『純潔のマリア』

反キリスト教会。

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純潔のマリアとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。石川雅之著の漫画『純潔のマリア』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は谷口悟朗。アニメーション制作はProduction I.G。中世ヨーロッパを舞台に、平和主義者の魔女が百年戦争をやめさせるためにキリスト教会と戦う歴史ファンタジー。この物語はフィクションであり、実在の団体・個人とは一切関係がございません。

・中世ヨーロッパ


 本作の舞台は、イングランドとの百年戦争真っ只中のフランス。いわゆる中世ヨーロッパ風ファンタジーではなく、現実の中世ヨーロッパをそのまま描いている珍しい作品である。アニメでは他に類を見ないし、映画でもあまりお目にかからない。例えば、百年戦争時のジャンヌ・ダルクを描いた映画は複数あるが、どうにも誇張されていると言うか、日本における時代劇のように娯楽性を重視して現実との解離を生んでいる物である。だが、本作は非ヨーロッパの人間が作っているが故に、無闇に過去を美化したりせず視線が地に足付いており、非常にリアリティの溢れる物になっている。ダラダラと繰り返される戦争。駆り出される民衆。金儲けしか興味のない傭兵。もちろん、厳密な歴史学的にはいろいろと間違っているのだろうが、この世界の空気感やそこで生活している人間の心理は実に生き生きと伝わってくる。深夜アニメという納期の限られた低予算メディアでここまで作り上げたのは、素直に称賛されるべきである。
 何より本作の秀でているのが、「宗教」を包み隠さず描いていることである。当然、中世のフランスなのだから、国教はキリスト教(ローマカトリック)である。当時のヨーロッパにおいてキリスト教は文字通り生活の一部であった。それは教会が町を支配しているという単純な話ではなく、倫理観や価値観までもが全てキリスト教のそれと同一ということである。すなわち、キリスト教の教えに準じている者が善になり、反している者が悪となる。それゆえ、悪を放逐するために暴力を行使することもまた善であった。教会は積極的に戦争に関与し、それを助長する。人々は神のために戦い、神のために死んでいく。また、支配者階級であるがゆえに教会内部は腐敗し、禁欲とは名ばかりの本能に忠実な爛れた日常を送っていた。本作はそういったあまり表に出したくない歴史の負の側面をも克明に描いている。これはキリスト教的倫理観がベースになった欧米のクリエイターにはなかなかできないことである。アニメとは言え、それを可能にしたのは独特の空気を持つ日本だからであり、偏狭な愛国者でなくとも誇って良い。
 ただし、メリットはそのままデメリットに取って代わる可能性を孕んでいる。フランスやイングランドといった地名、キリスト教といった団体名、大天使ミカエルといった個人名までも実名にするということはどういうことか。事は慎重に為される必要がある。

・魔女


 さて、そんな現実的な中世ヨーロッパ世界をベースにして、「村の外れに一人の魔女が住んでいました」というお伽噺要素をプラスしたのが本作の基本設定になる。ここで言う魔女とは、比喩や蔑称ではなく、超自然的な力を使うことのできる本物の魔法使いである。そのため、この時点でかなり設定に違和感がある。さらに、そのビジュアルは現代の萌えアニメ風の露出度の高い魔法少女コスチュームであり、完全に世界観から浮いている。ただし、詳しくは後述するが、中世の価値観から外れた存在として描くために、わざとこうしているとも取れる。そうでなければ、作者はただのアホである。
 話を元に戻して、キリスト教における魔女とは唯一神の教えに背く者、つまり、異端者のことを指す。魔術を使うとか悪魔と契約したとかは全て後付け設定であり、自分達の意に沿わぬ者を迫害するための理由付けに過ぎない。元来、魔女という単語に男女の区別はないが、かつて魔女狩りに遭った人のほとんどが女性であった。これは女性の方が神秘的な物に接近し易いという事情と、もう一つ、キリスト教自体が男性優位の宗教であるということも関係するのだろう。一方、本作における魔女とは、生まれながらに魔法を使える特別な人々のことを指す。全員女性で見た目は人間と一緒だが、どうやら基本的な種族自体が違うようだ。そのため、魔法を使うこと自体は異端視されておらず、あくまで教会に従うかどうかを重視している。後に主人公が異端審問を受けたのも、夢魔を使役したことが一番の理由だった。よって、キリスト教のおける魔女と本作における魔女は、名前こそ一緒だが全くの別物として考えないと後の話が理解できなくなる。
 主人公のマリアは、そんな本作における魔女の一人である。彼女と他の魔女との一番の違いは、彼女が根っからの平和主義者であり、魔法を用いて戦いに介入し強引に百年戦争を終わらせようとしている点だ。当然、それは戦争賛成派であるキリスト教会や、戦争で利益を得ようとする他の魔女の怒りを買うことになる。それだけならまだしも、天の唯一神の代弁者である大天使ミカエルまでもが、自ら地上に降臨して主人公を諌める。唯一神の考えは「あるがまま」、戦争も自然の成り行きの一つであって、超自然的な力を行使する主人公こそが悪であった。このように、本作はキリスト教思想を極端に先鋭化することで、思想その物を批判している。これこそ、まさに「異端」の成せる業である。中二病をこじらせていると言えばそれまでだが、とにかく本作は自ら魔女になることで、世界最大の宗教に一石を投じようとした意欲作である。

