『ウィッチクラフトワークス』

強敵の存在。

公式サイト
ウィッチクラフトワークス - Wikipedia
ウィッチクラフトワークスとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2014年。水薙竜著の漫画『ウィッチクラフトワークス』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は水島努。アニメーション制作はJ.C.STAFF。平凡な男子高校生と彼を護る魔女の戦いを描いたファンタジックラブコメディー。主人公を含む主要キャストは若手声優、ストーリーに係る重要キャラには存在感のある中堅声優という非常に分かり易いキャスティングがされている。

・概説


 主人公は自称「どこにでもいる普通の男子高校生」。これと言った特徴が何もなく、引っ込み思案で隣の席の憧れのクラスメイトにも話しかけられない。そんな彼が、ある日突然「塔の魔女」と名乗る謎の集団に襲われる。絶体絶命のピンチに陥った彼を救ったのは、何と憧れのクラスメイト。彼女は自らを「工房の魔女」と名乗り、主人公を守るためにずっと近くで監視していたのだと言う。こうして、二人の世界の命運をかけた戦いが始まるのだった。
 要は「邪道魔法少女物」である。ヒロインは世界征服を企む悪い組織と戦う正義の魔女。しかし、性格はクールで感情変化に乏しく、他人と会話のテンポが明らかにズレている。やること成すこと全て豪快で加減を知らず、下手すると悪者よりも凶暴である。世界でも屈指の魔法の使い手でありながら、何気に肉弾攻撃も得意で、むしろそちらの方が攻撃力が高かったりする。一方、彼女の敵となる悪の魔女達は、揃いも揃ってお馬鹿で戦闘能力も低く、ヒロインに無謀な戦いを挑んでは呆気なく返り討ちに遭うというパターンを繰り返す。最終的には奇妙な友情まで芽生えている。と、このように、一般的な魔法少女物や戦隊物とは全く逆の構造になっているのが本作の特徴だ。つまり、パロディーである。誰もが知っているベースとなる作品があって、その常識をあえて覆すことで笑いを誘っている。もし、それらを見たことがない人が本作を視聴すれば、どこが面白いのかさっぱり分からないだろう。むしろ、悪に加担しているように見えて不快感を覚えるかもしれない。
 もちろん、これらのパロディー設定は原作から受け継がれた物だが、アニメ版は演出面でさらにパワーアップしている。もっと端的に言うと、水島努監督のカラーが非常に濃くなっている。この王道から微妙にズレた感じ、残虐描写やグロ展開を遠慮せず突き詰める感じ、まさに『撲殺天使ドクロちゃん』『大魔法峠』『侵略!イカ娘』『BLOOD-C』等で見られたあれだ。水島努ワールドと言っていい。そのワールドを理解できる人からすると本作は良作だが、それ以外の人は最後の最後までどうにもしっくりこない感覚を味わうことになるだろう。ただ、作品とは、たとえ原作付きであっても監督のセンスが表れてしかるべき物なので、決して悪いことではない。
 なお、本作は非常に作画が良い。特に、魔女がほうきに乗って空を飛ぶシーンの浮遊感には目を見張るものがある。ラストの戦闘シーンや崩壊する世界の描写にも迫力がある。ただ、ややキャラクターデザインに癖があるため、万人ウケは難しいかもしれない。できれば、もう少しメインヒロインを可愛く描いて欲しい物だ。

