『ガンダム Gのレコンギスタ』

脱ガンダム。

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ガンダム Gのレコンギスタ - Wikipedia
ガンダム Gのレコンギスタとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2014年。オリジナルテレビアニメ作品。全二十六話。総監督は富野由悠季。アニメーション制作はサンライズ。宇宙世紀が終焉した後の「リギルド・センチュリー」を舞台に、少年少女が世界の真実を探究するために宇宙を旅するロードムービー型ロボットアニメ。『機動戦士ガンダム』シリーズの生みの親である富野由悠季監督が、実に十五年ぶりに手がけたガンダム最新作。作品テーマは「脱ガンダム」、キャッチコピーは「君の目で確かめろ!!」「元気のG」。

・世界観


 本作に対する世間の評判は、肯定否定含め、ほぼ一致している。それは「分かり難い」だ。作品の良し悪し以前に、今、目の前で行われていることを視聴者が理解できないため、作品世界に没入し難い。その結果、内容を理解できた人間だけが正当な評価を下し、理解できなかった人間は評価など関係なく離れて行ってしまうという残念な事案が多数発生している。
 そもそも、物語の舞台となる「世界観が分かり難い」。それもそのはず、本作の第一話には他のアニメで見られるような世界設定を説明するナレーションの類は一切ない。それどころか視聴者を作品世界へ誘う導入部すらなく、いきなり事件の真っただ中に放り込まれる。登場人物はあくまで劇中で生きている人間であるため、わざとらしく視聴者アピールをすることもなく、当たり前のように日常会話で専門用語を使う。ニュータイプ(認識力と洞察力が飛躍的に増加した新人類)でもないのに、これを分かれと言う方が無茶である。ただ、今すぐ分かる必要はないのだ。なぜなら、それらの専門知識は必ず後で説明されるからである。例えば、第三話の会話で今が初代ガンダムが活躍した宇宙世紀よりずっと未来の物語であることが分かる。そうやって順番に見て行けば、それほど難解な世界観ではないことが分かるだろう。すなわち、幾度の宇宙戦争を経て科学文明の発展がタブーとされた時代、唯一のエネルギー源はキャピタル・タワーという名の宇宙エレベータを通じてどこからか送られてくるフォトン・バッテリーだった。そのため、キャピタル・タワー自体を神聖視し神と仰ぐ宗教が勃興していた。一方、地上ではアメリアとゴンドワンという二つの大陸が対立しており、キャピタル・タワーは実質的にゴンドワンの勢力下にあった。その状況を打破するため、アメリア軍は宇宙海賊に偽装した独立部隊を組織し、キャピタル・タワーに攻撃を仕掛けるのだった……という分かり易い設定である。
 こういった登場人物が具体的な場面説明を行わず、視聴者側が台詞や状況描写から読み取って設定を推理するという手法は、映画等では当たり前のように用いられている物である。また、八十年代・九十年代のアニメでは、この手の複雑な世界観はデファクトスタンダードだった。そのため、わざと奇をてらったことをしているわけではない。とは言え、見せ方が極度に悪いせいで分かり難くなっているのも紛れもない事実である。その原因は、監督の富野由悠季自身が全話の脚本を手掛けているからに他ならない。彼の本職はあくまで演出家・コンテマンであって、やはり脚本は専門家に任せるべきだったのだ。少なくとも、大まかな世界観と前回のあらすじぐらいは、『機動戦士ガンダム』のように冒頭でナレーションした方が良かっただろう。

