『男子高校生の日常』

ホモソーシャル。

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男子高校生の日常 - Wikipedia
男子高校生の日常とは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2012年。山内泰延著の漫画『男子高校生の日常』のテレビアニメ化作品。全十二話。監督は高松信司。アニメーション制作はサンライズ。普通の男子高校生達がダラダラとした日々を過ごす日常系ギャグアニメ。サンライズ制作ということで、冒頭で『機動戦士ガンダム』のパロディーを行っているが、その戦闘シーンの臨場感はどのガンダムシリーズのそれよりも素晴らしい。

・日常系アニメ


 本作のコンセプトを一言で説明すると「巷に溢れる日常系アニメの登場人物を男性に置き換えてみた実験的な男性向けアニメ」である。この短い一文の中だけで数多くの矛盾点を孕んでいるのが面白い。当たり前だが、かつての男性向けアニメの登場人物は全て男性が中心だった。視聴者は男性主人公に自分を重ね合わせ、未知なる世界を一緒に冒険する。女性が主人公の作品も少なくはないが、それはあくまで去勢された男性であって、既存作品の亜種でしかなかった。そのお約束を崩したのが、言わずと知れた『あずまんが大王 THE ANIMATION』である。作品世界から男性主人公と物語性を極端に排除し、限定された空間内でヒロイン達が慣れ合う姿だけを映像化し、人気を博した。以降、同種のコンセプトを持った『らき☆すた』や『けいおん!』などがヒットし、それらをまとめて「日常系アニメ」と呼ぶようになった。もっとも、そもそもの日常系アニメという単語の定義は、『灰羽連盟』や『ARIA The ANIMATION』のように異世界の理想郷で起こった何気ない日常を丹念に描くことで、現実世界の大切な物を再発見するという物だった。それがいつしか、安全な場所に引き篭もって誰にも邪魔されずに好きなことだけをやるという作品に変わっていったのは、とどのつまり、女性の可愛らしさ=萌えこそが平和と幸福の象徴であるという思想による物だろう。それ自体は間違っていないのだが、では、その日常は貴方の側にあるのかと聞かれると、答えに詰まってしまう。
 さて、本作はそういった日常系アニメの登場人物を男性に置き換えた物である。結局、元の男性中心アニメに戻ったわけだから、ただ単に先祖返りしただけなように思われるが、実際にはかなりの差異がある。まず、日常系アニメの最大の特徴は、主人公や物語性を排除した結果、登場人物を脅かす「敵がいない」ことである。外敵がいないということは、現実の野生生物同様、環境変化に合わせて進化する必要がないということであり、「成長」という要素が完全に省かれることになる。普通、ギャグアニメであろうと、年頃の男子が集まれば、将来の夢やら未来に対する不安という話になるが、本作にはその類の物は一切存在しない。特に悩みや苦しみもなく、延々と楽しい日々を過ごしている。その分、ギャグの質の向上に集中できるということだが、はっきり言って心に訴えかけるような物は何もない。
 なお、そのギャグだが、笑いのツボは人それぞれなので深い言及は避けるとして、登場人物が男性な分、他の日常系萌えアニメとは比べ物にならない完成度を誇る。通常では不快感を覚えるような下ネタやパロディーネタも、お馬鹿な男子高校生がやっていることなので、さらりと聞き流すことができる。ただし、ネタの質を重視するがあまり、各キャラクターの個性が非常に薄くなっているのは大きな欠点か。特に、主要キャラ三人がモブキャラ同然の書き分けしかできていないのは至極残念である。