・幼児化


 本作の最大の特徴は、一般的なファンタジー作品と比べて、男女の役割が逆転していることである。主人公はヘタレで弱々しく、一切の戦闘能力を持たない普通の人。だが、体内に世界をも滅亡させるほどの強大なエネルギーを秘めているため、世界の崩壊を願う「塔の魔女」から命を狙われている。つまり、彼は「護られる存在」である。そんな彼を護るのは世界の秩序を保つ「工房の魔女」の一団。中でも、ヒロインは過去に主人公と魔法で契約を結んでおり、文字通り命を共にする関係となっている。彼女は強大な力を持ち、四六時中、悪の魔の手から主人公を護り続ける。四六時中とは読んで字の如くであって、物語の途中から彼と一つ屋根の下で同居し、甲斐甲斐しく身の回りの世話をする。それどころか、彼が一人前の男として独り立ちできるように様々な面からサポートをし続ける。そして、「どこにでもいる普通の男子高校生」だったはずの主人公は、皆から羨望と嫉妬の視線を浴び、生徒会長にまで上り詰める。このように、一般の作品とはヒーローとヒロインの立場が逆転しており、本来ならヒロインを護る側だった男性主人公が、完全にヒロインから介護される存在になっているのが本作の特徴だ。
 なぜ、こういった逆転現象が発生しているかをオブラートに包まず一言で解説するなら、「最近のオタクの幼児化が進んでいるから」になる。はっきり言って、これで終わりである。何も語る必要はない。自分は何も努力する必要がなく、周りが全てお膳立てしてくれる。自室で黙って寝転んでいれば、いつの間にかお話が終わっているという究極の理想空間。要するに、赤ん坊になりたいのである。その背景には、かつての「男らしさ」が時代の変遷につれて変化したからというジェンダー論的な問題もあるのだろうが、明らかに話が脱線するので省略する。ただ、昔は英雄変身願望を抱えていたであろうオタク達が、いつの頃からかそういった作品を心地良いと感じるようになったのは、あまりにも後ろ向きな諦めの境地が感じられて哀しい。もっとも、古典文学でも似たような作品は存在するので、人間とは元来そういう物なのだと納得する方が早い。
 ただ、重要なのは、その思想自体の善し悪しではなく、作品世界がこの状況を善としているか悪としているかである。なぜなら、それは「成長」の定義に係るからだ。もし善だとしているなら、そのまま何事もなくエンディングを迎えればいい。だが、もし悪だとしているなら、庇護される環境から脱して自立することが主人公の「成長」になる。はたして、本作はどうかと言うと、一応、主人公は護られるだけの立場では嫌だと言い出し、物語の途中から魔法の修行を始める。ラスト近辺では命を懸けてヒロインを助けようとするのだが……どうだろう。安易に命を投げ出そうとするのは、「生きること」に対するリアリティがないからとも言える。もし、努力の果てに力を手に入れたのなら、その力を簡単に手放そうとはしないだろう。そう考えると、主人公は最後の最後まで赤ん坊のままだったということになる。

・魔法


 上記のように、本作の主人公は自らの状況を恥じてヒロインに魔法の修行を願い出る。それは良い。ただ、奇妙なのは、それが第三話という非常に早い段階で行われることである。その頃は、まだ本作における「魔法」の定義が明らかになっていない。どれだけの属性があるのか。どういったエネルギーで発動するのか。効果範囲や威力はどれぐらいなのか。何より重要なのは、魔法を行使するために必要な条件である。特殊な才能を持った人でしか使えないのか、修行さえすれば誰でも使えるようになるのかで世界観自体が大きく変わってくる。なぜなら、魔法が巷に溢れると科学技術が意味を成さなくなり、地球の歴史が根底から狂ってしまうからだ。だが、第三話の段階ではそれが判別できない。そのため、ヒロインの魔法に感銘を受けた主人公が、子供じみた好奇心で「魔法の修行をしたい」と言っているようにしか見えないのである。
 さて、修行の結果、主人公はどうなったかと言うと、ほうきで空を飛ぶぐらいのことはできるようになっている。つまり、本作は後者、練習さえすれば魔法は誰でも使える世界ということである。その時点で本作の舞台は地球ではない。地球ではないということは、我々が持つ常識、「魔女は一般人に正体がバレないようにする」といったルールはあまり意味がないということである。ただ、よく見てみると、主人公達が装備しているアイテムに秘密があるらしく、そのアイテムを身に付けると体重が軽くなって空を飛べるようになるらしい。それは魔法なのか? 一般人がマジックアイテムの恩恵を受けて魔法の真似事をしているだけではないか。もし、そうだとしたら、その結論は哀し過ぎる。「自分の身を護るために魔法の修行をしたい」と申し出た主人公に対して、彼を護る立場のヒロインが、適当なマジックアイテムを渡して魔法の真似事をさせているのである。完全に子供扱いである。ある意味、ここまでテーマが徹底されると清々しい。
 ちなみに、話がややこしくなるので伏せていたが、主人公の妹は「工房の魔女」の一員である。当然、強力な魔法を普通に使いこなすことができる。この世界の魔法体系は一体どうなっているのか。もちろん、アニメ版ではなぜ妹が魔女なのか、どうすれば魔女の一員に選ばれるかの説明はない。世界観作りは頑張っているのだから、そういった細かい点をもっと突き詰めて欲しい。

