『そらのおとしもの』

落ち物。

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・はじめに


 2009年。水無月すう著の漫画『そらのおとしもの』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は斎藤久。アニメーション制作はAIC ASTA。平和を愛する少年がある日突然、空から落ちてきた少女と出会ったことから始まる学園ファンタジーラブコメ。EDムービーはかつての歌謡曲をカバーした歌と共に毎回変わるという凝った作りになっている。

・落ち物


 主人公は毎日をつつがなく平和に暮らすことをモットーにしている性欲旺盛な一人暮らしの男子中学生。毎朝、隣に住むツンデレな幼馴染みの女の子にやや暴力的に起こされている。学校では「新大陸発見部」なる謎の部活に関与し、変態な先輩男子やミステリアスな女子生徒会長と仲が良い。そんなある日、主人公は空から落ちてきた一人の女の子と出会う。自分自身を「愛玩用エンジェロイド」だと称する彼女の背中には羽が生えており、魔法のような不思議な力を使うことができた。また、彼女はなぜか主人公のことをマスターと呼び、彼の側から離れようとしないので、仕方なく二人は主人公の家で同棲することになる。
 「何だ、このベタなストーリーは」と思うかもしれないが、本作の原作漫画が発表されたのは2007年。もしかすると、その人が考えているベタな展開のオリジナルがこの作品だったかもしれない。ただし、本作以前にも似たような作品は幾らでもあったわけで、本作はそれらを一つにまとめて再構成し、標準化しようとした最大公約数的な作品と定義付けることもできるだろう。もちろん、それは「良く言えば」の話であって、悪く言えば非常に発想が貧困で何の捻りもないステレオタイプな作品である。
 これらは一般的に「落ち物」と呼ばれるジャンルに該当する。ある日突然、冴えない主人公の元へ不思議な少女が現れ、彼女の持つ特異な力で平凡な日常に大きな変化が起きる。このジャンルの始祖は漫画『うる星やつら』だと言われているが、異世界の少女とのボーイミーツガールなど探せば古今東西に溢れており、言ってみれば『竹取物語』などもそれに該当するだろう。そんな落ち物のメリットは一つ。平凡な日常の中に突如として異物が入り込むことで、特別な設定的根拠を必要とせずに非日常的なシチュエーションを形成することが可能な点だ。具体的に言うと、美少女との同棲生活やファンタジックな冒険、ハーレム展開といった辺りになる。いずれも男性の都合の良い夢を具現化した物であり、落ち物以外でそれをやろうと思ったら、主人公側に何らかの特殊設定を盛り込まなければならず、それだと「何の取り柄もない主人公」という視聴者との数少ない接点が失われてしまうため、物語作りに自信のない作家が不利になる。そういった点が落ち物が世に蔓延する一番の理由だろう。無論、『天空の城ラピュタ』のような落ち物の傑作も存在するため、実力のある作家が扱えば名作が生まれるのは言うまでもない。そこがベタのベタである所以だ。

・ラブコメ


 上記の流れを辿って、男子中学生と愛玩用エンジェロイドの奇妙な同棲生活が始まる。彼女は願いを何でも叶える不思議な力を有しており、主人公はその力に溺れて夢のような時間を過ごすが、調子に乗り過ぎて結果的に大きな失敗を犯す。それに懲りた主人公は「危ないから」という理由で彼女の力を使わなくなる。と、この第一話の展開はなかなか秀逸である。物語の冒頭で少女の特殊性をこれでもかと見せ付け、日常の中に非日常が割って入る感覚を描写する。その上で少女の力が強過ぎて危険な存在であることも認識させ、そして、主人公が自ら力を律することで、彼はただのオチャラケた馬鹿学生ではなく、状況判断がしっかりできる誠実な人間だと視聴者に分からせる。落ち物の第一話としてはこれ以上ない導入部であり、今後の展開に期待を抱かせる。
 その後、ヒロインを中心にしたドタバタ学園ラブコメが最後の最後まで続く。この手の落ち物のお約束として、女性の胸だの下着だのを強調した「ちょっぴりエッチ」な作風になる。ここで性描写に関するさじ加減を少しでも間違えるとただの「下品」な作品になり、特定の人間以外は不快感を覚える作りになってしまう。それを回避するにはどうするか。何のことはない、エロスがギャグに直結していること、要は「笑えればいい」のだ。つまり、目的がギャグになるかエロスになるかで視聴者の心構えや気持ちの許容量といった物も変わってくる。とは言え、これが一番難しい。偏見かもしれないが、今時ベタな落ち物を作ろうとする人間が世の中の喜劇や演芸に幅広く通じているとは考え難く、実際、昨今の自称ギャグアニメは同じ畑のサブカル文化をパロディーにした内輪ネタばかりが目に付く。だが、本作はなかなか面白い。誇張やデフォルメがちゃんとなされており、ネタの勢いもある。何より話のベースが誰かを助けたいと願う人情喜劇なので、登場人物に感情移入できて後味も良い。また、人物配置に関しても、主人公のエロ行動を否定する者(幼馴染み)、エロ行動を焚き付ける者(女子生徒会長)、エロ行動を冷静に分析する者(先輩男子)と揃っており、ただ単なる本能の暴走で終わらないようにしているのは良い。
 ただ、今時、紙媒体のエロ本が登場したり中学生が下着に大興奮したりと、どうにもセンスが古めかしく感じるのは否めない。また、幼馴染に対して性的に欲情するのに恋愛感情はないというお約束も現実味に乏しい。これはこれで構わないが、本作を参考に新しい落ち物を作ろうと考える人がいたら控えて頂きたい物だ。

