『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』

無茶苦茶。

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・はじめに


 2012年。鈴木大輔著のライトノベル『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は川口敬一郎。アニメーション制作はSILVER LINK.。超ブラコンな妹が出演する日常系ハーレムアニメ……としか紹介のしようがないんだよなぁ。ちなみに、ヒロイン役の木戸衣吹は当時中学生。だからと言って、それが何の言い訳にもならないぐらい演技が下手。

・第一話


 何だこれ。さっぱり分からん。
 とりあえず設定を整理すると、主人公は高校二年生の女の子。この春より、長年離れて暮らしていた双子の兄と同じ高校で寮生活をすることになる。彼女は兄のことが大好きで、何とか既成事実を作ろうと積極的にアプローチする。だが、その寮には他にも三人の女子生徒が住んでおり、皆が兄のことを好きというハーレム状態になっていた。ちなみに、彼らは兄妹を含め全員が生徒会の役員で、兄は寮の管理人でもある。はたして、妹はライバルを押し退けて兄をゲットすることができるのだろうか、というのが基本設定らしい。これだけ見たら、まぁ、人は選ぶが面白くなりそうな内容である。ただ、肝心の第一話がこの設定を全く解説できていない。それどころか、このまとめた設定が合っているのかどうかすら分からない。この言い知れぬ不安感、そこら辺のホラー映画よりよっぽど怖い。
 まず、兄は「転校生」である。この話を聞いた時、大半の人が「え?」と思ったのではなかろうか。上記の基本設定に従うと、どう考えても妹が転校生である。実際、このアニメは妹が荷物を抱えて学生寮に辿り着き、それを兄が出迎えるところから始まる。何かの間違いだろうと何度も第一話を確かめてみたが、やっぱり兄が転校生のようだ。要するに、これは「今まで別々に育てられた兄妹が一緒に暮らすことになった。そこで、妹の通う学校に兄が転校することになり、それを機に二人は同時に学生寮に入寮した。兄はたまたま先に到着しただけ」ということらしい。分かるか! じゃあ、寮に住み付いている兄の情婦共は何なんだよ、と思ったら、どうやら兄妹の入寮後に遅れて寮に加わり、見事に兄の魅力の虜になったということらしい。その時間経過は桜の木の変化を見れば分かる……って、分かるか、ボケ! 何なんだ、このお粗末な脚本は。不親切というレベルを遥かに超えて、完全にミステリーのトリックである。途中で誰か死ぬのか、このアニメは。
 あまりにも理解不能なので調べてみると、どうもアニメ化するに当たって、原作にあった兄と妹が二人だけで暮らすシーンを全面カットし、いきなり男女五人の共同生活から始まるように改変したらしい。何だそりゃ! 頭おかしいのか!? それならそれで、ちゃんと整合性が取れるようにシナリオを修正すべきだろう。ナレーションを入れるとか回想シーンを入れるとか。ここまで無茶苦茶な脚本は前代未聞である。本作の第一話にはクソ脚本オブザイヤ―の称号を与えたい。

・主人公


 改めて、これらの構成変更に伴う最大の弊害は「主人公の不在」である。先述の通り、この物語は妹の視点から始まる。映像作品において誰の視点から始まるかは重要で、動物の刷り込みと同様に、視聴者は最初に登場した人物を主人公と感じる物だ。だが、妹は主人公ではない。構成変更により、彼女は第二話の時点で早くも出番が減少し、その他大勢のポジションに送られる。その間、本作は他の寮生と兄の個人的な関係を描くことに終始する。だからと言って、兄の視点になることはない。ハーレムアニメにおける男性など、本来この世に存在するはずのない唯一神のような物なので、彼の心理描写は行わないし、行う必要もない。描くのはあくまでヒロイン側の視点。彼女達が主人公に恋愛感情を抱いて恥ずかしがっている姿を視聴者が可愛いと感じる。結果、視点があちこちに散乱し、主人公不在の不安定な状態が最後までダラダラと続く。
 そもそも、本作の面白さは、超ブラコンな妹の己の欲望に正直過ぎる奇行の数々にあるはずだ。ハーレム展開は妹の嫉妬心を呼び起こすための舞台装置に過ぎない。だが、本作のアニメ版では、なぜか手段であるはずのハーレムが目的化し、咬ませ犬に過ぎないはずの女子生徒が妹と同格以上のヒロインに昇格している。例えば、第九話・第十話は、風邪を引いた兄の看病権を皆で取り合うというアホみたいな話だが、大方の予想に反し、最後に彼を看病して優勝を勝ち取ったのは妹ではなく生徒会長だった。つまり、ヒロイン達の立場は完全にイーブンである。そんなハーレムアニメは世の中に幾らでもある。妖艶な先輩キャラもクールなお嬢様キャラも男の娘風の幼馴染みキャラもおませなロリキャラも行き遅れのOLキャラも、他のアニメで腐るほど見ることができる。わざわざ妹物を謳っている「お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ」というタイトルの作品でやる必要はない。
 なぜ、本作は原作を改変してまで病的にハーレムであることに拘るのか、あくまで私見だが、おそらくは商売的な理由だろう。放送終了後のグッズ販売や声優イベントなどを考えると、ヒロインの数は多ければ多い方がいい。その方が多種多様な客を取り込める。要は、動物園や風俗店と同じ考えだ。言い換えると「妹一人では金儲けにならない」のである。世の中、銭だ。愛さえあればどうにかなるわけではない。

