極上生徒会と似ているが、組織力と存在目的に雲泥の差がある。そして、やはり、この設定もストーリーには大して影響を与えない。システムの矛盾にメンバーが葛藤する展開もなければ、今までの借りを返すために生徒達が立ち上がるという展開もない。結局は、他の日常系アニメにおける○○部の亜流でしかない。
 本作の主人公は視線恐怖症の男子生徒である。内気でヘタレな性格であり、他人の視線を浴びるとしどろもどろになり何もできなくなる。だが、無駄に行動力だけはあり、いきなり片思いのクラスメイトのヒロイン(武道の達人)に道端で告白し、それが縁で御伽銀行の正式メンバーになる。また、なぜか、スリングショットの名手という危険な一面を持つ。そんな彼は、ヒロインのピンチなどに遭遇すると突然男らしくなり、言動も大仰になるという特異な人格を有している。物語の後半では、好きな女性を守るためにちょっとした特訓を行い、格闘技を身に付ける。ほんの数時間の特訓で肉弾戦に勝てるようになるなら、空手道場もボクシング教室もいらないのだが。以上、何ともライトノベル原作らしい薄っぺらな主人公である。作者のコンプレックスがそのまま理想空間に投影されているようで痛々しい。ちなみに、この手の「いざという時に本気を出す」系キャラクターが醸し出す不快感の正体は、要するに一時的な「覚醒」を心の「成長」に都合良く置き換えているからである。積み上げてきた土壌がないのに急に人格が変化したところで、それは顔に新たな仮面を被っただけであって、人としてはむしろ悪化しているのだと気付かなければならない。

・人格否定


 第二話で、早くも主人公がヒロインに惚れた理由を「彼女の友人」に対して告白する。それは「見た目は強そうだけど、本当は心が弱い」から。……アニメを見ていて、呆れて言葉を失うのはこれで何度目だろうか。酷い。とにかく酷い。こんな物がなぜ地上波で放送されるのか。上記の通り、主人公は内気な性格である。同じクラスの一員でありながら、ヒロインとは言葉を交わしたことすらない。なのに、外から見ているだけで勝手に他人の心が弱いと断じているのである。お前、何様だよ!? これが「見た目と違って優しい」なら分かる。それは行動となって現れるからだ。だが、心の弱さなど見た目からは分からない。そういった物はお互いにじっくりと交流を続けて、アニメ的に言うなら1クールぐらい経過して初めて知る物である。これではまさに老害評論家が好んで用いる、現実感に欠け、他人との接触を忌憚するバーチャル世代・デジタル世代のテンプレートではないか。
 ところが、そんなツッコミもむなしく、第二話以降もヒロインの「本当は弱い」描写が延々と描かれる。強敵の前で自信を喪失したり、古い知り合いに過去を詮索されたり。また、主人公だけでなく、周りの人間も寄ってたかって彼女のことを弱い弱いと貶し続ける。これはイジメだろうか。萌えキャラに人権はないのか。もちろん、女性の強気な態度が実は心の弱さの裏返しだったという展開は、物語上のよくあるパターンの一つである。そのギャップが可愛らしさを生むというのも理解できる。ただ、本作が問題なのは「本当は弱い」描写に比べて、肝心の「強がっている」描写が明らかに少ないことである。大まかに言って、7:3ぐらいの割合で前者の方が多い。そのため、ヒロインは事あるごとに弱音を吐くだけのメンタルの弱い女になってしまっているのである。本末転倒、ここに極まれりである。
 そんなヒロインを弱いと断言する主人公は、当然のように想い人を悪の魔の手から守ろうとする。たまに彼女が強い側面を見せても、「引っ込み思案な彼女がそんなことができるわけがない」「頼れるのは俺しかしない」「それは全部嘘で強がらないと自分を守れないほど弱い」などと頭ごなしに否定して、あくまで自分の支配下に置こうとする。自分のことを棚に上げて、よくもまぁ、ここまで上から目線で語れる物だ。もちろん、二人は恋人ではないし、家族でもない。これでは完全にストーカーである。ある意味、コミュニケーション能力に難のある人間が陥り易い罠を忠実に再現したと言えなくもないのだが、本作のテーマはそんな物ではないはずだ。
 ちなみに、辛辣な言葉でプライドを徹底的に否定して人格を破壊した後、優しい言葉をかけて救済し、信用させて意のままに従わせるのは典型的なマインドコントロールの手法である。本作が行っているのは、まさしくその過程のシミュレーションである。これも「萌え」の一端なのだろうか。自分にはただの「洗脳」にしか見えないのだが。

