『血界戦線』

蚊帳の外。

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血界戦線とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。内藤泰弘著の漫画『血界戦線』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は松本理恵。アニメーション制作はボンズ。現世と異界が結ばれた街「ヘルサレムズ・ロット」を舞台にして、世界の命運を占う力を持った少年が活躍するファンタジーアクション。物語前半は原作準拠、後半はアニメオリジナル展開となっている。春アニメだが、制作の遅れにより最終話だけは十五分拡大バージョンとして半年後の秋に放送された。

・設定


 そこは、かつてニューヨークと呼ばれていた大都市「ヘルサレムズ・ロット」。三年前、突如として現世と異界を結ぶ門が開く「大崩落」が起き、異形の怪物が大挙して街に押し寄せた。街は白い霧に覆われ、外部からの侵入は極めて困難。当初は大混乱に陥るも、術士と呼ばれる異能集団の力で門に結界が築かれると、次第に落ち着きを取り戻していった。今では人間と化け物が共存する「異常が日常」の暴力的かつ刺激的な楽しい街になっていた。一方、主人公は半年前にこの街へとやってきた記者見習いの少年。とある事情により、妹の身と引き換えに「神々の義眼」と呼ばれる世界の未来さえも左右する特殊能力を身に付けていた。ある日、彼はふとした手違いにより超人秘密結社「ライブラ」にスカウトされる。そこは世界各地より特殊能力を持った者が集まり、街の治安を、いや、世界の均衡を守るために暗躍していた。そして、神々の義眼の力が認められて結社の正式メンバーとなった主人公も、彼らと共に世界平和のために戦うのだった。
 こんがらがってるなぁ。アクションがメインなんだから、もう少し設定をすっきりさせないと。まず、秘密結社の目的は何か、それは「街の秩序を守ること」である。だとすれば、わざわざ秘密の民間団体にする必要はなく、『攻殻機動隊』の公安9課のような公的機関で何も問題がない。むしろ、その方が感情移入し易い。もし、民間にこだわるなら、なぜ彼らは命懸けで街を守ろうとするのかを明示しなければならないし、この異常な街の秩序は本当に守る価値があるのかどうかも定義しなければならないだろう。例えば、前者に関しては少なくともアニメ本編中では何も描かれない。彼らのモチベーションはあくまで己の正義感だけだし、どこから活動資金が出ているのかもよく分からない。一方、後者だが、もちろん異界からの侵略を防がなければ世界が滅亡してしまうという理屈はあっても、それが直接的に街を守る動機にはならない。現世と異界が共存する特殊な街の良さを十分に描いて初めて街を守る理由付けになる。
 そもそも、この秘密結社は何なのか。劇中の説明によると、どうやら大崩落が起こるずっと以前から地球上に存在し、世界の平和を影で支えていたようだ。メンバーが全員、特殊能力保持者なのは、そういった化け物退治を生業としている人々を集めたから。そして、異変が起こったことで活動場所をヘルサレムズ・ロットに移転したということらしい。いや、それはどうなのか。元々、彼らは地球の影の支配者だったんだよと言われて良い気分になる視聴者は少ないだろう。彼らの特殊能力にしても、特殊な血筋の生まれだからでは一般庶民は納得できない。せっかく、大崩落という一大イベントを起こしたのだから、その影響で普通の人が能力を身に付けたとした方が夢や希望があるだろう。どうも、本作は娯楽作品としての本質をどこかに忘れているような気がしてならない。

