『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』

不快。

公式サイト
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - Wikipedia
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。渡航著のライトノベル『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は吉村愛。アニメーション制作はブレインズ・ベース。友達が一人もいない「ぼっち」の男子高校生が、ヒロイン達との交流を通じて成長していく様を描いた青春ラブコメ。略称は「俺ガイル」。やはり「俺」の青春ラブコメはまち「が」って「いる」。「俺ハマチ」じゃダメなのか?

・主人公


 本作の主人公は男子高校生。ネガティブな性格の持ち主で、常に世の中を斜めに見ながら不平不満を口にしている。青春を謳歌しているクラスメイトに対して羨望と侮蔑の感情を同時に持ちつつ、孤高を貫いている。恋人はおろか友達すら一人もおらず、異性とは二年以上話していない。精神発達が未熟で、日常的にネットスラングを連発する。教師にすら「死んだ魚の目をしている」と馬鹿にされる。これらの設定から察するに、『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(以下、ワタモテ)の主人公と似たようなタイプのキャラクターなのだろう。だが、実際に映像を見てみると、両者にはかなりの違いがある。ワタモテの主人公が、コミュケーション能力に難があって人前ではしゃべることすらできなかったのに対し、本作の主人公は教師に対して面前で暴言を吐くなど、能力はあるのにそれを正しく使わない。過去のトラウマこそ大量にあるが、肉体・精神に何らかのコンプレックスを持っているということもなく、ただ自らの意志で他人との間に壁を作っている。要するに、彼はひたすら単純に「性格が悪い」のである。性格が悪いから友達もいない。実に分かり易い。完全に自業自得であり、ここまで同情も共感もできない主人公は珍しい。ただし、こういう性格だから友達がいないのか、友達がいないからこういう性格になったのかは、劇中の描写からは読み取れない。おそらく、卵が先か鶏が先かなのだろうが、視聴者側がそこまで気を遣う必要があるのかと考えると馬鹿らしくなる。
 何にしろ、本作は青春ドラマである以上、主人公の抱える悩みや問題が最終的に解決されれば、それで物語が成立する。だが、その肝心要の彼の悩みが、第一話の段階ではさっぱり見えてこない。本心は別にして、彼は独りぼっちであることを苦にしていないどころか、むしろ誇りに思っている。現状に満足しているため、物語の目標が全く見えない。それはゴールの分からないマラソンを延々と続けるような物だ。ワタモテの主人公が何とか現状を打破しようと失敗を繰り返しながらも一生懸命に頑張っていて、それが彼女の人間的魅力を生んでいるのに比べると、延々と悪態を吐いているだけの本作の主人公の魅力の無さは致命的である。今のままではただの「嫌な奴」であり、そんな人間が将来どうなろうと知ったことではない。それゆえ、正直なところ、この作品には全く興味が湧かない。