・脚本


 本作にはストーリーなどという高尚な物は存在しない。六人の女性が一人の男性を取り合うハーレム描写を最初から最後まで延々と繰り返すだけの作品である。たまに、兄は近親恋愛専門の小説家であるとか、兄妹が別々の部屋に隔離されるとかいった物語っぽい何かが挿入されるが、本編に全く影響を与えることなく静かにフェードアウトする。第六話では「ヒロイン達がこの寮に移り住んだのは、兄妹が一線を越えないようにするため」という他のアニメなら一発で炎上するような衝撃のネタばらしが行われるが、それすらも綺麗さっぱり忘れ去られる。よって、物語に関して語ることなど何もない。
 ただ、脚本的に気になる点は幾つかある。一つは、各々のエピソードが異様に長いことだ。例えば、ヒロインの一人が兄と自室で世間話をするというシーンがよく出てくる。普通のアニメだと、二・三分で終わるようなショートエピソードである。だが、本作はそれが誇張抜きで十分近く続くのである。当然、場面転換や第三者の乱入など何もなく、ただ部屋の中で穏やかに語り合うだけ。そういった物が連続するため、一話三十分のフルアニメなのに三エピソードぐらいしかないという危機的状況が頻発する。要するに、これはただでさえ少ない中身をさらに薄めて伸ばし、かさを水増ししているわけである。適切な時間でカットして編集すれば、本作は半分ぐらいの尺で済むだろう。確かに、日常系アニメは女の子の普段着の暮らしを観察するのが唯一の目的とは言え、これはちょっと手抜きと言われても仕方ない。
 もう一つは、回想シーンの扱い方だ。本作はハーレムを強調するために原作を改変し、なぜヒロイン達が寮にやってきたかの件を後回しにしている。それらはシリアスな回想シーンとして後の回に挿入されるのだが、それが文字通りの「挿入」であって、前後の脈絡や話の繋がりなどが一切考慮されていない。しかも、そのシーンがまた長く、誇張抜きで三十分近く続く。するとどうなるか? 驚くべきことに、本作は文脈に関係なく挿入された回想シーンで「回を跨ぐ」のである。こんなアニメを他に見たことがあるだろうか? 正気の沙汰ではない。とてもプロの仕事とは思えないのだが、現場では何が起こっていたのだろうか。時間がないので中学生の息子に構成を切らせたと言われても、自分は驚かない。それぐらい酷い。

・結局、どうしたいんだ?