・純潔


 主人公のもう一つの特徴は、彼女が今まで男性との関係を一度も持ったことがない正真正銘の「処女」であることだ。キリスト教における魔女は淫欲で不貞であるとされているため、そのカウンターパートになっている。つまり、彼女は魔女であって魔女ではない。その後、戦争への介入を繰り返す主人公に対して、大天使ミカエルが罰として一つの契約を与える。それが「もし彼女が処女を失ったならば、魔法を奪ってただの人間にする」と。その約束を果たすため……ん? あれ? いや、ちょっと待て。おかしくないだろうか。この世界において処女を失うことは魔女になることであり、神が望まないことである。一方、魔法を失うことは魔女をやめることであり、神の望むことである。これらはお互いに相反することなのだから、天秤にかける物ではない。彼女は存在自体が矛盾しているのだから、その矛盾を解消する方向へ持って行くのが神の役割であろう。御託を並べていないで、さっさと魔法を奪ってしまえば良いのだ。はっきり言って、この契約はストーリー的に明らかに間違っている。実際、この設定は完全に宙に浮き、最後のシーンまでほとんど物語に絡まない。もっと単純に「処女を失ったら、本物の魔女になったと見なして処刑する」で良かったのではないだろうか。
 正直なところ、この設定自体が必要なのかどうかさえ甚だ疑問だ。と言うのも、この設定のせいで勢力が四つに拡大し、話が無駄にややこしくなっているだけに感じるからだ。すなわち、天界、キリスト教会、魔女組合、主人公の四つである。この内、主人公を除く三勢力がいずれも戦争賛成派である。キリスト教会は、禁欲を是としながら実情は怠惰であるという自己矛盾を抱えており、その矛盾に対抗するために主人公という矛盾の塊をぶつけているのは分かる。では、主人公という存在は何を代弁しているかと言うと、それが何もないのである。おそらく、作者は現代的な感覚を中世ヨーロッパに持ち込むことで中世思想を批判したいのだろうが、現代的な感覚とは「平和主義かつ自由恋愛主義」であって、主人公の思想とは微妙にずれている。「平和主義かつ禁欲」を体現している者は何か、それは要するに作者に代表される「現代のオタク」達だ。そもそも、女性を男性経験の有無で区別すること自体が、フェミニズム観点からして現代的ではない。つまり、この作品その物が中世的なのである。最早、何を書いているのか分からないほど複雑怪奇であり、それなら最初からこのような設定を盛り込む必要はなかっただろう。

