『魔法戦争』

町内運動会。

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・はじめに


 2014年。スズキヒサシ著のライトノベル『魔法戦争』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は佐藤雄三。アニメーション制作はマッドハウス。魔法使い同士の戦争に巻き込まれてしまった主人公の数奇な運命を描いたファンタジー学園ドラマ。最終回のシナリオを書いた脚本家が、その実際の放送を見て驚きのツイートをするという事件が起こった。つまり……どういうことだ?

・幼稚


 ある日、高校生の主人公は放課後の学校で気絶したヒロインと出会う。やがて、彼女が目覚めた時、ひょんなことから二人はキスしてしまう。思わぬハプニングに慌てふためく主人公。こう書くとありがちなラブコメのオープニングのように思えるが、ここに一つの大きな問題がある。なぜなら、普通の人間はキスしたことではなく、彼女が手にしている物騒な拳銃の方に慌てふためくはずだからだ。
 いや、もしかしたら多感な男子高校生にとっては、目の前で硝煙を上げる銃口よりもファーストキスの方が重要なのかもしれない。だが、その直後、物騒な大剣を持って襲いかかってきた敵に対して、主人公が竹刀一本で勇猛果敢に立ち向かったことにより、彼は純情な少年なのではなく、ただ単に危機管理能力が著しく欠落した馬鹿な子供なのだということが分かる。普通の人間なら竹刀では真剣に勝てないことぐらい分かる。剣道の心得があるなら尚更だ。だから、身の危険を覚えて動揺し、何とかその場から逃げ出そうとする。確かに、それはヒーローらしくないカッコ悪さだが、勇敢であることと無謀であることは違う。例えば、五歳ぐらいの子供は平気で道路に飛び出したりするが、彼は精神年齢がその程度で止まっているのだ。そういった主人公が当たり前のように存在できる作品は非常に「幼稚」であり、大人の鑑賞に耐えられる物ではない。
 何度も書いていることだが、「子供向け」と「幼稚」は全く違う概念である。ジブリ映画は子供向けだが、幼稚とは誰も言わない(『ゲド戦記』は除く)。なぜなら、設定も脚本も十分に練り込まれ、キャラクターの行動に論理性と一貫性があるからだ。一方、本作の場合は、全体の整合性やバランスを深く考えず、作者の思うカッコ良さをとりあえず詰め込んでいる。すると、主人公の性格が場面場面によって変化するという異常性を引き起こす。また、平凡な主人公が特に理由もなく重要人物扱いになったりもする。創作の本質はキャラクターだ。親しみのある魅力的なキャラクターがどう行動するか、それが全てである。申し訳ないが、本作の主人公に自分の分身としての役割を与えることは難しい、第一話冒頭のほんの短い時間でそれが判断できてしまう。

・設定


 本作は稀代のクソアニメである。ただ、中心のストーリー自体はそれほど酷くない。酷いのは作品全体に細かく散らばっている設定や脚本のミスである。そのため、作品に対する評論が非常に書き辛い物になっている。なぜなら、悪い点を全て書き出すと、それだけで膨大な量になってしまうからだ。そこで、本項では三つの大きなポイントに絞って見て行きたいと思う。
 まずは設定である。本作は、魔法使いの一族が人間社会に隠れて暮らしており、地位向上を掲げた急進派と現状維持の穏健派が激しくいがみ合っているという『ハリー・ポッター』シリーズとよく似た世界観を採用している。十六年前、そんな両者の間で魔法大戦が勃発し、世界は物理的に二つに分断された。主人公達の住む現存世界には魔法で戦いができぬように「ギフト」という名の結界が張られ、もう一つの崩壊世界で戦争が継続された。そんなある日、ヒロインの不注意で魔法使いになってしまった主人公達は、崩壊世界にある魔法学院への入学を薦められる。魔法学院は双方にとって利用価値があるため、戦時下でも安全なのだ。兄を助けるために一人で戦い続けるヒロインの境遇に同情した主人公は、魔法学院への転校を決意する。そこで一人前の魔法使いになるための厳しい教育を受けるのだった。
 十六年間も戦い続けられるほどの戦力は両者にないだろう。戦闘行為を禁止するという(作者にとって)都合良過ぎる結界が張れるぐらい強大な魔法力があるなら、戦争自体を止められるだろう。何で世界規模の話なのに全てが東京都内で完結するんだよ。何で最前線の魔法学院に日本人しかいないんだよ。魔法学院が安全だって主張はただの主観だろう。そもそも、崩壊世界にないじゃねーかよ。主人公が転校を決めた理由は、殺伐とした家を出たかったからじゃないのかよ……等々、ツッコミどころは幾らでもあるのだが、それらは所詮、些細なミスに過ぎない。一番の問題は「戦争」についての考え方である。大規模な衝突がないとは言え、今は間違いなく「戦時中」であり、仲間が次々と命を落としているはずなのに、画面にまるで緊張感がない。かつての日本を見れば分かる通り、いくらそこが安全地帯であっても、すぐ隣で戦争が行われているなら日常生活に何らかの大きな影響が出るはずだ。それがないということは、戦争とは名ばかりの「戦争ごっこ」を延々と続けているということである。その証拠に、後日、ギフトが破られて現存世界でも戦争が可能になるのだが、ほんの数秒間の戦闘シーンが描かれただけで後は綺麗さっぱり忘れ去られる。まるで暴力団の抗争レベルの話である。魔法戦争が聞いて呆れる。結局、制作者が戦時中という状況を具体的に上手くイメージできないため、描きたくても描けないのだろう。それは非常に情けないことである。