 これは、兄が突飛な行動を繰り返す妹達に対して度々口にする台詞である。口癖のような物なのだろう。だが、我々こそがこの台詞を制作者に対して言いたい。結局、どうしたいんだ? 本作はタイトルこそ妹物だが、中身はただのハーレムアニメ。男女七人のくだらない四方山話が最終話のラストのラストまで続く。では、この作品はどうやって締めるのだと思っていると、突然、主人公でも何でもない兄がモノローグで語り始める。もちろん、彼が自分の心境を言葉にするのはこれが初めてだし、そもそもその資格がない。さて、そんな彼の衝撃のモノローグの全文がこれだ。
「妹と二人、平凡に慎ましく暮らしていく、そんな僕の願いは今となってはもうとても叶いそうにない。見た目も成績も極普通、心臓には毛の一本も生えておらず、秘めたる才能があるわけでもないこの僕にとっては由々しき事態だ。男女問わず食い散らかす肉食系の生徒会長、自他共に認める絡み難い副会長、友情の厚さでは他に類を見ない会計、年齢以外はパーフェクトな管理人、そして、書記である我が不肖の妹、こんな豪華絢爛な連中に囲まれてしまっては普通の人生なんて送れるはずもなく、だけど、これからも秋子を守り続けていくという僕の方針に変わりはない。そのためには、秋子にとって危険となり得る要素は一つ残らず取り除いていく必要がある。それがたとえこの僕、姫小路秋人自身であってもだ。どうして僕が危険な要素の内に含まれるのか、簡単な話だ。なぜなら、僕と秋子の間には本当は血の繋がりなんてないんだから。姫小路家のややこしい事情については、いつかまた別の機会に語るとして、僕はこのことを秋子に話すつもりはない。僕らが実の兄妹であるという認識は一応、秋子にとってもブレーキになっているはずで、その障害が取り除かれたら、どういうことになるかは火を見るよりも明らかだし、それにこれ以上派手に迫られると、僕の方のブレーキが怪しくなると言うか……」
 ど、どこからツッコめばいいんだ。まず、主人公は平凡な人間ではない。小説家という職業、美少女に囲まれる環境、他人の恋愛感情に気付かない鈍感力、どこを取ってもスペシャルな人間だ。そんな彼が「周りが悪い」と責任転換をして、当たり前のようにハーレムを受け入れ、その上で妹を守ると宣う厚顔無恥な態度、完全に人間のクズである。そして、いきなり出てきた義妹設定には開いた口が塞がらない。つまり、何だ? 二人きりだと理性がもたないから、ハーレムにしようってことか? 今までの硬派な態度は全て演技だったってことか? いい加減にしろ、クソ脚本! こんな無茶苦茶な話が通るか!

・総論


 本ブログは脚本重視なので、ここまで酷い脚本だと最低得点を付けざるを得ない。つか、全く商業レベルに達していないんだけど、これ、本当に地上波で放送されたの? ドッキリじゃないよね? 私、騙されてる?

星:★★★★★★★★★★(-10個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
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『Charlotte』

破綻。

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Charlotte - Wikipedia
Charlotte(アニメ)とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。オリジナルテレビアニメ作品。全十三話。監督は浅井義之。アニメーション制作はP.A.WORKS。中途半端な特殊能力に目覚めた少年少女を巡る戦いを描いたSFファンタジー。原作・脚本・音楽を担当したのは『Angel Beats!』でお馴染みの人気シナリオライター・麻枝准。タイトルの「Charlotte」とは、彼の好きな歌手の曲名であって、それ以上でもそれ以下でもない。

・第一話


 先に結論を書くと、本作は非常に特殊な設定をベースに作られているが、あまりに土台が脆弱なため、増築に次ぐ増築で補強を重ねた結果、見るも無残な違法建築物が出来上がってしまったような作品である。
 主人公は五秒間だけ他人に乗り移ることができる特殊能力保持者。その能力を駆使して、成績トップでエリート高校に入学する。成績トップ? ただのカンニング能力でどうやって一番になれるのだ? この時点で早くも設定が破綻しているのだが、そこは気にせず話は進み、主人公はその偽りの実績をバックにして傲岸不遜な態度で高校に君臨する。本作最大の問題点は、この主人公の歪んだ人格を決定付ける設定的な根拠が何もないことである。主人公が自己中心的で傲慢な性格なのは、物語の後半で自己犠牲を行って人間的な成長を描くための伏線なのだが、肝心の主人公がなぜそのような性格になったかの理由付けがないため、感動も何もない。普通に考えると何らかのコンプレックスの裏返しなのだろう。両親のいない寂しさが心を歪めたと取れなくもないが、ここはしっかりと具体的に描かなければ意味がない。彼は誰もが認めるイケメンであり、演説も巧み。そんな人間が不正を働いてまで名声を得ようとする動機が何もないため、今のままではただの「嫌な奴」でしかなく、視聴者の感情移入が難しくなる。さらに、物語が進むごとに彼はキャラがぶれまくり、ありがちな「やれやれ系」主人公まで堕ちたかと思えば、突然ダークな本性を露わにする。もし、これで複雑な人間の心理を描けたと思っているなら大間違いだ。これではただの多重人格者である。
 そんな主人公だったが、別の能力者にカンニングを見透かされたことで失脚し、能力者ばかりを集めた高校へと強制的に転校させられる。番組開始十五分のことである。その後は妹とののんびりとした日常話で残り十分を埋める。意味が分からない。普通のアニメなら、学校と家の生活を交互に描きながら主人公がどういう人間であるかを示し、第一話の最後に能力がバレて転校という流れになるだろう。なぜ、セオリーを無視してまで構成を逆にしたのか。はっきり言って謎である。要するに、本作の脚本家は劇中で描くべき物とそうでない物の判断が全くできていないのである。「アニメの脚本に慣れていないから」で済むような話ではないし、それならそれで監督やストーリー構成担当が適切に修正すべき案件だと思うのだが。