・クライマックス


 第九話よりついにラスボスが活動を始め、以降、作品の雰囲気が一変する。そこで本作は怒涛の盛り上がりを見せる。それこそ、前半の邪道魔法少女コメディーは何だったのかというほどのシリアスなバトルストーリーだ。しかも、シリアスの中に細かく笑いの要素を散りばめており、非常にバランスが良い。星の数ほどある深夜アニメの中でも屈指のクライマックスと言っても過言ではないだろう。
 ラスト近辺のバトル展開が盛り上がるか否かを決める要素は、大きく分けて二つあると考える。一つは「敵が賢い」ことだ。その状況下で可能なことを極限まで突き詰められるかどうか。これで敵の知力が足りないと哀しいことになる。本ブログで取り上げた作品で言うと、『おおかみかくし』のラスボスのように意味不明な行動を繰り返したあげく、それすらも放置して逃げだすとか、『神無月の巫女』のラスボスのようにそもそも何もしないとか。一方、本作のラスボスは、事前に綿密な計画を立て、数年かけて街中にトラップを仕掛けた後、満を持して攻め込んでいる。その時もただ武力でごり押しするのではなく、魔女は物理攻撃に弱いという特徴を生かして、魔法爆弾と通常爆弾を巧みに使い分ける。自らの弱点を十分に認識している敵ほど怖い物はない。それほど狡猾な敵と相対するためには、こちら側もそれ以上に知力を巡らせなければならず、結果的にバトルが白熱する。サブタイトルを見れば分かる通り、ラストバトルは三話も続くのだが、全くダレることのないのが一番の証拠だ。
 もう一つの要素は「ミリタリー」を理解しているかどうかだ。世界の命運をかけた戦いが、個人対個人になるはずがない。小学生向けファンタジーでもない限り、必ずや組織対組織の戦いになる。その時、制作者にある程度のミリタリー知識がないと、組織がただの烏合の衆に成り果てる。つまり、目的を持った戦闘集団である以上、最高責任者がいて、その下に戦略を立てる人、現場で指揮をする人、実際に戦う人、そして、その補佐をする人、それぞれの役割分担が適切に成されている必要がある。それができていないと、『ビビッドレッド・オペレーション』のような拙いドタバタ騒ぎで終わってしまう。本作はその辺りの人員のシステム化がちゃんとできている。だからこそ、これだけ登場人物が多くても淀みなく話が回るのである。
 以上、本作は非常によくできたバトルストーリーであるのだが、肝心のラスボスはと言うと、神の如き存在の高位の魔女に一撃でやられてあっさりと退場してしまう。あれだけ主人公達を追い詰めたのに呆気ない物である。連載中の作品なので、後のためにより強い敵の存在を示しておくのは大切なことだが、アニメ版は今のところ、ここで終わりなので非常に後味が悪い。

・総論


 前半は退屈だが、終盤の盛り上がりには目を見張る物がある。結局、敵が魅力的かどうかが一番大きい。ちなみに、ラスボスのCVは意外なことにあの平野綾である。スキャンダラスなイメージだけで人を評価すると大変な目に遭う。

