『乱歩奇譚 Game of Laplace』

何をやりたいのか?

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乱歩奇譚 game of laplaceとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2015年。オリジナルテレビアニメ作品。全十一話。監督は岸誠二。アニメーション制作はLerche。小林少年と明智探偵のコンビが怪人二十面相に立ち向かう怪奇ミステリー。「江戸川乱歩没後50年作品」と銘打ち、その一連の作品群を原案にしたオリジナルアニメということになっているが、はたしてその真相は如何に。

・深夜アニメ


 深夜アニメの視聴者ターゲットは何か? これは簡単そうに見えて非常に難しい問題である。ご存じの通り、今や小学生から高齢者まで幅広い年齢層が深夜アニメを視聴している。単純に数だけを集計すると、やはり一番多いのは中高生になるはずだが、それでは中高生をメインターゲットにすればいいのかと問われると難しい。DVD等のグッズを販売して制作費を回収するというビジネスモデルになっている以上、財布に余裕のある社会人を対象にしなければ生計が成り立たないからだ。よって、中高生向けを装いつつ、同時に大人も楽しめるという作品に仕上げなければ、群雄割拠の深夜アニメ界では生き残れないだろう。
 さて、本作は、怪人二十面相シリーズでお馴染みの江戸川乱歩の作品群をそんな深夜アニメ風にアレンジした作品である。その結果、どうなったかと言うと、舞台は現代、明智探偵は日本政府公認の天才高校生探偵、小林少年は女性にしか見えない中学生の男の娘、羽柴少年は小林少年に道ならぬ恋をする御曹司、担任教師はフリフリの服に身を包んだ萌えキャラ、影男はロリコンの変態で変装の達人、黒蜥蜴は色狂いのSM女王様、怪人二十面相は革命家気取りの連続殺人犯となる。良く言えばデフォルメだが、要は深夜アニメで何度も使い回されているアバターを流用して乱歩キャラに当てはめただけだ。また、作風はなぜかコメディタッチになり、原案の持つ怪しげな雰囲気などどこにもない。そのコメディにしても、映画風の喜劇でもなければ、少年漫画風のギャグでもない。登場人物が常にボケとツッコミで会話することでストーリーを進めるという深夜アニメ風としか言い様のない独特のノリだ。不自然だし、そもそも大して面白くない。そして、大元の設定は、一つの数式が世界を動かすという陰謀論やらセカイ系やらをごちゃまぜにした純然たる中二病。もし、登場人物の名前が別人だったら、誰も乱歩作品を題材にしているとは気付かないだろう。
 では、本作の視聴者ターゲットは何なのだろう。どう贔屓目に見ても、本作が大人の鑑賞に耐えられるとは思えない。ならば、採算を度外視し、江戸川乱歩を世に広めることだけを目的とした純粋な中高生向けアニメということになるのだろうか? ただ、ここで一つ留意しなければならないのは、江戸川乱歩にはすでに小学生向けにアレンジされた「少年探偵団シリーズ」というレパートリーがあり、それらに比べて本作は明らかに幼稚だということである。そう考えると、本作のコンセプトに疑いの目を向けざるを得ない。一体全体、本作は何をやりたいのだろうか?

