『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』

一体感。

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攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX - Wikipedia
攻殻機動隊とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2002年。士郎正宗著の漫画『攻殻機動隊』を元にしたスピンオフ作品。全二十六話(テレビ放送版は全二十三話)。監督は神山健治。アニメーション制作はProduction I.G。近未来の日本を舞台に公安9課が活躍するサイバーパンクSF。「もし、草薙素子が人形遣いと出会わなかったら」というIFを描いたパラレルストーリー。原作か映画を見ていないと意味不明だが、あまり気にする必要はない。

・笑い男


 すでに各所で語り尽されている作品なので、今更、独自の視点とやらであれやこれやと難癖を付ける必要もないだろう。ゆえに、ここは本作のメインエピソードである「笑い男事件」に絞って見て行くことにしよう。笑い男事件とは、世界的製薬会社の社長が誘拐されテレビカメラの前で脅迫を受けるという衝撃的な事件に端を発した劇場型連続企業テロの通称である。それ自体はこの世界ではよくあることだ。だが、その犯行が奇抜だったのは、犯人が周囲の人間の電脳や監視カメラを瞬時にハッキングして、リアルタイムで自分の顔にモザイクをかけるという超特A級のハッカーだったことである。しかも、その際、顔を隠すために使った画像がポップで親しみのあるイラストだったことから、ネット上で若者を中心に一大ブームを生む。また、事件の詳細が謎に包まれていたこともあって、笑い男という象徴のみが偶像化され信仰の対象となり、その結果、自らを笑い男だと称する模倣犯が大量発生し、事件が際限なく繰り返されることになる。
 そういったオリジナルなきコピー現象を、劇中では「スタンドアローンコンプレックス」と称している。コレクティブ(集合)ではなく、スタンドアローン(独立した個人)のコンプレックス(複合体)。人間とは本来、「自我」の名の下に自分で考え、自分で行動を決定する動物であるはずなのに、まるで我を失ってしまったかのように他者と同一の行動を取る、もしくは自分ではオリジナルと思っているが、第三者が見ると他人のコピーでしかない、そういった状況がインターネットが発達して情報が誰にでも手軽に得られるようになる(劇中ではそれを「情報の並列化」と称す)と目立つようになる。本作は、笑い男事件という劇場型犯罪を用いて、そういった情報化社会特有の社会現象を描こうとした意欲作である。
 本作が放送されたのは2002年。ネットメディアの黎明期に当たり、触れている人自体が限られていたため、まだスタンドアローンコンプレックスという概念が一般化していなかった。こうなるであろうという未来は容易く想像できても、身近な物として実感はできなかった。ところが、2014年現在、確かに現象として感じられる段階まで達している。それゆえ、ここでは本編と少し離れてスタンドアローンコンプレックスの具体例を挙げて行きたい。

・イナゴ


 2006年のテレビアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の登場以降、オタク業界の様相が一変したことは周知の事実である。それまで日陰者だったオタク文化が、ハルヒのヒットによってメジャー化し、マスコミにも好意的に取り上げられ始めたことで、元々、オタク的な趣向を持っていなかった人々が、周囲と話題を共有するためだけにオタク文化に触れるようになった。その結果、一つの物をとことん突き詰めるというオタクの唯一の利点が崩壊し、「俺の嫁」が三ヶ月ごとに更新されるという異常事態が発生した。もちろん、それ自体は別に悪いことではない。問題なのは、コミュニティに属することを優先するがあまり、自分自身の趣味趣向を無意識の内にすり替えてしまうことである。今なお絶大な人気を誇る「東方Project」などがその良い例だろう。練り込まれた設定と魅力的なキャラクター群という比類なきセールスポイントを持った作品であるが、その中心に位置するのは、かなり高難度の「弾幕系シューティングゲーム」なのである。弾幕シューティングなど言ってみればマニアックの極地であり、百人中一人でも面白いと思う人がいれば良いジャンルだ。にも係らず、彼らは他人と共通の話題を持つために、趣味に合わないはずのゲームを面白い面白いと遊ぶ。それは実に奇妙な光景である。
 こういった本来は千差万別であるはずの「嗜好の統一化」が蔓延するようになった原因は、それこそ千差万別だろうが、アニメ的に一つ挙げるとするなら「絆の強制」になるだろうか。バブル崩壊以降、特に二度の震災以降は顕著になったが、金や物ではなく人と人の心の繋がりこそが最高の物であるという耳触りの良い思想がスタンダード化し、世間一般に広く流布した。その流れを受け、昨今のアニメのテーマにも積極的に取り入れられるようになっている。例えば、『persona4 the ANIMATION』は、その物ズバリ仲間との絆がパワーの源であり、絆を拒絶した人物が悪であると断じている。一方で仲間内でのドタバタを描いた日常系アニメが大流行りだ。ところが、冷静に考えてみると、オタクと呼ばれる人々は基本的に他者とのコミュニケーションを不得手にする傾向がある。そういった人々に対して絆が大事だと言っても、ただのプレッシャーにしかならない。結果、自分の嗜好を奥に閉じ込めてでも無理やり周囲と合わせようとし、最終的に中身のない上辺だけの大集団が形成される。
 絆の強制が生む物は、気の合う仲間ではなく仲間外れになることへの恐怖心である。そのため、何事にも集団で行動するようになり、何か面白そうな物を見つけると一斉に押し寄せる。やがて、彼らの属するコミュニティの価値観が絶対となり、それと対立する物を徹底的に排除するようになる。彼らが望む物は、正義でも名誉でもなく周囲との「一体感」である。口の悪い人は、そういった人々を「イナゴ」や「イワシ」といった集団生活する動物に例えたがる。言い得て妙だが、これは日本社会全体に蔓延る病理なので、もっと幅広く捉えていかないといけないだろう。

