『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』

ザ・クソアニメ。

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もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだらとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2011年。岩崎夏海著の小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』のテレビアニメ化作品。全十話。監督は浜名孝行。アニメーション制作はProduction I.G。経営学者ピーター・ドラッカーの理論を高校野球のマネージメントに応用した青春ビジネスアニメ。通称「もしドラ」。原作小説は、なぜか巷で流行してベストセラーになった。どう考えても、表紙を飾る可愛い女の子のイラストのおかげだが、作者は頑としてそれを否定しているらしい。

・序


 本作を語る上において、やはり、どうしても看過できないのがビジュアル面である。特に、背景美術はお世辞にも商品レベルに達しているとは言えず、著しく作品のグレードを下げている。タッチが荒く、パースまで狂っており、正直な話、子供の絵画コンクールレベルである。また、それ以上に気になるのが稚拙なコンテとレイアウトだ。顔のアップを多用し、それ以外は常に棒立ち作画。ベッドの右側に座っていたはずの人物が、回想シーンが終わるとなぜか左側に移動しているという謎の現象まで発生している。試合中はカットすら繋がらないシーンも多く、アニメーションと名乗ることすらどうかと思うレベルだ。そして、時折、挿入される今時少年アニメでも見ないような幼稚な演出の数々。全体的に低クォリティーであり、予算も時間も不足していることがありありと感じられて哀しい。『電脳コイル』以降のNHKアニメの質の低下は甚だしいが、もう少し何とかならないのかと言わざるを得ない。
 さて、本編について述べる前に書いておかなければならないことがある。それは、明らかな「タイトル詐欺」であるということだ。具体的に言うと『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』ではなく、正しくは『もしドラッカーの『マネジメント』を読んだ女子高生が高校野球のマネージャーになったら』である。一見すると大差がないように見えるが、実体は公園と援交ぐらい違う。前者から想像されるストーリーは、弱小野球部のマネージャーが部を強くするために経営学のノウハウを日々の練習に取り入れるという物だが、実際のストーリーは、経営学の本を読んで感銘を受けた主人公が野球部のマネージャーになって部を改造するという物である。つまり、マネージャーになる前からすでにドラッカー主義に洗脳済みであり、経営学の理論を何とか高校野球に当てはめようと躍起になるという非常に本末転倒な物語になっている。良く言えば、ジャンヌ・ダルク。悪く言えば、ただのカルト宗教の信者だということだ。

・カルト宗教


 例を出そう。第二話、野球部のマネージャーとなった主人公は、部の強化プランを構築するため、ビジネス書を片手に「高校野球における顧客は何か?」を考察する。もう、その時点で意味が分からない。当然、高校野球は経済活動ではないため、顧客も従業員もいない。しいて言えば、部員は従業員である。そもそも、経営学をスポーツに応用すると良い結果が生まれるという前例は現時点では何もなく、主人公がそう信じているだけだ。ところが、本作の主人公は、何の根拠もないのに「部員は従業員であり顧客である」と勝手に定義付け、それを場面場面によって都合良く使い分けることで、無理やりドラッカー理論を野球にこじつけようとするのである。この辺りが実にカルト宗教的だ。ビジネス書を何らかの経典に置き換えたら、そのまま新興宗教の布教ビデオである。その証拠に、主人公は野球部のマネージメントに行き詰まると、「何か参考になりそうなこと書いてないかな?」と言って、ドラッカーの『マネージメント』を読み漁る。本当に野球部を強くしたいのなら、様々なジャンルの本を読んで多様な知識を練習に取り込めばいい。だが、なぜか、本作の主人公はドラッカーの経営学書一本に絞って、それに自分達の運命を託す。盲目的なまでに。
 そして、本作をよりカルト宗教に仕立て上げているのが、周りの人間の自発性の希薄さである。主人公がドラッカーかぶれになるのは、そういう物語なのだから仕方ない。だが、周囲の人間が誰もそのことに対して自分の意見を発しようとしないのはどういうことか。物語的には、反ドラッカー主義の人間を部内に配置し、両者の意見の対立によってテーマを深めるのがセオリーだが、そんな気の利いた人間はある一名(後述)を除いてどこにも存在しない。なぜなら、「高校野球に顧客などいない」という「常識」を口にする人間が部内に一人でもいたら、この無茶苦茶な物語は成立しなくなるからだ。最終的には、全ての登場人物が主人公の語る素人ドラッカー理論を当然のように受け入れ、それに追従する。野球部のマネージャー全員が、『マネージメント』をバイブルにして会議を開くシーンは不気味ですらある。まさか、天下のNHKがこんな宗教セミナーじみた光景を堂々と地上波で放送するとは、時代も変わった物である。

