『有頂天家族』

懐古。

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有頂天家族 - Wikipedia
有頂天家族とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2013年。森見登美彦著の小説『有頂天家族』のテレビアニメ化作品。全十三話。監督は吉原正行。アニメーション制作はP.A.WORKS。京都市内で暮らす狸一家の大騒ぎな日常を描いたハートフルコメディー。制作スタッフは異なるが、同じ原作者の作品ということでテレビアニメ『四畳半神話大系』と雰囲気や主人公の口調、OPムービーなどがよく似ている。

・狸


 「桓武天皇が王城の地を定めて千二百年。人間は街に暮らし、狸は地を這い、天狗は天空を飛行する。平安遷都この方続く人間と狸と天狗の三つ巴。それがこの街の大きな車輪をぐるぐる回している。回る車輪を眺めているのがどんなことより面白い」
 『四畳半神話大系』と同じく京都は下賀茂神社周辺が物語の舞台である。京都と言ってもいわゆる「和」のテイストは少なく、京都特有の和と洋がゴチャゴチャに混在した雑多な繁華街がメインだ。ただし、本作の主人公は狸である。変化の術を駆使し、普段は人間の姿で人間に紛れて暮らしている。モットーは「面白きことは良きことなり!」で、日々、あくせく働いている人間達を尻目に自由気ままに暮らしている。だが、両者の間は決して平穏ではない。それは人間と狸が「食うか食われるか」の関係にあることだ。つまり、絶対的な上下関係である。これは比喩でも何でもなく、実際、金曜倶楽部という名の人間の秘密結社が、忘年会に狸鍋で祝うのを恒例行事にしており、劇中で主人公の父親が犠牲になっている。その絶望的な状況に対して、主人公達は「そういう物だから」とどこか達観しており、定められた運命に逆らうことをしない。そして、人間側も「そういう物だから」と気にかけない。人が動物である以上、他の生き物の命を奪わなければ生きることはできない。いくら狸が可哀想でも人間をやめることはできないのだ。狸も狸で、掴まれば食べられると分かっていても、なお人間社会に溶け込もうとする。傍から見れば愚かな行為であるが、本能から湧き上がる好奇心には逆らえない。一方、万物の霊長であるはずの人間も大空を飛翔する天狗には敵わず、かと思えば、その天狗も時には狸に化かされることもあるという三すくみの状態が面白い。そんなサディズムとマゾヒズムが重なり合う緊張感と、それをもろともしない阿呆共の活躍こそが本作の魅力である。京都という歴史のある街だからこそ、こういった三すくみの関係がよりリアルに感じられる。
 ……と、これは原作小説に対する論説である。アニメの場合は、人間に化けている狸のビジュアルが強調されているため、食うや食われるやという話になると、どうしてもカニバリズム的な発想になってしまい、見ていてあまり気持ちが良くない。それゆえ、テーマ以前の問題になってしまい、ダメな人は本当にダメだろう。これは最初から予想されたことではあるが、やはり難しいところだ。

・阿呆


 本作の欠点は明確だ。それは主人公が大して「阿呆(あほう)」ではないことである。本作では事あるごとに主人公を阿呆呼ばわりする。本人も自分のことを阿呆だと自己紹介し、家族一同にも阿呆の血が流れていると自嘲する。だが、世間的に言われているほど彼は阿呆ではない。常にマイペースでシニカルな皮肉屋であるが、基本的には常識人だし、知識が豊富で義理堅く、冷静で行動力もある。明確に阿呆だと言える劇中エピソードは、師匠の恋文を矢で届けた話と、大事な扇子をなくしてしまったため大阪に逃亡したという話ぐらいしかない。師匠の天狗が失脚する原因になった「魔王杉の事件」に至っては、映像化すらされていないのでどれだけ阿呆な行為だったのか分からない。全十三話で基本的に尺が余り気味なのだから、この辺りのシーンは面倒臭がらずにきっちりと描くべきだっただろう。
 もちろん、ここで言う阿呆とは、ただ馬鹿で頭が悪いという意味だけではなく、勝手気ままで既存の枠に捉われず、自由に生きているという意味での阿呆である。つまり、社会の柵の中でむなしい奮闘を続けている人間と、その人間のようになろうとしている他の狸達に対するカウンターである。阿呆であるがゆえに、普通では思い付かないような突飛な言動を行い、そのデタラメさが結果的に世界を良き方向へと動かす。タロットカードの0番が「フール」であるのと同じ意味だ。その阿呆さの最たる物が、狸なのに姉弟子である人間の弁天に恋い焦がれ、何かとちょっかいを出す点だろう。しかも、彼女は狸を鍋にして食べてしまう金曜倶楽部のメンバーであり、明確な「敵」なのだ。古今東西、そんな狸は聞いたことがない。確かに、ここだけを見ると主人公は阿呆の極みである。ただし、例の如く弟子時代のことは劇中でほとんど描かれないため、そこに至った経緯はいまいち分からない。せっかく「天狗に弟子入りした阿呆な狸」という好設定なのに、その面白さをストーリー上で十分に生かせないのは至極残念である。
 このように、どうにも主人公のキャラクターが弱いため、全体的なテーマが薄まってしまっているのが本作の最大の難点だ。父親が狸界に名を残すほどの阿呆で、その父の血を一番濃く受け継いでいるのが主人公だということなのに、これではまるで説得力がない。正直、家族で一番阿呆なのは母親に思える。『四畳半神話大系』の主人公が本当に阿呆だったことを思うと、この淡白さは頂けない。