・主人公


 そして、主人公だ。元々、彼は自分の力の正体を知るために超人秘密結社を探していた。それは世界の均衡を守っている彼らなら何か分かるだろうと考えたからだ。半年後、奇跡的な人違いにより当の秘密結社からスカウトされるのだが、主人公はその状況を利用して、言い換えると世界を支配する超人秘密結社を「騙して」潜り込もうとする。何とも大胆不敵と言うか、後先考えない馬鹿と言うか、アニメの主人公には珍しい腹黒で行動的なタイプである。ただ、ここで重要なのは、彼の目的はあくまで自分の力の正体を知ることであって、秘密結社の目的である世界平和には興味がないということだ。そのため、結社の正式メンバーに選ばれてからの彼の行動が完全に宙に浮いている。平和維持の活動を積極的に行うこともなく、神々の義眼に対する調査を行うこともない。また、上司の命令で使いっ走りのような仕事をすることすらほとんどない。普通にダラダラと日常生活を過ごしながら、義眼の力が必要になれば呼ばれるといった形だ。これは物語の主人公として正しい在り方なのだろうか? 一時期、巻き込まれ型やれやれ系の主人公が流行ったが、本作はそれよりも酷い「指示待ち系」の主人公である。腹黒なら腹黒でいい。世界平和を守る振りをしながら、自分の目的を果たそうとする主人公でもいい。少なくとも、何の主体性もなくただ秘密結社に所属しているだけの社内ニートな人間より余程ましだ。
 それとは別の問題もある。主人公の特殊能力である神々の義眼は、要するに魔法の力で物事の本質を見抜く能力である。当然、攻撃力はなく、戦闘にはほとんど使えない。すると、どうなるか。本作の特徴はスタイリッシュなアクションシーンなのに、肝心の主人公がそれに一切参加できないということになる。実際、派手な必殺技を駆使して異形の怪物と戦うのは、秘密結社のメンバー達である。特に、結社のリーダーは皆が憧れるかっこいい大人として描かれ、肉弾戦に頭脳戦にと大活躍する。いや、それもどうなのか。視聴者は何の活動をしているのかさえ分からない秘密結社にそれほど思い入れはない。メンバーとも面識がなく、彼らの素性は全く分からない。そんな人々がどれほどの活躍をしようと結局は蚊帳の外である。それなら、他のアニメによくあるように、それぞれの登場人物にスポットライトを当てた紹介回を作って馴染みを持たせるべきではないか。もしくは、主人公が彼らの義侠心に感銘を受け、何とか彼らに近付こうと努力することで正義のヒーローに親近感を持たせるべきではないか。少なくともアニメ版では、主人公が主人公らしい活躍をしないため、大いに不満が残る。

・スタイリッシュ


 さて、本作の特徴はスタイリッシュなアクションシーンだと上に書いた。おそらく、その評価は間違っていないだろうが、では、「スタイリッシュなアクションとは何か?」と問われると答えに窮してしまう。あまり勢い任せで適当なことを書く物ではない。こういう時は慌てず騒がず、逆説的に「スタリッシュではないアクションとは何か?」を考えてみるに限る。そうすると、何となく奥深いことを論じているように見せられるのでオススメである。
 さて、スタリッシュではないアクションと言うと、例えば、とにかく弱い、ミスが多い、戦術がない、ゴリ押し、戦い方が泥臭い、感情剥き出しで暑苦しい、常に余裕がない、すぐに弱音を吐く、戦闘に時間がかかる、演出がダサい、必殺技の名前が酷い、チームワークや役割分担が曖昧、動きに無駄が多い、全てにおいて洗練されていない、といったところが思い浮かぶだろう。これらをまとめると「子供っぽい」という結論が導き出される。なるほど、いわゆる少年漫画的な努力・友情・勝利の戦闘をスタイリッシュとは称しない。だとすると、それをひっくり返した「大人っぽい」戦闘こそが、スタイリッシュなアクションということになる。おそらく、少年漫画風のバトルでは物足りなくなった人が、そのアンチテーゼとして大人の鑑賞にも耐えられるバトルを定義しようと行き着いた先がスタイリッシュということなのだろう。
 では、本作はちゃんと大人向けの戦闘シーンになっているのだろうか。確かに、それを目指そうとした痕跡は随所に見られる。キャラクターが各分野のスペシャリストで、これという欠点もなく動きに一切の無駄がない。組織がしっかりと構築され、チームワークが取れている。演出もおしゃれで、重要なシーンにクラシック音楽を使うなど細かいポイントにもこだわっている。本作のコンセプトである「技名を叫んでから殴る漫画」にしても、余計な血を流さず一撃で仕留める大人らしさという意味なのだろう。ただ、肝心の脚本がそれに追い付いていない。例えば、第三話は、結社のリーダーが情報入手のために異界の王とチェスのようなゲームで勝負するという話だが、なぜ勝負するのか、負けるとどうなるのかといった条件が整理されておらず、そのせいで何の緊張感もない頭脳バトルになってしまっている。必殺技にしても、それを使わなければならない必然性がないため、無理やりコンセプトを守っているようにしか見えない。結局、体裁だけを繕っても中身がなければ真の大人にはなれないということなのだろう。