・ストーリー


 では、さっさとストーリーを紹介するとして、最初に結末を書くと、最終回で主人公の所属する野球部は夏の甲子園に出場する。超激戦区である東京代表を制して、だ。本作はフィクション、リアリティに関しては目を瞑ろう。しかし、経営学を練習に応用するだけで、それほどまで劇的にチームが強くなる物だろうか。答えは「否」である。なぜなら、スポーツに必要な四要素、フィジカル・メンタル・テクニカル・タクティカル、この内、経営学が関与できる点は「メンタル」だけだからだ。確かに、メンタルを整理することによってモチベーションを上げ、全体的な練習量を増やすことはできるだろうが、結局は個人の身体能力と技術、そして、チームの組織力が伴わなければどうしようもない。甲子園に出場するような強豪高校は、彼らとは比べ物にならないぐらい才能のある選手を一堂に集め、彼ら以上のモチベーションで日々鍛えているのだから。言ってみれば、どんなにマーケティングを駆使したところで、肝心の商品が粗悪では売れる物も売れないのである。
 もちろん、メンタルトレーニングだけで甲子園に出場できるとは、さすがの作者も考えていないので、切り札となるイノベーション(革新)的な秘密の新戦術が用意されている。それが「ノーボール・ノーバント」である。内容は読んで字の如く、ピッチャーはストライクしか投げない、バッターはスイングしかしない、という作戦と呼んでいいのかすら分からない作戦だ。何とも愚直で馬鹿正直な、要するに「勢い任せ」の戦術だが、一発勝負を制するには確かに勢いも大事なので、あながち完全に間違っているとは言い切れない。少なくとも、これぐらい思い切った戦術を用いない限り、強豪校との絶望的な差は埋まらないだろう。ただし、ずっとピッチャーがノーボールを続けていたら、すぐに相手側に対策されるだろうから、当然、試合は「乱打戦」になるはずだ。しかし、劇中の試合はほとんどが「投手戦」なのである。さらに、この戦法を取るには相当な守備力が必要になるはずなのに、それが他校より優れているという描写はない。つまり、作戦その物ではなく、それが「物語に昇華されていない」という致命的な欠陥を抱えているのである。これでは、野球好きの人間からの失笑は回避し得ない。

・精神論


 そして、ここまででもかなり胡散臭いのだが、ここにもう一つの胡散臭いサブストーリーが平行して繰り広げられるのが本作の特徴だ。それが、元野球部のマネージャーで現在は病気で入院している主人公の友人の話である。一応、主人公がマネージャーになるきっかけを作った人物であるが、それ以外は特にストーリーに絡むこともなく、決勝戦前日に呆気なく息を引き取るまで存在感もない。その死の描写にしても、演出が安過ぎて感動も何もない。人の死をストーリーに組み込めば、それだけでお涙頂戴の展開になると思ったら大間違いである。ちなみに、三流ドラマのセオリー通り、彼女の病気の詳細は最後まであやふやである。
 ただし、物語的にその「友人の死」が果した役割は極めて大きい。なぜなら、彼女は本作中で唯一、ドラッカー理論に対して反対意見を述べた人物だからである。病床にある彼女の思想は「結果よりも過程が大切」。つまり、甲子園に出場するという結果のためだけに畑違いのドラッカーを持ち出した主人公を全否定である。もしや、そのせいで殺されたのかと邪推してしまうが、そんな彼女の死が残した影響は甚大で、何とあのドラッカー教信者の主人公までもが急にドラッカー理論を否定し始める。まさかの大どんでん返し。何この展開。そして、ドラッカーを捨てた主人公が地区予選の決勝戦で取った最後の作戦は、ずばり「頑張れ!」。ただの応援、要するに「精神論」である。すると、彼女の声援に導かれるように不思議な力が湧き上がり、野球部員は死に物狂いに頑張って甲子園出場を獲得する。すごいぞ、ただの応援。結局、この物語が言いたいことは、「経営学の理論なんて土壇場では役に立たない。とにかく頑張れば、何とかなるさ」ということだったのだ。それまでの長い物語は一体何だったのか。そして、このアニメは一体何がやりたいのか。もっとも、決勝戦後のエピローグ(やたらと長い)では、再びドラッカー賞賛に回帰するので訳が分からない。

