『東のエデン』

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東のエデンとは - ニコニコ大百科

・はじめに


 2009年。オリジナルテレビアニメ作品。全十一話。監督は神山健治。アニメーション制作はProduction I.G。秘密組織「セレソン」に選ばれた青年が日本を守るために奔走するSFサスペンスアクション。『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』で名を博した監督による初のオリジナル作品。本作の放送終了後、二作の映画版が作られたが、例によって本項では取り扱わない。

・主人公


 本作の主人公は……主人公は誰だ? まず、物語に最初に登場するのは、就職活動のストレスを癒すため、卒業旅行でアメリカへ遊びに来た日本の女子大生である。そこで彼女は裸で街を闊歩する謎の日本人青年に出会う。彼は記憶喪失者であり、自分が何者なのか分からない。だが、いやに冷静沈着であり、自分が裸であることも気に留めない。まるで、世捨て人のようなただならぬ雰囲気を漂わせている。その後、視点が青年に変わり、失われた過去を取り戻す旅に出る。ただし、彼は基本的に淡白で飄々とした人間であり、自分自身にも社会情勢にもあまり頓着しない。気にしているのは先の女子大生であり、彼女に片思いしている同級生である。
 主人公という単語を「視聴者の分身となって未知なる物に立ち向かう者」と定義するなら、本作における未知なる物とは、社会情勢・世界の真実・青年の正体・青年の過去の四つである。この内、社会情勢を知っているのは女子大生、残りの三つを知っているのは青年だが、今は記憶喪失なので分からない。となると、視聴者は誰に自分を重ね合わせればいいのか、ひどく判断に迷うことになる。視点があちらこちらに分散して一箇所に落ち着かない。群像劇と言えば聞こえはいいが、誰に対しても共感できないのが現実だ。せめて、青年が現在の状況に対して慌てふためき、自分を取り戻すために世界の真実を知りたいと切に願うなら、視聴者の分身となり得るのだが。
 さて、その主人公と思しき青年は、非常に正義感に溢れた人間である。世界の真実の片鱗に触れると、その黒幕に対し怒りを込めて「ぶん殴ってやる」と豪語する。ただし、記憶喪失者であるため、なぜ彼がそういった正義の心に目覚めたのかがさっぱり分からない。現時点では「主人公だから」怒っているようにしか見えず、人間的な深みは0である。その後、物語の後半で彼はようやく自分の過去を取り戻す。もっとも、記憶自体はほとんど戻らず、他人に口頭で説明されるだけで、成育歴・学歴・性格・趣味・特技・住所・職業・年齢・家族構成など、彼の人格を決定付ける物は最後の最後まで分からない。これでは記憶喪失設定が何の意味も持たないだろう。自分では理由が分からないけど悪を許せない、なぜなら彼にはこういった過去があったから、とするのが筋ではないだろうか。もちろん、この辺りの詳細は映画版やらその他諸々で次第に明らかになるのだが、全十一話、約五時間もの長い間、責任の所在もなく迷走し続けたという事実を忘れてはならない。

・設定


 舞台は現代の日本。「日本のフィクサー」と呼ばれる一人の老人がいた。彼はとある大財閥のトップであり、その巨額の資金をバックに日本を牛耳っていた。その影響力は公権力にまで及び、首相や警察、自衛隊までも思いのままに動かすことができた。しかし、晩年、彼は一つの疑問に捕らわれる。自分がしてきたことは本当に日本のためになったのだろうか、本当は日本社会を腐らせただけではないか、と。そこで、彼は社会に不満を持つ十二人の人間を集め、それぞれに百億円と自らの権力を貸し出し、自由に世直しをさせることにした。彼らは「セレソン(ポルトガル語で代表の意。主にブラジルサッカー代表のことを指す)」と呼ばれ、主人公もその一員こと「No.9」だった。ただし、彼らの中には一人、「サポーター」と呼ばれる監視役がいて、目的を果たさぬまま百億円を使い切ったり逃げ出したりした人間は彼に殺されるという厳しい掟があった。
 なかなか面白い設定である。まず、百億円という金額が絶妙だ。一般庶民からすると想像も付かない大金だが、日本経済を牛耳るレベルの大物なら、合計千二百億円はギリギリ自由に扱える範囲内だろう。金持ちと貧乏人の金銭感覚の差を描くのに、この金額は良い指標である。ただし、その百億円で何ができるのかと問われると難しい話になる。金持ちにとって百億円は端金だと言うなら、その端金程度で国家権力は動かないのである。ミサイル一本一億円だとして、じゃあ、十億円出せば十発撃てるのかという話ではない。組織自体を動かさなければならないとすれば、その何百倍という資金が必要になるだろう。そう考えると、やはり荒唐無稽な設定である。資本主義を用いて資本主義を否定するという行為自体が無茶であり、劇中でも指摘されている通り、結局は金持ちの道楽の域を出ない。そもそも、本当に社会のトップに立った人間は絶対に世直しなど考えないと断言できる。それは世界の歴史が証明している。
 では、実際に劇中のセレソン達はどうしたかと言うと、二人は掟を無視して個人的な正義に投資し、別の二人はミサイルで官公庁を攻撃することにより直接的に日本を変えようとした。フィクサーが望んだのは社会構造その物の変革なのだから、数発のミサイル如きで何かが変わるわけがない。考えが甘過ぎる。そして、我らが主人公はと言うと、そのミサイル攻撃を阻止するために百億円を使ったのである。もう、誰もまともな世直しなどしていない。明らかな人選ミスである。特に、主人公の場合は端からやる気がないどころか、他人の足を引っ張ることしかしていないわけで、何でこんな人間を選んだのだとフィクサーを問い詰めたくなる。もちろん、自分を否定してくれる人間こそが、彼の待ち望んだ人材ではあるのだが……それなら、他人を使わずに自分でやれよという話である。