・男尊女卑


 本作には萌えアニメらしく数多くの魅力的な女性が登場する。だが、その大半が過去のトラウマや重大な悩みを抱えている。そして、それらは全て劇中で男性陣の働きによって救われる。その逆はない。苦しむのは常に女性側であり、男性側はそのトラブルに巻き込まれるだけだ。萌えアニメでよく見られるこの手の一方的なヒロイン救済物語は、元々は十八禁美少女ゲーム(エロゲー)で長年培われてきた物である。ヒロインが身体的な障害を含めた様々なコンプレックスを抱えており、それを主人公が手助けすることで苦しみから解放して、ラストに深い感動を呼ぶというのが一種の黄金パターンとして確立されていた。ただし、エロゲーはその性質上、主人公はプレイヤーの完全なる分身でなければならず、また、ヒロインごとに攻略ルート=ストーリーが分かれるため、主人公に対して深い設定を盛り込むことができない。それゆえ、ヒロイン側に重石を押し付けざるを得ないという大人の事情があったのだが、萌えアニメ、特にライトノベル原作アニメはそういった足かせがないにも係らず、何の考えもなしにそのパターンを直輸入してしまっている。すると、本作のようにただ男性優位の鼻持ちならない救済物語になってしまうのである。これが俗に言う「○○だけを見て育った人が○○を作る」という状態の弊害であり、昨今のアニメ業界の最大の問題点である。
 本作は、それらの屈折した作品群の中でも飛び抜けた作品である。この際、はっきり言わせてもらうが、本作の根底に流れるのは強烈なまでに歪み切った幼稚な男尊女卑思想である。男は女を守る物、女は男に守られる物、そういった前時代的な男性優位論が作品の節々に見て取れ、極めて不快感をもたらす作りになっている。もちろん、女性を守りたいという願望は男性全てに共通する物だろうし、守られたいという願望を持つ女性もいるだろう。ただし、それは両者の意志が一致して初めて意味を成す。本作のように主人公側の一方的な決め付けと庇護の押し売りでは、女性を下に見ているだけと言われても反論できまい。また、ヒロインに対する扱い以外にも、例えば、ミスコンの投票権が男性にしかなかったり、敵にさらわれるのが皆女性であったり、「ヒロインの武器には電流が流れているから女の子でも戦える」と解説が入ったりと、一々、余計なディスリスペクトが挿入される。極め付けは、主人公が覚醒して「男らしく」なった時、ヒロインの名前を呼び捨てにすることだ。この作者にとって、どうやら女性を高圧的に呼び捨てにすることが「男らしさ」らしい。普段、どれだけ女性に対してコンプレックスを抱えているのかと呆れるより逆に心配になってしまう。確かに、「萌え」は女性を人形化し、男性にとって都合の良い長所だけを抽出するというあまり褒められた物ではない行為であるが、その根底には異性に対する深いリスペクトがあるはずだ。そういったリスペクトを忘れて、ただ異性を物扱いすると本作のような駄作が出来上がるという良い見本である。

・総論


 何かいろいろ書きましたが、ダメな理由の九割はナレーションです。

星:★★★★★★★★★(-9個)
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by animentary  at 23:02 |  ★★★★★★★★★ |   |   |  page top ↑
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