・人造人間


 ヒロインは自称「愛玩用エンジェロイド」。エンジェロイドとは天使とアンドロイドを合体させた造語。愛玩用とは読んで字の如くであり、中学生ぐらいには難しいかもしれないが、高校生にもなれば何となく察しが付くだろう。その名が示す通り、彼女の首には鎖が付けられ、雇用主である「マスター」に絶対服従を強いられている。ヒロイン自身も記憶と感情が乏しく、人間社会で生きるために必要な一般常識すら持ち合わせない。そんな彼女だったが、主人公達と一緒に楽しい時間を過ごしている内に段々と人間らしい心を獲得し、幸せに生きることとは何かを学習していく。このように「人造人間の幸せ」が本作のテーマである。これまた非常にベタな内容だ。そもそも、アニメや漫画に出てくる「萌えキャラ」自体が、視聴者を楽しませるためだけに作られた愛玩用ロボットのような物なので、テーマとの親和性は高い。「萌えキャラの幸せとは何か」と変換すれば本作の内容も頭に入って来易いだろうし、萌えアニメという物を見直す良いきっかけになるだろう。
 本作の特徴にして最大の長所は、最初から最後まで一貫して主人公達がヒロインのことを「人に作られた可哀想な存在」であると認識し、その境遇に同情していることである。彼女を家に招き入れたのも「放っておけなかったから」だし、主人公をマスターと仰いで理由もなく服従する彼女に対して、主人公は欲情を抱くことを自制し続ける。主人公の友人達もヒロインを特別扱いすることなく、人間社会に馴染めるように様々な面からサポートをする。それは彼女を一人の人間として認め、その人権を尊重しているからである。一見、人として当たり前のことのように感じるが、そこらの三流萌えアニメではこれが全くできていないのが実情だ。人間社会の勝手が分からず戸惑うヒロインをまるで奴隷のように扱ったあげく、性欲のはけ口にする。愛玩用という言葉が分からない中学生ならまだしも、大の大人のすることではない。第十一話では、エンジェロイドを作り出した人々に対して主人公が「ぶん殴ってやりてぇ」と呟くが、今までずっとヒロインを手厚く保護してきた人間だからこそ、言葉に重みがある。これが、ずっとヒロインを性奴隷扱いしてきた人間の台詞だと「お前が言うな」になるだろう。本作は万人にオススメできないエロ重視の低俗なドタバタラブコメであるが、この終始一貫した姿勢だけは誇ってもいい。
 もっとも、そんな本作のキャラクターも二次創作の場では当たり前のように淫らに凌辱されているわけで、改めて人権意識とは何かを真面目に考えたくなる。人間とは善と悪を兼ね備えた生き物であり、綺麗な花ほど汚したくなるという気持ちは分かるが、やはり物悲しいことだ。そういった人間がオタクの地位向上を訴えても空々しいだけである。

