『ペルソナ ~トリニティ・ソウル~』

文芸路線。

公式サイト
ペルソナ ~トリニティ・ソウル~ - Wikipedia
ペルソナ ~トリニティ・ソウル~とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2008年。アトラス制作のPS2ゲーム『ペルソナ3』のスピンオフ作品。全二十六話。監督は松本淳。アニメーション制作はA-1 Pictures。『ペルソナ3』の十年後を舞台にして、三人の兄弟が悪しき陰謀に立ち向かう様を描いたSF冒険ファンタジー。ゲームと共通するキャラクターも出てくるが、物語に直接的な繋がりはなく、パラレルワールドという設定になっている。

・ゲームとアニメ


 外面的にも内面的にも非常に出来の良い作品であるが、残念ながら世間の評判はあまり芳しくない。ただ、その理由は明白だ。なぜなら、本作は「ゲームをアニメ化した作品」だからである。つまり、ゲームのようなエンターテインメント性を期待して視聴したのに、実際に出てきたのは脚本重視の文芸アニメだったため、期待外れだったということだ。特に、ゲームでは一番の核になる「ペルソナ」を用いた戦闘は、アニメでは回数その物が少ない。また、ゲームと違ってペルソナの外見が半透明なのは、ビジュアル的にはファンタジックかつスタイリッシュで美しいのだが、「何が起こっているのかよく分からない」という致命的な欠点がある。さらに、見え難いということは、本来、売りであったはずのペルソナのキャラクター性、要するにビジネス面で問題があるということであり、実際、ペルソナのフィギュアが売れたという話は聞いたことがない。
 先に文芸アニメと書いたが、その言葉通り、非常に難解かつ観念的な脚本になっており、それも批判される要因となっている。もっとも、メインストーリーの構造自体は至極単純だ。心の力であるペルソナを集めて無意識の世界を支配しようと企む謎の集団に対して、高校生の主人公が兄弟・友人達と共に立ち向かうというジュブナイル冒険ドラマである。だが、本作ではそのメインストーリーを直接描くということはせず、2クールのメリットを最大限に生かして、末葉のエピソードを一つ一つ積み重ねていくという形式を取っているため、根本的な謎が明かされないまま淡々と物語が進み、徒に話をややこしくしている。これは、八十年代後半から九十年代にかけてのサブカル系アニメなどでよく使われた手法だ。だが、そんな面倒な形式が、話の深みよりも即物的な萌えを求める現代の視聴者に受け入れられるはずもなく、結果的に本作の低迷を招く一因となってしまったのは誠に残念である。

・ストーリー


 本作のメインテーマは「家族」である。もっと具体的に言うと「兄弟」であり、主人公の三兄弟が過去に失った絆を取り戻すまでの過程が物語の中心になっている。そのため、兄弟関係の現実感のある描写に関しては徹底して気を遣った作品になっている。
 ストーリーは大まかに分けると三部構成になっている。第一部(第一話~第十三話)は冬を舞台にした物語で、生まれ故郷に帰ってきた主人公と弟が、兄に反対されながらも友達と楽しい時間を過ごし、徐々に街で起こっている異常事態の核心に触れていくというストーリーだ。学園に広がる奇妙な噂といったペルソナシリーズらしい青春オカルティックファンタジーが繰り広げられる一方で、家族の問題を一人で背負い込もうとする兄とそれに反発する弟の対立が描かれる。実際に兄弟がいる人が見れば共感できる描写があちらこちらに散見できるので、家族物語としての完成度は非常に高い。ただ、本作の特徴として「話が回を跨がない」という要素があり、後日談を描かないまま翌回から新展開へ移行するため、ストーリーが少々分かり難くなっているのは欠点か。こういった抑揚の少ない淡々とした演出はかなり意図的に仕組まれた物であり、ある意味、本作らしさでもあるのだが。最終的には、敵の親玉である九条との直接対決へ単身向かった長男が行方不明になったところで、第一部が終了する。
 第二部(第十四話~第二十二話)は半年後の夏から秋にかけての物語。ペルソナ使いとなった主人公達が、無意識の世界を支配しようと企む九条とその配下である稀人達に戦いを挑むという冒険ストーリーだ。ただ、他のジュブナイル作品と違うのは、彼らは一介の高校生なので、大人の干渉下でしか動けないということである。捜査を行うのはあくまで警察組織に属する大人達(『ペルソナ3』の登場人物)であって、主人公達はその手伝いに過ぎない。リアルには違いないのだが、アニメとして正しいかどうかは判断の難しいところだ。ただ、アトラスゲームのユーザー層は比較的高めなので、子供が単独捜査する非現実性の方が興醒めするという人の方が多そうではある。そして、戦いの最中、主人公の両親がかつてペルソナ研究に係わっていたこと、九条の最終目的がその研究中に人体実験の材料となって死んだ娘「アヤネ」を生き返らせること、そのために依代となるアヤネのクローンを作成して複合ペルソナを載せようと企んでいたことなどを知る。だが、主人公達の活躍により、その野望は夢半ばで泡と消える。

