『這いよれ!ニャル子さん』

特になし。

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這いよれ! ニャル子さん - Wikipedia
這いよれ!ニャル子さんとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年。逢空万太著のライトノベル『這いよれ!ニャル子さん』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は長澤剛。アニメーション制作はXEBEC。クトゥルー神話をモチーフにした落ち物系ラブコメ。クトゥルー神話とは、H.P.ラブクラフト他が創造した一連の恐怖小説シリーズの総称だが、本作との関連性は固有名詞ぐらいしかない。一方、原作者は『仮面ライダー』シリーズのファンであることを公言しており、それらをオマージュした描写が各所に見られる。

・ギャグ


 もう飽き飽きするほど使い古された典型的な落ち物アニメなので、今更詳しく紹介する必要もあるまい。主人公は平穏な日常を望む普通の男子高校生。両親は仕事に追われて不在。ある日、夜道で謎の怪物に襲われそうになったところを一人の少女に救われる。ニャルラトホテプ星人だと名乗る彼女は、惑星保護機構の命により彼を助けに来たと述べる。ところが、彼女は主人公に一目惚れしてしまい、任務そっちのけで猛烈にアプローチする。こうして、二人の奇妙な共同生活が始まるのだった、と何の目新しさもないベッタベタな内容である。肝心のストーリーも、ギャルゲー世界ネタや人格交換ネタや独裁スイッチネタなど、どこかで聞いたような話ばかりが並ぶ。クトゥルー神話をモチーフにしている点だけは新しいが、逆に言うとそれぐらいしか特徴がなく、落ち物のテンプレートにそのネタを被せて別物だと言い張っているだけだ。ただ、話のテンポが良く、ヒロイン達も揃いも揃ってお馬鹿なので、娯楽作品としてはそれなりに面白い。この手の話が好きな人は、下世話な批判など無視して何も考えずに楽しめば良い。
 ただ、気になる点が幾つかある。本作は大きく分けて五部構成でそれぞれに別個の敵が配置されているのだが、そのいずれも主人公自ら「くだらないオチ」と嘆くほど、目的がギャグに傾いている。つまり、キャラクターの行動だけがギャグなのではなく、中心的なストーリーまでもがギャグなのである。これはあまり感心できない。世界に目を向けても、名作喜劇と呼ばれている作品にストーリーまでギャグの作品はない。むしろ、喜劇とは思えないほどシニカルな悲哀に満ちている物だ。なぜか? それは、笑いとは緊張と緩和の産物であって、負の側面を描かない限り、カタルシスとしての笑いが生まれることは絶対にないからだ。笑いとは幸せの象徴である。だからこそ、心から笑えることの幸せを噛み締められるような物語作りをしっかりと行わなければならない。つまり、適当な思い付きで作れる世界ではないということで、主人公が「くだらないオチ」と嘆くような物を世に出すなということである。それは先人に対して極めて失礼な行為である。