・総論


 安いストーリーに安い画という典型的なクソアニメである。さらに、そこへ宗教じみた安い思想まで加わっており、褒められる点が一切ないという惨状がかえって清々しい。ドラッカーに興味がなければ、馬鹿馬鹿しい超展開を鼻で笑い飛ばせるので、クソアニメの入門としては最適かもしれない。決して、これで経営学を勉強しようなどと思ってはいけない。

星:★★★★★★★★★★(-10個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 21:08 |  ★★★★★★★★★★ |   |   |  page top ↑

『はたらく魔王さま!』

設定の妙。

公式サイト
はたらく魔王さま! - Wikipedia
はたらく魔王さま!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。和ヶ原聡司著のライトノベル『はたらく魔王さま!』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は細田直人。アニメーション制作はWHITE FOX。とある事情で現代日本にやってきた魔王が、いつか再び魔界へ帰る日のため、ファーストフード店で地道に働いて生活費を稼ぐファンタジーコメディー。

・魔王と勇者


 魔王とは何なのだろう。もちろん、これは文字通り「魔族の王」「魔界の王」という意味である。だが、「魔族とは?」「魔界とは?」と問われると急に途方もない無理難題と化す。ファンタジーゲームの性質上、冒険の障害となる敵は全て魔族である。スライムもゴブリンもゾンビもドラゴンも全部ひっくるめて。民族・種族の差どころか生物なのかどうかすら定かではない。では、そんな無茶苦茶な寄せ集め軍団を統べる王とは一体何なのか。一言で言うと、「よく分からない」だ。現実世界では絶対にあり得ないことなので、他の物に例えようがない。結局は、フィクション特有の非合理的なご都合主義=お約束に過ぎないということだ。ただ、質の高いファンタジーはその無理難題に何とか整合性を付けようと試みている。例えば、魔族は全て無から生まれた魔法生物であるといった設定や、知性のあるヒューマノイドだけが魔族で、その他の魔獣はただの野生生物に過ぎないといった設定など。しかし、それでもなお「魔王」という職業は存在自体が苦しい。魔族が世界にもたらそうとしている「混沌」と、一人の君主による独裁政治という「秩序」は元々相反する物だからだ。魔王に異形のモンスター達を支配できるほどの能力とカリスマ性があるなら、世界征服などといった子供じみた発想はやめて、もっと建設的な活動をするのではないだろうか、疑問である。
 では、勇者とは何なのだろう。これはいわゆる「英雄」のことだが、神話や寓話で語られるそれとは少し毛色が異なる。神話の英雄は神か神の化身がほとんどだが、ゲームの英雄は(何らかの出生の秘密があるにしても)基本的にはただの人間だ。また、神話の英雄が戦う相手はドラゴンや魔神などの個であるのに比べ、ゲームの英雄が戦う相手は魔界の魔王軍団という集団である。こうやって並べてみると、ゲームの英雄が如何に無謀なことに挑戦しているかがよく分かる。たった一人、もしくは数人の人間で数万もの大軍に立ち向かおうというのだから、なるほど、勇者と呼ばれるだけのことはある。ただ、この設定を成立させようと思えば、勇者に人間離れした一騎当千の力を身に付けさせなければならない。はたして、そこまで進化した人間が人間らしい正義の心を持ち続けられるだろうか、疑問である。
 このように、ファンタジーにおける魔王と勇者は、いずれも幾つかの疑問点と大きな設定の穴を抱えている。だからこそ、ファンタジーパロディーというジャンルが成立する。ただし、疑問点が明確である分、余程、上手く調理しないと各人が似通った物になってしまう。それゆえ、ある意味、作者のセンスが最も試される場と言えるかもしれない。