・ストーリー


 本作のストーリーは、基本的に現世と異界が混じり合う街「ヘルサレムズ・ロット」の秩序を守ろうとする主人公達とそれを壊そうとする敵との戦いがメインになる。王道中の王道の展開である。ただ、その敵の詳細や目的がいちまち釈然としない。街を破壊することのメリットがあまり感じられず、極めて個人的な感情で動いているようにしか見えないため、物語的な盛り上がりはあまりない。例えば、異界の政治に穏健派と急進派がいて、その内部対立に主人公達が巻き込まれたなどといった組織的な問題にしておけば、もっと街を守ることに対する必然性が生まれただろう。第一話からずっと続いている設定と舞台が上手く噛み合っていないという問題は、このようにストーリー面にも大きく影を落としている。
 物語の後半、ラスボスとして主人公の前に立ちはだかるのはアニメオリジナルキャラクターの少年である。元々は心優しい人間だったが、大崩落の際に主人公と同じ経緯で妹の命と引き換えに「絶望王」という悪しき存在を身に宿してしまったことで、性格が一変する。その結果、彼は妹のいない世界に絶望し、現世と異界の門を開いて第二次大崩落を引き起こそうと画策する。傍迷惑な話である。上述の通り、完全なる個人的感情のため、やっていることは大きいがスケールは小さい。当然、そんな彼との戦いは非常にセンチメンタルになる。少年は事あるごとに壮大なクラシック音楽をバックにして思春期らしい自分語りを繰り返し、己の不幸をアピールする。一方、主人公は仲間との友情パワーで血路を開き、少年に対して熱い説教を解き放つ。そして、主人公が大声で感情を爆発させると、何が何だか分からない内に少年が改心して世界に平和が戻る。何とも臭い、いや、青春を感じさせるエピソードだ。一体全体、大人らしいスタイリッシュなアクションはどこへ行ってしまったのか。
 こういったナイーブな展開を好む層が一定数いるのは事実なので、そのこと自体は否定しない。ただ、本作の結末に万人の心を動かす魅力があるかと問われると、その答えは否である。理由は簡単だ。結局のところ、ロジックが足りないからである。例えば、主人公の特殊能力である神々の義眼、これがストーリーにどう係ってくるのかと言うと、残念ながら特にない。精々、門の結界の場所を探すために少年が必要としたという程度で、別に主人公がいなくとも話は回る。だが、本来なら、それは少年の本心を解き放ち、世界崩壊を防ぐ最重要ギミックでなければならないはずだ。物語は第一話からコツコツと積み上げてきた物が最後の最後に開花するからこそ人の心を動かす物なのに、その作業を怠って全て感情論で収めようとしても無理がある。大人のかっこよさ、その言葉の意味をもう一度自分自身の胸に聞いてみる必要があるだろう。

・総論


 とにかく、全体的にゴチャゴチャして何がやりたいのかよく分からない作品。おそらく、本作の声優陣は、自分のキャラクターが今何をやっているのかも理解しないまま役を演じているのだろう。もう少しシンプルなアクションムービーでも良かったのではないだろうか。