星:☆☆☆☆☆(5個)
スポンサーサイト
関連記事
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 00:10 |  ☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『ココロコネクト』

人為的青春ドラマ。

公式サイト
ココロコネクト - Wikipedia
ココロコネクトとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年。庵田定夏著のライトノベル『ココロコネクト』のテレビアニメ化作品。全十七話。総監督は大沼心。監督は川面真也。アニメーション制作はSILVER LINK.。高校生五人組に巻き起こる様々な非現実的騒動を描いた学園ファンタジーラブコメ。第一話~第五話が原作第一巻の「ヒトランダム」編、第六話~第十話が第二巻の「キズランダム」編、第十一話~第十三話が第三巻の「カコランダム」編、第十四話~第十七話が第四巻の「ミチランダム」編となっているが、この内、第十四話以降はOVAのみの収録となっているため、ここでは「カコランダム」編までを取り上げることにする。なお、本作のファンイベントで発生した通称「ココロコネクトドッキリ事件」に関しては、この項目では取り扱わない。

・導入


 主人公達が通う私立山星高校には、ある一つの規則があった。それは「生徒は必ず何らかの部活に所属しなければならない」ということ。そのため、何の部活にも入っていなかったハミ出し者の主人公達五人は、文化研究部という謎の部活に強制的に入れられ、日々、新聞製作に勤しむのであった。
 たったこれだけの簡単な初期設定で矛盾を起こすのはやめてほしい。部活に入らなければならないのは、そういう規則だから仕方ない。だからと言って、その部活で活動しなければならない理由はどこにもないのである。なぜ、アウトローなはずの五人が積極的に新聞作りに励んでいるのか。普通はバックレるか、好き勝手に自分のしたいことをしているだろう。そうでないなら、彼らが新聞製作を始めるまでに何らかの一悶着があったはずで、それこそ青春ドラマの見本市のような熱い展開があったはずだ。そういった本来なら絶対に描かなければならないポイントがごっそりと抜け落ちているため、原因と結果が結び付かず、世にも奇妙な光景が生まれてしまっているのである。それなら、最初から部活強制参加などという余計な設定は入れる必要がない。
 また、絶対に描かなければならないポイントと言うと、「なぜ、彼らがこんなに仲が良いのか」という点もそうだ。文化研究部の男女五人は、普通に下ネタを言い合えるぐらいの間柄である。それは仲が良過ぎだろう。男同士でも下ネタOKの関係になるには、相当長い時間が必要になる。それこそ親友と呼べるぐらいの段階までは到達する必要があるだろう。だが、本作には彼らがそこまで親密になったことに対する設定的な言及はない。「最初から最強」ならぬ「最初から親友」である。これは要するに、後のストーリー上の都合であって、「どんなに大きな困難が訪れても、強い絆があれば大丈夫」的な友情物語を描こうと思ったら、主人公達は平均以上に親密でなければならないため、そこへ至るまでの過程をすっ飛ばしているわけだ。だが、それは悪手である。最優先に模索すべきなのは、何らかのトラブルによって、それまで余所余所しかったグループに固い絆が生まれるというパターンである。そうすることで、後に本当の困難が訪れた時に友情の力で耐え抜くことの説得力が生まれるのだ。熱い友情物語はその後でやればいい。詳しくは後述するが、本作は常にストーリーを進めることに対する焦りのような物が存在し、細かな点を放置する傾向がある。ストーリーを重視するのは大切なことだが、土台部分を疎かにしては元も子もない。

