『DEVIL SURVIVOR 2 the ANIMATION』

企画自体が無茶。

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デビルサバイバー2 - Wikipedia
デビルサバイバー2とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。アトラス制作のDSゲーム『デビルサバイバー2』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は岸誠二。アニメーション制作はbridge。現代日本に突如現れた異形の敵とそれに立ち向かう秘密結社との人類の未来を賭けた戦いを描く終末系ファンタジー。『デビルサバイバー』というアニメの続編ではなく、『デビルサバイバー2』というゲームのアニメ化であることに注意。本作の放送中に、アトラスブランドを所有する株式会社インデックスの巨額粉飾決済が明らかになり、後に民事再生法が適用された。

・企画


 アトラス制作ゲームのテレビアニメ化作品としては、『ペルソナ ~トリニティ・ソウル~』『persona4 the ANIMATION』に続く三作目である。だが、前二作と比べるとどうしても根本的な企画の弱さが目立つ。つまり、学園ファンタジーがベースのペルソナシリーズとは違い、題材自体がアニメ化に向いていないのではないかという危惧だ。実際、制作が発表された時も期待より不安の声の方が大きく、そして、その不安はほぼ的中することになる。
 舞台は現代の日本。変わることのないと思っていた平凡な日常が、ある日突然、終わりを告げる。古の予言に従い、世界の管理者「ポラリス」が人類を審判するために七体の異形の生物「セプテントリオン」を日本に送り込む。それに対抗するのは峰津院大和率いる秘密機関「ジプス」。彼らは、「憂う者」アルコル(実はセプテントリオンの裏切者)から与えられた悪魔召喚の力を用い、人類の存亡を賭けてセプテントリオンに立ち向かう。
 この設定だけを見ても、本作は明らかに『新世紀エヴァンゲリオン』を意識しているのが分かる。特定のタイトルを出すのが嫌なら、アトラスゲームらしく「黙示録系」と呼んでも構わない。要は、創造主が自ら生み出した人間の罪を裁くために、超自然的な審判者を次々と地上に送り込むという物だ。悪魔を利用して悪魔と戦うといった『デビルマン』的展開や、その混乱に乗じて世界を支配しようと企む秘密結社の暗躍などもお約束。ただし、原作の場合は、あくまでそれを「ゲーム」にした物であり、プレイヤー自身が物語の主人公に成り切って黙示録の悪魔に戦いを挑み、世界のあるべき形を考えるという楽しみがあった。だが、それをアニメに逆輸入してしまうと、どうしても「エヴァの劣化コピー」になってしまうのである。事実、ビルよりも大きなセプテントリオンが都心上空を飛行するビジュアルなどは、エヴァその物である(原作のセプテントリオンはもっと小さいのだが)。同じ黙示録系でも、『ストライクウィッチーズ』のように萌えに走った物や『ぼくらの』のように中二病に特化した物、『ブレンパワード』のように人間賛歌を極めた物など様々な個性的な作品があるが、本作はそういった面で独自性が極めて薄い。それが「企画の弱さ」と批判される一番の理由である。

・バトル


 本作はシミュレーションRPGをアニメ化した物であるため、基本的にはバトルシーンがメインになる。ストーリー面で目新しさに欠ける原作がユーザーの支持を集めたのは、そのバトルがストーリーの弱さを補っていたからであるが、アニメ版では逆に足を引っ張る結果になっている。
 「携帯電話で悪魔を喚び出す」が本作の主たるギミックである。原作とは異なり、他のアトラスアニメと同様にキャラクター自身は戦わない。その理由は、弱々しい人間が強大な敵に対抗している状況を強調するためと、悪魔の進化を心の成長のメタファーとして用いるためだろう。しかし、あくまで心の力=悪魔だったペルソナとは違い、本作の悪魔は召喚者とは完全に別個の存在である。そのため、戦闘中、キャラクターは携帯電話を宙に構えて命令を下しているだけで、自らは何もアクションを起こさない。しかも、敵であるセプテントリオンは巨大で、悪魔ですら象にたかるハエ程度の大きさになる。すると、個対個の「戦闘」ではなく、大規模な「戦争」になってしまい、バトルの爽快さがどこかに吹っ飛んでしまうのである。はっきり言って、面白くも何ともない。また、原作の売りの一つである悪魔合体やオークションが全くと言って行われず、ストーリーを通じて使用悪魔がほとんど変わらない。特に主人公は、尺の都合上、レベル1の段階でレベル50の悪魔を使いこなし、ラストバトルまでずっと継続使用する。話を盛り上げるために、意味もなくペルソナを切り替えていた『persona4 the ANIMATION』の主人公を思うと、この淡白さには不満が溜まる。
 さすがに、これでは不味いと思ったのか、終盤になるとキャラクター自身が戦いに参加するようになる。腕に輝く文様が刻まれ、バリアのような物で敵の攻撃を防いだりするのだが、それが何のエネルギーで動いているのかさっぱり分からない。携帯電話の召喚アプリの力なのだろうか? それなら、最初から携帯電話を武器にして自分で戦えば良かったのに。