・愛


 話を元に戻すが、第六話、もう一人のエンジェロイドである「ニンフ」が突然、劇中に現れる。この「突然」という言葉は演出的にも物語的にもそうであって、あまりにも唐突過ぎて違和感を禁じ得ない。何のエピソードもなしに主人公の家に住み付き、記号的なツンデレ言動を繰り返す。当初予定されていたストーリーが何らかの事情で急遽カットされたのでなければ、完全なる手抜き工事である。落ち物に対するセルフパロディーとも取れなくはないが、もう少し上手くできなかったのだろうか。
 それはともかく、彼女の働きによってヒロインの素性が明らかになる。本当のヒロインは愛玩用エンジェロイドなどではなく、かつて地上を滅ぼしたこともある最強の兵器を身に宿した戦闘用エンジェロイドだったのだ。それが何者かによって記憶を封じられた上で地上に落とされ、ニンフの役目はそんな彼女を回収することだった。ここで多くの人が本作の抱える決定的な設定の矛盾に気付くであろう。つまり、第一話で見せていた何でも叶える圧倒的な力は何だったのだと。あの魔法のような力を自由に使えるなら、戦闘用も何もない。原作漫画の読者なら途中で路線変更したと分かるだろうが、アニメ版が初見の視聴者は同じ物語の中で急に設定が変わったようにしか受け取れないわけで、アニメ化するに当たってその辺りをもっと調整すべきだっただろう。
 それもともかく、彼女の働きによってヒロインは記憶と感情を取り戻す。だが、作られた人造人間であるがゆえに、たとえ感情が戻っても人を愛するという気持ちだけは理解できない。そのため、主人公に対して芽生えていた胸を熱くするざわざわとした感情が何なのか分からない。だが、彼女は自分が殺人兵器であることを主人公に打ち明けられず、主人に絶対服従のエンジェロイドのはずなのに嘘を付いてしまう。そう、それこそが愛の形なのだ。ラスト、ヒロインを連れ戻すために戦闘用のエンジェロイドが送り込まれる。自分が兵器であることを打ち明けられず、戦いを拒むヒロインに対して、主人公は最初から分かっていたと言い、彼女を受け入れる。そして、協力して敵を撃退する……と良い話ではあるのだが、冷静に考えると本作は世界をも滅ぼす力を持った兵器が「自立」した話でもある。それは非常に恐ろしいことだ。愛ゆえに暴走して地球滅亡なんて結末もあるかもしれない。その辺りの詳細は続編で語られるのだろう。

・総論


 決して万人にオススメできる作品ではないが、劣化コピー品を見るぐらいならオリジナルを見るべきだ。つまり、本作を……ではなく、『うる星やつら』を見よう。

星:☆☆☆(3個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:43 |  ☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『School Days』

お伽噺。

公式サイト
School Days (アニメ) - Wikipedia
School Daysとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2007年。オーバーフロー制作の十八禁美少女ゲーム『School Days』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は元永慶太郎。アニメーション制作はティー・エヌ・ケー。高校生の男一人女二人の三角関係を描いた学園ドラマ。最終回の内容が直前に発生した殺人事件を想起させるという理由で急遽放送中止になり、その代替放送のキャプチャを見た外国人の一言から生まれた「Nice boat.」という言葉が当時流行した。

・ヘタレ


 まず、本作の原作ゲームが発表された当時の時代背景を書いておかなければならない。2000年代前半、十八禁美少女ゲーム(エロゲー)業界では、ある一つの要素がスタンダード化しつつあった。それが「ヘタレ主人公」である。エロスよりもストーリー性が重要視された「泣きゲー」全盛期にあって、複雑に絡まり合った恋愛模様をゲーム内で描こうとすると、どうしても主人公=プレイヤー自身の自発性がネックになる。あまりに主人公の決断力があり過ぎると、何もドラマが起きずにそのまま物語が終わってしまうからだ。そこでプレイヤーの思惑と外れて、あらぬ方向へと主人公を暴走させる必要が生じた。その結果、優柔不断で意志が弱く、周囲に流されるだけのヘタレな人物像ができあがり、エロゲーの標準仕様となっていったのである。この傾向は、サブカル業界のトレンドの発信源がアニメやライトノベルへと移行するにつれてより強化され、巻き込まれ型主人公・やれやれ系主人公・空気主人公という流れを経て、とうとう物語の表舞台からいなくなってしまう。それが俗に言う日常系アニメである。
 それとは別に、主人公のヘタレ具合をより強化することによって、物語を徒に混迷化させ、そのカオスっぷりを楽しもうとする流れも存在した。そうなると、もう主人公は優柔不断という段階を通り越して、明らかに相手を傷付ける行動を繰り返し、常に問題から逃げ回って保身を図り、そうかと思えば相手の弱みに付け込んで説教するという本物の「クズ主人公」に成り下がる。しかも、エロゲーであるがゆえに、理由もなく異性を惹き付けて性行為に耽るわけで、もう歩く有害といった趣だ。善良なプレイヤーに好かれる要素など何一つない。ただ、エロゲーにおいて主人公がプレイヤーの分身である必要はあまりないのだ。なぜなら、プレイヤーはヒロインの方に感情移入しているのだから。ヒロインの喜怒哀楽を上手く引き出すことが主人公の一番の仕事であり、それさえできていたらこの際クズでも仕方ないといったところがプレイヤーの心理だろう。
 そういったコンセプトの下で作られた主人公の代表格が、『君が望む永遠』の鳴海孝之であり、本作『School Days』の伊藤誠である。特に本作の場合は、そのクズっぷりでヒロイン達を翻弄し続けた主人公が最後に無残な死を遂げる因果応報ストーリーが売りの一つであった。そうなるともう主人公は完全なる「悪役」になる。つまり、悪い奴を如何に倒すかという勧善懲悪の物語になる。このフォーマットは、他の文芸作品ではなかなか見られないエロゲー独自の文化である。

