『オオカミさんと七人の仲間たち』

女性蔑視。

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オオカミさんシリーズ - Wikipedia
オオカミさんシリーズとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2010年。沖田雅著のライトノベル『オオカミさん』シリーズのテレビアニメ化作品。全十二話。監督は岩崎良明。アニメーション制作はJ.C.STAFF。学園の平和を守るために暗躍する秘密組織とその組織に属する一組の男女の恋愛模様を描いた学園バトルラブコメ。世界各国のおとぎ話をモチーフにしているという触れ込みだが、実際は……。

・ナレーション


 本作の最大の特徴、それはナレーションである。本作は謎の女性(CV:新井里美)による天の声が、タイムラインを埋め尽くさんばかりに随時挿入される。元々がおとぎ話のパロディーであり、また、原作が地の文がキャラクターの言動に干渉し、それに対してキャラクターが反応するという良く言えばメタフィクション、悪く言えば楽屋オチ的な独特の文章構造を有していたため、それを再現するためにナレーションという手法を用いているのだが、残念ながらそこに二つの大きな問題を抱えてしまっている。
 一つ目の問題は、ナレーションがひたすら単純に「つまらない」ことだ。キャラクターのズレた言動を茶化したりツッコんだりと、いろいろ面白いことを言おうと頑張っているのだが、その全てが悉く滑っている。そのため、かえって場の空気を汚し、面白くなるはずの物をつまらなくしてしまっている。もっとも、いつものことながら「なぜ、つまらないのか」を文章で説明するのは非常に難しい。面白いかどうかは完全に主観の問題であり、これが良いと感じる人も少なからずいるはずだからだ。ただ、一つだけ間違いなく言えるのは、そのナレーションが存在することによるメリットよりもデメリットの方が遥かに大きいということである。例えば、台詞に声を被せて聞き取り難くなっている場面が頻発するのは、何をやっているのかと言わざるを得ない。
 二つ目の問題は、ナレーションが状況を説明し過ぎることだ。本作のナレーションは、例えは悪いがテレビの視覚障害者向け副音声と酷似しており、見たら分かるという程度の物まで全て言葉で説明してしまう。しかも、当時のキャラクターの心理までも全部解説するため、ナレーションだけ聞いていれば大体理解できてしまうという親切設計になっている。それでは映像作品である必要性が何もない。かと思えば、シリアスシーンになると突然黙り込み、代わりにキャラクターがモノローグで過去を語るというお粗末仕様。まさに、絵に描いたような企画倒れである。良かれと思い、とりあえず実装してみたはいいが、回を追うごとに使いづらくなって困り果てているスタッフの顔がありありと想像できて哀しい。