・勢力


 また、「勢力図が分かり難い」とも言われる。確かに、本作には非常に多くの勢力が登場する。ざっと数えると、キャピタル・タワー&ゴンドワン、アメリア、トワサンガ、ビーナス・グロゥブの四勢力それぞれに穏健派と過激派がいて、そこにフリーな立場の主人公達を加えると全部で九勢力になる。かつての『機動戦士ガンダム』は二勢力、難解だと言われがちな『機動戦士Zガンダム』でも四勢力(厳密に分けると六勢力)であることを考えると、これはもう多いなどというレベルではない。ここまで混迷していると、今、何と何が対立しているのか、主人公達が戦っているのはどこの勢力なのかすら分からず、視聴者の理解を妨げることになる。そうなっている原因の一つとして、こちらは擁護しようのない明確な欠点なのだが、「登場するモビルスーツの種類が多過ぎること」が挙げられる。毎回のように新しいモビルスーツが登場し、主人公とヒロイン以外のキャラクターは何度も機体を乗り換える。これまでのガンダムシリーズだと、各軍の主力となっている量産機を見比べることで勢力を区別できていたのだが、こうも種類が多いと名前を覚えるのも一苦労だ。元々、ロボットアニメの歴史的に機種を増やすのはスポンサーサイドの要求だったのだが、これではプラモデル販売もままならないだろう。監督の悪ノリなのか、はたまた度が過ぎた視聴者サービスなのかは分からないが、良かれと思って行ったことがかえって足を引っ張っている状況は哀しい。
 ただ、勢力が多い、状況が混迷しているという状況は、ある程度、意図的に仕組まれた要素でもある。なぜなら、本作のテーマの一つが「世の中の真実を発見すること」だからだ。具体的に言うと、複雑に絡み合った社会の不条理さに気付いたティーンエイジャーの主人公とヒロインが、世界の真の姿がどうなっているのかを自らの目で確かめに行くストーリーである。視聴者は彼らに自分自身を重ね合わせ、同じ体験を共有する。そのために、あえて世界情勢を複雑にしているとも言えよう。そして、長い旅の末、彼らが得た真実は「金星の近くにあるスペースコロニーで何百年も生きている化け物のような新人類が、地球を管理するためにフォトン・バッテリーを製造・供給していた」である。それは人として本来あるべき姿ではない。しかし、狭い地球圏でいつまでもいがみ合っている馬鹿な大人達は絶対に知り得ないことだった。そのため、ヒロインは自らが指導者となって戦争を終結させることを決意する。
 以上、本作における勢力図の分かり難さにはちゃんとした意味がある。もっとも、監督本人が本作は「子供向け」であると明言し、自著『ターンエーの癒し』の中でも「こんがらがった作品は良くない」と発言しているのだから、あまり肯定はできない。複雑な世界を描くのに、ただ徒に敵の数を増やすのは愚策である。エンターテインメント作品を自認するなら、最初からこれと言う敵を一つに定めて、目的を明確化すべきだっただろう。でなければ、どんなに設定やストーリーをこだわったところで、一言「つまらない」という感想で終わってしまうのだから。

・主人公


 最後に「主人公の心理が分かり難い」という意見もよく聞く。確かに、本作の主人公は何を考えて行動しているのかが非常に分かり難い人物である。特定の思想を持たないことで自己主張が極めて少なく、常にふわふわとしていて落ち着きがない。キャピタル・タワーを守るキャピタル・ガードの候補生でありながら、ストーリーが始まるや否や海賊部隊へと電撃移籍して、そこでキャピタル・アーミィ相手に戦ったと思えば、またすぐにキャピタル・タワーへ戻ってくるという意味不明さ。その際、具体的な心理描写や心情の吐露は何一つないため、彼の行動原理がさっぱり分からない。創作物において、主人公の気持ちが分からない・共感できないのは致命的である。特にロボットアニメの場合は、それが「戦う理由」に直結するので、非常に薄っぺらな物になってしまう。そのため、この欠点は作品全体にとっても非常に大きなマイナスポイントになっている。
 ただ、物語をじっくり見て行くと、彼が非常に単純な動機で動いていることがよく分かる。なぜ、海賊のアジトに行ったのか。なぜ、宇宙に上がったのか。なぜ、月の裏側を目指したのか。それは好奇心旺盛なメインヒロインのアイーダがそうしたからである。彼はそれに付いて行っただけ。要するに、主人公は彼女に惚れているのである。第一話でヒロインに一目惚れして以来、主人公はずっと彼女の背中を追いかけ回している。もちろん、こちらも具体的な心理描写などはないが、彼の行動一つ一つからひしひしと見て取れる。そう、分かるのである。なぜなら、年上の素敵なお姉さんに対する憧れは、思春期の男子なら誰でも経験することだから。つまり、本作は極めて純粋な「ボーイミーツガール物」であり、ガンダムだから、深夜アニメだからと穿った見方をすること自体が間違いなのである。その証拠に、後日、ヒロインが本当に自分の姉であると判明した時、彼は初めて自分の感情を爆発させるのだが、その気持ちは非常に共感できる。それまで頑なに客観的な視点を貫いていただけに、この回は強く印象に残る。
 なお、主人公はキャピタル・タワー運行長官の息子で、養成学校を飛び級するような正真正銘の「エリート」である。MSの操縦技術もずば抜け、何の挫折も苦労も味わうことなく温々と育ってきた。そんな彼であるが、最後の最後まで主役モビルスーツの「G-セルフ」を使いこなすことができずに終わってしまう。それは、G-セルフのポテンシャルが底知れないからという理由もあるのだが、それ以上に彼がG-セルフを使いこなしてしまうと、その瞬間、物語が終わってしまうからに他ならない。もし、エリートである主人公が超高性能機であるG-セルフを手足のように扱えてしまうと、あらゆる戦闘が彼一人の働きにより終結してしまうだろう。それはつまり世界に平和が訪れるということだが、それでは何の意味もない。選ばれた人間が圧倒的な武力を持って世を平定するのでは、まさに何千年と続いてきた戦争の歴史の繰り返しである。そうではなく、過去を反省して未来へ進むためにはどうするか、それが制作者の訴えたいことであり、その想いはG-セルフという誰にも扱い切れない超高性能機に秘められている。