星:☆☆☆☆(4個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:51 |  ☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑

『神さまのいない日曜日』

軽い。

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神さまのいない日曜日 - Wikipedia
神さまのいない日曜日とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。入江君人著のライトノベル『神さまのいない日曜日』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は熊澤祐嗣。アニメーション制作はMADHOUSE。人が死ななくなった世界において、唯一死者を成仏させられる「墓守」の主人公を描いた終末系ファンタジー。

・設定


 ここは神に見捨てられた世界。十五年前より人は死ななくなり、同時に新しい命が生まれなくなった。世界は死者で溢れ、暴力と絶望が支配した。彼らを成仏させる方法はただ一つ、「墓守」と呼ばれる特別な人間が墓穴を掘って埋葬すること。主人公はその墓守として生まれた十二歳の少女。七歳の頃に同じく墓守だった母を亡くした後、人口四十七人の小さな村で育てられた。ある日、そこへ一人の男がやってくる。不老不死という特殊能力を持つ彼は、突然、村人全員を殺害するという暴挙に出る。実は、村人はとっくの昔に死んでおり、主人公はそれを知らずに育てられたのだった。主人公は怒りと悲しみを内に秘めたまま、男と一緒に旅立つ。それが運命の出会いとは分からずに……。
 と言った感じで、ツッコミどころは大量にあるが、それなりに面白そうな設定の作品である。ただし、面白いのは初期設定だけである。どんなに舞台が豪華であっても、その上で演技を行う俳優の行動が頓珍漢では、物語としての面白さは発生しない。まず、本作序盤のストーリーの最大の肝は何か。それは、墓守の主人公を育てた村人達が全員すでに死んでいたという衝撃の事実、そして、そんな彼らを埋葬しなければならない主人公の哀しみであろう。だが、本作はそういった複雑な心理はほとんど描かれない。もちろん、言葉としては何やかんやと口にするが、それが行動として全く現れない。国語のテストではないが、主人公の気持ちになって考えてみよう。今まで自分を育ててくれた村の人々とは別れたくない。自分が埋葬しなければ、たとえ死者であってもずっと一緒に暮らしていける。だが、母から受け継いだ墓守としての役割を果たさなければならない。その葛藤、とてもじゃないが十二歳の少女に導き出せる結論ではない。だが、本作の主人公は極めてあっさりと村人を始末する。そして、なぜか敵であるはずの男と一緒に旅に出る。もう支離滅裂というレベルではない。こういったストーリーにするなら、主人公は墓守や世界の仕組みを知らずに村人を埋葬し、彼らの仇を討つために男を追いかけた後、男の口から「人が死なない世界」の真実を知ったという流れにしないといけないだろう。
 このように、本作の登場人物は本来あるべき行動を取ろうとしない。では、どうやって物語を進めるのかと言うと、この手のC級ファンタジーにありがちな「設定の追加」である。超常現象がデフォルトな世界をいいことに、次から次へと都合の良い設定を継ぎ足していくことで、何となく話が進んでいるように見せかける。最終的には、何のロジックもなく奇跡的なことが起こってハッピーエンドを迎える。ただ、本作の愚かなところは、自分で作った設定が物語の足を引っ張っていることである。第三話のラスト、男が幸せに包まれながら息を引き取るのだが、その直後、初期設定に倣って彼は死者として「生き返る」。何と面白いギャグドラマであろうか。