・ラブコメ


 本作のジャンルは一応、ラブコメということになっている。作者本人は冗談めかして「ラブクラフトコメディ」だと言っているようだが、そういう問題ではない。年頃の男女が登場し、好きや嫌いやと言っているコメディなのだから、紛れもなくラブコメなのである。ただし、冒頭で「一応」と付けたように、純粋なラブコメとして見ると非常に問題点が多く、それこそラブクラフトコメディという逃げ道を用意しておいた方が良い出来になってしまっている。
 ヒロインが主人公を好きな理由は、ただ一つ「一目惚れ」である。つまり、内面は関係なく、容姿や雰囲気といった外面がたまたま好みのタイプだったというだけだ。だが、それ以来、ヒロインは主人公を執拗に追い回し、既成事実を作るべく猛アタックする。相手がどんな人間かも分からないのに。まぁ、本作はコメディだし、ヒロインも宇宙人なのだから地球上の常識を当てはめたらダメというのは分かる。実際、ヒロインは自分が主人公に好かれていないどころか嫌われていることに第七話で初めて気付く。ところが、だ。同じ第七話で突然、謎の心理描写が割って入るのである。今までの彼女のハイテンションな悪ふざけは全て演技であり、「ふざけた感じじゃないと好きと言えない」からわざとそうしていたのだと。馬鹿にするな。ヒロインの一途で純情な気持ちを描きたいのは分かるが、こんな物は後付け設定にも程があるわけで、こうでもしないとまともな恋愛描写もできないのかと哀しくなる。かと思えば、続く第八話で主人公が戸惑う様子を見て、「そこがたまんない」とまるで内面に惚れているかのような描写を入れる。意味が分からない。これのどこが恋愛なのか。できないなら、するな。見ている方もおかしい物はおかしいと声を挙げて欲しい。
 一方、主人公側はそんなヒロインを第一話からずっと拒絶し続ける。当然だ。どんなに可愛い美少女宇宙人であっても、突然、家に押しかけてきて平穏な日常を破壊する正体不明の不気味な存在に過ぎないのだから、普通の人間なら好奇心よりも保身が勝る。ただ、物語の後半では、彼も徐々にヒロインの可愛らしさに気付いて態度を軟化させる。これもおかしな話だ。視聴者は最初からヒロインを可愛いと思って見ているため、その時点で主人公=視聴者ではない。どちらかと言うと、健気に頑張るヒロイン側に感情移入しているため、この構図では主人公=物語のヒロインになる。事実、主人公が眼鏡をかけ、それを見たヒロインが萌え苦しむというシーンが第九話に存在する。つまり、このアニメの本質は、男性視聴者が何とかして男性主人公を自分の方に振り向かせようと努力するトランスジェンダーな作品なのである。最早、このアニメのジャンルが何だったのかすら分からない。別の項目でオタクの女性化と同性愛の問題を書いたが、本作でも同様の症状が出ているということだろう。

・パロディ


 本作の特徴の一つは、『仮面ライダー』シリーズを筆頭に、各所で用いられている他作品のパロディである。と言っても、大抵のライトノベル原作アニメはパロディが基本路線になっているため、大して目立つ特徴ではない。そのパロディにしても、アニメの名台詞やネットの流行語をただ意味もなく挿入するだけなので、パロディと言うよりただの「引用」である。正直、小学生でもできることだ。そんな物を作品の特徴だと喧伝するのは、はっきり言って恥ずかしい。大の大人がやることではない。
 さて、余談になるが、そういったライトノベルにおけるパロディの中でも、一際目を引くのが『機動戦士ガンダム』ネタである。ほぼ全ての作品で取り上げられていると言っても過言ではない。これが非常に不思議である。確かに不朽の名作ではあるが、放送されたのは三十年以上も前。今となっては映像も古臭く、ライトノベルのメインターゲットであるティーンエイジャーは見たことすらないだろう。ウルトラマンや仮面ライダーなど、当時から続いているシリーズは他に幾つもあるのに、ガンダムだけがライトノベルで持ち上げられる理由がよく分からない(そういう意味では、『仮面ライダー』ネタがメインの本作は珍しい)。また、若い人は勘違いしているかもしれないが、ガンダムシリーズは決してずっと人気コンテンツだったわけではない。もちろん、ガンプラブームの頃は紛れもない社会現象だったが、以後は衰退の一途を辿り、続編作品は全て鳴かず飛ばずでオタクですら話題にしないという状態が長らく続いていた。それがようやく世間に再認知され始めたのは、2000年頃の昭和リバイバルブームに上手く乗っかったからであり、その流れで2002年の『機動戦士ガンダムSEED』が大ヒットしたからである。そのため、初代『機動戦士ガンダム』だけが現代オタクの基礎知識のようになっている状況が何とも奇妙に感じる。
 と、ここまで考えて、すでに自分で答えを書いていることに気付く。多くの作品でパロディにされている。逆に言うと、「パロディにされているから」皆が知っているのだ。パロディだけを見て育った人間が、元ネタをよく知らないままパロディにする。それが繰り返されて、まるでネットの海に漂う人工生命体のように情報だけが独り歩きする。おそらく、そういった状態になっているのだろう。そう考えると『機動戦士ガンダムSEED』がパロディにされない理由や『ガンダム Gのレコンギスタ』が全く話題にならなかった理由も見えてくる。結局は「皆と同じじゃないと不安」という同調圧力が生んだ「ガンダムブランド」を信仰する権威主義の一端なのである。