・社会


 本作は典型的な「世直し物」である。腐り切った日本を自らが正しいと思う方向へ導こうとする敵と、それを阻止しようとする主人公達という対立構造がメインになっている。ここで大事なのは、如何に攻撃対象である日本社会が腐っているかを描くことである。そこが曖昧だと、敵がただの大馬鹿野郎になってしまい、物語の説得力が消え失せる。そして、本作の最大の欠点が、その大事な部分を全く描けていないことである。
 とにかく、肝心の社会描写が少な過ぎる。せいぜい、女子大生のヒロインが内定者面接でハラスメントを受けたというケースぐらいだ。その程度で社会の理不尽さを描けたと思っているなら、おめでたいと言わざるを得ない。同じ大学生を出すのなら、四年間遊び呆けていた人間が就職活動で初めて現実社会の過酷さに触れ、大人の論理の前に打ちのめされるという展開にするだろう。このご時世、コネで内定を貰っているだけで純然たる勝ち組である。何より本作が一番描きたいのは、極少数の富める者が社会全体を支配するという資本主義経済である。だったら、そこをとことんまで強調するべきだ。具体的に言うと、いわゆる社会の底辺と呼ばれる人達が経済的に虐げられる様を丹念に描かなければならないのに、そういった描写は皆無である。また、誤解を恐れずに言うと、男性と女性では就職に対するリアリティが違い過ぎる。就職に失敗すれば即無職になる男性と、家事手伝いという逃げ道がある女性では悲壮感が段違いだ。作品のクオリティを考慮するなら、主人公とヒロインの役割を逆にしておいた方が良かっただろう。
 好意的に解釈すれば、セレソンシステムこそが日本の資本主義経済の歪みを象徴する物であり、それを描くことによって社会が如何に腐っているかの根拠とするという考え方もあるだろう。それは正しい。似たようなストーリー構造を持った作品として、例えば、科学者の作ったウイルスが街を滅ぼし、それを持って科学文明を批判するといった物がある。ただし、科学者がウイルスを研究するのは実際に行われていることだが、セレソンシステムは制作者が勝手に考えた空想の産物に過ぎない。上述した通り、極めてリアリティに乏しい。そういった誇張と偏見に満ちた物を作っておき、それを自説の根拠とするなら、いつの時代の軍隊かという話になる。人はそれを自作自演と呼ぶ。

・ニート


 ニート(Not in Education, Employment or Training)、就学・就労・職業訓練のいずれも行っていない若年無業者、本作における最重要キーワードである。本作の登場人物及び制作者は、ニートのことを「自らの意志で資本主義経済に反抗したテロリスト」と定義し、日本社会のアンチテーゼであるとしている。そのため、彼らをかなり肯定的に描いている。ヒロイン達は大学の起業サークルに所属し、就職という柵から逃げ出したニートであることに誇りを持っている。彼らの中には日本トップレベルの優秀な人材がいて、独自の技術力で画期的なアプリケーションを開発する等、革命家としての素質を如何なく発揮している。ただ、そうかと思えば、一方で「意志を持たず周囲に流されるだけの烏合の衆」という描き方もしている。物語の終盤では、二万人のニートが集団で主人公達を襲う。その光景はゾンビ映画以外の何物でもない。つまり、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』で提唱したスタンドアローンコンプレックスが実体化した物である。ラスト、主人公達は襲いかかってきた彼らを上手く「利用して」日本を救う。
 どちらにしろ、本作はニートという物を極めて蓋然的にぼんやりとしか捉えられていない。地に足が付いておらず、彼らと同じ目線に立って実情を描こうという気概が皆無である。ニートの中にはただの怠け者もいれば、そもそも労働という概念を持たない者や心身の異常で働きたくても働けない者もいる。社交的な人間もいれば、完全に人間関係を拒否している者もいる。それら多種多様な人々を一つの用語でまとめること自体が間違いであり、物事の本質を理解していないただの偏見だと批判されても反論できないだろう。結局のところ、制作者にとってニートという存在は「未知なる物」「自分達とは違う謎の集団」であり、「できることなら擁護したくないし関わりたくもない」という本音がありありと透けて見えるのである。ちなみに、その二万人のニートは当たり前のように全員男性である。
 まとめたい。本作は富める者が上から目線で全てを支配する資本主義経済を批判している。そのためのアンチテーゼとして、ニートという存在を用意している。しかし、制作者が彼らの視点に立って社会を見上げるということは一切なく、常に上から目線で社会の底辺を描いている。そう。やっていることは物語の黒幕と全く同じなのである。要するに、ただの「勉強不足」であり、そういった人々が偉そうに社会批判をするという構造のおぞましさこそが、まさに彼らの描こうとした「腐り切った日本」である。

・総論


 ただ漠然と「この国は腐っている」と思っている人は本作の思想に共感できるだろう。だが、真剣に社会正義とは何かを考えている人は、上から目線の幼稚な世界観に不快感を覚えるだろう。アニメは映像芸術。どんなに表面を取り繕っても、どこかに制作者の本音が滲み出る物なのである。

星:☆☆(2個)
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テーマ: アニメレビュー -  ジャンル: アニメ・コミック
by animentary  at 14:34 |  ☆☆ |   |   |  page top ↑
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