・弁天


 本作のキーパーソン。この人物をどう解釈するかによって作品の評価が大きく変わってくる。しかし、彼女は劇中ではほとんど自分の心情を吐露しない。そのため、まるで現代文のテストのように彼女の考えを推理する必要がある。一応、挑戦してみるが、いろいろと間違っていると思われるので容赦されたし。
 彼女はミステリアスな雰囲気を身にまとう妖艶な美女である。本名は鈴木聡美。性格は高圧的で独善的、常に我関せずを貫きつつ、面白そうな物を見つけると高みの見物を洒落込む好事家。元々はおしとやか控えめな普通の女性だったが、高校生の時、彼女に一目惚れした天狗にさらわれて強制的に弟子にさせられた。以後、その天狗と共に時を過ごす。だが、厳しい修行の末、天狗の神通力をマスターした時、彼女の性格は一変する。内向的だった性格は外向的になり、他人を見下すようになり、ついには奸計を用いて師匠を追い落としてしまう。やがて、天狗の力を駆使して事業に成功した(詳細不明)ことで、金曜倶楽部という名の京都の経済界を牛耳る老舗グループに招かれ、慣習に従って「弁天」と名乗るようになる。
 天狗にさらわれるというこれ以上ない不幸な身の上に置かれた彼女が、己の運命を恨まないはずがなかろう。きっと毎晩、枕を涙で濡らしていたに違いない。だが、最初は自分の人生を狂わせた天狗に向けられていた恨みも、いつしか自分を見殺しにした社会や世間、そして、人間に対する恨みへと変わる。やがて、人知を超えた力を身に着けた時、彼女は人間に対する復讐を開始する。弁天としての不遜な態度は、まさに彼女の社会に対する絶望感の表れだ。だが、外見は変わっても根っこの部分は変わらない。本質的なところは優しい鈴木聡美のままで、彼女自身もそれに気付いているが、もう二度とそこへは引き返せないことも知っている。それゆえ、彼女は失ってしまったかつての自分を自由気ままに生きている狸に重ね合わせて懐かしんでいる。彼女は狸のことが「食べちゃいたいぐらい好き」と述べ、実際、弟弟子である主人公に対してだけはどこか気を許している。しかし、彼女は狸ではない。それどころか、狸を食料として食べてしまう人間である。「だって、私は人間だもの」そう言って、彼女は哀しそうに笑う。
 とまぁ、このような机上の解釈をしてみたところで、CVの能登麻美子の演技が実に素晴らしく、流れる時の無常さと変わってしまった自分に対する慚愧の念を、いつもの涼やかな声で巧みに表現しているので、文章で読むより実際に見る方が遥かに早い。「百聞は一見に如かず」が結論ということで、現代文のテストとしては失格である。

・家族


 本作のメインテーマは「家族」である。非常にシンプルで普遍的なテーマを取り扱っているが、逆に普遍的であるがゆえに難しい。「家族の絆は大事な物だ」などと言われても、そんなことは世界中の人が分かっているのである。そのため、このテーマで聴衆の心を掴もうと思えば、見せ方に他にはない一工夫が必要になる。
 本作の選んだ方法はあえて基本に忠実であること、つまり、どこまでも「ベタ」な家族像の描写に徹することである。破天荒だが皆に尊敬されていた亡き父、包容力と厳しさを兼ね備えた優しい母、父の名を継ごうと奮闘するも空回りする長男、元々はいい加減な性格だったがある事件がきっかけで井戸の底に引き篭もる次男、父親譲りの破天荒で阿呆の三男、内気で弱虫で変化が苦手な四男。両親は子供達に惜しみない愛情を注ぎ、子供達は両親を心より尊敬する。と、まるで昔のホームドラマのような理想的家族像である。だが、彼らは狸である。人間ではない。それが示すことは、この理想的な家族は現実世界には存在しないということである。あくまで「こうなったらいいな」という願望であり、この程度の簡単な願いすら叶わない無慈悲な現実を嘆いている。この手の「仮想理想郷」とでも呼ぶべき世界がアニメではよく描かれる。妄想代理人たるアニメーションの特徴と理想郷の描写は相性がいいのだろう。そう言えば、弁天が住んでいる場所(扇子屋の裏に作られた異空間)もこのような仮想理想郷である。
 物語の終盤は、狸鍋にする目的で金曜倶楽部に掴まった母を四兄弟で協力して救出するという話になる。その最中、父を死に追いやった仇敵を追い詰めるという展開も挿入されるのだが、全体的にドタバタの連続で話に締まりがない。人間と狸と天狗の中間に位置する弁天がもう少しストーリーに絡まなければ、これまでの伏線が全て無意味な物になってしまうだろう。ただ、その後の家族総出で初詣をするエピローグは良い。それまではただの理想だったのだが、このシーンは妙な現実感がある。具体的に言うと、四男が母の腕にぶら下がってブラブラと揺れている描写などは、「家族ってこうだよな」というノスタルジックな安心感を覚えることができるだろう。理想郷は近くて遠いが、決して手が届かない範囲ではない。本作は狸の家族を通じて、そういった大切なことを訴えかけているのである。

・総論


 正直な話、決して手放しで良いとは言えないのだが、ひどく心に残る作品。結局、弁天というキャラクターにシンパシーを抱けるかどうかなのだろう。今の自分と昔の自分、その移ろいにむなしさを覚えている人は、弁天同様、本作の狸達の奮闘に心が揺るがされるはずだ。それゆえ、独断と偏見で高評価とした。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 23:38 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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