『東京マグニチュード8.0』

制作費の無駄。

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東京マグニチュード8.0 - Wikipedia
東京マグニチュード8.0とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2009年。オリジナルテレビアニメ作品。全十一話。監督は橘正紀。アニメーション制作はボンズ、キネマシトラス。もし、東京でマグニチュード8.0の大地震が起こったらと仮定し、その極限状態で生き抜く姉弟の姿を描く。深夜アニメ枠ではあるが綿密な事前取材を敢行し、多くの企業が協賛したいわゆる大作アニメである。また、同時に防災アニメとしての役割も担っており、本作のダイジェスト版は様々な場所で上映されている。

・リアリティーを追求


 「本作品は首都圏での巨大地震発生を想定し、膨大なリサーチと検証に基づいて制作されたフィクションです。リアリティーを追求し、十分なシミュレーションを経てオリジナルストーリーを構築しておりますが、演出上、実際の物と描き方が異なる場合があります」……これは、本作の放送前に毎回流れる制作スタッフからのメッセージである。そこには謙遜しながらも底知れぬ自信が見て取れる。どうやら、本作は徹底してリアルな描写にこだわった硬派な作品らしい。『はだしのゲン』や『火垂るの墓』のような物だろうか。では、そういった点に注目しながら、第一話から順番にストーリーを見て行こう。

・第一話


 震災の前日談。思春期真っ只中の女子中学生の主人公が、世間に対して悪態を付きながらダラダラとした日常を過ごす物語。どこにでもありそうな現実感・生活感に溢れた世界を舞台に、思春期特有の社会への理由なき反抗心が精細な作画で見事に表現され、深夜アニメの枠を超えた完成度を誇っている。あえてダウナーな性格を強調することで、震災後の成長を描くのだろうと思わせる演出も抜群だ。その際、女子中学生の日常を表すアイテムとして、日記代わりに日々の不平不満を書き連ねる「携帯ブログ」が良いアクセントになっている。ネットという仮想現実にリアルを求めていた少女が、逃れ得ぬ生々しい現実に直面して成長する、それが本作のテーマなのであろう。そして、第一話のラスト、弟を連れてお台場へ遊びに行き、その携帯ブログに世界の崩壊を願う文章をUPした瞬間に地震が街を襲って次回に続くという引きの良さは、視聴者の耳目を集める素晴らしい効果を生んでいる。

・第二話


 震災当日、倒壊したビルに閉じ込められた弟を救出し、道端で夜を明かすまでの物語。第一話を見て極限まで期待を高めた視聴者が、まず最初に肩透かしを食らう。先の大震災を例に出すまでもなく、一番ハードで、一番生死の分かれ目になるのが震災初日である。街は地獄絵図と化し、人々はパニックに襲われる。日常と非日常のギャップ。人間の命と尊厳を懸けた戦い。そこには幾らでもドラマが生まれる余地がある。事実、世に数多く残された震災体験談のほとんどが初日の物語だ。そんな一番の盛り上げどころを、たった一話で消化してしまうとは誰が予想できただろうか。事前に発表された災害直下のキービジュアルは一体何だったのか。今更言っても仕方ないが、最低でも二話に分けるべきだったのでは?

・第三話~第七話


 そして、帰宅難民となった主人公達は自宅へ向けて歩き出す。その途中、様々な震災に関連したイベント(炊き出しや人命救助)に出くわすのだが、基本的に緊張感も緊迫感もない。ただ、ひたすら廃墟の街を散策するだけのお気楽ロードムービーだ。時折、思い出したように余震でビルやタワーが倒壊するのだが、それが実にゲーム的であり、「アニメだから、とりあえず派手なビジュアルを入れてみました」感が丸分かりなので興醒め。ちなみに、マグニチュード8.0程度では東京タワーは崩れないそうだ。
 こんな締まりのない非現実的な画になっている理由は明白で、どう考えても、主人公達に同行している真理さんという大人の女性が万能過ぎるのである。本来、子供の主人公が苦労して修得すべきスキルを彼女が全部肩代わりしてしまうため、ストーリーを通じて主人公が全く成長しない(性格は変わったが)。言い換えると、本作には圧倒的に「サバイバル感」が足りない。例えば、野宿をしたり、食料を調達したり、トイレを確保したり、他人と交渉したり、野盗から身を守ったり。それがどんなに嫌なことであっても、生き残るためにはやらなければならない。そういった「何としてでも生き延びてやる」という強い気持ちが、頼れる保護者がいるせいで、画面上から全く伝わってこないのである。第一話で示した鋭敏な現実感はどこへ消えたのか。主人公達には申し訳ないが、真理さんは第八話以降に合流してもらって、それまでは二人だけで生き抜いてもらうのがサバイバルムービーとしての定石だろう。