・設定


 日本のどこかにあるという御伽花市。一見、のどかな田舎町に見えるそこは、とある権力者が自らの理想を実現するために開発した劇場型学園都市だった。その街には御伽学園という名の一貫校があり、日本の未来を担うエリートを育成していた。そして、より優秀な人材を輩出するために、あえて不良ばかりを集めた高校を近隣に設立し、敵役として競わせていたのだった……という、これでもかと言わんばかりに分かり易い中二病設定が本作の舞台である。ただし、いつものようにこの設定はストーリーには大して絡まない。権力者が主人公達を意のままに操る展開もなければ、彼らが権力者に反逆するような展開もない。そもそも、不良高校が学園に襲い掛かってくる動機も、単なる個人的な事情に過ぎないため、このような大がかりな設定を作る必要がない。要は、作者が自分のやりたいことをよりやり易くするためだけに持ち出した理想空間に過ぎないということである。
 御伽学園学生相互扶助協会、通称「御伽銀行」。主人公達が所属する学内秘密組織である。生徒の悩みを手助けすることで貸しを作り、後に相応の借りを強制徴収するという相互貸し借りシステムで成り立っている。こう書くと分かり難いが、実際はただの「学内何でも屋」である。だが、これも中二病が絡むと、本部の場所を生徒が誰も知らず、様々な特殊能力者が集まり、ハイテク機材が完備され、学園を裏で牛耳っているという話になる。同監督が手がけた『極上生徒会』の極上生徒会と似ているが、組織力と存在目的に雲泥の差がある。そして、やはり、この設定もストーリーには大して影響を与えない。システムの矛盾にメンバーが葛藤する展開もなければ、今までの借りを返すために生徒達が立ち上がるという展開もない。結局は、他の日常系アニメにおける○○部の亜流でしかない。
 本作の主人公は視線恐怖症の男子生徒である。内気でヘタレな性格であり、他人の視線を浴びるとしどろもどろになり何もできなくなる。だが、無駄に行動力だけはあり、いきなり片思いのクラスメイトのヒロイン(武道の達人)に道端で告白し、それが縁で御伽銀行の正式メンバーになる。また、なぜか、スリングショットの名手という危険な一面を持つ。そんな彼は、ヒロインのピンチなどに遭遇すると突然男らしくなり、言動も大仰になるという特異な人格を有している。物語の後半では、好きな女性を守るためにちょっとした特訓を行い、格闘技を身に付ける。ほんの数時間の特訓で肉弾戦に勝てるようになるなら、空手道場もボクシング教室もいらないのだが……。というように、何ともライトノベル原作らしい薄っぺらな主人公である。作者のコンプレックスがそのまま理想空間に投影されているようで痛々しい。ちなみに、この手の「いざという時に本気を出す」系キャラクターが醸し出す不快感の正体は、要するに一時的な「覚醒」を心の「成長」に都合良く置き換えているからである。積み上げてきた土壌がないのに急に人格が変化したところで、それは顔に新たな仮面を被っただけであって、人としてはむしろ悪化しているのだと気付かなければならない。

・人格否定


 第二話で、早くも主人公がヒロインに惚れた理由を「彼女の友人」に対して告白する。それは「見た目は強そうだけど、本当は心が弱い」から。……アニメを見ていて、呆れて言葉を失うのはこれで何度目だろうか。酷い。とにかく酷い。こんな物がなぜ地上波で放送されるのか。上記の通り、主人公は内気な性格である。同じクラスの一員でありながら、ヒロインとは言葉を交わしたことすらない。なのに、外から見ているだけで勝手に他人の心が弱いと断じているのである。お前、何様だよ!? これが「見た目と違って優しい」なら分かる。それは行動となって現れるからだ。だが、心の弱さなど見た目からは分からない。そういった物はお互いにじっくりと交流を続けて、アニメ的に言うなら1クールぐらい経過して初めて知る物である。これでは、まさに老害評論家が好んで使う「デジタル世代」のテンプレートではないか。
 ところが、そんなツッコミもむなしく、第二話以降もヒロインの「本当は弱い」描写が延々と描かれる。強敵の前で自信を喪失したり、古い知り合いに過去を詮索されたり。また、主人公だけでなく、周りの人間も寄ってたかって彼女のことを弱い弱いと貶し続ける。これはイジメだろうか。萌えキャラに人権はないのか。もちろん、女性の強気な態度が実は心の弱さの裏返しだったという展開は、物語上のよくあるパターンの一つである。そのギャップが可愛らしさを生むというのも理解できる。ただ、本作が問題なのは「本当は弱い」描写に比べて、肝心の「強がっている」描写が明らかに少ないことである。大まかに言って、7:3ぐらいの割合で前者の方が多い。そのため、ヒロインは事あるごとに弱音を吐くだけのメンタルの弱い女になってしまっているのである。本末転倒、ここに極まれりである。
 そんなヒロインを弱いと断言する主人公は、当然のように想い人を悪の魔の手から守ろうとする。たまに彼女が強い側面を見せても、「引っ込み思案な彼女がそんなことができるわけがない」「頼れるのは俺しかしない」「それは全部嘘で強がらないと自分を守れないほど弱い」などと頭ごなしに否定して、あくまで自分の支配下に置こうとする。自分のことを棚に上げて、よくもまぁ、ここまで上から目線で語れる物だ。もちろん、二人は恋人ではないし、家族でもない。これでは完全にストーカーである。ある意味、コミュニケーション能力に難のある人間が陥り易い罠を忠実に再現したと言えなくもないのだが、本作のテーマはそんな物ではないはずだ。
 なお、辛辣な言葉でプライドを徹底的に否定して人格を破壊した後、優しい言葉をかけて救済し、信用させて意のままに従わせるのは、典型的なマインドコントロールの手法である。本作が行っているのは、まさしくその過程のシミュレーションである。これも「萌え」の一端なのだろうか。自分にはただの「洗脳」にしか見えないのだが。