・ヒトランダム


 第一話~第五話が「ヒトランダム」編である。ある日、文化研究部の五人に奇妙な事件が発生する。肉体はそのままに魂だけが別人と入れ替わってしまうという不可思議な「人格入れ替わり」現象。その現象がきっかけで仲良し男女五人組に様々なトラブルが巻き起こる、という物語である。使い古されたアイデアではあるが、やはり男女の人格入れ替わりネタは鉄板で面白い。何の変哲もない日常生活全てが目新しい非日常になるからだ。ただし、本作は全体的に尺が足りないため、そういったコミカルなシチュエーションはあまり多くない。1クールの間に原作をできる限り消化しようという想いが強過ぎて遊びが少なく、展開が非常に速い。そんなに無理して三部作にしなくても、ヒトランダム編とキズランダム編の二つだけで良かったのではないだろうか。
 遊びが少ない代わりに、本作は人間関係の心の問題を描くことに注力している。人格が入れ替わることで、その人が密かに抱えているトラウマに直面せざるを得なくなり、それを解消することによって人間的に成長するというストーリーだ。ただ、深夜アニメの法則に従って、相変わらず女性陣だけが心にトラウマを抱えており、それを男性主人公が癒すという形式を取る。この内、桐山唯の悩み解消法は、本作の設定を上手く生かした素晴らしい物である。「人格入れ替わり」という非現実的なシチェーションを十分に活用し、男性恐怖症という深く切り込むと大変困難な悩みを癒すのに十分な説得力がある。一方、稲葉姫子の悩み解消法は酷い。と言うより、ほとんど物のついでである。彼女の本格的な癒しは後で行われるとは言え、この格差は哀しい。
 そして、ヒトランダム編のメインコンテンツになるのが、永瀬伊織の悩み解消である。元々、彼女は非常に不安定なキャラクターだ。キャラクターデザイン、性格、声質が全てバラバラで掴みどころがなく、典型的な失敗キャラかと思われたが、実はそれには理由があり、それこそが彼女のトラウマとなっている。人間の人格に係るところだから、悩みなどという生易しい物ではなく、それを赤の他人が癒すのは事実上不可能である。そこで生きてくるのが主人公の設定だ。主人公は、他人が困っていると自分の身を挺してでも助けなければ気が済まなくなる「自己犠牲野郎」ということになっている。いわゆるメサイアコンプレックスという奴で、他のライトノベル等の主人公に共通する精神疾患にも似た性格だ。だが、本作はそこをわざわざ強調し、それは決して褒められた物ではないとすることで、人が人を癒すという違和感を減らしているのである。この辺りの人物描写の仕方が本作は実に上手い。もっとも、他が下手過ぎるだけかもしれないが。

・キズランダム


 第六話~第十話が「キズランダム」編である。ヒトランダム編が終了した三週間後、平和な日常を過ごしていた五人組に新たなトラブルが発生する。心に秘めている欲求が何倍にも増幅されて表出してしまう「欲望解放」現象。その現象が原因で仲良しグループに亀裂が生まれる、という物語である。内容も欠点もヒトランダム編とほぼ同じで、心理描写には力が入っているが、コミカルな遊び要素は少ない。やっていることは正しくても、半分以上がシリアスシーンだと学園ラブコメとしては厳しい。
 今回の現象の面白い点は、ただ単に食欲や性欲といった分かり易い本能的欲望が解放されるだけではなく、「人を助けたい」「説得したい」といった通常は善とされる欲望まで増幅されてしまう点である。そのため、本人達の意志に反して感情がヒートアップし、ただの会話が激しい口論にまで発展してしまう状況が度々発生する。まるで、往年の熱血青春ドラマのようである。もしくは、深夜アニメにありがちな主人公の上から目線の説教をパロディーにした物である。こうやって見ると、世の青春ドラマの登場人物は、どれだけテンションが高くて自分勝手なのかと気付かされる。彼らは常に欲望解放されているのだろう。もし、これを狙ってやっているとしたら、本作の作者のセンスは相当な物がある。
 自分の秘めたる欲望が解放されるということは、心の中の一番知られたく部分を一番知られたくない人に明かしてしまうということである。そのため、五人組の仲は自然とギクシャクし、それを避けるために自ら距離を置こうとする。中でも桐山唯は、欲望が解放されて見ず知らずの男性に暴力を振るってしまったことから、自分の内なる凶暴性を恐れて自室に閉じ籠もる。そんな彼女をどう説得して学校に連れ戻すかが本編の趣旨になる。そう、「どう説得するか」なのである。甘言を弄して相手の感情を揺さぶり、強制的に価値観を変えさせることで行動に移らせる。言ってみれば、ただの言葉遊びであり、劇中でも「屁理屈」だと自虐している。その屁理屈自体に悪い点はない。ただ、原作小説ならまだしも、映像作品で言葉遊びをするのは愚作中の愚作、正直、見ていて面白くも何ともない。映像作品である以上、やはり、言葉よりも「行動」で心を動かすべきであろう。実際、ヒトランダム編では、あるアクションで桐山唯を立ち直らせた訳である。せっかくの続編で内容が劣化していては目も当てられない。