・エンタメ


 上記に関連して、本作は「エンタメ」がメインテーマになっている。地球のエンターテインメントは宇宙規模で見ても素晴らしい物であり、それを宇宙人が狙っているという設定だ。それだけならSFでもよく見るテーマだが、本作の場合は例によって例の如く、エンタメの定義がゲームやアニメ等の日本のオタク文化にほぼ集中している。要するに、『アウトブレイク・カンパニー』でお馴染みのオタクの自己肯定である。現実社会では日陰者だが、違いの分かる宇宙人には評価されているはずだという逃避っぷりが情けない。本当に素晴らしいと思っているのなら、堂々としていればいいのだ。何も余所様の権威を借りる必要はない。
 ちなみに、そのオタク文化の中に「エロゲー」が含まれているのはどうなのだろう。ご存じの通り、エロゲー業界は完全に斜陽産業であり、その理由は間違いなくアニメとライトノベルに客を奪われたからである。ところが、当のライトノベルとライトノベル原作アニメ内ではやたらとエロゲーが登場し、まるでオタク文化の中心であるかのように持ち上げられている。なぜか? やはり、これもまたガンダムと同じくパロディのパロディが生んだステレオタイプなブランド信仰なのだろう。
 閑話休題。そのテーマ自体は別にいいのだが、第九話~第十話に出てくる敵に問題がある。彼らはその物ズバリ「宇宙チャイルドガーディアン」。目的は「宇宙健全法」に則って、性的要素が強く青少年に害を与えるオタク文化を生み出した地球人を抹殺すること。またかよ……。オタクは異様なまでにこの手の団体を敵視しているが、現代のオタク文化がポルノと大して変わりないぐらい下劣化しているのは紛れもない事実なのである。実際、劇中で主人公達は敵の意見に全く反論していない。それどころか、暴力的なヒロインが冗談半分で「法は破るためにある」と言って敵を退治する。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』でも似たような場面があったが、なぜ、反論できないと分かっていて、そんな敵を出すのか。敵の意見は否定しろ。否定できない敵は出すな。もう、創作の基本中の基本である。もっとも、続く第十一話では幼女の入浴シーンを公然と放送しているので、確信的な部分もあるのだろう。つまり、日本のオタク文化は低俗で児童ポルノでゴミクズみたいな物だと主張しているのである。はっきり言って、その意見には賛同できない。良質で面白くて女の子の可愛いアニメは幾らでもある。少なくとも、「素晴らしい地球のエンタメ」の中にこの『這いよれ!ニャル子さん』という作品は含まれていないことだけは断言させて頂く。

・総論


 それなりに楽しい娯楽作品であるが、第九話~第十一話が全てを台無しにしている。地球のエンタメは素晴らしいと言った直後に、壮絶に自爆する生き様が如何にもライトノベルという感じで良い。

星:★★(-2個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:34 |  ★★ |   |   |  page top ↑

『桜Trick』

ただのポルノ

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桜Trick - Wikipedia
桜Trickとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2014年。タチ著の四コマ漫画『桜Trick』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は石倉賢一。アニメーション制作はスタジオディーン。自分達が特別な存在であると確認するために毎日キスをする女子高生同士の恋愛を描いた日常系百合アニメ。一話二部構成で、各部ごとに必ず女性同士のキスシーンが存在する。