・世界


 先にストーリーを結末まで書くと、プレイボーイの主人公がヒロイン二人を散々弄んだあげく、最後にヒロインの一人に包丁で刺されて死亡する。それだけである。悪い奴が相応の罰を受けたというだけで、何の発展性もない。ただ、気を付けなければならないのは、ヒロイン達はサイコパスでもなければ殺人鬼でもなく、少なくとも物語スタート時には普通の人間だったということである。そんな彼女達がなぜ精神を病んで凶行に走ったか、その経緯が論理的に納得できるように描けているか、それが本作における最重要ポイントになる。
 主人公の伊藤誠は高校一年生(アニメ版は原作と違って高校生と明言されている)。毎朝、電車で一緒になる同じ学校の桂言葉に密かな恋心を抱いていた。それを知ったクラスメイトで女友達の西園寺世界の助けもあって、二人は付き合うことになる。だが、世間知らずのお嬢様らしく恋人に対して心の充実を求める言葉に対して、主人公は普通の男子高校生らしく身体の接触を求めてしまい、二人の仲がギクシャクする。そんな彼を見かねて慰めようとした世界に主人公は思わず欲情してしまい、二人は体を重ねる。こうして複雑な三角関係が始まるのだった……。これを見れば分かる通り、女性の心理が分からず二股の直接的な原因を作った主人公は間違いなく悪人だが、その気持ち自体は理解できないこともない。恋愛経験のない男子高校生が、初めてできた彼女と早く肉体関係を持ちたいと考えるのは当たり前のことだ。ここで「性欲をセーブしろ」とか「相手の気持ちを考えろ」などと批判する方が余程偽善的だし、そういった要素を完全に排除した昨今の温い日常系恋愛ドラマは、どこか遠い世界のファンタジーに過ぎない。そんな物で愛や誠を語ったところで何の説得力もない。
 ただ、分からないのは西園寺世界の心理である。彼女が元々、主人公のことを好きだったのは彼女の行動を見たら誰でも分かる。だが、彼女自身にその自覚があるのかどうかがいまいちはっきりしない。これは心情を読み取れない視聴者の読解力不足というより、微妙な心理を描き切れていない制作者の演出力不足であろう。なぜなら、無自覚で動いている描写と意図的に動いている描写が無秩序に混在しているため、見ているだけでは判別が付かないからだ。例えば、第一話のラストで世界は主人公にキスをする。これは明らかに裏に隠していた好意を表に出した行動である。だが、その後、世界はその好意を平然と否定し続ける。無理して本心を覆い隠しているような演出はない。そのため、世界の行動が全く理解できず、ますます状況が混濁化しているのである。この辺りをもう少し上手く描けていれば、序盤のストーリーに深みが増し、一般的に不人気と言われる世界の評判も良くなったのではないだろうか。

