『妄想代理人』


妄想と現実。

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妄想代理人 - Wikipedia

・はじめに


 2004年。オリジナルテレビアニメ作品。全十三話。総監督は今敏。アニメーション制作はマッドハウス。社会に追い詰められた人間を開放する謎の通り魔「少年バット」を巡るサイコサスペンス。映画『PERFECT BLUE』『千年女優』等で世界的な名声を博した故・今敏監督が手掛けた最初で最後のテレビシリーズ作品である。

・妄想と現実


 今敏監督作品。時系列で言うと、2003年の映画『東京ゴッドファーザーズ』と2006年の映画『パプリカ』のちょうど中間に当たる。内容も『東京ゴッドファーザーズ』の社会型ファンタジーと『パプリカ』の妄想型ファンタジーを足して二で割ったような作風になっている。いずれも「イマジネーションと現実の融合」をテーマにしており、個人個人の小さな妄想が積み重なって集団の大きな妄想に発展し、現実に影響を及ぼすという物語を描いている。特に終盤、実体化した妄想が現実社会に溢れ出て建物を破壊するというシチュエーションは、『パプリカ』のそれと酷似している。
 「妄想」とアニメーションの相性は非常に良い。アニメとはすなわち絵画なのだから、監督とアニメーターの実力次第だが、脳内世界の風景を自由自在に表現できる。大がかりなセットや最新のSFX、高細密なCGを使わなければ表現できない実写とは、コストの面で多大な差がある。さらに、『惡の華』の項目でも書いたことだが、アニメーションの最大のメリットは、現実的な物と非現実的な物を同一画面上に違和感なく並べられることである。人物も背景も非現実的な物も、全て同じ一つの「画」なのだから当然だ。たとえ、物言わぬぬいぐるみが突然動き出してしゃべっても(CV:桃井はるこ)何一つ違和感がない。違和感がなさ過ぎて、それが本当に現実に存在するぬいぐるみなのかと疑うレベルだ。(もっとも、昨今は制作の簡略化が進んでいるため、残念ながら統一感の欠けたアニメも少なくない。例:実写背景)
 ただ、本作の問題点は、作品ジャンルが「サイコサスペンス」だということだ。サイコサスペンスとミステリーは似て非なる物である。ミステリーの場合は登場人物の誰かが嘘を付いており、その嘘を如何にして見破るかが話の肝になる。一方、サイコサスペンスの場合は、嘘を付いている本人がそれを嘘だと思っていない。第三者の視点からすると辻褄の合わない無茶苦茶な話でも、当人の頭の中では全てが本当のことなのである。だが、上記の通り、アニメーションはファンタジーとリアルの境目が薄い。すると、どこまでが嘘でどこまでが真実なのかが視聴者には区別が付かず、そのため、ストーリーに参加できないという残念な問題が発生してしまう。本作でも確かにそういった傾向があり、それが視聴する際の取っ付き難さを生んでいる。

・構成


 本作は、謎の通り魔「少年バット」をテーマにしたオムニバス形式のドラマである。話の中心となるストーリーが存在し、各登場人物も密接に絡み合っているが、基本的には一話完結で主人公もそれぞれ異なる。ただ、これも何度か書いているが、オムニバス形式は難しい。テーマを深く掘り下げるという意味ではこれ以上ない威力があるのだが、現実的な問題として視聴者の分身となる主役が存在しないため、毎回、作品世界への没入感がリセットされてしまい、最初の数話は良くてもすぐに飽きてマンネリ化する。それを嫌がってインパクト重視で突き進むと、すぐにインフレして最終的に取り返しの付かない位置に着地してしまう。そういった悲劇を避けるためには、マンネリを恐れずに延々と同じことを続けるか、視聴者を飽きさせないようなバラエティに富んだ仕掛けをシリーズ構成に加えるかが必要である。
 本作は後者の工夫が抜群に上手い。第一話は導入。少年バットがこの世界に現れて第一の事件を起こすまで。第二話~第四話は少年バットにまつわるオムニバスストーリー。様々なシチュエーションで様々な職業の人々が襲われる。と、似たような展開が続いて、少々飽き始めたなと感じたところで、少年バットが実はただの模倣犯だったことが明らかになる。全ては自作自演だったのか? その謎を解き明かしているところへ真の少年バットが再登場し、社会を新たなる混乱に陥れる。そこで少し視点を変えて、第八話~第十話は外伝的なコメディータッチのストーリーを挿入する。本作が上手いのはここだ。謎の通り魔だった少年バットが、再三の犯行を重ねる内に誰もが知っている定番の存在に昇格し、社会の一部に取り込まれる。つまり、個人的な妄想が集団的な妄想へと広がり、社会全体が一種の精神病のような状態に陥るのである。本作では、そういった流れをシリーズ構成自体が担っている。オムニバス形式でありながら、しっかりと時系列を考えられており、全十三話で一つの物語となっているという非常に面白い構成だ。
 ただし、これも問題があって、よく言われているのが「後半グダる」ということである。なるほど、その通りだ。アニメ制作の内輪ネタをやっている暇があるなら、少年バットの恐怖をもっと描けという意見も十分に理解できる。意図的とは言え、そうなってしまっていることは本作の数少ない欠点の一つであろう。