・時間


 ダメな映像作品の特徴の一つに、シーンごとに時間と場所がワープするという物がある。前後のカットが上手く繋がらないせいで状況判断に支障を来たし、最悪の場合、ストーリーが理解できなくなるという残念な状況を生み出す。ただ、それは言っても一分・一時間単位である。一方、本作の場合は一日単位、下手すると一ヶ月単位で時間が飛びまくる。そのため、つい先程描いたことが、次のシーンではもう完全に過去のことになっているという事態が頻発する。
 また、時間が飛ぶということは、その間に描くべきことが何も起こらなかったということである。それは「平和」であることを意味し、戦時中という現状と矛盾する。結果、作品の雰囲気を意図しない物に作り変えてしまう。そもそも、そこまでして時間を飛ばさなければならない理由がよく分からない。例えば、劇中でボスが封印から目覚めるのは六月十五日だと敵の占い師が予言する。すると、回を跨いだ次のシーンではもう六月十五日になっているのである。だったら、最初から予言したその日に目覚めてもいいのではないだろうか? 普通はその間に何らかの事件が起きる物ではないのか? 本作のストーリーは一年にも渡る長い物語だが、こうやって不要な空白時間を削除していけば、一ヶ月程度に短縮できるはずだ。そうすれば、もっと濃密で緊迫した物語になっていただろう。
 なぜ、このようなことになっているか。その理由は至極簡単で、敵味方、双方の陣営に「戦略」がないのである。大規模な戦争において、どのような行程で軍を進め、どのようなスケジュールで兵を展開するか、司令部が事前に協議してアウトラインを定めるのは当然のことだが、本作にはそういった物がどこにも感じられない。現場の兵士が勝手に作戦を決め、勝手に行動に移している。だから、各種のイベントの発生時期が何の規則性もなく飛び飛びになる。そこに組織という物は存在しない。まさに幼稚な戦争ごっこである。上記のギフト破壊にしても、ボスの復活を喜んだ敵の指揮官が復帰祝い代わりに独断で行っている。そんなに簡単に破壊できるなら、十六年前にやれという話である。
 ちなみに、戦略がないなら、当然「戦術」もない。謎の人質交換作戦とか謎の主人公推し作戦とか。捕まえた捕虜を洗脳して人格改造した上で解放するという、どう考えても人道的にアウトなことさえ行っている。指揮官は子供なのか、と思ったら本当に子供だった。そういうところにリアリティを求めていない。