・百合


 本作は「日常系アニメ」である。日常系アニメとは、男性視聴者にとって不要な物を極限まで排除した理想郷における平凡な日常生活を描いたアニメのことである。不要な物の中には、親や教師といった子供にとっての「敵」や思い通りに行かない理不尽な社会といった「障害物」なども含まれる。敵がいないということは、目標達成のために努力をする必要が一切なく、ゆえに成長という要素が存在しない。だが、結果だけは完璧で、周囲から凄い凄いと褒め称えられるという狂ったパターンが定番になっている。そして、それら不要物の中でも最大の物が「男性」である。人類の半分を占める性別であるが、男性視聴者にとっては愛すべきヒロインを汚す不浄な存在でしかない。その思想の行き着く先が、視聴者の分身であるはずの「男性主人公」の排除であり、結果、登場人物が主役も脇役も全て女性になる。なお、ギャグアニメを名乗りながら、それらのネタが全く面白くないのも日常系アニメの大きな特徴だ。ある意味、それらも不要な物の一つなのだろう。
 さて、本作はその日常系アニメをさらに進化させ、ヒロイン同士を恋愛させた「百合アニメ」である。男性がいないのだから女性同士で恋愛するしかないという妥協の産物だが、いつしかそれが古来からの同性愛嗜好と合流して一つのジャンルになり、今に至っている。そして、恋愛を象徴する記号として、本作は女の子同士のキスをフィーチャーしているのだが、その是非は後に譲るとして、まずはそこに至るまでの経緯、つまり、第一話開始時点での主人公の背景を整理しておこう。
 主人公は新高校一年生。内気で引っ込み思案な性格であり、中学時代まで友人が一人もいなかった。だが、そこでクラスメイトの園田優と出会ったことにより、彼女の人生が一変する。少々子供っぽいが、元気で社交的な優を通じて他の同級生とも交流し、楽しい中学生活を送ることができるようになった。ここで重要なのは「優がいないと独りぼっちだった」という点である。このコンプレックスが主人公の優に対する依存性とそこから発展した恋愛感情の動機であり、全ての根拠になる。ということは、話に説得力を持たせるためには、この動機を本作中でも十分に描かないといけないのだが……残念ながら、口頭で説明されるだけで具体的なビジュアルは何もない。主人公は高校入学後、当たり前のようにクラスメイトと打ち解けているし、優がいなくともつつがない高校生活を送っている。むしろ、リーダーシップさえ発揮している。そのため、二人の関係の特別さがあまり伝わってこないのである。結局、これも主人公の心の闇すら楽しい日常の「敵」だから排除されているわけで、日常系アニメに話の深みを求めることのむなしさを物語っている。

・キス


 そして、高校の入学式、二人は放課後の空き教室でキスをする。アニメが始まって十分ぐらいのシーンである。本作は一話二部構成なので仕方ないと言えば仕方ないのだが、幾ら何でも早過ぎないだろうか。仲の良い女友達同士で腕を組んだり体を触ったりするのと、口移しのキスをするのとでは大きく異なる。友情が愛情に変化する瞬間であり、文字通り、一線を越えた行為である。それはちょっとしたきっかけ程度で乗り越えられるハードルではない。その辺り、実際にはどうなっているかを第一話で検証してみると、高校でも二人は同じクラスになったが、たまたま優が中学時代の友人と腕を組んだため、「特等席が奪われた」と感じた主人公は教室から逃げ出す。辿り着いたのは空き教室。「変わっちゃうのかな、私と優ちゃんもこの教室みたいに」と思っているところに優が現れ、「他の子達は絶対にしないことをしよう」と自分達が特別な関係であることを証明するために二人はキスをする。意味が分からない。この程度で不安になるなら、もっとハードだったであろう中学時代はどうなるのか。きっと、まともに生活できなかっただろう。このストーリーでそれをやるなら、自分達が特別な関係であると証明しなければならない何らかの大きな事件が必要になるはずだ。例えば、高校に進学して環境が変化したことで疎遠になったとか、ライバルが出現してそれに対抗しなければならなくなったとか。誰の目にも明らかな設定の練り込み不足であり、作品としての価値は一気に下降することになる。
 そもそも、なぜキスをすることになったのだろう。他の人はしない特別な行為としてキスを提案したのは主人公である。確かに普通の人間は行わないが、なぜ主人公がそれを思い付いたのかに関する伏線は何もない。この流れだと、以前から主人公はキスに興味があったということになるため、元々、彼女は同性愛の傾向を持っていたのかもしれない。結果、提案自体は却下されたものの、最終的にはその場のノリでキスすることになり、やっている内に羞恥心よりも快感が勝る。同性とのキスでも本当に快感を得られるのかどうかはやったことがないので分からないが、目を閉じていれば男も女も変わりないし、少なくとも相手に対する愛情はある。同性同士という背徳感がさらに興奮を助長するかもしれない。ただ、これらは全て推測の域を出ず、詳しい心理は正直よく分からない。やはり、全体的に描写不足なのは否めない。