・第八話~最終話


 自宅を目前にして、突然、弟が体の不調を訴えて病院に担ぎ込まれる。姉の心配を余所に、弟はすぐに元気を取り戻し、再び自宅へ向けて歩き出す。しかし、実は……という本作を締め括るストーリー。詳しい解説は避けるが、何ともファンタジックでオカルティックな物語である。リアルが売りだったはずなのだが……。一体、「膨大なリサーチと十分なシミュレーション」はどこに生かされているのだろうか。自分の知る限り、震災体験者のリポートにこのような話はない(※オカルトな体験はリポートに残らないという指摘あり)。そりゃ、演出上、実際の物とは描き方が異なるだろう。ちなみに、そのシーンが終わるとすぐに後日談が始まり、その頃にはもうほとんど震災復興が終了している。ほとんど夢オチである。そんなに簡単に復興できるなら世話はない。
 では、制作スタッフはこのアニメを通じて何を描きたかったのだろうか? 残念ながら、本作から見て取れるのは「地震が起きると人が死にます。人が死ぬと哀しいです。哀しいと心が病みます」ということだけだ。例えば、「どんな困難にも希望を捨てるな」とか「力を合わせて頑張ろう」とか「兄弟愛・家族愛」といった希望に溢れるメッセージは一切ない。地震で人が死ぬのは当たり前である。人が死ぬと哀しいのも当たり前である。そして、そういった状況で人が心を歪めるのも残念ながら当たり前である。当たり前のことを当たり前に描いただけでは、それは物語ではなく「教科書」である。そもそも、事の発端は東京タワー倒壊の際に瓦礫で頭を打ったことなのだから、地震とは直接関係がない。そんな事故はどこにいても起こり得る。
 パニックムービーのお約束に従って、主人公が死地から生還する普通のハッピーエンドでも良かったはずだ。なのに、わざわざバッドエンドを選んだ理由は何か? なぜ、意味もなく主要人物を殺さなければならなかったのか? 結局、「制作スタッフがお涙頂戴物をやりたかったから」としか言い様がない。実際のところはどうか分からないが、もし仮に、世の中に大量に溢れる下劣な三流泣き映画や泣きゲーのように、視聴者を泣かせるためだけにラストにファンタジックな演出を取り入れたのだとすれば、はっきり言って最低である。下衆の極みである。実際、阪神大震災を経験した人もこのアニメを見ているのだ。制作スタッフは、彼らに胸を張ってこの夢も希望もない不条理アニメを見せられるのかと問いたい。

・情報


 本作には、もう一つ看過できない大きな問題点が存在する。それが「情報」の取り扱いである。と言うのも、あまりにも主人公達の視界が狭過ぎて、日本の首都で国家崩壊クラスの大災害が起こっているようには見えないのである。画面に映る物は、倒壊したビルとモブでしかない被災者と緊迫感のない主人公だけ。震災直後の東京というより、文明崩壊後の近未来といった方が正しい光景になっている。
 やりたいことは分かる。交通と情報が分断された人々は都市内で孤立して、自分の身の周りだけが全ての世界になる。その感覚を視聴者と共有するために、あえて外の様子を映さないようにしたのだろう。だが、最後の最後まで東京全体の被害状況が分からないというのは如何な物か。大体、そうなった場合、情報は水や食料と同じぐらい大切な物となって、人々は死に物狂いに外のニュースを欲しようとするはずだ。家族の安否が分からない状況では尚更だろう。テレビ局が作っているアニメなのに、情報の取り扱いが杜撰なのは少々お粗末なのではないだろうか?

・総論


 都市型大地震というどうとでも話を作れる最高の舞台を設定しておきながら、なぜ、こうも安易なストーリーに落としたのか理解に苦しむ。ただ単に浪花節をやりたかったのだとしたら、膨大な制作費は明らかに無駄である。結果的に本作が明らかにしたのは、東京大地震の恐怖ではなく、日本のアニメ業界のシナリオ作成能力の低さであった。

星:★★★★★(-5個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 22:16 |  ★★★★★ |   |   |  page top ↑
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