・恋愛


 本作はメインストーリーと並行して男女四人の四角関係が描かれる。キャストは主人公・ヒロイン・主人公の彼女・主人公の弟の四人。その愛憎が複雑に絡み合った人間関係が新たなる悲劇を生む……ということらしいが、まぁ、御多分に漏れず出来が悪い。「なぜ、好きになったのか」や「将来的にどうなりたいのか」が具体的に描かれていないせいで、彼らの考えがいまいち理解し難く、視聴者の感情移入を妨げる。特に酷いのが主人公である。美少女二人に言い寄られているのに、彼は何の感情も示さない。他のギャルゲー主人公のように優柔不断というわけでもなく、『School Days』の伊藤誠のように保身に走っているわけでもない。ひたすら、その場その場で思ったことをそのまま口に出している。結果的に二股のような形になっているが、それが二股であることすら気付いていないようだ。二重人格だと言われたら納得するし、感情のないロボットだと言われても納得する。それぐらい彼の行動には一貫性がなく、人として支持し難い。
 設定自体は深い。主人公の彼女は、かつて暴行を受けたことから男性恐怖症になり、そのトラウマを克服するために幼馴染みの主人公と偽りの恋人関係になった。それを主人公が弄んでいると勘違いした弟が横恋慕し、一方的に恨みを抱く。その結果、兄弟の関係に亀裂が生じ、弟は心を狂わせる。だが、恋愛ドラマで大事なのは設定ではなく、そこから派生する人間の感情の「変化」である。一方、本作のキャラクターの感情は初登場時からずっと変わらない。ヒロインはいつ主人公を好きになったのかさえ分からず、主人公の彼女も当たり前のように主人公を慕っている。主人公の弟に至っては、過去のいざこざの時からすでにサイコパスな性格である。もっと言うと、敵の幹部は全員、弟と同じ性格である。どれだけ引き出しが少ないのか、この作者は。こんなどこかから拾ってきたようなステレオタイプのキャラクターを並べて、複雑な恋愛ドラマをやろうと言うのだから、視聴者も舐められた物である。いや、本当にアニメを愛しているなら、ここは真面目に批判しなければならない場面だろう。恋愛ドラマを何だと思っているのだ。クソアニメうんぬんで看過できるような問題ではない。

・最終回


 以上、誰がどう見てもダメなアニメであり、特に語る価値もない作品である。だが、話はまだ終わらない。なぜなら、そこに最終回が控えているからだ。この回を持って、本作は「作品としてダメ」から「商品としてダメ」に降格する。つまり、金を取ってはいけないレベルということである。
 詳しく書こうとも思わないが、本作は最終回に入るといきなり話が飛ぶ。前回、敵の城に乗り込んだところで終わったはずのに、それらは全てなかったことにされ、突然の新展開へと移行する。そして、いろいろあって主人公が過去に飛ばされたところでいきなり物語が終了する。意味が分からない。さらに、その内容も酷く、自宅玄関前で弟と戦ったかと思うと、何の脈絡もなく空を飛び、なぜか皆が集まって迫力の欠片もない魔法バトルを行い、何だか分からない内に大爆発して終了する。まるで町内運動会である。今までは曲がりなりにも正統派ファンタジーをやろうと試みていたが、最終回はその意志すら見えない。視聴者を馬鹿にするにも程がある。
 一体全体、現場では何が起こっていたのだろうか。その事情を部外者は知りようもないが、どうやら土壇場でストーリー構成に重大な変更があったようだ。きっと無理やりにでも続編に繋げなければならない何らかの大きな力が働いたのだろう。ただ、それにしても、だ。上手く脚本を編集して余計なシーンをカットすれば、ちゃんとストーリーも繋がっていたはずである。なぜ、そんな簡単なことを怠るのか。誰か指摘する人はいなかったのか。結局、2016年9月現在、第二期についての情報は何もない。

・総論


 中学生の黒歴史ノートをそのまま形にしたような物。そういうのは押入れの奥にしまっておこう。

星:★★★★★★★★★★(-10個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:30 |  ★★★★★★★★★★ |   |   |  page top ↑

『境界の彼方』

主役の不在。

公式サイト
境界の彼方 - Wikipedia
境界の彼方とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。鳥居なごむ著のライトノベル『境界の彼方』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は石立太一。アニメーション制作は京都アニメーション。不死身の半妖である少年と妖夢狩りを生業とする少女が偶然出会ったことから始まる学園ファンタジー。『中二病でも恋がしたい!』『Free!』に続く京都アニメーション大賞アニメ化企画第三弾。