・アンチキリスト


 そして、物語は中途半端な現代的感覚を持った主人公を中世のキリスト教会が迫害するという展開が延々と繰り返される。訴えたいのは、かつてのキリスト教思想が如何に間違っていたかということだ。ここで重要なのは、過去のキリスト教会と現在のキリスト教会は全くの別物であると示すことである。これができていないと、現実のキリスト教自体を批判することになってしまい、下手すると重大な国際問題を引き起こしかねない。かくして、本作はそれができているかと言うと……残念ながら、何一つできていないのが現状である。
 とにかく、主人公も大天使も出しゃばり過ぎだ。特に主人公は、いきなり戦場の真ん中に飛び出し、巨大モンスターを召喚して無理やり戦争をやめさせようとしているのだから、大天使ミカエルでなくても「ちょっとは控えてくれよ」と言いたくなる。これが「歴史の裏で天使や魔女が暗躍していた」なら話は分かる。だが、本作の主人公のように歴史の表舞台に堂々と顔を出したらどうなるか。それは現代的な魔女と歴史上の中世世界の境界が薄くなるということである。まさに「オーパーツ」だ。歴史は歴史、フィクションはフィクション、それらをくっきりと区分けすることで、両者は全くの別物であると示さなければならないのに、これでは自ら墓穴を掘っているような物である。
 では、どうすべきだったのか。一番簡単なのは比喩や象徴を用いることである。そう、こういったテーマの作品を描くために「異世界物」というジャンルが存在するのである。現代人の主人公が、タイムスリップなり異世界召喚なりで中世ヨーロッパ風の世界へ行き、そこでキリスト教風の宗教と戦えばいい。そうすれば、現実のキリスト教会を刺激することなく、キリスト教思想のみを批判することが可能だ。要は、少しは頭を使えということである。
 物語のラストでは、主人公はかねてより親交のあった男性と心を通じ合わせ、晴れて恋人同士になる。その後、二人は結婚、処女を失ったことで彼女は普通の人間になる。一方、百年戦争は彼女とは全く関係のないところで勝手に終結する。結局、この作品は何をやりたかったのか。魔女の働きによって唯一神が改心したとも取れなくもないが、それはキリスト教徒にとって最大の屈辱だろう。キリスト教にケンカを売るだけ売って、最後は有耶無耶。宗教に対して洒落が通じると思っている日本人の悪いところが全て出た作品である。

・総論


 明らかに、やり過ぎだ。歴史を批判するのではなく、現実の一宗教を批判する形になってしまっている。この制作者は、是非とも本作のイスラム教版を作って放送して欲しい。

星:★(-1個)
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by animentary  at 10:54 |   |   |   |  page top ↑

『N・H・Kにようこそ!』

深夜アニメの最高傑作。

公式サイト
NHKにようこそ! - Wikipedia
N・H・Kにようこそ!とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2006年。滝本竜彦著の小説『NHKにようこそ!』のテレビアニメ化作品。全二十四話。監督は山本裕介。アニメーション制作はGONZO。この頃から社会問題化した「ひきこもり」を題材にした脱力系青春ドラマ。アニメ版のストーリー構成は、小説版の序盤&終盤と漫画版の中盤を繋ぎ合わせており、両者の良いところを掛け合わせたような形になっている。なお、処々の事情により、アニメ版のタイトルはNHKの間に区切り点が入れられる。

・アンチ萌え


 本作の主人公は二十代前半の青年。北海道より単身上京して大学に在学中、近所の人々に自分の悪口を言われていると感じて以来、大学を中退して自宅アパートにひきこもったまま四年もの月日を過ごしていた。そんなある日、彼の元へ一人の少女が現われる。不登校の女子高生にしか見えない彼女は、自らを「天使」と称し、主人公をひきこもりから救い出すためにやってきたと述べた。最初は胡散臭く思っていた主人公だったが、それでこの悲惨な人生が少しでも変わるならと考え直し、一縷の望みを託して彼女のプログラムに参加することを決意する。
 はっきりと劇中で宣言されている訳ではないが、本作のコンセプトは明らかに「萌えのアンチテーゼ」である。主人公は人生に絶望して大学を中退したひきこもりの青年。そこへお嬢様風の女子高生が現われ、主人公をひきこもりから救い出そうとする。これはいわゆる「落ち物」、謎の美少女が突然、異世界から冴えない主人公の元へ現われ、彼女の持つ特異な力により主人公が何らかの心の成長を遂げるという萌えの王道パターンを意図的に踏襲している。事実、放送前情報ではそうなっており、その心持ちで視聴を始めた人も多いだろう。しかし、ストーリーのかなり早い段階で、それが制作者の仕組んだ罠だと明らかになる。実際のヒロインは高校中退のノイローゼ患者であり、幼い頃から養父の虐待を受けていたため、今は実家を離れ親戚の家に居候中である。彼女は基本的に優秀であるがゆえに、社会の無慈悲さを十分に理解しており、創作物に出てくるような安易な奇跡は絶対に起こらないことを知っている。そのため、何に対しても悲観的な物の見方をしてしまい、他人と対等に付き合うことができない。ヒロインがひきこもりの救済を始めたのは、本当は優等生なのに不当に虐げられている自分よりもさらにダメな人間を見つけ、彼を教育することで自分の優秀さを確認するため。決して、主人公のことを思っての行動ではない。
 結局、彼女は迷える子羊を救済する清らかな天使でも、他のアニメに出てくるような男性視聴者に媚びた理想的な萌えキャラでもなく、表も裏もあるプライドの高い一人の血の通った人間なのである(もし、彼女の受けていた虐待が性的虐待だとしたら、彼女はオタク層が最も嫌悪する「非処女」である)。萌えアニメの世界はあくまで理想郷であって現実ではない。本作は、まず萌えビジネス業界に蔓延している甘い考えを全否定することを出発点にしている。その上で本作が描こうとしている物は何か、それを次の項目から見て行きたい。

