『惡の華』

アニメじゃない。

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惡の華とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。押見修造著の漫画『惡の華』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は長濱博史。アニメーション制作はZEXCS。群馬県のある街を舞台に繰り広げられる中学生の男女三人の自分探しを描いた青春ストーリー。同名タイトルの芸術作品は複数存在するので、混同しないように注意。そもそも、本作をアニメのカテゴリに入れていいのか迷ったが、作っている本人がアニメだと言っているので、きっとアニメなのだろう。

・ストーリー


 舞台は山に囲まれた閉塞感の漂う盆地の街。そこの中学に通う主人公は、クラスでは地味な存在であるが、ボードレールなどの難解な文学作品を愛読し、自分は他人とは違うと思っている典型的な中二病患者のプライドの高い少年。そんな彼がある日、出来心で憧れのクラスメイトの佐伯奈々子の体操服を盗み、それをクラスの変わり者の仲村佐和に見られたことから物語が始まる。「クソムシ」みたいな日常に飽き飽きして街から出たいと願っていた仲村佐和は、主人公に「ド変態野郎」の素質を見出し、彼の仮面の下の素顔を暴こうとする。一方、主人公はひょんなことから佐伯奈々子と付き合うことになる。こうして、男女三人の奇妙な三角関係が始まるのだった。
 良くも悪くも青春物語である。思春期特有の複雑な心理は上手く描けているので、そこに共鳴できる感性の持ち主なら、本作の世界に深く入り込むことができるだろう。逆にそれ以外の人は、一旦、精神年齢をそこまで下げないといけないので、少々厳しい物がある。だが、本作は原作漫画と違って、視聴者のほとんどが十八歳以上の深夜アニメのため、ターゲット設定がよく分からない。やはり、企画自体に無理があるのかもしれない。他の欠点を挙げるなら、佐伯奈々子が主人公を好きになった理由がやや薄い(ただの下流志向か)ことと最終回の構成だろう。特に最終回は半分以上が回想シーンで、その中には見たことのない映像(おそらく未来の出来事)が含まれ、ラストはまさかの「第一部完」の文字。これなら、全十二話で全く問題はなかっただろう。水増しにも程があるわけで、結局、制作者が一番のクソムシだったというオチが面白い。
 以上、簡単ながら本作の論評はこれで終わらせて頂く。詳しくは原作を読んで欲しい。なぜなら、他にも書かなければならないことが大量にあるからだ。

・アニメ


 本作は全編「ロトスコープ」という手法で作られているアニメである。ロトスコープとは、実写を一カットずつトレスしてアニメーションにした作品であり、実際、本作も先に役者が演技をした実写映像を制作し、それを元に作画作業を行っている。非常に手間暇がかかる手法なのは言うまでもない。そして、先に結論を書くが、本作の最大の問題点は、そんな苦労をしてまで「実写をアニメ化する意味がまるでない」ことである。
 まず、アニメーションの特徴は何かを考えると、一番のメリットは「非現実的な物と現実的な物を同一画面上に違和感なく並べられる」点だろう。その一番分かり易い例がロボットアニメである。CGやら特撮やらを駆使してロボットを画面上に出すことは可能だが、実在の人間や背景と並べるとどうしても両者の間に質感のズレが生じ、違和感を覚えてしまう。だが、アニメーションの場合は、ロボットも人間も背景も全て同じ一枚の「画」なので、全体に統一感が生まれ、画面内にリアリティが発生するのである。他に非現実的な物と言えば、眼が大きくて髪の色が変な「美少女萌えキャラ」なども同様だ。だが、本作のように実在の映像をトレスしただけでは、リアルとファンタジーの融合というアニメーションの最大の特徴が全く生かされない。唯一、第十一話で主人公の夢の中に空想的な映像が出てくるが、それもアニメ演出的にはお粗末な代物だ。もっとアニメーションでしか表現できない特殊な演出を多用しなければ、ロトスコープを用いた意味は何もないし、本作の存在意義に対する疑念、つまり、「原作を読めばいい」で終わってしまうだろう。
 なお、本作の監督は、原作者との対談の中で「単純なアニメ化では原作の良さを表現できないので、ロトスコープを用いた」と語っているが、明らかにアプローチが逆だ。実写化しようと思ったが、表現の限界を感じたのでロトスコープでアニメ化したとならなければおかしい。この発言は、心の底からアニメーションという映像芸術を馬鹿にしていなければできない物である。そんなにアニメが嫌いなら実写監督になればいい。無理だろうけど。