・少年バット


 「奴は一人であって一人でない。追い詰められ行き場をなくした人間の所にいつでもどこにでも現れることができる。奴は野放しだ。少年バットはまだどこかにいる!」
 謎の通り魔、少年バットとは一体何者なのか? 結論を先に書くと彼は「妄想の産物」である。目的は「追い詰められ行き場をなくした人間」を苦しみから解放すること。こう書くと宗教的・観念的に聞こえるが、もっと平たく言うと要は「詐病」である。現実がつらい。逃げ出したい。でも、そんな勇気も度胸もない。だが、病気やケガなら合法的にサボることができる。それが現実に存在しない第三者による偶発的な事故なら尚更だ。そのため、無意識の内に正体不明の通り魔を創造し、それにやられたという体で自分自身を傷付ける。いわゆる自作自演の自傷による一時的な現実逃避である。もちろん、本人にその自覚はなく、それどころか少年バットに恐怖を感じている。分析心理学者のフロイトは、その状態を「疾病利得」と呼んだ。心の病気になることで自分自身に対して何らかのメリットが生じるため、症状はより悪化し、治したくても治らない。その結果、根本的な苦しみが解消されるまで、少年バットは永遠に存在し続けることになる。
 ただ、これが個人だけの問題なら対処のしようもあるのだが、現代社会の歪みは万人に対して等しく苦痛を与えている。「追い詰められ行き場をなくした人間」は一人ではなく、いつでもどこにでも数え切れないほど溢れている。そういった人々は少年バット的な「救世主」を無意識の内に求めており、その共通認識は噂という形で社会全体に広がる。その時、妄想は現実になる。かつての口裂け女や人面犬といった都市伝説のように。やがて、肥大化した救世主願望に捕らわれた人々は、集団ヒステリーを発症して現実社会を攻撃し始める。社会その物がなくなれば、誰も思い悩まなくて済むのだから。
 本作はアニメーションであるがゆえに、そういった妄想世界の住民を全て現実の物として描いている。少年バットは具象的な怪物として登場し、物理的に人や街を破壊する。実際に少年バットが存在するのかどうか、その疑問はあまり意味を持たない。描きたいのは人間の弱さ・愚かさであり、妄想をビジュアル化することでそれらをより強調しているのだ。まさに、アニメーションの利点をこの上もなく生かした名作である。

・逃避


 「お前はただ逃げようとしているだけだ。その場しのぎの救いなど、まやかしに過ぎん。どんなに苦しくても目を背けず一緒に乗り越えて行くんだ」
 最初はただの通り魔だった少年バットも、噂が全国規模に拡散するにつれて凶悪化し、殺人事件が頻発するようになる。噂を広めた張本人である元刑事はその傾向を危惧し、自らの手で少年バットを討ち取ることを決意する。それが第十一話~最終話の本作のクライマックスシーンである。
 鷺月子。少年バット事件の最初の被害者である。内向的で無自覚の妄想癖がある彼女は、マロミというマスコットキャラクターの生みの親として有名な新進気鋭のデザイナー。マロミは、その愛らしい見た目から「癒し系グッズ」として人気があり、後にアニメ化されてさらに火が点いた。そんな彼女が十年前に描いたアイデアスケッチに、少年バットとよく似た人物画があるのを元刑事が発見したことから物語が加速する。当時、彼女は謎の通り魔に襲われて愛犬マロミを失っていた。しかし、実はそれ自体が彼女の狂言であり、自分の不注意で愛犬を死なせてしまったため、親に叱られないよう咄嗟に付いた嘘だったのだ。十年後、新作のキャラクターデザインに行き詰っていた彼女は、現実逃避するため無意識の内にかつてと同じ狂言被害を訴え、少年バットをこの世に生み出してしまう。だが、少年バットは一時的な救いに過ぎない。それでは可愛らしい容姿で人々に偽物の癒しを与えるマロミと同じではないか。元刑事はその事実を月子に突き付ける。確かに現実は苦しいが、現実から逃げてはいけない。月子がそれを自覚した時、少年バットは消え失せる。そして、また退屈で憂鬱な日常が巡っていく。
 以上が本作のストーリーであり、本作のメインテーマである。ここまで読めばお分かり頂けると思うが、確かに社会批判を描いた素晴らしい物語ではあるのだが、本作のテーマを突き詰めると、どうしても行き着く先は「アニメ否定」になってしまう。アニメこそが自分の妄想を肩代わりしてくれるメディア「妄想代理人」であり、その場しのぎの救いに過ぎない。劇中でも、マロミに対してある人物が「犬がベラベラしゃべってんじゃねぇ!」と一喝する場面がある。何より、本作のエピローグは妄想世界にどっぷりと浸かり過ぎた元刑事が精神病を発症するという皮肉的なシーンで終わる。監督がどこまで意図したのかは分からないが、かなり自己否定感の強い作品であることは間違いない。ただ、これに反省したのか、後発の映画『パプリカ』では「妄想も大事」というやや柔らかい結論に変わっているのだが。

・総論


 意図的に作画面と演出面を外しても、なおこれだけの量の評論が必要になるほど完成された作品。アニメーションでしか描けない世界を描いているが、それを突き詰めれば突き詰めるほどアニメーション否定に繋がるという自己矛盾が興味深い。さすがに、映画には及ばないものの、テレビアニメの域を遥かに超えた名作である。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 23:16 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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