・特徴


 本作の最大の特徴、それはいわゆる作劇のセオリーを意図的に避けていることである。ミステリードラマでありながら謎解きのシーンが少なく、雰囲気も無駄に明るい。演劇風の演出やゲーム風の演出を多用する。解説用のギャグキャラだと思っていた人物が実は犯人だったという楽屋オチさえも厭わない。もちろん、人を選ぶが、それ自体は別に悪いことではない。乱歩作品はしばしばセオリーを逸脱する。ただ、脚本までもが作劇のセオリーを無視してしまっては、ちょっと困った事態になってしまう。
 例えば、小林少年は退屈な日常に嫌気が差している時に明智探偵と出会い、裏社会の魅力に引き込まれたという設定になっている。だが、日常に退屈している様子は劇中で全く描かれない。精々、一人で下校するシーンが数秒間描かれる程度だ。こう書くと制作者は必ず反論するだろう。いや、違う。モブキャラをシルエットにすることで少年の孤独な心を表現しているのだ、と。確かにそうかもしれないが、それは後から言われてようやく気付く程度の小さな差異だ。物語は初見で理解できなければ意味がない。何度も何度もリピート再生してくれる心優しい視聴者ばかりではないのだから。そもそも、他人をモブキャラ扱いするほど世間に興味のない人間が、優秀な探偵になれるはずがない。その証拠に、原案の明智小五郎の趣味は「人間の研究」だったではないか。一方、少年が憧れるその明智探偵にしても、本作では何が凄いのかさっぱり分からない。彼が初めて探偵らしい活躍をするのは何と第七話。それまでは自室に閉じ籠もって適当なことを言っているだけで、日本政府公認の天才高校生らしさはどこにも垣間見えない。なぜ、そんな男に小林少年は憧れたのか。探偵なら誰でも良かったのか。結局、小手先の演出にこだわって描くべきシーンを描かないと、こういった根本的な疑問が生じてしまう。
 また、乱歩作品と言えば、人間の心の奥深くに潜む黒く歪んだ感情を白日の下に晒し出す点に特徴がある。では、本作はどうかと言うと、確かに人間の黒い感情は語られる。ただし、それは本人の口からだ。そう、本作の一番の問題点は、登場人物が心情を全て口頭で語ってしまうことである。よく二時間サスペンスドラマで追い詰められた犯人が崖の上で犯行を自供するが、本作はそれをさらにパワーアップさせて、まるで独演会のように長時間ペラペラと自分語りする。第十話などは最初から最後までずっと怪人二十面相のモノローグだ。小説ならともかく、映像作品の脚本としては非常に稚拙であり、評価は厳しい物にならざるを得ない。

・ストーリーその1


 名目上、本作は江戸川乱歩の小説を原案にしたオリジナルアニメということになっている。だが、実際のところはどうかと言うと、共通しているのはサブタイトルとちょっとした小ネタぐらいで、後は似ても似つかぬ物だ。例えば、『人間椅子』というサブタイトルの付いた第一話・第二話で用いられている題材は「人間の死体で作った椅子」である。流行に乗り遅れた田舎の駄菓子屋だろうか。原理主義的な乱歩ファンが聞いたら怒り狂いそうだが、中高生向けの深夜アニメに多くを求めても無駄だ。少年探偵団シリーズを読んでいるかどうかすら怪しい層が視聴者である。
 それでは、本作の中心的なストーリーは何かと言うと、『DEATH NOTE』と『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』を足して何倍にも薄めた物である。すなわち、世の中には法律で裁けない犯罪者が何人も野放しになっている。その悪しき状況を是正するためには、自分自身が「怪人二十面相」となって彼らを成敗し、犯罪の抑止力になるしかない。そうしている内に必ず追従者が自然発生し、二十面相ムーブメントが出来上がるはずだ。というように、明らかに『DEATH NOTE』のキラと『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の笑い男を意識している。それは別にいい。不変不朽のテーマだ。だが、本作はそこに上記の中二病要素をプラスしているせいで、非常に陳腐な物になってしまっている。
 簡単に説明すると、明智探偵と彼の友人は数年前に一つの数式を発明した。カオス理論を用いて作られたその数式は、世界中のあらゆる事象を数値化して予言することができる。そして、友人はその数式が導き出した解答に従って怪人二十面相になり、世界に革命を起こそうとした、という分かるような分からないような話である。いや、嘘を付いても仕方ない。全く分からん。数式の詳細については、劇中で何も描かれない。明智探偵が狂ったようにパソコンのキーボードをタイピングするシーンがあるが、何を入力しているのかは分からない。当然だ。なぜなら、具体的に描こうと思ったら、監督・脚本・演出・作画スタッフ全員がカオス理論を理解していないといけないのだから。もっとも、本当に理解していたら、このような馬鹿げた設定は持ち出さないだろう。聞き齧った知識で世の中全てを分かったつもりになるのが中二病の特徴である。そもそも、元ネタの二作品は、人間の心理上、模倣犯が自然発生するのは当たり前だとしているのに対して、本作はそれだと納得できないから何らかの大きな力が裏で働いているに違いないとしている。どちらが人間の心と真摯に向き合おうとしているかは言うまでもない。