・生と死


 本作の設定は「人が死なない世界」である。当然、生と死が大きな作品テーマとなっている。では、人が死なない世界とは一体どういった状態だろうか? その問いに答えたいのは山々なのだが、解答を導き出すための情報が少な過ぎるせいで「よく分からない」としか答え様がない。一言で死なないと言っても不老不死とは違う。当然、肉体に何らかの大きなダメージが発生すれば身体機能が停止する。寿命もある。ただ、どうやら生命を司る魂のような物が死後も肉体に宿り続けるという設定らしく、肉体は死んでいるのに心は生き続ける。そして、死者となった人間がどうなるか、これがまた情報不足でよく分からないのだが、どうやら肉体の腐敗も再生もなく、死んだ時の状態のまま永遠に生き続けるらしい。この時点で完全に科学の領域を超えているので、何らかの魔法的な力が働いているのだろう。だが、死者が普通に食事などの生命活動をしているシーンもあり、生者と死者の外見上の違いはないので、見た目だけでは全く分からない。中には自分が死者だと気付いていない者もいるらしい。こうなると、死者であることのデメリットは何もなく、むしろ生者の方が生物的に弱い立場になるはずだ。ただ、たとえ死者でも肉体が完全に破壊されるともう復活できないらしい。意味が分からない。それなら墓守などいらないではないか。どうなっているんだ、この世界は。
 一方、精神面はどうなのだろうか。劇中の説明によると、死者は時間が経過するごとに生存本能が強くなり、獣のように「わがまま」になるらしい。彼らは埋葬されたくないという想いから墓守を目の敵にし、見付け次第抹殺しようとする。いや、それはどうなのか? 死者は仏教風に言うと六道輪廻から解脱した存在である。ならば、欲望を失って植物のように穏やかな存在になるのではないだろうか。とは言え、生者にとって死者は忌むべき存在なのは変わりないので、生者はそんな死者に対する恐怖心から生への渇望が湧き上がり、よりエゴを強化させて獣のようになるだろう。この世に暴力を運ぶのは死者ではなく生者である。もっとも、それも最初の頃だけで、死者の数が増えて存在が当たり前になると、ほとんどの生者が生への興味を失って、死者と変わらない状態になると思われる。本作の舞台である大異変から十五年後という時期は、ちょうどその過渡期に当たるのではないだろうか。そう考えると、本作の基本的な設定はよくできているということになる。後はその設定を活かした物語作りができるか否かだ。

・ロードムービー


 第四話以降は、主人公達ご一行様が車を旅をしながら、世界各地の街を巡るというロードムービー風の物語になる。その街はそれぞれ他にない特徴を持っており、街自体が物語の主役になる。ライトノベル好きなら、同様のコンセプトを有した作品『キノの旅』を想像してもらえると分かり易い。違うのは、主人公が孤高を望む人間か「世界を救いたい」という野心に溢れている人間かといった点である。
 最初に訪れたのは「死者しか住んでいない国」である。生者に迫害された死者達が安息の地を求めて自ら建設した国だったのだが、次第にその噂を聞き付けた生者が世界中から集まり、自ら命を落として住民になろうとしていた。その行為に加担していたのは、人の命を奪う力を持った国の姫。だが、彼女はその行為の意味するところを知らなかった。そこでお節介な主人公が真実を知らせようと奮闘するという話だが……この概要だけでも分かる通り、主人公の墓守設定がストーリーに何一つ関係しない。主人公の動機はただの感情論だし、なぜ生者が死を選ぶのかにも言及していない。ただ単に特殊な国の事情を描いただけで終わっている。ついでに言うと、魔女と人造人間設定は何のために出てきたのかさえ分からない。とりあえず思い付いた設定を適当に入れてみるのはやめて欲しい。
 続いて訪れたのは「特殊能力を持った子供達が強制的に隔離された学園」である。この世界は、神の「優しさ」によって強く願えば望みが叶ってしまう世界になっており、各地に異能力者が誕生していた。主人公も墓守ということで学園に捕えられる。もう、死者も生者もどうでもいい。しかも、その学園、隔離施設のくせに異常なほど警備が甘く、主人公達は呆気なく脱出に成功する。追っ手も教師一人だけというふがいなさ。設定的にも物語的にも、何をやりたいのかさっぱり分からない。なお、この後は別の墓守がマタニティブルーになるという意味不明な展開に続くが、観念的なことをペラペラと語るだけで何のお話にもなっていない。
 最後に訪れたのは「一年ごとにループし続ける教室」である。最早、街ですらない。主人公達は生還の可能性が低いことを承知で、閉じ込められた人々を救出するためにその空間へ足を踏み入れる。お節介にも程がある。そして、主人公が当たり前のように転校生としてクラスに加入するなど、とんでもなく質の低い学園ファンタジーを続けた後、主人公と一緒に空間へ入った人物が自らの秘密を告白したことでループが終了して生還する。最初の時点で告白していれば、そもそもループは発生しなかったのでは? と言うか、人が死ななくなった暴力と絶望が支配する世界はどこに行ったんだよ。この作品でやる必要がどこにある。ちなみに、主人公が墓守としてのお役目を果たしたのは、旅立ちの村だけである。