・高校生


 本作のタイトルは『男子高校生の日常』である。『男子中学生の日常』でも『男子大学生の日常』でもない。それはつまり、ピンポイントで「男子高校生」のリアルな生態を描いているということであるが、それはなかなか難しい問題だ。事実、世の日常系アニメでは、可愛い女子高校生のゆるい日常と銘打ちながら、とてもじゃないがそうは見えない人々で溢れ返っている。男性が考える女性の可愛らしさを強調するため、全体的に登場人物の精神年齢が低く、下手すると幼稚園児レベルの「純真さ」を抱えていたりする。一方、本作はと言うと、これが予想以上に男子高校生らしい男子高校生を描けており、看板に偽りなしの作品となっている。
 まず、リアルな男子高校生の特徴として、中学生同様に己の力を過信し、ファンタジー妄想やら暴力への憧れやらに浸りがちな点が挙げられる。ただし、高校生が中学生と違うのは、義務教育を卒業して見識を広めたことで、それ相応の社会性を獲得していることである。そのため、そういった自分に都合の良い妄想を他人に知られることに対する「恥」という概念を持てるようになっている。また、社会性があることで他人の気持ちを汲み取れるようになり、いわゆる「空気が読む」ことが可能になって、相手を尊重した行動ができるようになる。その分、自己の欲求と社会の制約との間で板挟みになり、それによって生まれた葛藤が人を大人に成長させる。
 そういった男子高校生らしさを存分に生かしたネタが「男子高校生と文学少女」シリーズである。幻想文学好きでその手のファンタジックなシチュエーションに憧れている女子高生に対して、男子高校生の一人が成り行きでその妄想に付き合ってあげるという話だ。お互い、自分の行動の馬鹿馬鹿しさには気が付いているが、場の空気を読んで自分の本心を覆い隠す。しかし、そこに恥という概念が待っている。結果、心に動揺が発生し、それが話の面白さに繋がる。これが中学生の物語だと、ただ単に妄想と妄想がぶつかり合って爆発するだけの痛々しい話になるだろう。それはそれで面白いかもしれないが、そこに人間関係の心の機微は感じられまい。わびさびとまで言うと言い過ぎかもしれないが、性善説をベースにした人と人の微妙な心のすれ違いを楽しめるのは、高校生を主役に据えているからである。
 また、同種の自己と社会のギャップをネタにした傑作が、第九話の「男子高校生とパンツ」である。これはもう説明抜きで見てもらうのが一番だが、見事に世の深夜アニメのアンチテーゼになっている。このネタを面白いと思うかどうかが、高校生と中学生を分ける境界線になるだろう。

・女子高生


 基本的に、世の日常系アニメには男性キャラクターは登場しない。汚れのない楽園感を演出するため、クラスメイトはおろか家族でさえ存在が抹消されているのが常である。それを逆転アレンジした本作でも、基本的に女性キャラクターは出て来ない。ただし、それは「萌えアニメらしい可愛らしい女性は出て来ない」という意味である。画面に出てくる女性という女性は皆、お馬鹿であったり暴力的であったり下品であったりと、一般的に言う女性らしさはほとんど感じない。それどころか妹や姉といった特定の恋愛属性の対象になりそうな人物は、影で顔を隠して特定を避けている。つまり、徹底して「萌え」を排除しているのが本作の特徴である。言い換えると、リアリティを大事にしているということだが、なぜそのようなことをしているかと考えると、なかなか面白い結果が浮かび上がってくる。
 本来、男子高校生にとって、女性は未知の物であると同時に、どのような手段を使ってでも手に入れたい宝石のような代物である。表面上は無関心を装いながらも、心の中では是が非でも恋人を作りたいと思っている物だ。しかし、本作には恋人にしたくなるような素敵な女性は、極一部を除いて悉く登場しない。そのせいか、本作の男子高校生達は皆、恋愛に関してほぼ無頓着である。愛だの恋だのにうつつを抜かすより、気心の知れた男同士で遊んでいる方が何倍も楽しい。もう、この世界には醜い女性などいらない。いっそ、男性同士でいい。そういった異性を排除した男性同士の閉鎖的な強い連帯感のことを「ホモソーシャル」と呼ぶが、本作は極めてその空気感に満ちた作品である。俗に言う百合やBLは異性の制作者が異性の視聴者のために作った空想の産物だが、本作は同性の制作者が同性の視聴者のために作っているので、より本気度が高い。しかも、特定の主人公がいないということは主体がないということであり、視聴者は男でも女でもない謎の存在として、男しかいない楽園をふわふわと漂うことになる。
 このブログでも何度か指摘しているが、昨今、オタクのジェンダーが女性化しつつある。男性主人公がヒロインに護られる男性向けアニメや、女性主人公が男性に恋する男性向けアニメなどが平気で放送されている。その結果、二次元の世界であっても未知である女性を対象にするより、既知である男性の方が安心できるという境地にまで達しているのではないだろうか。本作はあくまで実験作であるが、将来的にそういった作品がスタンダード化しそうな状況を危惧する。

・総論


 日常系アニメを男性に置き換えた結果、ネタの面白さという点では飛躍的な進化を果たしたが、それと同時に言葉にならない気持ち悪さを抱えることになってしまった。それはつまり、日常系アニメが抱える本質的な気持ち悪さを炙り出したということであり、実験アニメとしては大成功と言える。

星:☆☆☆☆☆☆(6個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 15:33 |  ☆☆☆☆☆☆ |   |   |  page top ↑
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