・第二話~第八話


 第二話。転校先の高校で主人公は生徒会に入れられる。そこはクラスメイトのヒロインが生徒会長となって全てを取り仕切っていた。なぜ、高校一年生が生徒会長なのか、理由は本編中でも述べられているが正直苦しい。これもまた設定の穴を無理やり埋めた結果であって、今後も似たような苦肉の策が延々と続く。その生徒会の目的は、主人公のような能力者を探し出して、研究者に見つかる前に高校で保護すること。詳細は不明だが、何らかの公的な研究団体が日本中から能力者を集めて人体実験を行っているらしい。『Angel Beats!』でもそうだったが、本作の基本理念は「理不尽な社会に対抗するために自分達で楽園を作って好き勝手にやる」である。ただし、肝心の理不尽な社会が全く描けていない。能力者が人体実験されているという現実も作者が勝手に作った独自設定に過ぎないため、一般人にはピンとこない。すると、「好き勝手にやる」という面だけが強調され、実に不快な物になる。例えば、生徒会を私物化しているのもそうだし、ちょっとした悪ふざけで救急車を呼んだりもする。かと思えば、自分達のことは棚に上げて、同じく好き勝手にやっている要救助能力者を上から目線で説教する。どちらが作者の本音なのかは言うまでもない。
 第六話。妹が死ぬ。いや、マジで。そのことで主人公が自暴自棄になり、社会からドロップアウトする。すると、作品の雰囲気が一変し、反社会的なバイオレンスアニメになる。物語の途中で突然シリアスになる作品は多いが、ジャンル自体が変更になる作品は珍しい。まともなクリエイターなら絶対にやらない。結局、ヒロインの献身的な働きによって主人公は社会復帰するのだが、その方法が非常に浅い。しかも、「学校に戻ろう」ではなく「生徒会に戻ろう」である。誰も邪魔しない楽園からまた新たな楽園に移動しただけで、そういうのを社会復帰とは言わない。
 第八話。主人公が道を歩いているとたまたま某重要人物と出会う。もう一度言う。道端でたまたま重要人物と出会う。そして、その人物の力により精神病院に入院していたヒロインの兄が自我を取り戻す。ジーザス! 何と言う奇跡! 安過ぎる! とまぁ、この第二話~第八話の一連の流れは、設定がどうのこうの以前に単純に物語としての質が低い。ギャグも全体的にスベり気味で、敬語キャラが身近に四人もいるなど人物配置も悪い。『Angel Beats!』であれだけ叩かれたのが堪えたのか、設定の齟齬自体は減っているのだが、それで物語の面白さまでも失っては意味がない。クリエイターたる物、あまり世間の目を気にし過ぎてもダメということなのだろう。

・第九話~第十一話


 第九話。この回より怒涛のネタばらしが行われる。これまでのことは全て主人公の兄が仕組んだことだった。彼はタイムリープ能力保持者であり、かつて兄弟共々研究者に捕えられていたのだが、主人公の助けにより施設からの脱走に成功し、その能力を駆使して資金を集め、特別な学校を創立して能力者を研究者の魔の手から救おうとした、ということらしい。ご覧の通り、ここからは単純な設定上の矛盾に加え、「タイムパラドックス」という新たな矛盾まで抱えることになる。本作のタイムリープ能力は、本人の記憶だけを過去の自分に飛ばす能力である。そんな絶対に本人にしか分からないはずの能力をどうやって他人が知り得るのか。他の能力者の密告があったにしても、能力が発動して初めて能力者になるわけで、それだと本人にすら能力が分からないということになる。また、タイムリープで金策という設定も苦しい。ロト6や株だけで、本当に国家権力に対抗できるだけの資金が稼げるのか。それは「未来は変わらない」という前提があって初めて成立する物であり、これから「未来を変えよう」としている彼らの行動と矛盾する。さらに言うと、なぜ学校を作ると能力者を匿えるのかもよく分からない。能力者の存在を世間から隠蔽するためには、徹底した管理教育を施さないといけないはずで、そんな物は逆に不自然極まりない。そもそも、そんな描写自体がない。まぁ、それ以前に敵である研究者とやらの実態がよく分からないので、あらゆる点が想像の域を越えないのだが。
 なお、上記の設定ミスは言ってみれば裏の要素であり、無視しようと思えばギリギリ無視できる物である。しかし、ただ一つ、絶対に無視できない大きなミスも存在する。それが「主人公がタイムリープによって消されたはずの未来の記憶を持っている」ことである。彼はなぜか聴いたことのないはずのバンドの新曲を知っている。それは以前、施設に収容されている時に聴いたことがあったから。しかし、その時間軸は主人公の兄によって消されているのだから、絶対に覚えているはずがないのである。もちろん、いろいろとオカルティックな解釈はできる。タイムリープしたら全ての人類の記憶が受け継がれるのだが、明確に覚えているのは主人公兄弟だけという設定なのかもしれない。だが、大事なのは、それがストーリー上の極めて重要な「伏線」であることだ。伏線と言うからには、誰が見ても一目で理解できるような分かり易い物でなければ意味がない。そうでないとただのミスリードになってしまう。それはもうSF作家としてのセンスの問題だ。もし、これが新人文学賞なら、あらすじ読みの段階で跳ねられるような稚拙なプロットである。作っている人達は誰もこれをおかしいと思わなかったのだろうか、本当に不思議でならない。