・陰謀


 本作におけるN・H・Kとは、日本放送協会の略ではなく「日本ひきこもり協会」の略である。この団体の目的は世の若者を自室にひきこもらせること。もちろん、これは主人公の妄想が作り上げた架空の団体なのだが、その正体を探ることによって人間の本質に触れることができるだろう。
 本作の主人公はダメ人間の代表のように扱われているが、実際のところ容姿自体はそれほど悪くなく、基本的には頭の回転も早い。学校の成績も良く、小さい頃はいわゆる「神童」だったタイプである。だが、神童も二十歳過ぎればただの人、社会に出れば自分が井の中の蛙だったことを思い知らされる。気付けば周囲の人間に追い付かれ、むしろ繊細過ぎる性格のせいであらゆる面で後れを取っている。しかし、その成育歴からプライドだけは高く、現実の情けない自分との間で矛盾を引き起こしている。そんな彼が自己承認欲求を満たし、心の安寧を得るためにはどうすればいいか。一つは「逃げる」ことである。社会から逃げ、世間から逃げ、周りに誰もいなくなったら、もう誰からも馬鹿にされることはない。常に勝利者、敗北を知らない、無敵の人。その行きつく先がひきこもりである。つまり、彼は社会性を失うのと引き換えに、かつて特別の存在だった頃の自己のプライドを取り戻したのである。
 もう一つは何かを「見下す」ことである。自分より下の人間を見つけて、それを見下すことで相対的に自分の地位を持ち上げる。ただし、現時点でも底辺を彷徨っているのに、自分より下の人間が都合良く見つかるはずがない。例えば、匿名掲示板等で獲物を探すにしても、何の勉強もしていない平凡な人間がその道の専門家に議論で勝てるはずがない。では、どうするか。それは「陰謀論」に走ることである。世の中は全て闇の黒い組織が牛耳っており、自分の意見に反対する者は全て対立組織の工作員だと決め付ければ、少なくとも議論に負けることはない。そして、その陰謀を知っている自分は他人よりも優れた存在であると思い込むによって、さらなる高みに立とうとするのである。その究極の形態が「日本ひきこもり協会」である。今、自分が惨めな境遇に甘んじているのは、資本主義社会が適当なスケープゴートを必要としたからであり、その真実に気付いている自分は特別な存在であると自己肯定することによって心の安寧を図っている。こういったエゴイスティックな防衛機制のメカニズムは主人公だけに限らず、多かれ少なかれ人間なら誰しもが持っている物だ。実際、社会が不安定になるとレイシズムが世に蔓延るのが常である。このように、本作品は深夜アニメにも係わらず、徹底して生身の人間とリアルな社会を描いているのが特徴である。

