『あずまんが大王 THE ANIMATION』

萌えアニメのパイオニア。

公式サイト
あずまんが大王 - Wikipedia
あずまんが大王とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2002年。あずまきよひこ著の四コマ漫画『あずまんが大王』のテレビアニメ化作品。全二十六話。監督は錦織博。アニメーション制作はJ.C.STAFF。俗に言う「日常系萌えアニメ」の草分け的存在。女子高生六人組の三年間の何気ない日常が、独特のゆるいタッチで描かれる。後に、本作のフォーマットを模倣した漫画・アニメが大量に出現した。

・エポックメイキング


 長いアニメ史を語る上で、幾つか存在するであろう歴史的なターニングポイントを列挙した際、そのリストに必ず名前が挙がるタイトルである。しかも、ただ単に質が高くて斬新というだけではなく、現在、業界を席巻するあらゆる萌えアニメのベースになったとさえ言われている。事実、本作が発表された2002年近辺は、オタク業界を含めたネット全体が大きな変革を迎えた時期だった。それまで方向性がバラバラで、もやもやとしていた世界が一つにまとまり始めた頃であり、その醸成に間違いなく本作が大きな貢献を果たしている。
 では、一体、本作の何をしてアニメ史のエポックメイキングとなることができたのだろうか。一般的には「メインの登場人物が全員女性」「物語が存在しない」「普通の日常を淡々と描く」などと言われている。確かに、これらの特徴はバトルとラブコメで二極化していた当時の男性向けアニメではあまり見られなかった物だ。二次元女性に対する「萌え」を描くのにも、美少女ゲームのように恋愛要素と絡めるのは至極当然のことであり、本作のように男性不在で女子高生達の日常をそのまま描くということはしていない。ただし、これらの手法は、実は少女漫画の分野では普通に用いられていた物である。女性向け少女漫画に男性主人公が登場しないのは当たり前なのだから、手法自体に特別な目新しさはない。いや、手法と呼ぶのもはばかれるような「正攻法」である。それゆえ、本作が斬新だったのは、その正攻法を「男性向け漫画に輸入したこと」と、そうやって完成した男性向け少女漫画を「改変せずにそのままアニメ化したこと」の二点であろう。

・男性向け少女漫画


 「萌え」の源流が少女漫画にあるという説は、ここサブカル界隈でよく言われることである。何より、目を大きく鼻と口を小さく描く「萌えキャラ画」は間違いなく少女漫画から輸入された物であり、現在、萌え系のキャラクターデザイナーや漫画家、絵師に女性が多く採用されているのもそういった理由からである。ただ、輸入されたのは外見だけではない。例えば、ツンデレキャラなどは、まさに少女漫画に出てくる典型的なヒーロー像(第一印象は嫌な奴だったが、徐々に彼の持つ本質的な優しさに惹かれて行く)だ。また、主人公が理由もなく周囲の人々に好意を持たれ、主人公を巡って争いが起きるという展開(ハーレムアニメ)も少女漫画が長年育んできた物である。努力・友情・勝利に特化してきた少年漫画とは違い、細やかな人間関係の機微を描くことに関してはこちらに一日の長があるため、物語作りの良き教材になるのは極自然なことだろう。
 本作の場合は、そういった少女漫画における何気ない日常シーンの一頁をそのまま切り出したような形になっている。つまり、女学生が教室等で友人達と他愛もないおしゃべりに興じている姿だ。その時の彼女達は男性の視線を全く気にしておらず、わがままな子猫のように勝手気ままにふるまっている。あまり楚々とした美しさはないかもしれない。だが、その分、非常に生き生きとした眩い表情を浮かべている。それゆえ、女性を魅力的に描こうとした際、男性視点で見た理想の女性像を描くよりも、女性視点で見た日々の生活の姿を描いた方が可愛いということに気付いたのである。その証拠に、世を席巻する日常系萌え四コマ漫画(例『ひだまりスケッチ』『ゆるゆり』『かなめも』)の作者は大半が女性である。視聴者は話に参加するのではなく、透明な存在となって脇から彼女達を見守るだけ。手が届かない範囲にいる偶像ではなく、あくまで身近にいる仲間として。それが良いことか悪いことかの言質は控えるが、この形式が今や萌えのスタンダードになるほど、本作が業界に与えたインパクトは大きかったのである。