・ストーリー


 原作ゲームは、細分化した個別のイベントをプレイヤーがある程度自由に選択することで、能動的にシナリオを進めて行くという方式を取っている。一方、アニメ版では、それらのイベントを混ぜ合わせて一つの物語になるように並べ替えているため、ストーリーの流れ自体は一緒だが、展開はかなりオリジナル色が濃くなっている。もちろん、どちらが正しいというわけではなく、あくまで三十分アニメというメディアに適したアレンジ例だ。それゆえ、アニメ版のストーリーに対して「原作と違う」と批判するのはナンセンスである。
 東京での異変の最中、召喚アプリを手に入れて悪魔使いとなった主人公は、その召喚能力を買われて半ば強制的にジプスにスカウトされる。しかし、二日目の戦いで、ジプスの人命を軽視した戦い方に疑問を覚えた彼は、単身、組織を離れてレジスタンスに加入する。原作と違う!……てか、早いよ。主人公が自分の属している組織の存在意義に疑問を覚えて離脱するのはよくある展開だが、普通は組織のリーダーと一悶着を起こした後の中盤近辺ですることだ。だが、本作はそういったあるべき流れをすっぽかしていきなり行動に出るため、主人公がひどく単細胞な人間に見えてしまう。序盤にジプスの非人道性を強調しておきたい監督の意志だろうが、どうにも急ぎ過ぎのように思える。
 その後、何だかんだで合流した主人公と峰津院大和が中心になって、残り五体のセプテントリオンと対決するのだが、あまり雰囲気に悲壮感はない。やはり、七日間という期間は人間ドラマを描くには短過ぎる。ただし、これでも大学サークルのノリだった原作よりは何十倍もましなのである。アニメ版は、より「サバイバル」というワードを前面に出し、圧倒的な現実の前に無力な人類が打ちのめされる絶望感や理不尽さを描くことに腐心している。それは良い。だが、その裏で犠牲になっているのが、主人公と大和以外の十人の仲間達(十二星座がモチーフになっている)だ。根本的に尺が足りないせいで出番が少なく、さらには彼らの担っていた思想までもが主人公に集約されているため、存在する必要性すらない。これはどうなのだろう。仲間達と楽しく過ごすほのぼの七日間(ゲーム)か、独りで危機に立ち向かうギスギス七日間(アニメ)か、どちらを「選択する」かは難しいところだが、少なくとも後者はゲームではバッドエンドである。
 ちなみに、なぜ七日間かと言うと、北斗七星がモチーフだからという理由だけでなく、我々が過ごす一週間という日常の隠喩にもなっているからだ。毎日現れるセプテントリオンは、つらく苦しい仕事や学校の象徴である。厳しい現実を真正面から描くことで「生きること」とは何かを訴える。そう考えると、ちゃんと個性的な黙示録系作品なのだが、残念ながら、そこに注目する人はあまりいないだろう。

・最終回


 このように、根本的な部分の企画倒れ感がある本作だが、終末の恐怖や秘密組織の暴走とそれを阻止する主人公という本筋はちゃんと描けているため、悪くても中の下といった辺りに収まっている。新作ゲームの宣伝アニメとして考えるとこんな物だろう。ただし、それも最終話を除いての話だ。最終話は飛び抜けて出来が悪く、全体の評価をさらに下げる要因になっている。
 世界が崩壊した後、主人公と峰津院大和がポラリスに謁見する権利を賭けて、異空間で熱いバトルを交わす。その際、二人は互いの主張を言葉でぶつけ合う……「十五分」近くも。内容は、力こそ全てだと主張する大和と仲間との絆が大事と主張する主人公の対立、要するに本作の「メインテーマ」である。作品テーマを主人公に台詞でペラペラと語らせるのは下策中の下策、さらには悪役の主張を言葉で説き伏せるなど言語道断、作劇における絶対にやってはいけないことトップ3に入る悪行であろう。しかも、バトル中の口論なので、活劇のテンポが著しく悪い。おそらく、戦闘中にライバル同士が議論するのは『機動戦士ガンダム』の富野由悠季をリスペクトしているのだろうが、いわゆる富野節はコンテ段階で台詞を効果音のように各カットへ当てはめていくことで、リズム感を失わずにテーマを語らせることができるのである(実際、押井守も戦闘のテンポを落とさずにキャラ同士が会話しているのは『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』だけだと述べている)。そういうことを理解せず安易に口論バトルに手を出すと、本作のような痛々しいことになってしまうという分かり易い例である。
 その後、かつて仲間が使っていた悪魔を結集し、合体させてルシファーを呼び出すという『persona4 the ANIMATION』の最終回に酷似したベタな展開で大和を倒す。そして、ポラリスと謁見した主人公は、世界を元通りに戻すことを要求する。その願いは叶えられ、セプテントリオンが現れる前の時間まで世界が巻き戻る。これ、原作におけるダイチルートのアレンジなのだが、アトラスゲームに詳しい人なら、『真・女神転生III-NOCTURNE』の先生ENDと全く同じオチだとすぐに気付くだろう。言われてみると、峰津院大和は真3におけるヨスガ・ムスビ・シジマのコトワリを掛け合わせたような言動をする。良く言えば、アトラスゲームらしいアニメということだが、悪く言えば、性質の悪い使い回しである。結局、本作が何をやりたかったのか最後まで分からず仕舞いだった。

・総論


 第十二話まではただの退屈なアニメだが、最終回で一気にダメなアニメにまで墜落する。もっとも、それは制作スタッフの不手際と言うより、元々、アニメ化に向いていない題材を強引にテレビアニメにしたことによる弊害だろう。せめて2クールなら人物をもっと掘り下げ、ゲーム的な成長要素を入れることも可能だっただろうに。

星:★(-1個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:07 |   |   |   |  page top ↑
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