・導入


 異世界「エンテ・イスラ」。世界征服を企む魔王とそれを阻まんとする勇者の最終決戦が、魔界の魔王城において繰り広げられる。壮絶な戦いの末、勝利したのは勇者一行。追い詰められた魔王とその従者は、空間に転移ゲートを開いて辛くも脱出する。だが、辿り着いた先は現代の日本だった。地球上では魔力が回復できず、魔界へ帰還するための魔法が使えない魔王は、仕方なく普通の人間として生活を始める。様々な現実的困難に直面しながらも、六畳一間のアパートに腰を下ろし、ファーストフード店で働き始める魔王達。数ヶ月後、すっかり人間界の生活に慣れた魔王の元へ、一人のOL風の女性が現れる。彼女こそが魔王を追って日本にやってきて、現在はテレフォンアポインターとして働く勇者だったのだ。
 素晴らしい。ファンタジーコメディーの導入部として申し分のないオープニングだ。上記の魔王に対する疑問点を見事にコメディーに昇華している。基本設定がしっかりと練り込まれているため、どんなにキャラクターが突飛な行動をしても破綻せず、その分、ギャグの切れも良い。現代日本のリアルな生活を誇張もせず歪曲もせずにそのまま描いているのは好印象。何より目的がすっきりしているのが素晴らしい。「現代世界はファンタジー世界と違って魔力が少ないため、魔王は魔法を使えない。そのため、ファーストフード店に勤務しながら、魔界への帰還に必要な量の魔力を回復する方法を探す」と文句の付けようがない設定だ。魔界では最強の魔王が、ファーストフード店では一番下っ端のアルバイト店員で、そこから少しずつ出世して正社員を目指すという展開も面白い。確かに、社内で出世して部下を持つようになれば、間接的に人間を支配することになるため、何も間違ってはいない。これら一連の展開は、「最初から最強」が当たり前になっている昨今のアニメのアンチテーゼと言っても過言ではないだろう。
 ただ、心配なのは、本作は全て基本的に「出オチ」だということだ。恐怖の象徴たる魔王が庶民的な活動するというギャップが根幹なので、そこに慣れが生じるとネタが成立しなくなってしまう。構造的には、漫画『デトロイト・メタル・シティ』とよく似ている。あちらもデスメタルの人気ミュージシャンと純朴な青年のギャップが肝だが、最初は面白くてもずっと似たような展開とオチが続くため、単行本二巻目辺りから飽きが生じてしまう。本作もそういった危惧を抱えており、第二話以降の展開に不安が募る。