・男尊女卑


 本作には萌えアニメらしく数多くの魅力的な女性が登場する。だが、その大半が過去のトラウマや重大な悩みを抱えている。そして、それらは全て劇中で男性陣の働きによって救われる。その逆はない。苦しむのは常に女性側であり、男性側はそのトラブルに巻き込まれるだけだ。萌えアニメでよく見られるこの手の一方的なヒロイン救済物語は、元々は十八禁美少女ゲーム(エロゲー)で長年培われてきた物である。ヒロインが身体的な障害を含めた様々なコンプレックスを抱えており、それを主人公が手助けすることで苦しみから解放して、ラストに深い感動を呼ぶというのが一種の黄金パターンとして確立されていた。ただし、エロゲーはその性質上、主人公はプレイヤーの完全なる分身でなければならず、また、ヒロインごとに攻略ルート=ストーリーが分かれるため、主人公に対して深い設定を盛り込むことができない。それゆえ、ヒロイン側に重石を押し付けざるを得ないという大人の事情があったのだが、萌えアニメ、特にライトノベル原作アニメはそういった足かせがないにも係らず、何の考えもなしにそのパターンを直輸入してしまっている。すると、本作のようにただ男性優位の鼻持ちならない救済物語になってしまうのである。これが俗に言う「○○だけを見て育った人が○○を作る」という状態の弊害であり、昨今のアニメ業界の最大の問題点である。
 本作は、それらの屈折した作品群の中でも飛び抜けた作品である。この際、はっきり言わせてもらうが、本作の根底に流れるのは強烈なまでに歪み切った幼稚な「男尊女卑」思想である。男は女を守る物、女は男に守られる物、そういった前時代的な男性優位論が作品の節々に見て取れ、極めて不快感をもたらす作りになっている。もちろん、女性を守りたいという願望は男性全てに共通する物だろうし、守られたいという願望を持つ女性もいるだろう。ただし、それは両者の意志が一致して初めて意味を成す。本作のように主人公側の一方的な決め付けと庇護の押し売りでは、女性を下に見ているだけと言われても反論できまい。また、ヒロインに対する扱い以外にも、例えば、ミスコンの投票権が男性にしかなかったり、敵にさらわれるのが皆女性であったり、「ヒロインの武器には電流が流れているから女の子でも戦える」と解説が入ったりと、一々、余計なディスリスペクトが挿入される。極め付けは、主人公が覚醒して「男らしく」なった時、ヒロインの名前を呼び捨てにすることだ。この作者にとって、どうやら女性を高圧的に呼び捨てにすることが「男らしさ」らしい。普段、どれだけ女性に対してコンプレックスを抱えているのかと、呆れるより逆に心配になってしまう。確かに、「萌え」は女性を人形化し、男性にとって都合の良い長所だけを抽出するというあまり褒められた物ではない行為であるが、その根底には異性に対する深いリスペクトがあるはずだ。そういったリスペクトを忘れて、ただ異性を物扱いすると本作のような駄作が出来上がるという良い見本である。

・総論


 何かいろいろ書きましたが、ダメな理由の九割はナレーションです。

星:★★★★★★★★★(-9個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 23:02 |  ★★★★★★★★★ |   |   |  page top ↑
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