・実写


 では、逆に実写としての評価はどうだろう。試しに、本作をロトスコープのない一つの映画として見てみると(※ニコニコ動画において第三話の実写映像が公開された)、致命的な欠点が存在することが分かる。それは「パンができない」ことだ。つまり、実写並みのクォリティを維持した背景の制作には多大な労力がかかるため、その手間を省くにはカメラをできる限り動かさないようにするしかないのである。すると、できあがるのは、固定カメラの中で人物が動くカットを次々と切り替えるだけの「紙芝居」である。別に、カメラのパンは必須の表現技法ではない。映画監督の中にはパンが作る画的な安っぽさを嫌って、あえてしない人もいる。ただ、「しない」と「できない」とでは天と地の差がある。一流映画監督のような撮影技術を持っているわけではないのに、自ら表現の幅を狭めているのである。それは完全にアマチュアの発想だ。実際、本作も後半になるとキャラクターが画面内を動き回るようになり、仕方なく3Dなどを使って無理やり背景を動かしているが、ビジュアル的に極めて奇怪である。こうなることが事前に予測できていなかったとしたら、それはもう原作に謝罪しなければならないレベルの失態であろう。
 もう一つの欠点は人物の表情である。絵画ならともかく、アニメ画は絶対的な情報量が少ないため、どうしても微妙な表情の変化が乏しくなる。アニメや漫画の場合は、それを「デフォルメ」表現を使うことで補っているが、当然、本作では用いられない。本作でやっていることは、照れた時に頬を赤く染めることと、困った時に冷や汗を流すことぐらいである。そのチープさをお分かり頂けるだろうか。どこの世界の映画に頬を赤く染め、冷や汗を流す役者がいるのだろうか。アニメでも実写でもないロトスコープという中途半端さが、演出までも中途半端にしているのである。そんな物で思春期の奥深い心理を描けると思っているなら、チャンチャラおかしい。

・良点


 さて、批判だけでは何なので、強引にでも評価点を探そう。しいて言うなら、ロトスコープの長所は作画の段階で幾らでも修正が効くことだろうか。役者の容姿を後から変更できるということは、中学生のドラマだからと言って、役者が中学生である必要はないわけである。演技力の拙い子役を使わずとも、プロの役者に演じさせて、後から中学生風に加工すればいい話だ。また、音声もプロの声優が吹き替えているため、子役を使う際に最もネックになる台詞回しの不自然さも解消されることになる(ただし、彼らが役者が演じる以上の臨場感を発揮できているかどうかは正直怪しい)。おそらく、舞台上のリアリズムが全てだと考える演劇関係者が聞けば激怒するだろうが、こういった良い部分の切り貼りリミックスが如何にも現代文化らしい。
 もう一つのメリットは、完全に願望になるが、アニメーターが本作を手がけることによって、人間とはかくも不規則に動き続ける物かと学習することである。実在の人間は、アニメのようにじっと静止はしてくれない。それを学ぶことによって、その経験を後のアニメ制作にも活かしてくれたらという願望である。もちろん、本作を萌えアニメの何に応用するのかと問われたら回答に窮すのだが。
 最後のメリットはビジネス面である。実写ドラマではなくアニメ作品にすることで、商売的に非常に有利になる。アニメ雑誌などで取り上げてくれるし、ネット上でアニメファンが勝手に話題にしてくれる。今やビデオ屋でもドラマコーナーよりアニメコーナーの方が広い時代である。売れるかどうか分からない一般人を相手にするより、確実にペイできるオタク相手に商売する方が楽だ。ただ、その最善策がロトスコープなのかは正直分からない。

・総論


 新しいことに挑戦したからという理由で本作を評価している人も多いが、作品としての出来を考慮すると、やはり評価すべきではないと考える。歴史がどう判断するかなど本項とは何も関係ない。もちろん、ストーリーはよくできているので、原作はオススメである。

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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:04 |  未分類 |   |   |  page top ↑
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