・第十二話~第十三話


 第十二話。この回からいきなり話が世界規模に飛躍する。主人公達のような能力者は日本だけではなく世界中に存在する。彼らの力をテロリストが利用したら世界は破滅する。だから、主人公達がどうにかしないといけない、と……いや、まぁ、確かにそうですが。ただ、主人公達の当面の敵は、能力者を人体実験の材料にしている日本の研究者だったはずだ。そこに対する反撃を何もしないまま、唐突に目標を切り替えられても反応に困る。そもそも、物語における「敵」とは、ただ単なるストーリー上の障害物ではなく、その作品の目的やテーマが具現化した物である。だからこそ、主人公以上に丁重に扱わなければならない。本作の作者には、そういった基本的な国語能力が欠けているため、終始不安定で落ち着きのない作品になるのである。
 さて、我らが主人公達は、崩壊寸前の世界を、いや、作品を救うためにどうしたか。彼らの選んだ方法は、何と「主人公が世界を飛び回り、全ての能力者から力を奪う」という物だった。この面白さをお分かり頂けるだろうか。要するに、彼らがやろうとしていることは「破綻した設定の後始末」である。土台の計算が狂っているため、このまま突き進むといつか必ず破滅する。しかし、何らかの大きなイベント(例:彗星をミサイルで爆破)を起こして無理やり問題を解決したところで「超展開」の誹りを免れない。ならば、一つずつ細かい穴を潰していくしかない。そういった極めて人海戦術的で「地道」な作業をやろうというのである。もう、アホかと。先程の違法建築の例で言うなら、設計ミスで強度不足が明らかになった巨大建造物の一万本の柱を、一つ一つ耐震補強していくような物だ。どう考えても、最初から作り直した方が早い。
 最終回。自分の足で世界中を飛び回り、一人ずつ能力者から力を奪っていく主人公。地球の陸地面積は約一億五千万平方キロ。国の数は約二百。総人口は約七十億人。まさに砂漠で一本の針を探すような行為。数年後、ついに使命を果たした彼は、自分が誰か分からないぐらいボロボロになって日本に帰ってくる。そこでヒロインと再会する。感動の対面。どこからか流れてくる美しい挿入歌。告白するヒロイン。そして、爆笑する視聴者。はっきり言って、このシーンは長いアニメ史の中でも十指に入るほど面白い。いや、笑ってはいけない。そこにいるのは、自分の身を犠牲にしてまでストーリーが破綻するのを守った真の漢の姿だ。称賛と労いの言葉で迎えてあげようではないか。決して「自業自得だろ」と言ってはならないのである。
 ちなみに、この第十三話は1クールのアニメの最終回として見るとゴミクズだが、それ単体の作品として見ると、実に痛快なサイキックアクションムービーである。P.A.WORKSは、この回だけを1クールに分けて放送すべきだったのだ。タイトルは『Charlotte』のままでいい。どうせ内容とは何の関係もないのだから。

・総論


 『Angel Beats!』が『CASSHERN』だとするなら、この『Charlotte』はまさに『GOEMON』。これからも稀代のクソアニメメーカーとして頑張って下さい。

星:★★★★★★★★(-8個)
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