・カコランダム


 第十一話~第十三話が「カコランダム」編である。キズランダム編が終了した数週間後、またもや五人組がトラブルに巻き込まれる。時間限定で肉体と精神が若返る「時間退行」現象。その退行現象から戻った後も当時の記憶が残っているため、彼らは過去のトラウマに直面せざるを得なくなる、という物語である。この作品の黒幕(と作者)はどこまで主人公達をトラウマに向き合わせれば気が済むのか。彼らには同情するが、当の本人達は意外と平然としているので仕方ない。さすがに、これだけ事件が続くと感覚が麻痺してしまうのだろう。結局、最後は永瀬伊織のトラウマを解消するために、彼女の母親を「説得」してストーリーが終結する。
 まとめよう。本作は非常に「リアリズム」に満ち溢れた作品である。突然、何者かの手により特殊な現象が発生し、それが原因で何の変哲もない日常に大きな変化が訪れる。人々はトラウマを呼び起こされ、親密だった友人関係に亀裂が入る。だが、生々しい感情をぶつけ合うことで和解し、より絆が深くなって友情が愛情に変化するというファンタジーラブストーリーが本作のジャンルである。ただし、青春ドラマとして見ると、それは極めて「標準」なのである。人々は熱い口論を交わし、感情の籠った説得によって行動に移す。今時、珍しいほど普通の青春ドラマだ。その結論が導き出す答えは、特殊な現象を起こして初めて標準に追い付くということであって、逆説的に言うと、この『ココロコネクト』という作品世界では、普通に日常生活を送っている限り、劇的な変化は何も訪れないということである。そして、それが本作の黒幕の考え=作者の考えということだ。さて、どうだろう。そのこと自体に良し悪しはないが、問題は物語として面白いかどうかである。昨今のアニメのようにリアリティがなさ過ぎるのは論外だが、リアリティを重視した結果、ファンタジーまで否定してしまっては何の意味もない。本当ならば、このような特殊現象を人為的に起こさずとも青春ドラマを描けなければならないだろう。
 以上、本作は他のライトノベル原作アニメとは一線を画した非常に高品質の作品であり、しっかりとした信念に基づいて人間を描こうとしているのだが、その信念が足を引っ張り、かえってエンターテインメント性が損なわれているという悲しい作品である。特殊現象を持ち出したのなら、それを十分に活用して物語を構築しなければ、リアル世界のむなしさだけが強調されてしまう。日常生活でも起こり得るかもしれない普通の青春ドラマ、つまり、アウトローの集まりだった彼らが仲良くなって一緒に新聞製作を始めるまでに何があったのか、本作が一番に描かなければならないのは「人格入れ替わり」でも「欲望解放」でも「時間退行」でもなく、そこである。

・総論


 大筋はよくできているのだが、よくできているからこそかえって粗が目立つ。まぁ、それは生みの苦しみという奴で、最初から真面目に作る気もない作品と比べたら雲泥の差。作者の次回作にご期待下さい。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
関連記事
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 16:06 |  ☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
twitter
検索フォーム
最新記事

全記事一覧
評価別一覧
年代別一覧
掲示板
カテゴリ
リンク
カウンター
RSSリンクの表示



にほんブログ村
PR1
PR2