・ストーリー


 まぁ、そんなことを言っていると話が進まないので簡単にストーリーを紹介するが、クラスで孤立していた主人公は、見かねた生活指導担当教師から「奉仕部」への入部を薦められる。そこは部員がヒロイン一人だけしかいない潰れかけの部活だった。嫌々ながらも入部することになった主人公は、ヒロインと一緒にボランティア活動に精を出す。こう書くと、典型的なライトノベル原作学園アニメの第一話である。しかし、残念なことに、本作はその典型的な流れすら作れていない。主人公は教師に半ば命令される形で奉仕部に入部するのだが、いつでも辞められる立場でありながら、なぜか毎日そこへ通い続ける。口では嫌だ嫌だと言っているにも関わらずだ。本作はその辺りの心理描写が極めて杜撰で適当である。それ以外にも、なぜ主人公とヒロインが勝負するのかや他の部員が奉仕部に入る理由など分からないことだらけ。青春ドラマになくてはならない気持ちや感情の変化といった物が全く描かれない。最低でも、主人公がヒロインに対して何らかの興味を持ったことだけは、明確なビジュアルにしなければならなかっただろう。
 上記を踏まえて、本作の特徴にして最大の欠点は、映画的なダイナミズムやポップセンスといった物が徹底的に省かれていることである。例えば、第三話では、クラスのリア充グループとテニスで対決するという展開が発生する。ヒエラルキー下位の人間が上位の人間に立ち向かうのだから、これはもう世の中がひっくり返るような重大事件のはずだ。だが、このエピソードは全く盛り上がらない。正確に言うと「盛り上げない」。娯楽作品として当然あるべき誇張や外連味のある演出が何もなく、ただただ淡々と事態が進み、淡々と事態が終結する。その場に正義も悪も存在しないため、何のために対決するのかすらよく分からない。また、第五話では、部員の一人が過去の主人公の交通事故に係っていたというストーリー上の重要情報を、主人公の妹がさらりと口にする。なぜ、このタイミングで? 部員の正体に気付いた妹が恨みを募らせる等、もう少し話の盛り上げ様があるのではないだろうか。
 結局、何が言いたいかと言うと、本作は全てにおいて「日記」的なのである。その日に起こったことを順番に並べて報告しているだけで、何一つ物語になっていない。それを「人間のありのままを描いたネオリアリズムだ!」と主張するのは勝手だが、恐ろしく退屈でつまらないのは否定できない。孤高を望む嫌味な少年という最もヒーローから遠い人間をどうヒーロー的に描くか、この難問に全力で立ち向かうことを放棄した作品が面白くなるはずがないのだ。ネットスラングを声に出したら面白くなると思ったら大間違いだし、心の底から寒い。

・やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。


 改めて、よく意味が分からないタイトルである。これが『やはり俺の人生はまちがっている。』なら理解できる。もしくは、『やはり俺の恋はまちがっている。』でも少し日本語はおかしいが理解できないことはない。だが、本作は対象を「青春ラブコメ」と限定しているせいで実に珍妙なことになってしまっている。ラブコメとは「複数人の恋愛を面白おかしく描いた喜劇」のことである。悪い意味ではないが、真剣に恋愛を描いた純愛ドラマとは正反対に位置する。すなわち、この主人公は自分の恋愛を面白い喜劇だと称した上で、予想通りセオリーから外れていると冷笑しているのである。何なのだろうか、この神の如き上から目線は。恋愛は一人ではできない。かならず相手が必要だ。つまり、自分の恋愛を馬鹿にするということは、その相手も含めて馬鹿にするということである。失礼甚だしい。深夜アニメの歴史はもう二十年以上に及ぶが、ここまで性格の悪い主人公も珍しい。
 さて、実際のところはどうなっているかと言うと、男女の恋愛感情のズレが笑いを生むという分かり易いラブコメ要素が顔を出すのは、物語終盤の第九話からである。それまではラブコメですらないのだから、タイトル詐欺に当たる。もっとも、ヒロイン達はそれ以前から主人公に対して時折、好意的な素振りを見せているので、広義ではラブコメと言えなくもない。だが、その理由はさっぱり分からない。同じ境遇の相手に共感したから、困っている時に助けてくれたから、共依存だから、といろいろ強引に解釈できなくもないが、その相手は自他共に認める腐った性格の主人公である。萌えアニメにありがちな「なぜ、主人公がモテるのか分からない」の究極系と言っていい。
 そもそも、この世界の住民は優し過ぎる。あからさまに他人を拒絶している主人公の周りに勝手に集まって、勝手にストーリーを進めてくれる。これだけ悪行を振り撒いているのに、物理的に攻撃する人間が一人もいない。本当なら今頃は病院送りになっていてもおかしくないはずだ。自分が安全な場所にいて、どんなに無茶苦茶やっても傷付かないと分かっているから、ますます付け上がるのである。それでは、彼が嫌いなリア充の人間と何も変わらない。結局、主人公もラブコメ世界の住人に過ぎないというわけで、そんな彼が青春ラブコメを小馬鹿にしている様は滑稽である。どうせ数年後には、彼も社会に出て本物の現実と直面するのだから、その時の彼の態度は見ものである。