・二次創作


 ここでもう一度、「墓守」とは何かを考えてみよう。この世界では、墓守が墓穴を掘って埋葬することで、初めて死者が成仏できるという設定になっている。逆に言うと、墓守が手を下さない限り、死者は永遠にこの世に留まり続ける。それは一体どういうことを意味するのだろうか。これまで人が死んで天国に行くのは自然の摂理、言い換えると「神の所業」だったわけである。だが、この世界ではその役割を墓守が担っている。墓守には人の生とは何かを決定付ける重大な権利が与えられており、それは世界を構築するシステムを根本的に組み替えることである。つまり、「神の代行」を果たしているわけだ。中には成仏したくない死者もいるだろう。死者を成仏させたくない生者もいるだろう。墓守はそういった人々を自らの判断で選別しなければならない。その重責、一人の人間が抱えられるレベルを遥かに超えている。だが、逃げるわけには行かない。なぜなら、墓守が自分の役割を投げ出せば、世界は死者で溢れてしまうのだから。
 このように、墓守とは本作における神の如き存在である。生と死の境界線を直視し続け、常に人の生とは何かを考えなければならない。苦しい仕事だが他に代わりはいない。ところが、上述の通り、本作中で墓守が本来の役割を果たすことはほとんどない。物語が後半へ進むにつれ、墓守どころか生と死の問題さえも薄れていく。それはどういうことか。要するに、同じく神の如き存在である本作の作者が、墓守という重大な役割から「逃げた」ということである。自分で設定を作っておきながら、死を司るという重責に耐えられずに放棄した。そして、その作者が何をしたかと言うと、「強く願えば望みが叶う世界」という都合の良い設定だけを利用して、「死者しか住んでいない国」「特殊能力を持った子供達が強制的に隔離された学園」「一年ごとにループし続ける教室」といった他のアニメやゲームで飽きるほど繰り返された定番のネタを流用することである。そんな話はこの特殊設定を使わずとも幾らでもできる。仮にこの設定でやるなら、墓守の主人公を上手くストーリーに絡めなければ何も意味がない。
 これはもう一言で言うと、クリエイターとしての素養の問題である。設定を作るだけなら誰でもできる。中学生でもできる。だが、その設定を活かした物語作りを行うなら、それなりに優れた作劇能力が必要になる。もし、その能力の穴を他作品からの流用で埋めようというなら、それはただの「二次創作」に過ぎない。いくら同人文化や動画投稿サイトの興盛でプロと素人の境い目が薄くなっているとは言え、あまりにも世の中をなめ過ぎだろう。かつて、『けいおん!』の主人公は「軽音楽って軽い音楽のことだと思っていた」と言っていたが、ライトノベルのライトも手軽とか読み易いという意味であって、決して「軽い」という意味ではないはずだ。

・総論


 なぜ、ライトノベル原作アニメは駄作の宝庫なのか、それがよく分かる作品。遊びでやってるんじゃないんだからさぁ、もう少し何とかならないのだろうか。

星:★★★★★★(ー6個)
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by animentary  at 10:59 |  ★★★★★★ |   |   |  page top ↑
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