・青春


 以降、二人は毎日のように唇を重ねることになる。これが友情による物か愛情による物か性欲による物なのかを判断するのは非常に難しい。本作の性質を鑑みると、この判断こそがメインテーマなのだから難しいなどと言ってはいけないのだが、本当に分かり難いのだから仕方ない。劇中の描写を見る限り、最初は友情の延長でキスを始めたが、すぐに性欲に支配され始めたように感じる。キスをして快楽を得ること自体が目的になり、友情を確かめる必要のない場面でもキスするようになる。その一方で、第三話には早くも恋人という話題が出始め、第八話には結婚したいと堂々と宣言する。性欲が愛情に発展する逆転現象はよくある話だし、むしろ、性欲が友情と愛情の垣根を壊したとも取れる。「人を愛すること」の定義がまだ一元的でしかない高校生なら尚更だ。ただし、それだと二人がキスの先の行為に及ばないのはおかしいという話になる。キスをした時点でリミッターは外れていると考えるのが常識だが、他に何か存在するのだろうか。
 そのヒントになるのが「敵」の存在である。通常の日常系アニメには出て来ないが、本作には小粒ながらちゃんと登場する。それが優の姉である。彼女は第十一話で二人の普通ではない関係に気付き、姉として妹達に自制を促す。本来ならそれは親の役割だが、反論不可能な絶対的な敵は出さないのが深夜アニメ。その姉にしても、実は主人公のことが好きだったため、嫉妬心が二人の仲を引き裂こうとしたという分かり易い弱点を盛り込んでいる。しかも、姉が主人公を好きな理由もよく分からないため、その点を主人公に付け込まれる。姉の言う「好き」の意味と自分達の「好き」の意味は違うと。その答えは、自分達にはキスという肉体関係がある、ということなのだろう。他人がやらないことをやっているから自分達は特別な存在だと信じる子供らしい万能感。ただし、それは逆の見方をすると、肉体関係でしか愛情を語れない未熟さの表れでもある。つまり、本作は主人公達を擁護しているように見せて、結局は子供のお遊びにしか過ぎないと論じているわけである。もちろん、全面的に否定するわけではなく、それもまた青春の1ページだと位置付けて、温かく見守っている。そういう意味で言うと、本作は日常系アニメよりも青春アニメにカテゴライズされるべきなのだろう。

・ポルノ


 以上、いろいろと言葉足らずとは言え、女性同士の恋愛を真正面から描こうという気概だけは感じられるため、そこら辺の自称百合アニメなどよりは余程ましと言える。ただし、それは媒体が小説だった場合のみだ。一方、この『桜Trick』という作品はアニメーションであり、明確なビジュアルがある。すると、そこにはまた別種の面倒な問題が生じてくる。具体的に言うと、本作はキスシーンが異様なまでに「生々しい」のである。
 なぜ、女性同士の恋愛を「百合」と呼ぶようになったかについては諸説あるが、要はその美しさを汚れなき純真な花に例えているわけである。すなわち、リビドーの円環から解脱した純粋無垢な愛情による究極の美としての同性愛である。ところが、本作のキスシーンは、頬を赤らめ舌を絡ませ身体を重ねて喘ぎ声を上げ、ねっとりねちねちと淫靡かつ妖艶に描いており、実にけしからん。完全に性行為の一端である。さらに、本作は他の萌えアニメと同様に女性の胸や下半身をやたらとクローズアップし、それらを性的な視線で見ている。そんな物は清廉潔白な百合を描くのに全く不必要なはずだ。
 これらの自爆行為がなぜ行われているのかも明白で、当然、深夜アニメを性欲の発散の場としている男性視聴者を満足させるためである。そうすれば、視聴率も上がって巷で話題になり、メディアや関連グッズが売れてウハウハというわけだ。つまり、完全な営業的判断である。結局のところ、本作のスタッフは女性同士の恋愛を描きたいのではない。本当に描きたいのは男性と女性の普通の恋愛だ。だが、男性と女性の性行為を直接描いてしまうと放送コードに引っかかるため、主人公を女性に置き換えているだけなのである。女性同士なら大丈夫というのも勝手な自己判断ながら、そういう判断がまかり通るなら、本作は全く別種のジャンルに見えてくる。本作の売りは毎回、文脈に全く関係なく挿入される濃厚なキスシーン。それを描くことが目的であり、他は全ておまけ。はっきり言って、これではただのポルノである。どんなに美しい百合を描いても、その向こう側に金に目がくらんだ小汚いおっさんの笑顔が透けて見えては意味がない。そんな物を作る方も作る方だが、買う方も買う方だ。ビジネスに抗えないクリエイターには同情するが、これが今のアニメーション業界の現実だと直視する勇気も必要だろう。

・総論


 『ゆるゆり』よりはまし、ということで星2個。しっかし、汚ねぇ百合だな。レズAVの方がよっぽど綺麗。

星:☆☆(2個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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