・ストーリーその2


 また、この設定を成立させるためには、我々の住む社会が如何に歪で理不尽であるかを劇中で明確に示さなければならない。一応、本作もそれを試みているのだが、何とテレビニュースというストレートにも程がある演出で表現している。しかも、そこで取り上げられているのは、雇用情勢やらブラック企業やら小学生新聞並みの分かり易いニュースだ。真面目に批判するが、ここで描くべきは現代人が漠然と抱えている「不安感」である。深い哀しみが世界を覆っている。将来がどうなるか分からない。人々の絆が薄れかかっている。そういった得体も知れぬ不安感が具現化して怪人を生み出すのだ。その感情が何一つ伝わって来ない本作は、社会派ドラマとしてあまりにも低レベルである。
 その後、死んだはずの友人が真の怪人二十面相として復活し、明智探偵と衆人環視の中で対決する。実は数式には大きな欠陥があり、このままでは友人か探偵のどちらかが死んでしまう。だが、あくまで数式にこだわる友人は、自ら死ぬことで数式の正しさを証明しようとする。それを阻止する探偵。と、そんな鬼気迫る状況なのだが、肝心の場が一向に盛り上がらない。これも簡単な話で、要は「思想の対立」がないからである。友人は世の中に絶望して自分の手で幕引きをしようとしている。探偵は彼を助けようとしている。それだけだ。ストーリーを盛り上げるためには、怪人二十面相と逆の思想を持った人間を登場させて、真正面からぶつかり合わなければならない。その人間とは、世の中の酷さを十分に理解しているが、自分の生活のため、そして、家族のために感情を捨てて毎日頑張っている人、すなわち「大人」だ。だが、明智探偵は国のお墨付きをもらって、学校にも行かずに悠々自適の生活を過ごしている子供。本来、議論の輪に入る資格のない人間だ。これでは何の説得力もない。実際、劇中でも明智探偵が「根深いんだよ。子供が考えている以上にな、社会ってのは」と語った後、すぐに羽柴少年に「自分だって子供でしょ?」と突っ込まれるシーンがある。ボケとツッコミで会話を進めるのが深夜アニメ、などと言っている場合ではない。
 結局、本作は何をやりたかったのだろうか? 「平凡な日常に退屈していた少年が、怪しげな探偵と出会ったことで裏社会に足を踏み入れる」、この定番のプロットを普通に映像化すればいいだけの話なのに、それを嫌って特殊なことをやろうとした結果、訳の分からない物が出来上がる。それを中高生向けと言い張るのは勝手だが、作り手が中高生レベルでは意味がない。もう一度、江戸川乱歩作品を読み直し、創作の基本に立ち返ってもらいたい物である。

・総論


 深夜アニメの悪いところを集約したような作品。視聴者を心の底から馬鹿にしていなければ作れない作品。それはつまり、江戸川乱歩を馬鹿にしているということ。

星:★★★★★★★★(-8個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 10:14 |  ★★★★★★★★ |   |   |  page top ↑

『僕だけがいない街』

推理ゲーム。

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僕だけがいない街 - Wikipedia
僕だけがいない街とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2016年。三部けい著の漫画『僕だけがいない街』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は伊藤智彦。アニメーション制作はA-1 Pictures。同じ時間を繰り返す「リバイバル」能力を使って過去の誘拐事件を解決しようと奮闘する主人公を描いた悲劇回避型のSFミステリー。CVに職業声優ではない俳優を起用しているが、聞くに堪えないレベルで下手である。

・タイムパラドックス


 SFの世界において長年繰り返されている議題の一つが、タイムパラドックスについてである。すなわち、タイムマシンで過去に行って、そこで何らかの歴史に係るような影響を与えた時、現代は一体どうなってしまうのかである。個人的には大きく三つに分けられると考える。一つ目は、過去を変えると現在まで全て変わってしまうという物。最も一般的な考え方で、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がその代表作として挙げられる。この場合、作品の作り手は「親殺しのタイムパラドックス」などの多くの論理的矛盾と戦わなければならない。二つ目は、過去を変えても何らかの大きな力が働いて結局は同じ現在に辿り着いてしまうという物。映画『ターミネーター』がその代表で、絶望的な未来を救うために現在を改変しようと試みるが、紆余曲折を経て最終的には同じ絶望的な未来に繋がってしまう。つまり、「歴史を変えようとしたこと」それ自体が歴史の一部という考え方だ。この場合、「大きな力」の定義付けが一番困難な作業になるかもしれない。三つ目は、過去に行って歴史を変えた瞬間、パラレルワールドが発生するという物。漫画『ドラゴンボール』のトランクスが一番分かり易いだろう。歴史を変えるために過去へ行ったはいいが、結局、元の未来と新しい未来の二つの時間軸が生まれただけだった。この場合、タイムパラドックスを考慮しなくていいというメリットがあるが、時空の並列化という別のデメリットが生じてしまうため、一長一短である。
 さて、本作もそんなタイムトラベル物の一種であるが、そのスタンスは一つ目と二つ目の複合となっている。つまり、「基本的に歴史は変わらない。もし、大いなる力に逆らって歴史を変えようと思えば、多大な努力が必要になる」という物である。本作の主人公は、残酷な現実を変えるために自ら過去へ向かう。しかし、歴史はそう易々と変わらない。自分の思い通りの未来へ導くためには、複雑に絡まり合った糸をパズルのように一つずつ論理的に解いて行かなければならない。その一連の作業は極めてゲーム的である。ゲーム的というのは、要するにAというスイッチを押せば、Bというゲートが開いて、Cという乗り物が動き出すというように行動と結果が必ず結び付いていることだ。言い換えると、世界を単純化することで、能動的に歴史の改変に係れるようにしたのである。なるほど、本作が人気作品になった理由がよく分かる。