・主人公


 本作の主人公は男子高校生。彼には二つの大きな特徴がある。一つは、人間の心の闇が具現化した存在である「妖夢」とのハーフで、どんなに傷付けられても決して死ぬことのない不死身の能力を持っていること。もう一つは、無類の眼鏡フェチで自称「眼鏡美少女のためなら何でもできる変態」であること。ただ、こうやって文字で並べてみると確かに特徴だが、実際の映像を見てみると本当にこれを特徴と言ってしまっていいのかどうか疑問を覚える。
 まず、不死身の件だが、その能力が発揮されたのは物語冒頭だけである。その後は、不死身の肉体が活かされるようなエピソードもなければ、ギャグとして使われることもない。不死身であることが日常生活に支障を来たすこともなく、それについて悩んでいる描写もない。一応、子供の頃に半妖であることをいじめられたというほんの数秒間の回想シーンが挿入されたりするが、そのことが彼の人格形成に影響を与えたという様子は見えない。また、物語の終盤で不死身能力を失うのだが、その前後で彼の性格も行動原理も全く同じである。つまり、作り手も主人公自身もそれを人格的な特徴として認識していないということである。もう一つの眼鏡の件にしても、なぜ眼鏡好きになったのかという理由が描かれないのはまだしも、そのことを平然と公言する歪んだ性格になった理由が分からない。誰彼構わず性癖をオープンにするお調子者かと思えば、冒頭のモノローグでは他人と距離を置きたがる慎重な性格を思わせる。オープンな人間なら、もっとクラスの人気者になっているのではないだろうか。そもそも、彼は主人公とは思えないほど出番が少なく、日常的な光景は全く描かれないため、たまに登場しては眼鏡眼鏡と言っているだけの変な人になってしまっている。これでは、そこら辺にいるモブキャラと何ら変わりない。
 結局、これらは彼のパーソナリティを彩る特徴ではなく、ただの「設定」なのである。そのため、主人公でありながら何の人間的魅力もない空気のような存在になってしまっている。原作は一人称の小説で、物語を進行させるストーリーテラーとしての役割を与えられていたため、こんな彼でも主人公然としていられたが、アニメ化に当たってその役割を剥奪されると何もなくなってしまう。例えば、同制作会社の手がけた『涼宮ハルヒの憂鬱』では、巻き込まれ型主人公のキョンにうざいぐらいにナレーションさせて彼が主役であることを視聴者に認識させていたが、本作でもそういった工夫が必要だったのではないだろうか。

・ヒロイン


 そんな薄っぺらい主人公に対して、ヒロインの方はやたらと充実している。彼女は妖夢退治を生業とする「異界士」の生まれで、強い戦闘能力を持つが、生来の気弱な性格とドジっぷりが災いして、今まで一度も妖夢を退治したことがない。異界士は妖夢の亡骸を売って生計を立てているという設定なので、彼女は常に貧乏である。学食で一番安いかけうどんばかり食べている。性格は内気で引っ込み思案、転校したてという事情もあるが、友達の一人もいない孤独な少女で、趣味はそれを象徴するかのような盆栽。そんな彼女は非常に「可哀想」なので、視聴者の多くは彼女に同情するだろう。特に、孤独というキーワードはアニメファンの心に強く訴えかける物があるはずだ。つまり、彼女は主人公よりも何十倍も主人公的である。視聴者はひたむきに頑張る彼女の姿に自分自身を重ね合わせて、一緒に理不尽な社会を冒険する。彼女が成長すると自分も成長したような気分になれる。ただし、例の如く、彼女は物語の途中で男性主人公に惚れて恋に落ちる。つまり、男性視聴者が男性キャラクターに求愛する状態になるわけで、やはり、根本にあるのは潜在的なホモセクシャルなのであろう。そうでなければ、自分の分身が自分自身を愛でる強烈な自己愛ということになり、どちらにしても普通とは言い難い。
 さて、そんな主人公的ヒロインと比べて明らかに影の薄い本来の主人公だが、第三話や最終話などで自虐的になるヒロインに対して、いきなりキレて上から目線で熱い説教をする。ライトノベル原作アニメでは毎度お馴染みの光景だが、この不可思議な現象についてそろそろ真面目に定義付けした方がいいのではないだろうか。ティーン向け萌えアニメにおいて、影の薄い男性主人公が主人公的ヒロインを説教するという展開が必ず含まれるのは、いわゆるオタクは本質的にダメな自分を叱ってくれる人を欲しているということなのだろう。現実で頼りになる大人が周りにいないから、フィクションの世界にそれを求めるのだ。では、ここで説教している男性主人公は誰なのかという疑問が生じるが、これは当然、自分の中にある父性のイメージ、もっと分かり易く言うと「父親」だと思われる。不要な物を極端に排除する萌えアニメにおいて、自身の生存を脅かす敵の象徴である両親は長期出張などで不在なことが多いが、こういうところで思い出したように顔を出す。そう言えば、本作も母親は登場するが父親は影も形もない。それがこのように形を変えて表出したと考えれば興味深い。