・言葉


 後半のストーリーへ移行する前に確認しておかなければならないことがある。それはストーリー開始時点で、少なくとも四人の女性が主人公に対して好意を抱いているということである。しかも、その具体的な理由は不明。「伊藤は女子に人気がある」という評がある一方で「ああ見えて意外とモテる」という評もあり、彼の容姿の度合いがよく分からない。性格に関しては言わずもがな、「中学時代は優しかった」という証言もあるが、現在は優しさの欠片も見えない。これと言う特技もなければ、打ち込んでいる趣味もない。はっきり言って、彼がなぜモテるのかさっぱり分からない。要するに、典型的な「エロゲー主人公」である。ただ、逆に言うと、彼のような人間は現実に存在し得ないため、物語を成立させるためにわざと理由をはぐらかしているとも言える。つまり、完全にお伽噺の世界にしてしまうことで不可能を可能にする創作上のテクニックである。この「エロゲースキーム」とでもいうテクニックがこの作品の本体であり、ある意味、中心的なテーマである。
 ただ、問題なのは「なぜモテるのか」ではなく、この世界では「一度惚れるとなぜか決して嫌いにならない」ことである。主人公は事あるごとに醜態を見せ付け、相手の気持ちを踏みにじる言動ばかり繰り返すのに、なぜか彼女達は主人公を嫌いにならない。そのため、ストレスばかりを募らせて心を歪めて行く。特に顕著なのが桂言葉である。元々、彼女は主人公のことが好きだったのだが、夢見る乙女状態だったため、彼に対してかなり都合の良い幻想を抱いていた。だが、実際に付き合ってみると、彼は身体ばかり求めてくる普通の男子高校生だったので、幻滅してしまう。普通なら、そこで百年の恋も冷めるはずだ。なのに、なぜか彼女は主人公を想い続ける。クラスメイトの女子にいじめられており、心の拠り所として主人公が必要だったという動機はあるにはあるが、理由としては弱い。他のヒロイン達と違って、言葉と主人公の間に肉体関係はないため、彼の身体がどうしても忘れられないということもない。それゆえ、彼女の心が壊れていく物語後半の展開がどうにも納得できないのである。心が全てだと思っていた彼女の価値観に危機が訪れる事件、例えば、主人公に身体を触られた時に味わったことのない快感を覚えてしまい、その罪悪感から心を歪めたとするのが正しい流れではないだろうか。
 余談だが、仮に「ヒロイン達には一度好きになった相手は絶対に嫌いになれない呪いがかかっている」と解釈すれば、全てが上手く説明できる。主人公がなぜモテるのか分からないのと同様、全てがお伽噺の中の出来事という解釈だ。結局、これも一種のエロゲースキームなのだろう。

・誠


 さて、こうして三角関係が始まった。先に主人公の気持ちは理解できると書いたが、それもここまでである。状況が悪化した第六話以降、主人公は理解不能の塊と化す。まず、二股を解消しようという意思が全く見えない点。ガードの固い言葉に対して、彼はすでに興味を失っているのだから、さっさと別れてしまえばいいのに、いろいろと理由を付けて関係を引っ張ろうとする。その理由も「今はまだ早い」という意味不明な物だ。要するに「保身」なわけだが、それも自分の利益を守るためではなく、ただ単に他人に嫌われるのが嫌という極めて幼稚な感情である。この絶妙なリアリズムが視聴者をイライラさせる。また、二股になったらなったで、普通は場を取り繕って両者に良い顔をしようとする物だが、この主人公はなぜか言葉に対して素っ気ない態度を取り続ける。これでは二股をしていると自ら告白するような物である。かと思えば、言葉の豊満な肉体に対してだけは興味津々で、二人を別れさせようとするクラスメイトを逆に叱咤する。このエピソード一つ取っても、基本的に彼は浅慮でありメンタリティが未熟だ。精神年齢は小学生ぐらいだろう。こんな人間がモテるはずがないのだが、そこはエロゲー、どんなことがあってもヒロイン達は彼を嫌いにならない。それをいいことに主人公は暴走し、現実逃避で他の女性に次から次へと手を出しまくる。正確に言うと、他の女性の方からアプローチしてくるのだが、据え膳を食わないという選択肢は彼にはない。その結果、世界は妊娠し、言葉は主人公の友人と関係を持ち、主人公は他の女にうつつを抜かし、三角関係の崩壊が決定的になる。そして、前出の結末に繋がる。
 結局、本作の訴えたかったことは何なのであろう。一つは因果応報・勧善懲悪で、もう一つは「愛は人を狂わせる」ということだろうか。では、本作は人を狂わせるほどの真実の愛を描けているのかと言うと、残念ながら否定せざるを得ない。なぜなら、その愛は「理由もなく他人を好きになる」「一度好きになったら絶対に嫌いにならない」というエロゲースキームをベースにして初めて成立する物だからである。逃れ得ぬ呪いにかかった悲劇の男女のお伽噺として見ると価値はあるが、それ以上でもそれ以下でもない。むしろ、世に跋扈していたご都合主義的な泣きゲーに対するアンチテーゼとする方が正確な見方だろう。実際、本作が発表された辺りからブームが下火になっているのだから、本作の見立ては正しかったということになる。ただし、その先に待っていたのは、ストーリー否定・物語否定という本作の目指した物とは正反対の物だったのだが。

・総論


 エロゲースキームに頼っていたら本物の恋愛ドラマは描けないよということを示した歴史的な作品。ただ、当時はその性描写やバイオレンス描写が衝撃的だったが、今見ると全然大したことがない。如何に感覚が麻痺しているということだろうか。

星:☆☆☆☆(4個)
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