・リバイバル


 本作は殺人事件の犯人を推理するミステリーであるが、非常にSF色が強く、設定がそのままストーリーと直結しているため、簡潔に作品紹介を行うのはなかなか難しい。それゆえ、かなり回りくどい書き方になってしまうが容赦されたし。
 主人公は二十九歳の男性。北海道出身で、今は都内で一人暮らし。ヒーローになりたいという子供の頃からの夢を叶えるため、漫画家になったはいいが、自分の心と向き合うのが怖いという理由により傑作を生み出せず、今はピザ屋のバイトで生計を立てている。そんな彼はなぜか他にない一つの特殊能力を持っていた。それは人の生死に係るような大事件に遭遇すると、その記憶を持ったまま事件の発生地点まで時間が巻き戻るという物。かれはその力を「リバイバル」と呼んでいた。ある日、上京した主人公の母親が誘拐事件を目撃したことで犯人に殺されてしまう。発動するリバイバル能力。すると、主人公が辿り着いたのは十七年前の雪深い北海道だった。どうやら主人公の小学生時代と今回の事件が密接に関係しているらしい。そこで、主人公は事件の謎を解いて母親を助けるために、もう一度人生をやり直すのだった。
 何とも掴みどころのない不思議な能力である。まず、なぜ主人公だけがその能力を保持しているのかの説明が何もない。いつ頃に発現したのかも分からない。世界全体を作り直すほどの力なのだから、個人が後天的に手に入れるにはあまりにも強過ぎる。文字通り、神の如き能力であり、その時点で主人公は普通の人間ではない。確かに、ストーリー的には深く描写する必要のないことだが、「そういう物だから」と納得するしかないのはストレスが溜まる。また、リバイバル先で過去の改変に失敗すると、なぜか主人公は一度現在に戻される。その後、なぜか自分の意志で再びリバイバルを発生させる。その時、彼は何の根拠もなく「これが最後のリバイバルだ」と呟く。と、どう頑張っても論理的に説明しようのない都合の良さを発動させる。我々の大事な歴史をそう粗雑に扱ってもらっては堪らない。
 タイムパラドックス的に言うなら、リバイバルで助けられる人命は極めて主人公に近しい人物だけなのに、歴史自体を改変しても良いのかという問題が挙げられる。先に結論を書くと、リバイバルによって確かに主人公の母親は救われた。だが、その結果、歴史に様々な影響が発生している。もしかすると、生まれるはずの命が生まれなかったかもしれない。そうなると彼は間接的な「殺人」を犯したことになる。それは良いことなのか。いや、良いわけがない。どうやら、彼は神の申し子か、それとも聖人の生まれ変わりか、もしくは悪魔と取引したのだろう。それがSF的な解釈の仕方という奴である。