・ぼっち


 人がなぜ「ぼっち」になるのかは様々な原因があるだろう。だが、本作の主人公やヒロインがそうなった理由は明白である。それは「他人を見下しているから」だ。彼らは強烈な自己愛の持ち主である。「ぼっちの気持ちはぼっちにしか分からない」など自分が特別な存在であると思っている。それゆえ、自分の価値を下げる可能性がある他人には興味を持たず、壁を作って自ら孤立する。ワタモテを始めとして、『ローゼンメイデン』『N・H・Kにようこそ!』『四畳半神話大系』といった同種の主人公を抱えるアニメでは、そういった負の感情をギャグとして昇華していたが、本作は生のまま垂れ流すので堪らない。それこそ、自分の日記帳にでも書いていろと言わざるを得ない。
 そんな主人公が初めて他人に興味を持つのも、やはり第九話である。過去の交通事故に係っているのを隠していたヒロインが自責の念から元気をなくし、その様子を見た主人公が初めて自らを省みる。それを機に様々な変化が訪れる。その後、文化祭実行委員の活動を通じ、実行委員長やヒロインの姉といった分かり易い「悪役」が登場したことで、主人公側にもようやく正義が生まれる。絆や助け合いを強要する彼らに対し、それは誰かの犠牲の上に成り立っているに過ぎないと看破する主人公。しかし、主人公自身がヒロインに興味を持ち始めたことで、その主張に自己矛盾を起こす。はっきり言って、彼の心理は無茶苦茶なのだが、これまで完全に思考が凝り固まっていたことを思えば、矛盾が生じただけでも確かな成長の証である。後は主人公がその矛盾に気付いて、自分の中でどう折り合いを付けるかという話だ。
 このように、終盤の展開自体は決して悪くない。青春ドラマらしい感情の変化がしっかりと描かれ、主人公がヒーロー的な活躍をする。もし、第一話の時点で主人公がヒロインに対して興味を持ち、自己矛盾に葛藤していれば、本作は比べ物にならないぐらいまともな作品になっていただろう。だが、全ては遅きに失した。現実的に第一話~第八話という果てしなく長い無駄な時間がある以上、本作を評価することはできない。それはもちろん、青春ラブコメとしてではなく、映像作品としてである。つまり、本作が名乗るべき正しいタイトルは『やはりこの作品はまちがっている。』である。

・総論


 つまらなかった。読むのが苦痛ですらあったわ。想像を絶するつまらなさ。(原文ママ)

星:★★★★★★★(-7個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 09:04 |  ★★★★★★★ |   |   |  page top ↑

『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』

無難。

公式サイト
IS 〈インフィニット・ストラトス〉 - Wikipedia
IS〈インフィニット・ストラトス〉とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2011年。弓弦イズル著のライトノベル『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は菊地康仁。アニメーション制作はエイトビット。女性にしか扱えないはずの飛行パワードスーツを、なぜか世界で一人だけ操縦できる男子高校生の活躍を描いたロボットアニメ。嘘か真か、「世界で最も売れたハーレムアニメ」らしい。あんまり嬉しくない称号だな。