・キャラクター


 だが、上記の心配は杞憂に終わる。確かに出オチコメディーの宿命で、物語が後半に差し掛かるにつれて徐々にパワーダウンしている感は否めない。ストーリー自体も極めてオーソドックスであり、第五話までの第一部もそれ以降の第二部も、魔王と勇者の共通の敵が現われ、それに対して共闘して日本を守るというありがちな物だから、視聴者を惹き付ける物語的な求心力に欠ける。それでも、崖下に転がり落ちることなく最後まで一定のラインで踏み止まっているのは、やはり、登場キャラクターの個性が抜群に優れているからであろう。
 まず、主人公である魔王は非常に「良い人」である。もう、これだけでどう考えても面白い。バイト先のファーストフード店では気の利く優秀な店員であり、接客態度も素晴らしく、他人に親切である。せっかく貯まった魔力を人助けに使ってしまい、魔界に帰れなくなってしまうほど。なぜか、魔王のくせに遵法意識に溢れており、勇者よりも社会のルールに敏感である。その一方で、後輩の面倒見が良く、リーダーシップがあって組織を束ねる能力に優れている点などは、さすが魔王というカリスマ性が感じられる。視聴者に「こういう人を友人にしたい」「こういう人と一緒に働きたい」と思わせたら勝ちだ。そういう点において、本作は最初から最後まで極めて高い質を保っている。
 また、勇者のキャラクターも非常に良い。父親の仇である魔王の命を狙って日本まで追いかけ、日本で悪行を働かぬよう常に監視し続ける。事あるごとに魔王城に現れては生活態度を注意し、共通の敵が現れると「魔王を倒すのは私だ」と間に入って仲裁する。そう、要するに彼女は萌えアニメで言うところの「風紀委員キャラ」の強化版なのである。だが、魔王が意外にも良い人であり、世界征服の意志も弱いことを知って、徐々に態度を軟化させていく。それはいわゆる本来の意味における「ツンデレ」であり、非常に可愛らしい。勇者と魔王という立場、殺し殺されるという関係なのに仲良くなるという背徳感がさらに気分を盛り上げる。そして、第二部からは、風紀委員的な立場をさらにパワーアップさせた新キャラクターが登場し、勇者は彼女と魔王との間で板挟みになる。父親の仇である魔界の魔王は許せないが、魔王本人のパーソナリティーには心惹かれるという葛藤。最終的には、「全部、自分が責任を持つから大丈夫」という結論を勇者が出すのだが、それもまるで夫婦の話を見ているようで面白い。

・欠点


 本作は非常に上質のファンタジーコメディーである。設定が良く、キャラクターが良く、ゆえに単純なストーリーでも盛り上がる。ただ、コメディーに徹したことによる弊害で、やはり、どうしてもあちらこちらに細かな欠点を抱えてしまっている。あまり気にしてはいけない部分かもしれないが、そういうブログなので容赦されたし。
 まず、気になるのが、魔王と勇者の異世界における活躍の描写が圧倒的に不足している点だ。ストーリー自体が魔王城での最終決戦から始まるため、魔王が如何様にして世界征服を企み、勇者が如何様にしてその野望を打ち砕こうとしたのかが分からない。ここが分からないと、日本での魔王の不甲斐ない生活の面白さや勇者の魔王に対する執着心が薄まってしまう。これは要するに、世のファンタジーゲームに設定を丸投げしているということである。視聴者がそれらのゲームをプレイしていることが大前提であり、言い換えると本作はパロディーに過ぎないということだ。正直なところ、それはあまり良いとは言えない手法である。作品はその中で自己完結すべきであり、外部資料を要求するようになったらお終いである。
 もう一つ、もっと大事なことは、世界を手中に収めんとする恐怖の魔王が、なぜ人間界では「良い人」になっているのかの説明が不足している点だ。いくら前線の指揮官の暴走があったとは言え、魔王が大軍を率いて人間界に攻め込み、破壊の限りを尽くしたのは事実なのである。現代に飛ばされた後も、人間を支配するという野望自体は失っていない。そのことに関して、勇者は第四話で魔王に疑問を直接ぶつけるが、彼は「何かすまん。あの頃の俺、人間という物をよく理解してなかった」というあやふやな回答をする。彼の言葉をそのまま受け取ると、現代で社会生活を続ける内に人間の素晴らしさに気付いて丸くなったということになるが……いや、仮にも魔族の王の性格がそんなに簡単に変化する物だろうか。元々、こういう性格だったと考えるべきではないのか。ただ、そうなると、彼個人の性格と魔王としての役割は別ということになる。家では優しいお父さんが、職場では非情なビジネスマンになるというのはよくある話だが、それだと現実と理想の狭間で魔王が葛藤するという展開が欲しい。この辺りをもう少ししっかり描いていれば、本作はコメディーの枠を超えた歴史的な名作になっていただろう。

・総論


 作品の出来だけで言うと平均点だが、勇者が可愛いので少しおまけ。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆(8個)
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