・欠点


 本作の最大の欠点、それはキャラクター造形が非常に「リアル」なことである。通常、この言い回しは褒め言葉として使われる。本ブログにおいても、キャラクターの言動に現実感が足りないと偉そうに批判することが多い。しかし、本作に限っては、そのリアルさが明らかにシナリオの足を引っ張るという逆転現象が発生している。
 何が問題かと言うと、神の如き能力を保持しているくせに、主人公が極めて「一般人」なのである。いや、同年代の人間と比べると、やや劣っていると言わざるを得ない。独身フリーターの売れない漫画家、いつまでも小さい頃の夢を追いかけているが、自分の心の闇を直視できないせいで、ろくな漫画が描けない。そのため、社会的にも精神的にも未熟で子供っぽい。彼の母親が非常に優秀な人間なので尚更そう見える。もちろん、それ自体は特に悪いことではない。別の作品ならリアルな心理描写だと絶賛されるだろう。しかし、本作の場合、主人公の言動が子供っぽいと、リバイバルして小学校時代へ戻った時に精神と肉体のギャップがほとんどないという致命的な欠陥が発生するのである。彼が誘拐事件を妨害するために取った行動は「孤立している子供と友達になって、誘拐を未然に防ぐ」だった。それが二十九歳の大人が選ぶ解決方法だろうか? そんな物は「経験豊富な大人」がやることではなく、「頭の良い子供」がやることだ。一時的に誘拐を阻止したところで、誘拐犯自体はその土地に残るのだから意味がないことぐらい分かる。もっと根本的な所にメスを入れないと事件は止まらないことも分かる。ちゃんとした大人なら、社会権力をフル活用して効率的に犯人を追い詰めるのではないだろうか。
 なぜ、このようなことになったのかと考えると、制作者が余計な色気を出してしまったせいだろう。何にかと言うと、「主人公の心の成長を描くこと」と「子供同士の友情を描くこと」に対してだ。この二つを本編と同時にやろうとして、一箇所に詰め込み過ぎた結果、ちぐはぐになってしまっている。分かり易く言うと、主人公が馬鹿過ぎてミステリーとしてはひどくつまらないのだ。ここはある程度のリアルさを犠牲にしてでも、もう少し主人公を賢くして、ヒーロー的な活躍をさせるべきではなかったか。それがエンターテインメントのあるべき形だろう。子供の物語を描くなら、わざわざタイムトラベル物にする必要は何もないのだから。

・解決


 第十話。ついに犯人が明らかになる。さすがに、ネタバレになるので詳細は明かさないが、劇中で最も怪しい人間が順当に犯人である。勘の良い人なら第二話か第三話辺りで気が付くはずだ。しかし、普通の一般人である主人公は、その正体に薄々と気付きながらも、当たり前のように犯人の返り討ちに遭う。計略にハマり、車ごと川に沈められる主人公。辛くも一命を取り留めたが、彼は意識不明の重体になり、再び目を覚ましたのは十五年後のことだった。何とも意表を突く展開だが、「子供の体に大人の心」という状態から「大人の体に子供の心」という状態へ逆転したと考えれば興味深い。ただ、アニメ版だとすぐに昔の記憶を取り戻してしまうが……。そして、覚醒したという話を聞きつけて見舞いへ訪れた犯人に、主人公がかつての仲間達と力を合わせて立ち向かうという流れになるのだが、正直、その方法が酷い。主人公が選んだのは、自ら屋上から飛び降りて犯人の目を覚ますというアクロバティックな物だった。もちろん、地面には仲間達が救助マットを敷いているのだが、そんな不確実で危険極まりない方法が本当に上手く行くのだろうか? 結局、犯人は別件の殺人未遂罪で逮捕されるのだが、殺人未遂程度なら実刑になるかは分からないため、このまま野放しになる可能性もある。かつての誘拐事件はすでに時効。これはちょっとお粗末な結末ではないだろうか。時代を超えた難事件の犯人を追い詰める方法としては力不足に思えるし、本作が最も訴えたい仲間との協力関係も弱い。ちなみに、この展開もアニメオリジナルである。
 もっとも、本作はミステリーの中でも、どちらかと言うとサイコサスペンス寄りなので、こういう結末でも許されるのかもしれない。トリックの奇抜さや予想を覆す深い謎よりも、登場人物の心理面の方に重点が置かれているからだ。犯人の目的、それは主人公と同じく自分自身の心の闇と向き合い、足りない何かを埋めることだった。そんな彼は、親子のような、魂の双子のような同質の心の持ち主である主人公と出会ったことで救われる。描写こそないが、きっと取り調べ中に全ての罪を自白したのだろう。一方、主人公も事件を通じて成長し、心理描写に定評のある売れっ子漫画家になる。こうやって並べて見るとよくできた成長物語に思えるが……やはり、どうしても全てにおいて優遇された主人公補正、もしくは主人公贔屓が気になる作品である。

・総論


 非常に優秀な推理ゲームをあまり優秀ではない人間が実況プレイして、その様子を画面越しに見ているかのような感覚。それを「リアリティがある」と判断するかどうかが評価の分かれ目になるのではないだろうか。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
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