・バカッター


 2013年、ネット上で奇妙な流行が巻き起こった。それは、飲食店などで食材や調理器具に不衛生な悪ふざけを行い、その様子を撮った画像をtwitter等で公開する通称「バカッター事件」である。その「犯人」の多くは十代・二十代の若者で、主な動機は仲間内で盛り上がって楽しむため、要は「悪戯」だ。ただ、本件と一般的な悪戯との違いは、自ら顔出しをして個人情報が分かるような状態で画像を公開していることである。もちろん、そんなことをすればあっという間に身元が割れ、警察のお世話になることは子供でも分かる。実際、幾人もの若者がニュースで取り上げられ、店側に謝罪と賠償を行ったのだが、なぜか、次から次へと模倣犯が現われて世間を驚かせた。
 多くの有識者がこの奇妙な現象を考察したようだが、これと言う決定打はなさそうだ。最も有力な説は「SNSをクローズなメディアと勘違いしているから」という物だが、現象の全てを説明し尽しているとは言い難い。なぜなら、仲間内で確信的に犯罪行為を行っている人ばかりではなく、そもそも犯罪だと気付いていない=罪悪感がない人が多くいたからである。これだけニュースで報道されているにも係らず、だ。彼らがニュースを見ない人間だったら話は簡単なのだが、そもそも報道がなければ情報が広まらないわけで、そのため、事件の概要は知っているのに事件の顛末だけは知らないという非常に奇妙な状態になっている。まさに、かつての都市伝説(口裂け女、人面犬等)と似たような状況と言っても過言ではない。
 結局、「報道」と「情報の共有」は違うということなのだろうか。報道の場合は、自分にとって都合の良いニュースも悪いニュースも否応なく耳に飛び込んでくるが、情報の共有の場合は、自分の属する組織にとって都合の悪いニュースは飛び込んでこない(もしくは、最も都合の悪いニュースだけを選別して組織の結束力を高める)。そうすると、人は自分で物を考える必要がなくなり、一部の情報だけが跋扈して徐々に知識が偏っていく。そう言えば、最近はマスコミの偏向報道に辟易し、インターネット上の情報を重視する人が増えている。確かに、ネットにはマスコミが報道しない「真実」の情報も数多く存在するのだが、それは能動的に自分で探しに行った結果の産物である。もし、その行為を他人に委ねてしまうと、自分達にとって都合のいい情報しか入って来なくなり、結局は偏向報道と同じになってしまうことに注意しなければならない。それこそがバカッター事件を生み出す最大の要因であろう。

・個


 さて、本編に戻ろう。攻殻機動隊シリーズの共通テーマは「人間と人形の違いは何か」である。劇中の人々は大半が脳を電脳化し、体の一部を義体化している。主人公の草薙素子に至っては、全身が義体であり生身の部分が一切ない。一方、完全なロボットであるタチコマは人間以上に人間らしい。そういった捻じれ現象が標準化した世界で、サイボーグ(強化人間)とアンドロイド(人造人間)の違いを挙げることは非常に困難である。そこで、本作は両者を分ける要素をゴースト(魂・自己)の有無であると定義している。つまり、魂を持つのが人間で持たないのがロボットだ。だが、その定義に真っ向から逆らうのが、スタンドアローンコンプレックスである。自ら考え、自ら行動する魂を持った人間なのに、集団と合一化することで自ら魂を失おうとする。それは非常に哀しい、もっと言えば腹立たしいことだ。それゆえ、草薙素子は笑い男の「情報の並列化の果てに個を取り戻すための一つの可能性とは何か?」という質問に対して、こう答える。「好奇心」だと。
 ただ、かの如き素晴らしいテーマが、本作において物語として十分に昇華されているかと問われると正直なところ答えに窮す。笑い男は実在するのか否かというミステリー展開は第十一話で早くも終了し、その後はオリジナルの笑い男が当たり前のように画面に登場して話に絡む。そして、一連の事件は模倣犯などではなく、事件に便乗した警察と厚生省と某政治家の陰謀だったことが明らかになる。その後、スタンドアローンコンプレックス的な物語はなく、政府と公安9課の内輪揉めに終始するという悲しい展開が待っている。制作サイドは、草薙素子が笑い男に扮するという状況を持ってスタンドアローンコンプレックスを表現したかったようだが、どうにもパワー不足が否めない。結局、黒幕を逮捕したのは検察、公安9課は一時解散、笑い男は放置という果てしなくどうでもいい結末で終わってしまう。これほど練り込まれた物語を作っておきながら、この乱暴な幕の閉じ方は非常に残念である。

・総論


 このような作品が2002年に作られたことがすでに驚嘆である。十年以上たった今、改めて見返してみると新たな発見があるだろう。逆に言うと、今の時代にこそこういった作品が作られるべきだと思うのだが。

星:☆☆☆☆☆☆☆☆☆(9個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 23:04 |  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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