・存在意義


 と、このように、本作には目に見える欠点が多数存在するため、作品としての評価は非常に厳しい物となる。「駄作」という誹りに対して、正面切って否定することは難しいだろう。では、本作は何の価値もないダメな作品なのかと言うと、いや、そうではない。ガンダムシリーズの生みの親である七十歳の老監督がこのような作品を作ったという事実、それ自体に極めて大きな意義がある。
 ガンダムシリーズと言えば、今や一つのロボットアニメ作品の枠を越え、年間七百億円以上を稼ぎ出す巨大なコンテンツと化している。しかし、ここ最近発表されたシリーズ作品と言えば、『機動戦士ガンダムUC』『ガンダムビルドファイターズ』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』といずれも既存作品の派生や二次創作、リメイクばかりである。特に『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』は、三十年以上前の作品を当時のスタッフがリメイクするという使い回しの権化のような作品だ。はたして、それは正しいことなのだろうか。今後三十年間、ガンダムというコンテンツを続けて行くためには、何か新しいことを始めなければならないのではないだろうか。それに気付いた監督が「脱ガンダム」という名の原点回帰を提唱したのが本作である。
 上述した通り、本作は見せ方に問題を抱えるが、中身は非常に単純なボーイミーツガール冒険活劇である。しかし、世間的には分かり難いと酷評されている。なぜか。それは視聴者の心の中に「ガンダムとは、アニメとは」という固定観念が形成されていることで、自分の予想通りに話が進まないことに対する苛立ちが生まれているからであろう。「ガンダムとはドロドロした物だ」と思っている旧来のコアなファンは設定を深読みし過ぎて自爆し、逆に「アニメとはシンプルな物だ」と思っている深夜アニメファンは設定を理解できずに放り出す。特に後者に関しては、視聴者に媚びるだけ媚びて作られた昨今の作品を見慣れた人間からすると、本作は複雑怪奇な魑魅魍魎に見えるだろう。そして、商品としては、間違いなく子供向けの冒険活劇よりも大人のアニメファンに媚びた作品の方が売れるのである。さて、その矛盾をどう処理するか。情報の受け手である視聴者ならまだしも、アニメ制作に携わるクリエイターぐらいならこの事実に何かを感じて欲しいところである。
 最終回、各勢力の指導者が失脚したことによって、キャピタル・タワーを巡る騒乱は一応の終結を見せる。しかし、世の中の仕組み自体は何一つ変わっていない。地上のエネルギーは異形の化け物が支配したままで、各国の武装勢力も残っている。だが、以前と決定的に異なる点は、未来を担う若者達がその真実を認識しているということである。本作のラストシーンは、主人公がモビルスーツを捨てて自分の足で世界を見て回る光景。そこにガンダムシリーズの生みの親である七十歳の老監督の強いメッセージが見て取れる。

・総論


 作品としての評価は別にして、アニメ畑で暮らしている人は一度は見ておくべき作品。個人的には☆10でも構わないのだが、富野監督の次回作が見たいので、ここはあえての☆1で。

星:☆(1個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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