・ロボットアニメ


 本作の特徴を簡単に説明すると、「人型兵器が激しい空中戦を繰り広げるロボットアニメ」と「主人公に多数の女性が群がる学園ハーレムラブコメ」を一つに組み合わせた物である。こう書くと、如何にも危険な色物の匂いがして、好事家が目を輝かせるだろう。だが、残念なことに、本作にはアンチの付け入ることができそうな大きな欠点が、これと言って見当たらない。全て「個人の好み」で片付けられる範疇。それはすなわち、やるべきことをちゃんとやっているため、穴が少ないという意味である。
 例えば、ロボットアニメ的な要素にしても、確かに宇宙開発用マルチフォームスーツ「IS」に関する点は全てファンタジーである。自由に飛行ができ、強力な武装を携帯し、操縦者を守るシールドが完備され、いつでも無から呼び出すことができる。そして、なぜか女性しか操縦できない。こんな物が科学的に存在できるわけがない。しかし、本作はISその物ではなく、それを取り巻く人々の行動に重きを置くことでリアリティを高めている。ISは、そのあまりに高過ぎる性能のため、国際条約により各国政府の厳重な管理下に置かれている。テロ等による身の危険を感じた開発者は行方をくらましている。それゆえ、全世界にISのコアは467機分しかない。軍事転用が全面的に禁止されているため、現在は主にスポーツとして使われている。このスポーツという点に疑問を覚える人もいるかもしれないが、軍事に用いることなく技術発展を図るのに、スポーツとして利用するのは決して不条理ではない。そのスポーツはシールドが無力化したら負けというルールで、操縦者の安全が守られている。主人公達が通う学校「IS学園」は、そんなISの操縦者を育成する世界で唯一の教育機関であり、あらゆる組織から独立している。等々、仮にISが実在すれば起こるであろうことを全てカバーしている。
 もちろん、個々の設定自体は他のアニメでもよく見られることだ。天才開発者が行方不明だとか異能者の集まる学園だとか。だが、本作はそれらの設定をある目的のために一つに集約することで質を高めている。それは「ISは高性能であるがゆえに危険である」という一点。設定のコンセプトが統一されているからこそ、ストーリーも演出もブレず、穴が生まれ難くなる。本作を見ていると、俗にクソアニメと言われる作品が、如何に「やりたいこと」のみに囚われて「やるべきこと」を疎かにしているかが良く分かる。

・ハーレムラブコメ


 では、ハーレムラブコメ的な要素はどうだろうか。本作には五人の美少女ヒロインが登場し、最終的には全員が主人公に対して好意を抱くという異常事態が発生する。傍から見るとギャグ以外の何物でもないが、視聴者は主人公に自分自身を重ね合わせているため、そこは極上の理想空間に他ならない。ただし、そのためには主人公の感性が自分に極力近いという条件が付く。もし、主人公の言動に違和感があり、彼我の距離が離れてしまうと気持ち良くハーレムに浸れない。それゆえ、ヒロイン側よりもむしろ主人公側に細心の注意を払う必要がある。
 さて、その主人公だが、ヒロインの細やかな感情変化に気付くぐらい観察力が高いのに、なぜか自分に対する愛情にだけは気付かないという矛盾や、肝心な場面で突然難聴になるという特異体質などは間違いなくファンタジーである。そんな人間がこの世に存在するはずがない。だが、それ以外の部分はしっかりと作り込まれているため、この手のアニメにありがちな不快感が少ない。彼はいわゆる天才キャラだが、最初から何でも完璧にこなすというわけではない。女子高の中に男子は自分一人という特殊な環境に戸惑いながらも、必死に努力して馴染もうとする。授業態度も真面目で他人を貶めるような言動はしない。常にヒロイン達に気を配り、いざと言う時には体を張って助ける。そして、容姿も端麗。そんな男性が女の園の中に一人だけいたら、これはもうモテないはずがない。完全に自然の理だ。
 こうして見ると、良いハーレムアニメと悪いハーレムアニメの境界線がよく分かる。結局はロジックの有無である。例えば、ダメなハーレムアニメにありがちなのが、視聴者とのシンクロ率を高めるために「普段は冴えない少年」だとか「趣味はエロゲー」といった無駄な属性を主人公に加えること。そんな人間が、環境が変わっただけで急に強気になってモテ始めるなど現実的にあり得ない。つまり、大事なのは「合理性」があるかどうかであり、合理性がなければどんなにそのジャンルに対して好意的な人間でも違和感を覚える。その違和感が積もり積もって不快感に繋がるのだ。