・そのままアニメ化


 通常、四コマ漫画をアニメ化する際は、原作のキャラと雰囲気を生かしたアニメ版オリジナルストーリーを展開し、原作のネタはあくまでギャグシーンの一つとして扱うのが定番だ。その典型的な例が、国民的アニメの『サザエさん』である。しかし、本作はアニメ用に別個の物語を構築することなく、四コマ漫画をそのままアニメ化するという新しい手法を試みている。そのため、体育祭や文化祭のようなイベント回でもない限り、ただ原作のネタを起承転結もなく順番に並べただけという、良く言えば斬新な、悪く言えば手抜きな作品に仕上がっている。
 正直な話、アニメとしての出来は決して良くはない。特に原作ファンから批判されることが多い。というのも、漫画の場合は読み進めるペースを受け手側が自由に設定することができるが、アニメの場合はカット割りや台詞のタイミングが作り手によって固定されてしまうため、受け手の自主性が阻害されるからだ。また、漫画だからこそ許されていたブラックやシュールなネタが、映像化することでくどい演出になり、笑えないどころかかえって不快感を覚えるという事態も発生している。その一番の被害者が教師の木村であり、彼の奇行は漫画では不条理系ギャグとして成立していたが、アニメではただの変態性犯罪者教師にしか見えないという可哀想なことになっている。それでは、漫画をそのままアニメ化することのメリットとは何かと問われそうだが、もちろん一つだけ存在する。それが「キャラ萌え」である。
 動画にしてプロの声優による演技を付けることで、キャラクターが何倍も可愛く見える。当たり前のことである。結局、漫画をアニメ化することのメリットはこれ以外にない。萌えアニメにおいて、全ての作品評価を決定付けるのが如何にキャラクターを可愛く描けるかなのだから。その際、余計な物語を付け加えると、肝心のキャラクターの愛らしい仕草を描く尺がなくなってしまう。無駄にシリアスな回を挿入したせいで、キャラクターの人格が歪められたという経験は誰しもが持っているだろう。そのため、キャラ萌えのみにこだわるなら、本作の形式、つまり、余分なことは何もしないで原作漫画を「そのままアニメ化」がベストである。他のアニメが本作の手法を追従したのは、まさに上記の理由からである。どうせ、視聴者が求めているのは可愛いキャラクターの可愛い仕草だけなのだから、極力、物語性を排してキャラ萌えに徹した方が良いということだ。その是非に関してはここでは問わない。が、この一点だけを見ても、本作の残した物がどれほど大きいかがお分かり頂けるだろう。

・他の萌えアニメとの相違


 一方、本作は萌えアニメのパイオニアであると同時に、まだ従来の一般アニメの雰囲気を端々に残した古典作品でもある。そのため、萌えに特化した昨今のアニメが失ってしまった古き良き遺産も幾つか残っている。その一つが、本作が全体的に醸し出している「リアリティ」である。
 例えば、かおりんというキャラクターがいる。彼女は主人公達と仲の良い友人ではあるものの、基本的に別のお友達グループに属している(彼女は天文部。主人公達は帰宅部)ため、出番は少なく、準レギュラーの域を出ない。それゆえ、別にいてもいなくても大筋に影響がない存在である。だが、彼女のような「知り合い以上友人未満」な人間を、誰しも一人二人は持っている物だろう。グループ内だけで関係が収束する人など一人もいないのだから。また、主人公グループ自体も全員が全員、仲が良いという訳ではなく、個々の小さな友人関係が寄り集まった集合体として描いている。例えば、大阪と神楽が一対一で話しているシーンは一つもない。そんな彼女達がどういった流れでグループを形成し、どう最終回の卒業式まで繋がったかをしっかりと描いているのが本作である。
 このような棘のある人間関係が、大幅にデフォルメしているとは言え、実際の女子高生の日常を想起させ非常に現実的である。つまり、彼女達はファンタジー世界の住人ではなく、我々視聴者を取り巻く「社会」の正式な構成員だということだ。それは、自分達にとって都合の悪い物(男子生徒や肉親など)を極力排除して、天国のような心地良い世界に浸ろうとする昨今の萌えアニメには見られない物であり、明らかに一線を画している。本作をして「パイオニアであり、完成形である」と言われる所以がここにある。後、言わずもがなだが、ネタの質自体も比較するのが失礼なレベルにあることも追記しておこう。

・総論


 日常系萌えアニメは本作で完成されている。その一方で、他の日常系アニメが失ってしまった物も携えている。はっきり言って、他は本作の劣化コピーでしかないので、これさえ見ていればいい。身も蓋もない結論だが、紛れもない事実である。

星:☆☆☆☆(4個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 23:04 |  ☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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