・嘘


 閑話休題。いつも通り、本作のストーリーを簡単に紹介しよう。人間と妖夢のハーフの主人公と妖夢退治が仕事のヒロイン、本来なら敵同士の二人が学校の屋上で偶然に出会ったことから物語が始まる。ヒロインは異界士としての役割に従って主人公を抹殺しようとするが、彼が不死身であること、害のない半妖であることを知って剣を収める。ただ、その後も「妖夢退治の練習台」と称して何度も主人公の命を狙う。しかし、主人公の充実した日常に比べて自分の孤独さに劣等感を覚えたヒロインは、自ら主人公を拒絶するようになる。一方、そんな彼女に興味を持った主人公は積極的にアプローチし、ヒロインも徐々に心を開いて行く。といった感じのストーリーで、徹底的に可哀想なヒロインに同情させるような作りになっている。その「可哀想」が一瞬でも「可愛い」に変換されれば作り手の勝ちだ。正直、方法論としては支持し難いが、さりとて批判することでもない。
 ところが、第十話において全ての真実が解き明かされる。主人公が身に宿している妖夢こそが世界を滅ぼす力を持った最強の妖夢「境界の彼方」であり、ヒロインは最初からそれを退治するためにこの街にやってきたのだと。だから、初期の謎行動は、妖夢退治の練習台という天然ボケの行動ではなく、本気で彼を殺そうとしていた。退治を諦めたのは、自分の孤独さに耐えられなくなったからではなく、敵である主人公に惚れてしまったから……って、いやいやいやいやいやいや! 要するに、彼女は「嘘をついていた」ということである。ヒロインが主人公に対して嘘をつく作品はよくあるが、本作のそれは主役級の役割を持った主人公的ヒロインである。あれだけ孤独で不幸な境遇に同情させておいてこの裏切りはない。この先、彼女の言葉を信じることは不可能である。ただでさえ主人公不在の作品でヒロインまで嘘つき女だったら、視聴者は誰に自分を重ね合わせれば良いのか。
 では、どうすべきだったのか。「ヒロインの真の目的は主人公を殺すこと。しかし、個人的な感情により失敗する」というプロット自体は悪くない。時代劇などにはそういったキャラクターがよく出てくる。だが、それを隠す言い訳が妖夢退治の練習台では苦しいし、ヒロインがこの街に来た理由やそれまで何をしていたかが劇中で触れられない等、伏線の組み立て方にも問題がある。もし、このプロットにこだわるなら、ヒロインには絶対に暗殺を決行させてはならない。命の重みに苛まれて寸前で思い止まり、自分の不甲斐なさを嘆く。そうすることで彼女の不幸をより際立たせる。すなわち、本作に最も不要なのは、命の価値を著しく低下させる主人公の不死身設定である。

・精神世界


 そして、時は流れ、本作は境界の彼方に捕えられたヒロインを主人公が助けに行くという王道のヒロイックファンタジー展開に発展する。ただし、その内実は、何の思い入れのないモブ主人公が嘘つきヒロインを救出するという非常に残念なお話である。さらに残念なのは、そこが主人公の精神世界である点だ。精神世界は夢の空間である。誰にって、当然、作り手にとっての。なぜなら、作り手のやりたいことを全て思うがままに表現できる場所だからだ。実際、主人公は自らの心の弱さが具現化した何かに邪魔され、それを倒すことで心の成長を示すという極めて分かり易い話になる。もう、バナナの皮で転ぶレベルのベタなストーリーである。この主人公が精神世界で自分自身の影と戦い、コンプレックスを乗り越えるという展開は、同脚本家が手がけた『ローゼンメイデン』の最終回と全く同じなのだが、あちらは以前からずっと主人公の心の弱さや闇を描き続けているからこそ意味がある。一方、本作は短い回想シーン自体は存在するが、それ以外はずっと眼鏡眼鏡と言っているわけである。はっきり言って、比べ物にならない。それなら、最初から最後までヒロイン可哀想で貫き通した方が余程ましだ。
 結局、最初から懸念されていた「主役の不在」問題が最後まで足を引っ張るのである。本作は設定もストーリーもなかなかよくできている。途中のどんでん返しも悪くない。だが、それは主人公ではなくヒロインにスポットライトを当て続けるギャルゲー的なテンプレートと致命的に適合していない。ならば、アニメ化に際して、ストーリーかテンプレートのどちらかを変更するのが筋だと思うが、何の考えもなくそのまま制作し、結果的に非常に残念な出来に仕上がっている。なぜ変更できないのか、なぜこう作らざるを得ないのか、という点に深い業を覚える。
 ちなみに、主人公の命と引き換えに死んだはずのヒロインは、ラストシーンでなぜか蘇って主人公の前に現れる。もちろん、そこに論理的な理由など何もない。きっと、精霊会議に頼んで生き返らせてもらったのだろう。アニメ業界の闇は深い。

・総論


 もう、この手のお説教アニメはどうでもいいから、見ていてドキドキするような普通のボーイミーツガール物を視聴したいなぁ。

星:★★★(-3個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:46 |  ★★★ |   |   |  page top ↑
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