・ストーリー


 改めて、本作のストーリーを見て行こう。全ての事の始まりは、女性しか扱えないはずのISを、なぜか男性の主人公が操縦できてしまったことにあった。そのため、主人公はISのパイロット養成学校に強制的に入学させられる。戸惑いつつも、必死にISの操縦を練習する主人公。その後の物語は、ISは政府によって厳重管理されているという設定に従って、基本的に全て学内での物語になる。すなわち、主人公達がISの実習を行っている時に謎のISが学園に現れて、騒動に巻き込まれるという形だ。あくまで偶然の結果なので、なぜか一学生に過ぎない主人公が特別扱いされるということはない。この辺りの気の遣い様は、悪い例として挙げて申し訳ないが、『ハイスクール・フリート』と見比べてみると違いがよく分かる。簡単に言うと、組織が機能しているかしていないかの差だ。当たり前だが、まともなプロ集団なら素人の高校生に援軍を頼む必要など何一つないのである。
 ところが、第十話以降の展開は、そういった大前提を覆す流れになる。ある夏の日、無人のISが暴走する事故が発生し、たまたま近くに臨海学校に来ていたIS学園が上層部の命令により対処に当たることになる。だが、不思議なことに、学園のリーダーである主人公の姉は、教員達ではなく主人公達にその役割を命じるのである。確かに、主人公達は特別な「専用機持ち」で問題解決にはより効率的だったかもしれないが、はたしてそれは適切な判断だったのだろうか。実際、主人公は暴走機との交戦により、一時意識不明になるような重症を負っている。責任問題がどうというよりも、主人公の姉の判断の甘さだけが浮き彫りになり、これまで築いてきた彼女のカリスマ性が消え失せる。例えば、専用機でなければ止められないなどのそれらしい理由を設定し、主人公達に対して頭を下げるべきではなかっただろうか。今までの地に足付いた描写に比べ、このシーンでの説明不足感は否めない。
 もっとも、この事故は、実はメインヒロインの姉にして現在行方不明中のIS開発者が遊び半分で仕組んだ物だったということが最後に判明する。そして、主人公の姉もそれに気付いていたかのような描写が入る。なるほど、本作のこういった無難さは見事である。まさしく、プロの仕事だ。

・白人酋長


 ここから先は余談になる。本作は純粋な娯楽作品であり、無闇に穿った見方をするべきではないと考えるが、あえて本作をジャンル分けするなら「白人酋長物」になる。白人酋長とは、ネイティブアメリカンの部族の生活に白人の主人公が溶け込み、最終的にはその部族の長となって白人社会と戦うという物だ。基本的にはヒューマニズムの産物であり、白人がネイティブを虐げるだけだった旧来の西部劇のセオリーを根底から見直そうという運動が生んだ物だが、結局、白人がネイティブを支配しているのだから、何も変わらないのではないかという批判もある。
 さて、本作は女性しかいない学園に男性の主人公が入学するところから始まる。この世界は、ISという女性にしか扱えない超高性能機の出現によって男女の立場が逆転しており、女尊男卑が社会通念になっている。「男と女が戦争すれば三日持たない」という台詞すら存在する。その言葉通り、当初は主人公が女子生徒にいたぶられる立場だったのだが、第二話にはもうクラスの人気者になり、最後には上記のようなハーレムを築き上げる。この一連の流れは何を指し示すのだろうか。旧来の萌えアニメは、女性を性欲の対象として物扱いする男性優位の世界がセオリーだった。それを逆転させて女性優位の世界にしたのは、ある種リベラル的な発想の産物であり、女性は物ではなく尊い存在だと訴えたいわけである。ところが、時間が経つにつれて、結局は男性主人公が女性世界を支配してしまう。この辺りにいわゆるオタクの複雑な感情が見て取れる。女性を尊敬していると同時に、心の底では支配したいと思っている。おそらく、現実社会でのコンプレックスが投影されたそのアンビバレントな感情が、本作を生み出したと考えていいだろう。
 この先、本作がどういった変遷を辿るかは分からない。が、少なくとも第一期の時点での両者のバランスはそれなりに保たれているため、大きな問題にはなっていない。それが軽薄なハーレムアニメでありながら、あまり不快感がない最大の理由であろう。ただし、この異常な状態が延々と続くなら、間違いなく先鋭化して先祖返りする。その時、本作の評価は地の底へと沈むことになるだろう。

・総論


 良い意味で無難。これと言う大きな欠点がない。後は個人の好み。

星:☆☆☆☆☆(5個)
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