・現実


 上記の特異性は、ひきこもりの青年を物語の主人公に置くことでより鮮明に強調されている。と言うのも、通常の作品だと外部の人間との交流によって少しずつ良き方向へと進んで行く物だが、主人公がひきこもりであるがゆえに、何もドラマが生まれないばかりか、何かを始めれば始めるほどどんどん深みにハマってしまうのである。自称天使に騙され、両親の期待を裏切り、集団自殺もできず、ネットゲームのRMTも失敗、悪徳商法に有り金を奪われ、頑張って作った同人ゲームはクソゲー、唯一心を開いた親友にも去られてしまう。そして、物語の終盤でヒロインとも縁を切った主人公がついにひきこもりから脱出するのだが、それすらも「生活費が尽きたから」という極めて後ろ向きな理由だ。現実は過酷である。普通の人間、しかも、他人を見下すことでしか自我を保てないひきこもりに、ドラマの主人公になる資格などある訳がない。親友が言うように「ドラマチックな死は僕らには相応しくありませんよ」なのだ。
 しかし、ここに来て初めて物語が劇的に動き出す。主人公が社会復帰したことで自分が不要になったと感じたヒロインが、遺書を残して生まれ故郷へ旅立ち、投身自殺を企てようとするのである。なけなしの金を叩いて彼女を追う主人公。やがて、自殺の名所の岬でヒロインと再会した時、そこで主人公は彼女に対してある「ちっぽけな奇跡」を起こしてみせる。はっきり言って、取るに足らない奇跡である。ドラマチックでもないし、スペクタクルでもない。物語的に言っても、伏線バレバレでインパクトが弱い。しかし、ヒロインは「神はいない」「奇跡は起こらない」と信じている悲観的な少女だ。そんな彼女にちっぽけながらも本物の奇跡を見せることで、初めて彼女は救われるのである。世界はそんなに酷い物ではない、捉え方一つで良くも悪くもなる物だ、と。そして、それは本作が視聴者に向けて発したメッセージでもある。
 ラスト、ヒロインは「日本人質交換会」なる組織を立ち上げて、再び主人公と契約を交わす。それは、今までのように互いが互いを馬鹿にして傷を舐め合う共依存の状態から脱却し、相手を人として尊重する対等の関係になろうという物だった。そこにあるのは、不器用ではあるが一生懸命、前を向いて生きようと頑張る一人の人間の姿。だからこそ、本作のヒロインは他のテンプレ萌えキャラの何十倍も愛しいのである。

・良点と欠点


 さて、ここまでストーリーについて解説したが、それとは別に本作のアニメーションとしての出来はどうだろう。ひきこもりの悲哀を面白おかしく描いた脚本・演出は、人情コメディーとして見ても優秀である。社会の底辺にいる人間から目を逸らさず、ありのままを描いていることで社会描写に説得力があり、自虐ギャグにも切れがある。人によってはイライラするかもしれないが、主人公の究極のダメ人間っぷりを眺めるのもまた楽しい。オタク文化、特にエロゲー(十八禁美少女ゲーム)を肯定も否定もせずにそのまま描いている点も、今となっては新しい。そして、それらを彩るのがパール兄弟による音楽だ。ボーカル曲とそのカラオケを多用したBGMは、青春の光と影のコントラストを描き出すのに成功している。CVも演技力に秀でた役者を揃えており、極めてレベルが高い。その中でヒロイン役の牧野由依だけは拙さを感じるが、かえってそれが彼女の特殊な人格を浮き出させ、良い効果を生んでいる。
 欠点はやはり作画だろうか。全体的に低品質であり、特に第四話・第八話・第十九話は、作画監督の個性が全面に出過ぎているせいで違和感が大きい。ただ、ひきこもりが題材であり、作品全体がカオスな空気に包まれているので作画の乱れはあまり気にならず、むしろそれが良いアクセントになっている。また、ストーリー的な欠点を上げるなら、「革命爆弾」の件が説明不足になっている点は見逃せない。革命爆弾とは、この世の諸悪の根源である「日本ひきこもり協会」を退治するために必要な自爆決戦兵器のことである。皇帝と奴隷の例から分かる通り、世界を支配する陰謀を打ち砕くことができるのは、何も失う物のない人間による自爆攻撃だけだ。本作の主人公も、そうやって自分の立場を肯定しようとしたが、相変わらず普通の人間にはそんな力も勇気もないという現実の壁により失敗する。この辺りの事情が少々分かり難いため、アニメ版では意図的にぼかしてあるのだが、そのせいで最終話の展開がかなり唐突に感じるのが残念だ。深く考えず、主人公と親友の作った同人ゲームのラストを革命爆弾でラスボスに立ち向かうシーンにしておけば良かっただけなのに、もったいない。

・総論


 間違いなく、深夜アニメの傑作の一つである。ひきこもりというアンモラルな設定と緩い作画のせいで人を選ぶが、ストーリーにこだわる人はぜひ見てもらいたいアニメである。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9個)
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by animentary  at 11:05 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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