・観念的


 第三部(第二十三話~最終話)は第二部に続く冬の物語だが、非常に観念的なストーリーになっている。観念的と言えば聞こえはいいが、要は「よく分からない」「仔細を誤魔化している」ということだ。特に、敵の目的がひどく抽象的ではっきりしないため、それを守るも歯向かうも視聴者には判断が付きかねるという明確な欠点が存在するのは頂けない。
 ここで言う「敵」とは、十年以上前に死んだまま街を彷徨い続けるアヤネの精神のことである。彼女の目的は、主人公の弟を媒介にして自分のクローンと融合し、無意識の世界を支配しよう(修復しよう)という物。やっていることは九条と一緒だが、それとは目的が違うらしい。主人公の兄もその考えに共感し、彼女を手伝うことで元凶たるペルソナ自体を根絶しようとする。しかし、主人公は兄に歯向かってそれを阻止する。兄弟の命を犠牲にしてまで、世界を救う必要はないという考えからだ。つまり、全体を助けるか個を助けるかという話だが、全般的な説明不足のせいで、その対立軸すら想像に頼るしかないのが厳しい。何せ、最終回周辺は回想シーンと妄想シーンの応酬で、まともにストーリーが機能していないのだから。少なくとも、なぜ、アヤネがくじらと一体化することでペルソナを根絶できるのかに納得の行く説明は必要であろう。
 最後は兄も主人公の考えに同調し、二人で協力してアヤネを倒すのだが、結局、兄は死亡、弟の中の妹も消えてしまう。兄弟が絆を保ったまま自立して行く様を描いたエンディングとしては申し分ないのだが、ペルソナはまだ残っているのかとか、無気力症患者はどうなったのかという疑問はエピローグでは一切描かれない。「兄弟」というテーマに固執し過ぎて、その他の要素が極めて適当になっているのは、あまり感心できることではない。

・くじらのはね


 本作は人間の精神世界に深く切り込んだ作品ということで、深層心理学的な要素が多分に含まれている。ただし、本作が心理学の理論的に正しいとか、心理学の知識がないと楽しめないということは全くないので安心して欲しい。とりあえず、くじら=集合的無意識、アヤネ=グレートマザーということが分かっていれば大体大丈夫だ。ちなみに、心理学的に言うなら、本作において最も間違っているのは「ペルソナの定義」である。「心の中のもう一人の自分」を指すなら、「セルフ」もしくは「アニマ」にしておくべきだ。もっとも、長年続いているシリーズのタイトルを今更変えるわけにはいかないだろうが。
 そして、『くじらのはね』とは劇中で主人公の両親が制作した絵本のタイトルであり、同時に本作のキーアイテムである。かつて、非倫理的な実験でアヤネを死なせてしまったことに対する贖罪として描いた作品であるが、「大切な人がみんな幸せになる話」というテーマのはずなのに、なぜか、ラストは周囲の人がみんな消えてしまうというバッドエンドで終わる。そのため、「誰もいない人間に優しい本」とも評される。その理由は、十年前の事件で家族を失い、悲しみに捕らわれた兄が結末だけを描き換えたかららしい。しかし、最終回では、そのラストページに桜の花びらが散り積もって華やかになる。ハッピーエンドを示唆しているのだろうが、現実的には兄も妹もいなくなっているのだから、素直に喜べない。

・総論


 脚本・演出・美術・音楽といずれも高品質であり、完成度だけで言うならアニプレックス作品の最高傑作と呼んでも過言はない。ただ、それが視聴者に受け入れられるかどうかは別問題だ。極端な文芸路線はテンポの悪さと盛り上がりの少なさを生み、原作ファンの希望とは異なった物になってしまっている。特に、戦闘シーンの少なさは擁護できないレベルであろう。もちろん、純粋にストーリーを楽しみたい人には文句なしにオススメ作品である。

星:☆☆☆☆☆☆☆(7個)
関連記事
スポンサーサイト
テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 21:56 |  ☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
twitter
検索フォーム
最新記事

全記事一覧
評価別一覧
年代別一覧
掲示板
カテゴリ
リンク
カウンター
RSSリンクの表示



にほんブログ村
PR1
PR2